2020.08.11  「2020・8・6」広島ルポ (上)
          コロナ禍に封じ込まれた核兵器廃絶への諸行事

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 広島は8月6日、「被爆75年」を迎えた。米軍に原爆を投下された直後、「75年は草木も生えない」といわれただけに、今年はいわば「節目の年」であった。それだけに、広島には、核兵器廃絶に向けた盛り上がりが期待されたが、全国的な規模で猛威を振るいつつある新型コロナウイルスによって、「8・6」関連の記念行事や催しが軒並み規模縮小や開催形式の変更に追い込まれた。このため、今年の「8・6」は残念ながら熱気を欠いたものとなった。

 8月4日、私は東京駅から新幹線で広島へ向かった。私は1967年から毎夏、「8・6」を中心とする広島の諸行事の取材を続けており、今年は50回目だった。
 新幹線に乗って目を見張った。私が乗った指定席の車両(定員90人)の乗客が私を加えて9人だったからである。広島までの間、乗降があっが、広島までの間、乗客が十数人を超えることはなかった。例年、この時期の広島へ向かう新幹線はいずれも満席であったのに。
 広島駅に降りてまた驚いた。駅構内が閑散としていたからだ。例年なら、この時期、構内は同駅に降りたった人たちで混雑しているのが常だった。駅前では客待ちの、おびただしいタクシーが広場を埋めていた。駅前から広電(路面電車)に乗ると、なんとガラガラで座れた。例年、この時期の広電は「8・6」関連の記念行事や催しに参加するために全国からやってきた人たちでぎゅうぎゅう詰めで、身動きもできなかった。
 毎年見慣れてきた光景とあまりにも違う、人影の少ない「8・6を控えた広島の街」に戸惑うばかりだった。
「2020・8・6」広島ルポ (上)
「8月6日午前9時過ぎの原爆ドーム。その周辺を歩く人の数は例年より少なかった」

 恒例の広島市主催の平和記念式典は6日午前8時から、いつもの平和記念公園内に特設された式典会場で行われた。私は毎年、式典に参列しているので、今年も午前7時40分に平和記念公園に着いた。が、式典会場には入れなかった。
 なぜなら、今年は新型コロナウイルス感染拡大を防ぐ観点から、式典会場内の参列者席を例年のⅠ割以下の880席とし、しかも誰でも座れる一般席を設けなかったからである。参列者席は、被爆者代表と政界代表、海外代表ら来賓用だった。
「2020・8・6」広島ルポ (上)
「平和記念式典では、一般人を式典会場に入れないための規制線が市役所職員によって張られた」

 そればかりでない。
 これまでは毎年、平和記念式典には広島市民や全国各地からやって来た人たちなど約5万人がつめかけた。当然、その多くは式典会場内に入れない。溢れた人たちは式典会場を取り巻くように立ち尽くして式典を見守るか、平和記念公園内の各所に臨時に設けられた、式典を中継するモニターテレビを見続けた。しかし、今年は平和記念公園の大部分がコロナ対策で立ち入り禁止となったため、一般参列者は式典会場に近づけなかった。それでも、式典を一目みようと、入場規制がなかった平和記念公園の一角に少なからぬ人たちがつめかけた。
「2020・8・6」広島ルポ (上)
「式典会場に入れてもらえなかった人たちは、入場規制外の平和記念公園の一角で黙祷を捧げた」
 
 コロナ対策上、式典規模を縮小するのはやむを得なかったろうと私も思う。が、広島在住の人からは「式典から市民を締め出すなんてとんでもない。こんなことを市民にも諮らないでやる市を許せない」「平和記念公園は広い。そこに大勢の人が寄ってきても、大空の下であるし、しかも、みんなマスクをしてくるのだから、コロナウイルスがまんえんするとは思えない」などの声が聞かれた。

 私もこんな感想をいだいた。
 「式典会場から離れたところに居ざるを得なかったせいか、平和宣言を読み上げる松井一実市長の声が聞こえなかった。これまでは、公園の各所にモニターテレビが設置されていたから、平和宣言はそれを見ておれば聴き取れた。今年はどうしてモニターテレビを設置しなかったのか。式典会場周辺に一般人を入れない。だから必要ないと思ったのだろうか。でも、市内の繁華街など、人が集まりそうなところにモニターテレビを置くというような工夫があってもよかったのではないか」
 
 それに、こんなこともあった。例年、式典では市役所職員が市製作のパンフレットを参列者に配布する。そればかりでない。至る所にそのパンフが山積みにされていた。どうぞ、ご自由にご持参くださいというわけだ。パンフには、市長の平和宣言が載っていた。
 今年、平和宣言を聴くことができなかった私は、それを読みたいと、式典終了直後の式典会場周辺をパンフ求めて歩き回った。が、一冊も見かけない。後片付けしていた市職員に所望したら、「もう全部配布してしまって残部はない」とのことだった。式典会場内とその周辺に一般人は入れなかったのだから、パンフは式典参列者だけに手渡されたのだろうか。
 広範な人々に平和宣言の内容を知ってもらいたい、という願いがあったのなら、この日、広島市は大量のパンフを市内の街頭のあちこちに置き、誰でも手にすることができるようにすべきだったのではないか。そう思わずにはいられなかった。

 広島市主催の平和記念式典とともに「8・6」を象徴するのは、原水爆禁止関係団体による大会・集会である。毎年、そうした大会・集会が8月6日を中心に広島で開催され、世界に向けて「核兵器廃絶に向けた行動」への参加を求める訴えが発信される。国際的にも注目されてきた催しである。それが、今年はこれまで全く考えられなかったやり方で開催された。
 
 原水爆禁止日本協議会(原水協)は「原水爆禁止2020年世界大会」を、8月2日国際会議、同6日広島デーというスケジュールで開催した。一方、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)は「被爆75周年原水爆禁止世界大会」の広島大会と国際シンポジウムを6日に開催した。どちらも、オンラインでの開催であった。
 どちらの世界大会も、これまでは、全国から動員された数千人が大会と分科会に参加するという形で開かれてきた。それが、集会がなく、ごく少数の参加者がオンラインで発言するという世界大会となったのだ。まさに「大衆が参加できない」大会だった。こうした決断をせざるをえなかったのは、ひとえにコロナウイルス感染拡大防止のためである。「コロナ禍のもと、広島に集まれとは地方の労組員にとても言えなかった」。6日、原爆ドームのわきでスタンディングをしていた原水禁幹部の嘆きだ。
 毎年、広島で開かれてきた連合、原水禁、KAKKIN(核兵器廃絶・平和建設国民会議)の3団体共催の「平和ヒロシマ集会」も、今年は開かれなかった。これもコロナ禍のためと思われる。

 こうした世界大会の開催形式変更は、広島の街頭風景を一変させた。
 昨年までは、6日を中心とする広島の街頭は、「核兵器廃絶」「被爆者救援」などと書いたゼッケンを胸や背につけた人たちや、原水協、原水禁のワッペンをそれぞれ胸や腰につけた人たちで溢れていた。「原水爆反対」を叫ぶ平和行進が、目抜き通りを進んだ。飲食店が密集する夜の繁華街は、こうした人たちで満ちた。広島に滞在中、今年はついにこうした光景に出合わなかった。

 市民グループによる集会は今年も行われた。が、どこも、参加者は昨年より少なかった。5日夜、まちづくり市民交流プラザで開かれた「8・6ヒロシマ平和のつどい2020」の参加者は90人。会場の定員は220人で毎年満席となるが、今年はコロナ禍のため登録制にして90人に制限したという。
 6日に広島弁護士会館で開かれた「被爆75年<8・6国際対話集会~反核の夕べ2020>」のチラシには「240名定員ですが、コロナ対策のため限定100/名まで先着順とします」とあったが、出かけてみると、参加者は40人ぐらい。コロナウイルス感染を恐れて会場に足を運ぶのを控えた人がいたためかも知れない、と私は思った。そして、メインの講演の講師は、沖縄からのテレビ出演だった。
 ここにも、コロナ禍が濃い影を落としていた。
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