2021.06.18  2021年全仏オープンテニス観戦記

盛田常夫 (経済学者・在ハンガリー)

 大坂なおみの記者会見拒否に続く棄権、女子ランキング1位バーティの故障棄権、クヴィトバの怪我棄権、フェデラーの4回戦棄権など、今年の全仏テニスはあまり楽しくない話題が多かった。女子はトップシードが軒並み棄権や敗退で、ベストフォアに残ったのが第17シードのサッカリ(ギリシア、3月末のマイアミ・オープンで大坂に圧勝して連勝記録を阻止)、すでにヴェテランの領域に入った第31シードのパヴュルチェンコヴァ(ロシア)、ダブルスの巧者だがノーシードでランキング33位のクライチコヴァ(チェコ)、ランキング85位のズィダンシェク(スロヴェニア)という顔ぶれになった。
 準決勝でクライチコヴァとパヴュルチェンコヴァが勝ち、予想外の決勝戦になった。近年の赤土のチャンピオンは「年替わり」の様相を呈しており、今年は若い選手ではなく、中堅選手同士の決勝となった。結果はクライチコヴァの粘り勝ち。パヴュルチェンコヴァにとって、選手生命最後のチャンスだった。ダブルスで何度も決勝を戦ったクライチコヴァが、僅かな経験の差で勝った。しかし、トップシード選手がいない今年の準決勝戦も決勝戦も、インテンスィティ(戦いの強度)の低い戦いだった。

ブレイクしたサッカリ
 女子準決勝に残った選手のうちで特筆されるのがサッカリである。172cmと小柄ながら、力強いテニスをする。サーヴは特別速いわけではないが、それでもファースト・サーヴィスの平均速度が160km/h後半、セカンド・サーヴィスのそれは140km/h出せる力をもっている。ほぼ錦織選手並みである。逆に言えば、錦織選手のサーヴスピードがいかに遅いかが分かる。サッカリはストロークでも強いボールを打てる。3月末のマイアミ・オープンで大坂選手を破った時には大坂のセカンド・サーヴィスを22本も打ち抜いた。明らかにコーチが与えた戦術である。大坂の緩いセカンドサーヴを切り返す練習を繰り返して試合に臨んだのだろう。そうでなければ、これほどうまくセカンド・サーヴィスが叩かれることはない。コーチの戦術とそれを実行する選手の力がうまくはまった結果である。大坂なおみの不調の波はこのサッカリ戦の敗退から始まったことを考えると、サッカリのコーチの有能さを称えないわけにはいかない。
 サッカリが今大会の準々決勝で優勝候補ナンバーワンと目されたシフォンテック(ポーランド)をストレートで破ったのも、シフォンテックのフォアハンドを徹底して攻めるという戦術である。左右のライン際にボールを落とすのがうまいシフォンテックに、球を散らさせない戦術だった。これがシフォンテックのストロークミスを誘った。このゲームのファースト・サーヴィスの平均スピードはサッカリが167km/h、シフォンテックのそれは158km/h、セカンド・サーヴィスの平均スピードはサッカリが145km/h、シフォンテックのそれは116km/hだった。シフォンテックの緩いセカンド・サーヴィスもサッカリの餌食になった。
 サッカリのコーチはイギリス人のトム・ヒルである。内田暁氏のレポートによれば、テニス選手として大学で経営学を学びながら、下部リーグに参戦していたが、卒業後の進路で迷っていたところ、フロリダのIMGアカデミー(錦織選手が所属していたスポーツ選手を育てるフロリダのクラブ)からシャラポワのヒッティングパートナーの話が舞い込み、そこからコーチングの世界に入ることになった人物である。まだ若い26歳である。
 サッカリvs.クライチコヴァの準決勝は双方とも慣れない大舞台で、思い切った戦いができなかった。お互いにマッチポイントを迎えながら、思い切ったショットを打てない消極性が、試合を無駄に長引かせてしまった。スリリングではあったが、試合内容としては凡戦に近い。サッカリ有利とみられたこの試合、サッカリがマッチポイントを迎えても、積極的に攻めることができなかった。お互いに慎重になり、相手のミスを待つ消極性が試合のインテンスィティを低めた。ダブルスの名手で球を置くのがうまいクライチコヴァに軍配があがった。
 ここが大坂なおみなどのグランドスラム大会の決勝舞台を経験している選手との違いである。大坂は大舞台に強い。試合を重ねるごとに集中力を高め、ゲームのレベルを上げることができる。強敵相手に、しかもゲームを決めるポイントにリスクをかけて打ち込める集中力がある。ここがトップ選手と20番台前後の選手で決定的に違う。サッカリは一発勝負に強く、強敵を打ち負かす力を持つが、その力をさらにアップしてトーナメントを勝ちきることができない。逆に、頂点が近づくにつれ、手が縮んでしまう。それが現在のランキングに現れている。準決勝の舞台を経験してさらに強くなれるのか、今後の戦いが注目される。

フェデラーにはつらい赤土
 フェデラーがナダルになかなか勝てないのは、片手のバックハンドに跳ねるボールを集められるからである。高くバウンドするボールを叩くのは誰にも難しいが、フェデラーの場合は弱点である片手のバックハンドが狙われる。ハードコートの場合には弾みが押さえられるのでバックハンドの処理は赤土ほど難しくない。それでも、ほとんどの選手はフェデラー攻略の的をバックサイドに狙いを定めている。だから、フェデラーは長いラリーに持ち込まないように、ハードコートではサーヴ・アンド・ヴォレーの速い攻めを心がけている。その鍵になるのは制球力が高いサーヴィスである。球速が特別に速いわけではないが、190km/h台のサーヴをコーナーに決めることで、速い勝負を仕掛ける。これがフェデラーの戦い方である。ところが、このサーヴィスが入らないと、苦しいゲームを強いられる。すでに全盛期を過ぎ、脚力が衰えているので、走り回ってボールを拾うことはない。
 早めの勝負を仕掛けるもう一つの武器は、ライジング処理である。相手に充分に打球態勢を取らせないように、ボールが落ちる前に叩くというのがフェデラーのスタイルである。しかし、赤土では球が跳ねるので、ライジング打法はミスを生みやすい。フェデラーが赤土で苦戦する理由である。
 3回戦の対キュファー(ドイツ、ランキング59位)戦で苦戦したのはファースト・サーヴィスの確率が低く先手を取る戦いができなかったこと、クレー・スペシャリストのキュファーが跳ねるボールをフェデラーのバックサイドに集中する作戦を徹底していたからである。最初の3セットはすべてタイブレイクまでもつれ、第4セットは辛うじて7-5と取り切り、3時間35分の試合を終えた。深夜に及んだ試合は40歳の誕生日を迎えるフェデラーには大きなストレスと疲労を与えただろう。4回戦棄権の判断は妥当なところである。

力負けする錦織
 1、2回戦をフルセット4時間の試合を行った錦織は「死闘」と伝えられたが、緒戦から「死闘」では先が思いやられる。それもこれもすべて、威力に欠けるサーヴィスが原因である。ストローク戦になれば、赤土ではまだ戦える力を持っているが、それでも強豪相手には1セットを競るのがやっとである。体力が続かないし、脚力も衰えている。パワーも体力も脚力もなくなった錦織が、これからランキングを上げていくのは簡単ではない。これだけランキングが下がると、グランドスラム大会の早い段階でトップシードと当たる可能性が高くなり、ポイントを稼ぐことができない。
 相手の棄権でラッキーな3回戦になったが、4回戦はズヴェレフになった。ズヴェレフは体格・パワーとも、まさにテニス界の大谷翔平である。この試合、ファースト・サーヴィスの速度の違いは40-50km/hもあった。ズヴェレフが210km/hのファースト・サーヴィスを連発するのにたいし、錦織のそれは170km/hを下回るのがほとんどで、セカンド・サーヴィスの多くが130km/hを下回った。ズヴェレフのセカンド・サーヴィスは錦織のファースト・サーヴィスより速い。これでは試合にならない。
 ファースト・サーヴィスの速度にこれだけの違いがあっても、バウンドしたボールが急激に減速する赤土ではまだ試合の格好がつく。しかし、球速が衰えないハードコートでは試合にならないだろう。残念ながら、錦織時代はすでに終焉した。しかし、錦織選手の後を継ぐ日本人選手がいない。西岡選手は小柄ながら非常にうまい選手だが、錦織選手以上に非力である。2019年ウィンブルドン・ジュニア(シングルス)で優勝した望月慎太郎(18歳)は有望株だが、錦織並みの体格である。190cm90kg前後の巨漢選手が210-220km/hのサーヴを放ち、縦横無尽にコートを走り回る時代である。小柄な日本人選手が上位につけいる隙はない。テニス界の大谷選手の登場が待たれる。
世代交代の過渡期にある男子テニス界
 テニスファンは、毎年、ナダルとジョコヴィッチの決勝を見るのにそろそろ飽きている。いくらなんでも、毎回同じ面子の決勝戦では変わり映えしない。しかし、この定番の対戦も次第になくなっていくだろう。
 バルセロナ・オープンの決勝は、ズヴェレフvs.ベレッティーニだった。公式データでは細身のズヴェレフが198cm90kg、ベレッティーニは195cm95kgとあるが、ベレッティーニの体重はもっとあるだろう。この決勝戦のファースト・サーヴィスの平均速度は、ズヴェレフが218km/h、ベレッティーニは210km/hだった。ものすごいパワーである。しかし、ズヴェレフはフォア、バックともストロークに威力があるのにたいし、ベレッティーニのバックハンドは当てるだけでエースを取る力がない。この差は大きい。にもかかわらず、ベレッティーニが上位ランクを維持できるのは、火の出るようなフォアハンド・ストロークである。これが最大の武器である。ただ、これをうまく制すれば、それほど怖い相手ではない。
 さて、今年の全仏オープンの男子シングルスは願ってもないドローになった。全64ドローのうち、上の山(32ドロー)にビッグスリーが固まり、下の山にはメドヴェージェフ、ツィツィパス、ズヴェレフの若手三羽烏が入った。これでナダルとジョコヴィッチは決勝ではなく、準決勝で顔合わせするというドローになった。下の山の準決勝はズヴェレフvs.ツィツィパスである。ビッグスリーの代表と若手三羽烏の代表が決勝を戦うという理想的な組合せが実現した。
 公式データでは、ツィツィパスは193cm89kg、メドヴェージェフは198cm83kgとある。ズヴェレフが大谷翔平なら、ギリシアのツィツィパスはヘラクレス、メドヴェージェフはロッテの佐々木朗希である。メドヴェージェフの方が身長は高いが、体つきはほぼ同じである。細身の体から繰り出す220km/hのサーヴィスは、野球の投手で言えば、160km/hの直球速度に匹敵するからである。
 若手の代表争いは、メドヴェージェフとズヴェレフを退けたツィツィパスに決まった。今大会に入って、ツィツィパスの戦いは安定していた。全仏ですべて1回戦負けしてきたメドヴェージェフは念願の初勝利を上げ、粘り強く勝ち進んだが、準々決勝でツィツィパスにストレート負けした。準決勝のズヴェレフは平均速度で210km/hのサーヴィスを最後まで打ち続けたが、勝負所でのポイントの差で勝つことができなかった。どこかでズヴェレフのサーヴィスが崩れるとみていた人は多いが、大崩れすることなく最後まで戦った。しかし、勝負所でのメンタリティに問題を抱えている。片手のバックハンドで不利に見られがちだが、一番若い22歳のツィツィパスは力負けすることなく、若手の代表となった。
 他方、ナダル-ジョコヴィッチ戦だが、ナダルの状態は昨年に比べて1割は落ちていた。それにたいして、ジョコヴィッチはほぼ100%の状態。この差が試合を決めた。それにしても、4時間の時間が経過しても、ジョコヴィッチの走力やサーヴィス力が衰えないのに今さらながら驚いた。このフィズィカルの強さはどこから来るものなのだろうか。完璧主義とされるジョコヴィッチのトレーニングをもっと知るべきだろう。サーヴィスは190km/h台で速いとは言えないが、制球力が抜群である。サーヴィス・コーチであるイヴァニセヴィッツの存在が大きい。

大きなチャンスを逃したツィツィパス
 ジョコヴィッチvs.ツィツィパスの決勝戦は、1セット目がもっとも白熱したゲームだった。お互いに譲らず、終盤にツィツィパスがブレイクされ、ジョコヴィッチ5-4でサーヴィスをキープすればセットを取るところまで追い詰められた。ここでツィツィパスがブレイクバックして、タイブレイクにもつれた。このあたりからジョコヴィッチのコンディションが不安定になった。タイブレイクでツィツィパスが先行したが、ジョコヴィッチも意地を見せて6-6まで追いついた。しかし、ツィツィパスが振り切って、タイブレイクを8-6で勝ちきった。このセットのポイント取得はツィツィパスの43ポイントにたいし、ジョコヴィッチは42ポイントという接戦だった。
 準決勝の疲れの所為か、ジョコヴィッチは第1セット終盤から急にインテンィティが落ちた。第2セットは球を追いかけることすら止めるような状態に陥った。両者の間のインテンィティの差がはっきりして、このセットはツィツィパス27のポイントにたいし、ジョコヴィッチは17ポイントしか取れず、ツィツィパスは6-2で簡単にセットを取った。両者のフィズィカル状態の差は明瞭で、誰もが3セットでこの試合は終了すると思っただろう。これほどジョコヴィッチが崩れたゲームを見たことがない。それほどまでに、第2セットのジョコヴィッチは戦意を喪失していた。
 ところがである。第3セットに入ってジョコヴィッチが息を吹き返した。序盤はまだツィツィパスに勢いがあった。しかし、サーヴィスが不安定になった所を突かれ、ブレイクされてしまった。これが大きかった。他方、ツィツィパスは疲れからか、少しずつインテンィティが低下した。第3セット以降、ツィツィパスはジョコヴィッチのサーヴィスをブレイクすることができなかった。50分ほど続いた第3セットだが、驚異的な復活を見せたジョコヴィッチがツィツィパスを押し切った。このセット、ジョコヴィッチ36ポイントにたいしツィツィパスは28ポイントで、ツィツィパスのブレイクチャンスはゼロだった。ここでゲームの流れが変わった。
 第4セットもジョコヴィッチの優勢が続き、ダブルブレイクで6-2と簡単なセットになった。このセットでも、ツィツィパスのブレイクポイントはゼロ。第1セットで7本も奪ったサーヴィス・エースが、第3セットは2本、第4セットは3本、第5セットは1本にまで落ち、ファースト・サーヴィスが入らず、相手にブレイクポイントを握られる場面が増えた。第3セット以降、ジョコヴィッチからブレイクポイントを1本も奪えなかった。最終第5セットでは踏ん張りを見せたが、ジョコヴィッチが4本のブレイクポイントから1本を取ったのにたいし、ツィツィパスはブレイクポイントを握ることができなかった。
 それにしても、ジョコヴィッチのフィズカルは強い。4時間近い熱戦を3~4試合続けても、インテンスィティが落ちない。ジョコヴィッチはすでに34歳である。それにたいして、ツィツィパスは22歳と10ヶ月。これだけの年齢差があれば、体力的にツィツィパス有利と見るのが普通だが、ジョコヴィッチはまるでマシーンのよう崩れない。特別速いサーヴィスがあるわけではないが、最後まで190km/h台のサーヴィスをコーナーに決めていく。ストロークの多くがまるで測ったようにラインギリギリに落ちる。こういうテニスはPCゲームを見ているようで面白くないが、驚異的なボール制御力と体力は驚異的だ。まるでサイボーグのようだ。
 ジョコヴィッチと比べると、ナダルやフェデラーのテニスには人間的な魅力を感じさせる。ミスをするフェデラーには頑張れという声援が寄せられるが、ジョコヴィッチがミスをすると拍手が湧く。ジョコヴィッチの人気がこの二人より劣るのは、テニスという競技にも時々ミスが混じる人間味を感じたいという人々の自然な感情から来ていると思う。その分、ジョコヴィッチは損をしている。
 今年のナダルを見ると、やはり年齢を感じないわけにはいかない。ジョコヴィッチが決勝戦の第2セットで崩れたように、サイボーグ・テニスは次第に人間味を増していくはずだ。今年の全仏決勝戦では明らかに新しいチャンピオンを期待する声援が多かった。ツィツィパスを初めとする若手選手がナダルやジョコヴィッチを倒す日は近い。テニスファンは新しい時代の幕開けを待っている。
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