2021.10.06  暑さ寒さも彼岸まで
          韓国通信 NO680

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 本格的な秋の到来。10月に入り、9月に報告できなかったことを思い出している。
 地域に住む外国人に日本語を教えるボランティアを始めてから10年以上になる。そこで、慣用句「暑さ寒さも彼岸まで」から彼岸花の話になった。
暑さ寒さも彼岸まで
 即座に中国人は「曼殊沙華」と理解したがフィリピン、イギリスには無いという。
 春分と秋分は理解しても、お彼岸と彼岸花に対する日本人の思いはなかなか伝えにくい。

 手賀沼湖畔(千葉県)に咲く彼岸花の横に種田山頭火の句が添えられていた。
 うつりきて お彼岸花の 花ざかり
 彼岸花には死の匂いがつきまとう。
 
 9月5日、千葉県八千代市の高津観音を訪れた。 
 同地に住んでいたころ、関東大震災直後、習志野騎兵連隊に収容された朝鮮人十数名の虐殺事件を知った。
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 関東大震災から98年。「防災の日」となった9月1日は震災の混乱に乗じて自警団によって殺された朝鮮人、中国人、社会主義者の慰霊の日でもある。
 午後2時から始まった高津観音の慰霊蔡に僧侶と市民二十数名が集まった。
 古老の記憶を頼りに地元の教員たちが遺骨6体を発掘して(1979年)観音寺に埋葬、以降毎年慰霊祭が行われてきた。韓国の市民たちの募金によって寄贈された鐘楼は「許す、だが忘れない」韓国の人たちの心として「通信」で紹介したことがある。

 震災時に虐殺された朝鮮人は6千数百名。風化する朝鮮・中国への侵略の記憶。だが歴史から学ぶ若い人たちも育っている(朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会『いしぶみ』67号)。
 千葉県では広範な地域で324名の犠牲者が記録されている。白樺派の文人たちが愛した我孫子では3名が撲殺された。『我孫子市史』で記録されているが、知る市民はほとんどいない。
 駅前の八坂神社が事件の舞台になった。市史の他、市史資料として増田実の日記が残されている。9月3日の日記には「彼等(不逞鮮人)は見当たり次第に捕縛刺殺するも可なるべく…」と不安と動揺を伝える。大混乱の中で恐怖にかられたとは言え、集団的にこのような状況に陥ったとは信じがたい。
 9月3日、有志で神社を訪れ、献花、合掌した。今年で5回目のささやかな慰霊。世界に広がる差別と憎悪の連鎖。不安が頭をかすめる。我孫子市民として感じる居心地の悪さ。深紅の彼岸花が鎮魂の華であって欲しい。 <写真上/高津観音寺/下/法要風景>
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