2021.10.02 始まった?習近平の文化大革命(4)
―狙いのストーリーが見えてきた
                          
田畑光永 (ジャーナリスト)

 さる8月17日、中国共産党の最高レベルの会議、中央政治局財経委員会に「共同富裕を促進する問題」という議題がかかり、習近平が「これまで目標としてきた『小康社会(ゆとりのある生活)』はすでに達成されたから、これからの中国政治の主要テーマは『共同富裕』の実現である」と述べたところから、今回の「文化大革命」は始まった。
 なんでそれが「文化大革命」なのか、と疑問を持たれるかもしれないので、改めて簡単に説明する。

 1992年に江沢民が共産党のトップ、総書記の席を胡錦涛に譲り、2012年には胡錦涛からそれを習近平が譲り受けて現在に至っているので、普通なら2022年には今度は習近平が誰かにそれを譲るのが自然である。中國共産党の規約には総書記は1期5年で2期まで、といった規定はない。ただ憲法には国家主席は1期5年で2期までという規定があったから、それが巡ってくる年の前年秋の党大会で次期総書記を決めて、翌年春の全国人民代表大会で改めてその総書記を国家主席に選挙するのが慣例となっていた。
 ご承知かと思うが、この選挙は対立候補が出るわけでもなく、出席者の全員か、ほぼ全員が共産党の総書記に投票するという極めて形式的なものだが、選挙は選挙である。ところが、習近平は2018年3月の全人代で憲法の国家主席の任期は「1期5年で2期まで」という規定を削除してしまった。その憲法改正案について、全人代の会議では一言の提案理由の説明もなければ、討論もないまま採決が行われ、結果は賛成2958票、反対2票、棄権3票、無効票1票で可決された。

 せっかく決まっている国家元首の任期をわざわざ廃止して、昔の封建王朝に逆戻りするような決定であった。改正前であれば、再来年(2022年)春の全人代で習近平の国家主席は2期10年で終わるから、その前年、来年秋の共産党第20回大会で習近平は退任して、新しい総書記が選ばれ、その人物が再来年春の全人代の選挙で国家主席に選ばれるという筋道が自ずと決まるのだが、国家主席の任期がなくなってしまっては、来年秋の党大会での首脳人事の行方がはなはだ不透明になる。
 というのは、5年に1度開かれる中国共産党大会で次の5年間の指導部を選出する際には1つの不文律があるからである。それは最高指導部の中央政治局のメンバーと中央委員の改選では「七上八下」とする、というものである。満年齢で67歳までなら新任あるいは再任が可能だが、68歳になれば新任はもとより再任も不可、という意味である。
 この不文律でいくと、来年秋にはトップの常務委員7人のうち、習近平と序列3位の栗戦書(全人代常務委員長)、同7位の韓正(筆頭副首相)の3人は退任となるし(勿論、ほかにも退任者がいるのが常であるが)、その下の政治局委員18人のうち半数の9人も年齢で退任である。
 その中で来年6月にすでに69歳になった習近平だけが居座るのにはなんらかの説明が必要であろう。しかし、1人だけ辞めないことにうまい理由などあるはずもない。
 昔、建国当初の政権では革命を戦った戦士たちがそれぞれ要職に就いた。勿論、要職にもいろいろあるが、ともかくその人たちはなかなか辞めたがらなかった。口を開けば「自分の一身は国に捧げた。死ぬまで国に尽くしたい」と、引退を拒んで高官待遇に執着した。

 それをなんとか崩したのが鄧小平であった。改革・開放路線への切り替えと並行して「中央顧問委員会」という老人幹部のたまり場を作って、とにかく老幹部たちをそこに押し込めた。国家主席に任期を設けたのも同時期である。そういう歴史の中から生まれたのが「七上八下」の不文律である。
 そうした経緯を踏みにじって、自分だけ最高首脳の椅子に10年以上も居座るのを正当化する方策はないものか。習近平とその取り巻きは頭を絞ったにちがいない。
 そこで彼らが思いついたのは、と言っても私の推測だが、「現在は非常時であって、ここを乗り切れるのは習近平しかいない」という風潮を社会に広めることではなかったか。メディアは事あるごとに「習近平新時代」を宣伝し、習自身も「百年に一度の変革の時代」というのが口癖だが、それをこれまで以上に強調して、習近平しかいないと国民に思い込ませようとしているところから、最近の出来事は始まったのではないのか。そう考えれば、ただの出たとこ勝負のように見える最近の通達や指示もそれなりの意味を持つように見える。

 まず基本は「脱貧困」から「共同富裕」へ、である。今こそ国民一丸となって脇目を振らずに頑張れば、「富裕」を楽しめる日が来る、と思わせる。財布がどのくらい重くなるかは言わないで、「アリババ」をはじめとする新興企業からさまざまな口実で利潤を吐き出させて、国民に得をしたように錯覚させる。それによって国有企業の幹部や高級官僚の財産は相続税、不動産税なしのままで温存させる。
 非常時感覚を植え付けるには、財布よりも国民の悩みや不安や不満を大々的に取り上げて、政権がそれらにいかに真剣に取り組んでいるかを宣伝する。子供の負担過重の問題、一方ではオンライン・ゲームの蔓延、隆盛を極める学習塾、芸能界のバカ騒ぎ、などなど。
 そんな他愛のない策で、と思われるかも入れないが、まだ始まったばかりである。来年秋の党大会までまだたっぷり1年ある。1年後にあっというような習近平ブームを起こすことくらい、中国共産党はやってのけるのではないか、という気がする。なにしろ昔から「戦って勝たざるなき中国共産党(戦無不勝的中国共産党)」なのだから。

 こんなことを書くのは、じつは最近、人造ブーム説を裏付けるような興味深い出来事があったからである。
8月末にある人物がネットに書いた時評の文章が話題になった。作者名は李光満、62歳。電力関係の雑誌の編集をしていて、現在は崑崙策研究院(詳細は不明)に所属し、そこの崑崙策網というブログに一文を載せた。タイトルは「誰もが感じている、深刻な革命が進んでいるのだ!」。
 内容はまず先述したような芸能人の脱税、セクハラ、ファンクラブの狂騒その他のスキャンダルをなぞった上でそれらを痛烈に指弾し、さらに「アント」金融の株式上場中止、親会社の「アリババ」に巨額の罰金が課せられたことを取り上げ、「中国の政治、金融、文化、政治のいずれにも深刻な変革が生まれている。革命と言ってもいい」と論じる。
 そしてスキャンダルの主人公たちを「社会の毒瘤」と断じ、返す刀で「アント」「ディディ」(配車大手)を名指して、「大買弁資本集団はすでに社会主義の対立面、人民の対立面に移っている。われわれの変革はこれらの毒瘤に対するものである」と宣言する。さらに「われわれの青年たちが強さ、剛気を失えば敵が攻め込んでくる前に自ら倒れてしまうであろう、かつてのソ連のように」と警鐘を鳴らす。

 確かに激しい言葉使いではあるが、一民間人の気炎と思えばさほど驚くほどのこともないだろう。ところがじつは本当に驚くべきことが起こった。『人民網』(人民日報)、『新華網』(新華社)、『中央テレビ網』、『中国軍網』(解放軍報)、『環球網』(環球時報)といった代表的メディアの電子版がそろってこの一私人の文章を転載したのである。
 初めから転載を計画して李光満氏に文章を書かせたのか、それとも偶然見つけて転載を決めたのかは分からないが、ともかく転載したメディアの顔ぶれから見て、このいっせい転載がメディアそれぞれの判断からではなく、共産党の中央宣伝部の指示に従ったものであることは確かだ。

 つまり習近平が8月に「共同富裕」を新時代の目標として打ち出して以降の政権からの指示やら通知やらは国民がこの文章のような反応を見せることを目的としていたと受け取って間違いないだろう。
 とろろがそこでまたびっくり!が起こった。転載に加わったメディアの中に『環球時報』というのが見えるが、その編集長の胡錫進という人物は個人のブログも持っていて、時事問題に個人の考えをそこに吐露することで知られている。もっともそれは常に中国の国策を擁護する大前提に立ったうえでの「個人的意見」だが。その胡編集長が自社も転載したこの李光満氏の檄文に対して、「中国に今、深刻な『革命』が起きているというのは間違った判断であり、誤解を招く」と批判し、「文化大革命風味の社会問題論議には十分警戒しなければならない」とたしなめたのである。

 この胡編集長の一文にも「どの筋の意向を受けての批判か」との推測が行われているという。こうなるとどこが本筋で、どこが対抗勢力かという論議にならざるを得ないが、それにはまだ材料が足りない。
 しかし、少なくとも「共同富裕」という心うれしい社会に到達するためには、世の中の不正、不公平、ゆるみ、たるみなどを今こそ糺さなければならない、それを指導できるのは脱貧困を成し遂げた習近平以外にない、というストーリーがうっすら見えてきた気がする。(続))



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