2008.12.01 秀吉への憤怒と別の生への後悔の念ー千利休の自刃を追う
〔書評〕山本兼一著『利休にたずねよ』(PHP研究所、¥1890)
雨宮由希夫 (書評家)

千利休は、天正19年(1591)2月28日、秀吉の命により死を賜って、一言の弁解もせず、自刃してしまう。
利休を悲劇的な死に追いやったものは何か。謎に満ちた利休賜死とその原因については、古来、さまざまな説があるが、摩訶不思議なことに、現存する千家ゆかりの茶書の中に、利休自刃の事実を記録するものはまったく存在しないという。
有力な説のひとつに、世俗の最高権力者と茶の湯という美の世界の最高権力者の激突の果ての結末であるという説がある。利休自刃の誘引の一つに、たしかにそのような一面があったと思われ、いかにも尤もらしいが、それだけで秀吉が利休に死を命ずるとするのはあまりにも単純明瞭すぎる。近世以前においては、一家の言を成す優れた学者や芸術家とはいえ、権勢家にとっては太鼓もち、河原乞食ぐらいの存在として意識付けされていたにすぎないのではないか。
本書は利休秘蔵の愛玩品を秀吉が所望したが、利休が一蹴したことによって利休自刃の導火線が引かれたのではないかという推理で、利休と秀吉との葛藤を浮かび上がらせ、利休自刃の謎に迫った歴史小説である。
利休と秀吉の出会いは信長時代に遡る。その時代、利休は安土城内に一室を与えられた信長の茶頭であり、秀吉は信長麾下の一部将にすぎなかった。秀吉時代が始まるのは、本能寺の変で信長を斃した明智光秀を山崎の合戦で屠った、その時からである。

「この男なら、天下を取るやもしれぬと思ってにじり寄った。五年前の、その読みはまちがっていなかった」

と作家は利休に天正15年の北野大茶会を背景として回顧させている。60を過ぎたばかりの利休は信長の後継者の道を驀進する40代後半で脂の乗った秀吉に重用される。のちに「天下一御茶道の棟梁」と称せられた利休は当初から秀吉の茶頭という以上に側近ともいうべき立場にあり、政治的・軍事的な機密にも関与している。
章ごとに、「時」と「場所」と“主客”が設定され、章を経るごとに、過去に遡るという手法がとられている。
巻頭の章名は「死を賜る」。時は天正19年(1591)2月28日朝、場所は「京 聚楽第 利休屋敷 一畳半」。
「あなたにはわたくしよりお好きな女人が、おいでだったのではございませんか。」

利休の後妻である宗恩のことばが利休屋敷を切り裂く。宗恩はかつて人妻であった。先妻の死後、若き日に寄せた人妻・宗恩への思慕を以来30年間も凝固させて自らの妻とした利休であった。それだけに宗恩のことばは異様である。まして、「今日、夫が腹を切る」というその日に夫に投げつける言葉として尋常であるわけがない。
「夫は何かを隠し続けている。夫が本当に惚れた女『あの女(おんな)』はどこか別にいる」、宗恩の女の勘がうごめいて、死に赴く夫を振り返らすべく発せられたことばといえる。
巻頭での利休にとっての「あの女(ひと)」の登場が物語をリードしてゆく。
「あの女」とは「五十年も昔から」すなわち宗恩を知る以前から「いつも利休のこころのなかに棲んでいる女」であったが、どのような素性の女なのか、利休の自刃といかに関わってくるのか、章を経るごとに、すなわち過去に遡るほどに、「あの女」の輪郭、目鼻立ち、素性がはっきりしてくるという巧妙な手法は読者の好奇心を刺戟させ、物語の核心へと引き込んでいく。
 利休自刃の4年前。天正15年6月18日、島津征伐の九州の陣。 筑前箱崎松原での野点(のだて)。利休が肌身離さず持っている緑釉(りょくゆう)の香合(こうごう)を、茶の湯の名物道具の蒐集に異常なまでの執心を抱いていた秀吉が見逃すはずがなかった。黄金一千枚を積むから譲れと迫るが利休は身を震わせて固辞する。この小さな壺こそ、「あの女」の形見であった。香合になにか秘めたことがあることを察知した秀吉は来歴だけでも知りたいとそれ以来、権力を笠にいたぶるように利休を問い質す。
 
「おまえの茶は、いささかも枯れてなんぞおらぬ。熱いなにかが滾っておる。なにか-----。そう、狂おしい恋でも秘めておるような。どうじゃ、わしの目は誤魔化せまい」
秀吉の目が、じっと利休を見すえている。

茶道をめぐる利休と秀吉2人の相互評価を作家は、「利休は、秀吉があんがい茶の心を知っていることに感心した。美意識もまた並の男ではない」、「秀吉は、いったいどのような人生をおくれば、鄙めいて枯れた草庵のなかに、命の艶やかさを秘めた利休の茶の湯がうまれるのか、不思議でならなかった」と書きしるした上で、「利休は、世界は秀吉の思い通りには動かせないことを思い知らせてやりたかった」としている。
利休は秀吉に対して、権力者と側近によく見られる、たとえば徳川綱吉と柳沢吉保の間柄のような、無私の献身と信頼という特別の感情はなかったと思われる。もともと利休は信長の茶頭であり、秀吉は信長の部下であったという立場を継承した者であるにすぎない――つまり、秀吉はおのれより格下の者であったのであり、あまつさえ下賎な出自の者である――という意識に現れる“無意識”の利休の秀吉観こそが関白太政大臣と成り上がった秀吉の神経を逆なでし、利休の悲劇を招来する要因のひとつとなったのではないか、と本書を読みすすめて評者(わたし)は確信した。
目からしなやかな光を放ち、きわだって凛々しく美しい顔立ちの「あの女(ひと)」は海を渡って無理に連れてこられ、堺の家に拉致監禁された高麗の女であった。19歳の利休と名も知らぬ高麗の女はただ一夜、唇を交わすことのみで引き裂かれ、女は自害してしまうのだが、利休はそれ以来、「あの女(ひと)に茶を飲ませたい。それだけを考えて茶の湯に精進してきた」のだった――。
利休と秀吉の確執に関する長い記述の果てに、利休自刃に追い込んだものは、秀吉の朝鮮出兵阻止、大徳寺木像の一件という大きな原因ではなく、「あの女(ひと)」すなわち、この世で最も尊しとするものを遠慮会釈もなしに土足で踏みにじる秀吉の傲慢さに耐え続け、妥協を許さぬ限界に自らを導いた利休の生きざまにあったと作家は主張しているようである。
死を前にした利休の脳裏を占めるものは無実の罪で死を強いる秀吉への憤怒と、別の生き方を選ばなかった後悔の念であった。妻・宗恩にとって、前者は夫と共有できるが、後者は許しがたい背徳であるに違いない。書名「利休にたずねよ」は後者をめぐっての宗恩の問いかけの意味であろうか。首と胴の離れた夫の遺骸の中からとりだされた緑釉の香合が宗恩によって粉々に打ち砕かれるラストシーンは壮絶極まりない。
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