2022.01.04 政党の内なる民主主義について
――八ヶ岳山麓から(356)――
              
阿部治平 (もと高校教師)

 共産党の志位和夫委員長は12月16日の記者会見で、連合の芳野友子会長が15日掲載の産経新聞インタビューで「民主主義の我々と共産の考え方は真逆」と述べたことに対し「民主主義の党でないとおっしゃるなら全く事実と異なる。具体的に根拠を示してほしい」と反発した。
 志位氏は、芳野氏が「共産は指導部が決めたことを下におろしていくトップダウン型」と述べた点についても「共産党指導部はトップダウンで現場に押しつけるやり方はしていない。党運営もだが、党外との関係では現場の民主主義をうんと大事にしている」と反論した。「根拠なしでは、労働運動のナショナルセンターのトップの発言として認めるわけにいかない」とも述べた(産経 2021・12・17)。

 わたしも、連合の吉野会長が共産党の存在を忌み嫌い、今回総選挙の立憲民主党と共産党との共闘を非難し、共産党を野党共闘から排除しようとするのは、労働組合の在り方として受入れることはできない。これでは労働者のナショナルセンターというより、まるで自民党の別動隊だ。
 ところが、これに対する志位委員長の反論には、同情はするがすべてを納得するわけにはいかない。共産党は外に対しては民主主義を求めることしきりだが、組織運営は本当に民主的だろうか。以下共産党を応援してきたものとして、日ごろ感じている疑問と批判を思いつくまま述べる。

共産党の組織原則は民主集中制である
 ロシア革命の中でレーニン率いるボリシェヴィキが1921年革命の危機に瀕して採用した組織原則である。簡単にいえば、下級は上級に従い、少数は多数に従い、組織の水平的交流と分派を禁止するというもので、これを「鉄の規律」とか「一枚岩主義」と呼んだ。当時でも党内民主主義の圧殺だと批判された代物である。
 日本共産党は中央――都道府県――地区――支部という形で組織されているが、県、地区、支部など各レベルの横の自由な交流が許されない。このために、党中央の幹部が全国的な情報を独占する。よくいえば唯一の賢者、実際上は専制支配者になりがちだ。
 志位氏はつねづね常任幹部会などで議論しているから、自分は民主的だと思っているらしい。だが、中央委員会の衆院選総括など重要事項の決定には、一般党員は参加できない。決定事項は党員が読んで学習し、励まされるものとしてだけ存在する(時々「赤旗」に「読了率」が掲載される)。だから党員は、どうしても上級機関の指示待ちになる。
 この点、トップダウンだという批判は当たらずといえども遠からずといえよう。

これに関連して指導者の個人崇拝の問題がある
 スターリン・毛沢東の例を見るまでもなく、これは民主主義の対立物である。日本共産党には不破哲三という巨大な存在がある。氏は資本論研究などによってマルクス主義を新たな地平に高めたとのことで、党内で大いに持ち上げられているらしい。
 氏は2004年中央委員会議長時代に新綱領作成を主導し、「中国は社会主義をめざす新しい探求が開始された国家」であると(私から見ると現実離れした)規定をしたほか、議長退任後も中国と理論交流をつづけ、胡錦涛時代の中国社会主義をすばらしく高く評価したことがある(『激動の世界はどこに向かうか―日中理論会談の報告』新日本出版社 2009)。
 ところが、2020年の28回党大会で志位委員長は、不破氏が肯定した胡錦涛時代の2008、09年前後に中国の大国主義・覇権主義・人権侵害が現れたとした(大国主義・覇権主義は帝国主義のある側面を指す言葉である)。新しい党綱領は「中国は社会主義を目指す国」という規定を取消した。
 たくまずして志位氏は、不破氏の重大な間違いを指摘したのである。普通の政党なら、不破氏はここで自己批判し、常任幹部会員を辞任するところだ。にもかかわらず、氏は依然指導者の地位を占めている。これは21世紀の個人崇拝ではないか。

 「党内に派閥・分派は作らない」「党内のだれでも批判できる」という規定がある。また中央委員会や地方組織は構成員の3分の1以上の要求があれば、総会を開かなければならないとされている。
 1986年、伊里一智という党員が宮本顕治氏の議長辞任を求めて他の代議員に働きかけたことがある。これを志位氏が中心になって分派活動と断定し、除名した事件があった。このやり方が今日も通用しているとすれば、志位・小池両首脳に衆院選敗北の責任を認めさせ、更迭しようとしても方法がない。これでは「批判は自由」だの「3分の1以上……」だのは無意味である。
 これに関連して、規約は「国際的・全国的な性質の問題については、個々の党組織と党員は全国方針に反する意見を、勝手に発表することをしない(日本語として少々おかしいが)」と定めている。
 では、ある党員が28回大会決定に反して、「中国は生産手段の社会化を実現しており、国有資本が重要産業を支配しているから社会主義経済体制だ」という見解を公表したとしよう。これは「国際的性質の問題についての意見」である。
 ところが志位氏は大会で、「(中国をどういう経済体制とみるかについては)個々の研究者・個人がその見解を述べることは自由だ」と発言している。委員長の一存で規約条文を無視したのか。
 そもそも、21世紀の日本で政党が分派の禁止、言論の自由制限などやるから混乱するのだ。自由とはつねに思想を異にする者のための自由である。民主社会の政党は、国政選挙など重要な政治課題での行動の統一が図られればそれで十分である。実際には共産党も、党員に対してそれ以上の締付けはできていない。むしろ自民党の派閥とは異なる内容の「理論分派」が存在し、公然たる論争が行われることは好ましいことではないか。

共産党も、すべての指導機関は選挙によってつくられる
 党員は党内で選挙し、選挙される権利がある。党のすべての指導機関は、党大会、県や地区の党会議、支部総会で選挙によって選出される。
 支部総会で党員は支部指導部を選ぶが、地区以上は間接選挙である。自民党や立憲民主党は全国組織の総裁・代表を党員や党友などによる直接投票で選ぶが、共産党は党大会で代議員が選ぶから、一般党員が県や中央幹部の選出に直接かかわる権利がない。
 「選挙人は自由に候補者を推薦することができる」という条文がある。では党員が自分を推薦して立候補したとき当選の可能性はあるか、おそらくないと思う。
 規約には「指導機関は、次期委員会を構成する候補者を推薦する」とあるから、自薦候補者は推薦名簿に入ればともかく、そうでない限り代議員多数の支持を得ることはできないだろう。
つまり党規約は、次期中央委員会も現中央委員会の(実際には常任幹部会などの)おめがねにかなったメンバーが推薦され選ばれるようにできている。
 そのうえ規約には、役員の任期制限、年齢制限がない。不破哲三氏は91歳で常任幹部会員だ。志位氏ですらすでに67歳、1990年に書記局長、2000年に委員長になってから、実権の有無は別として30年以上も指導者の席にとどまる。この間党勢は漸減の一途だが、引責辞任はないだろう。かくして人事は停滞し活動は沈滞する。
 
結論をいう
 共産党という党名とともに、民主集中制という組織原則は「古い上着」である。これを脱ぎ捨てないと共産党は飛躍できない。共産党員は多数者革命を夢見ているかもしれないが、外から見るとすでに半分が年寄りのサロンと化している。しかもこの規約では、ことあるたびに非民主的政党だという批判は起きるだろう。
 旧時代の左翼分子としては、社会党が消え、共産党まで肉体的衰弱によって死滅されてはたまらない。わたしは共産党の再生のために、今後何回でも、以上のような意見を言い続けるつもりである。(2021.12.24)
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