2021.12.25 岸田文雄とは何者か
-21世紀の近衛文麿か-

半澤健市 (元金融機関勤務)

 2021年10月3日に発足した岸田文雄内閣は3ヶ月目を迎えた。
憲政史上100代目の内閣について、蜜月期間の終わる前に早めの総括を書いておきたい。

《国会答弁は役人的答弁に徹している》
 コロナ禍の部屋籠もりで国会中継を見ていた。安倍・菅内閣の不具合隠蔽体質は見事に引き継がれている。「民主政治」を自称する政治権力がファシズムに如何に近づいているかを見せつけている。

①具体的な質問には一般論で逃げ、②抽象的な質問には説得力のない拒否か無視をする。無意味な「しっかり」や「必要があれば」を多用する。2021年12月18日「東京新聞」記事から、予算委員会での実例を挙げる。足立・音喜多議員とのやりとりは①の例、小池議員とのやりとりは②の例である。

足立信也(国民) 政府の統計を正すと約束してほしい。
岸田首相 誰の指示だったか、経緯も含めて明らかにしなければならない。実態との乖離が明らかになれば、しっかりと説明する。
音喜多駿(維新) デジタル化で、全行政文書の永久保存や改ざん防止などに取り組むべきだ。
岸田首相 公文書管理は民主主義の根幹だ。政府はルールの見直しやチェック機能の整備を続けてきたが、デジタル化は大きな決め手になる。デジタル庁中心にしっかり進めたい。必要であれば法改正をする。

小池 晁(共産) 赤木俊夫さんの妻雅子さんに会って謝罪と説明をすべきだ。
岸田首相 本件とは別に訴訟が進んでいる。直接お会いすることは慎重でなければならない。私自身も国会やさまざまな場を通じて、説明責任に応えていかければならない。
小池 晁 真摯にやると言いながら、具体的なことは否定する。安倍、菅政権と同じだ。当事の理財局長佐川宣寿氏ら五人の参考人招致を求める。(理事会で協議となる)

 このように、当事者意識に欠けた無責任な言葉を岸田は次々に繰り出すのである。メディアも良くない。「しっかり」「必要があれば」「あらためて」「明らかにしなければならない」といった「言っても言わなくてもよいセリフ」「無意味な修辞」は活字にせず、「拒否した」、「回答しなかった」、「無視した」と書くべきである。

《岸田は思想・学問・学者を侮蔑している》
 岸田候補が、総裁選で「新自由主義からの転換」を掲げたのが唯一私の関心を惹いた。
我が祖国の「失われた30年」は「新自由主義」から生まれたからである。されば岸田は本気で転換するのか。

 一体、資本主義とは何者か。転換論議はここから出発せねばならぬ。
スミス、マルクス、レーニン、ケインズ、シュンペーター、ウェーバー、何ならサミュエルソンを入れてもいい。彼らは各システムの理論の構築とその実践に命を賭けたのである。
 岸田内閣の立ち上げた「新しい資本主義実現会議」のメンバーと提言を見よ。官邸のサイトに出ている。
 財界団体、企業寄りシンクタンク、労組全国組織リーダー、名前を聞いたこともない学者・研究者。メンバーはその連合軍である。提言は現在の「資本主義」概念で容易に説明できるから、私はこの「会議」の必要を認めない。そして提言は実にチマチマしている。
 現有既得権の分配と新設を霞ヶ関用語で陳列しているだけである。

 こんな組織と提言を「新しい資本主義」という岸田には、思想・学問・学者への畏敬の念が感じられない。そして不遜なこの政治家が、凋落過程にある日本の学問研究を再建できるとは到底思えない。

《岸田はどんな主張をしているのか》
 ここまでの記述で、岸田首相はあまり主張をしない人間、消極的な人物のように見える。人の話はよく聞くが他人の悪口は言わないとも報道されている。

 しかし12月6日臨時国会の所信表明演説では、「第2次安倍政権が2013年に策定した中長期指針〈国家安全保障戦略〉の初改定を1年以内に行ない、弾道ミサイルを相手国領域内で阻止する敵基地攻撃能力の保有も含め〈あらゆる選択肢を排除せず検討する〉」と強調した。安倍晋三元首相は既に12月1日の台湾問題のシンポジウムで「台湾有事は日米有事」と発言している。
 両者がどこまで連携しているかは不明だ。しかし自衛隊海外派兵のための事前行動である感が強い。「あくまで選択肢と言ったのだ」と予防線を張る岸田は決してハト派ではない。これらの発言には与党公明党が否定的な発言をし、韓国メディアも批判色の強い報道をしている。しかし日本のメディアは、政権の「問題設定」自体を根本的に批判しない。

 開戦記念日前後に、日米開戦に際して庶民が厭戦派から開戦派と転向していくテレビ番組が放映された。メディアの影響力と庶民の気分変化は劇的なものだったことがわかる。

 以上の三点に絞って考えた私の岸田文雄論の結論は、「究極の機会主義者(オポチュニスト)」だというものである。機会主義者は、情勢の推移をじっと見ていて、そのベクトルに乗る人間である。
 太平洋戦争への「ポイント・オブ・ノーリターン」となったのは「日独伊三国同盟」(1940年)の締結とするのが近代史の定説である。時の首相は近衛文麿でという貴族であった。「人の話をよく聞く人間」だった近衛は、典型的な機会主義者として政治史にその名を残している。岸田が近衛の後裔だとは言わぬ。しかし岸田を見るときの留意点の一つであろうとは記しておきたい。(2021/12/20)

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