2021.03.13 社会科教科書の領土問題記述
             安倍政権の教科書介入の足跡
  
小川 洋 (大学非常勤講師)

 第一次安倍政権は、強行採決によって教育基本法を書き替え、第二次政権でも「道徳」の教科化など、教育にさまざまな圧力を掛けてきた。とくに教育基本法に「愛国心の涵養」が教育目標としてあげられたとして、社会科の教科書に多くの注文を付け、文科省は教科書検定などを通じて政権の意向に沿った施策を進めてきた。
 また90年代に活動を始めた「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」)は、安倍晋三前首相とその周辺の政治家たちの応援を陰に陽に受けながら、独自の教科書を出版し、各地の教育委員会にその採択を働きかけてきた。現在は、「つくる会」が内部分裂して育鵬社と自由社の2社から内容の似た公民分野と歴史分野の教科書が出版されている。本稿では、第二次安倍政権で行われた領土問題に関する教科書記述への干渉について紹介したい。

教科書検定の強化
 文科省は2014年、「教科用図書検定規則実施細則の改正」を通知し、そのなかで社会科教科書への検定基準の見直しを示した。教科書は学習指導要領改訂の際に全面的に書き直される。その後は、4年毎に編集し直す機会があり、社会科では統計データの差し替えなど、マイナーな編集が行われ、検定も行われる。当時の教科書は12年度から使用されていたものだから、通常は大幅な変更のない16年度の検定に向け、教科書会社に圧力をかけたのである。

変更点のうち重要な2点をあげる。(下線は筆者)
 〇近現代の歴史的事象のうち、通説的な見解がない数字などの事項について記述する場合
  には、通説的な見解がないことが明示され、児童生徒が誤解しないようにすることを定
  める。
 〇閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解や最高裁判所の判例がある場
  合には、それらに基づいた記述がされていることを定める。

 歴史に関する項目は、南京虐殺や関東大震災時の朝鮮人虐殺の被害を極力小さく評価したい、あるいは事件そのものがなかったとしたい「つくる会」などの歴史修正主義の立場を後押しするものである。2番目の項目は、領土問題などが想定されるが、教科書を政府広報誌とすることを意味する。反知性主義的な安倍政権らしい姿勢だったといえる。
 領土問題については、17年に告示された新学習指導要領によって、政府の統一的見解にしたがい以下のような「解説」が加えられており、14年の検定はそれを先取りするものであった。

 竹島や北方領土が我が国の固有の領土であることなど,我が国の領域をめぐる問題も取り上げるようにすること。竹島や北方領土(歯舞群島,色丹島,国後島,択捉島)について,それぞれの位置と範囲を確認するとともに,我が国の固有の領土であるが,それぞれ現在韓国とロシア連邦によって不法に占拠されている…(中略),竹島については韓国に対して累次にわたり抗議を行っていること,北方領土についてはロシア連邦にその返還を求めていること,これらの領土問題における我が国の立場が歴史的にも国際法上も正当であることなどについて的確に扱い,我が国の領土・領域について理解を深めることも必要である。また(学習指導要領には)、「尖閣諸島については,我が国の固有の領土であり,領土問題は存在しないことも扱うこと」とあることから,現に我が国がこれを有効に支配しており,解決すべき領有権の問題は存在していないこと,我が国の立場が歴史的にも国際法上も正当であることを,その位置や範囲とともに理解することが必要である。

記述の変化
 検定を通じて教科書がどのように変わったのか。まず北方領土について、検定以前、ロシア連邦の「不法占拠」という語を使っていたのは、公民教科書7社中、育鵬社と自由社、東京書籍の3社で、他の4社は使っていなかった。また「つくる会」系は出版していない地理教科書4社中で「不法占拠」の語を使っていたのは2社であった。
 尖閣諸島に関しては、検定前は公民教科書7社中、育鵬社・自由社が「固有の領土」だとし、中国は不当な主張しているとする記述となっていたが、その他の教科書では、「中国も領有権を主張しています」という客観的な記述のある抑制的なものであった。2番目に採択率の高かった帝国書院の教科書では、領土問題の有無について、まったく言及されていなかった。
 検定後は、各社とも記述を大幅に増やし、いずれの社も学習指導要領の「解説」に準じた記述をし、また公民・地理とも、ほとんどの教科書で、本文記述に加え、地図や写真を使ったコラムを付け加えている。コラムのなかでも、北方領土・竹島・尖閣諸島を「日本固有の領土」とし、北方領土と竹島は、それぞれ「ロシア連邦による」・「韓国による」、「不法占拠」という記述を加えるなど、検定基準に忠実に従っている。例として、全国44%強の占有率をもつ東京書籍の地理教科書の記述を紹介しておく(下線は筆者)。

 北海道の東にある北方領土は、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島から成り立っています。北方領土は、かつては多くの日本人が暮らしていた日本固有の領土です。しかし、第二次世界大戦の終結の直後にソ連が占領し、ソ連解体後もロシア連邦が引き続き不法に占拠しています。現在、日本とロシア連邦との間では、石油などの資源開発に関する話し合いも進んでいますが、北方領土の返還はいまだに実現されていません。
 また、日本海上の竹島も日本固有の領土ですが、韓国が不法に占拠しています。日本はこれに抗議する一方で、国際機関を利用した解決を呼びかけるなど、外交的な努力を続けています。東シナ海上の尖閣諸島は、日本が固有の領土として実効的な支配をつづけています。中国がその領有権を主張していますが、広く国際社会からも日本の領土として認められています。

用済みとなった「つくる会」
 「つくる会」系の教科書は、安倍政権下で政治的な応援を受けて採択を増やし、16年度には育鵬社と自由社を合わせて、全国で歴史6.4%、公民5.8%のシェアをもつまでとなった。しかし文科省の検定強化によって、すべての社の教科書記述がほとんど「つくる会」系の記述と変わらないものになった。20年度の採択では、「つくる会」系の2社を合わせて、歴史が1.1%、公民が0.4%程度へと激減した。検定による教科書への干渉が完了し、「つくる会」は用済みとなったという訳である。「狡兎 (こうと)」は片付き、「走狗(そうく)」が煮られたのである。
 じつは「つくる会」系の教科書は、採択されていた地区でも学校現場では非常に不評だった。その極端なイデオロギー色が嫌われたこともあるが、決定的な理由は、高校入試に役立たないどころか不利だからである。とくに歴史教科書では、偏った史観に基づいた記述が多く、受験に不都合なのである。例えば、他の教科書では扱われていない神武天皇や二宮尊徳などの人物を好んで取り上げるなどである。実在性が強く疑われる神武天皇など、これらの人物を取り上げるのは趣味の世界の話であって、歴史学習において重要度は低い。教える側にしてみれば、余計な記述が多すぎるのである。

 第二次安倍政権は、領土問題に関して歴史的経過や各国の主張などの情報を無視する、一方的な記述をした教科書を全国の教員・生徒に押し付けた。領土問題は、偏狭なナショナリズムを刺激する可能性もあり、もっとも慎重に扱わねばならないテーマである。学校現場での冷静な対応が求められている。
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