2021.12.01  始まった?習近平の文化大革命(8)
        無数の文字の羅列から何を読むか

田畑光永 (ジャーナリスト)

 私はこのシリーズの報告を10月末までに7本書いて、11月初旬(8~11日)の中国共産党第19期6中全会の成り行きとかねて同会議で採択されると予告されていた中国共産党にとって3回目となるいわゆる「歴史決議」を待ち受けた。
 来年秋の第20回党大会で、習近平が「2期10年」というこれまでの総書記在任期間の慣例を破って、「3期あるいはそれ以上」の在任を目指すための予備工作が昨秋以来、各方面で続いてきたのを確認した上で、いよいよラストスパートへ向かってどういう形で進むのかが注目の的であったからである。
 結果はどうであったか。結論を言えば、はなはだ空しかった。拍子抜けしてばかばかしくなった。
 今度の6中全会で、まず筋道の通った説明をするべきであったのは、すでにこれまでにも指摘したように、最高指導者の実質的な終身制を廃止して、個人に権力が過度に集中することをなくすという、1980年代に鄧小平の主導のもとで確立された原則を、21世紀の現在、あえて破る理由、あるいは根拠である。
 これについては前にも書いたように、2014年に習近平自らが一国において民主主義が有効に働いているか否かは指導者が法律に基づいてきちんと交代するかどうかである、と演説し、さらにその演説は2019年にも党の理論誌『求是』に再録されていることもあり、それを変更するなら自らの態度変更をきちんと釈明するのは最低限の責任であるからである。
 しかし、それはなされなかった。
 また「歴史決議」についても、1981年に鄧小平の主導のもとに採択された、建国以来2回目の決議においては、毛沢東が発動した文化大革命について、「誤りであった」と総括し、毛沢東についても建国に至るまでの「功績」と晩年における「誤り」を併記して、客観的な評価をくだしている。今回、あえて3回目の歴史決議を行うとすれば、第2回決議とどこが同じでどこが違うかをはっきりさせることが期待された。
 さらにその鄧小平が実質的に指揮をとった1989年6月4日の「6・4天安門事件」で、民主化を求める青年や学生らに国軍の発砲によって300人以上の死者を出した。この件をどう総括するかは今回の歴史決議の欠かせない使命であったはずである。
 しかし、これらについて今回の決議はほとんど無言であった。
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 では、どんなことが書かれているのか。まず6中全会コミュニケのほんの一部(それでも長いが)、終わり近くの一節を紹介しよう。
 「党中央はこう呼びかけた。全党、全軍、全国各族人民は習近平同志を核心とする党中央を中心にいっそう団結し、習近平『新時代の中国の特色のある社会主義』思想を全面的に貫徹し、偉大な建党精神を大いに発揚し、過去の苦しみと輝きを忘れずに、現在の使命と責任を果敢に担い、未来の偉大な夢に応え、歴史を鑑とし、未来を切り開き、刻苦奮闘し、二つ目の百周年の奮闘目標の実現、中華民族の偉大な復興という中国の夢の実現に向けてたゆまず奮闘しなければならない。」(新華社の訳文による)
 下線を引いたところがこの文章の骨格である。「共産党中央は、全国民に習近平を中心に中国の夢の実現に向けてたゆまず奮闘しなければならない、と呼びかけた」と言っている。そしてこの部分を含むコミュニケが採択されたということは、これからも国民は中国の夢の実現に向けて習近平を中心に奮闘しなければならない、つまり「習近平が最高指導者であり続けると確認された」ことになるのであろう。これによってさまざまな疑問を放置したまま、党内的には習近平の続投方針が既定の事実となったわけである。
 では「歴史決議」を覗いてみよう。歴史決議は中国語で約3万6000字。日本語に訳せばおそらく6万字近くになると思われる長文である。その中で、1950年代後半から文化大革命を挟んで70年代なかばの毛沢東の死までの激動期の記述は300字あまりでしかない。その部分を日本語にしてみる。
 「遺憾なことに、党の第8回大会で打ち出された正しい路線は完全には守られなかった。前後して大躍進運動や人民公社化運動などの誤りが出現し、反右派闘争もひどく拡大化された。当時の厳しく複雑な外部環境に直面して、党は極度に社会主義政権の強化を意識し、各方面にそのための努力を注いだ。
 しかし、毛沢東同志の社会主義社会における階級闘争の理論と実践上の誤りはますますひどくなり、党中央もそれをすみやかに正すことが出来なかった。毛沢東同志は当時のわが国の階級情勢および党と国家の政治状況を完全に誤って判断して、文化大革命を発動し、指導した。林彪、江青の二つの反革命集団は毛沢東同志の誤りを利用して、国をも民をも傷つける罪悪活動を行い、十年の内乱をもたらして、党、国家、人民に新中国成立以来のひどい挫折と損失を与えた。この教訓はまことに痛切である。
 1976年10月、中央政治局は毅然として党と人民の意思を執行し、『4人組』を粉砕して、『文化大革命』の災難を終息させた。」
 このあたりの歴史については、すでに「1981年の歴史決議」という手本があるので、それを下敷きにしていることは、今度の「決議」自体が認めている。読み返してみての印象では、毛沢東の「誤り」を指摘はするものの、そのよって来る所以については口をつぐんでいるという印象はぬぐえない。
 さて、1989年の「6・4事件」はどうか。これには驚いた。
 「国際的な反共、反社会主義の敵対的な勢力の支持と扇動により、国際大気候と国内小気候が1989年の春から夏に向けてわが国に重大な政治風波をもたらした。党と政府は人民に依拠し、旗幟鮮明に動乱に反対し、社会主義の国家政権を守り、人民の根本利益を守った」と、たったこれだけである。
 あの年、社会主義圏に起こった大規模な民主化運動は最終的には第二次大戦終結後に誕生した東ヨーロッパの社会主義圏を消滅させた。しかし、中国では軍隊が自国民に銃弾を放ったことで政権は命をつないだのであった。
 最終的な評価はそれこそ後世の史家の判断に俟つしかないにしても、「政治風波」という言葉は意図的にことを片隅に押しやって、正視に値しないものと扱う姿勢を明らかにしている。あの日、犠牲となった300人を超える人々がこれを知ったら何と感ずるだろうか。
 この2つの文章を紹介したのは、文化大革命と89年民主化運動という中国共産党史における「大事」をきわめて通り一遍の言い方ですませていることを知っていただきたかったからである。それを次に掲げる習近平の事績についての記述と比べてみれば、この「決議」の、ということは、現在の中国共産党にとっての中心課題がどこにあるかがはっきりする。
 では、習近平のこれまでの事績はどのような描かれ方をしているか。
 「習近平同志は新時代の党と国家の事業の発展に関係する一系列の重大な理論的、実践的な問題を深く考え、科学的に判断して、新時代においてはどのような中国の特色を持った社会主義を堅持し、発展させるか、中国の特色をもった社会主義をどのように堅持し、発展させるか、どのような社会主義現代化強国を建設するか、どのように社会主義現代化強国を建設するか、長期間政権の座にあるどのようなマルクス主義政党を建設するか、長期間政権の座にあるマルクス主義政党をどのように建設するか、などの重大な課題について、一系列の独創的な国家統治の新理念、新思想、新戦略を提出した習近平新時代の中国の特色を持った社会主義思想の主要な創立者である。
 習近平新時代の中国の特色を持った社会主義思想は現代中国のマルクス主義であり、21世紀のマルクス主義であり、中華文化と中国精神の時代的精華であり、マルクス主義の中国化の新たな飛躍である。」
 この一節をおしまいまで飽きずに読んでくださった方は相当な忍耐心の持ち主と敬服するが、前段は「習近平同志は」が主語で、最後の「主要な創立者である」が述語という構成の簡単な構文である。しかし、その間にまあなんと多数の形容詞が並んでいることか。いくら政治宣伝文にしても、普通はここまでくどくどと言葉を重ねることはしない。たとえ国は違っても、そうだと思う。書き手にしてもこんな文章は書きたくないはずだ。
 それなのになぜこんな文章が登場するのか、それもこれだけではない。見てきたように、歴史の「大事」は通り一遍に書き流して、こと習近平となるとこういう文章がとめどなく続くのだ。
 答えは簡単だ。習近平が好むからだ。それ以外に理由は考えられない。この冗長でくどい文章はなにを物語っているのか。次回はそれを考える。
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