2007.07.13  元防衛相に読ませたい  伊藤明彦著の「夏のことば ヒロシマ ナガサキ れくいえむ」
岩垂 弘 (ジャーナリスト)


 久間章生防衛大臣が原爆投下を「しょうがないなと思っている」と講演で述べたと聞いた時、私の脳裏に一瞬ひらめいたのは、この4月末に刊行されたばかりの一冊の本だった。伊藤明彦著の『夏のことば ヒロシマ ナガサキ れくいえむ』である。

 「ある一事に生涯を賭ける」という言葉がある。特定の仕事に全身全霊を打ち込んだ人を生き方を紹介する時によく使われるが、これほど言うはやすくして実行しがたい言葉もない。が、世の中にはそうした生き方を実際にしている人が、まれにいる。本書の著者、伊藤明彦氏もその一人だろう。
 伊藤氏は1936年生まれ。録音機をかついで原爆被爆者を訪ね、被爆体験を語らせ、それを収めたテープやCDを全国の図書館や平和資料館などに寄贈しつづけているジャーナリストである。そうした活動を始めたいきさつ、活動の中で出合った困難、そして、活動を通して知った被爆の実相と被爆者の心情を伊藤氏自らが書きつづったのが本書だ。
 伊藤氏がこうした作業を始めたのは一九六八年。伊藤氏は当時、長崎放送の記者で、そこでのラジオ番組「被爆を語る」を担当したからだった。この番組は伊藤氏自身が企画・提案したもので、自身が長崎育ち、原爆投下十日後に入市被爆したという経験の持ち主だったことから、被爆者の声を広く伝え、保存したいと思い立ったのだった。
 ところが、やがて同放送を、さらにその後の転職先も辞める。被爆者の声の収録作業に専念するためだ。その時間を確保するために定職につかず、早朝・深夜にパート労働に従事して生活費をかせいだ。
 八年間にわたる作業で声を収録できた被爆者は一〇〇三人。広島、長崎での被爆者のほか、ビキニ水爆実験の被災者一九人も含まれる。伊藤氏はその後、これら被爆者の声を、まずオープン・リールに、次いでカセット・テープ、さらにCDに編集し、寄贈してきたわけである。
 伊藤氏のこうした活動によって、私たちは被爆者の体験を、じかにでないものの、それに近い形で聴くことができる。被爆から62年。高齢化の進行で被爆者が減りつつあり、今後、さらにこの傾向が一層加速することを考えると、伊藤氏の活動によって残された被爆者の「声」は被爆の実相を知る上で、かけがえのない手がかりとなるだろう。まさに、人類にとって貴重な「遺産」といえる。

 本書には、自らも被爆しながらも、献身的に被爆者の救護にあたった医師の証言も収められている。
 例えば、広島逓信病院勤務の医師だった鼻岡寿男さんは伊藤氏にこう語る。
 「こんなみじめな状態が、人道的に許されるんじゃろうかと、治療しながらつくづく考えましたねえ。なんともいえない患者を診まして、気の毒な若い人が、亡くなっていくのをねえ、忍びられんですなあ。じっさい、ええ。許せない、ということですなあ。ぜったい許せんですなあ。じっさいに、目の前に見て、治療する者にとってねえ、ぜったいてきにねえ、人道的にゆるせませんね、人道的に」
 「原爆いうようなものは、人間をゼロにするんですからねえ。もう、どういうても、その、いけませんなあ!」
 原爆被爆というものがどういうものであったかが、この証言に表現されているのではないか。
 「『被爆都市』三次市の記録――田園都市のなかのヒロシマ」も貴重な記録である。1974年に広島市から東北へ六二キロ離れた三次市に住む被爆者を訪ねて、被爆体験を聴いた記録で、いまさらながら被爆直後の悲惨な状況に絶句する。
 原爆投下を「しょうがない」と考える人々にぜひ読ませたい一書だ。これをひもとけば、被爆の実相と被爆者の心情を知ることができるにちがいない。

 このほか、本書には、極めて興味深い論考も収められている。例えば、1981年に広島を訪れたローマ法王、ヨハネ・パウロ二世が発した「平和アピール」に対する疑念や、「浦上の聖者」といわれた長崎の永井隆博士への「冒涜的空想」だ。

 本書への問い合わせは、都立第五福竜丸展示館ニュース「福竜丸だより」によると、文藝春秋企画出版部、電話03−3265−1211(代)まで、となっている。
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