2022.06.02  二十世紀文学の名作に触れる(29)
ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』――読者を仰天させる新奇な物語(上)

横田 喬(作家)

 1999年にノーベル文学賞を受けた現代ドイツ最大の作家ギュンター・グラス(1927~2015)の代表作が表題の『ブリキの太鼓』だ。59年に発表(処女作)され、作家としての地位を確立した同作は文庫版(集英社:訳・高本研一)で三冊にも及ぶ大作。読む者を仰天させる全く新しいタイプの小説で、内容の要約は困難を極める。今回だけは(上)(下)二回とすることをご容赦願い、私なりの紹介を試みたい。

 精神病院の住人である三十歳のオスカルが看護人に対し、自らの生涯を語る形式で物語は展開する。1899年、ダンツィヒ近郊のジャガイモ畑で、オスカルの祖母アンナは逃げてきた放火魔の男を四枚重ねのスカートの中に匿い、追跡する官憲の手から救う。アンナはその男との間に、オスカルの母アグネスを授かる。アグネスは四つ年上の従兄弟ヤンと相思の仲だったが、結ばれぬまま、時は移る。第一次大戦終了間近の1918年夏、野戦病院の看護助手を務めるアグネスは入院患者の中の人気者マツェラートに心を奪われ、所帯を持つ。

 物語の舞台が国際都市ダンツィヒとあって、マツェラートはドイツ人でヤンはポーランド人、そしてアグネスはスラヴ系の少数民族カシュ―ヴ人だ(この設定は著者グラスの実在の両親の身元にそのまま当てはまる)。ダンツィヒの中心街にあるポーランドの郵便局に勤めるヤンは近くに食品店を構える従姉妹アグネスと夫婦ぐるみの付き合いを始める。アグネスは客あしらいが巧く、コンビのアルフレートは買い出し上手で料理好きだった。

 僕オスカルが誕生した時、両親は「三つになったら、ブリキの太鼓を買ってやろう」と言葉を交わす。僕は三歳までは順調に成長し、約束のブリキの太鼓を手に入れる。が、その誕生日の当日、店の地下室へ降りる階段からコンクリートの床の上へ故意に転落する。この事故後、オスカルは成長を停止(ナチスが台頭する不穏な時代に対する無意識の抵抗か)し、「永遠に三歳児のブリキの太鼓奏者」として生存していく道を選ぶ。

 異能者オスカルは太鼓を打つと共に大声を上げると、花瓶や時計などどんな高価な品々や窓ガラスでも粉々にしてしまう能力を手に入れる。この力は太鼓を奪われるという危機に際し、無意識の防衛規制として発現。六歳児として入学する小学校の画一的な授業や、退廃したキリスト教の教会、ナチスによって右傾化していく社会、などに対し向けられた。
 僕オスカルはまもなく、母とヤンがただならぬ仲であることに気づく。ヤンが我が家に遊びに来て、マツェラートが席を外した隙にすぐさまいちゃついたり、二人で示し合わせて外で逢引し、邪魔っけな僕をどこかに預けたりしたからだ。僕は様々な観察から、僕の実の父親はこのヤンに間違いない、と思い至る。

 ある日、両親と僕にヤンの四人でポンメルン湾(バルト海)の海岸に遊びに行った折のこと。岸辺に引き揚げられた一頭の馬の死体の頭部から大量のウナギが出てくる。母アグネスは、その光景に思わず嘔吐した。が、帰宅後は人が変わったように、ウナギをはじめいろんな魚を大量に食べ続ける。とうとう食中毒を起こし、あっけなく亡くなってしまった。

 1939年夏、十四歳のオスカルは三歳児の体型のままだ。生来親切で善良だった養い親のマツェラートはナチスの党務しか頭になく、冬季救済募金運動に没頭し、僕オスカルは独りぼっちだ。傷ついた太鼓を修理してもらおうと八月末、僕はヤンに会い、へベリウス広場のポーランド郵便局への同行(門番のコビュエラに太鼓の修繕をしてもらうため)をせがんだ。
同僚たちから不信の目で迎えられたヤンは、砂袋を窓口ホールの窓枠に積み上げる作業班へ。僕は二階の空き部屋の洗濯籠に横になり、同じく疲労困憊の太鼓共々眠りにつく。

 僕を起こしたのは、近くの機関銃か、それとも遠くの自由港の戦艦が二重砲塔から発した重々しい一斉射撃の余韻だったか。郵便局の近くで対戦車砲弾が轟然と炸裂。正面玄関に二発の榴弾が命中。窓ガラスが吹っ飛び、壁と天井の化粧塗りが落下し、三人の負傷者が出る。
 中庭で機関銃の音が響き、SS防郷団が攻撃を仕掛けてきた。部屋のドアを爆破し、中型の野戦榴弾砲を用い、郵便局の煉瓦の支柱を次々倒していく。恐慌状態に陥ったヤンは金切り声を上げ、すすり泣いた。門番のコビュエラは彼をポーランド語で罵り、唾を吐きかけた。
 午前四時ごろに始まった戦闘は、十時過ぎに終了。火炎放射器で目をやられ、全身が焦げた三十人ばかりの男たちが両腕を上げ、降伏。彼らと引き離された僕は己の小人性を活用し、巧く処刑を免れた。絶望的になったポーランドは十八日間の攻防戦の後すぐ、国家が滅びる。

 オスカルは背丈が足りず、店の手伝いをする気もなかったから、マツェラートはマリーア・トゥルツィンスキーを雇い入れた。僕の哀れな友人ヘルベルトの一番下の妹で、僕より一つ年上で名前の通り聖母マリアのようだった。数週間のうちに、店の評判を元通りにした。
 彼女は優しくて思いやりがある。必要に応じ、四週か五週ごとに僕に新しい太鼓を寄こしてくれた。丸顔で、目は冷静だが冷たくない。小さめの愛嬌のある、形のよさをもつ鼻。髪はブラウン、小柄な体に大きな乳房、豊かな尻。両脚はすらりとして、がっちりしていた。

 店を仕切っていたのはマリーアで、小売り商店に対し生まれながらのセンスを持っていた。マリーアこそオスカルの最初の恋の相手だった。マリーアは毎晩、僕をベッドに連れていってくれる。着替えを手伝い、優し気な疲れの浮いた顔を近づけ、毛布をかけてくれた。
 翌年夏、臨時ニュースがフランス戦線でのドイツの電撃的勝利を伝えていた頃、マツェラートは僕とマリーアを海水浴に行かせた。僕は幼児として女性側の脱衣所に入れられ、彼女はズロースを脱ぎ捨て全裸姿に。僕は飛び上がり、むしゃぶりついた。「いたずら坊主だこと! 飛びついて、何だか分からなくて、後で泣いている」。彼女は不思議そうに言った。

 やがて、寝床をどうするかが家族の間で問題になり、マリーアは「オスカル坊ちゃんとなら一つのベッドで十分。背丈が八分の一だもの」と言い放つ。週に二度、僕らは同じ一つの寝床で寝た。僕は十六歳を数え、落ち着きのない精神と眠りを追い払う要求を持っていた。
僕らは奇妙な関係を結ぶ。マリーアは身ごもり、僕の子だと確信するものの、彼女はじきにマツェラートの再婚相手に選ばれ、新しい継母のお腹の子(すぐ後に生まれたクルト)は僕の弟として運命づけられていく。

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