2021.02.22  勝つべくして勝った大坂なおみー全豪テニス
 
盛田常夫 (経済学者・在ハンガリー)
              

 大方の予想通り、大坂なおみが全豪オープン2度目の制覇をなしとげ、23歳にしてグランドスラム大会4勝目をあげた。大手ブックメーカーのオッズは大坂1.2倍にたいしブレイディ5倍、Eurosportsの試合前予想は71対29で大坂勝利だった。大坂には勝つべくして勝つ理由があった。

強制隔離と自主隔離
 何よりもまず、選手のコンディションが違った。ブレイディは感染者が出たチャーター便に搭乗してメルボルンに到着したために、ホテルでの2週間の強制隔離下におかれた。この措置を受けた選手は72名で、ブレイディもその一人だった。部屋から出ることが許されない厳しい隔離である。コーチが室内で指導することは認められていたようだが、狭いホテルの部屋で指導できることは限られている。数メートルのダッシュを繰り返し、ベッドのマットレスを壁に立てかけてボールを打つなどの練習はできた。だが、屋外の簡単なトレーニングにも及ばない。ブレイディはこの不自由な隔離から解放された後、1週間の臨時トーナメントに出場し、そこから2週間の全豪オープンに入った。これにたいし、数名のトップ選手はエクスィヴィジョン・マッチの出場のために、アデレードで自主隔離の措置を受け、屋外練習ができた。大坂はウィリアムズとともにこの措置を受けた。大会直前のこの条件の差はきわめて大きい。
 実際、強制隔離下に置かれたアザレンカは大会1週間前の前哨戦に出場したが、コンディションが整わず早々に棄権し、本選1回戦でも不本意な敗北を喫して大会を去ることになった。ケルバーも1回戦で負けた。強制隔離下にあった選手と自主隔離下(1日に5時間まで練習可能)にあった選手ではコンディションの調整に雲泥の差があった。このハンディキャップをものともせずに、決勝まで勝ち進んだブレイディは見事である。この躍進の裏には優れたコーチが存在することを忘れてはならない。ドイツ人のゲセラーの優れた指導が、大学アマチュア出身のブレイディをここまで鍛え上げた。
 もうひとつ指摘しなければならないのが、組合せ(ドロー)である。第1シードBartyの山と、第3シード大坂の山では、対戦相手の難易度が違い過ぎた。
 大坂が初戦から世界ランキング50位以内の選手と対戦したのにたいし、ブレイディの1回戦はランキング102位の選手、2回戦は85位の選手、3回戦が104位の選手が相手で、ようやく4回戦になって33位のヴェキッチと対戦することになった。5回戦のペグラのランキングは61位、準決勝のムホヴァのランキングが27位である。徐々に試合に慣れていくという意味では良かったが、強敵との対戦で競った試合を経験せずに決勝まで来てしまった。
 大坂の相手、1回戦のパヴルチェンコヴァ(39位)、2回戦のガルシア(43位)はみな実力のある選手だ。3回戦のジャブールもランク30位の難敵だった。4回戦のムグルーザ(14位)、6回戦のウィリアムズ(11位)は言うに及ばず。5回戦の謝淑薇(シェイ・スーウェイ)はランキング(71位)こそ低いが、誰もが嫌う難敵中の難敵である。
 ブレイディは初舞台になるグランドスラム大会決勝に辿りつくまで、ランキング20位以内の選手と戦ってこなかった。ドローでこれほどの差があると、勝ち進んできた時の経験値が違ってくる。大坂はあらゆる状況に対処しながら勝ち進んできたのにたいし、ブレイディは比較的容易に勝ち進むことができた。このトーナメントの経験値の違いは、決勝の舞台の自信度に現れる。この点で、ブレイディははるかハンディを背負っていた。だから、ソフトバンクが巨人を一蹴したような結末を予想した。全米準決勝のような接戦にはならず、ブレイディがストレートで負けると思っていた。

チーム大坂は第一級の専門家集団
 無観客で行われた昨年の全米オープン準決勝で、大坂とブレイディが素晴らしい試合をした。その記憶から、今年の全豪決勝が接戦になると予想した専門家もいたが、そのような予想はあまりに単純すぎる。全米以後、大坂は進化している。コンディションや大坂の進歩を考えれば、かなり差のある結果になるはずである。
今年の全豪を通して実感できた大坂の進化は次の点にある。
 まず、メンタルの安定である。大坂は対ムグルーザ戦で一度だけラケットを投げたが、それ以外は苦しい場面でも相手に弱みを見せない態度を貫いた。メンタルの安定が大崩れしない安定感を生み出している。
 サーヴィス面の進歩も大きい。フィセッテ・コーチが的確に大坂の弱点の強化に取り組んでいる。2018年の全米オープン時のファーストサーヴィスは直球一本やりのサーヴィスだったが、全豪ではスピードを殺し、外に切れていくサーヴィスを織り交ぜている。サーヴィスのヴァリエーションが増え、相手にサーヴィスを読ませずにエースを取ることができる。野球の投手が投げる球種を増やすのと同じである。さらに、セカンドサーヴィスに、スピンを利かせる技術も学んだ。緩いサーヴィスを叩かれない工夫である。もっとも、大坂のセカンドサーヴィスにはまだまだ向上の余地があるが。
 フィセッテによれば、サーヴレスィーヴにかなりの練習を積んだようだ。確かに進歩はしているが、これもまだ発展途上にある。フィテッセ・コーチの情報収集・分析に全幅の信頼をおき、コミュニケーションがとれていることが、大坂の落ち着きを生み出している。良いコーチに恵まれた。
 なによりも、チーム大坂には二人の日本人専属トレーナーが付いている。フィズィカルトレーナーの中村豊氏は国際的な経験が豊かな「ストレングス&コンディショニングコーチ」である。選手の動きの必要に即したフィズィカル・トレーニングを担当している。大坂がバックサイドに振られた時に、サイドライン外で左足を踏ん張り、鋭角のバッククロスを放つ動作などは中村トレーナーの存在なしでは考えられない。ウィリアムズ戦第1セット4-4からのウィリアムズのサーヴィスを破った3本のウィナーは、すべてこのバッククロスのショットだった。振られながらも、しっかりと重心をとって打球を捉える動作は、中村トレーナーから教えられたものだろう。
 もう一人の日本人専属トレーナーが茂木奈津子氏である。慶応大学を卒業し、鍼灸あん摩指圧マッサージの資格をもち、英語のコミュニケーションができる貴重な「アスレティック・トレーナー」である(https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/spotlight/201904-1.html)。日本中を探しても、このようなトレーナーを見つけるのは難しい。試合が終わった後の体のケアや、試合を控えた体のケアに信頼できるトレーナーがいるのは心強い。サーシャ・バイン・コーチ時代からのトレーナーである(いったん日本に戻ったが、再び大坂に呼び戻された)。信頼できる仲間なのである。
 これだけの人材を専属で維持できるテニス選手は幾人もいない。多くの女子選手は父親をコーチに付けている。費用の節約にもなるからである。テニスのトップ選手(世界ランク20位以内)とそれ以外の選手では所得の格差は途方もなく大きい。トップ選手はコーチやトレーナーを雇い入れることができるだけでなく、邸宅内に練習用コートを確保することができる。トップテンに入れば、プライヴェートジェットでの移動やホテルフロア確保などの支出を気にする必要がない。強い選手ほどスポンサーが付いてくるから、トップ選手はますます練習環境を整えることができる。強い者がさらに強くなれるシステムである。
 この点で残念なのは錦織選手である。コーチの人材に恵まれていない。というより、コーチやトレーナーの重要性を理解していなかったのではないかと思われるほど、優れた人材を求めてこなかった。大坂選手は全米と全豪を制覇した時のサーシャ・バイン・コーチを解任した。その後に就任したコーチもいち早く解任し、現在のフィセッテ・コーチを迎えている。度重なるコーチ解任は選手のわがままだと批判されたが、自分の弱点を的確に指摘し向上させてくれるコーチを探していた。大坂がコーチに求める貪欲さが錦織選手には欠けている。昨秋から錦織選手は日本に滞在し、専属コーチでもない日本人コーチとともにサーヴィス・フォームの修正に取り組んだ。ところが、けがを避けるためのトレーニングだったはずが、直後の試合のサーヴィスで肩を痛めてしまった。サーヴィス速度もまったく変わっていない。無駄なトレーニングを行って、挙句の果てに肩を痛めた。いったい何のためのコーチングだったのだろうか。もっと早くから、サーヴィス強化のために、欧米の優れたコーチを探すべきだった。
 2014年の全米決勝に進んだ錦織は「もう勝てない相手はいない」と豪語した。この当時、まだ錦織はナダルやジョコヴィッチと競ることができた。しかし、彼らはサーヴィスの威力を増すためのトレーニングに取り組んだ。サーヴィスが良いフェデラーに対抗するためである。しかし、錦織選手はサーヴィスの強化に無頓着だった。ここから数年のあっという間に、ビッグスリーと錦織の間のサーヴィス力の差が広がり、ほとんど勝てなくなった。フェデラーと戦うために、サーヴィスを強化したことが、その後のナダルやジョコヴィッチの躍進を生んだ。それにたいして、全米決勝進出以後、錦織のサーヴィスの威力には何の変化もない。そればかりが、ライジングを打つというストローク打法が後退し、コートカヴァーの動きが鈍くなった。もう若くない錦織選手がこれからサーヴィス力を鍛え、再び動きを敏捷化させることは不可能だろう。世界ランク30位以内に戻ること難しい。一流選手としての選手生命が終わった。
 余りあるお金をどう使うか。これもテニス選手の能力の一つである。この点で大坂なおみは賢く、向上心がある。

決勝戦短評
 大坂の出だしは悪くなく、早々とブレイディのサーヴィスを破って3-1とリードした。次の大坂のサーヴィスゲームで一挙に引き離すチャンスが生まれた。ここで4-1になっていれば、大坂の一方的な試合になっていただろう。しかし、大坂のサーヴィスが乱れ3-2となり、ブレイクのアドヴァンテージがなくなった。続くブレイディのサーヴィスゲームで3-3のイーヴンになった。
 双方サーヴィスキープで大坂が5-4とし、ブレイディのサーヴィスを迎えた。ブレイクされればセットを取られるという場面で、ブレイディに大きなプレッシャーがかかった。ブレイディが40-15とリードしながら、バックハンドエラーとダブルフォールトで大坂に追いつかれてしまった。ダブルフォールトでジュースに追いつかれたブレイディは焦ったのだろう。続く2ポイントを連続して失い、5-5にすべきところを、あっという間にセットを失ってしまった。
 大坂は勝負強いというプレッシャーがセットの終わりになって、ブレイディにミスを連発させた。このセットの取得ポイント数は、大坂の38ポイントたいし、ブレイディは31ポイントだった。ブレイディにリードを許すことなく、終盤に入ったことがブレイディの焦りを誘った。大坂のダブルフォールトが1本にたいし、ブレイディのそれは4本である。セカンドサーヴィスを叩かれないように強く打ったサーヴィスがフォールトになった。第1セットの大坂もミスは多かったが、最後まで相手に主導権を渡さず、セットを取りきった。
 こうなると大坂のペースである。第2セットも大坂がブレイディの第2ゲーム、第4ゲームのサーヴィスを破り、ダブルブレークの4-0となった。ここで事実上、勝負が決まった。第1セットの終盤の2ゲームから、第2セットの4ゲーム目まで、大坂は6ゲーム連取したのである。つまり、この間の6ゲームは大坂6-0のスコアだった。
 この後、失うものがなくなったブレイディは意地で3ゲームを取ったが、大勢に影響はなかった。第2セットの獲得ポイントは、大坂31ポイントにたいし、ブレイディ23ポイントである。サーヴィスエースは大坂が3本にたいし、ブレイディはゼロ。ウィナーは大坂の8本にたいし、ブレイディが5本。ストロークミス(unforced errors)は大坂の9本にたいし、ブレイディが13本。すべてのスタッツで大坂がブレイディを上回った。
 エキサイティングな場面が少なく、決勝戦としてはやや物足りなかったが、大坂の強さと安定性を印象付ける試合だった。

これからの課題
 大坂は全米と全豪のハードコートで優勝したが、芝のウィンブルドンと赤土の全仏でどう戦うのか、それが次の課題である。大坂のサーヴィス力があれば、サーヴ・アンド・ヴォレーを習得して、ウィンブルドンで優勝を狙えるのではないかと思うが、1年に数週間しかない芝コートのシーズンのために、芝専用の戦い方の習得に時間をかける意味を見出すかどうか。芝コートの自宅内に作って練習することもできるはずだが。これは本人の意思次第だと思われる。もっとも、サーヴ・アンド・ヴォレーの練習はハードコートの戦い方にも役に立つはずだが。
 また、スライスをほとんど使わない大坂がどこまでスライスを習得しようとするのか。バーティのようなスライスとドライヴを使い分ける器用さは、大坂には必要ないだろう。ただ、大坂はネット際に落とされたボールの処理がぎこちない。スライスがうまい選手はラケットにボールを乗せてコントロールするが、大坂にまだその器用さはない。ネット際のスライス処理ができれば、もっと楽にゲームを進めることができるはずだ。
 こう見ると、大坂にはまだまだ「伸びしろ」がある。これらを習得できれば、グランドスラム大会の優勝を重ねることができよう。そうなれば、セリーナ・ウィリアムズに並ぶレジェンドになれるはずだ。

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