2020.12.23 入試改革のいま
-大学入試改革の迷走と高校入試の学力回帰-

 小川 洋(大学非常勤講師)

大学入試
 コロナ禍の終息が見通せないなかでも、年が明ければ入試の季節である。いずれの会場でも距離の確保や除菌などに細心の注意が払われることになるだろう。1月には先陣を切って、新しい「大学入学共通テスト」が実施される。当初、予定されていた国語と数学の記述式問題と、英語への民間試験の導入は見送られることになった。センター試験では、「知識」と「技能」が重視されたが、新しい試験では、「思考力」「判断力」「表現力」が試されるというのだが、試験の名称は変わっても、何が変わるのか、いまひとつ曖昧なまま実施されることになる。受験生にとっては、入試改革による出題傾向の変化よりも、コロナ禍で生じた学校教育の空白のほうが影響は大きいだろう。

高校入試のいま
 全国区である大学入試は全国的な関心を集めるが、高校入試は各都道府県単位の行事なので全国的な関心は集めにくい。しかし、実質的に中卒者のほぼ全員が進学する高校入試は全国民にとって重大関心事のはずである。高校教育は各都道府県(正確には教育委員会)の管轄であり、文科省の影響力は大学に比べれば小さいとはいえ、それなりに共通した変遷がある。高校入試の変遷と現在とを見てみたい。

1950年代:高校入試の始まり
 戦後、進学希望者全員に開かれた学校というコンセプトで設置された新制高校では、当初、学科試験は課されないことになっていた。しかし間もなく特定校への進学希望者の集中傾向が強まり、文部省(当時)は競争がある場合、学科試験(正式名称は、学力検査)を課すことを認めるようになる。1954年度のことである。その際、中学校で学ぶ内容すべてにわたって出題することが求められたため、大部分の教育委員会(教委)は、国語・社会・数学・理科・英語の主要教科に加えて美術、音楽、保健体育、職業の9教科の試験を課した。

1960年代後半~80年代:受験競争の激化批判と入試改革
 その後、進学率の急上昇にともなって受験競争の激化が社会問題になると、文部省は各教委に試験科目数の削減を促した。60年代後半には5教科型を採用する教委が全国の約8割となったが、大都市圏では国・数・英の3教科型とする教委もあった。しかし入試で外された社会科と理科についての学力低下が指摘され、79年に始まった共通一次試験では理科と社会科の学力も試されることになり、高校入試では社会科と理科を含めた5教科型が全国の標準になった。
 その後、さらに偏差値序列の傾向が強まり、高学歴志向から普通科志向が強まると、職業高校が敬遠されるようになった。70年代には職業科を中心に推薦入試が導入され、中学校の調査書と面接などによる選考で、一般入試に先立って入学者を確保することになった。

1990年代:個性重視とゆとりと
 高校が全入状態に至る中、文部省は84年「受験機会の複数化」、「選抜方法の多様化」、「選抜基準の多様化」など、高校の入学者選抜の規制緩和とでもいうべき方向を示すことになる。93年には、「個性重視」をキーワードとする臨教審答申を受け、「多様な選抜方法」と普通科における推薦入試も含む「多段階の入学者選抜」の実施を促し、面接の実施も望ましいとする通達を出した。中学現場では、推薦入試の拡大や面接の実施が、日常の授業運営や生徒の行動管理に有効だとして、歓迎する声が強かった。また92年に埼玉県で始まった偏差値追放の動きを契機として、文部省は中学校が業者テストの算出する偏差値を利用した進学指導を禁止した。

 この流れを受けて94年以降、全国的に公立高校入試は大きく変わった。ただし実際の変更は、県によって大きく異なった。改革の影響をなるべく小さくコントロールしようとした教委も少なくなかった一方で、文部省の方針に素直に従った県もあった。埼玉県は後者の典型で、進学校にも推薦入試を一律に適用した。
 また文部省は98年の学習指導要領の改訂に際し、義務教育学校に対して学力観の転換を求めた。学力の要素として4点を挙げ、「意欲・関心・態度」を最上位に置き、「知識・理解」を最下位に置いた。とくに推薦入学を意識する生徒にとっては、より高い成績を得るためには、授業中に「意欲・関心を示す」ことが求められるようになったのである。

 当時、教職担当の大学教員だった筆者は、学生の実習先の中学校で現職教員の授業を見学する機会があった。ある先生は、生徒に質問を出しては、挙手した生徒を見渡して、慌ただしく手許の手帳の名簿にチェックを入れていた。少なくとも1時間のうちに数回はその作業をしていた。塾では、「分かっていなくても、授業では挙手をしなさい。当てられるとは限らない」と指導していたという。
 そのころ新聞の投書欄に次のような投書があった。「私の子どもは小さいころから読書好きの大人しい子どもで、漢字の読み書きも学年相当より常に先に進んでいた。課題作文も、常にいい評価を得て返されていた。ところが学期末・学年末の成績は5ではなく4だった。担任に理由を聞いたところ、「お宅のお子さんは授業中に挙手することが少なかった」という回答だった」というものだった。

 やる気もない生徒会役員に立候補したり、にわか仕立てのボランティア活動に参加したり、授業中、分かってもない質問に積極的に挙手をさせるような学校環境は、子どもたちに「要領の良さ」を身に着けさせただけかもしれない。
 高校入試で推薦制度が拡大すれば、入学してくる生徒の学力が不安定になることは当然予想された。大学入試が変わらなければ高校教育も変わらない。生徒たちは高校に入った途端、中学校までとは異なる「要領の良さ」だけでは通じない評価に晒されることになった。公立校として毎年50名前後の東大進学者を送り出していた県立浦和高校は、入試制度変更初年度の96年卒業生では合格者が半減し、その後、しばらく低迷するようになる。

2000年代~現在:学力重視への転換
 今世紀に入ると「ゆとり教育」が批判され、07年には小中学校の学習指導要領が慌ただしく改訂され、文科省は学力重視へと舵を切った。その流れを受けて、全国の公立高校入試も学力重視へと急速に転換していった。
 埼玉県では10年に推薦入試が廃止され、前期・後期だった受験機会も12年には一本化された。入学者選抜は学力一本に回帰したのである。入試制度変更後の浦和高校の東大合格者は、50名前後にまで回復する。神奈川県でも12年入試で、推薦入試と複数回入試を同時に廃止し、学力試験は一回とした。茨城県では13年入試から推薦入試が廃止された。千葉県でも二回あった受験機会は21年から1回となる。今後も、推薦入試の廃止を予定する教委は多く、全国的にも学力重視の傾向はいっそう進むだろう。
 偏差値はすでに大手を振って現場に戻ってきている。中学校の現場からは、多様な評価(尺度)が整理され、以前よりもかえって学力(偏差値)一辺倒の傾向が強まった、という声さえ聞こえてくる。平成の始めからの高校入試改革も「失われた30年」だったというべきか。

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