2021.12.24 住民投票
韓国通信NO685

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

 東京武蔵野市の住民投票をめぐる騒ぎ。
 市の条例案に外国人が含まれていることを一部住民が問題視したためだ。「いいがかり」としか言いようのない抗議をメディアが取り上げさらに波紋を広げた。取り上げる価値のない話。メディアは毅然とした態度で臨むべきだ。

<住民投票は民主主義の基本>
 誰でも安心、安全な町に住みたいと願う。市政の重要な問題について、市民が住民投票をとおして市政に参加するシステムが住民投票制度だ。
 投票結果を市や議会は尊重することが求められるが、従う義務はない。
 「ご意見として承ります」。政府や官僚の不誠実な答弁を聞きあきた者には住民投票は無意味なように感じられかも知れない。だが地方政治にとって民主的な手続きに則った投票による市民参加を保証することの意義は大きい。
 武蔵野市で問題となっているのは投票資格に外国人が含まれているためだが、懸案の地方参政権の問題とは別の話だ。「ユルユル」の最低限の民主主義の実践である。
 外国人が市民の一人として住民投票に参加することへの異議申し立ては感情的な排外主義の何物でもない。わが国には300万人(全人口の約2%)近い外国人が住んでいる。地域によっては労働・教育・文化などの貴重な担い手、存在になりつつある。

<我孫子市の場合>
 我孫子市では2004年に外国人を含む市民投票条例が制定された。現在約2千人の外国人が暮らす。ある議員は「外国人を含む条例は議会で自然に理解されていた」と当時を振り返る。議会外でも問題とされなかったようで、私も武蔵野市の問題が話題になるまで条例の内容を知らなかったくらいだ。もちろん20年近くたった現在でも問題が生じたこともなければ疑問視する住民もいない。

 スポーツを通して差別のない平和な世界を目指すオリンピックが開催された年に、人種・国籍を越えた共生社会に真っ向から反対する人たちの傲慢な振る舞い。
 先進的とは言わないが、極めて常識的な条例を他の自治体に先がけて条例を定めた我孫子市とは今昔の感がある武蔵野市をめくる異常ともいえる騒ぎである。在日外国人にかかわる些細な問題に大騒ぎをするようなになったのは最近のことだ。日の丸中心の閉鎖社会で、言論・表現の自由が脅かされるまでになった。
 人手不足を補うために過酷な労働条件で外国人労働者(172万人)を酷使する。外国人に対する敬意もなく使い捨てる日本社会が問われていないか。
 私の手帳の「忘れられない人」欄には名古屋入管で殺されたスリランカのウィシュマ・サンダマリさんの名前が書き記されている。日本の夜郎自大な態度が目に余る。

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