2022.04.06 中国にとってのウクライナ問題の深刻さ
―習近平政権の2022年(3)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 私は1月末にこのシリーズの原稿を(2)まで書いて、2月は4日から冬季五輪が始まるので、しばらく政治の動きは止まるはず、と五輪騒ぎの終わりを待った。ところが冬季五輪が終わるやいなや、ロシアのプーチン大統領がウクライナへの武力侵攻を始めたので、さしもの習近平も秋の党大会対策はしばらく脇へ置かざるを得なくなったようである。
 確かにウクライナ問題は、習近平にというより、中国にとって、容易ならざる選択を迫っているように見える。そこで私もここは中国共産党の党内問題をひとまず脇において、ウクライナ問題と中国を考えてみたい。
 それにしてもロシアのプーチン大統領がウクライナへ武力侵攻という思い切った乱暴狼藉に出て、世界中から指弾を浴びている中で、中国が国連総会でのロシア軍の撤退を求める決議(3月2日)にも、また同軍の無差別攻撃を非難する決議(同24日)にも、いずれも「棄権」という大国にあるまじき不甲斐無い態度に出て、普段の偉そうな振る舞いとは似ても似つかぬ弱虫野郎と見下げられるとは、なんだか世界の構造がこの件を契機に急にこれまでとは変わってしまったような印象さえ受ける。
 世界が「米中2強対立」という新しい色に染められたと思った矢先に、うんと簡略化して言えば、世界の構造は「米・欧・日vsロ・中」という70年近くもの昔に先祖返りしてしまった。ということは、われわれもこれまでの「世界観」を変えなければならないのであろうか。それとも現状はこれまでの延長線上の1つの現象にすぎないのか。
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 これまでの大国関係の経過をごく大雑把に振り返っておくと、1945年に第2次大戦が終わった段階では、世界の対立軸は勝った連合国「米・英・中・ソ(ロ)」vs敗れた枢軸国「日・独・伊」であった。しかし、この構図は1947年の東西冷戦開始、そして49年の中国共産党の内戦勝利に続く50年の朝鮮戦争の勃発で、「西側(韓・米ほか)vs「東側(北朝鮮・中)」という東西対立の図式に変わる。
 1953年、朝鮮半島が休戦となると、50年代から60年代にかけては、ソ連に対する東欧(ハンガリー、ポーランドなど)の反乱、それに中・ソの路線対立と、社会主義陣営内部の矛盾が表面化する。続く60年代は、毛沢東の「ソ連とは1万年でも論争する」との言葉に象徴されるように、中ソの対立が激化。69年には極東ウスリー江上の島(ダマンスキー島)の領有を巡って中・ソの武力衝突が発生した。
 東西対立がいつの間にか東側内部の抗争が主役の座を占め、東西対立の最後の炎だったベトナム戦争に手を焼いていた米と、ソ連の脅威に慄いていた中国が手を結ぶという、当然の成り行きのごとくでもあれば、破天荒の奇策とも見えた1971年7月のキッシンジャーの隠密訪中から翌年2月のニクソン米大統領訪中となり、東西対立の東側は大きくひび割れした。
 そして1970年代末に中国では毛沢東亡き後、鄧小平が文革での失脚から復活して、改革・開放政策への転換を主導し、日本を含め多くの西側諸国との経済的、人的交流の門戸を開き、大胆な外資導入による経済成長優先の路線を進みだした。
 一方、ソ連でも1980年代半ばにゴルバチョフが登場し、ペレストロイカ(改革)を打ち出して、旧来の社会主義からの脱皮を目指した。ここで特記すべきは中国とちがってソ連は言論・表現の自由化(グラスノスチ)を思い切って進め、その流れの中で89年の民主化運動がベルリンの壁の撤去、各国共産党の解党、米ソ首脳会談による東西冷戦の終焉へと続き、一気に変革(社会主義の否定)が進んだ。1991年8月、ゴルバチョフがソ連共産党書記長を辞任し、その翌日、ソ連共産党も解散して1917年革命以来の「ソビエト」の歴史に終止符が打たれたのだった。
 一方、中国における鄧小平の改革開放政策は、経済の市場化、外資導入による成長は大胆に進めながらも、言論・表現の自由化は固く禁ずる姿勢を変えず、共産党の独裁体制には指一本触れさせない方針を貫いた。ヨーロッパに連動して中国でも89年に広汎な大衆の民主化要求運動が燃え上がったが、6月4日、軍隊の発砲による三百人を超える犠牲者(公式発表)を出して、運動は抑えこまれた。いわゆる(第2次)天安門事件である。
 皮肉なのはソ連と中国の社会主義が一方は名実ともに消滅する過程の中で、もう一方は名だけは頑固に保持するために民主化運動をまさに弾圧せんとするさなかの1989年5月、ゴルバチョフが北京を訪れて両国共産党の和解が実現したことであった。
 和解と言っても、60年代の対立は、中ソ両国ともなお社会主義の看板を掲げる中での正統争いであり、それが小なりとはいえ領土争いで銃火を交えるまでに至ったのに対して、89年5月はすでにどちらも社会主義から遠ざかろうとするいわば道連れの関係であったから、特に画期的な出来事とは受け取られなかった。 
 その後の両国関係は「疎遠な縁戚」とでもいったような感じで、互いにとくに好意を示すでもなく、と言って喧嘩するでもなく、ロシアの天然ガスを中国が買う取引が互いを結び付けているだけといった関係であった。その間、21世紀の10年代、中国に習近平政権が誕生して、「一帯一路」を旗印に中央アジアから中東欧に手を伸ばしたことで、中ロ関係はやや緊張含みでさえあった。
 その中国が今やプーチンのウクライナに対する侵攻を「見たくない事態」というのが精いっぱいで、批判めいた言葉は一切口にしないというのは、いったいどういう風の吹きまわしであろうか。
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 最近の国連のニュースを見ていると、主舞台である安保理(安全保障理事会)ではロ中が拒否権を行使する場面がよく見られる。第二次大戦後の国連発足当初に、ソ連のグロムイコ外相が「ミスター・ニエット(ノー)」の異名に恥じず、事あるごとに拒否権を振り回したことを思い出す。
 当時の東西対立は大げさに言えば、互いに相手の体制を地球上から消滅させようとする対立だったから、見るほうもそれを当たり前のこととして見たものだが、今の西側vsロ中の対立はいったいその核心には何があるのだろう。昔の資本主義か社会主義かの対立はもうない。すると民主国家か独裁国家か、というくらいしか思い当たらない。
 とはいえ、ロシアではさまざま議論はあるにせよ、一応、選挙で大統領は選ばれるし、世界には選挙で選ばれる独裁者というのもかなりいる。中国は文字通り中国共産党と習近平の独裁国家だが、中国の政権は自分たちの制度は「全過程民主だ」と独自の民主主義を標榜して、民主主義を否定しているわけではない。つまり、言葉どおりの民主か独裁か、だけでは割り切れない。
 しかも今回のロシアのウクライナ侵攻はロシアが民主的か否かにかかわりなく、また歴史的経緯はどうあれ現に独立国家である他国へ一方的に武力で押し入ったのだから、主義主張とは関係なく、不法行為である。それを非難できない中国の理屈はなんなのか。安保理の常任理事国として、「見たくない」だのなんだのと理屈にもならないことを口にして、肝心な点で口を濁すのははなはだ卑怯と言わざるを得ない。
 中国にしてもこんなことは言わずもがな、よくわかっているはずである。にもかかわらず、「よくない」「やめろ」という普通の言葉が言えないのには、両者に共通の事情があるはずだ。
 と言って、ここでシルクハットから鳩を取り出して拍手を取るような離れ業が私にあるわけはない。その共通の事情とは、プーチンも習近平もとにかく自分を大きく、立派に見せ続けなければならない、ということだ。なんだそんなことなら、昔の王様はみなそうだったではないか、と言われそうだ。
 しかし、まさにそうなのだ。ユーラシア大陸の東と西に盤踞する大国はいまだに、なんとか皇帝、なんたら大帝に支配されていると思えば、現状は何の不思議もない。両者が雌雄を決しようとなれば、ただではすまないだろうが、そうではなくて、両者の一方が自分の領分内の不逞な小国を懲らしめるのなら、もう一方はやめろなどという必要はない。というより、自国内を治めるためにも小国は大国に刃向かえないということを自分の領域内にも徹底させたほうがいい、ということになる。間違っても隣の大帝に刃向かった小国を応援することはない。
 今回のことで、中国がよく使う言葉の1つに「理非曲直を明らかにする」というのがある。最初にこれを聞いた時、私は言い間違えではないか と思った。「理非曲直」を言うなら「非曲」は一方的にウクライナに攻め込んだロシアにあり、それに抵抗するウクライナに「理直」があるのはあまりにも明らかだと思ったからだ。
 ところが、それは私の浅慮であった。習近平はユーラシアの歴史の「理非曲直」を信じている。そこでは強いもの、大きいものが弱いもの、小さいものを支配するのだ。そして習近平はウクライナを成敗するプーチンを支持する。それを台湾にしっかり見せたいのだ。「いい気になるなよ。よく見ておけ。普段いろいろ言っても、いざと言うときに、命がけで助けに来てくれるヤツなんかいないのだ」と。そう思えば、難題と見えたものが習近平には難しくもなんともないのだ。
 それにしても、現代科学を駆使した情報戦では、なんだかプーチンの頭の中まで分かるような話がテレビからは毎日、聞こえてくる。ユーラシアの理非曲直はAIの世界にも生き続けるのか。(220408)

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