2020.07.25 私が出会った忘れ得ぬ人々(27)
        山田みどりさん――ロシアより愛をこめて
           
横田 喬 (ジャーナリスト)

 三十年余にわたり、ロシアなど旧ソ連圏の国々との草の根の親善交流に尽くしている。特技は生け花・茶道・墨絵・造園。華奢な体で楚々とした物腰。八十路を迎え、なお色香が漂う。めったにいないフシギな女性だ。
 五十四歳でロシアへ渡り、モスクワの大学院を修了~芭蕉の『奥の細道』のロシア語版(墨絵の挿画入り)を著す。日本の伝統文化の真髄を手ほどきし、弟子の数は延べ千人以上。長年の文化交流への貢献に対し、外務省から銀杯そして内閣府からは叙勲を受けている。

 二〇一六(平成二八)年の歳末、正月休みで帰国中の彼女と久々に再会し、近況を耳にした。現地のテレビには何十回となく登場し、モスクワの社交界でも賓客扱い。権勢を極めるプーチン大統領のリュドミラ前夫人(六年前に離婚)ともレセプションの席で二度対面。親しく会話し、「感じのいい女性だった」とか。プーチン大統領には三十歳齢下の元五輪金メダリスト(新体操)カバエバ現下院議員との仲が噂されるが、向こうでは離婚はざら。夫婦別れは取り立てて問題視されないらしい。

 大統領選挙などでは圧倒的支持を誇るプーチン氏だが、ロシア人の弟子たちの間では支持派と反支持派が相半ばするといい、彼女いわく
 ――現状肯定~安定志向のせいか学歴の高いエリート層に支持派が多く、そうではない庶民的な人々の側で不支持が目立ちます。
 北方領土問題をめぐる日ロ首脳会談については、
 ――四島か二島かと日本側が意固地になるから、話が進まない。ロシア人の弟子たちの八割方は「四島なんか返せばいい」と言います。プーチンが強硬なのは、メンツゆえ。日本も体面はもう捨てて実利をとり、共同で一緒にやればいい、と思う。

 生け花には、花の色や形に質感をはじめ、葉の伸びやかさ・枝の弾みなど草木を多角的に見つめ、様々な美を見出す感性が要る。が、梅がどう咲いているか、竹がどう伸びているか、を論じようにも梅も竹も手近に無ければ話にならない。当初は花無し・花器無し・鋏無し。文字通り、ゼロからの出発だった。
 日本から段ボール三個分の造花を取り寄せ、それで稽古をした。花鋏や華道具など必需品の輸送費が毎回約十万円分にも上ったが、稽古の度に鋏や道具類を盗られ、情けない思いも度々味わう。こらえてやっていくうち、面白いように入門者が増えだす。が、こつをのみ込んでもらうまでに手間ひまがかかる。「もともと天分に恵まれた日本人と違い、向こうの人は雰囲気を捉えるのがなかなか難しいようです」

 墨絵となると、墨の存在さえ知らないから、もっと大変。筆の使い方一つ、初めはまるで分からない。でも慣れさえすれば、芸術に向く民族的な遺伝子があるのか、すごく早く成長する。「東京での本格的な展覧会に何人も入賞していて、そのうち私が追い抜かれそう」
 驚くほかないのが造園の才。ウクライナの首都キエフに設計した広さが一㌶もある日本庭園は上々の評判を呼ぶ。ペテルブルクの日本庭園には開園早々四千人もの見物客が詰めかけた。樹木を周辺に一杯植え込み、中心部に大きな泉水と築山を設け、朱塗りの太鼓橋や灯篭・東屋・茶室が配されている。通信教育でけんめいに学び、造園家の資格まで取ったというから、その精進ぶりには頭が下がる。

 京都での池坊本展示会の見学や東京での墨絵コンクール参加などのため、毎年のように門弟たちを手引きして国内各地を案内する。日本固有の魅力にすっかり取りつかれ、帰国するやすぐさま再来日の準備へ、みんながみんな貯金を始める、という。
 ――日本は麻薬だ。一度来たら病みつきになり何度でも来たくなる、と口々に言います。

 山田みどりさんは旧満州ハルビン市に生まれ、敗戦はずっと南の渤海沿岸・錦州で迎える。小学校四年の時で、進駐してきたソ連軍兵士の無法なふるまいがあり、随分怖い思いもした。混乱する中、百万もの在留邦人が錦州から帰国の途につくが、旧満鉄関連の建築家だった父が技術者としてソ連軍に留用され、一家はなおも三年現地へ留め置かれる。
 ロシア人が住むアパートで共に暮らし、小学校も向こうの子らと一緒。住まいも学年も同じ女児とごく親しくなり、忘れられぬ思い出が生まれる。深層心理ふうに言えば、ロシアとの友好関係はこの時に始まる、と見てもいいかも知れない。

 日本へ帰国して成人後、縁あって社会党代議士(左派系)の秘書を務める。激動の六○年安保のころ、国会デモで紛糾する渦中へ若手スタッフとして動員され、危うく機動隊に逮捕されかかる一幕もあったそうだ。当時大学生だった私も同じく国会デモに加わった口だから、ここでも彼女との因縁を感じずにはいられない。

 一九六五年、モスクワでの国際青年友好会議に日本代表として参加。バイカル湖畔での二週間のフォーラムに加わり、モスクワ大学での国際会議に列席した。グルジア~アルメニア~オデッサと回り、全行程五十日間。通訳や付き添い役を務めるモスクワ大学の学生たちと親密になり、後に日本へ留学してきた折には、鎌倉の自宅へ招待したり名所旧跡を案内し、深い付き合いに。そうした人間関係も後年の彼女のロシア行決断に一役買っている。

 旧ソ連体制が瓦解~「民主化」ロシアが発足する直前の九〇年、モスクワへ赴く。空港への出迎えのバスは窓ガラスがなくて猛烈に寒く、暖房のない学生寮でがたがた震えた。、「来なきゃよかった」と思った。全部英語の大学での授業はついていくのが大変で、寝る間も惜しんで辞書と格闘する。留学生の一行は男性六人に女性四人。男子では女性問題で破たんしたり、ノイローゼに陥ったり、三人が脱落して中途で消えた。

 モスクワの大学院を修了後に芭蕉の『奥の細道』ロシア語訳本を刊行する。実物を見せてもらうと、ハンディで洒落た装丁の全七十頁。「行く春や/夢は枯野を/かけめぐる」「象潟や/雨に西施が/ねぶの花」「むざんやな/甲の下の/きりぎりす」など代表句を流麗な墨書で要所要所に挟み、水墨による達者な風景画がたっぷり入って心に沁みる。訳文の方は、あいにく無学でちんぷんかん。

 山田みどりさんと初めて対面したのは、四半世紀余り前の九三(平成五)年。当時、関わっていたサークルが主催する「新生ロシア視察ツアー」に参加した折のこと。夏休みを利用する五泊六日の駆け足旅行で、訪問先はモスクワとペテルブルクの両都市だった。
 限られた見聞ながら「百聞は一見に如かず」。インフレのすさまじさや治安の危うさなどを目の当たりにし、旧ソ連の国家崩壊の惨状をまざまざと知ることができた。その折に私たちの世話をしてくれたのが「ロシア科学技術アカデミー」職員の彼女である。

 驚くことは山ほどあった。エルミタージュ美術館を案内してくれたペテルブルク大学の先生は「ブレジネフは美術館の財宝を横流しして高級車を何十台も買った」と公言。みどりさんもそれを認め、「ゴルバチョフも似たような振る舞いをした」と付け加えた。社会主義・共産主義なら本来平等であるべきなのに、上の者が極端なぜいたくをし、下の者は苦労しながら貧しい生活を強いられる。それでは社会がちゃんともつ道理がない。

 街中では、食料品店の非能率さにもたまげた。店内にパン・食肉・乳製品・野菜と四つの売り場があり、買い物客はまとめて買うことがかなわず、めいめいの売り場にそのつど行列して買わないといけない。一回の買い物に一~二時間はかかるといい、年金暮らしのバーブシカ(おばあさん)が若い夫婦などの代わりに行列役をバイトにする、とも聞いた。

 当時、山田さんはこう口にした。
 ――経済混乱が続く今のロシアは、日本の戦後すぐと同じ。戦後の荒廃から立ち直った日本の経験を、先輩としてロシアを指導してほしいんです。
 そして、ロシアの民衆の一人一人は人柄が至って善良で、芸術や文化にも奥の深い素晴らしい伝統があることを熱意をこめて説いた。異郷の地で孤軍奮闘する姿はどこか痛々しくさえ映った。

 ロシア社会のこの四半世紀の変遷を間近で見つめた感想を、彼女はこう述べる。
 ――コンビニこそ未だありませんが、スーパーやホームセンターなんかは街中にわんさとでき、食料品や衣料に生活雑貨など輸入品も含め今はお金さえ出せば何でもすぐ買えます。しかし、巷には、乏しい年金だけでは食べていけないお年寄りなど物乞いをする人々も数多くいる。自由化で人々が本当に幸せになったかどうか、疑問です。

 結びに一言。みどりさんの大好きな芭蕉には「公儀の隠密」説が伴う。彼女もジョーク半分に自身をロシアへの密偵になぞらえる。ご存知ジェームズ・ボンドの007ものの一つに「ロシアより愛をこめて」とある。胸中をあえて推し量り、今回はそれを標題に頂いた。


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