2022.03.12 二十世紀文学の名作に触れる(23)

   ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』――驚きと感動の名作

                      
横田 喬(作家)


 世界は1962年、驚きと感動で小説『イワン・デニーソヴィチの一日』の出現を迎えた。八年後にノーベル文学賞を受賞する無名の作者は地方の中学の一教師ながら、その文学的完成度は抜群。スターリン暗黒時代の悲惨極まる強制収容所の一日をリアルに、時には温もりを込めて生き生きと描く。ちょうど今ロシア軍がウクライナへ問答無用に武力侵攻し、旧ソ連KGB(国家保安委員会)高官出身のプーチンの危険な体質を露呈している。旧ソ連社会の酷い現実をまざまざと伝える傑作(新潮文庫版、訳・木村浩)を、私なりに紹介する。

 午前5時、起床の鐘が鳴る。中年男のイワン・デニーソヴィチ・シューホフが寝過ごすことは先ずない。窓の外は真夜中同様に未だ真っ暗闇だ。1943年、戦線からラーゲル(強制収容所)にぶち込まれた新入りの彼に、最初の班長(既に12年もここで暮らす古狼)はこう説教した。「ここにはタイガ(密林)の掟がある。くたばっていく奴は、他人の飯皿を舐める奴、医務室を当てにする奴、仲間を密告に行く奴だ」。

 零下27度の極寒の中、囚人たちは員数確認と身体検査のため、戸外で長時間整列させられる。ラーゲル生活未だ三か月のブイノフスキー元海軍中佐がしびれを切らし、抗議した。
 ――君たちも極寒の中で、人を裸にする権利は持ってないはずだ! 君たちはソヴィエトの人間じゃない! コミュニストじゃない!

 監督官のヴォルコヴォイ(ロシア語で狼の意)中尉が凄まじい形相で「十昼夜の重営倉!」と怒鳴り返す。但し、昼間の作業人員が少なくならないよう、監獄入りは夜になってからだ。
 この元海軍中佐は大戦中、英国の巡洋艦へ連絡将校として派遣され、戦後になってから「(その折)英国の提督から記念品が贈られた」かどでラーゲル送りとなった生粋の武人だ。不条理で理不尽な事態に、やむにやまれぬ思いで抗議する心情は無理からぬものの・・・。

 睡眠時間を別にすれば、囚人たちが自分たちのために生きているのは、朝飯の十分、昼飯の五分、晩飯の五分だけだ。野菜汁の実は年中、変わらない。去年は人参の実だけ、今は真っ黒になったキャベツばかり。小魚は骨だけで、カーシャ(粥)は味も素っ気もない。
 シューホフは朝食用の配給食糧(パンと小さな白砂糖一塊り)を所属する第一〇四班の副班長から受け取ると、緩い駆け足で宿舎へ戻った。(パンは規定の五百五十㌘はあるだろうか?二十㌘は足らんな!)パンを二分し、片方は保存用にマットレスの隠し場所へしまう。

 夜が明け始め、囚人部隊は護送兵たちに付き添われ、かなり遠方にある暖房発電所の作業現場へ向かう。空きっ腹に悩まされながら、シューホフは真っ白な雪肌が続く荒野をひたすら進んでいく。嘗てとても幸せな一時期があり,誰彼の別なく刑期は十年と決まっていた。が、49年このかた、事情は一変する。今度は誰も彼も二十五年と相成ったのだ。十年なら、何とか野垂れ死にせずに生き抜くこともできようが、二十五年ではとても無理だろう!?

 書類によると、シューホフの罪は「祖国への裏切り」。真相は42年2月、西部戦線でドイツ軍に包囲されて捕虜となったが、仲間四人と脱走。奇跡的に友軍と出くわすが、捕虜だったと正直に言ったばかりに「裏切り者」扱い~即ラーゲル送り、と相成る。書類への署名を拒めば、たちまち経帷子を着せられる。言いなりにすれば、未だ少しは生きられるから。

 到着した目的地には有刺鉄線が張り巡らされ、広々とした建設現場が開ける。第一〇四班は建てかけ中の暖房発電所の建物整備が任務だ。シューホフはラトビア人のキルガスと組んで二階の壁用のブロック積みに就く。両人は度々一緒に仕事をする仲で、お互いに相手を大工として、また石工として尊敬し合っていた。ラーゲルはノルマをこなさねばならない。
 ラーゲルは建設工事で何千ルーブルという荒稼ぎをし、配属の将校連に賞与を出している。かの悪名高いヴォルコヴォイの鞭手当も、これで賄われている。そして、囚人たちにも晩飯のパンが二百㌘割り増しされるのだ。ここでは二百㌘の差は、とても大きな意味を持つ。

 作業現場用の食堂は、ちっぽけな掘っ立て小屋だ。仕切り板で炊事場と食堂が分けられ、床は張ってなく土間のまま。夏はからからに乾き切った風が、冬場は肌身を刺す極寒の風が容赦なく吹き込む。木立が一本もない荒野の上を、風がひゅうひゅうと吹き荒れている。
 粥ができると先ず衛生指導員、次いでコック、そして当番班長の御出ましだ。試食を名目に食い放題、腹の皮が突っ張るほど、試食していく。それからようやく汽笛が轟き、班長たちが次々やって来て、コックから飯皿を受け取る。粥は飯皿の底を隠す位しか盛られていない。が、そんなことは口に出せない。文句を言おうものなら、大目玉を食うのが関の山だ。

 シューホフはコックの目を巧くちょろまかし、二皿分を自分用にせしめ、粥を食べ終えた。内ポケットから襤褸切れに包んだパンの皮を取り出し、それで皿の底や周りの燕麦粥の残り滓をきれいに拭い取る。皿は洗ったように綺麗になった。彼は詰所に近い丸太小屋の事務所に立ち寄る。班長のアンドレイがペーチカのそばで赤軍兵士の頃の思い出話をしていた。
 ――連隊長に「貴様の親父はクラーク(富農)じゃないか!この犬め!」と罵られ、営門より放逐となった。ところが、奴さんも、政治委員も、37年に仲良く銃殺されちまった、とさ。もう、プロレタリアだろうが、クラークだろうが、滅茶苦茶ってわけよ。

 午後の務めはブロック積みだ。ガス発電用の建物の二階にブロック壁を積み上げていく。
班長が指示し、二人ずつ組んで作業に当たる。シューホフは、相棒のセンカに要領を教えてやり、手斧を使って氷搔きに取り掛かる。針金箒を手に、先ず上段ブロックをきれいにしていく。細紐をブロックの上端に張り渡し、どこにどう積めばいいか、センカに説明してやる。桶からモルタルを直に掬い、壁に塗り付けていく。
 
 仕事に油が乗ってくると、もう酷寒を感じなかった。モルタル運びをする中佐は要領を覚え、段々機敏になってきた。が、相棒のフェチュコーフは逆にのろのろサボり始める。シューホフは怒鳴りつけた。「この悪党め!てめぇが支配人だった頃は、労働者を絞ってただろうが?」。お天道様は沈みかけている。それにしても、作業は大したはかどりようだった。

 その晩、シューホフは食堂まで突っ走った。各斑が一度に押し寄せたためか、行列でえらい人混みだった。やっとの思いで中へ滑り込み、空いている盆をかっさらう。窓口で目を凝らし、実が注がれた皿と注がれてない皿をしっかり見分ける。実があるのばかり十皿を盆に載せ、班の仲間たちの所に流れるような足取りで一滴もこぼさずに運ぶ。
 彼は役得として二皿分をせしめ、先ず両方の汁だけ飲み干し、残った実(キャベツとジャガイモ)を一皿に集めてゆっくり味わう。(今日はお祭りみたいなものだ)昼飯も二人前、晩飯も二人前。(パンまで食べたら、満腹し過ぎる)パンは明日のためにとっておこう!

 シューホフは自分のバラック(あばら家)へ戻った。手許には六百グラムのパンがあり、マットレスの中にもたっぷり二百グラムはある。(この二百グラムは今からかじり、明日の朝に五百五十は食べ、作業には四百を持っていこう。こりゃ、すげぇ!)
 中佐も明るい顔で戻って来たが、じきに看守の若者が中佐を引っ立てにやって来る。営倉は床がセメント張りで小窓一つなく、寝床は剥き出しの板切れ。食事は一日三百グラムのパンと、三日に一度の野菜汁だけ。十昼夜もぶち込まれたら、もう死ぬまで健康は回復しない。

 夜の九時、古狸で極め付きの悪党のバラック長がみんなを戸外に整列させ、点呼をかける。奴はお尋ね者の刑事犯で、睨まれたら事だ。みんな慌てふためき、戸外へ飛び出す。二回も三回も人員点検が行われ、十時前には終わらない。それでいて、翌朝は五時起床と来るのだ。
 シューホフの寝支度は簡単だ。黒っぽい毛布をマットレスからはがし、そのマットレスの上に横になるだけ。頭はカンナ屑を詰めた枕に載せ,両足は防寒服へ突っ込み、毛布の上にジャケツを引っかける。(主よ、お蔭様で、また一日が暮れました!営倉にも入れられずに)

 が、ここでなんと再度の点呼!寝入りばなをくじかれ、忌々しい限りだが従うしかない。どうにか務めを済ませ、極寒の表から有難いバラックへ戻る。お人好しのアリョーシカにビスケットを一枚やり、自分はソーセージを一切れ頬張った。残りは明日のためにとっておく。
 シューホフは、すっかり満ち足りた気持ちで眠りに落ちた。こんな日が、彼の刑期の初めから終わりまでに、三千六百五十三日もあった。閏年のために、三日のおまけがついたのだ。
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