2020.08.26 私が出会った忘れ得ぬ人々(32)
北裏喜一郎さん(続)――バブル経済の崩壊を予言

横田 喬 (作家)

 北裏喜一郎さんは野村証券元社長という経済人だが、哲人の風格さえ漂う深い見識を感じさせる人物だった。「昭和の白隠」と言われた禅僧・山本玄峰師に私淑し、その遺言「地球はこの先、どんどん裸になる。木を植えてやらにゃ、あかんよ」という遺言を拳拳服膺する。パプアニューギニアの熱帯雨林の伐採跡地での原状回復をめざすベンチャー企業の野心的プロジェクトに資金援助。現地にまでわざわざ足を運び、現場の苦労を肌で知ろうと努めた。

 大手製紙会社出身のそのプロジェクトの現地責任者がたまたま私の親しい知人だったことから、北裏さんの行動の委細が浮かび上がる。好奇心旺盛な北裏さんはガイドの手引きでジャングル奥の集落にまで出かけ、子供たちの遊びをじっと観察。その昔の自分らの遊戯「首取りごっこ」(北裏さんの郷里・和歌山県美浜町は太平洋に面し、元カナダ移民の「アメリカ村」で有名)との酷似性を見抜いたに違いない。パプア・ニューギニアの原住民には、「首狩り族」と称される部族が実際に存在する。

 ちなみに、部族の中には数人乗りの大型のカヌー(丸木舟)を操り、食糧や果実などの交易物資を積み込み、数週間単位の遠洋航海を試みる向きもあるらしい。黒潮の流れにうまく乗れば、日本列島の土佐や紀州の沿岸にたどり着くこともあり得よう。古代には、旧百済系統などの少なからぬ人々が政治的難民として日本に逃れてきたようでもある。そう考え併せると、「日本人はボートピープル」という北裏さんの発言も、突飛でもなんでもなく、しごく的を射た指摘だと納得がいく。

 北裏さんは、証券マンの本業とは一見無関係に映る余技をたしなんだ。レコードにもなった童謡「アメコンコ」の次のような作詞である。「〽あめのわ、あめのわ、しずくのわ/きん、ぎん、みどり/いつつのわ/クルクルまわって、アメコンコ」。童心の持ち主でないと、なかなかこんな歌詞は浮かんでこない。北裏さんは事業家との一人二役について、私にこう言った。
 ――情緒の世界に浸っていると、ビジネスに必要な勘も自然にわいてくる。

 そして、活字になった彼の「語録」には、以下のような述懐がある。
 ――およそ世の中のリーダーたる者は、老いも若きも共感を感ずる世界、すなわち情緒の世界を失ってはならない。経営の決定にもこうした情緒的要素が必要で、情的な世界を自ら求めるように心がけないと人間性を失い、判断力を失う。
 ――社長の仕事は最終的に判断することだが、この判断は仕事の中では生まれない。放念散心の中で生まれる。だから僕は遊ぶんだ。

 そう説く北裏さんにいかにもふさわしいエピソードを一つ紹介する。
二十世紀前半に書家・篆刻家・陶芸作家・美食研究家として活躍した北大路魯山人という奇才がいる。大正末期に北鎌倉の山懐に工房「星岡窯」を築き、イサム・ノグチと山口淑子夫妻も一時期ここで暮らした。魯山人が亡くなって半世紀余り、施設は荒廃寸前に陥る。その折、同地を譲り受けて窯を再興し、施設の修復管理に鋭意努めたのが他ならぬ北裏さんだ。彼が口にした「遊ぶ」とは、芸者遊びや麻雀・ゴルフの類に非ず、「放念散心」の清遊を指している。

 差しでの長時間の対座で、私は北裏さんの挙措・風貌や話しぶりにすっかり魅了された。それまで経済人では松下幸之助・稲山嘉寛・安西浩・大槻文平・江戸英雄・瀬島龍三・・・各氏ら錚々たる面々にもお目にかかったが、北裏さんの感触は一味違った。実業家というより書斎人~哲人といったイメージに近く、頭抜けた知性派という印象を強く受けた。
インタビューの結びに、北裏さんは独り言のようにつぶやいた。「三年後か五年後、信用経済体制が膨張し過ぎて破綻を起こしそう。新しい経済理論が現れないと、世界は救われませんな」。
 
 取材当時、日本はバブル経済の真っただ中にあった。株価や地価は天井知らずに上昇を続け、銀行は土地を担保に庶民相手でもいくらでも金を貸し付けた。だが、バブルはいつか破裂する。北裏さんの怜悧な頭脳と深い見識は「破裂」を予知し、いち早く世間に対して警告を発していた。「三年後か五年後」と時期を明確に予告するところが、いかにも北裏さんらしい。取材時期は一九八三年で、バブル崩壊の始まりは一九九〇年秋とされるから、予告の「五年後」と二年のずれしかない。          
 
 前回にも述べたが、彼は一九一一(明治四四)年に生まれ、一九八五(昭和六〇)年死去。この北裏喜一郎さんこそ、先見性に富んだ真に見識のある人物だった、と私は心底感じている。

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