2022.04.30 プーチンの目的は旧ソ連領域の回復だ
――八ヶ岳山麓から(372)――
                   
阿部治平(もと高校教師)

 はじめに
 以前、中国政府ブレーン胡偉氏の「中国はプーチンと手を切れ」という主張を紹介したことがあったが(八ヶ岳山麓から・365)、それを別な観点から補強する論文が現れた。
 馮玉軍(ふうぎょくぐん)氏の「戦争の起因、未来、戦略への影響」である。
 馮氏は復旦大学国際問題研究院副院長・ロシア中央アジア研究センター主任の地位にあり、ロシア問題の専門家である。胡氏と同じく政府知恵袋の一人であろう。
 馮氏の論文は3月20日の講演記録なので、今日のウクライナ情勢とはずれがあると感じる部分がある。だが、ウクライナ戦争の起因がプーチンの旧ソ連時代の領域を回復しようとする目的にあるとするなど、参考にすべき内容がある。
 すでに4月21日に神田外語大教授興梠一郎氏がyoutubeで紹介したからご存じの方も多いと思うが、重要な論文だと思うので以下に要約して紹介することにした。以下( )内は阿部の補足。

 歴史について
 ロシアの歴史の中で形成された戦略文化の遺伝子が、プーチンのウクライナ攻略の背景となっている。
 というのは、モスクワ大公国(13世紀~)がいくつかのルーシ国家のなかから抜け出して大国になる過程では、周辺民族との戦争があったが、特にモンゴルに統治されたことが強烈な「不安観(いわゆるタタールのくびき)」を生み、それが絶えず周辺地域を「緩衝地帯」として確保しようと企てる要因となった。「緩衝地帯」は拡大するにつれて、それが「さらなる不安」を生んだからである。
 こうした観念の循環のもと、ロシアの領土は絶えずに外に向って拡張し、同時にそれは各方面の隣国に巨大な地政学的な衝撃をもたらした(例えばアイグン条約・北京条約による清帝国領土の略奪)。
 1939年ソ連は「将来可能な脅威」への防備という口実の下、ナチスドイツと「相互不可侵条約」を結び、ドイツとともにポーランドを分割し、また独自にバルト三国およびベッサラビア(現モルドバの大部分とウクライナの一部)を占領した。こののち、2度のフィンランド戦争を起こし、カレリアなどの地方を割譲させた。

 プーチンの旧ソ連領域への執着
 2000~2007年、ロシアは石油価格の高騰によって比較的速やかに経済成長を遂げたのに対し、2008年アメリカはリーマンショックに遭遇した。プーチンはこれによって、「ロシアは再起し、アメリカは没落する」と判断した。旧ソ連の領域を「取り戻す」ことができると考えたのである。
 実は、これがウクライナに対する軍事行動の始まりである。
 さらに最近数年の新型コロナのグローバルな感染蔓延が、既成の国際秩序の崩壊を思わせるに至った。ロシアは「ルールのないゲーム」利用を加速し、旧ソ連領域における主導権を回復しようとした。
 そして、2008年のグルジア(ジョージア)戦争、2014年のクリミア併合とウクライナ東部での衝突が生れ、2021年にはロシア・ベラルーシ連盟の全方位的推進があった。さらにアメリカのアフガン撤退に乗じて、中央アジアへの影響力を強め、2022年1月には物価暴動を機にカザフスタンに軍を派遣したのである。
 かくして、ロシアのウクライナに対する軍事行動は、孤立した事件ではなく、ロシア帝国再建戦略の重要な一環であることがわかる。

 戦争の不利
 その第一は、ウクライナの抵抗。この戦争は2014年(ロシアによるクリミア占領)とは異なる。ウクライナは非常に頑強な自国防衛の決意と比較的強い戦闘能力を持っている。
 第二は、ロシアの国力である。ロシアとウクライナを比較すれば、当然ロシアの軍事力のほうが圧倒的に優勢である。だが、ウクライナは多くの国家の支持を得ているから、ロシアの国力は相対的に不足している。
 第三はロシアの国内の民意である。戦争以来ロシア当局は言論を弾圧しているが、国内の反戦感情は依然かなり高い。
 第四は国際社会の反応である。開戦以来、世界の多くの国家、とくにスウェーデン・フィンランドのような中立国までが政治的・道義的・経済的、さらには軍事的支援に踏み切った。

 ロシア敗北の内部要因
 すでに1ヶ月経過したが和平交渉は長引く。なぜならロシアはウクライナにクリミアをロシア領としドンバスの独立を認めさせようとしているが、これをウクライナが飲むことはできないからである。
 だが確かなことがある。戦場の結果がどうあろうと、ロシアは政治・経済・外交のすべてにおいてすでに失敗している。
 第一は戦術の失敗である。ウクライナ戦争でロシアが運用しているのは、アフガン戦争(ソ連軍の1979年出兵から1989年撤収まで)やプラハの春(1968年)の戦術、はなはだしくは第二次大戦期のそれである。これに対して、ウクライナは高度の科学技術とりわけ高度の人工知能を使用しており、さらに集中を避け分散・ネットワーク化して戦っている。この戦争でのロシアの伝統的な戦術は完全に後れを取っている。
 第二は国力の衰退だ。安全保障・生産・金融・知識の四つを権力構造の主な柱とすれば、ロシアは軍事を除けば、生産・金融・知識ですべて立ち遅れている。プーチン執政の20年余りの間に、ロシアの総合的国力は絶えず衰退したのである。
 第三は戦略文化の基層ロジックの失敗である。ロシアは依然として領土拡張と天然資源の独占を主な支柱としている。だが、21世紀の戦争とか競争の重心は、すでに科学技術・金融・グローバルな体系の形成能力に移行し、これら領域でロシアは完全に風下に置かれたのである。
 第四はロシアの思考方法の失敗である。プーチンの「国帥(指導者)」とされるドジンツェフ(アレキサンドル、1962年生)の思想は、ロシアの政策決定に大きな影響を及ぼしているといわれるが、それはロシアのメシア(救世主)思想・ユーラシア主義思想・スラブ種族文明優越論など、各種の陳腐な学説のごった煮である。
 彼の思想にはグローバルな条件下の相互依存の理念、異なった文明と調和し共生する主張がない。
 かくしてロシア人の多くの考え方は18,19世紀にとどまり、21世紀の発展からはるかに取り残されている。

 ウクライナ戦争が世界に与える影響
 戦争が終われば、ウクライナはNATO加盟はともかく、EUには確実に参加でき、さらに西側の路線に溶け込むだろう。ロシアは国際社会の制裁を受けて相対的孤立状態に向かい、「ロシア島」といった存在になるかもしれない。キリスト教のカソリック・プロテスタントと東方正教の境界は今よりも東に移るだろう。
 NATOとEUは一層強化され、アメリカは大西洋安全保障体系の中でその地位を一歩高める。これと同時に、国連は安保理事会をふくめて改革を加速させるだろう。
 世界経済の分野では、グローバル化が一段とすすみ、WTOの役割は低下する。米中貿易戦争中、アメリカは「脱中国」を試みたが、中国と世界経済体系は緊密に結ばれており、完全に切り離すことはできない。
 アメリカはもちろん、ヨーロッパもロシアのエネルギー資源への過度の依存から脱却する。グローバルな供給チェーンは、エネルギー供給を含めて一層緊密になるだろう。

 おわりに
 さきの胡偉氏も今回の馮玉軍氏も、プーチンのロシア敗北を確信し、ウクライナ戦争後アメリカとヨーロッパが力量を高め、ロシアは孤立すると考えている。
 胡氏は中国がプーチンに肩入れすること、それによってアメリカの圧力が中国に向かうことを警戒した。馮氏は戦略戦術を論じて、ロシア敗北の必然性を中国人読者に納得させようとしている。
 胡氏の論文はネットから直ちに抹消されたが、その後20日足らずのうちに発表された馮氏の言説はいまでもネット上に生きている。これは習近平政権首脳間に、プーチンあるいはウクライナ戦争についての対立する見方があることを反映している。
 戦争が始まって1ヶ月経つか経たないうちに、政府の公式筋とは全く異なる見解が政府ブレーンの間に存在したことは、中国知識層の厚みと粘り腰の強さを感じさせるものである。(2022・04・25)

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