2022.05.06  二十世紀文学の名作に触れる(27)
ヘミングウェイの『武器よさらば』――人が生きていくことの不条理と戦争による人間性の破壊
 
横田 喬 (作家)

 米国シカゴ近郊生まれの作家アーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961)は1954年、ノーベル文学賞を受けている。表題の作品『武器よさらば』は29年に刊行された代表作の一つ。人が生きていくことの不条理をとことん見据え、戦争による人間性の破壊(現下のプーチン指令下のロシア軍によるウクライナ侵攻でも明々白々)を厳しく告発する名作だ。新潮文庫版(訳:高見浩)を基に、私なりに作品の概要を紹介してみよう。

 (第一次大戦中の)あの年の夏、二十代の米国人の僕フレデリック・ヘンリーはイタリア軍に志願し、陸軍中尉として北イタリア戦線に居た。国境の山々では戦闘が行われたが、戦果ははかばかしくなかった。僕らは翌年八月に渡河し、ゴリツィアの街で寝泊まりした。
 明くる年春、親しい仲のリナルディ中尉に誘われ、イギリス軍の病院を訪ね、白い制服姿の看護師キャサリン・バークリーと顔を合わす。長身で金髪、小麦色の肌。瞳は灰色で、かなりの美人だな、と僕は思った。革で巻かれた籐製の杖を手にしていて、フランスの激戦地ソンムで去年戦死したイギリス人の婚約者の遺品、と打ち明ける。彼女は、こう呟いた。
 ――彼には全てを許して上げても良かった。でも、彼は戦争に行きたがっていたし、私も馬鹿だったのよね。そのうち、彼は戦死、それで一巻の終わり。

 帰路、リナルディが言った。「彼女は俺よりあんたの方が気に入ったようだな」。
 翌日の夕食後、イギリス軍の病院にキャサリンを訪ねる。庭のベンチに座り、暗闇の中で互いの顔を見つめ合った。熱いキスを交わし、恋人関係を確かめる。それから二日間、前哨地に行っていた。再会したキャサリンは「淋しかったわ、とても」と言い、両目を閉じた。
 腰に手を回そうとすると拒み、「私たち、くだらないゲームをしてるのよね」と呟いた。
 前線で僕はかなり上等な塹壕を訪ね、少佐や二人の将校とラム酒を飲んだ。四人の運転兵たちの所へ戻り、塹壕の中で話し込む。兵士たちは交々語った。「攻撃命令に逆らって兵隊たちが前進しないので、十人に一人が銃殺されたとよ」「ある軍曹は、壕から出ようとしない将校を二人射殺したって話だ」「戦争は質が悪い。みんながこの戦争を嫌ってるんです」

 外はすっかり暗くなっていて、オーストリア軍のサーチライトが背後の山並みの上を走った。四百二十ミリ砲か迫撃砲かの大きな砲弾が飛来し,煉瓦工場の前で炸裂。僕は運転兵らが潜む塹壕に駆け込んだ。チャチャチャ、という音がし、閃光が閃く。瞬間、自分が体の外に吹き飛ばされたような感じがした。俺は死んだのだ、と思い、僕の魂は宙に浮かんだ。
 一瞬の後、意識を取り戻す。両足がぬんめりと生温かく、一方の膝頭がなかった。運転兵の一人は重傷を負って絶命し、二人は軽傷で済んだ。僕は搬送車で仮手当所へ運び込まれ、軍医の診断によって野戦病院の病室に運ばれた。

 さらに僕はミラノに創設されたアメリカ病院に移される。入院まもなく、転勤になったキャサリンが現れる。溌溂として、とても美しかった。見た瞬間、僕は恋に落ちていた。自分の中の全てがひっくり返っていた。辺りに誰もいないと見てとるや、彼女は僕の方に覆いかぶさってキスしてくる。僕は彼女を抱き寄せ、心臓が大きく鼓動しているのが分かった。
 ――君が欲しいんだ。もう気が狂いそうだよ。
 ――私が愛してるってこと、これで信じてもらえる?
 (頭の中にはありとあらゆる感情が渦巻いていたが、素晴らしい気分だった。)

 医師は局部麻酔剤を使用し、僕の大腿部から鋼鉄の小さな破片を幾つも取り出した。レントゲンを撮り、体内に残る異物は醜悪で質が悪く残忍だ、と言う。膝をちゃんと直すため、二時間半も費やす大手術が行われる。キャサリンの存在が、僕には何よりの支えになった。
 その夏は、とても楽しい日々を過ごした。僕が松葉杖をついて歩き回れるようになると、二人で馬車に乗って公園を回る。差しで過ごす夜は素敵だった。彼女が病院に来た最初の日に二人は結婚したのだ、と僕らは言い交わし、その結婚記念日から経た月の数を数えた。

 脚の回復は速く、松葉杖~普通の杖~膝を曲げるための治療、と順調に進んだ。戦争はまだまだ続きそうで、病院には僕に三週間の病気予後休暇を取った後に前線へ復帰するよう指示する手紙が届く。計算すると、十月二十五日が前線復帰のリミットだった。事情を話すと、キャサリンはお腹に赤ちゃんができ、妊娠三か月の身と打ち明ける。
 当の十月二十五日、僕はスロベニアとの国境すぐ傍の町ゴリツィアに向かった。久しぶりに再会したリナルディは「この戦争には、もううんざりだ」と、ぼやく。翌日の晩、退却が始まる。ドイツ軍とオーストリア軍の大部隊が北方の戦線を突破し、山岳地帯の渓谷を下って国境方面へ進撃しているらしい。退却は整然と行われたが、四十㌔ほど西のウディネに向かう途中、幹線道路が大渋滞する。僕と兵士三人は搬送車で幹線を外れ、北方の間道に入る。

 夜来の雨で道がぬかるみ、搬送車がえんこ。僕らは車を捨て、徒歩でウディネを目指す。
 途中、ドイツ軍の幕僚車や自転車部隊に遭遇するが、幸い気づかれずに済む。が、友軍の誤射で兵士一人が射殺され、もう一人は逃亡。僕と残る兵士一人は一晩中歩き通してタリアメント川を目指す。夜明け前、川の岸辺に着き、僕は逃亡容疑の将校を検問中の憲兵に捕まる。
 一瞬の隙をついて僕は川に飛び込み、できるだけ長く潜った。浮上した後は材木につかまって下流へ下り、夜明け前に岸辺へ上がる。怒りは川の中で、義務感と共に洗い流されていた。その日、僕は歩き通してヴェネト平野を横断し、ヴェネツィアからトリエステへ向かう鉄道の線路に出た。汽車が来るのを待ち、貨車の後部の手すりに飛びつき、車上へ身を移す。

 翌日早朝、ミラノ駅に着いた時、僕は飛び降りた。この後、北方のスイスとの国境にあるマッジョーレ湖の湖畔の町ストレーザへ向かう。キャサリンが休暇を利用して静養に行ったのを知ってである。湖畔の小さなホテルの旧知のバーテンが「明日朝、当局は貴方を逮捕しに来ます」と知らせてくれた。彼は自分が所有するボートで湖の北方35キロ先のスイスへ脱出するよう、勧めた。夜半の十一時、僕とキャサリンは手荷物を携えボートに乗り込んだ。休まず漕ぎ続ければ、明日朝七時までにはスイス領に入れるだろう、とバーテンは言う。

 顔に風を受けながら、暗闇の中を漕いでいく。船体は軽く、漕ぐのも楽だ。僕は一晩中、漕ぎ続けて両手の皮が剥け、オールも握れない位に。そのうち、周囲はずっと明るくなり、岸辺が見えてくる。疲労困憊した僕はオールを引き揚げ、持参した大きな蝙蝠傘を開くと、傘が風を孕んでボートは前進していく。傘の推力は凄く、ボートは勢いよく進んだ。
 前方の入り江に明かりが瞬く。後五マイルは進まないと、スイス領に入れない。鞄を開き、サンドイッチを二つ食べてブランデーを飲み、疲れも吹っ飛ぶ。空が明るみかけると、沖合を走るエンジン音がし、モーターボートが姿を現す。カービン銃を背負う財務警察隊員四人が乗り込んでいたが、当のモーターボートはそのまま進み、やがて雨中に消えた。

 夜が明け、僕らはスイス領に入ったことを確信する。船着場には漁船が沢山係留されていて、キャサリンは「なんて美しい国なの」と呟く。僕らは税関でパスポートを検査され、尋問を受けた。「僕らはスイスにウィンタースポーツを楽しみに来た」と説明し、釈放される。
 僕らは馬車で近くのロカルノの町へ行き、ホテルに入った。その秋は雪が降るのがとても遅く、僕らは山の中腹にある山荘で暮らした。キャサリンのお腹の膨らみが目立ち始め、二人でチェスをして遊び、彼女は「二人一緒じゃないと、生きている気がしない」と言った。
 その冬は素晴らしい天気に恵まれ、僕らはとても幸せだった。キャサリンの出産が一か月後に迫った三月、僕らはローザンヌへ引っ越す。彼女は赤ちゃんに必要な物を町で買ってき、僕は運動のためジムに通った。時々二人一緒に馬車で田舎へ遠乗りに出かけ、楽しかった。

 ある朝、キャサリンがお腹の痛みを訴え、僕らはタクシーで病院へ。彼女は頻繁な痛みを訴えるが、午後になっても分娩ははかどらない。看護師は「とても危険な状態です」と僕に告げた。担当医が帝王切開を薦め、キャサリンは五キロもある男児を分娩。彼女の顔は全く血の気がなく、死んでいるように見えた。憔悴し切り、今わの際に、こう言い残す。
 ――二人でしたことを、ほかの女の人たちとしないでね。私に言ってくれたことを、言ったりしないでね。
 出血が何度も繰り返されたらしい。医師たちにも止められなかったのだ。僕はキャサリンが息を引きとるまで傍に付きっ切りでいた。男の赤ん坊は死産だった。僕は病院を後にし、雨の中を歩いて独りホテルに戻った。
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