2020.07.03  私の「コロナ自粛」報告(2)
          ―森本薫「女の一生」初稿版の衝撃―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 「女の一生」の初稿版の台本と公演録画を見る機会があった。
その経験は私の「女の一生」観に大きな見直しを迫った。

「女の一生」とはなにか。その概要を事典はこう書いている。
■森本薫(もりもとかおる)の戯曲。5幕7場。1945(昭和20)年4月文学座により初演。明治から大正,昭和にわたる「布引(ぬのびき)けい」の半生の歩みを,日本の敗戦までの激動の歴史のうちにとらえる。日露戦争の旅順陥落にわきかえる新年に,一代で産をなした富裕な貿易商「堤(つつみ)」家の屋敷に迷いこんだ孤児の少女けいが,女中に入りやがて求められて長男と結婚,女実業家として一家の支柱となり献身する。〈誰が選んでくれたのでもない,自分で選んで歩きだした道ですもの〉というよく知られたせりふに象徴されるけいの境遇,堤家の衰運は,そのまま敗戦にひた走る近代日本の姿でもある。(平凡社世界大百科事典 第2版)■ 

《初稿版台本 堤家の屋敷・1942年1月》
 初稿版と戦後版はどこがどう違うのか。初稿版の台本を見ていく。
幕開きである。1942(昭17)年正月、舞台は堤家の座敷。
大東亜戦争緒戦の勝利に湧く提灯行列の軍歌と万歳の響きが聞こえてくる。
登場人物はけいと和子。家出した少女布引けいは05(明38)年に、堤家に女中として住み込み、09(明42)年に堤家の前当主未亡人しずに請われて温和な長男伸太郎と結婚する。けいはそのときに次男栄二へ愛情を諦めたのであった。和子は中国在住の栄二と中国人女性との間に生まれた娘3人の一人。3人はけいの誕生祝いに来日していた。けいのつぶやきは、彼女が05年新年に、この屋敷に迷い込んだ晩の回想である。

けい 今度のいくさばかりではありませんよ。私はこれ迄何度か此処に立って、今と同じやうな気持で、あゝして出てゆく人々を見送ってきました。日支事変の時、満州事変の時、世界戦争の時、日露戦争の時…何時、どの戦の時もあの人達は、あゝやつて出て行ったのです。
和子 でも、今度の戦さは今迄のどの戦さより大きいのですね。あの人達のお父様やお祖父さまが出てらした何んな戦場よりも、あの人達を待つてゐる戦場は激しく、血腥いものですわ。
けい 必ず一度は巡ってくる日だつたのですよ。昭和十六年十二月八日……今はもう去年になってしまひましたがね。明治の日清戦争からこちら、数々の戦争のすべての元に突き当る日だつたのです。私達は、もう長い間、この避けられない日の近づいてくる足音に耳をすまして来たのです。

(和子が退場してけい一人)
けい どうしたといふのだらう。あの時とそつくりだ。この部屋も、この椅子も、この机も、……何も彼も昔のまゝだ。遠い……遠い昔。もう薄れてしまつた古い絵の色のやうな数々の出来事。長い間すつかり忘れてしまってゐたのに、なんだつて今突然こんな風に思出してしまつたのだらう。明治、大正、昭和……私も随分長い間を生きて来たものだ。(軍歌)軍歌が聞える。なつかしい……明治の歌だ……万才の声、あの声にも憶えがある。丁度今日のやうにお正月の寒い夜だつた。あの時も、あんな風に、軍歌が聞え、あんな風に万才の声が聞えてゐた…… 溶暗

《戦後版台本 堤家の焼け跡・1945(昭20)年10月》
 これは戦後版の最終幕である。栄二は、中国に渡り色々な仕事をしていたが、義姉けいにも詳しいことを語らなかった。1928(昭3)年に帰国したとき、栄二は堤家から特高警察に連行される。左翼運動に従事していたのである。戦争が終わり出獄した。そして初めてこの焼け跡を訪ねたのである。けいは一人でそこの防空壕に暮らしている。

栄二 (マッチを受取って火をつける様にしゃがみ込んでけいの顔をさけながら)兄貴が亡くなったと言う事は聞いたけれど、別居のままですか。
けい ……はあ。でもどう言うものですか最後の時(42年)になって突然此の家へ訪ねて来てくれまして息を引き取る時は私の手を持ってそのままでした。
栄二 (顔を上げて)そうですか、それはよかったですね。兄貴もやっぱり貴女と仲なおりがしたかったのですよ。それが夫婦です。其の話を聞いただけで、わたしはあの死物狂いの汽車に揺られてやって来た甲斐があると思います。
けい ええ。でも私此の頃になって時々考えるんです。私の一生ってものは一体何だったんだろう。子供の時分から唯もう他人様の為に働いて他人様がああしろと言われればその様にし、今度はそれがいけないと言って、身近の人からそむいて行かれ、やっとみんなが帰って来たと思ったら、何も彼もめちゃめちゃにされてしまい、自分て言う者が一体どこにあるんだか……。
栄二 今までの日本の女の人にはそう言う生活が多すぎたのです。しかしこれからの女は又違った一生を送る様になるでしょう。
けい そうでしょうか。そうでしょうね。そうあってほしいと思います。

《上演までの一年と私の幻視》
 森本は44年6月公開の劇映画「歓呼の町」(松竹・木下恵介監督)の脚本を書いた。東京下町の建築撤去疎開を描いた愛惜すべき小品である。企画だけに終わったが、木下作品「神風特別攻撃隊」の脚本も書いた。実際に10月下旬から比島沖海戦で航空特攻が開始されている。戦局は急速に悪化していった。年表風に記せば次の通りである。

1943(昭18)年
日本軍ガダルカナルから「転進」 連合艦隊司令長官山本五十六戦死(国葬)
アッツ島日本軍「玉砕」 学徒出陣壮行式
1944(昭19)年
サイパン島陥落 東条内閣総辞職(小磯内閣へ) 比島沖海戦で神風特攻開始
B29の東京初空襲
1945(昭20)年
東京大空襲 米軍沖縄本島上陸・戦闘終了 戦艦大和米機攻撃で沈没  

「女の一生」初演は、沖縄戦の最中・大和沈没の直後、4月11日から6日間12回公演されたと記録されている。関係者の回想や証言を読んで私は、公演が日本演劇界による最後の抵抗だっと感じた。いつ死ぬか分からぬ状況下で、演者も観客も最後の知的空間の形成に命を賭けたのだと思った。

森本は初稿版で、堤けいに前述のセリフに続けてこう言わせている。
■この戦さは私達の国が興るか亡ぶかの岐れ道になるかもしれません。けれどまた、このいくさで私達が死んで、生きるための浄めの火にもなるでせう。私達の国、日本だけではありません。あなたの生まれた中国だけでもありません。私達と同じ皮膚の色をし、同じ目の色をした人達の住んでいるすべての国にとつてさうなのですよ。■

《舞台は静寂に包まれたであろう》
 この台詞を杉村春子が発したとき東横映画劇場の館内は異様な静寂に包まれたであろう。それは大日本帝国の敗北を表現していた。演劇空間は近代日本の挽歌を詠ったのである。読者はそれはお前の感傷だと問うだろう。敗北の詩が、なぜ抵抗なのかと難ずるだろう。
しかし私は幻視したのである。森本薫が記し杉村春子が発声したとき、居合わせた者たちは、近い将来生起する事態のもたらす、悲しみの深さ、先行きへの不安、敗北の恥辱、を感じた。作者は人びとの心情をよく表現してくれたと感じた。

私は、これまで初稿版を見たことがなかった。戦後版の焼け跡場面の追加は、「戦後民主主義的」言説の追加としてプラスに評価してきた。戦後の女性観客の支持もそれによるところが大きかろうと考えてきた。その気持の基本は変わらない。
しかし、初稿版のけいの台詞に大きな衝撃を受けたことも確かである。なぜそう感じたのかこれから考えていきたい。

2019年秋に初稿版の上演をしたのは、川田典茂(かわだのりしげ)という青年の率いる演劇集団「ドナルカ・パッカーン」である。「女の一生」の前にも、彼らは注目すべき作品を三本も上演している。この組織に触れる紙数がないが、彼らの問題意識は今日の世界変動に鋭く反応していると記して「コロナ自粛報告(2)」を終わる。(20/06/23・沖縄慰霊の日に
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