2009.01.10
グローバルな視野からみごとに描き出した幕末の転変
〔書評〕 加野厚志著『玄庵検死帖 皇女暗殺控』(中央公論新社、¥720)
「文久」という年号には、“狂”と“凶”の匂いがただよう。
安政6年(1859)、井伊大老は日米修好通商条約を”無断調印”する。「開国許さじ」「調印許さじ」と攘夷論が沸騰した条約勅許の問題に加え、十三代将軍家定(いえさだ)(篤姫=あつひめ=の夫)の後継問題が複雑に絡み、安政の大獄、桜田門外の変がおき、政局の渦はさらに撹乱し、やがて文久年間、尊皇攘夷浪士による血で血を洗うテロ《天誅》の季節が到来する。文久2年(1862)の和宮降嫁は紛糾の渦が激流となって奔流するきっかけとなった、まさに大事件であった。
公武合体の犠牲となった悲劇の皇女和宮が主人公の歴史小説といえば、有吉佐和子の『和宮様御留』(昭和53年4月刊)があまりにも名高い。和宮は替玉だったとする同書は、優れた筆力が然らしめたのであろう、替玉説はおかしいと、小説にもかかわらず、和宮替玉が史実であるか否かをめぐって、歴史学者をも引き込んだ激しい論争をもたらしたことは周知の通りである。
本書『玄庵検死帖 皇女暗殺控』も、「和宮東下」という史実を史材とした歴史時代小説である。本書のヒロインもまた有吉佐和子の『和宮様御留』同様、和宮の身代わりとなった女性である。
主人公は、逆井玄庵(さかい げんあん)という幕医。逆井家は「代々将軍様の排便を仔細に吟味し、その体調を推し量ることを務めとする」寄合(よりあい)医師の家柄である。玄庵は長崎での遊学を中途で打ち切り、幕命により京都へと呼び寄せられる。今度の《皇女降嫁》において皇女の侍医を拝命し、しかも、幕閣から下された密命は和宮の護衛と治療の大役であった。「未曾有の国難を救うべく、雅な古都を離れ、見知らぬ蛮地の関東へおもむく皇女」を護りぬくことは、男の本懐と意気込む玄庵であったが、なんと、玄庵の守るべき皇女和宮は真っ赤な偽物、身代わりであった。
雨宮由希夫 (書評家)
「文久」という年号には、“狂”と“凶”の匂いがただよう。
安政6年(1859)、井伊大老は日米修好通商条約を”無断調印”する。「開国許さじ」「調印許さじ」と攘夷論が沸騰した条約勅許の問題に加え、十三代将軍家定(いえさだ)(篤姫=あつひめ=の夫)の後継問題が複雑に絡み、安政の大獄、桜田門外の変がおき、政局の渦はさらに撹乱し、やがて文久年間、尊皇攘夷浪士による血で血を洗うテロ《天誅》の季節が到来する。文久2年(1862)の和宮降嫁は紛糾の渦が激流となって奔流するきっかけとなった、まさに大事件であった。
公武合体の犠牲となった悲劇の皇女和宮が主人公の歴史小説といえば、有吉佐和子の『和宮様御留』(昭和53年4月刊)があまりにも名高い。和宮は替玉だったとする同書は、優れた筆力が然らしめたのであろう、替玉説はおかしいと、小説にもかかわらず、和宮替玉が史実であるか否かをめぐって、歴史学者をも引き込んだ激しい論争をもたらしたことは周知の通りである。
本書『玄庵検死帖 皇女暗殺控』も、「和宮東下」という史実を史材とした歴史時代小説である。本書のヒロインもまた有吉佐和子の『和宮様御留』同様、和宮の身代わりとなった女性である。
主人公は、逆井玄庵(さかい げんあん)という幕医。逆井家は「代々将軍様の排便を仔細に吟味し、その体調を推し量ることを務めとする」寄合(よりあい)医師の家柄である。玄庵は長崎での遊学を中途で打ち切り、幕命により京都へと呼び寄せられる。今度の《皇女降嫁》において皇女の侍医を拝命し、しかも、幕閣から下された密命は和宮の護衛と治療の大役であった。「未曾有の国難を救うべく、雅な古都を離れ、見知らぬ蛮地の関東へおもむく皇女」を護りぬくことは、男の本懐と意気込む玄庵であったが、なんと、玄庵の守るべき皇女和宮は真っ赤な偽物、身代わりであった。
「和宮の関東入りを阻止しようとする勢力」に大きく頁をさき、詳述しているところは有吉の『和宮様御留』の構成と違いが著しいところである。その勢力は3つあり、1に、武力倒幕を藩論とする長州、2に、尊攘派の大立者大橋訥庵(とつあん)の尊王活気論に影響を受けた「思誠塾」の塾生、3に、大奥を仕切る篤姫の権勢を維持するため、皇女和宮の降嫁を武力で阻止する可能性のある薩摩、としてストーリーは展開される。
供奉(ぐぶ)する公家の中心人物・岩倉具視(ともみ)の人物スケッチも読みどころである。
悪評まみれの「御所の妖怪」は玄庵が見るところ意外にも気さくな人柄であり、この陰謀好きな公卿はどこまで「女影武者作り」に関わっているのだろうか、とした上で、「《公武合体》に手を貸しながら、《王政復古》を夢見ている。帝の忠臣なのか、それとも………稀代の大悪人なのか」とするくだりは、その後の岩倉を知っている後世の人間たるわれわれ読者をひきつけるに充分である。
そもそも、孝明天皇の妹和宮を十四代将軍家茂(いえもち)に降嫁させる策は、条約勅許問題や安政の大獄以来、悪化した幕府(武)と朝廷(公)の関係を修復し、将軍権力の補強を目指すべく、幕府側が提案したものである。
岩倉がいつから天皇親政の構想を抱いたか明らかではないが、降嫁とひきかえに、井伊大老が結んだ日米修好通商条約を破棄し、もう一度攘夷の方針に転換させること、政治の運営は幕府に委ねるが、重要政務は事前奏聞することを幕府に約束させれば、朝権は回復すると岩倉が主張したことは明らかであるが、フィクションの世界で、奥の見えない密謀に足を踏み込んだとはいえ、一介の幕医が岩倉の策謀を熟知していたとすることは不自然であるから、「今回の未曾有の《関東御降嫁》も、元はといえば老中の安藤信正と侍従の岩倉具視の2人が練り上げ実行に移した大事業」と情況描写した上で、玄庵は岩倉を「歴史に名を刻む傑物」に違いないと視た、としている。
中山道は野尻峠に銃声が響き、偽皇女は凶弾に倒れる。『和宮様御留』のヒロインたる京娘フキは身代わりの偽称に耐え切れず江戸入りの直前に発狂して自殺しているが、本書の《生涯買い切り》の証文にしばられた哀れな山娘は自らの死をもって、見事に身代わりの使命を果たしたのである。
「わが名は………皇女和宮」と、最期まで本名を明かさず野尻峠の燃えるような山紅葉の下で死んでいった山娘の一途さを玄庵は哀れと思いつつ、事件そのものが歴史の闇に葬られるであろうこの事件は一筋縄ではなく、天下を揺るがす大事変の前触れにちがいないと身震いする。
案の定、江戸に戻った玄庵に、老中の安藤信正(のぶまさ)から呼び出しがかかる。安藤は御降嫁における裏面をしりすぎた玄庵に微禄を与え、口を噤(つぐ)ます腹づもりであった。かくして、女影武者の《暗殺指令》を発したのは老中の安藤であることを玄庵は知る。江戸入りにあたって皇女が2人いては面倒になる……。
なんと明快なストーリー展開、歴史トリックの謎解きなのであろうか。
開港期の外交を掌(つかさど)った老中安藤信正が悲願とした《公武合体》は西洋列強の砲艦外交に対抗し、わが国を列強の侵略から防ぐための最終手段であった。
最終手段の苛烈さ、歴史の非情をフィクションの世界で表現すべく、ゆえに、作家は、万が一の失敗もゆるされない安藤は替玉まで用立てて、和宮東下に臨んだ、と造形したのである。
皇女降嫁は作家の歴史認識の如く、徳川幕府崩壊の第一歩となった。和宮降嫁の代償は幕府にとってあまりにも大きかった。“条約破棄・攘夷実行”などという時代に逆行した出来もしないことを約束させられた幕府は朝廷政治にとりこまれ、身動きできない奈落にひきずりこまれてゆくのである。
「公家と武家が一体となり、国論がひとつにまとまるはずであったが、安藤の目論見は外れた。神州不滅を奉じる狂信的な尊皇攘夷派はこれに激怒し、洛中で無差別な天誅をくりかえし」、安藤自身も坂下門外の変で政治生命を絶たれる。「玄庵は徳川幕府の終焉を肌で感じとった」。文久2年のことである。
この作品は、和宮降嫁の一角から幕末の激しい転変をみごとに描き出している。幕末史に対するグローバルな視野を持つ作者の構想力が爽快である。
供奉(ぐぶ)する公家の中心人物・岩倉具視(ともみ)の人物スケッチも読みどころである。
悪評まみれの「御所の妖怪」は玄庵が見るところ意外にも気さくな人柄であり、この陰謀好きな公卿はどこまで「女影武者作り」に関わっているのだろうか、とした上で、「《公武合体》に手を貸しながら、《王政復古》を夢見ている。帝の忠臣なのか、それとも………稀代の大悪人なのか」とするくだりは、その後の岩倉を知っている後世の人間たるわれわれ読者をひきつけるに充分である。
そもそも、孝明天皇の妹和宮を十四代将軍家茂(いえもち)に降嫁させる策は、条約勅許問題や安政の大獄以来、悪化した幕府(武)と朝廷(公)の関係を修復し、将軍権力の補強を目指すべく、幕府側が提案したものである。
岩倉がいつから天皇親政の構想を抱いたか明らかではないが、降嫁とひきかえに、井伊大老が結んだ日米修好通商条約を破棄し、もう一度攘夷の方針に転換させること、政治の運営は幕府に委ねるが、重要政務は事前奏聞することを幕府に約束させれば、朝権は回復すると岩倉が主張したことは明らかであるが、フィクションの世界で、奥の見えない密謀に足を踏み込んだとはいえ、一介の幕医が岩倉の策謀を熟知していたとすることは不自然であるから、「今回の未曾有の《関東御降嫁》も、元はといえば老中の安藤信正と侍従の岩倉具視の2人が練り上げ実行に移した大事業」と情況描写した上で、玄庵は岩倉を「歴史に名を刻む傑物」に違いないと視た、としている。
中山道は野尻峠に銃声が響き、偽皇女は凶弾に倒れる。『和宮様御留』のヒロインたる京娘フキは身代わりの偽称に耐え切れず江戸入りの直前に発狂して自殺しているが、本書の《生涯買い切り》の証文にしばられた哀れな山娘は自らの死をもって、見事に身代わりの使命を果たしたのである。
「わが名は………皇女和宮」と、最期まで本名を明かさず野尻峠の燃えるような山紅葉の下で死んでいった山娘の一途さを玄庵は哀れと思いつつ、事件そのものが歴史の闇に葬られるであろうこの事件は一筋縄ではなく、天下を揺るがす大事変の前触れにちがいないと身震いする。
案の定、江戸に戻った玄庵に、老中の安藤信正(のぶまさ)から呼び出しがかかる。安藤は御降嫁における裏面をしりすぎた玄庵に微禄を与え、口を噤(つぐ)ます腹づもりであった。かくして、女影武者の《暗殺指令》を発したのは老中の安藤であることを玄庵は知る。江戸入りにあたって皇女が2人いては面倒になる……。
なんと明快なストーリー展開、歴史トリックの謎解きなのであろうか。
開港期の外交を掌(つかさど)った老中安藤信正が悲願とした《公武合体》は西洋列強の砲艦外交に対抗し、わが国を列強の侵略から防ぐための最終手段であった。
最終手段の苛烈さ、歴史の非情をフィクションの世界で表現すべく、ゆえに、作家は、万が一の失敗もゆるされない安藤は替玉まで用立てて、和宮東下に臨んだ、と造形したのである。
皇女降嫁は作家の歴史認識の如く、徳川幕府崩壊の第一歩となった。和宮降嫁の代償は幕府にとってあまりにも大きかった。“条約破棄・攘夷実行”などという時代に逆行した出来もしないことを約束させられた幕府は朝廷政治にとりこまれ、身動きできない奈落にひきずりこまれてゆくのである。
「公家と武家が一体となり、国論がひとつにまとまるはずであったが、安藤の目論見は外れた。神州不滅を奉じる狂信的な尊皇攘夷派はこれに激怒し、洛中で無差別な天誅をくりかえし」、安藤自身も坂下門外の変で政治生命を絶たれる。「玄庵は徳川幕府の終焉を肌で感じとった」。文久2年のことである。
この作品は、和宮降嫁の一角から幕末の激しい転変をみごとに描き出している。幕末史に対するグローバルな視野を持つ作者の構想力が爽快である。
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