2020.10.15  テニス全仏オープン 観戦記

盛田常夫 (経済学者・在ハンガリー)
               
ドロップショット
 今大会のキーワードは、「ドロップショット」。とくに男子の試合でこれほど多くのドロップショットが使われたことはないだろう。注目の的になったのは世界ランク238位ながら、主催者推薦で本戦入りしたH・ガストン(フランス、20歳)。2回戦で西岡を、3回戦で元全仏王者のヴァブリンカを破り、ベスト16の4回戦へ歩を進めた。西岡がドロップショットの連続に苛ついて自滅したように、ヴァブリンカも最終セットまでもつれた試合で、第5セットでは忍耐力が切れて0-6で負けてしまった。
 172cmと小柄だが、ボールを当てるのがうまく、意表を突くドロップショットを多用して相手を翻弄した。4回戦のティーム戦では最初の2セットを落とし、簡単に負けるかと思いきや、第3セット、第4セットで絶妙なドロップショットを次々と決めてセットを奪い、ティームを疲労困憊させた。ティームは何とか勝利をものにしたが、3時間半にわたる試合で肉体的精神的に疲労してしまった。この試合でガストンが多用したドロップショットは50本近い数字になる。このようなテニスゲームはこれまで見たことがない。
 この疲労感が残る中、ティームはフルセットまでもつれた準々決勝シュワルツマン戦の5時間にわたる試合で、最終セットを戦う気力・体力が残っていなかった。全米チャンピオンで、クレーコート出身のティームが準々決勝で負けた最大の原因は、4回戦でのドロップショットに翻弄された疲労である。
 今年の全仏のコートは水分を多く含んでいて、ボールが重くなり、コートに落ちたボールの球速が急激に落ちる。ドロップショットが有効な武器になる条件が揃っていた。ガストンの戦術を観て、多くの選手がドロップショットを多用し始めた。ジョコヴィッチもまた、この戦術を取り入れた一人である。
 準決勝のジョコヴィッチ対ツィツィパス戦は、ツィツィパスに分があると思っていたが、ジョコヴィッチのドロップショットが効果的に決まり、ツィツィパスは数多くのブレークポイントをものにできず、最初の2セットを落としてしまい、後がなくなった。それでも、第3セットのマッチポイントを凌いでから、ツィツィパスは2セットを奪い返し、最終セットに期待をもたせた。しかし、奪い取った第3、第4セットでは、ジョコヴィッチのドロップショットの連発で、前方へのダッシュを繰り返したために、前哨戦のイタリアン・オープンで痛めた脚を再び痛めてしまった。最終セットは動くことができず、ゲームにならず、1-6で簡単に負けてしまった。他方、ジョコヴィッチは勝つには勝ったが、3セット2時間で終わるはずの試合が、第3セットのマッチポイントを凌がれ、4時間近い試合になってしまった。この誤算が決勝戦の対ナダル戦に与えた影響は否定できない。

ナダルvsジョコヴィッチ戦
 赤土のキング・ナダルと鉄壁の守備を誇るジョコヴィッチの試合は最後までもつれると思ったが、前哨戦のイタリアン・オープンでの敗北から立ち直り、試合ごとに調子を取り戻してきたナダルが、前人未到の全仏13回優勝、100勝目を記録した。この記録を破る選手が出てくることはないだろう。決勝に進出した13回とも、勝利するという驚異的な記録である。全仏の生涯勝敗記録もまた、100勝3敗という信じられない記録である。未来永劫、この記録を破る選手が出て来るとは思えない。
 この試合、ジョコヴィッチは最初からドロップショットを多用した、第1ゲームで4本のドロップショットを打った。明らかにガストンの戦術を真似たゲームプランだった。最初は戸惑ったナダルだが、次第に対応できるようになり、第1ゲームをブレークするという好スタートを切った。それにつれて、ジョコヴィッチはドロップショットをネットにかけるミスが多くなった。ナダルはエンドラインから数メートル離れたところに位置しているので、ジョコヴィッチがドロップショットを打てばかなりの確率でポイントになる。しかし、この戦術は諸刃の刃となった。ジョコヴィッチはストローク戦を可能な限り避けるためにドロップショットを多用したのだが、その消極的姿勢がショットのミスを誘発した。エンドラインから放たれるドロップショットは滞空時間が長く、ナダルが拾いに行く時間があるからである
 試合が75分経過したところで、ゲームカウントは6-0、3-1でナダルだった。75分間試合して、ジョコヴィッチは1ゲームしか取れなかった。ゲームカウントだけを観ると一方的な試合に見えるが、75分間で10ゲームだから、1ゲーム平均7分以上もかかっている。各ゲームが競っていたことを教えている。スコアはゲーム内容を反映していないが、ナダルが簡単なミスをせず、ジョコヴィッチにミスが出た分だけ、ゲームカウントは一方的な試合になった。
 この試合、会場の天井が閉められ、風、雨、冷気に曝される条件がなくなった。この条件の有利さを活かしたのはナダルだった。球が重くなる分、ナダルに不利だという事前予想が多かったが、雨や風に翻弄されなかった分、ナダルに有利に働いた。
今年の全仏オープンは、屋根つきのセンターコート以外は、雨と風、それから低温に悩まされる大会になった。水分を多く含むコートは球速が落ちるだけでなく、ボールが水を吸収して重くなる。このために、ほとんどのパワーヒッターが次から次へと緒戦の段階で姿を消していった。最後に残ったのが、現在のテニス界を代表するストロークプレーヤー、ナダルとジョコヴィッチになったのは、この条件下では自然な流れである。
 一つ苦言を言わせてもらえば、この二人のサーヴゲームでボールをもらってから実際にサーヴィスを打つまでの儀式が長すぎる。ボールボーイにボールをもらった時からカウントされる25秒ルール(25-second shot clock)に、二人とも一度は引っかかった。実際にはナダルは何度も25秒ルールを超えていたが、主審の温情で見逃された。ルールの厳密適用で、ファーストサーヴィスの権利が取り消されたり、ポイントを取られたりするが、それでは決勝の舞台に水を差すからだ。
 とくにナダルの場合は一連の動作を完結しないとサーヴを打たない。ナダルはただでさえ儀式が長すぎるのに、ボールをもらってからまずエンドラインの土を靴で掃き、シューズの泥を落とす動作を行ってからサーヴ態勢に入る。そこから、ラケットでボールを4-5度バウンドさせ、今度は手でボールを5-6回バウンドさせてからサーヴを打つ。これからの動作で15秒ほどかかるから、実際には何度も25秒ルールに違反していた。もちろん、25秒進行の時計に何度も目をやってはいたが。
 ジョコヴィッチもサーヴの儀式が長い。ナダルと同様に、ラケットで4-5回ボールを弾ませ、そこから8-10回手でバウンドさせる。これだけ長いと、相手選手がタイミングを取るのが難しい。
 チリッチの儀式も長い。まず手で4-5回バウンドさせ、それから相手選手を見て、再び8-10回程度、ボールをバウンドさせてからサーヴを打つ。
 コンタもサーヴの儀式に拘っている。2-3度ふつうにボールをバウンドさせ、そこから今度は手自体も上下させて数回ボールをバウンドさせる。このバウンド回数が固定されている。彼女の打法そのものも堅すぎるが、型にはめないと済まないという性格にも影響されているのかもしれない。

パワーヒッターの退場 
 大坂なおみが全米女子5回戦で戦ったロジャーズ、6回戦(準決勝)で戦ったブレイディはともに1回戦で姿を消した。男子でも、第4シードのメドヴェージェフが1回戦で、ハンガリーのフチョヴィッチに、4セット3時間で負けてしまった。ハードコートなら決まるはずのストロークやサーヴィスが、今年の全仏のコートでは決まらず、ストローク戦になってしまう。勝手が違う試合展開に、メドヴェージェフは何度も癇癪を起し、第2セットのタイブレークでラケットを破壊したために、フチョヴィッチのセットポイントになる7ポイント目を戦わずして献上してしまい、2セットダウンになった。強烈なストロークとサーヴィスで若手世代を牽引しているメドヴェージェフだが、メンタルの鍛錬が必要である。
 今回の全仏の自然条件は、パワーテニスをベースにしている選手にはストレスが溜まる大会になった。寒さによる怪我のリスクもあるので、大坂なおみが今大会をパスしたのは正解だった。
一口にクレーコートと言っても、赤煉瓦を砕いて作られる全仏の赤土コートは欧州と南米に普及しているもので、アメリカの堅いグレーコートや日本の土コートとも違う。全仏で活躍する選手は赤土コートで育った選手がほとんどである。脚力があり、ストローク力がある選手が勝ち進む。コートに落ちた後の球速が急激に落ちるので、パワーがなくても、かなりのところまで行ける。
 ハンガリーのフチョヴィッチも、もともとはクレーコート出身である。187cmの身長と強靭な脚力は赤土に適している。4回戦のルブレフ戦では4セット目にセットポイントを得たが、取りきれず、4時間の試合で負けてしまった。ハンガリー男子選手が全仏で4回戦まで行ったのは、1970-80年代のタローツィ・バラージュ以来である。なお、タローツィは田園コロシアムで開催された1981年の全日本オープンで単複とも優勝している。当時、タローツィと九鬼潤のゲームを観戦したのを覚えている。
 体力を要する全仏で、最終的に残ったのが33歳のジョコヴィッチと34歳のナダルというのはやや意外である。体力のある若手がもっと肉薄すると思っていた。脚力と体力のあるティームやツィツィパスなどの若い世代の選手たちが、早々と体力を消耗してしまったのは予想外であった。それほどナダルとジョコヴィッチの体幹が強靱だ。信じられないほどのスタミナがある。若い選手の発奮を期待したい。

女子シングルスはシフォンテック
 男子以上にランキング下位の選手が活躍したのが今回の全仏女子である。伏兵のポーランドのシフォンテックが優勝したが、ここ数年、全仏では意外な選手が優勝する。2017年にもノーシードのオスタペンコ(ラトヴィア)が20歳になったばかりで優勝し、話題をさらった。しかし、全仏の若い優勝者がその後のトーナメントで活躍する事例は少ない。2016年で22歳の若さで優勝したムグルザは翌年のウィンブルドンも制したが、その後はさっぱりである。オスタペンコはサーヴィスのイップスにかかり、ランキング40-50位を低迷している。
 シフォンテックがハードコートでどれほど戦えるのか、これからの注目点である。彼女のフォアハンドグリップは、軟式テニスのグリップのように厚い。このグリップから振り切られた球は重い。ただ、全仏の球速が遅いコートではこの打法が活きるとしてもハードコートでどれほど戦えるかを見たい。手首に負担がかかる打法だから、球速が上がるハードコートでは手首の怪我のリスクが大きくなる。
 今年の全豪で大坂なおみ選手を圧倒した16歳のガウフは、その後、サーヴィスのイップスにかかり、ダブルフォールトを連発して自滅することが多くなった。全豪の対大坂戦ではファーストサーヴ平均180km/h、セカンドサーヴ平均150km/hと、男子選手並みのスピードを記録した。ところが、この試合が頂点で、以後は長い低迷期に入った。速いサーヴィスに頼る試合運びに綻びが出ると、全体のゲームプランが崩れる。現在はスピードを殺したサーヴを打っているが、そうなると並みの選手になってしまう。たまに速いサーヴを打つが、これがダブルフォールトを誘発する。なんとももどかしい悪循環に入った。父親のコーチングから離れ、熟練のコーチに成長を託す時である。
 ゴルフの渋野日向子のように、一つのグランドスラム大会で、あれよあれよという間に勝ってしまうことがある。2017年全仏のオスタペンコだけでなく、2016年リオ五輪の女子テニスで優勝したプイグ(プエルトリコ、優勝時22歳)はこれが頂点で、以後はさっぱりである。2度グランドスラム大会を制したムグルザも、その後は精彩を欠いている。
 グランドスラム大会を複数回制覇することは至難の技である。ウイリアムズ姉妹を除くと、現役選手でグランドスラム大会を3度制覇している選手は、ドイツのケルバーと大坂なおみ選手以外にいない。強烈なサーヴでウィンブルドンを2度制覇したクヴィトヴァ、全仏とウィンブルドンで優勝したハレプはベテランの域に達しているが、グランドスラム大会優勝は2回止まりある。ランキング1位になったことがあるプリスコヴァはいまだグランドスラム大会の優勝はない。それほどまでに、グランドスラム大会を制するのは難しい。それを考えると、ナダルの全仏13回制覇はとても人間技とは思われない。これでフェデラーとともに、グランドスラム大会20回制覇となった。ジョコヴィッチは17回制覇である。ビッグスリーと呼ばれる所以である。
 ベテランの低迷を尻目に、大坂を先頭とする若い女子選手が次々とグランドスラム大会を制している。今年の全豪を制したケニン(アメリカ、21歳)、2019年の全米を19歳で制したアンドレスク(カナダ、20歳)、2019年の全仏王者バーティ(オーストラリア、24歳)が、女子テニスの新しい世代を背負う選手たちである。これにシフォンテックが加わった。女子テニスの若手から目が離せない。大坂なおみがデフェンス力を強化し、さらにグランドスラム大会制覇を積み上げ、女子テニスのレジェンドになれるかどうか、興味は尽きない。
 
ハンガリー・フランス女子ダブルスペアが優勝
 ハンガリーのバボシュ・ティメアは2018年からセルビア出身でフランス国籍のムラデノヴィッチをパートナーにして、2年連続WTA最終戦のダブルス世界選手権で優勝している。今回の全仏制覇で、バボシュは4度目のグランドスラム大会優勝となった。ハンガリー男子では、タローツィ・バラージュがスイスのグントハルトと組んでウィンブルドン(1985年)と全仏(1981年)で優勝している。
 このペア、全米オープンでは悲しい経験をした。第1シードを得て、1回戦を簡単に勝ち上がったが、その後にムラデノヴィッチの大会参加が取消になった。コロナ検査で陽性になったフランスの男子選手ペールの濃厚接触者の一人として認定されたために、ニューヨーク州から出場停止決定が下されたのである。全仏の表彰式で、ムラデノヴィッチはこの出来事に触れて涙を拭った。
 2017年のダブルス世界選手権(WTA最終戦)で、バボシュはチェコのダブルス名手フラヴァツコーヴァと組んで優勝しているから、3度の世界選手権優勝を達成している。現在のパートナーであるムラデノヴィッチとはジュニア時代からの友人で、3年前からトーナメントで連戦連勝を重ねている。コンビが良いだけでなく、ともに180cmを超える長身からのサーヴは力がある。
 日本の青山修子・柴原瑛菜組がベスト8まで勝ち進んだ。175cmの柴原と154㎝の青山のデコボココンビが結果を残している。柴原はアメリカ出身で、2016年の全米ジュニアダブルスを制している。
 ダブルスの試合はテレビ中継も限られ、決勝戦以外はテレビ観戦ができない。コロナ禍がなくても、ダブルスの試合の観客はグランドスラム大会でも数百人程度である。
 また、車いすテニスは日本のお家芸であるが、全米で優勝した国枝選手は準決勝で敗れてしまった。女子決勝は世界ランク1位の上地選手と新鋭の大谷選手の日本人対決になり、上地選手が優勝した。
 車いすテニスがテレビ中継されることはまずない。今回の全仏で、ジョコヴィッチが国枝選手の試合を観戦して、国枝選手を称えたという記事を目にした。技術だけでなく、かなりのハードワークが要求されるスポーツである。一度だけ、国枝選手のグランドスラム大会決勝試合をテレビ観戦したが、観客は数十人だった。全仏のインターネットサイトでは選手データにアクセスできるが、車椅子選手の氏名は掲載されていても、データは空になっている。なんとも残念なことである。

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