2020.08.24 続々「2020・8・6」広島ルポ
被爆体験の継承に全力を注ごう

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 8月6日に「被爆75年」を迎えた広島での取材で強く印象に残ったことを「広島ルポ」でいくつか書いてきたが、もう一つ挙げたい。被爆体験を風化させないために、それを次の世代に伝えようという取り組みが目立ったことだ。

 全面的な核戦争が勃発したら、人類は絶滅する。だから、人類が生き延びるためには、まず核兵器を廃絶しなければならない。そのためにどうしたらいいのか。それにはまず、核兵器が使用されたことでもたらされた残酷にして悲惨な被害の実相を、世界の人々に広く知ってもらうことだ――これまで日本で展開されてきた、NGO(非政府組織)や自治体による核兵器廃絶運動の論理は、一言でいえばそういうものであったろうと思う。

 原爆被爆の真の実相を語れる人は誰か。それは、広島・長崎で原爆を浴びたが、辛うじて生き延びた人たち、すなわち被爆者である。
 厚労省によれば、被爆者(被爆者健康手帳所持者)は1980年の37万2264人をピークに年々減り続け、2019年には13万6682人であった。今年は、これを下回っているはずだ。
 被爆者の数が少なくなってきたばかりでない。高齢化も進む。被爆者の平均年齢は今年3月現在で83・31歳。高齢化が進めば、被爆者としての証言活動もままならない。毎日新聞の調査によれば、日本原水爆被害者団体協議会に加盟・オブザーバー参加する都道府県規模の被爆者団体が7県ですでに解散・活動休止し、7県で解散・活動休止を検討しているという。

 「このままでは、いずれ、被爆体験を語れる被爆者がいなくなる。そうなると、被爆体験を次の世代に伝えられなくなる。どうしたらいいか」。そういった課題が、かなり以前から核兵器廃絶運動に関わる人たちをとらえてきた。このため、これまでにも、そうした課題に対応する対策がとられてきた。
 2012年から広島市が始めた「被爆体験伝承者養成事業」もその一つと言っていいだろう。「被爆体験伝承者」とは、被爆者に被爆体験を聴き、それを被爆者に代わって語る人のことで、修学旅行生や海外からの広島訪問者に被爆の実相を伝える役割を担う。3年間にわたる講習を経て市からその資格を与えられる。現在、150人がそうした活動を続ける。

 今夏の「8・6広島」を取材してみて、こうした「被爆体験の継承」への取り組みが例年に比べて活発だったように感じられた。やはり、今年が「被爆75年」という節目の年だったからだろう、と思う。

 世界大会のテーマに「被爆の実相の継承」を据える
 原水爆禁止運動団体の一つ、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)は今夏、「被爆75周年原水爆禁止世界大会」を開いたが、「被爆の実相の継承」を大会のテーマに据えた。その理由として「被爆者の高齢化」をあげていた。このテーマを推進する方策の一つとして、8月6日から、「高校生『平和』の作文コンクール」の作品募集を始めた。全国の高校生を対象に、自分の考えや体験を基に平和についてどう思うかを書いてもらおうという試みだ。締め切りは9月15日。

 もう一つの運動団体の原水爆禁止日本協議会(原水協)が開いた「原水爆禁止2020年世界大会・国際会議」の主催者報告は「私たちは、以下の方向で運動にとりくむことをよびかけます」として、7項目を列記していたが、最初に挙げられていたのは「被爆者の声を聴こう。被爆者、核実験被害者の証言や原爆バネル展をはじめ、核兵器使用の非人道的な結末を世界各国で普及する活動を強化する」だった。被爆体験を伝える活動に一層力を注ごうという呼びかけと受け取っていいだろう。

 被服支廠保存運動の根底には「被爆体験継承の拠点に」の願い
 ところで、昨年暮れから始まった、市民グループによる「旧陸軍被服支廠」の保存運動もまた、被爆体験の継承を目指す運動の一つと言っていいだろう。
 旧陸軍被服支廠は、爆心地から南東2・7キロの広島市南区出汐にある。1905年(明治38年)に建造が始まり、1913年(大正2年)に完成したが、そこでは軍服や軍靴がつくられていた。全部で13棟だったが、現存しているのは4棟。いずれも1913年に造られた倉庫で、鉄筋コンクリート・れんが造りの3階建て。1945年8月6日に広島に投下された原爆でも倒壊を免れた。
 4棟のうち1~3号棟を広島県、4号棟を国(中国財務局)が所有する。4棟の敷地は合わせて約1万7000平方メートル。現在、広島市が被爆建物として登録している建物は市内に86件あるが、その中でも最大級だ。被爆後は広島大学学生寮、県立高校の校舎、日本通運の倉庫などに利用されてきたが、1995年以降は使われていない。

ところが、昨年12月、広島県が、所有する3棟のうち1号棟の外観を保存し、他の2棟(2号棟と3号棟)は解体・撤去する方針を明らかにした。いずれも劣化が進み、地震による倒壊または崩壊の恐れがあるからだという。工事は2020年度に着手し、保存は2021年度、解体・撤去は2022年度の完了を目指す、としていた。一方、4号棟については、これを所有する中国財務局が「解体を含め検討中」としている。

 こうした県の方針に対し、被爆者や市民グループから「解体に反対」「全棟を保存し・活用せよ」の声が上がった。被爆者や市民グループによれば、被服支廠は被爆直後、救護所となったため、多数の被爆者が逃れてきて、ここで亡くなった人もいた。いわば、被服支廠は「被爆の証人」であるから、被爆者が年々減少し被爆体験を次世代にどう伝えるかが問題となっている折から、何としても残すべきだ、というわけである。そこには、被爆建造物は、いわば「もの言わぬ被爆者」であるという位置づけがある。被爆者の減少により被爆建造物がもつ歴史的価値はますます増す、というわけだ。
 こうした動きに、広島県の湯崎英彦知事は2月17日、被服支廠の「1棟の外観保存、2棟解体」について、2020年度としてきた着手を1年間先送りすると表明した。

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【解体か保存かで論争が起きている広島市の旧陸軍被服支廠の倉庫】

 8月5日、被服支廠の保存運動を続けている市民団体の一つ、広島文学資料保全の会代表の土屋時子さんに現地を案内してもらった。比治山の山頂からすぐ下の住宅街の一角にある4棟の倉庫群は予想していた以上に巨大な建造物で、目を見張った。が、倉庫群の構内には入れなかった。公明党の山口那津男代表が視察に訪れていたからである(翌日の新聞は、山口代表が「全4棟を残すのも選択肢の一つ」と語ったと伝えていた)。
 やむなく、倉庫群の周りを車で見て回ったに過ぎなかったが、爆心地に最も近い1号棟には、原爆の爆風で大きくゆがめられた窓の鉄製扉が残っていて、原爆のすさまじい爆発力が偲ばれた。

 土屋さんが語った。「被爆した被服支廠は人類にとって貴重な遺産。壊したら、もう元には戻らない。保存して、被爆や平和について学べる資料館とか美術館として活用すべきだ。広島市は被爆都市といわれるが、それを象徴する遺構は原爆ドームしかない。被服支廠はそれと並ぶ被爆遺構になり得る。そうなれば、広島を訪れる人はもっと多くなるにちがいない。県や市は観光政策の面からも被服支廠の保存・活用を考えてほしい」

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