2008.10.17 黒澤明全作品30作の放映(24) 『天国と地獄』(1963年)
―最高の迫力と貧しい犯人像―

半澤健市 (元金融機関勤務)


■『天国と地獄』は08年10月18日(土)午後9時からNHK・BS2で放映されます■

《誤った子供の誘拐に始まるサスペンス劇》 
原作はエド・マクベインの小説『キングの身代金』である。シナリオは小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明のチームが書いた。翻案ものと分からないほどに練り上げた。

インターン医学生である誘拐犯人(山崎努)は、製靴会社の常務権藤金吾(三船敏郎)の息子を狙ったのに、誤って運転手の息子を連れ去る。しかし権藤に3千万円の身代金を要求する。権藤は社内の権力闘争の渦中で持株を増やすために全財産を注ぎ込んでいた。株式の買入代金5千万円を払おうとした矢先にこの事件は起こった。
映画は始めの一時間余り、横浜の高台にある権藤邸の室内だけで展開する。黒澤の演出力によって、その時間はもっと短く感じられる。権藤は社長の座につくのか、他人の子供のためにその機会を失うかの選択を迫られる。その選択の結果として、特急「こだま」(新幹線開通の前年)を舞台に行われる子供の救済劇がすごい。この5分間は、そのスリルと見事な映像によって日本映画史上に残る―いや世界レベルでも―名場面となった。黒澤の表現力がそのスタッフ「黒澤組」のサポートによって奇跡的にダイナミックな映像を生んだのである。権藤に対峙するものに戸倉警部(仲代達矢)らの警察がある。経営者権藤にとっては不要な存在、ヒューマニスト権藤にとっては頼りになる存在としてある。

子供の救済は成功した。ここから映画は犯人の追跡に移る。
『野良犬』を想起させるこの追跡劇は、横浜「伊勢崎町」の飲食店や、「黄金町の麻薬街」の描写によって、かつての『野良犬』や『生きる』の喧噪、猥雑、エネルギーを再現している。黒澤ならではの生き生きした画面を構成している。しかし黒澤にとってその喧噪は、いまや、マイナスのシンボル以上のものではない。その意味は『生きる』で述べた。
『野良犬』で三船の先輩刑事だった志村喬は、『天国と地獄』ではこの誘拐事件の捜査本部長である。大規模で組織的になった捜査会議で犯人像が割り出されていく。この描写もリアリティーが感じられて素晴らしい。

《ラストシーン直前の権藤と犯人の会話》
 映画は死刑がきまった犯人竹内銀次郎と権藤が獄中で対面する場面で終わる。そのクライマックス場面のシナリオの一部を掲げる。(『全集黒澤明第五巻』)

権藤 何故、君と私を憎み合う両極端として考えるのかね
竹内 どうしてだか知りませんね、私は自己分析の趣味なんかありませんからね・・ただ・私のアパートの部屋は、冬は寒くて寝られない、夏は暑くて寝られない・・その三畳から見上げると、あなたの部屋は天国に見えましたよ・・毎日毎日見上げているうちに、だんだんあなたが憎くなって来た、しまいには、その憎悪が生き甲斐みたいになって来たんですよ
権藤 ・・・
竹内 それに幸福な人を不幸にするのは、不幸な人間にとっちゃなかなか面白いことなんですよ
権藤 君は、そんなに不幸だったのかね
竹内 身の上話でもしろって言うんですか・・真っ平ですね・・私は、自分がどんなに不倖せだったかなんて話して、今更同情してなんか貰いたくありませんよ・・さいわい、お袋も去年死んで、胸糞の悪いメソメソした幕切れにならずにすんで、本当によかったと思っているのですよ
権藤 それで君は、一体、なんのために私を呼んだのかね
竹内 私が泣き喚いたり、びくびくしたり、みじめったらしく死んだなんてねあなたに想像されるのはたまりませんからね

《反逆青年はなぜこんなに薄っぺらいのか》
 サスペンス劇としての『天国と地獄』は様々な仕掛けで淀むところがない。
緊張した権藤邸の描写。その「静」から特急こだまの「動」への見事な転換。車中の5分間の圧倒的な迫力。ピンク色の煙という意表をつく演出。犯人を追い詰める理詰めの捜査。
黒澤映画のなかでも構成の緻密、自然な流れは特筆ものである。
しかし、娯楽映画としての高い完成度と比べると、権藤との会話における竹内のセリフはあまりに薄っぺらではないか。彼は自分から行動の正当性を主張しない。下宿の居住性の悪さを少年誘拐の根拠にする青年を私はインテリとは思わない。佐藤忠男は「ラスコールニコフの生まれ変わりのような憎悪の男である犯人」というが(東宝DVD解説)が、佐藤が『罪と罰』の主人公の名前を出す感性を私は理解できない。竹内はそんなに哲学的ではない。権藤の疑問にまともに答えていない。問いの意味すら理解していない。

観客数が減り始めた60年代の日本映画界は石原裕次郎と加山雄三に高度成長讃歌を唱わせていた。大島渚たちのヌーベルバーグが新左翼に先駆して反体制の表現を模索していた。『天国と地獄』の誘拐犯人は黒澤明による反逆青年の表現だったのかも知れない。

《60年代経済高度成長の現実》 
 しかし時代は反体制運動さえ抱え込んで展開する力を急速につけていたのであった。
61年にスタートした所得倍増計画は当初年率7.8%の成長率を目指したが結果は10%となった。次表は61年起点で5年間の推移をみたものである。

西暦   昭和  経済成長率% GNP兆円     社会現象の一端
1961(36)年  11.8   19.3   レジャーブーム、スキー客100万人
1962(37)年   8.6   21.9   TV受像機1000万台突破
1963(38)年   8.7   25.0   輸入自由化率92%へ、自立への自信
1964(39)年  11.1   29.4    東京オリンピック、東海道新幹線開通
1965(40)年   5.7   32.7   40年不況、戦後初の赤字国債発行

『天国と地獄』の製作年63年はこの中間に位置する。
この5年でGNPが1.7倍になった。山一証券の倒産危機の65年でも、5%台の成長があった。活力と希望のあった時代である。「失われた10年」というバブル崩壊後GDPが横ばいの日本では想像できないほどである。

《二人の位置はHigh and Lowだろうか》
 英語のタイトルはHigh and Lowである。『天国と地獄』で理解しがたいのは犯人と権藤の位置づけである。
犯人は医師の卵である。医師になるのは金のかかる仕事である。おそらく当時でも年間100万円のオーダーでカネがかかったであろう。医者は日本のエリート階層なのだ。インターンが地獄の住人である設定に私は大きな違和感をもつ。
権藤は、豪邸だけは目立つが典型的な中小企業の経営者の一人に過ぎない。信託銀行員だった私のドブ板外交の経験では、あの程度の金持ちは珍しくない。しかも彼の事業は在来型のローテク業種で成長業種ではない。ある職業階層を連想させる業種でもある。
『悪い奴ほどよく眠る』で黒澤のシナリオチームは日本の汚職構造に肉薄しようとした。彼らは『天国と地獄』では竹内と権藤の「階層的逆転」をどう意識したのであろうか。その含意を考えてみたが的確な答えが見つからなかった。これは映画『天国と地獄』の一つのナゾである。
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