2009.11.21 高原の町の一人暮らし――食いものの巻
       ――チベット高原の一隅にて(60)――

阿部治平 (中国青海省在住、日本語教師)


学生が来ると、たいていは冷蔵庫や鍋の残りものをかき集めてビーフかマトンのカレーを作ります。
ビーフだのマトンだのといっても草原を駆回ったヤクと羊の命をいただいたものだから何しろ硬い。ヤクなどそのまま口の中に入れると麻縄をかんでいる感じだ。歯が立たないから包丁で細かくたたく。
中国製カレー粉を使い、日本風のとろみはジャガイモをすり下ろすか片栗粉を使う。カレールウは貴重品だから一切れ入れるだけ。
ついこの間、学生が本物の日本料理ができますかと聞いてきたから、羊肉と豆腐とねぎでトン汁ならぬマトン汁を食わせた。貴重な味噌を使ったのに「カレーはありませんか」といった。彼らはインドになんとなく親しみがあるみたいでカレーが好きだ。

純水の沸点は標高3000メートルで90℃というから西寧は91〜2℃で飯が炊き上がる。米を炊飯器で普通に煮るとぱさぱさになるが、熱いうちはいい。自分ひとりのためにはタマゴかけご飯・白菜漬・味噌汁だと最高だ。冷飯は「お茶漬けの素」があれば上等。なければ味噌茶漬け、最後はチャーハンとなる。
ビーフかマトンの肉じゃが・肉豆腐、ホウレンソウやチンゲンサイのおひたし。野菜のかき揚も作る。冷奴は豆腐がまずいのと衛生上食わない。

白菜漬は掃除用のビニールバケツで作る。バケツのひとつに白菜を四つ割りにして重ね、もうひとつに水を張って重石にする。いまが一番うまい季節だが、暖房が入っているからベランダに出さないとすぐ酸っぱくなる。
ホンコンの醤油に「李錦記」というのがあって、これに塩と「かつおだしの素」を入れ湯ざましでわると日本の醤油味になる。そのためか、学生は「先生の料理はなんでも海の味がする」という。
純日本料理としてナガイモをおろしてトロロ汁をつくった。学生たちは箸で少し口に入れ「おいしいけど・・・」といった。わたしはこれに卵の黄身を落として酒の肴にした。彼らは気味悪そうにわたしが「トロロ月見」をすすりこむのを見た。――うまい!喉を通過するとき気が遠くなる感じだ。ざまあみろ!
数年前まで高原から来るヤクと羊の肉は安心だった。だが、いまは西寧の近くで肥育して市場に出しているから少し心配だ。だが、チベット高原の羊肉はうまい。
雪が来てから、羊の後足を2本買ってきて、1本に塩をよくすりこんでそのままベランダにつるした。もう一本は燻製にした。大きめの蒸器の底にクルミやピーナッツの殻をいれ、蒸気を通す網(昔はサナといいました)の上に骨付き肉を置いて電熱器で加熱して煙を立てる。これもつるして乾かす。
去年は時期が早すぎたため、ハエが卵を産みつけ、コロコロに太った幼虫が肉の間から出てきた。今年はまあまあのものができた。
昨夜は学生が来て肉を削ぎとって「ミエンピエン(麺片)」を作ってくれた。すいとんとうどんのあいの子だがなかなかの味だった。
北京の親しい人たちにいわせるとわたしの体は羊の臭いがするとのことだ。君たちはブタのにおいがしますよ。

ちょっと話が変わります。
2ヵ月前まで我家には日本人の居候がいた。寄宿人はすべて日本人女性で、「アラサー」とか「アラフォー」という世代だった。わたしの家は、客間のほか部屋が3つもある。部屋はみなカギがかかるから「安全」です。わたしには娘がいないから初めて「アラサー」女史がきたとき、うちの中が華やいでうれしかった。
最初の人は借家が見つかるまでの3週間。つぎはその人から我家の話を聞いたらしいのが同じ理由で1ヵ月くらい。女二人が一緒にいたこともある。最後の人は2,3日ということだったが2ヵ月近く住んでいた。女たちが住み込んでからまずかったのは、学生が遠慮して来なくなったことである。
そして、わたしは娘を持つのも容易なことではないとおもった。最後のひとりが出て行ったときは緊張がゆるんでぶっ倒れそうな感じだった。彼女たちのわたしへの戒めは「下着をよくかえること」であった。

そこで食い物の話に戻るけれども、彼女たちは料理を作ることは作ったが、みな念が入っていて時間がかかり、何がないからできない、かれがないからだめとよくいった。
彼女たちがわたしのために残した最大の遺産は、棚の上や冷蔵庫のなかの、各種の香辛料・カレールウ・お茶漬けの素・各種ふりかけ・レトルト食品などであった。中には日本から持ってきたインド製のカレー粉やスパイス、スウェーデン製の燻製サケ、中国産乾燥ワカメや海苔、乾エビやアミもあった。わたしにとってみな宝物であった。もちろん中国で買った調味料や保存食もあった。ありがとうございます。

また話が横道にそれます。
中国から帰国するたび田舎で盛大に焚火をやる。煙を発見すると知合いがすぐ跳んでくる。ビニール袋や紙ではなく枯枝を燃やしているとわかれば安心して帰る。畑の土にダイオキシンが微量でも発見され、これがニュースになると村全体の野菜が売れなくなるからだ。
だが、ポリエチレンを燃やしてもダイオキシンは出ない。二酸化炭素と水になるだけだ。塩化ビニールは塩化水素とともにダイオキシンが微量出る。しかし、日本人のダイオキシン摂取は空気や野菜からは少なく、大半は海産物によるものである。
ダイオキシンは極微量でも体に害を与えるとして、摂取量がどこまで行けば発病するかわかっていない。ベトナム戦争のダイオキシンの悲劇は枯葉剤をまいたほうも、まかれたほうもあまりに多くのダイオキシンを吸ったからだ。普通に暮らしていたら、ジーゼルエンジンの排気ガスのほうが何十倍も危険だ。この危険と安全の境界研究は1990年代のはじめに世に出ていたのにメディアはろくに報道しなかった(中西準子『環境リスク論』岩波書店)。
中国製の調味料や海苔や乾ワカメ・エビ・アミはおいしいけれども、なるべく少ししか食わないようにしている。わたしは東部臨海地帯で養殖場や近海がひどく汚染されているのを見てきた。それは日本の比ではないから怖いのである。

突然チベット食の話です。
学生はたいてい家からゴリとマリを持ってきてくれる。焼け土で焼いた大型のパンとヤクのバターである。ときにはツァンパ(ムギを炒って粉にしたもの)、ジョマ(野生の小さな草の根茎)、バケツいっぱいのショ(ヨーグルト)などが届くことがある。
こちらは空気が乾燥しているからと油断すると、パンは3日ほどでカビが来る。急いで食いたいがとにかく大きすぎる。バターにも青いカビらしい筋が入ってくる。そこでパンは冷凍保存する。バターは加熱し純粋バターにしてタッパーに流し込む。ヨーグルトもコーヒー漉しを使って濾過し、カテッジチーズ状のものを作る。こうしたものが冷蔵庫の中にいくつもたまる。物入れも小麦のツァンパ,ハダカムギのツァンパ、ジョマの袋でいっぱいになった。
ツァンパとパンを1週間に3,4回は食うが朝は食えない。チベットの食材は有害物質が少ないかわり、体内ガスの発生が旺盛になる。とくにツァンパは1時間後に確実に腹が張る。教室で一発やったら大変だ。チベット人は放屁にうるさい。
このあいだ我家で学生が料理を作っていたとき、とうとうプーッとやってしまった。「失礼」と謝ると、学生たちは神妙な顔をして「聞こえませんでしたよ」といった。

去年の冬は故郷の葉の落ちたカラマツ林の中にいた。雪を踏んで幼なじみが大根漬か菜漬をもってやってきた。枯枝を焚いて酒を煮る。木漏れ日のなかで焚火を囲み、古くなった塩ジャケやサンマのヒラキで熱い酒を飲む。飲むほどに日本のおにぎりの海苔や、シャケやサンマは怖くないという非科学的気分になったのをおもいだす。
いま西寧の四周の山は雪と黄土のまだら模様だ。今日は昼間も氷は硬く凍ったまま。今夜も羊の生ハムと50%の焼酎とツァンパで過ごそう。
Comment
とても面白いです。そちらでの生活が、生き生きとわかります。でみ、たいへんですね。わたしは、中東に計7年暮らしていましたが、羊がだんだん嫌いになってこまりました。どうか、ますますお元気で。
坂井定雄 (URL) 2009/11/25 Wed 09:39 [ Edit ]
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