2021.10.19  始まった?習近平の文化大革命(6)
      ―「指導層が法に従ってきちんと交代」とは
 
田畑光永 (ジャーナリスト)
 
***異例の会議***
 先週末、いわゆる中国ウヲッチャーが「おや!」と腰を浮かせる一幕があった。それを報告しておく。先週の13、14日の2日間、北京で「中共中央人大工作会議」という耳慣れない会議が開かれた。「人大」といえば「人民代表大会」の略称(日本では「人代」と略することが多いので、紛らわしい)で、よく「中国の国会にあたる」と注釈がつくのでご存知かと思う。この機構は通常、毎年3月に3000人近い数の「人民代表」が北京に集まって大会を開き、それが終わると翌年まで解散、用事があるときは数百人の「常務委員会」が北京で開かれて、法案の議決など用件をこなす。
 しかし、「人大工作会議」という名前は聞いたことがなく、ましてその前に中國共産党の最高指導部を意味する「中共中央」がつくというのは奇妙であった。中國共産党と全人代はあくまで別ものなのであるのだから。そして中国の公式報道もこの会議が開かれるのは初めてだと言っている。
 出席者について報道は、中共中央政治局委員、中央書記処書記(いずれも共産党の中枢幹部)、全国人大常務委員会副委員長(副議長、但し議長は中共政治局委員で出席)、国務委員(上級閣僚)、最高法院院長(最高裁長官)、最高人民検察院検察長(検事総長)、全国政治協商会議(国施諮問機関)指導者などと列挙している。
 ここには国政の最高指導部のトップが網羅されている。つまり、初会合とはいえ、この会議が並々ならぬものであることを誇示しているわけで、それはそこで行われた習近平の演説を並々ならぬものとして受け取れという号令である。
 では習近平は何を言ったか。翌15日の『人民日報』の見出しによれば、「人民代表大会制度を堅持し、完全なものとし、全過程人民民主をたえず発展させよう」と強調した、となっている。
「全過程民主」という言葉が耳慣れないかもしれないが、西側諸国の民主主義は選挙の時だけ大騒ぎするが、選挙が終われば国民は政治への関心を失うのに対して、中国では人民代表大会制度を通じて、人民は国家や社会の管理に参加し、要求を伝えることができるなど、幅広く国政に関与し、監督することが可能である。人民が全過程にかかわるから「全過程人民民主」だというわけである。
 西側諸国の民主主義といえば、選挙のお祭り騒ぎをまず思い浮かべるらしいのが中国の指導者の通弊であり、そこから時に発生するデモ、騒乱、政治の空転などを西側の民主主義の象徴としてとらえ、西側の民主主義だけが民主主義ではないという主張の論拠としている。

***指導層の交代***
 その従来の主張を繰り返しただけなら、この日の習近平演説も注目に値しないのだが、じつは見過ごせない一節があった。そのくだりを引用する。
「民主主義は全人類の共同価値であり、中国共産党と中国人民が一貫して堅持している重要な理念である。一国の政治制度が民主的であるか否か、有効であるか否かを評価する際に主に見なければならないのは」と言って、8項目を挙げている。そしてその最初に来たのが、
「国家の指導層が法に従ってきちんと交代できるか」
という1項であった。
 ご承知のように中国の国家組織のトップは国家主席である。その国家主席は全国人民代表大会(全人代)での選挙で選ばれる。問題はその任期であるが、2018年3月の全人代でそれまで「任期は5年・連任は2期まで」と決まっていたのを削除する憲法改正案が賛成2958票対反対2票(棄権3票、無効1票)という圧倒的票差で可決された。ちなみに賛成以外の6票を入れた人たちを「六君子」という言い方があるそうである。
 憲法には任期以外には、国家主席に立候補するにはどういう資格、手続きが必要かといった明文の規定は一切ないから、慣例として共産党の推薦者(総書記)が対立候補なしで選ばれてきたが、改正によって、その唯一の明文規定である任期もなくなってしまったのである。
 その共産党のトップには規約では任期の規定はない。これまでは国家主席の任期に合わせて党の総書記も交代してきた。とすれば、国家主席の任期がなくなってしまった結果、現状は両すくみで、だれもあえて現職やめるべしと言い出さなければ、現職がいつまでも両方のトップに居座れるという現代国家としては信じられない仕組みとなってしまった。

***具合の悪い事情***
 勿論、これが半永久政権を狙う習近平にとっては理想的な状態なのだが、じつは彼にとって具合の悪い事情が1つある。それは今から7年前の2014年、この年は人民代表大会制度が出来た1954年(建国5年後)から数えて60周年にあたり、そのお祝いの式典で演説した習近平は、現行制度の優れている点として、この「国家の指導層が法に従ってきちんと交代できる」を挙げたのである。
前年の春に胡錦涛から国家主席を引き継いで、党と国家のトップの座に座った習近平だが、さすがに当時はまだ2023年を越えてまで続投しようとは考えていなかったのであろう。しかし、今となっては、言わずもがなであったと悔やんでいるはずなのである。
 本腰を入れて永久政権を狙う習近平にすれば、「14年の話と違うではないか」と言われるのは具合が悪いからである。そこで奇妙なこともあった。14年から5年経った2019年に、中国共産党の理論雑誌『求是』がこの習近平演説を再録したのである。まさか習近平自身の考えでそんな都合の悪い文章を再録したとは思えないから、何かの手違いか、あるいは習近平の野望に否定的な勢力による嫌がらせであったのか、それは不明であるが、ともかく習近平としてはこのフレーズはなんとかして「無害化」したい対象であるはずだ。
 それが今回の演説にあえてこの一節が挿入された理由であろう。では「指導層が法に従ってきちんと交代する」という言葉と習自身の延命とをどう調和させるのか。幸いこの文章では複数を指すと受け取れる「指導層」という言葉を使っているから、習以外の、ナンバー2の李克強首相以下の首脳陣を入れ替えることでも「法に従ってきちんと交代する」を実現できる、いや実現したと強弁するつもりなのであろう。
 ところが、じつは2014年の習演説にはもっと具合の悪い表現が存在する。
「長期間の努力を経てわれわれは重点的な問題を解決するうえで決定的な進展を得た。われわれは事実上存在していた指導幹部の終身制を廃止して、指導幹部の任期制を広く実行した」という一節である。前の「指導層交代」のちょっと後である。
 ここでの「事実上存在していた指導幹部の終身制」という言葉はどう見ても最高指導者を意味するように受け取れるし、その後の「任期制を広く実行」というのも、任期制を例外なく最高指導者まで含めて実行した、と読むのが自然だろう。
 では、なぜ習近平は今回、これに触れなかったのか。おそらくうまい説明ができなかったからであろう。その前の文章と同趣旨だと強弁して「14年演説」の呪縛から解放されようという目算だと思われる。と言っても、あえてこの問題に注目を集めたくはないということなのか、中国での報道姿勢は奇妙であった。それがチャイナ・ウヲッチャーの腰をうかせたのである。

***及び腰の報道***
 会議は14日に終わったのだが、私の見聞では新華社が翌日未明の15日午前1時48分に出した原稿は「指導層の交代」問題には触れていない。私が新華社でこれに触れた記事を見たのは15日の夜、会議が終わってまる1日以上が過ぎた20時29分発の原稿で、前述の8項目の1つとして、項目だけは載せているが、とくに説明は加えていない。
 『人民日報』はやや違って、15日の1面に大きく会議が開かれたことと、習近平演説を載せ、やや長い前書きと記者の署名入り原稿の両方にこの項目が登場する。しかし、「法に従ってきちんとした交代」についての説明はない。私が見た香港のダウ・ニュースは14日夕、16時57分の速報が、論評抜きながらすでにこの問題に触れていた。
 今のところ、この報道ぶりから特になにか言えることはないが、この問題に注意を引こうとはしていないことは確かだ。つまりあくまでアリバイ証明なのだ。習近平が長期政権を目指しても、「前に言ったこととは矛盾しない」と主張するための布石なのだ。
 ということは、逆に言えば習近平も自分が長期政権を目指していることに後ろめたさを感じ、また同時に中國の民主不在を突かれるのを気にしていることを自ら告白しているのである。

 習近平が在任10年を越えて続投するかどうか、できるかどうか、はあくまで「中国人民」が認めるかどうかにかかっている。われわれには習近平が言うように発言権はない。しかし、習近平が外の世界の見方を気にしている事はこの件によっても明らかである。
 18年の憲法改正についての全人代での票決結果に触れた際、賛成以外の6票について、「六君子」という呼び名があることを紹介した。それは少数意見を表明することの不利、受ける圧力の強さと同時に、堂々と反対意見を明らかにすることの難しさを示している。であれば、外国が正論を繰り返し中国に向かって浴びせることを「中国人民」が待っていることも確かであろう。
 もっともっとわれわれの正論が中国に届くように、もっともっと習近平とその周辺にそれを読ませるために、われわれは筆を措くわけにはいかない。(続)

Comment
>外国が正論を繰り返し中国に向かって浴びせることを「中国人民」が待っていることも確かであろう。
>もっともっとわれわれの正論が中国に届くように、もっともっと習近平とその周辺にそれを読ませるために、われわれは筆を措くわけにはいかない。(続)

 吹き出しました。確かに中国も「国外の世論」もそれなりに気にはしてるでしょう。
 しかし
◆朝日新聞、読売新聞、NHKなどの大手メディア
◆与党「自民、公明」、野党「立民、共産、維新、国民民主、維新」など諸政党
ならまだしも「日本国内限定」ですらろくな政治力も知名度もない「リベラル21」の言論など「何とも思ってない」でしょう。
 そもそもリベラル21の存在自体「知らない可能性も大きい」でしょうに「夜郎自大」にもほどがあります。
(URL) 2021/10/19 Tue 07:27 [ Edit ]
私は中国体験から田畑氏の中国人民は海外の正論を待っているという主張に同感します。「習近平とその周辺にそれを読ませるために」筆をおくわけにはいかない、という発言にも賛成します。在日本中国情報当局は熱心に日本世論を収集しています。
無名氏の田畑批判をみて「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」を思い出しました。
阿部治平 (URL) 2021/10/22 Fri 05:45 [ Edit ]
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