2021.11.27 キューバ:米国主導の「平和的デモ」の禁止は「自由や人権の侵害である」?

        ~蘇るチリ・クーデタの記憶~
                  
後藤政子 (神奈川大学名誉教授)


「ツイッター・デモ」から「平和的デモへ」
 日本の新聞やテレビでも報道されたように、去る7月11日にはキューバで「革命後初の反政府デモ」が起きている。数週間前から#SOSCubaというツイッターが急拡散しており、11日に「動員」というメッセージが届き始まったものである。このツイッターはフロリダ州政府の手で企図されたものであり、いわば「米国製デモ」であった。
 その後、9月末に国内の反体制派が11月15日に(当初、20日の予定であったが、この日は国の行事が行われるため前倒しされた)「平和的デモ」をハバナ市など全国9カ所で実施するとして、各自治体に許可を申請した。申請者はフェイスブック「アルチピエラゴ(列島)・グループ」(2021年8月結成)の管理者ジュニオル・ガルシア・アギレラらである。「平和的デモ」であり、人間の多様性の容認という憲法の精神にも則っているというのである。キューバでは2019年に新憲法が制定されているが、すべての人々の人権の尊重や自由や権利の平等が掲げられ、デモの権利も保証されている(第56条)。
 これに対し、キューバ政府は10月12日、体制転換のために政治的社会的攪乱を引き起こすことを目的とした米国主導のデモであるとして、「個人の権利は他者の権利、集団的安全保障、国民の福祉、公共秩序、憲法その他の法律によってのみ制限される」という憲法の規定(第45条)を援用し、申請を却下した。
 デモ禁止の報が伝えられるや、マイアミでは反キューバ団体が、デモが阻止された場合には爆撃や軍事侵攻を実施するよう主張し、プライス国務省報道官も基本的人権と自由の侵害であり、独裁であると非難した。ロイターなどの国際メディアも「平和的デモを禁止した独裁国キューバ」を非難するニュースを世界に配信し、AFPは7月の「反政府デモ」の際に首を抑えられ、パトカーに乗せられようとしている人物の写真を大きく掲載した。人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチも自由と人権の蹂躙に抗議した。
 米国主導の「平和的デモ」の禁止は自由や人権の侵害であり、独裁であるのか。仮にこれがキューバではなく日本であったならば、どのような議論が行われるのであろう。

変わらない「裏庭」意識-「米国の限界」
 米国のキューバ政策について考える場合に念頭におきたいのは、一つは、米国は「裏庭」であるラテンアメリカにおいて自国と異なる体制の存在を決して認めることができないということである。いわんやキューバは、革命前までは米国の「事実上の植民地」であり、米国では教科書に米国本土と同じ色に塗られた地図が載っていた国である。
 これは「米国という国の限界」である。
 バイデン大統領は就任直後の2月には「キューバは最優先課題ではない」と語っていた。それはアフガン問題などで多忙なためでも、「トランプ氏の影に怯えていた」ためでもなかった。「米国の限界」を超えることができないのである。
 キューバとの関係改善を実現したオバマ大統領も「制裁は効果がなく、内部から政権の解体を進めるためである」としていた。実際、国交再開後も厳しい経済封鎖が続いていた。さらに過去に遡るならば、ケネディ大統領はミサイル危機のあと、カストロはいわゆる共産主義者ではないことに気づき、関係改善のためにハバナに密使を送った。カストロとの密談中にダラスでの暗殺の報が届き、「これで終わってしまったね」というカストロの嘆息とともに交渉は途絶えた。その後、厳しい封鎖や干渉が続き、カストロ暗殺未遂事件も総計638回に上っている。
 第2に米国の対キューバ政策は(また対ラテンアメリカ政策も)、「人々の自由や人権や民主主義人間の意識に訴える」政策に重点が移っていることである。
 現在、キューバに適用されている制裁法は「ヘルムズ・バートン法」(正式名は「1996年キューバの民主主義と連帯法」)だが、そこには経済制裁政策ついて具体的に記されているだけではなく、メディアや「民主・人権グループ、国際オブザーバー」をはじめ、広範な分野の「個人やグループ」に働きかけることが規定されている。その中には米州機構をはじめとする国際機関や人権団体やNGO、さらには研究機関も含まれる。
 それは対キューバ対策資金の流れからも見えてくる。制裁法が成立した1996年から2021年までに執行された「キューバ民主主義計画予算」は総計40億4,000万ドル。その多くは国務省やUSAID(米国国際開発庁)から民間の非営利団体であるNED(全米民主主義基金)へ渡り、そこからCADAL(ラテンアメリカの開放と発展のためのセンター)等、各種の機関を通じて配分される。NEDはホーム・ページによれば「世界の成長と民主制度の発展の強化」を目的とし、毎年、100か国以上の非政府グループに2000件を超える援助を提供している。CADALはアルゼンチンに本拠地を置くシンクタンクで、目的は「人権と国際民主連帯の促進」にあり、最近では「キューバの民主化推進」に重点が置かれている。CADALの資金援助によってプロジェクトを実施している大学や研究機関は日本も含め、少なくない。
 人権団体が自由や人権弾圧を非難すればその効果は大きい。ヒューマン・ライツ・ウォッチは7月の「反政府デモ」について報告書を出しているが、「軍と警察が出動し、1000人以上が逮捕され、未だにその半数が獄中や自宅軟禁状態にある」としている。ところが、メキシコの独立系ジャーナリズムのホルナダ紙は、デモ当日の現場の状況について、「全体として大きな騒擾はなく、逮捕者も放火したり、警察官を襲った人物などに限られた。もっとも激しかったハバナ市では、デモ隊の一部が投石し、パトカー3台を転覆させ、商店を略奪した。マチェーテ(サトウキビ刈り用のなた)を振りかざずデモ隊員が4人の警察官に取り押さえられ逮捕されたが、群衆がこの人物を攻撃したり、デモ隊と衝突することもなく、言い争い程度であった」と伝えている。一方、キューバの最高裁判事は8月4日、「デモが行われた各地方で裁判が行われ、この日までに逮捕者62人のうち45人が教唆扇動、公務執行妨害、破壊行為などの罪で1年の禁固刑ないしは罰金刑が言い渡された。45人が上告の手続きをとり、このうち40人に弁護士がつけられた」と発表している。
 いずれが事実であるのか。AFPの写真はどの部分を切り取ったものか。

陸軍省訓練用回状Circular 1801-「軍事介入への期待感を醸成する」
 ジュニオル・ガルシアは激しい反政府言動で知られ、本人自身も在ハバナ米国大使館の代理大使と接触していることを認めているが(10月2日のTelesurとの会見)、キューバでとくに懸念されているのは、2018年にはアルゼンチンのトルクワト・ディ・テラ大学、翌2019年にはマドリードで実施された米国のセント・ルイス大学のワークショップに参加していることである。前者は「キューバにおける変革と軍の新たな役割」、後者は「移行期における軍の役割」というテーマであり、いかにして軍を巻き込み体制転換につなげるかというものであった。
 ここに「非通常戦」というタイトルの訓練用回覧状(TC-1801)がある。2010年11月30日に米国陸軍省参謀本部から特殊部隊に向けて出されたものである。
 「非通常戦」とは何か。回覧状では冒頭で、「政府の転覆のために抵抗運動や反乱活動を発展させるための活動の全体」と規定され、そのための手段として「資金や技術や訓練を供与して傭兵を形成し、反政府ゲリラ活動や反乱を支援すること」、また、「米国のあらゆる政府機関との協力し、メディアや人権団体を活用するなど多面的措置をとること」が挙げられ、それによって「情勢を不安定化させ、あるいは市民戦争状態を創り出して、国民のモラル・ハザードを引き起こし、あるいは事態打開のために米軍の介入を求める雰囲気を醸成する」とされている。
 ここで思い出されるのは、世界で初めて選挙を通じて成立したアジェンデ社会主義政権が倒された1973年のチリ・クーデタである。大統領選直後には軍部右派がクーデタを試みたが、失敗した。しかし、その後、米国の制裁や反政府勢力の経済サボタージュにより経済情勢が悪化し、キリスト教民主党が政府から離反して与党の人民連合が議会内少数派へ転落すると「少数与党の独裁」を非難する声があがり、反政府運動が高まるなか、ピノチェト将軍が陸軍総司令官に就任し、クーデタが実現した。
 ごく最近の例では、2019年にボリビアのモラレス政権がクーデタにより崩壊している。モラレスは初の先住民大統領であり、先住民共同体を基礎とした社会の建設を目指していた。チリもボリビアも回覧状に示された手法通りに事態が進んだものであり、ここから「平和的デモ」とは何かが見えてくる。

広がる危機感-キューバ固有の国民性の綻び
 キューバは革命後間もない1961年の米国の傭兵軍の侵攻や1990年代のソ連解体による未曽有の経済危機など、これまでにもしばしば国家の存亡にかかわるほどの厳しい危機に見舞われてきたが、いずれも乗り切ってきた。フィデル・カストロの卓越した指導能力もさることながら、何よりも国民の統一が維持されてきたためである。それを支えていたのが「キューバ固有の国民性」であった。これは「クバニダ(Cubanidad=キューバ性)」と呼ばれているが、キューバの歴史と深く関わっている。
 「キューバ独立の父」ホセ・マルティが指導する第2次独立戦争が始まったのは1895年。マルティはキューバ上陸直後に戦死するが、独立軍がスペイン軍をあと一歩まで追い詰めたところで、98年2月、米国の軍艦メイン号がハバナ湾で謎の爆発事件を起こし、それを機に米軍が上陸した。その後、独立軍の頭越しに米国とスペインの間で和平条約が結ばれ、キューバは米軍の占領下におかれた。1902年に独立が認められるが、米国の介入を認めた「プラット修正条項」が憲法に挿入されるなど、米国の事実上の植民となり、砂糖の供給地や歓楽街として貧困や低開発に苦しんだ。「真の独立を実現し、すべての人々が人間らしく生きる社会を建設する」というマルティの夢は、いわば怨念のように後の世代に受け継がれ、キューバの「国民性」となった。キューバ革命の成功もこの「国民性」に支えられたものであった。因みに、キューバが「革命を守る」あるいは「社会主義を守る」と言う時には、こうした「マルティの理念を維持する」ということを意味している。
 しかし、長引く経済封鎖とコロナ禍のもとで「クバニダ」が綻びをみせている。
 キューバで初のコロナの感染者が発見されたのは昨年3月だが、第一波は広範な分野の専門知識の結集、対策決定への住民参加、地域に密着した医療制度などによって抑え込むことができた。ところが12月から感染者が急増し、7月から9月にかけて一日1万人近くに達した。石油や食料や医薬品などの不足のために、隔離施設の増設が間に合わず、感染者は治療薬もないまま自宅療養を迫られた。真夏に停電も頻発した。厳しい経済状況のもとで必死に努力し感染拡大を抑えたあとでもあり、国民の挫折感は大きかった。閉塞状況が続く中でやり場のない不満が鬱積し、人々はやる気を失い、労働意欲は後退し、住民の参加制度も停滞した。米国の「人心を変える」政策が効を奏する素地はあった。
 しかし、それだけではなかった。今、キューバでは抜本的な体制転換が進んでいる。革命直後から取られてきた独自の「平等主義体制」が人間の多様性と経済発展とに矛盾することが明らかになり、2011年の第6回共産党大会で新しい社会経済体制の導入が正式決定され、国有企業が独立採算制度への移行、協同組合や中小の民間企業の拡大などが進められている。今年に入ってからは福祉体制も「すべての国民に等しく社会サービスを提供する」制度から「弱者中心」の制度に転換した。それにともない賃金や年金が大幅に引き上げられたが、資金や原料不足のために生産は上がらず、インフレ状態のもとで生活苦にあえぐ人々が増えた。経済自由化が進むとともに所得格差が拡大し、黒人を中心に貧困層も増えており、差別意識や特権層へのねたみも聞こえるようになった。
 これに対し、ディアス・カネル大統領は「体制転換は必要、不可欠であり、後戻りできない。国民の合意を形成しつつ制度改革を進め、弱者に十分に配慮していくことがカギになる」として、住民や農民や労働、学生や研究者らと対話を重ね、貧困層への物資の無料配布や住環境の整備などに力を注いだ。こうして「平和的デモ」が予定されていた15日にはインターネット上では反政府SNSが飛び交ったが、街は静かであった。コロナ禍のために閉鎖されていた学校も再開された。ジュニオル・ガルシアはスペインに発った。
 国産ワクチンの生産が進み、国民の70%以上が接種を終了したこともあり、11月半ばにはコロナの新規感染者数は大幅に減少し、いよいよウイズ・コロナ、ニュー・ノーマルの段階に入ることになった。外国人観光客の受け入れも始まった。観光業は経済の重要な柱であり、関連産業も含め従事者は多い。ホテルやレストランの食材や施設の備品など農業や工業生産への波及効果もある。
 しかし、新しい体制のもとでは経済自由化が進む。市場原理が働けば格差拡大などの矛盾も生じる。政府は必死の努力を重ねているが、政策によってそれをどこまで抑え込むことができるか。経済が回復すれば「クバニダ」は再生するかどうか。
 一方、米国では「トランプ現象」はむしろ強まっているようにも見える。バイデン政権も「米国の限界」を乗り越えられないでいる。キューバにとって厳しい状況は続く。
Comment
管理人にだけ表示を許可する
 
TrackBack