2021.05.27 旧陸軍被服支廠を耐震化して保存へ

市民らの要望で広島県が方針転換

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 「解体」か「保存」かで問題になっていた広島市の被爆建物「旧陸軍被服支廠」が、持ち主の広島県が、これまでの方針を転換し、同被服支廠を耐震化して保存を図ることになった。同県が5月19日に正式に表明したもので、これまで被服支廠の保存を訴えてきた市民団体は「ひとまず、解体の危機は免れた」と県の方針転換を歓迎している。この建物は広島市では最大級の被爆建造物なので、保存工事か完成すれば、原爆ドームと並ぶ被爆都市・広島のシンボルとなりそうだ。
広島・旧陸軍被服支廠2021_5_26
広島市の被爆建物の中では最大級の旧陸軍被服支廠 (竹内良男さん提供)

 旧陸軍被服支廠は、爆心地から南東2・7キロの広島市南区出汐にある。1905年(明治38年)に建造が始まり、1913年(大正2年)に完成したが、そこでは軍服や軍靴が製造されていた。全部で13棟だったが、現存しているのは4棟。いずれも1913年に造られた倉庫で、鉄筋コンクリート・れんが造りの3階建て。1945年8月6日に広島に投下された原爆でも倒壊を免れた。
 4棟のうち1~3号棟を広島県、4号棟を国(中国財務局)が所有する。4棟の敷地は合わせて約1万7000平方メートル。現在、広島市が被爆建物として登録している建物は市内に86件あるが、その中でも最大級だ。
 被爆後は広島大学学生寮、県立高校の校舎、日本通運の倉庫などに利用されてきたが、1995年以降は使われていない。

 ところが、2019年12月、広島県が、所有する3棟のうち爆心地に最も近い1号棟の外観を保存し、他の2棟(2号棟と3号棟)は解体・撤去する方針を明らかにした。県によると、いずれも築100年を超えているので劣化が進み、地震による倒壊または崩壊の恐れがあるからだという。方針では、いずれも2020年度に着手し、1号棟の保存は2021年度、2号棟と3号棟の解体・撤去は2022年度の完了を目指す、としていた。一方、4号棟については、これを所有する中国財務局が「解体を含め検討中」としていた。

 こうした県の方針に対し、被爆者や市民の間から「解体反対」の声が上がった。それは次のような主張に基づいていた。
  一つは、被爆直後、ここが救護所となったため、多数の被爆者が逃れてきて、ここで亡くなった人もいたという事実を重視すべきだ、という主張だった。つまり、旧陸軍被服支廠はいわば「物言わぬ被爆の証人」だから、被爆者が年々減り被爆体験を次世代にどう継承するかが問題となっている折から、何としても残すべきだ、というわけである。
 もう一つの主張は「被服支廠は国内最古の鉄筋コンクリートの建物で、建築学上も価値をもつから、解体・撤去は避けるべきだ」いうものだった。

 以来、被爆者団体や市民団体の関係者により、被服支廠の保存・活用を訴える署名運動、講演会、支廠見学会などが続けられてきた。

 一方、広島県はこうした市民側の動きに押された形で、湯崎英彦知事が2020年2月に「1棟の外観保存、2棟の解体」工事の2020年度着手を先送りすると表明、先送りは1年間を基本とする考えを明らかにした。

 そして、今度の県方針の転換である。5月19日付の中国新聞デジタルによると、県は、県が所有する3棟全部を耐震化する。概算工事費は一棟当たり5億8000万円。支廠内部を鉄骨で耐震補強し、訪問者が内部を見学できるようにする。早ければ、2022年度に着工できる見通しという。
 さらに、県は有識者による検討組織を設け、支廠を国の重要文化財に指定してもらうのに必要な調査を進める。
 
 現存する4棟のうち残る1棟は、すでに述べたように中国財務局の所有だが、これからどうなるのか。中国新聞によれば、県としては、重文指定で連携するよう中国財務局に働きかける方針という。

 ところで、これまで被服支廠の保存・活用を求める運動を続けてきた人たちの受け止め方は二通りに分かれる。
 「これで全棟保存のめどがついた」と両手を挙げて喜ぶ人がいる一方で、こう語る人もいる。「私たちが求めてきたのは支廠の保存と活用だ。活用の仕方としては、支廠を単に眺めるものにとどめておかず、被爆資料を展示する博物館とか資料館とすることを考えている。
 そうしたことが実現してこそ、支廠は被爆建造物としての役割を果たすことができる。県の新方針は支廠の耐震化を言っているだけで、活用については何も述べていない。私たちの運動が一歩前進したことは間違いないが、これからが本番だ」

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