2021.07.31
「文春リアリズムはいま――池島信平と大岡昇平」
半澤健市 (元金融機関勤務)
《天皇の戦争を戦った二人の一等兵》
7月1日の拙稿で私(半澤)は、文春リアリズムを「野次馬精神」と「ファクト発掘」という二つの魂の合成品ととらえ、半藤一利の例を挙げた。
今回は文春編集者としてもう一人池島信平(1909~1973)の場合を書きたい。池島が死の前年に『レイテ戦記』の作家大岡昇平(1909~1988)と対談したものをテキストとする。(「新刊展望」誌・72年3月号、ここでは大岡昇平著『戦争と文学と』、文春学芸ライブラリー・2015年刊より引用)
二人は、天皇の軍隊の最下層の兵士として、大東亜戦争を戦った。池島は、1944年「文藝春秋」編集長のときに招集され横須賀海兵団、北海道千歳第二基地海軍一等水兵して教育され青森で終戦を迎えた。大岡も44年に招集されフィリピンで陸軍一等兵として暗号兵となった。45年1月レイテ島南部で米軍捕虜となったが同年12月に帰国した。
《人間が見てはいけないものを見た》
池島は大岡にこう語っている。
大宅壮一賞の候補になったビルマ生き残りの軍医の手記があった。そのなかで軍医は生き残って帰国した少数の兵隊の話を書いている。軍医はそれらの兵隊と仲良くなり帰国後も文通をしていた。
「百姓だった兵隊はお盆になるとできたものをいろいろ持って軍医のところに遊びにきて一杯飲んで機嫌よく帰る。それが十年目か何かのとき来ないんですよ。すると、おかみさんが同じようにトウモロコシや何かを持ってきて<何だか分からないが、実はお父ちゃんが急に自殺した>という。」
「戦後とても幸せに暮らしていて、子どもを四人も五人もつくるんですよ。それがポックリ自殺するんだね。そこまで戦争というものの傷は深いんだね。つまり戦争の本当の姿というものは人間が見ちゃいけないものを見るわけでしょう。神さまとか悪魔が見るものを人間が見ちゃったということでしょう。」
「見たということは心の奥深く焼き付いている。ふっと死にたくなると、分かるなァ‥‥。僕らは別に戦争をやったことがないけれども、軍隊の生活で本当にいやだったことは、いまでも妻子にいえないもの、恥ずかしくて、自分のいやらしさとか卑しさに、うんざりするな。理不尽なことにも頭を下げたことがたくさんあるでしょう。最下級兵士なんか、そうしなければ生きていけないのだから。」
≪なぜそのとき「戦争反対」をしなかったのですか》
戦争が人間に与えたキズの大きさについて大岡も同意を示している。さらに大岡は過ぐる戦争の大義について批判する。
「大義名分がないということが、このまえの戦争で一番あわれなことだったから‥‥。そうだな、やっぱり戦争はしちゃいけないよね。こんどの自衛隊だって、またどういうことになって、どういうふうにして戦争をしなければならないかもしれないけど、大義名分はちょっと見つからないと思うよ。(笑)」
「日本は明治からずっと外に出てやっているでしょう。自然にいろんな悪い習慣がつもっていたのを内地でやらなかったことは一度もない」
二人の対話は池島の発言によって次のように結ばれている。
「だけど、元一等兵と元一等水兵がいくら言ったってしようがないのだ。(笑)
しかし、若いものに、もう戦争がいやだとかなんとか言ったって、ピンとこないから困るな。それが逆になってくると、概念として「戦争反対」と連中が言っているが、それも困るねぇ。だけどそれは経験しないものには無理だからねえ。へたすると「なぜそのとき戦争反対をしなかったんですか」と言われちゃうんだ。連中の議論というのは前提をふっとばしちゃうんだからね。(笑)」
≪300年に一度の事件かも知れない》
二人の対話を読んで私は、この50年で我々はずいぶん遠くへきたものだと感ずる。二人が危惧していた戦争体験の風化は現実となったように思われる。
人は、E・H・カーの「歴史とは過去と現在との対話である」というテーゼを批判なく受け入れてきた。しかし対話者の一方は「現在」である。カーの世界では日々歴史の修正が起きているのである。
私は「文春リアリズム」を自己流に論じてきたが、カーの歴史修正主義――とあえて呼ぶ――に気がついたことに自分で驚いている。21世紀初頭の言論の変貌は、近代300年に一度の事件といえる気がする。(2021/07/19)
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