2021.09.30   「アフガニスタン女性たちの運命」と私たち

米田佐代子 (女性史研究者)

 「腐敗と汚職の温床」と言われたガニ政権があっけなく崩壊し、アメリカ軍が撤退して「タリバン政権復活」をめぐる緊迫した情勢が続いています。この20年間、たとえ「アメリカ仕込み」の「押しつけ」であっても女性の成長は動かしがたく、女性の教育や社会進出は前進したがそれが後退するのではないかと世界が固唾をのんでいます。では、新タリバン政権は極端な女性抑圧政策に逆戻りするのか、それとも1996年から2001年までの旧タリバン政権とは違って、国際社会の承認を得るためにも一定の民主主義的な政策を実行するのか、先ごろ発足した暫定政権の顔触れは「守旧派」が多数で女性閣僚は一人もいない。「穏健派」と言われた政権幹部の一人が「強硬派」から銃撃されたという報道まで飛び込んでくるので、ハラハラしています。

 「日本最古の伝統を持つ地方新聞」ではじめて論説委員になったという女性記者が、タリバン政権は女性の権利を保障するようなことを言っているが、一方で男女同席の授業を認めないとか、テレビから女性キャスターの姿が消えたと案じる報道もあると指摘、「人権尊重について行動で示されるまでは、政権承認を急ぐべきではない」(山梨日日新聞2021年9月9日付)と書きました。

 その気持ちはわかるが、タリバン擁護ではないが「(政権を)承認するしないという対立は、資金の凍結を長引かせる要因にもなり、その結果、一番苦しい思いをするのはアフガニスタンの一般の人々でしょう。大きなジレンマに陥りそうではあるのですが、対等な視点で外交関係を築き、誠実な対話を通して人権について働きかけをすることの方が現実的」という意見も出ています。
 わたしも、「対等な外交関係」と「誠実な対話」の必要性は言うまでもないと思っています。しかし、ではそれが保障される可能性をどうやったら開けるのか、わたしには展望がつかめません。だからといって「わからない」のに一般論だけで「正しいこと」を言っていればいいのか。この半月あまり、寝ても覚めてもというのは大げさですが、悩んできました。

 9月18日は満州事変勃発から90年ですが、日本が戦争に突入したとき、日本の女性の中には疑問を抱きながらも「アジア解放のため」と言われて判断できなくなり、結果的に戦争協力の道を歩いた苦い経験を持つ知識人もいます。2001年の「9.11」事件に始まるイラク・アフガン戦争には、日本もアメリカの要求を受けて自衛隊を派遣するなど責任がある。
 ここで「思考停止」におちいったら戦時中の二の舞だ、と「ウツ」になるくらい悩み、使い慣れないZOOMでいくつかのイベントに参加しました。

 その一つは9月11日におこなわれた「私たちが積み上げてきたものから いま、アフガニスタンを考える」という報告です。長年アフガン支援にかかわってきた桐生佳子さん、中道貞子さん、西垣敬子さんの3人の発言者は全員女性。旧タリバン政権の時代から一貫してアフガンの女性教育や経済的自立を支援してきた方たちの実体験に基づくお話は、現場を知る重みに裏付けされた迫力がありました。それぞれ女性教員支援の「5女子大学コンソーシアム」(奈良女子大、お茶の水女子大、東京女子大、日本女子大、津田塾大)による調査活動をもとに、現地の女性教師を支援して女子教育を推進してきた方、1990年代のタリバン政権時代に「タリバーン時代の隠れ学校支援」に取り組み、ボランティアの女性教員の給料まで保障する活動や2001年以降は国立大学に女子トイレや女子寮を建設して女性の教育環境を整備してきた方、孤児院・女性の能力開発センター・女性の保護支援施設などの支援にあたってきた方など、いやもう姿勢を正して聞かねばならない話でした。女子トイレが完成したとき大学では「女子トイレ完成祝賀パーティ」を開いて喜んでくれたそうです。

 その方々が異口同音に言われたことは、「タリバンといえども一人ひとりは決して暴力的ではなく、親切で誠実な人がたくさんいる」ということでした。こうした方々の支援は、アメリカがつぎ込んだ巨大なドルが汚職や事業費の「中抜き」などに消えてしまい、本当に必要なところに届いていないのとは大違い。で、彼女たちが言うには、日本の人びとがもっとアフガンに目を向け、国連や日本の外務省などに向けて「実効性のある支援を」とアピールすることが大事、ということです。なるほど。しかし日本政府は本気でアフガン支援をする気だろうか。さっさとカブールから逃げ出した大使館は、今こそアフガンの人びとのための支援策を推進してほしい、と思いましたね。

 そこで次に聞いたのは、9月16日の「くにたち九条カフェ」の「アフガニスタンでなにが起きているか」。話題提供者はお2人。
 ☆平井文子さん(中東問題研究者)「タリバン政権復活と女性抑圧政策をめぐって」        
 ☆本田宏邦さん (獨協大学教授、アメリカ経済論)
           「アメリカのアフガニスタン介入―アメリカ軍撤退の意味」  
 
 これも聴きごたえがありました。
 平井さんのお話で理解できたのは、「アフガンの女性政策」が政治問題化したのは,アメリカがアフガン戦争への国民の支持を取り付けるため、大義名分を「反テロ」においたが、開戦への国民的世論をもりあげるため、「虐げられたアフガン女性を救うためというもう一つの大義名分を利用した」という点を見なくてはならないということでした。「もちろん、タリバンの女性抑圧政策は断じて承認されるべきではないが、問題は、抑圧されたアフガン女性の救済がアフガン攻撃の合理化に利用されたことの政治的文化的意味である。そこには先進国の人たちがイスラーム社会の女性問題をみる時の「上から目線」ないし偏見とでもいうべき「ジェンダー・オリエンタリズム」が潜んでいる」というのです。
 「何より肝心なのは、アフガニスタンに住む人々(男女)による女性の自由と人権を勝ち取 っていく戦いが必要であるということだ。状況は決して20年前に後戻りしてはいない。実際、カブールでは、タリバンにたいするトラウマをはねのけて勇敢な女性たちはデモや集会 をおこない、これまでどおりの女性の就労権、就学権を認めるよう立ち上がっている。彼女たちは孤立していない。世界中がこれらを見ている。これは、第1次タリバン政権時代には なかったことだ。そういう意味ではこの20年間、復興支援を行ってきた教育、福祉、保健 関係の国際 NGO の地道な努力の結果としての実績やシステムは決して無に帰すことはな く、今後に生かされるであろう。今後は、都市の上中間層にとどまらず、地方を含めた多数 の下層女性たちへの教育支援や就労支援こそが求められている」という指摘は納得できました。

 一方本田さんのお話も1990年代のタリバン政権時代からだけを見るのではなく、「1978年4月、マルクス主義政党「人民民主党」を中心とする新政府樹立(「アフガン民主共和国」) 首相ヌール・ムハンマド・タラキ(Nur Muhammad Taraki)による 組合合法化、最低賃金制、識字率向上、医療制度改革、住宅政策、公衆衛生、農地改革、農民の 債務免責、女子教育、麻薬栽培の根絶等を掲げたことをとりあげた点が大事だと思いました。「アメリカはタラキ政権発足直後からサウジやパキスタンの軍部と連携して反政府勢力(ムジャヒディン)を支援 」、ソ連に支援を求めたタラキはアミンに殺害され、アミンはまた1979年に侵攻したソ連によって殺害されます。「1979年の時点でアメリカがタラキ政権を攻撃していなければムジャヒディンも力をもたず、ソビエト の介入もなく、アフガン戦争もオサマ・ビンラディンも9・11の悲劇もなかったであろう。しかし国民全 体のために社会資本を建設しようとする進歩的な左翼政権に対して、ワシントンが自制することは 望むべくもなかった」という指摘があるそうです。「40年」戦争のツケを今払わされているのだ、と。

 討論のとき、わたしはやはり、今自分たちはどういう視点からアフガンを見つめ、自分にできることは何か、と質問しました。その時手がかりにしたのは、朝日新聞9月14日付の「私の視点」欄の論考でした。アヒム シュタイナー国連開発計画総裁の寄稿です。  
 「アフガニスタンの将来を見通すのは困難だ」と前置きしながら、彼は「アフガニスタンでは、政府による管理や保護が及ばないインフォーマルセクターが地域経済の約8割を占める」と言い、それを担っているのは女性による「商いの場」だというのです。「庭でとれた野菜やかご、パンを売り、家族や地域社会を貧困の危機から救ってきた」のだ、と。そういう意味で「働き、学び、尊厳をもって生きるという権利を女性から奪ったら、アフガニスタン経済は奈落の底に落ちてしまう」という指摘は、「草の根の地域」で生活を支える女たちに権利を、という主張として大変腑に落ちました。女性の高等教育や政治進出、多様な職業分野でのジェンダー平等の実現は言うまでもないが、こうした「草の根」の女性の働きが地域経済の発展を生み出すというのは卓見だと思う。

 そしてそれは、わが日本もそうした地域活動が正当に評価されていないという点では「後進国」ではないか。わたしはかねてから日本のNPOやNGOの活動の主要な部分を女性が担っていることを評価するものですが、その多くはほとんど無償のボランティア女性によって支えられているような気がする。「女性は収入を求めず生きがいのために活動している」なんて言わないでほしい。アフガンの女性についてのこの指摘は、「よそごと」ではない。

 シュタイナーさんはアフガニスタン経済の崩壊を防ぐために、地域のネットワークを活用し、労働の対価として報酬を払い、ベーシックインカムを通して社会保障を支えるべきと提言しています。それ自体も極めて困難な道だと思うが、なによりも「アフガニスタン人が危険を冒して他国へ行くよりも母国や自分たちのコミュニティにとどまりたいと思っていることを保障できる道が必要だ」というのです。中村哲さんが、井戸を掘り灌漑用水を引いて地域を豊かにしようとしたのはこの精神だったはずだ。この点は、平井さんがレジュメの中で引用した栗田禎子さん(千葉大教授)の、「(タリバンの報復を避けるために)『退避』しなくて良い状況をアフガニスタンに作っていくことが大事で、そのためにはタリバンだけでなくより広い勢力が参加する政治の仕組みづくりが重要。これは時間がかかっても、アフガニスタン国民自身の手で実現されていくべきである」(『全国商工新聞』 2021,9,13)という指摘も大事だと思いましたね。

 9月11日の「アフガンの今を考える」報告でも、報告者3人のおひとり西垣敬子さんは、アフガンの伝統的アートである細密画ぬり絵販売で女性支援をしているということですが、学校や施設の資金援助だけでなく、こうした女性の「経済」に目が届くことが必要なのだ、ということがわかりました。「新政権が落ち着いたら世界の人々がアフガニスタンに安全に行けるようになるだろう(なってほしい)。その時アフガンをこの目で見て、アフガンの女性たちと交流できる日が来ることを」という発言にも納得しました。

 でも、じゃあ、どうすればその道が開くのか。日本政府にアメリカの軍事力のしっぽにくっついていかないで、自力でこうした「人道援助」を国際世論にする努力を求めるのは、むなしいだろうか。わたしの「ウツ」はまだ消えませんが、タリバンを敵視するだけでは解決しない、「アフガニスタン人がその地で生活と人権が保障される道」を国際社会はどう支援し、つくっていくのか、考えたいと思いました。以上、夜中に寝ないで数千字書いてしまった。

 9月20日追伸。三鷹で開かれた「コロナ危機と未来の選択」というテーマの中山智香子東京外語大教授のお話を聞きました。彼女の『経済学の堕落を撃つ』という本を読んで、「人間の顔をした経済学」という提起に共感、ファンになったのです。直接アフガン問題ではないが、「コロナ危機」があぶりだした格差と差別社会をどう変えていくか、その名も「市民社会をめざす会」という自主学習グループ主催とあってもぐりこみ、これまた大変有益でした。学ばなければ道は開けない。 
        (ブログ「米田佐代子の森のやまんば日記」に補筆)
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