2021.06.07  チベット動乱を語った小説を読む
          ――八ヶ岳山麓から(335)――

阿部治平(元高校教員)

 目が悪くてパソコンにも本にも触れられない日が続いたが、白内障の手術後、視力が少し回復したので、たまたま手元にあったツェワン・イシェ・ペンバ原作、星泉訳の『白い鶴よ、翼を貸しておくれ――チベットの愛と戦いの物語』(書肆侃侃房2020)を読んだ。
 大部の小説だったが、話し手としての力量が非凡なのか、訳文が優れていたためか、ほとんど30分おきに目がかすむのを恨みながら、風呂やトイレにまで持ち込んで読んだ。

 舞台はチベット高原東南部のカム地方ニャロン(現四川省甘孜蔵族自治州神龍)、ときは1920年代から50年代である。その「あらすじ」はこの本の「帯」が語っている。
 ――1925年、若きアメリカ人宣教師スティーブンス夫妻は、幾多の困難を乗り越え、チベット、ニャロン入りを果たした。現実は厳しく、布教は一向に進まなかったが、夫妻は献身的な医療活動を通じて人びとに受け入れられていく。やがて生まれた息子ポールと領主の息子テンガは深い友情で結ばれる。だが穏やかな日は長くは続かない。悲劇が引き起こす怨恨。怨恨が引き起こす復讐劇。そして1950年、新たな支配者の侵攻により、人びとは分断され、緊迫した日々が始まる。ポールもテンガもその荒波の中、人間の尊厳をかけた戦いに身を投じてゆく――
 そして宣教師夫妻はゲリラとして活動する息子を置いて、アメリカ軍機によって25年暮したニャロンを離れるというものである。

 西洋から持ち込まれたものへの反応や漢人との関係をリアルに描く
 やつがたけ訳者は「著者はこの小説の中で西洋人が持ち込んだキリスト教や、西洋医学、科学的思考、西洋の風俗習慣、そして中華人民共和国成立後に持ち込まれた共産主義などに対し、チベット人たちがどんな反応をしていったかということを丁寧に描いている」という。
 私も、チベット人と漢人との関係、信仰と習慣、農牧業の生活、助け合いと復讐劇をじつにリアルに語っていると感じた。作者はインドやネパールに亡命した難民同胞からよほど詳細な聞き取りをやったものと思う。

 チベット人地域に初めて入った宣教師夫妻を迎えたのはお菓子を欲しがる子供たちだった。大人は警戒して遠くから様子をうかがっているのである。心が通じ出したのは、夫妻がニャロンの領主タゴツァン家の妻の出産を見てやったときからである。この夫妻だけでなく、異教徒社会に入った宣教師が医療に携わることは多かったと思われる。
 領主家の信頼を得た夫妻は、布教ははかばかしく進まないながらも、その後25年もチベット人社会で暮らすことになる。やがて国共内戦に勝利した中国共産党の部隊がニャロンにもやってくる。
 小説の中に、中共の工作員となったカムパ(カムの人)タシ・ツェリンが寺院高僧に向かって、「坊主はなぜ働かないのか」と迫る場面がある。
 釈迦は弟子に労働を禁じて布施で生きるよう説いていたから、僧侶が労働するのは破戒である。高僧は当惑して、巡礼者からの施しや、各家庭に出向いて仏事をしたときの報酬で生活していると弁解する。タシ・ツェリンは、寺院に多額の収入があるのは農牧民に対する搾取によるものだといった教育を受けているからこういう。
 「健康な男性が読経で時間を無駄にしているなど間違っている」「畑に出て労働したほうがよっぽどましだ。僧院が精神修養のための機関であることを標榜して莫大な寄附や布施を受け取るのは不適切だと思う。……生活費は自力で稼ぐのだ」
 そして布施や寄附を受け取るのはやめろと要求する。工作員の発言は毛沢東の方針によっているから、こうした場面は、中共軍がチベット人社会に入ったとき、どこでもあったことであろう。
 中共軍の政治的圧迫が高まると、領主タゴツァンとその家族は、カムパとしての誇りと屈辱感に悩まされながらニャロンを離れて西に向かう。このモデルがある。実在したニャロンの領主ギャリツァン家である。当主ギャリ・ニマは、56年に中共による領主・高僧の権力剥奪、僧侶の還俗、土地改革といった「民主改革」がはじまると、一族を率いてラサ経由でインドに亡命した。ちなみに在日チベット人で元チベット文化研究所長ペマ・ギャルポ氏(1953年生)はその子息である。

史実と誤解される恐れも
 私は小説など面白ければそれでよいと思っているやからだが、本書の記述があまりにリアルなので、却ってそのまま史実として誤解される恐れがあると心配になった。小説では1950年中共軍のニャロン進駐とともに抵抗運動が始まるとして話が進むが、実際にチベット人社会が大規模な叛乱に立ち上がったのは1956年からである。
 この史実との違いは、チベット屋である私には大いに気になるところであるが、しかしこのために小説『白い鶴よ、…』の価値が下がるわけではない。むしろ自分がチベット人地域で知りえた知識と経験に重なるところが多かったので大いに共鳴し感動した。だから一人でも多くの方に読んでいただきたいと願っている。

 「訳者解説」によれば、著者ツェワン・イェシ・ペンバ(1932~2011)は、チベットのギャンツェで生まれた。父親がそこでイギリスのチベット駐在通商代表部の職員として勤務していたのである。幼少期はシッキムのトモで過ごし、父の転勤に伴いラサに住んだ。1941年ダージリン近郊の英人中等学校に進学。45年17歳のとき医学をこころざし、イギリスロンドン大学へ留学した
55年以後、数少ない西洋医学の外科医としてシッキムやブータンで活動したが、英語によるチベット文学の先駆者でもある。彼は50数年ぶりに2007年ラサを訪れたが、中共支配下のチベットの変化に相当なショックを受けたもようで、何か月もの間、ふさぎ込んでいたという。
 本書は、2作目の長編小説で、死後の2017年にインドで刊行された。本書のタイトルはダライ・ラマ六世(1705年死去)の詩「白い鶴よ、翼を貸しておくれ。遠くへは行かない、リタンをめぐってから帰るから」からとったものである。
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