2009.01.05
イスラエル、ガザ空爆に続けて地上侵攻
泥沼のゲリラ戦になる怖れ
オバマ次期米政権の発足を25日後に控えた昨年12月27日、イスラエル軍はパレスチナ自治区のガザに空爆を加え、クリスマス・年始休暇に入っていた世界にショックを与えた。停戦を求める国際世論を無視して海上からの艦砲射撃と空からの猛爆を1週間続けた後、イスラエル軍は1月3日、戦車を先頭にした1万人規模の戦闘部隊をガザに侵攻させた。ガザを実効支配するイスラム原理主義のハマスは「ガザをイスラエル兵士の墓場にしてみせる」と豪語し、徹底抗戦の姿勢を明らかにしている。このままでは150万人の住む人口密集地のガザで、血で血を洗うゲリラ戦が泥沼化する怖れが強い。
イスラエルは2005年9月、当時のシャロン首相の主導で1967年の第3次中東戦争から38年間占領していたガザから一方的に撤退。翌06年1月のパレスチナ評議会(国会に相当)選挙ではハマスが圧勝したが、アッバス・パレスチナ自治政府議長(大統領に相当)が率いる穏健派ファタハは治安権限をハマス主導政府に移譲することを拒否した。ハマスはガザで独自に武力を増強してファタハ系治安部隊とたびたび衝突、07年6月にガザ全域を制圧してファタハ勢力を追放、パレスチナ自治区はアッバス議長が統治するヨルダン川西岸とハニヤ首相以下のハマス政府が支配するガザに分裂した。
この後、ガザからはイスラエル領にロケット弾が発射され、イスラエル軍はガザを封鎖する兵糧攻めと報復爆撃で応じるというパターンが繰り返されたが、08年6月にエジプトの仲介でイスラエルとハマスの間で6カ月間の停戦協定が成立した。この停戦協定は昨年12月19日に期限切れとなり、延長されなかった。停戦条件のひとつであったガザの封鎖解除をイスラエルが守らなかったために、ハマスが延長に同意しなかったのだ。ガザはイスラエル領土と地中海に囲まれた細長い地帯だが、イスラエルはガザの周囲に高いコンクリートの分離壁をめぐらせている。分離壁の数カ所に設けられた関門はイスラエルの武装兵士が守り、食糧や燃料など生活物資のガザ搬入をイスラエル政府が認める時だけ開門するというやり方で、実質的なガザ封鎖を続けているわけだ。
さて停戦協定が切れると、ガザからはロケット砲撃が再開された。それなのにイスラエル側は12月26日関門を開いて、国連など国際援助組織からの生活物資の搬入を認め、ハマス側の油断を誘った。そして翌27日、突如として空からの猛爆撃が始まり、イスラエル国防省の発表によると「第1波4分間の一斉空爆で200人以上を殺した」という。ハマス側は空爆を警戒して治安施設から人員をいったん退避させていたが「28日まで敵襲はない」と判断して施設に戻し、多数を死傷させたという。イスラエル得意の諜報作戦の成果だったのだろう。
イスラエル国防軍は、空爆開始に当たって「われわれは停戦継続を望んでいたが、ハマスが拒否し、ロケット弾攻撃を拡大してきた」と説明しているが、イスラエルの平和団体などは停戦条件に違反し、ハマスを挑発したのはイスラエル軍だと指摘している。イスラエルの新聞ハーレツが暴露したところによると、ガザ空爆作戦は半年以上前から、ハマスはもとより自国民をも欺く電撃作戦として、入念に計画されていたという。同紙によると、バラク国防相が作戦準備を指示したのはハマスとの停戦協定に調印した昨年6月より前のことだった。軍は国内諜報機関シャバクの協力を得て、ハマスの治安施設や武器庫、訓練場、幹部宅の場所など詳細な情報収集を続けていた。同国防相は停戦期間中の11月に作戦計画を承認、オルメルト首相の同意を取り付け、12月24日の治安閣議で最終的にガザ攻撃作戦は承認された。しかしこの閣議については、国際的イスラム過激派の動きを検討したとの虚偽のプレス発表がなされていた。
12月27日の空爆開始に当たりイスラエル軍が発表した広報資料は、ガザを発射基地とするハマス側からのロケット攻撃がイスラエルの国民の生命と財産を危険に陥れている以上、その根源を壊滅させなければならないと強調した。しかし人口密集地ガザが高性能爆弾やミサイルで爆撃され、多数の死傷者が出ているとの報に、世界中の市民が顔を曇らせた。その中で米国ブッシュ政権のジョンドロー報道官は、この空爆を「イスラエルの自己防衛に必要な行動と理解している」「(ハマスの)テロ組織としての本性がまたも示された」と語り、またブラウン英首相も「イスラエル政府の国民の安全に対する責任感を理解する」と述べ、イスラエルを弁護する姿勢を明らかにした。
伊藤力司 (ジャーナリスト)
オバマ次期米政権の発足を25日後に控えた昨年12月27日、イスラエル軍はパレスチナ自治区のガザに空爆を加え、クリスマス・年始休暇に入っていた世界にショックを与えた。停戦を求める国際世論を無視して海上からの艦砲射撃と空からの猛爆を1週間続けた後、イスラエル軍は1月3日、戦車を先頭にした1万人規模の戦闘部隊をガザに侵攻させた。ガザを実効支配するイスラム原理主義のハマスは「ガザをイスラエル兵士の墓場にしてみせる」と豪語し、徹底抗戦の姿勢を明らかにしている。このままでは150万人の住む人口密集地のガザで、血で血を洗うゲリラ戦が泥沼化する怖れが強い。
イスラエルは2005年9月、当時のシャロン首相の主導で1967年の第3次中東戦争から38年間占領していたガザから一方的に撤退。翌06年1月のパレスチナ評議会(国会に相当)選挙ではハマスが圧勝したが、アッバス・パレスチナ自治政府議長(大統領に相当)が率いる穏健派ファタハは治安権限をハマス主導政府に移譲することを拒否した。ハマスはガザで独自に武力を増強してファタハ系治安部隊とたびたび衝突、07年6月にガザ全域を制圧してファタハ勢力を追放、パレスチナ自治区はアッバス議長が統治するヨルダン川西岸とハニヤ首相以下のハマス政府が支配するガザに分裂した。
この後、ガザからはイスラエル領にロケット弾が発射され、イスラエル軍はガザを封鎖する兵糧攻めと報復爆撃で応じるというパターンが繰り返されたが、08年6月にエジプトの仲介でイスラエルとハマスの間で6カ月間の停戦協定が成立した。この停戦協定は昨年12月19日に期限切れとなり、延長されなかった。停戦条件のひとつであったガザの封鎖解除をイスラエルが守らなかったために、ハマスが延長に同意しなかったのだ。ガザはイスラエル領土と地中海に囲まれた細長い地帯だが、イスラエルはガザの周囲に高いコンクリートの分離壁をめぐらせている。分離壁の数カ所に設けられた関門はイスラエルの武装兵士が守り、食糧や燃料など生活物資のガザ搬入をイスラエル政府が認める時だけ開門するというやり方で、実質的なガザ封鎖を続けているわけだ。
さて停戦協定が切れると、ガザからはロケット砲撃が再開された。それなのにイスラエル側は12月26日関門を開いて、国連など国際援助組織からの生活物資の搬入を認め、ハマス側の油断を誘った。そして翌27日、突如として空からの猛爆撃が始まり、イスラエル国防省の発表によると「第1波4分間の一斉空爆で200人以上を殺した」という。ハマス側は空爆を警戒して治安施設から人員をいったん退避させていたが「28日まで敵襲はない」と判断して施設に戻し、多数を死傷させたという。イスラエル得意の諜報作戦の成果だったのだろう。
イスラエル国防軍は、空爆開始に当たって「われわれは停戦継続を望んでいたが、ハマスが拒否し、ロケット弾攻撃を拡大してきた」と説明しているが、イスラエルの平和団体などは停戦条件に違反し、ハマスを挑発したのはイスラエル軍だと指摘している。イスラエルの新聞ハーレツが暴露したところによると、ガザ空爆作戦は半年以上前から、ハマスはもとより自国民をも欺く電撃作戦として、入念に計画されていたという。同紙によると、バラク国防相が作戦準備を指示したのはハマスとの停戦協定に調印した昨年6月より前のことだった。軍は国内諜報機関シャバクの協力を得て、ハマスの治安施設や武器庫、訓練場、幹部宅の場所など詳細な情報収集を続けていた。同国防相は停戦期間中の11月に作戦計画を承認、オルメルト首相の同意を取り付け、12月24日の治安閣議で最終的にガザ攻撃作戦は承認された。しかしこの閣議については、国際的イスラム過激派の動きを検討したとの虚偽のプレス発表がなされていた。
12月27日の空爆開始に当たりイスラエル軍が発表した広報資料は、ガザを発射基地とするハマス側からのロケット攻撃がイスラエルの国民の生命と財産を危険に陥れている以上、その根源を壊滅させなければならないと強調した。しかし人口密集地ガザが高性能爆弾やミサイルで爆撃され、多数の死傷者が出ているとの報に、世界中の市民が顔を曇らせた。その中で米国ブッシュ政権のジョンドロー報道官は、この空爆を「イスラエルの自己防衛に必要な行動と理解している」「(ハマスの)テロ組織としての本性がまたも示された」と語り、またブラウン英首相も「イスラエル政府の国民の安全に対する責任感を理解する」と述べ、イスラエルを弁護する姿勢を明らかにした。
ガザからは、ハマスの軍事部門「カッサム旅団」や「イスラム聖戦」などパレスチナ抵抗組織が、以前からイスラエル領にロケット弾を撃ち込んでいた。彼らは1948年以来自分たちの故郷パレスチナがイスラエルに奪われ、多数の同胞が殺され、難民として追い出されたという客観的事実、アラビア語で言うところの「ナクバ」(大惨事)を人間として認めることは出来ない、われわれは抵抗する権利があると考え、殉教する覚悟で戦っている人々だ。イスラエル政府やイスラエルを盲目的に支持している米政府などは、彼らをテロリストと呼んで非難している。しかし多くのパレスチナ人、アラブ人、イスラム教徒は、彼らを抵抗戦士と考えている。
最近でこそ、彼らが撃ち込むロケットは旧ソ連製のカチューシャなど性能の良いものも混じるようになった。また12月27日以降は発射されるロケットの数も飛躍的に増えた。しかしイスラエル軍が使う兵器の性能に比べれば「月とスッポン」だ。07年の統計だと、パレスチナ側の攻撃で死んだイスラエル人1人に対し、イスラエルの攻撃で死んだパレスチナ人はほぼ40人の比率だった。ところが08年12月27日以来のガザ空爆でで殺されたパレスチナ人が約450人。ガザからのロケット砲撃で死亡したイスラエル人は4人か5人。ざっと100人にひとりの比率となっている。
このタイミングで、何故イスラエルがガザ侵攻に踏み切ったか。その理由として2点が考えられる。第1は、アメリカのオバマ次期大統領が就任する前に事を起こし、既成事実を造ってしまうためだ。第2は、今年2月に予定されているイスラエル国会選挙の前に、選挙民にアピールしたいとする政権与党の思惑である。
オバマ次期大統領の政権移行オフィス(シカゴ)は3日、イスラエル軍のガザ侵攻に対する反響を求められて「次期大統領は、ガザ情勢を含めたグローバルな出来事を綿密にモニターしている」とのコメントを出しただけで、オバマ氏の考え方は示さなかった。イスラエルべったりのネオコン(アメリカの新保守派)の影響力が濃いブッシュ政権は、何ごとにつけいつもイスラエル擁護を明確にしてきた。そのブッシュ政権の任期最後のきわどいタイミングで、既成事実を作っておこうとイスラエルが考えてもおかしくはない。
オバマ氏は初めからイラク戦争反対を明らかにしているが、中東和平問題をどう考えているのかはまだ明確にしていない。しかし反ユダヤ・反イスラエルではない。第2次世界大戦以前から続いている民主党の支持基盤「ルーズベルト連合」は、黒人やアジア系などの少数派民族、ユダヤ人、労働組合から成っている。米政界に強い影響力を持つユダヤ・ロビーはニクソン、レーガン、ブッシュの共和党にも影響力を増したが、米国のユダヤ系市民は民主党の方により親近感を抱いている。オバマ氏がそのことを知らないはずはない。
しかも1月20日に発足するオバマ・ホワイトハウスを取り仕切る大統領首席補佐官に指名されたのは、シカゴ選出下院議員のエマニュエル氏。この人の父親は、1930年代から40年代にかけてイスラエル建国を目指しゲリラ戦を展開、当時パレスチナを委任統治していた英国にテロ組織と呼ばれていた武装組織「イルグン」のメンバー、つまり「建国の英雄」のひとりである。エマニュエル氏自身、米国籍とイスラエル国籍を保有し、1990年の湾岸戦争当時、サダム・フセインのイラクからミサイル攻撃を受けたイスラエルにボランティアとして駆けつけた経験を持つ。オバマ氏はこういう人物を首席補佐官に任じたのだから、そのイスラエル観は「推して知るべし」だ。
またオバマ氏は、ヒラリー氏との民主党候補指名争いに勝利したばかりの昨年6月5日、ワシントンで開かれた有力ユダヤ・ロビー「米イスラエル公共政策委員会」(AIPAC)の年次総会に出席、ユダヤ系有力市民7000人を前に「私はイスラエルの真の友人だ。イスラエルとアメリカの絆は断ち切ることが出来ないものであり、一心同体だ」と雄弁を振るっている。ユダヤ系ロビー団体の米国世論に対する影響力の大きさ、強さは言うまでもないが、民主党候補者として大変なリップサービスだった。
しかし今や、ユダヤ系市民の支援も得て大統領に当選し、超大国アメリカの中東政策、世界政策を展開する責任者として、この60年間もつれにもつれたパレスチナ問題をどう解決するか。オバマ氏がイスラエル軍のガザ侵攻という新事態をどのように分析し、どのように対処しようとしているのか。それはイスラエル、パレスチナの当事者だけでなく全世界の関心事である。
一方、来月に総選挙を控えたイスラエル国内の政争も複雑だ。オルメルト首相は、かつてのエルサレム市長時代に多額の政治献金を受けて献金者に便宜を計ったというスキャンダルが暴露され、第1与党カディマの党首を辞任している。これを受けて08年10月カディマの党首に選ばれたリブニ外相(女性)は、新連立内閣を組もうと試みたが議会内多数派を説得できず、09年2月総選挙に賭けることになった。オルメルト首相が実権を失った今、リブニ外相のライバルは連立与党、労働党の党首であるバラク国防相である。陸軍特殊部隊出身のバラク氏は、1995年労働党党首だったラビン首相が暗殺された後同党党首に選ばれ、1999年の首相公選で右翼リクードのネタニヤフ党首に圧勝して首相に就任したが、2001年の首相公選でシャロン氏に敗れて下野した。
01年当時シャロン首相はリクード党首だったが、03年に始まったイラク戦争が長引き米国の旗色が悪くなる中で、イスラエル生き残りのための策としてガザ撤退を決意。リクード内多数派の反対を押し切って、05年9月までにガザからイスラエル軍とユダヤ人入植者を引き揚げさせた。シャロン氏は、05年11月自党首自らリクードを脱党して新党カディマを立ち上げたが、06年1月脳卒中で倒れ、以後は植物人間に。首相職は首相代行兼通産相兼財務相のオルメルト氏が引き継いだが、前記のスキャンダルのため実態は既に失脚している。
こうした複雑なプロセスを経たイスラエルでは、2月10日の総選挙が迫っている。総選挙の焦点は、古参政党労働党党首のバラク氏と、シャロン前首相の「秘蔵っ子」で新党カディマの党首に選ばれたリブニ氏とのライバル関係に、野党リクード党首のネタニヤフ氏が絡む三角関係である。対ハマス主戦派のバラク氏、外交解決派のリブニ氏、これまで局外にいた対ハマス最強硬派のネタニヤフ氏の誰が勝利するか、つまどの党が第1党になるか。ブッシュ政権内のネオコンが全盛時代はネタニヤフ氏が有利とみられていたが、イラク戦争の失敗でネオコンが凋落し、未知数の要素のあるオバマ政権発足を見てイスラエル選挙民はどういう判断を下すだろうか。
バラク国防相、リブニ外相とも総選挙前にはハマスとの間に、より有利な条件でガザ停戦を実現したいと考えていることは間違いない。しかしいったんゲリラ戦が始まると、死を恐れず、むしろ殉教を望むパレスチナ戦士がイスラエル兵を苦しめることは明らかだ。イスラエル選挙民は今のところ、ガザからのロケット攻撃を止めるためだとする国防当局発表を信じ、圧倒的多数がガザ侵攻を支持している。しかしガザに常駐するパレスチナ支援のNGOからは、1週間の猛爆はロケット発射基地をわざと避けていたようだとの報告が寄せられている。とすると、今度の地上軍投入はロケット退治を名目に、実は本格的ガザ再占領を意図した作戦かもしれない。
イスラエルは2007年夏、レバノンのイスラム教シーア派のヒズボラを制圧しようと、レバノン南部に猛爆撃を加え、地上軍を投入するという大作戦を展開した。ヒズボラは同じシーア派のイランから軍事援助を受けていることから、イランを敵視する米欧諸国から非難を浴びていた。欧米中心のメディアからはテロリスト呼ばわりされたヒズボラだが、兵器の性能に優れたイスラエルの猛攻に耐えレバノン南部に広がる根拠地を守り抜いた。このためヒズボラはアラブ・イスラム世界で英雄視され、その一方でオルメルト政府の評判は地に落ちた。
元はと言えば、2000年にわたってこの地に住んできたパレスチナ人の土地を、ユダヤ人が「2000年前はわれらが父祖の地だった」と言って力ずくで奪ったことから発生したパレスチナ紛争である。それなのにパレスチナの抵抗をテロと決めつけ、正義の反テロ戦争だというポーズを取るイスラエルのやり口は「盗人猛々しい」と言う以外にない。
最近でこそ、彼らが撃ち込むロケットは旧ソ連製のカチューシャなど性能の良いものも混じるようになった。また12月27日以降は発射されるロケットの数も飛躍的に増えた。しかしイスラエル軍が使う兵器の性能に比べれば「月とスッポン」だ。07年の統計だと、パレスチナ側の攻撃で死んだイスラエル人1人に対し、イスラエルの攻撃で死んだパレスチナ人はほぼ40人の比率だった。ところが08年12月27日以来のガザ空爆でで殺されたパレスチナ人が約450人。ガザからのロケット砲撃で死亡したイスラエル人は4人か5人。ざっと100人にひとりの比率となっている。
このタイミングで、何故イスラエルがガザ侵攻に踏み切ったか。その理由として2点が考えられる。第1は、アメリカのオバマ次期大統領が就任する前に事を起こし、既成事実を造ってしまうためだ。第2は、今年2月に予定されているイスラエル国会選挙の前に、選挙民にアピールしたいとする政権与党の思惑である。
オバマ次期大統領の政権移行オフィス(シカゴ)は3日、イスラエル軍のガザ侵攻に対する反響を求められて「次期大統領は、ガザ情勢を含めたグローバルな出来事を綿密にモニターしている」とのコメントを出しただけで、オバマ氏の考え方は示さなかった。イスラエルべったりのネオコン(アメリカの新保守派)の影響力が濃いブッシュ政権は、何ごとにつけいつもイスラエル擁護を明確にしてきた。そのブッシュ政権の任期最後のきわどいタイミングで、既成事実を作っておこうとイスラエルが考えてもおかしくはない。
オバマ氏は初めからイラク戦争反対を明らかにしているが、中東和平問題をどう考えているのかはまだ明確にしていない。しかし反ユダヤ・反イスラエルではない。第2次世界大戦以前から続いている民主党の支持基盤「ルーズベルト連合」は、黒人やアジア系などの少数派民族、ユダヤ人、労働組合から成っている。米政界に強い影響力を持つユダヤ・ロビーはニクソン、レーガン、ブッシュの共和党にも影響力を増したが、米国のユダヤ系市民は民主党の方により親近感を抱いている。オバマ氏がそのことを知らないはずはない。
しかも1月20日に発足するオバマ・ホワイトハウスを取り仕切る大統領首席補佐官に指名されたのは、シカゴ選出下院議員のエマニュエル氏。この人の父親は、1930年代から40年代にかけてイスラエル建国を目指しゲリラ戦を展開、当時パレスチナを委任統治していた英国にテロ組織と呼ばれていた武装組織「イルグン」のメンバー、つまり「建国の英雄」のひとりである。エマニュエル氏自身、米国籍とイスラエル国籍を保有し、1990年の湾岸戦争当時、サダム・フセインのイラクからミサイル攻撃を受けたイスラエルにボランティアとして駆けつけた経験を持つ。オバマ氏はこういう人物を首席補佐官に任じたのだから、そのイスラエル観は「推して知るべし」だ。
またオバマ氏は、ヒラリー氏との民主党候補指名争いに勝利したばかりの昨年6月5日、ワシントンで開かれた有力ユダヤ・ロビー「米イスラエル公共政策委員会」(AIPAC)の年次総会に出席、ユダヤ系有力市民7000人を前に「私はイスラエルの真の友人だ。イスラエルとアメリカの絆は断ち切ることが出来ないものであり、一心同体だ」と雄弁を振るっている。ユダヤ系ロビー団体の米国世論に対する影響力の大きさ、強さは言うまでもないが、民主党候補者として大変なリップサービスだった。
しかし今や、ユダヤ系市民の支援も得て大統領に当選し、超大国アメリカの中東政策、世界政策を展開する責任者として、この60年間もつれにもつれたパレスチナ問題をどう解決するか。オバマ氏がイスラエル軍のガザ侵攻という新事態をどのように分析し、どのように対処しようとしているのか。それはイスラエル、パレスチナの当事者だけでなく全世界の関心事である。
一方、来月に総選挙を控えたイスラエル国内の政争も複雑だ。オルメルト首相は、かつてのエルサレム市長時代に多額の政治献金を受けて献金者に便宜を計ったというスキャンダルが暴露され、第1与党カディマの党首を辞任している。これを受けて08年10月カディマの党首に選ばれたリブニ外相(女性)は、新連立内閣を組もうと試みたが議会内多数派を説得できず、09年2月総選挙に賭けることになった。オルメルト首相が実権を失った今、リブニ外相のライバルは連立与党、労働党の党首であるバラク国防相である。陸軍特殊部隊出身のバラク氏は、1995年労働党党首だったラビン首相が暗殺された後同党党首に選ばれ、1999年の首相公選で右翼リクードのネタニヤフ党首に圧勝して首相に就任したが、2001年の首相公選でシャロン氏に敗れて下野した。
01年当時シャロン首相はリクード党首だったが、03年に始まったイラク戦争が長引き米国の旗色が悪くなる中で、イスラエル生き残りのための策としてガザ撤退を決意。リクード内多数派の反対を押し切って、05年9月までにガザからイスラエル軍とユダヤ人入植者を引き揚げさせた。シャロン氏は、05年11月自党首自らリクードを脱党して新党カディマを立ち上げたが、06年1月脳卒中で倒れ、以後は植物人間に。首相職は首相代行兼通産相兼財務相のオルメルト氏が引き継いだが、前記のスキャンダルのため実態は既に失脚している。
こうした複雑なプロセスを経たイスラエルでは、2月10日の総選挙が迫っている。総選挙の焦点は、古参政党労働党党首のバラク氏と、シャロン前首相の「秘蔵っ子」で新党カディマの党首に選ばれたリブニ氏とのライバル関係に、野党リクード党首のネタニヤフ氏が絡む三角関係である。対ハマス主戦派のバラク氏、外交解決派のリブニ氏、これまで局外にいた対ハマス最強硬派のネタニヤフ氏の誰が勝利するか、つまどの党が第1党になるか。ブッシュ政権内のネオコンが全盛時代はネタニヤフ氏が有利とみられていたが、イラク戦争の失敗でネオコンが凋落し、未知数の要素のあるオバマ政権発足を見てイスラエル選挙民はどういう判断を下すだろうか。
バラク国防相、リブニ外相とも総選挙前にはハマスとの間に、より有利な条件でガザ停戦を実現したいと考えていることは間違いない。しかしいったんゲリラ戦が始まると、死を恐れず、むしろ殉教を望むパレスチナ戦士がイスラエル兵を苦しめることは明らかだ。イスラエル選挙民は今のところ、ガザからのロケット攻撃を止めるためだとする国防当局発表を信じ、圧倒的多数がガザ侵攻を支持している。しかしガザに常駐するパレスチナ支援のNGOからは、1週間の猛爆はロケット発射基地をわざと避けていたようだとの報告が寄せられている。とすると、今度の地上軍投入はロケット退治を名目に、実は本格的ガザ再占領を意図した作戦かもしれない。
イスラエルは2007年夏、レバノンのイスラム教シーア派のヒズボラを制圧しようと、レバノン南部に猛爆撃を加え、地上軍を投入するという大作戦を展開した。ヒズボラは同じシーア派のイランから軍事援助を受けていることから、イランを敵視する米欧諸国から非難を浴びていた。欧米中心のメディアからはテロリスト呼ばわりされたヒズボラだが、兵器の性能に優れたイスラエルの猛攻に耐えレバノン南部に広がる根拠地を守り抜いた。このためヒズボラはアラブ・イスラム世界で英雄視され、その一方でオルメルト政府の評判は地に落ちた。
元はと言えば、2000年にわたってこの地に住んできたパレスチナ人の土地を、ユダヤ人が「2000年前はわれらが父祖の地だった」と言って力ずくで奪ったことから発生したパレスチナ紛争である。それなのにパレスチナの抵抗をテロと決めつけ、正義の反テロ戦争だというポーズを取るイスラエルのやり口は「盗人猛々しい」と言う以外にない。
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