2020.11.13 革命の嵐の中で生き抜いた少年の記録
   ナクツァン・ヌロ著『ナクツァン―あるチベット少年の真実の物語』
                                            
宮里政充 (元高校教師)

はじめに
 この『ナクツァン―あるチベット少年の真実の物語』は、1950年代末に起こったいわゆる「チベット叛乱」を舞台としている。阿部治平氏は「解説―チベットと中国革命」の書き出しで、「本書は、中国革命に翻弄される時代にチベットで生を享け、そこで半生を送ったチベット人ナクツァン・ヌロの幼児期から少年時代の体験を記した書である。記憶の復元というかたちをとってはいるが、中国革命が少数民族に何をもたらしたかを示す第一級の歴史証言である」と述べている。さらに最後の部分で「荒野を血で染めた農民革命は、20世紀半ばに新たな皇帝支配と官僚専制国家を生み出した。民族自決あるいは高度の自治を望んだ少数民族のコミュニストも、民主と自由を中国革命に託した漢民族知識人も、皇帝支配と階級闘争の論理によって無残に踏みにじられた。それが毛沢東とその後継者たちによって、現在も過酷な運命を少数民族に強いているのである。そうであるがゆえに、ナクツァン・ヌロが卓抜した勇気をもって少年時代の記憶を文字にあらわしたのはかぎりなく尊いのである。この翻訳出版は日本のチベット近現代史研究に画期的な資料をひとつくわえたということができる」と述べている。
 私はこの「第一級の歴史証言」・「画期的な資料」としての評価に、さらに「チベット少数民族の優れた記録文学」という評価を加えたい。ナクツァン・ヌロは過酷な体験の「記録」ばかりでなく、同時にチベットの美しく豊かな自然の中で、信仰深く、つつましく生きる人々の姿をも印象深く描いているからである。

 アイデンティティーとしての「故郷」
 ナクツァン・ヌロは自分の故郷について次のように述べている。「君の故郷は何処だと問われれば、私の本当の故郷はチベットの東部、聖山アニェマチェン・ポムラの南側、高山シャル・ドゥン・リの麓、マチュ(黄河)の一八屈曲部の最初にあたる、マデ・チュカのチュカマという村(デワ)であると答える」。
 「本当の故郷」とは、作者は長く異郷で暮らしているということである。そのチュカマについてナクツァン・ヌロの叔父は誇らしげにこう語ったことがあった。「子供達よ、俺達のマデ・チュカマは、天下無双の土地だ。長大なマチュ(黄河)の、最初の屈曲部。山と、高原、谷のどこでも、草と水が豊かであり、馬やヤク、羊の放牧に適した土地。ディ、ゾモの乳が満ちる土地。馬を走らせるのによい土地。男たちがたくましく、荒々しいところ。美しい娘が生まれる所。清らかな教えが広まる土地。首長やアラク(筆者註:ヌロの名付け親・僧)が高貴である所。人々の力が高まる場所」。
 この言葉は旧約聖書「申命記」に何度も出てくる「乳と密の流れる地」、神がイスラエルの民に与えようとしている約束の地「カナン」を想像させる。そこは神の祝福に満ちた永遠の地である。同様に、チベット民族にとってはダライ・ラマが住む聖地「ラサ」を中心としたそれぞれの故郷(村)がカナンなのだ。ナクツァン・ヌロは言う。

  私の気持ちとしては、自分の前世で積んだ業により、あるいはアラクと三宝のお慈悲
 によって、このようなすばらしい土地に生まれたことを非常に嬉しく思っている。しか
 し、考えてみると悲しくなるのは、私は10歳から、この神の国のような土地を離れて、
 遠い異郷を放浪し、現在、すでに50歳を過ぎてしまったことである。故郷を離れてから
 現在に至るまで、心は故郷を離れることはなく、夢にさえ見るほどである。

 彼のこの言葉には自らの存在証明、チベット民族としてのアイデンティティーへの渇望が込められている。

 幸運にも生き延びて
  ナクツァン・ヌロは、1948年チュカマ(現中国甘粛省甘南チベット族自治州瑪曲県斉
 哈瑪)に生まれ、1964年玉樹州民族師範学校を卒業。チュマル県民衆法院副院長、
 チュマル県副県長などを歴任し、1993年に退官している。

 これが作者ナクツァン・ヌロについて現在私が得ている経歴のすべてである。この作品は1959年12月30日までの記録で終わっているが、その間の時代背景は阿部氏の「解説」に委ねたい。
 ヌロ兄弟はラサへの逃亡中に中国軍に捕らえられ、残虐な殺戮を目撃し、自らも暴力を受け、投獄され、親を殺されて残された多くの子どもたちが餓死していく中で、幸運にも生きながらえることができた。そして不思議な出会いによってナクツァン兄弟はチュマル・ゾンの学校へ入学する。この作品の最後は次の言葉で締めくくられる。

 今、本当に幸福の端緒を掴んだのだろうか? もしそうならば、飢えて死んでいった子供達は何と哀れであろう。こんな幸せな日に出会うことができなかったのだから。兄と私がこの様に幸せに暮らしているのを父が後生のバルドの中で見ることができたなら、少しは慰められるだろう。私達が成長したら、父のために法要を催す日も来るだろう。また故郷へ戻る日も来るだろう。その時親戚たちは、『何とすばらしい。ナクツァン家の二人の子供は生き抜いて、故郷へ戻ることができた』というに違いない。いつかきっとそんな日も来るだろう。」

 新しい記録文学への期
 チベット人ヌクツァン・ヌロが「幸福の端緒」を掴んだかに思われた後も、中国によるチベット弾圧は続き、文化は破壊され、人命は奪われ続けてきた。ただ、私は例えば『図説チベット歴史紀行』(石濱裕美子:著、永橋和雄:写真、ふくろうの本、1999年発行)や、『ネーコル チベット巡礼』(伊藤健司著 毎日コミュニケーションズ発行、1997年)や、『ダライ・ラマ「死の棘」を説く―輪廻転生――生命の不可思議』(十四世ダライ・ラマ著 取材・構成/大谷幸三・平成6年/発行所:株式会社クレスト社)などを読むことで、聖地を巡礼する少年ヌクツァン・ヌロ兄弟と同じ年代の少年たちや、その父親を彷彿とさせるたくましい男たちや、中国軍によって破壊されたガンデン寺を部分的に修復して修行に励んでいる青年僧たちや、五体投地という過酷な(としか思われない)歩行法で聖地を目指す男の姿などを見ることができる。それらの姿を見ると、ダライ・ラマ亡命後もチベット仏教は健在なのだ。本来、マルクス・レーニン主義、つまり唯物主義はチベット仏教ばかりでなく、世界の宗教とは相いれない。したがって、中国におけるチベット問題は中国政府がチベット仏教とチベットの高度な自治を認めない限り、永遠に解決しない。
 ところで、ナクツァン・ヌロは先述した略歴によると、それ相当の教育を受け、社会的な地位に就いている。私はそこへ至る経緯を知りたい、つまり『ナクツァン―あるチベット少年の真実の物語』の続編を読みたいと切望している。ヌロより5年遅れてチベット・アムド地方に生まれたトンドゥプジャという作家は、チベット民族の社会や文化を批判しながら、共産主義社会における新しい文学を生み出そうと苦闘したが32歳の時、道半ばで自らの命を絶った。『ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』(チベット文学研究会訳/2012年/勉誠出版発行)という彼の作品集にはその険しい道のりが刻まれている。阿部氏が解説で述べているように、『ナクツァン―あるチベット少年の真実の物語』が「卓抜した勇気をもって」書かれたものであることは容易に肯ける。それ故に私は現代中国におけるナクツァン・ヌロによる「記録文学」の可能性を見たいのである。
 私は故郷チュカマで豊かな自然と親戚と家族に取り囲まれながら、続編の執筆に余念がないナクツァン・ヌロの姿を想像する。そして、彼の「卓抜した勇気」に心から声援を送りたい。

 ナクツァン・ヌロ著『ナクツァン―あるチベット少年の真実の物語』
 棚瀬慈郎訳・阿部治平解説 発行(2020年11月1日):集広舎。定価2700円+税

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