2021.04.09 二十世紀文学の名作に触れる(1)
カミユの『ペスト』――不条理なものとの闘い

横田 喬 (作家)

 新型コロナ禍の時節柄か、フランスのノーベル賞作家アルベール・カミユの小説『ペスト』が日本でも最近よく読まれている、と聞く。アルジェリアのオランという地方都市で二十世紀半ば、稀代の悪疫ペストが突如蔓延する仮想の筋立てだ。主人公の若手医師が友人や知人らと手を携え、医療現場の最前線で困難な局面に必死で立ち向かう。その姿は新型コロナ・ウイリス蔓延の昨今、現場で懸命に戦う全世界の医療従事者らを想起させ、胸に迫る。

 194X年4月中旬のある朝、三十代半ばの内科医リウーが診療所を構える建物の階段口で一匹の鼠の死骸が見つかる。死骸を片付けた門番の老人は翌日、さらに三匹の鼠の血だらけの死骸を処理。リウーは車で往診に行く途中、ゴミ箱の上に十匹以上の鼠の死骸があるのを見かける。翌々日、門番の老人は穴倉から屋根裏にまで散乱する十匹の鼠の死骸を発見する。

 街中の工場や倉庫からは幾百という鼠の死骸が見つかり、巷のゴミ箱や溝の中も同じ。夕刊紙が取り上げ、市庁が乗り出す。鼠の死骸を車で収集~塵埃焼却場で処理した。が、事は刻々悪化し、四日目から鼠は外へ現れ、群れを成して死に始める。廊下や路地にひょろつき、きりきり舞いし、断末魔へ。ラジオ放送は「一日で6231匹の鼠が焼却された」と伝えた。
 
 被害が人間たちに及ぶ。鼠の死骸を処理した門番の老人はじきに39度5分の高熱を発して倒れる。頸部のリンパ腺と四肢が腫瘍し、脇腹に黒っぽい斑点が二つ現れ、「焼けつくよう」と激しい痛みを訴える。翌日昼、熱は40度に上がり、間断なく譫言を言い、吐き気が始まる。リウーが救急車を手配し、隔離病棟に運ばれるが、じきに息を引き取ってしまう。

 リウーが他の医師らに照会し、三週間余で二十人ほどが類似の症例で死亡した、と判明する。彼は「鼠の媒介による感染」「高熱や腫瘍などの症状」からペストの発症~流行を確信する。ペストは中世の欧州で大流行し、全人口の三分の一が死滅。感染者の皮膚が内出血して紫黒色になることから「黒死病」と恐れられた人類史上最も致死率の高い伝染病だ。

 市当局が用意した収容能力八十床の隔離病床は直ぐに満床となる。ペスト発生から三週目、死者は三百人を突破する。当局は学校の雨天体操場に五百の病床を設けるが、全部ふさがる。次いで、高いコンクリート塀で囲まれた広大な市立競技場が患者の収容所に充てられ、隔離用のテントが数多設けられる。騎馬の警備隊が市中をパトロールし、ペスト菌を伝播しかねぬ犬や猫を殺す発砲音が市中に轟きわたる。夏場には連日、百名ばかりの死者(市の人口は当時約二十万人)が出た。

 ペストと強い暑気は街からあらゆる色彩を消し去り、あらゆる喜びを追い払ってしまう。
市西方の別荘街では火災が頻発した。喪の哀しみと不幸から半狂乱になった人々がペストを焼き殺そうという幻想に駆られ、自宅に放火するためだった。市当局は消灯時刻を制定し、午後11時を境に市中が完全に闇に沈むよう取り計らう。

 死者が次々と増えるため、棺が不足を来たす。柩は繰り返し使用され、墓地には巨大な墓穴が二つ掘られた。男性用と女性用、それぞれの穴に遺体が次々と投棄され、遂には穴は一か所になる。男女の別なく次々と投棄され、生石灰を被せ、その上に土が被せられた。市民たちは絶望に慣らされ、放心したようにうんざりした目つきをし、町中が待合室のようになっていく。ペストは各種の価値判断を封じてしまい、人々は衣服や食糧品の質を意に介さなくなる。何事にも無感動で、諦めと辛抱の日々をひたすら送るに過ぎなかった。

 医師リウーの役割は治療ではなく診断だった。「ペスト患者」と記述し、登録し、宣告するのが務めだ。救済するのではなく、知識を役立てること。連日20時間働き、4時間しか眠らなかった。たまたま旅行者としてこの街を訪れ災厄に出合った新聞記者ランベールは「傍観者に留まるのは恥ずべきこと」と口にする。患者の隔離所に充てられたホテルの管理者としてボランティアで活動に打ち込む。

 神父パヌールは保健隊の一員としてペストとの闘いの最前線に加わる。教会での説教で、彼はこう説いた。
 ――神への愛は困難な愛であり、自我の全面的な放棄すなわち我が身の蔑視が前提。しかし、この愛のみが(ペストによる)近親者の苦しみと死を消し去ることを可能にします。

 そして、リウーの親友でペストに対抗する保健活動に参加した人物タルーはこう呟く。
 ――健康とか清浄というのは意志の結果であり、決して緩めてはいけないものだ。誰にも病毒を感染させぬ立派な人間とは、出来るだけ気を緩めぬ人間を指す。ペスト患者になるまいとするのは大層疲れることだ。

 病魔はやがてリウーの身辺近くにまで忍び寄ってくる。神父パヌルーや判事オトンの幼い息子フィリップ、そして親友のタルー・・・。リウーはその都度、感染の危険を顧みず身近に付き添って手当てを尽くし、高熱と腫瘍に苦しむ犠牲者を看取った。
 が、さしものペストの猖獗もいつかは峠を越す。翌年一月、ペスト衰退の兆しが表れ、三週連続して患者発生の統計は下降し、死者は減少していく。医師たちの処置も効果を挙げ、統計はこの病疫の衰退を明示する。ペストの終焉を表すように、二月には市の門が開かれる。広場という広場では人々が踊り狂い、市の鐘は午後中ずっと高々と鳴り響いた。

 カフェは久々に雑踏し、人々は喚き、笑い合った。リウーは人々の喜悦の表情を前に、(人間の中には軽蔑すべきものより賛美すべきものの方が多くあるのは確かだ)と感じる。そして、同時にこんな思いも味わっていた。
 ――ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもない。今後も数十年にも渡って、家具や穴倉、そしてトランクやハンカチ、反古の中などに辛抱強く待ち続け、いつか人間に不幸と教訓をもたらすために出現する恐れは潜在していく。

 著者カミユはアルジェリアの首都アルジェで育ち、二度目の結婚後の一時期この物語の舞台オランでしばらく暮らした。オランにペストが蔓延した事実はないが、1849年にコレラが大流行し、1772人の犠牲者を生んだ史実は存在する。カミユは設定をペストに置き換えたものと思われる。

 小説『ペスト』が発表されたのは第二次大戦終結の直後。悪疫退治の話は、ドイツ占領軍と闘うレジスタンス運動の物語として読み替えることも可能だ。作者カミユの意図も、そうしたところにあったのかも知れない。が、それだけに止まらず、ペストを暴力や圧制や恐怖の対象と考えれば、この作品は不条理なものに対する闘いの普遍的な記録と言っていい。それがこの作品の寓意性であり、戦後の世界各国の読者に大きな感動をもたらした理由では、と思われる。

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