2022.07.23 中国人口ナンバー2へ
     鄧小平の言う「普通選挙への障害」はなくなった
              ―あとは習近平の決断一つ、腹をくくれ

                        
田畑光永 (ジャーナリスト)


 7月11日の世界人口デーに国連が発表した世界人口予測によると、来年、インドが中国を抜いて世界一の人口大国になるとのことである。今年、2022年の両国の人口は中国14億2600万人、インド14億1200万人で、その差1400万人だが、来年にはそれが逆転するとの由である。
 世界の総人口は、今年は79億4200万人で来年には80憶人に達する。となると、中国もインドも世界人口の5.5人に1人が自国民、逆に言えば人類の3人弱に1人は中国人かインド人のどちらかとなる。
 世界一の人口大国といえば昔から中国ときまったものだった。あらゆる数字や問題を「人口世界一」の分母に乗せると、あるいは「人口世界一」と掛け合わせると、独特の意味を持つ。中国問題の難しさの1つとされてきた。これからは事情が変わる。
 となると、早速、考えてみたいのは、毎度のことで恐縮だが「民主」である。
 鄧小平という人をご記憶であろう。小柄で愛嬌のある風貌の、中国共産党の大幹部であった。しかし、1960年代半ばから始まった文化大革命という政治運動で、当時の劉少奇国家主席ともども「資本主義の道を歩む実権派」と批判されて失脚。その間に劉少奇は非業の最後を遂げたが、鄧小平は数年後に復活。周恩来首相を副首相として支えた。が、周首相の死とともにまた失脚、そしてさらに復活と激しい転変の末、1970年代末からは「改革・開放」政策の「総設計師」として、1997年に亡くなるまで中国の「最高実力者」であった人物である。
 この人は「白い猫でも黒い猫でもネズミをとるのがよい猫だ」という言葉で有名だが、徹底した現実主義者であった。その改革・開放政策のもと中国経済が息を吹き返した時に、人々は政治でも民主化を進めてくれることをこの人に期待したのだが、それは見事に裏切られた。
 なぜか。ご本人の言葉を聞こう。
 「私はある外国からの客人に言ったことがある。(中国)大陸では次の世紀(21世紀)の半分が過ぎたころ、(人民代表大会代表の)普通選挙を実施することが出来るだろうと。現在、我々は県(省、特別市、自治区などの一級行政区の下の地域)以上では間接選挙を行っている。県クラスおよびそれ以下だけが直接選挙である。なぜなら我々は十億人以上の人口を抱え、人民の『文化素質』(教育程度)も不十分である。全国一律に選挙を実施する条件がととのっていない」(括弧内は筆者の注。出典は『鄧小平文選』第三巻、220頁、発言は1987年。下も同じ)。
 「我々のような大国、人口がこれほど多く、地域の間に不均衡があり、さらに多くの少数民族がいる。高いレベルでも選挙を行うことは、現在、まだ条件が成熟していない。まずは『文化素質』が不十分である」(同242頁)。
 同趣旨の発言はほかにもあるが、鄧小平の場合、「民主」とくに「普通選挙」について、そのこと自体に対して否定的であるわけではなく、あくまで中国においては「時期尚早」であると言っているだけである。
「次の世紀の半分が過ぎたころ」と具体的な時期を挙げているところを見ると、条件が整えば普通選挙を実施するのは当然のことと考えていたと見ていいだろう。
 そして直ちに実施できない理由は「十億人以上の人口」とその「文化素質が不十分」の2点である。鄧小平にとっては、文化大革命当時、無数の大衆が毛沢東の一言で津波のように動きだすと、すべての理屈が通用しなくなった経験が痛切な記憶として残っていたのであろう。
 それが1989年の5月から6月にかけて、あの民主化運動が北京の街を覆った時、学生の言い分に耳を傾けようとした趙紫陽を斥けて、軍隊を入れる決断につながったのかも知れない。
 あれ以来、中国では民主化運動の火が消えてしまった。では、その火を消した鄧小平本人が普通選挙実施の障害とした「巨大な人口と国民の教育程度」の現状はどうなったか。
 中国の人口が世界最大でなくなる日は近い。間もなく中国を追い越すインドでは選挙によって国民会議派とインド人民党の2大政党が政権を争って久しい。人口が多いことをもって選挙ができない理由とすることはもはやできない。
 国民の教育程度はどうか。どういう基準で判断するかは難しいが、数字を見れば、2021年の中国の大学進学率は58%で、10年前比プラス31ポイント。今年の大卒・大学院卒学生の総計は1000萬人を突破するという。どう見ても、国民の教育程度が低くて選挙は無理、という言い訳は、それこそ無理である。
 鄧小平は中国で普通選挙を実施する条件が整うのは「21世紀の半ば以降」と見立てたが、約30年早くその基準に到達したわけである。習近平は鄧小平の墓前に条件の繰り上げ達成を報告し、自らの信を国民に問うたらどうか。勿論、ほかの誰であれ、希望者の立候補を認めて、いかなる政権批判も公認して、公平に競うのだ。天から「よくやった」という鄧小平の声が習近平に届くだろう。
 それをせずに、やれ「全過程民主」だの、やれ「各国にはそれぞれの民主がある」だの、はては米で昨年1月、トランプ支持派が議会に乱入したことをもって、鬼の首でもとったように「米式民主」を批判したりだの、ケチな理屈を振り回すのはやめたらどうか。きっと中国の国民もそれを待っている。


 
 
 
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