2020.06.18  沖縄県民の思いを発信し続けて
          新聞社初の女性編集局長・由井晶子さんを偲ぶ

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 6月23日は沖縄県の「慰霊の日」だ。沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が1945年6月23日に終結したのにちなんで制定された沖縄県独自の公休日で、この日は県主催の追悼式が開かれ、沖縄戦で犠牲になった人たちに祈りを捧げる。毎年、この日が近づくと、私は長年にわたる沖縄取材で出会った人たちに思いをはせるが、今年は、4月15日に86歳で亡くなったジャーナリスト、由井晶子さんのことがひときわ脳裏を去来する。

 由井さんは那覇市の生まれ。戦後の1951年に早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学、そこを55年に卒業すると沖縄タイムス社(本社・那覇市)の東京支社に入った。81年から83年までの本社勤務を除いて90年まで東京在勤。91年に取締役に就任、同年8月から92年12月まで本社編集局長を務めた。戦後の全国の新聞社で初めての女性編集局長だった。94年に取締役を退任し論説顧問に就任したが、97年に退任した。その後はフリーのジャーナリスト。
 そのかたわら、那覇市などが共催するジェンダーシンポジウム「うないフェスティバル」実行委員長、ハンセン病問題ネットワーク沖縄代表、琉球大学非常勤講師などを務めた。

 4月16日付沖縄タイムスに由井さんへの追悼文を寄せた仲程昌德・元琉球大教授は、その中で「女性や人権、基地を巡る問題……。幅広い活動歴が示すように、そこに彼女がいない場所はないというほど、徹底して現場に足を運び、自分の目で物事を捉えて発信する人だった」と書いている。
 要するに、由井さんはさまざまな分野の報道に携わったが、とくに力を注いだのは女性の権利、人権、米軍基地に関する問題だったということだろう。

 私が由井さんに初めて会ったのは、今から66年前の1954年のことだ。この年、私は早稲田大学政治経済学部に入学、同学部学生が集まる社会科学系のサークルに入会したが、そこにいた上級生の1人が由井さんだった(その時は富原姓を名乗っていた。その後、結婚して由井姓となる)。当時4年生で、沖縄からきていた「日本留学生」だった。当時、沖縄は米国の施政権下にあり、いわば“外国”だったから、沖縄からの学生は留学生扱いだったのだ。
 由井さんは沖縄タイムス東京支社に就職、私も少し遅れて全国紙の記者になったから、以来、報道関係の先輩である由井さんの仕事を遠くから見続けてきたわけである。
 由井さんの仕事で最も印象に残っているのは、やはり米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題に関する報道である。

 この問題の発端は、95年の米兵による少女暴行事件だ。これを機に普天間飛行場の返還を求める運動が盛りあがる。このため、日米両国政府によって「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)が設置される。96年には橋本首相とモンデール駐日米大使が普天間飛行場の全面返還を発表。その直後、SACOは「5年から7年以内の返還を目指す」「移設には十分な代替施設が必要」「代替施設として海上ヘリポートへの移設を検討」との中間報告を発表した。
 同年暮れ、SACOは最終報告を発表したが、そこには「海上ヘリポートの建設地は沖縄本島東海岸沖」とあり、建設地はあいまいな表現となっていた。が、97年、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ地域が移設候補地とされた。
 これに対し、名護市で住民投票が行われ、辺野古移設反対が過半数を占めた。しかし、名護市の比嘉鉄也市長は海上ヘリ基地の受け入れと辞職を表明。99年には、稲嶺恵一知事(革新系の大田昌秀知事を破って当選した自民党推薦の知事)が新基地建設は辺野古沿岸地域と発表、岸本建男名護市長も新基地建設の受け入れを表明した。
 2004年、普天間飛行場近くの沖縄国際大学に米軍の大型ヘリが墜落して炎上、同飛行場の返還を求める県民の声は一段と高まった。このため、日米両国政府は2006年、移設先を辺野古沖とすることで合意する。
 ところが、2009年、民主、社民、国民新党3党連立の鳩山内閣が成立、鳩山首相が「移設先は最低でも県外」と宣言したことから、問題は新展開をみせる。が、鳩山内閣は辺野古に代わる移設先を見つけることができず、2010年、米国政府との間で「辺野古への移設」を再確認せざるを得なかった。混乱の責任をとって鳩山内閣は総辞職、後継の菅内閣も「辺野古移設」の日米合意の順守を表明。その後の安倍内閣は辺野古移設を推進し、ついに建設工事に着手する。
    
 こうした一連の動きを、由井さんは「連載 沖縄」と題して1997年から十数年間にわたって労働運動専門誌『労働情報』(発行所は東京)に書き続けた。この間、2011年には、その一部が単行本にまとめられ、『沖縄――アリは象に挑む』とのタイトルで七ツ森書館から刊行された。
 本書を手に取ると、米国政府、日本政府、政党、沖縄県知事、県議会、県民、名護市、名護市議会、名護市民が普天間飛行場移設問題にどう向き合い、行動してきたかがよく分かる。現地に足を運んで書いたものだけに、その記述は具体的で、説得力をもつ。
 
 本書には『労働情報』に載った59本の文章が収められているが、その中に次のようなタイトルのついた文章がある。
  「基地負担軽減の要求が全国に届かず」
  「公平、平等求める沖縄に『ヤマト不信』が募る」
  「ヤマトンチュの鈍さに『本土』不信が広がる」
  「ヤマト」とは本土、「ヤマトンチュ」とは本土の人を指す。

 私には、由井さんが連載を通じて訴えたかったのは、結局、これら3本のタイトルに集約されているのではないか、と思えてならない。
 沖縄県の面積は日本の国土のわずか0・6%に過ぎない。そこに在日米軍基地の約70%が集中している。これに伴う被害が後を絶たない。だから、由井さんによれば、沖縄県民は本土並みの基地負担とするよう、つまり基地負担の軽減を求めている、というのだ。なぜなら、日本国憲法第14条には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあるからである。
 なのに、政府も本土の人も見て見ぬふり。そこで、沖縄県民は政府と本土の人に不信を募らせているというのだ。由井さんは書く。
 「沖縄では、福島第一原発事故のすさまじい被害を沖縄の基地と重ねて考えないわけにはいかない。最も貧しいところに、危険でまた地球に害を及ぼすもの、最も嫌われるものを、経済振興というアメをつけて押し付ける。地元はアメによって潤い、それに依存せざるをえず、将来に負荷がかかり自立が困難になる。その構造は、基地も原発も同じだ」

 こうした沖縄差別に対して、沖縄県民は闘いを続けざるをえない。本書のタイトルの「アリ」は沖縄県民、「象」は日米両国と本土の人を指す、と私はみる。

 由井さんの基地問題へのこだわりは、一つには、少女時代の体験が強く影響しているのではないか、というのが私の推測だ。由井さんをよく知る人の話では、由井さんは沖縄戦の時は小学生であったが、旧制一中(現首里高校)の教員をしていた父親が、由井さんら家族を九州に疎開させたため、沖縄戦の直接の戦火は免れた。九州では転々とする生活だったという。父親は沖縄戦で重傷を負い、米軍の捕虜となった。由井さんは、戦争の悲惨さを身をもって体験した世代だったのだ。
 こうした経験から、由井さんは平和こそ最も大切なものとずっと考えていたのではないか。そうした思いから、基地は戦争につながるものとして許容できなかったのではないか。
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