2009.11.23 印度という国
   ――ニューデリー通信16号(最終号)――               

宮城岳夫 (商社員)
   

近々帰国することになりましたのでニューデリーからの通信は16号を最終と致します。
最近帰国した新聞社の特派員の方が「印度の2005〜07年は9%を超す高度経済成長、2008年はテロ(ムンバイ・テロ等)と金融危機、そして2009年は春に下院総選挙と話題があったが最近は景気も底を打ち成熟したのか、話題にこと欠くようになった」と言われました。しかし、印度人は平均年齢24歳、平均寿命61歳と若く生き急ぎ、急成長している国ですから、これからも話題を提供してくれるでしょう。
日本人の平均年齢は43歳、平均寿命は81歳と印度人と比べると少子高齢化が際立ち、日本が経済成長を維持するには印度の経済成長を取り込まねばならないようです。

「印度の資本収支からみた金融危機の影響と経済状況」:
印度の輸出はGDPの14%と外需への依存は低いのですが、印度は米国と同じ経常と財政の双子の赤字国なので外資依存は高く、その流出入によりGDP成長が左右されます。
因みに、資本収支*とGDP成長率の推移:2007年度は+10兆円(GDPの10%)の流入超で9%、2008年度は金融危機で上期+2兆円、下期は▲1兆円と流出に転じ成長は上期の7.8%から下期には5.8%に失速、2009年度の4−6月は+0.6兆円と流入超(主に証券投資)、成長も6.1%と上昇に転じ景気は底を打ったようです。
懸念材料としては
1)モンスーン期(6〜9月)の降雨量が平年比▲23%で農業生産低下し食料品値上げ、2)欧州銀行の印度企業への貸付金の回収(流出超)が継続し民間設備投資回復の遅れ、3)財政出動で2009年度予算GDP比▲6.8%の財政赤字の拡大があります。(08年度の政府債務残高はGDPの80%と先進国並みの財政赤字国)
ただ、現在株高(最高値の8割回復)通貨高で、市場では成長期待が懸念を上回っています。
*資本収支項目:証券投資、直接投資、短期貿易信用、対外商業借入、印僑の預金等。
「印度の課題」:
印度の課題は今後増える若年労働力を吸収出来る製造業(GDP構成比25.8%)を増やし資本主義経済の拡大再生産、成長のための成長を自己目的化することでしょう。
しかし、中国のインフラは印度に比べ発電能力で3.5倍、高速道路距離で6.7倍、そして鉄道貨物輸送能力では4.7倍(みずほアジア・オセアニアインサイト10月号)に整備され、その格差は大きく、印度ではまずインフラの整備が急務となります。
赴任前に邦画「三丁目の夕日」を家内と見ましたが、印度の街には日本の60年代の雰囲気があり、貧しく、家族寄り添い、子供が遊び回り、大人はたむろし、オート三輪が走り回り、建設の槌音が響き、お金がものを言い、役人と金持ちは威張り庶民を苛め、そして庶民は今日の夕日を見て泣いても、明日の日が良くなることを信じて疑っていないようです。
ニューデリーの空は60年代の東京とおなじようにスモッグで覆われ、先進国が半世紀先の目線で「二酸化炭素排出削減」といっても素直に「ハイ」と言うはずもありません。
ただ、60年代の日本と違うのは携帯電話が4億台以上普及した情報化社会であること、そして核保有国であることです。

「歴史は再び中国と印度の時代へ」:
日本のGDPは2〜3年内に中国に抜かれ、2025年頃には印度にも抜かれるそうで、21世紀は米国、中国と印度の3強の時代になります。歴史を振り返ると、1600年当時の世界の人口(5億人強)とGDPは明帝国が約30%、ムガール帝国は約25%、そして西欧は20%弱を占め、中国と印度の時代でした。(アンガス・マディソン「世界経済2千年史」)
印度は1498年にバスコ・ダ・ガマに発見され、イギリス東インド会社が1601年に設立されるが1858年に解散。ムガール帝国は1877年に滅んで英領印度となり、1947年に独立し、そして1991年に経済自由化に転じ、再び経済大国への道を歩み始めました。 
米国の成長を支えるのは1620年のメイフラワー号の子孫とCIA : Chinese Indian American(中国、印度系米国人)といわれます。が、中国と印度は国境に火種を抱え、人類の多くを占める中国人と印度人は相性が悪く、厄介な時代が来ないとも限りません。

「孤独な大国、印度のパートナー国は」: 
日本の外務省が印度で行った対日世論調査では、印度人は概ね日本に信頼感を持ち、日系企業の進出を歓迎しますが、パートナーとしてはどうかというと、印度人の48%が米国を挙げ、30%がロシア、14%が日本、3%が中国、そして2%が英国という結果でした。
ガンジーに「二度と外国の植民地にはなりたくないが、どうしてもならなくてはならないならもう一度英国を選ぶ」といわしめた英国を挙げた人がたったの2%とは意外でした。
印度人はパートナーに米国、ロシア、日本を1,2、3位に挙げ天秤にかけているようですが、では印度をパートナーに挙げる人がはたして日本や世界にいるでしょうか。
もしいないとすると、それは「非同盟主義」の必然の結果で、印度が「非同盟主義」に走った背景には植民地の歴史があり、折角独立したのに今度は米国やソ連に支配されるのは嫌だという思いがあったようです。

「印度人は正直者か嘘つきか、善人か悪人か」: 
金融危機で外資が印度から流出した際に政府が非居住印度人用(印僑)の預金金利を引き上げたら預金残高が増え、「印僑の愛国心」といわれました。しかし、その原資の大半は昔海外に不法に持ち出されもので、それも国家予算並みと言われ、「愛国心」とは悪い冗談かと思ってしまいました。
印度人10人に質問すると10通りの答が返り、それぞれに一面の真実があるような嘘を言われたような気がします。従い、諺のAsk no questions and you will be told no lies(質問しなければ嘘を言われることはない)に習い印度人に質問しないに限るのですが、そうなると仕事にならなくなり、印度人と商売する難しさがここにもあるようです。
一般の印度人は信仰に篤く、家族を大切にする心優しい人々なのですが、日常の言動を性悪説で解こうとすると腑に落ちることもあります。それは、善人はえてしてまわりの人を不幸にするのでこれ以上人々が不幸にならにようにする印度人の知恵なのでしょうか。

lastpic                
1948年1月30日、ガンジーが78歳で暗殺された時に居住していた
ニューデリー市内の財閥ビルラ邸の一室。
面会の部屋として使用していた (08年4月、筆者撮影)


「印度の都市、農村、社会と多様性」:
○印度の都市の貧民街で森本哲郎さんは仏心が顕れる露地(仏教の三界の火宅を離れた境)に出合われたそうですが(PHP文庫「日本人の暮らしのかたち」)、私は、印度の路地に映画「三丁目の夕日」の日本の60年代の風景を見ることができました。
○印度の農村は灌漑設備が不十分で、収穫は降雨量に左右され、電化率は全土で5割と低く、農村の夕暮れ時には蕪村の句「菜の花や油乏しき小家がち」(江戸時代に農村に貨幣経済が浸透しはじめ、菜種油を売り払ってしまったため農家から乏しい油の灯が漏れる)の情景を思わせます。
○印度の社会には社会規範とも言えるカースト制度があります。下層出身の皇帝の中でこの制度を見直した皇帝は無く、現代でも隣州のダリット(不可触賤民)出身の女性知事は巨費を投じ記念モニュメントを作り、ダリットと知事の地位を乱用し、この制度は印度亜大陸と共に悠久と思われます。が、経済発展により制度が形骸化して欲しいものです。
○印度には多様性に伴う対立があります。ガンジーは“now neither the Congress nor the Hindus nor the Muslims listen to me…I am crying in the wilderness”(今や会議派も、ヒンズー教徒もモスレムも私の言うことを聞かない、私は荒野で泣いている)と対立抗争を嘆き、それでも“This is the India of my dream” と、多様性がUnity(統一)され対立から平等と平和の印度を夢見、そして政党の会議派は今もUnityを政治スローガンにして印度亜大陸の永遠の課題に取り組んでおります。

「あとがき」:
私事になりますが、この通信により皆様と交信する機会に恵まれ、単身赴任でも「凡夫その孤一人を慎み」そして「楽しむ」ことができましたこと御礼申し上げます。
週末のゴルフでは数多くのコンペに参加する機会に恵まれ、ゴルフ仲間に感謝します。
ニューヨークの晩秋の寒風下、シドニーの海岸に面したリンクスの雨交じり強風下に加え、ニューデリーの摂氏45度の酷暑下でのゴルフ・プレーの思い出が、新たに加わりました。
家内は私の健康管理にと時々来てゴルフにも無理に付き合い、息子と娘は私の赴任中にそれぞれ伴侶を決め、娘は里帰りと称し来てくれました。家族の支えに感謝します。
皆様のご健勝とご多幸を祈念し、ニューデリーからの最後の通信と致します。(完)
Comment
管理人にだけ表示を許可する
 
TrackBack