2008.10.30 チェルノブイリ原発事故による障害は今も
バルト3国の被曝者代表が来日
岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 バルト3国のチェルノブイリ被曝者団体の代表4人が来日し、東京、広島、長崎で日本の原爆被爆者やチェルノブイリ被曝者支援グループのメンバーと交流を続けている。行く先々で4人が最も関心を示すのは日本における被爆者の後障害と被爆者援護の現状で、チェルノブイリ原発事故から22年を経た今も、これら3国で被曝者たちの「傷」が癒えていないどころか、なお被曝による障害が進行中であることをうかがわせる。

 来日したのはラトビア・チェルノブイリ協会会長のアーノルズ・ヴェルゼムニエクス、同副会長のマリス・ソップス、リトアニア・チェルノブイリ運動議長のゲディミナス・ヤンチャウスカス、エストニア・チェルノブイリ協会理事のヤーン・クリナルの4氏。いずれも男性で、11月2日まで滞在する。
 4人を招いたのはエストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金(スタッフ代表・吉田嘉清さん、連絡先=東京都杉並区西荻南1-19-2)。
 
 1986年4月26日、旧ソ連のウクライナ(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で炉心が溶融して爆発、放射性降下物が広範な地域に降り注いだ。原発の運転員・消防士ら31人が死亡したほか、ロシア、ウクライナ、ベラルーシで住民数百万人が被曝したとされる。 
 そのほかにも、事故直後、放射能除去作業のためにソ連全土から約60万人が事故現場に動員されたため、この人たちも作業を通じて被曝したとされている。
 エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金によると、この時、バルト3国の人たちも放射能除去作業に動員されたため、多数の被曝者を出したという。同基金によると、リトアニアで9000人、ラトビアで7000人、エストニアで5000人、計2万1000人にのぼる。
 同基金は、これらバルト3国の被曝者を支援するために市民有志によってつくられた団体。1990年に元環境庁長官・大石武一、元東大教授・草野信男、元広島修道大教授・北西允、元立教大学教授・服部学の各氏ら18人が呼びかけ人となってスタートした。以来、企業や個人から寄せられた浄財で、3国の被曝者に医薬品・器具を贈呈したり、被曝者を招いて広島で検診を受けさせたり、現地で被曝者治療に携わる医師を招いて広島・長崎の医療機関で研修させたり、日本から調査団を3国に派遣したりしてきた。同基金の働きかけにより、日本政府主催による3国の医師の日本での研修も実現した。
 今回実現した被曝者団体代表4人の来日もこうした一連の支援活動の一環という。
 一行は東京で日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳事務局長らと懇談したほか、広島、長崎では原爆資料館を見学したり、被爆者や支援グループと懇談した。10月31日には、東京・夢の島の都立第五福竜丸展示館を見学する。 

 同基金が4人から得た情報によると、リトアニアの被曝者の間では、被曝体験と強いストレスがもたらした健康問題と心理的影響が深刻化しているという。また、被曝者の社会的不適応といった事態も生じており、それが高い失業率(30~60%)を生み出しているという。
 ラトビアの被曝者は健康問題が深刻で、多くが複数の疾病をかかえている。罹病率も高く、腫瘍性疾病罹病率も進行傾向にある。失業率も高く、生活水準が低いうえに、薬が高いために必要なものも購入できない現状という。
 エストニアの被曝者の間では、失業が最大の問題。失業によって精神面でのストレスが高じ、健康問題が生じることがあるという。

 4人が訪日前に基金に出した「日本訪問に期待すること」には、「日本の被爆者の経験について、とくに被爆者への社会的リハビリテーションと被爆者が社会に受け入れられるまでの過程について知りたい」「被爆者に対する補償制度について、及び被爆者に対する社会保障が整備されるまでの過程について知りたい」「広島・長崎とバルト諸国の市民との友好関係構築」などと書かれていた。このため、4人は日本被団協や支援グループとの懇談の席で「被爆の実相」「被爆者にはどんな後障害が生じたか」「被爆者への援護策」などといった点にとくに高い関心を示したという。
 「年を経るにつれてにチェルノブイリ原発事故の後遺症がバルト3国でもますます深刻化しているようだ。放射能汚染、放射能による障害の恐ろしさを改めて思わずにはいられない」。4人と話した基金のスタッフ代表、吉田さんの感想である。
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