2020.06.06  「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし
          - 方方女史の『武漢日記』(14)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 3月21日
 封城59日目、なんとまあ長いこと。昨日のあの大きかった太陽が今日は突然暗くなった。午後にはいくらか雨も落ちてきた。この時期、中庭の樹木や花に雨はとっても必要だ。2,3日前、武漢大学の桜は満開だったのに、樹の下はがらんと無人。たぶん記者が撮った写真が同窓生の間をぐるぐる回っている。人のいない桜の道は文句なしの美しさ。
 真っ暗になった夕方、文聯の入り口に速達を取りに行った。春雨が降っていた。傘は持たなかったが、とても気分がよかった。その帰り、わが棟の入り口まで来たところで急に激しく降り出した。一足遅ければずぶぬれだった。幸運。
 病気の方は見たところ落ち着いている。しかし、人心は安定と言うわけにはいかない。みんな新型肺炎患者が再び増えるのでは、と、びくびくしている。誰かがゼロの記録を破らないために、故意に知らせないのではと心配している。友人の医師たちに聞けば、彼らの答えはいつもきっぱりしているが、ネット上では相変わらず大勢が心配している。このウイルスは奇妙で狡猾、分からないこと、不確定なことがたくさんある。だからみんな恐れている。とくに武漢人は早い段階でのあの酷い悲惨さを直接見ているから、心の深いところに恐怖が潜伏している。ちょっと熱でも出れば、みんな病院に駆け込む。おかげでもともと新型肺炎でないのに、病院でかかったりする人もいれば、医療系統を崩壊に近づけて、より多くの人を死なせたりもする。
 だから現在、病気は平穏で恐れなくていい。病院はたっぷり治療経験を積んだから、感染だろうとぶり返しだろうと、緊張する必要なし。治療するだけのことだ。普段からわれわれは金剛不壊の身体ではないのだから、よく病気にかかる。だから普段どおり治療を受ければいいのだ。せいぜいちょっと時間がかかるというだけのことだ。冬から春にかけてはもともとインフルエンザがはやる。だけどみんなちゃんと生きているではないか。
 上海の張文宏医師によれば、この病気の致死率は1%以下。だったら怖がる必要はない。死にさえしなければかかっても怖くない。仮設病院の患者たちも病院の中で踊ったり歌ったりしていたではないか。退院すれば大喜び。別に他の病気ととくに変わったところはない。
 話を戻す。私にはゼロを追及する気持ちが分からない。ゼロと1の間にどれほどの差があるのか?私にすれば、政府だろうと民間だろうと、こんな小さな差を大騒ぎする必要はない。伝染病はいつだって存在する。みんな警戒しているが、かかれば治療するところがある。それでいい。まさか、ゼロ人なら、われわれは仕事ができるが、1人いたとなると仕事に影響するだろうか?その1人を病院に送り込んで隔離すれば、それでいいのでは?何が何でもゼロの完璧を追及しなければならないのだろうか。そんな完璧さは時によっては極めて非現実的だ。
 新型肺炎の予防については、私は上海の張文宏医師の判断を信頼する。彼はこの病気は本当に予防できると言う。それには有効な個人の防護、社会的距離の保持とその後の手洗い、さらにマスク、この3つが必要だ、と。張先生は「これまでのところ、この3点をきちんと守って、それでも感染した人は見たことがない。その可能性は極めて低い」と仰る。私もこの見方には賛成だ。
 上海人にすれば、湖北にはなんでも差し上げるけれど、張文宏医師だけはだめ、というところか。上海人が何故ここまで張先生を信頼するかといえば、彼の話はすべて実証ずみのことなのだ。また日本の蔓延抑制もすこぶるうまくいっているようだ。それには日本人の衛生面の習慣が非常に良いことが相当程度ものをいっているようだが、確かに世界を歩いてみて、日本ほど清潔なところはない。だから日本人は長寿なのだ。いろいろ言ったが、衛生に気を付けることが多くの病気を防ぐのだ。
 新型肺炎が発生して以来、「愛」とか「善」とかが、今やそれほど空疎なものでなくなった。人々ははっきりと本当の善、本当の愛とはなにかを見てとった。ただ惜しむらくはただ喚くだけの人間というのもいるのだ。そういう人間はいざとなるとどこかへいなくなってしまう。われわれはそういう幻の概念に慣れてしまっている。情熱的に愛を伝え、善を示しても、いざ具体化となると熱情どころかほんのわずかの温度さえ感じ取れないのだ。ここ数日、映像を通じて千里を巡ってやっと帰国した同胞に向かって辱めと罵声を浴びせる人たちを見た。あるいはまた外国へ働きに出ていた湖北人に対して、はげしく反感を示すのを見て、なんとも不思議な感じを受けた。なぜ国を愛する熱い気持ちでこの人たちを愛せないのか?
 肺炎が武漢で発生したばかりの時、武漢人の医療用物資は極度に欠乏していた。そこで海外にいた同胞たちは全力で所在国の商店の棚が空になるほど駆け回った。武漢が難関を乗り切るのを助けるために。ところが次に彼らが家に帰ろうとして困難にぶつかった時、あんなに多くの人が出てきて罵った。一瞬で顔が変わった。人のさがの悪さを見せつけた。まだある。湖北人は病気が蔓延しないよう数々の困難を背負わされた。自分を押さえつけて50日余りも家にこもった。そして彼らが再び自分の働き場所に戻ろうとした時、さまざまな邪魔をした。われわれにはあの気宇壮大なスローガンがあり、あんなに沢山の文献があったのに、目の前のこととなると、そんなスローガンや文献は空気みたいなものとなった。政府は同胞の帰国と湖北人が省を出て働きに行くのに大きな支持を与えた。にもかかわらず民間の一部の人間がそれに従わないのは、私には不思議でならない。
 ほかにも細かいが、記録しておいた方がいいことがある。諸外国は国民にお金を配っている!このニュースが伝わるとネット上は狂ったような大騒ぎだ。お金を配る威力はたいしたもので、掛け値なしにみんな羨ましい。そして誰しも感ずる疑問、中国は配る?配らない?湖北は配る、配らない?今日、1つの提案を見た。湖北ではなにがしか金券を配るべきだ。蔓延がおさまれば民衆は市場でそれを使って買い物をする。市場の販売が増え、市場の活気が続く。そして元気の回復が早まる、というのだ。コメントを見ると、この提案に賛成する人が多い。
 武漢では、聞くところでは例えば弱い立場の人たちに一定の対策があるという。「扶貧弁」(注:貧しい人を援助する公的機関。国務院扶貧領導小組弁公室)からの情報で、「肺炎蔓延が貧困家庭の収入に与える影響を最大限に減らすため、全市の低保家庭(注:最低生活保障家庭)、低収入家庭のうちの都市、農村における臨時工、肺炎蔓延で出稼ぎに出られず無収入となった者に、都市と農村の最低保障基準(都市780元/月)、農村635元/月」(注:約12,500円、約10,000円)の4倍を一時的臨時的に救助する」との由。聞こえてくる外国の話と比べると、ずいぶん差が大きい。が、ないよりはましだ。べつに損する人間がいるわけでもなし。
 肺炎がここまで落ち着いて、病院もぼつぼつ外来診療を再開した。ただし元通りかどうかは分からない。実際のところ、これは焦眉の急なのだ。平時だって病院はいつも患者でいっぱいだった。それがこの2か月というもの、急性も慢性もすべての病人は新型肺炎のために自分の問題は自分で克服しなければならなかった。つまり待っていたのだ。
 しかし、待つと言うことは自分の身体を傷めることが前提だ。たとえば化学療法が必要な癌患者が化学療法を受けられなくなったらどうなるか?手術が必要な患者の手術が延びたら、手術も受けられなくなってしまわないか?ということだ。
 友人が1通の手紙を転送してきた。差出人は自分の妹のことを書いている。その妹さんは以前は毎日、太極拳に出かけていた。家に50日あまりこもったところで、脳卒中を突発した。110番したが、どこの病院も受け入れてくれない。やっとある病院に運び込んだが、そこではまず新型肺炎かどうかの検査を受けた。その結果を待って、新型肺炎でないことが分かったが、その時はすでに手術の時期を過ぎていた。そして1週間後に亡くなった。差出人は言う。「顛末を話して、心中の憤懣を聞いてもらいたいこともあるが、もっと大事なのは武漢の関係方面の人に、正常な医療秩序を大急ぎで回復するよう訴えたい。正常な公共交通秩序も回復して、予防と秩序を同時に重視してほしい。さもないと死ななくてもいい人が大勢死ぬ!弟の嫁の母親は胆管癌の痛みで食事もできなかったが、受け入れてくれる病院がなかった。110番、120番はいくら電話しても誰も出ない。正月の2日に痛がりながら死んでいった」。「コロナの全市蔓延はほんとうに憎らしい。武漢の衛生健康委員会も蔓延について不透明、不開示。死ななくていい人をどれほど殺したか。封城の前のあの何もしなかった指導者たちは心中まったく無策だった。封城からもう2か月になるが、大勢の高齢慢性病患者、癌患者、急性患者に対応する措置は全くない。なんと恐ろしいことか!!!」以上は感嘆符を含めてすべて原文である。
 身辺の人間がつぎつぎ世を去る。間違いなく恐怖の連続だ。医を求めても門なし。これは急性、慢性の患者が今、直面する尋常でない現実である。この問題を医師の友人にぶつけた。「普通の病人が診察を受けに来たら、まず血液検査をして新型肺炎かどうかを見るの?病気を診るのはその後ってわけ?」。
 友人の医師の答え。「新型肺炎以外の患者を診察する場合、安全のためわれわれの病院は2つの緩衝区を設けている。新型肺炎の可能性がある場合は隔離病棟に入れる。肺炎でないと分かれば緩衝病棟に入れる。患者は全員に、核酸、胸部CT,および抗体を調べる。家族の付き添いが必要ならその家族の胸部CTと抗体を調べる。新型肺炎でないと確認してから付き添いができる。心筋梗塞、脳卒中の患者に対しては、われわれ神経科の医師と心臓血管の医師は直接救急処置を行い、新型肺炎の検査結果を待つことはしない」。惜しいかな、手紙を書いた友人の妹さんは今まで待つことはできなかった。
 医療人員自身にも心配はある。現在、蔓延阻止はまだ完全に安定したとは言えないから、病人が感染者かどうかには心の中では恐れがある。あんなに大勢の医療人員が倒れたのだから、彼らにも傷と恐れがある。友人の医師は言う。「新型肺炎の患者を排除しなければ、入院後、ほかの患者に感染させる。われわれの責任は大きい。武漢封城50余日の成果は一朝にして崩れる」。この問題は相当に深刻だ。
 友人の医師は患者との関係がまた緊張しそうだと考えている。なぜか?検査が増えたために馬鹿にならないお金がかかるのだ。彼に言わせると、なぜ新型コロナの治療になぜみんなが満足したかと言えば、政府が費用をもったからだ。貧困家庭にとって1000元は大きな消費だ。何項目も検査をすれば1000元近くかかる。といって、すぐに入院できるわけでもない。こうして怒りは第一線の緊急診療科の医師にぶつけられる。今、患者は応急診療を受ければ、外来ということになる。武漢市では入院だけが保険で支払われることになっていて、応急診療の分は患者自身の負担だ。もし、政府が払ってくれれば、われわれが罵られるのは大きく減る。患者に払わせるから医者が怒鳴られる。病院の人手不足と言う問題も明らかに存在する。「疾病の初期に医療人員が感染することが非常に多い。そして大部分は完全に回復する前に家に戻って在宅療養だ」。庶民の苦労と医師の負担が目の前に広がっている。現在も状況の厳しさは新型コロナウイルスの猖獗時期とちっとも変わらない。目に見えている問題も解決しようとすればとてつもなく難しい。やはり専門家が政府に建言建策して、ともに問題解決の方式を探さなければならない。たとえばどんな病気でも新型肺炎に関係ある検査ならすべて無料というのはどうだろうか?
Comment
管理人にだけ表示を許可する
 
TrackBack