2023.12.07 汚染水放流という非常識
韓国通信NO732       
 
小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 政府は放射能汚染水を「処理水」として海に放流し続けている。緘口令が敷かれたように最近は「汚染水」という言葉さえ聞かれなくなった。口にしただけで「非国民」扱いの雰囲気さえある。異議を申し立てた中国政府や韓国の市民たちは常識をわきまえない「反日」扱い。専門家と市民たちの懸念、漁民たちの不安は全く無視されたままである。原発事故を起こした国の何という不遜・傲慢さだろうか。

 政府は原子力国際機関(IAEA)のお墨付きをもらい「この紋所が 目に入らぬか」と言わんばかりだ。周知の事実であるが、IAEAは決して安全とは言っていない。
 小泉進次郎元環境大臣が放流直後の福島で刺身を食べて「安全」をアピールした。これが次期首相を狙うエリート議員の姿だ。新聞・テレビは政府見解の検証すらしない。衆院予算委員会で立憲民主党の泉代表が「ていねいな」説明をして中国を説得すべきだと岸田首相に迫った。野党第一党がこの体たらくだ。
 魚が食べられなくなってから汚染水をどうやって回収するのか。世界中の漁民たちから賠償を求められたらどうするのか。間違いなく後世の日本国民が支払うことになる。
 魚好きの私は魚を食べ続けている。「今だけ」の自分が情けない。罪悪感でいっぱいだ。今からでも遅くない。放流は中止すべきだ。

 『南相馬日記』の続編をお届けする。福島をこよなく愛する韓国人写真家鄭周河さんの思いが伝わる出色のレポートである。

『南相馬日記』その2     鄭周河
<南相馬から白河へ>
 今日は11月3日。南相馬から同じ福島県の白河に行く日だ。白河 にはアウシュヴィッツ平和博物館があり、塚田元理事長に会いに行くことになっている。 アウシュヴィッツ平和博物館は市民たちが作ったNPO法人が運営している。   
 1988年にポーランド政府から遺品資料等を借りて日本全国を巡回展示することから始まり、2000年4月に栃木県塩谷郡塩谷町に常設館を開館後、2003年に福島県白河市に移転し再開館した。 正会員88人、賛助会員514人、支援団体26という大規模な博物館で、常設展示のほか各種のイベントが開催される。

 うれしいことに、小原さんが今回も私のために通訳をしてくれることになった。 2017年、白河で開かれた「奪われた野にも春は来るのか」写真展に通訳ボランティアとして参加された時が初対面だった。彼の通訳のおかげで塚田さんをはじめ会員の皆さんと楽しい交流ができたという記憶がある。 個人新聞「韓国通信」を発行して日韓問題を中心に友人たちに配信している。今年81才の彼は銀行を早期退職して韓国に語学留学。金芝河の詩をハングルで直接読みたくて韓国語を学び始めたといううれしい存在だ。最近体調を崩されたと聞いていたが私のために付き合ってくれるという。感謝いっぱいだが、彼の日韓交流に賭ける情熱には驚かされる。

 いつもより早く起きた。 6時過ぎ、しばらく南相馬の朝の町を生硬の思いで眺めながら、のんびりと朝食を食べた。 昨日の夕方に見たユーチューブのアドバイスどおりに野菜を食べてからから炭水化物を摂った。 そのせいかお腹の具合はいい。
 南相馬初日の夕食の後だった。浴場で500ccの缶ビールを飲みながら20分ほど半身浴をしていたら、急にめまいがして息苦しくなった。たったビール1缶で酔うはずはなく、体が支えられない状態になった。 風呂からあがりしばらく冷たい床に横になっていると元気になった。 どうやらアルコールとお湯で血圧が急に上がったようだ。壁伝いに部屋に戻って横になったが胃の痛みが消えなかった。

 食事を終え、時計を見るとまだ8時前。ここから 福島駅までは約1時間である。小原さんからの連絡では11時半に新幹線に乗ればいいはず。 まだ時間に余裕がある。希望の牧場をもう一度訪問して牛たちに別れの挨拶をしてからでも間に合いそうだ。
 早速、車を運転して浪江に向かった。 行く途中に感じる感情は来る時とは全く違う。 それは寂しい感情でも悪い感情でもない。   
 この地域に対する日本政府の対応と、今もなお暮らしている住民たちの無味で平穏無事な雰囲気に多少怒りを感じるのと同時に、失望した気持ちが複合されているように感じられた。以前来た時には道路の周辺に"汚染土再使用反対"の小さなペナントが縦長に掛けられているのを見た。 当時は住民の怒りが少しは残っていた。 今回はいくら走り回ってもペナントひとつ見当たらなかった。
 消えた数多くの汚染土1トンバックの山はどこかに移動されたはず。 道路か畑の下に埋められたのかも知れない。隠したところで 放出される放射能の総量は変わることはないはず。汚染土が堅固に固体化されたことで住民たちの意識も固体化されたのだろうか。ここはとてものどかで平安だ。 いや、慣らされて諦めている姿に見える。 私の判断が間違っていればいいのだが、町の様子はそんな風だった。

 突然、数日前のことを思い出した。
  双葉町の海辺の近くで隠蔽された汚染土を見て、車を北に走り続けた。 海岸に近い道路はとてもよく整備されていた。 しかし、海が見えない。 2011年3月11日の津波によって大被害に遭ったせいか、立派で高い防波堤が作られていた。 辺りに数多くの太陽光パネルが設置されていて、所々に新しい人家が見え、墓地が見えた。 墓地を生活者の近くに置いていること、土盛りがない点が韓国とは違う。 日本では死者の存在は韓国より淋しい存在ではないように見える。 集落の中にも、田んぼにも、野原にも墓がある。 大部分が黒や灰色の大理石でしつらえた墓地は、墓前に供えられた菊の花さえなければ、よく手入れされたさまざまな墓碑石が、同じ空間に集めたインスタレーション作品のように見える。厳粛な 気持ちでさらに北上した。

  10月30日。遠くに高い煙突から白い煙が湧き出て、雲のように広がっているのが見えた。 北泉(きたいずみ)海岸にある東北電力の原町火力発電所だ。 南相馬に来るたびに立ち寄ってきた。 2011年11月に初めてここに来た時に感じた荒涼とした雰囲気が思い出される。 発電所の隣の海岸が海水浴場なので、海からおよそ百メートル離れたところにある高いコンクリート階段が津波でひどく破損したままの姿で私を迎えた。 激しい風が煙突にぶつかって泣くように音を立て、波の音はさながらバックグラウントミュージックのように深くすすり泣いていた。 曇り空だったが、空と発電所と海が一体となってそこにあった。

<サーフィンを楽しむ若者に衝撃>
 今回訪れたこの地は不思議なくらいに暖かく、風が吹いていても穏やかだった。 道路脇に駐車して道路から海岸をめざして高い防波堤を苦労して登った。そこから はるか向こうに広々とした海が一望でき、透明な風が吹き寄せていた。おかしなものに気づいた。海辺で泳ぐ人たちがいるのだ。 よく見ると水泳ではなくウィンドサーフィンだった。 急に胸がどきどきした。 こんなことってあり得るのか。 ここは福島第一原発からさほど遠くないところだ。 韓国から汚染水「放流/投棄」を「心配/怒り」をいっぱい抱いてやってきた私にはとても理解できない。 不思議な光景は、私の末梢神経を深く刺激し私の全身を揺るがした。
 走った、走った。走りながらカメラを鞄かから取り出し、とりあえずワンショット。 海に向かって、その理解できない光景を映像に残すために! そして息を吐きながら、あらためて砂浜と発電所の煙突。サーフボードを抱えて海に向かう数人の若者たちを確認した。 心臓が止まりそうなくらいに戦慄が走った。若者たちの想像を絶する無心な行動はどこからくるのか。
2023福島

<写真/南相馬原町火力発電所/まだ防波堤は築かれていない/2013/3 筆者撮影>

 (日本の)国家が途切れることなく世論を操作しているからなのか? あるいはそれに対する反抗なのか? それとも陶酔なのか? さらに何人かを発電所の煙突を背景に撮影した。 もちろん、笑いながら、「君はとても素敵だ」というダイアン·アーバス式感動の言葉と目つきを送りながら。
 註)ダイアン・アーバス(Diane Arbus, 1923年3月14日 - 1971年7月26日)は、著名なアメリカの女性写真家。「アブノーマル」な人間を撮影したことで知られる。

 鄭周河さんの『日記』は続く。翻訳者としては能力を超えた量と内容に少々ため息がでそうだ。しかし原発事故、再稼働、汚染水の放流という現実に流されている感のある私たち日本人にとって、久しぶりに訪れた韓国人写真家が見た福島の感想はとても刺激に満ちた内容である。白河に到着後、災害セターで開催中の油彩展を見学、お目当ての塚田元理事長、小渕館長らと懇親後、翌々日は徐京植さんと会うなど多忙な日程をこなした。続編を期待したい。
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