2020.07.22 中國・習主席の国賓訪日は実現すべきだ
            ―批判と国家関係は別もの
                        
田畑光永 (ジャーナリスト)

 中国の習近平国家主席の国賓としての訪日を中止すべきだという声が高まっている、という。理由は何と言っても昨年来の香港における出来事、とりわけ香港国家安全維持法の施行によって、香港の「一国二制」が崩れたことが反感を呼んだのであろうが、だからと言って、国家主席の訪日に反対するという考えには、私は反対だ。
 最近の日本経済新聞の世論調査によれば、習氏の訪日を「実現すべきだ」とする人の割合が28%であるのに対して、「中止すべきだ」は62%を占めたという。ダブルスコアである。驚いた。支持政党別に見ると、野党の立憲民主、国民民主両党を支持する人で「中止すべきだ」が70%を超えていて、与党よりその比率が高い。年齢別では60歳以上では「中止すべきだ」が68%を占め、40~50歳の58%、18~39歳の59%をはっきり上回っている。
 この数字から何を読み取るかは難しいけれども、与党支持者より野党支持者のほうが、また比較的若年層より高齢層のほうが、民主とか人権とかに敏感に反応する、また比較的若年層のほうが現役社会人として日中関係の現実を大事にする、といった程度のことは言えるのだろうか。
 それにしても、訪日を「実現すべきだ」が3割を切るというのは驚きであると同時に、相手側からは「敵意の表明」とみられかねず、いささか困った事態である。というのは、首脳外交とは首脳あるいはその政権にとってのデモンストレーション効果は勿論大きいが、同時に半分は首脳が代表する国家のデモンストレーションでもあるからである。
 したがって、政権党の国内政策が相手国の国民の批判を招いて自国の首脳の訪問が断られたということになると、勿論、それ見たことかと手を叩く人たちもいるだろうが、多くはこころよくは感じないはずだ。それはどちらにとってもはなはだよくない。
 とくに中国のような独裁国家、と言ってしまうと身も蓋もないが、多様な言論の存在が許されていない国に対すると、ついその政府の言うことを国民のほとんどが支持しているように他国は錯覚する。また逆にその国民にしても常に政府との一体感を持つように仕向けられているために、政府への批判を国民全体への批判と錯覚する。正確に言えば、錯覚する人がかなりいる。
 ややこしく聞こえるかもしれないが、たとえばトランプ大統領やジョンソン首相を批判しても、日本人がアメリカやイギリス全体の悪口を言っているとは誰も思わないし、それが両国関係を損なうことはまずないし、逆もまた真であるが、日中関係はこれまでそういうことで何度もぎくしゃくしてきた。
 昔の話で恐縮だが、中国建国の父というべき毛沢東が亡くなったのは1976年の9月9日だった。さあ中国はどうなる?と誰しもが思ったが、世界の予測の大勢は「毛沢東なき毛沢東路線が続く」というものだった。それまでの毛沢東の圧倒的な威信、その死に対する国民の悲嘆ぶりからして、そう判断するのは当然だった。しかし、毛沢東夫人の江青女史ら毛側近の「4人組」逮捕という、路線転換ののろしが上がったのは、毛沢東の死から1か月もたたない10月6日だった。
 今の中国がそういう状態だというわけではないが、公式報道で覆われているその下では、中国でもさまざまな思考、感情が渦巻いている。改革・開放路線に転換してから40年、その間に西側に留学したり、仕事で外国暮らしをした人間の数は勘定しきれないほどだ。
 今度の香港の国家安全維持法にしても、多くの中国人が問題のありかを知っているはずだ。外から批判することはいいが、それをどうするかは中国の問題だ。香港への態度がおかしいから国賓として歓迎しない、などという、つまらないペナルティを振り回すべきでない。
 したがって結論を言えば、習近平国家主席を国賓として迎えるという約束はきちんと実行すべきであり、それと日中間のさまざまのトラブル、たとえば尖閣水域への中国公船の接近、進入への抗議といったことは、べつにきちんと外交ルートでおこなえばよい。しかし、香港への香港国家安全維持法の施行といった問題で訪日を断るといったことはすべきでない。批判は民間世論に任せればよい。
 自民党の外交部会、外交調査会は8日に「習近平主席の国賓来日の中止を要請せざるを得ない」と言う態度を決めたと伝えられ、一方、政府の菅官房長官は「政府としては具体的な日程調整をする段階にはない」と逃げの姿勢を見せているようである。だが、そんな及び腰はやめて、決めたことはきちんと守るという姿勢を貫いてほしい。右顧左眄して「ベストの道は?」などと迷うのは一番よくない。
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