2016.02.13  安倍政権が牙をむき出しにしてきた
    メール通信「あったづもな」第58号

小澤俊夫 (小澤昔ばなし研究所所長)


  昔ばなし大学であちこち駆け回り、おまけにパソコンが壊れている間に、日本の政治状況は早いテンポで悪化している。憲法違反の安保関連法案を強行採決で成立させた後は、国民の目を経済に向けさせ、まるで「アベノミクス」で経済がよくなってきているような錯覚を振りまいている。甘利大臣の斡旋容疑がばれると、すぐに辞職させて、そのことで逆に国民の点数稼ぎをする。最近の NHKの世論調査では、なんと安倍内閣の支持率が上昇し、不支持率が下降しているという。世論調査の仕方を疑いたくなる発表だから、数字は信じがたいが、その傾向があることはたしかなのであろう。

 国民は、あれだけ強く反対したのに法律が成立してしまって、経済に目を向けられたら、あっさりと安倍政権支持に切り替わるのか。そんなことはとても信じられないが、 NHKの世論調査は、少なくともその傾向があることを示しているのであろう。安倍首相とその周辺にいるあくどい政治家、官僚たちがその傾向を見逃すはずはない。次々に牙をむき出しにしてきている。

 安倍首相が憲法九条の改定を公言した
 2月 3日の衆議院予算委員会で、稲田朋美というほとんど極右政治家が、九条一項の戦争放棄、二項の戦力不保持規定にかかわらず自衛隊が存在するのは「立憲主義の空洞化」であると質した。これに対して、安倍首相は、「七割の憲法学者が、自衛隊に対し憲法違反の疑いを持っている状況をなくすべきだという考え方もある」と述べた。
 聞いて呆れるとはこのことだ。国民を馬鹿にしきった発言である。安保関連法案審議の時、憲法学者の多くが(九割と報じられていた)、この法案は憲法違反であると批判した。にもかかわらず安倍首相はその批判には全く耳を貸さず、強行採決したのである。この事実は、国民の脳裏にはっきり残っている。

 もし、本当に憲法学者たちの意見に従うべきだと考えるなら、あの時、安保関連法案は違憲だと主張した多くの憲法学者たちの意見を尊重すべきだったのだ。そして、安倍首相は今から、一連の安保関連法を廃案にするべきなのだ。この一連の発言は、国民を馬鹿にしきっている。(憲法学者たちは、これほどいい加減にあしらわれても黙っているのか)
 自衛隊については、歴代の自民党内閣の見解があり、大方の国民の支持をえた見解とされている。それは、日本が外国から急迫不正な侵害を受ける際、それを阻止するための必要最小限の実力を保持する組織であり、戦力には該当しない、という見解である。稲田朋美や安倍首相は自民党員でありながら、この歴代内閣の見解をどう受け止めているのか。

 高市早苗総務大臣、公平を欠く放送には電波停止がありうると脅し発言
 これもほとんど極右的政治家の高市早苗総務大臣が、2月 8日の予算委員会で、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法 4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性があることを述べたと伝えられている。そして、「政治的公平性を欠く」の事例として、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間にわたり繰り返す番組を放送した場合」と述べたということである。
 これは明らかに、先般の違憲な安保関連法案審議に対する批判的番組を念頭に置いた発言であろう。正に権力者の脅迫である。

 社会におけるジャーナリズムの役割は、権力者に対して異なる意見を提出することに他ならない。権力者による権力の行使は必ず強力である。そして、無理な行使になればなるほど強引になるのは必然である。そうなると、それに対する異なる意見の提出も強力に行わなければならないのは必然的なことである。先般の違憲な安保法案をめぐる権力側とジャーナリズムとの関係はまさにそのようなものであった。そして力で押しきったのは、権力側だったのである。それを今、「電波停止もありうる」と担当大臣が発言するのは、まさに権力者による脅迫である。
 電波停止の一歩手前のことがすでに起きている。以前にも取り上げた、古館伊知郎、岸井成格両キャスターの報道番組からの降板である。

 参議院選挙の一人区では護憲勢力が統一候補で勝利すべきである
 各政党は護憲と違憲安保諸法廃案の一点で共闘しなければならない。ほかの政策の差異を論じている場合ではない。この選挙で自民・公明に勝利させたら、日本は軍事独裁国家に突き進む。各政党はその責任を自覚すべきである。そして、選挙民はそういう政党に投票しなければならない。それは未来の日本を生きる子どもたちへの責任である。子どもたちを軍事独裁国家に追い込んではならない。そのために、一人でも多くの友人たち、隣人たちに夏の参議院選挙が重大であることを知らせよう。
 この通信を読んでくださった方々にお願いしたい。一人でも多くの知人、友人に、夏の参議員選挙では護憲、違憲安保諸法廃案の候補者に投票するよう、よびかけてください。それはささやかではあるが、確実な、強力な国民の権利の行使なのです。(2016.2.10)

2016.01.19 司法とメディアの支配は戦争中の状態にまた一歩近づいた
メール通信「昔あったづもな」第57号

小澤俊夫(小澤昔ばなし研究所所長)

 福井地方裁判所の樋口英明裁判長は、関西電力高浜原発3,4号機の再稼働を巡り、2015年4月15日、運転を禁じる仮処分決定を出した。原発再稼働の新規制基準は「緩やかに過ぎ、合理性を欠く」と指摘し、新基準を満たしても安全性は確保されないと判断したのである。
 ところが関西電力は同地裁に異議を申し立てた。そして同じ年の12月24日に同じ福井地裁で、林潤裁判長が4月の判決取り消しの判決を出したのである。原子力規制委員会の新規制基準に基づく判断は「不合理な点はなく、高浜原発3,4号機の安全性に欠ける点はない」と判断し、「(周辺住民の)人格権を侵害する具体的危険は認められない」と結論付けたのである。
 この裁判では、同じ裁判所が正反対の判決を出したことになる。再稼働禁止の判決を出した樋口英明裁判官は、4月の判決後、名古屋家庭裁判所に配置換えされた。裁判所という密室内の出来事なので国民の注目は浴びなかったし、通常の異動の形をとってはいるが、裁判所内では、政府の「原発再稼働」方針に邪魔な裁判官は家庭裁判所にとばされたのであろう。
 その後任は、安倍政権の方針に忠実な裁判官が当てられたのである。建前としては三権分立ということになっているが、最高裁判所裁判官のうち、最高裁判所長官は内閣の指名に基づき天皇が任命する。最高裁判所判事の任命は内閣が行い、天皇が認証する。
 政治家のほうが良識人であれば、三権分立は守られるだろうが、現在の安倍政権は、大多数の憲法学者が違憲と判断した「安保法案」を国会で強行採決するような反知性丸出しの政治家集団だから、政府の方針に反する裁判官には、陰に陽に圧力をかけるのだろう。政府が裁判所を抑えたら恐ろしいことになる。戦争中の状態に極めて近づいてきたと思う。

「ニュース23」と「報道ステーション」のメインキャスター降板
 国会での戦争法案審議の時期、TBSテレビ「ニュース23」のメインキャスター岸井成格(しげただ)とテレビ朝日「報道ステーション」のメインキャスター古館伊知郎は精いっぱい、ジャーナリストとしての権力批判を述べていた。だがその二人とも、降板となった。安倍政権による具体的攻撃が始まったのである。安倍政権はこれまで報道各社を呼びつけて、いろいろな形の圧力を加えてきていたが、ついに、有力なキャスター二人を狙い撃ちして降板させることに成功したのである。安倍政権は夏の参議院選挙に向けて、国民の歓心を買う政策をこれから次々と出してくる。マスメディアはそれを用心深く報道してくれなければならないはずだが、岸井、古館キャスターが葬り去られた後の番組は、次第に政権寄りの報道の仕方に変化していくのではないだろうか。そこは、われわれ視聴者が厳しく監視していかなければならないのである。
 裁判所への無言の介入とメディアへの公然たる圧力。日本は戦争国家へと、また一歩踏み込んだ。それを食い止めるには、次の参議院選挙が正念場である。(2016.1.3)

2015.12.22  人口一点張りの答申案に異議あり―衆院の定数問題
    暴論珍説メモ(140)                

田畑光永 (ジャーナリスト)

 衆議院議長の諮問機関「衆院選挙制度に関する調査会」(座長・佐々木毅元東京大総長)が16日、衆議院の議席を現在の475議席から10議席減らして465議席とする答申案をまとめた。議席を減らすことには異議はない。しかし、例によってその減らす議席の決め方が人口比を金科玉条としているのには、前にも書いたが、大いに異論がある。
 今回の答申案は、小選挙区は「7増13減」で、6議席減。比例代表は「1増5減」で、4議席減、を提案している。増えるのは、小選挙区では東京が3議席、埼玉、千葉、神奈川、愛知の4県が各1議席。比例代表では東京ブロックが1議席、である。
 減るほうは、小選挙区では青森、岩手、宮城、新潟、三重、滋賀、奈良、広島、愛媛、長崎、熊本、鹿児島、沖縄の13県で各1議席。比例代表では東北、北関東、東海、近畿、九州の5ブロックで各1議席、である。
 その結果、都道府県の格差は1.788倍から1.621倍になるという。格差が縮むのはよいこと、が前提になっていることは明らかだ。私にはそこが不思議でならない。かねて1票の価値に住む場所で差があるのはけしからんとする考え方があって、裁判所もそれを認めて、2倍をどれくらい超えたから、違憲だ、違憲状態だ、という判決を出して来た。
この習慣は私の記憶では、かつての55年体制時代、比較的人口の少ない地方農村に「保守」支持者が多く、都市勤労者には「革新」支持者が多いから、1票の価値を平均すれば「革新」が有利になるとの動機で、裁判闘争が始まったものだ。
確かにそれも一理なしとしないが、国会議員の数が各地方の人口比率を正確に反映すればするほどよい、とはいかなる根拠によるものか。政党による有利、不利という議論はひとまず措いて、客観的に考えてもらいたい。
日本という国の国土は、かつての国外に領土拡張を目指した時代は別にして、戦後は(奄美、沖縄、小笠原の返還を例外として)変わらない。変ったのは住む人間の分布だ。言うまでもなく、大都市に人口が集中し、地方とくに中山間部では人がいなくなった。この趨勢は今でも基本的に変わらない。
問題はまずこの国のありかたとして、この趨勢をよしと認めるかどうかだ。よしと認めるなら、人口が増えたところの国会議員を増やし続け、減ったところの議員を減らし続ければよい。議員定数の配分に関する議論は結果的にこの人口移動をよしとする判断に立っている。
しかし、それならなぜ「国土の均衡ある発展」などと言うのだ。上記の趨勢をよしとしてそれにすべてを適応させれば、「均衡ある発展」は望むべくもない。人が大勢いるところの声がすべてを支配して、人の少ないところ、いないところには誰も目を配らなくなる。
現実はまさにそうなっている。現行の定数配分では東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏の議席88(小選挙区、比例)は総定数475の18.5%だが、今度の答申案がそのまま実施されると議席が95に増え、総定数が10減るから比率は20.4%となる。広義の首都圏(上記4都県に群馬、栃木、山梨、茨城の一部)には人口のおよそ3割が集中していると言われるから、この数字を妥当とする見方もあるだろう。
しかし、では面積を見よ。上記4都県の面積は合わせて1万3562.1㎢、国土総面積は
37万7972.28㎢だから、そのわずか3.5%にすぎない。人間のいない土地なんぞいくら広くても意味がない、と考える勘の悪い人間には言ってもむだかも知れないが、3.5%の土地に20%もの人口が集中していることが国のあり方としておかしいのだ。
 政治は人間のことばかりでなく、自然のことも考えなければいけない。住みにくいからと人間が減れば残った人間はますます住みにくくなる。自然は荒れる。そこを代表する国会議員が人口密集地の議員に対して多勢に無勢では、この国はますます住みにくくなる。住みにくさを政治の力で住みやすくし、「限界集落」などというおぞましい言葉をこの国からなくして、人口配置のバランスを回復することは国会の重要な使命のはずだ。
 とくに小選挙区制ではもともと少数意見は反映されにくいのに、人口一点張りで定数の集中を続けるのは、それこそ少数尊重という民主主義の根幹が崩れる。
 この答申案が最終的にどういう形で現実になるか、まだ分からないが、自分の当落に有利不利からの議論ではない、国の根本に立ち返った議論を期待するのはやはり無理なのだろうか。(151217)
2015.12.18  党議拘束をやめたら?  民主、維新の先生がたへ
暴論珍説メモ(139)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 民主党と、橋下大阪市長一派が抜けた維新の党が、来年の通常国会から統一会派を結成することになった由。今の「一強多弱」の国会で野党がばらばらではどうにもならないから、すこしでもまとまった数を増やして、巨大与党に対抗しようということらしい。会派の名前は「民主・維新・無所属の会」とか。寄合世帯であることを素直に表現した名前だが、聞いただけで多くを期待できない気分になる。
 統一会派結成について、民主党の岡田代表は「1足す1が3にも4にもなるように頑張って、安倍政権の暴走を抑えたい」と語ったそうだが、残念ながら国会というところは、1足す1はどうあがいても2にしかならないところだ。岡田代表とてそんなことは百も承知で、しかしそうとでも言わなければ、統一会派結成の説明がつかなかったのであろう。
 で、その数はどうなるか。衆議院では民主の71人に維新の21人で92人、参議院では民主の59人に維新の5人で64人。衆議院では自民292人、公明の35人の合計327人の3分の1にも足りず、参議院でも自民115人、公明20人の合計135人の半分にもならない。これでは今の国会のありかたでは、安倍政権の暴走を抑えるといっても手がかりさえない。
 ただそれはあくまで今の国会のありかたを前提にしての話だ。本来、民主主義は少数意見のためのものである。「民主主義は多数ではない(Democracy is not majority)」という言葉がある(と聞いたが、誰の言葉か知らない)ように、多数の意見がいつもそのまま通るようでは民主主義とは言えない。
 ではなぜ日本の国会は「民主主義とは多数」なのか。それは政党政治、しかもしばりのきつい政党中心の政治だからである。なぜ政党政治なのか。政治を戦いととらえるからである。戦いなら徒党を組んだほうが、ばらばらで戦うより強い。それには統制がとれていなければならない。
 討論とはそれによって互いの意見を調整して、よりよい結論を出すためのものである。あらかじめ結論が決まっているなら討論はいらない。しかし、考え方を統制し、議論を統制するものどうしがぶつかり合っては、討論は討論にならない。だからわが国会では審議がつくされたかどうかは、どこまで問題の本質が理解され、結論が見えたか、によってではなく、何時間審議したかで決められる。一定時間審議が行われれば、結論が出ようと出まいと採決となる。
そこで統制がものをいう。反対意見の野党側は議場を占拠したり、出入りを妨げたり、議長席を取り囲んだりの「物理的抵抗」に訴え、与党側も野党の物理的抵抗を物理的に排除して「審議を正常化」する。
 この構造は民主と維新が統一会派を作ったところで、変りようがない。1足す1は2でしかない。そこで民主と維新の先生がたに1つ提案がある。今度の統一会派では無理に政策をまとめようとしないで、国会では各自が信念に基づいて賛否を決めることにしたらどうだろうか。
 この難しい時代に国民生活から安全保障まで一定の理念で何十人もがまとまるというのはどだい無理な話である。民主党はもともとばらばらだったのに、そこから出て行った人たちがまた戻ってくるのだから、政策理念を統一するなどとは不可能だろう。
 伝えられる新統一会派の「基本政策合意」なるものでは、憲法についても「護憲」どころではなく、「時代に合わなくなった条文の改正は認める」そうである。さすがに9条をどうこうとは言っていないらしいが、自民党の「憲法改正」路線への防波堤の役割は最初から放棄しているようである。
 だとすれば、無理して「党の政策」をまとめたところで、ほとんど意味はない。それよりも「ばらばら」への批判は覚悟の上で、各自がそれぞれの所信にもとづいて国会活動する集団として統一会派を位置づけたらどうだろうか。投票行動を縛る党議拘束を原則廃止するのだ。
 それでもなにか中心理念がなければというなら、安倍政権へのアンチテーゼとして、「民主・非戦」だけを高く掲げればよい。安倍政権の非民主的体質と戦争への傾斜を食い止めるのを最大公約数とするのだ。これならまとまれるのではないか。
 そんなことをして何の意味がある、と言われそうだが、じつは深い意味がある。今、自民党には衆参合わせて407人もの国会議員がいる。さぞかし多様な考えがあろうと思われるのだが、それがさっぱり聞こえてこない。安倍首相の独裁的政権運営、戦争へ前のめりの姿勢などには、党内にもさまざまな異論があっておかしくないのに、党内、寂として声なし、である。今度の軽減税率騒ぎにしてもそうだった。
 それは大勢の国会議員を擁していればいるほど、政権は野党に対して強いばかりでなく、党内にも強いからだ。与党議員はヘタなことを言ってにらまれたら、政権が続く間、干されるだけだから、大勢いればいるほどものが言えなくなる。これは民主主義の原理とは正反対の状況だ。
 そこで野党が言論の自由のすばらしさを国会で見せつける。統一会派の議員が自由にものを言い、自由に投票する姿を見せれば、大勢いる自民党議員が薪の束のように一括りにされて行動することがばかばかしくなるはずだ。政権にしても、野党がまとまってかかってこないのに、1人で力んでいるのは難しいだろう。
 そうして国会を言論の府に引き戻すのだ。現に米国では、今、問題のTPPでは大筋合意した内容に、与党の民主党は概して反対、野党の共和党が概して賛成というねじれが起こっている。そうなれば大統領は議院1人1人の考えに耳を傾けざるを得なくなる。日本でも党議拘束なしが一般化すれば、各党議員が薪の束のごとく、きつく縛られたまま自由がない時代の気楽な政局運営は、却ってできなくなるはずだ。
 来年夏に衆参同時選挙が取りざたされている今こそ、新しい政治の血路を切り開く覚悟で、党議拘束なしの自由闊達な政治集団という新しい衣装で、来年の通常国会に臨むことを、「民主・維新・無所属の会」の先生がたに提案したい、ご一考を。(151215)
2015.11.03  ひとすじに生きて尊し
          ―平成おうなつれづれ草(9)―

鎌倉矩子 (元大学教員)

ことし9月半ば、友人Nが亡くなった。彼は私の小学校時代の同級生である。

私がNに再会したのは今から6年ほど前、小学校卒業後57年を経てのことである。その頃私は、長い勤務生活を終えて故郷H村に帰り、そこでの定住生活を始めたばかりであった。わけあって小中学校同(学)年会の幹事を務めることになり、Nに協力を求める必要が生じた。Nは子どものときからずっとこの村にいて事情通と思われたからである。
 「‥‥お互い、年月の経過を感じるなぁ」
会うなり彼はそう言った。それはこっちも言いたいセリフだった。私はひそかに彼をジャガイモと呼んでいたのだが、かつてのつやつやしたジャガイモはやはり、少し萎びていた。

今忘れられないのは、このあとNからもらった出欠回答ハガキ(もちろん「出席」だった)の隅にあった、彼の短い「ひとこと」である。
「僕たちの時代は、“希望”という言葉がまだ生きていたので、十分幸せでした。」
お、と思った。
それはなんと凝縮された言葉だったろう。こんなことを言うヤツだったんだと、目を見開かされる思いだった。私の知らない彼の青年、壮年時代をはるかに見やる気持ちになった。

Nと私の小学校入学は終戦の翌年である。そのまま村の中学校に進んだが、Nのクラス担任は黒い詰襟服を着た若いK先生だった(私は別のクラスになったので少し羨ましかった)。K先生は優れた理科の教師だったが、ときには「おまえたち、弁証法というものを知らなくちゃいかん」などと言って、そんな課外授業もしたらしい。弁証法の話は彼に強い印象を与えたらしく、そのときのことをNが懐かしそうに話したことがある。
隣町の有名高校に進んだ彼は、さらに大学への進学を希望したが、親に許してもらえなかった。農家の跡取り息子だったからである。むくれたNは家出をし、友人の家を泊まり歩いて帰らなかった。遂に父親が折れて1回だけ受験を許されることになったが、あいにくNはそれに失敗した。その後彼は、村を出ようと企てることはなかった。
「あなたは錨になって、村を守ってくれたのね」
そうNに言ったことがある。彼はこの“錨”という言葉が気に入ったらしかった。
「おれのことをなんだ、‥‥錨って言ったなあ」
何かのときにそう言った。

錨としての彼の人生。
彼は終生一農民であったが、目指すところはおそらく、一日本共産党員として理想の社会の構築に貢献することにあり、また自分の村の政治を向上させることにあった。まもなくその地区の党のリーダー的存在となり、さらには県レベルの委員になった。村にあっては1971年、32歳の若さで村議となり、7期28年を務めて妻に道を譲った。
村議を退いた年に村長選に打って出たが、当選は叶わなかった。
村議時代に彼が力を尽くしたことの中に、村の「医療費無料化制度」の維持がある。
この制度は、1960年ごろから徐々に地方自治体に広まったもので、老人医療費の自己負担分を自治体が自力補償するものである。わがH村では1971年、70歳以上を対象にこれが始まった(10年後には65歳以上に拡張し、現在はさらに18歳までを対象としている)。この老人医療費無料化の波はいったん国レベルに及んだが、1983年の老人保健法によって終わりを告げた。このとき、全国の地方自治体にあった無料化制度も一気に廃止されたという。止めようとしないわがH村に対して、県レベルから「廃止せよ」との行政指導が続いた。当然もらえるはずの国保調整金他は削られた。Nは、「県の指導というのは強烈なもので、議会会報の私の原稿がけしからんと、村長・課長を通じてまで圧力がかかり、ついに内容を変えさせられたこともあった」と、とある文化団体での講演の中で述べている(以上、 http://www.lcv.ne.jp/~mourima/10.4.6haramura30.pdf に依拠)。
Nとその仲間は、村長選のたび、“革新”をかかげる候補とタックルを組んで当選を後押しし、当選後は「公約だから頑張れ」と村長や課長を励まし続けた。「全国の自治体で唯一、65歳以上対象の高齢者医療費無償制度を維持した村」の40余年は、こうしてまもられたのである(2014年、同制度の財政圧迫に耐えられなくなった村は、ついに制度再検討の意志を表明したけれど)。
これ以外にも、農業災害の補償とか、後先を考えないゴルフ場建設の反対とか、知られていないNの功績は沢山あるよ、と友人Jは言う。農地の区画整理(いわゆる構造改善事業)や高速道路建設はNの反対にもかかわらず多数派によって実行され、結果は村人にとって「してよかった」ことになった。この件はNの失点と言える。しかしこれについてさきの友人は、「あれは党の指示に従ったせいじゃないかな」と言う。Nは「思い出したくねえ」と言い、何も語ろうとしない。
2010年、秋の叙勲でNは、「旭日双光章(地方自治功労)」を授与された。もちろん村の推挙あってのことだ。たくさん働いてもらったが村長にはしてやれなかった男への、村人からのせめてもの心づくしと見るのは、私の思い過ごしだろうか。

Nに対する村民の評判。
「共産党じゃなきゃ、村長になれたのに」とは某村民の声。「村一番の知識人だよ」とは、さきの友人Jの言葉。「Nさんは丸くなったよ」とは、先の同年会直前、わが家に集まった幹事団のひとりの言葉だ。「何度もバカにされた。デェッ嫌ェ。葬儀になんか行かねぇ」と言い放った同年輩の女性もいると聞く。つまり、彼を買う人がいる一方で、Nは尊大だ、尊大だったという声がある。
Nはからかい好きで、無骨だった。世辞を言うことがなかった。しばらく言葉をためてから、ズバッと言う癖があった。一部の人から尊大だと見られたのは仕方のないことだったかもしれない。

しかし芯のところは、文学的感性をもつ優しい人間だったのではないか、と私は思っている。
彼は40年来、俳句を作り続けていた。ときどき聞かせてくれる句には素晴らしいものがあった。それらを書き留めておかなかったことが、いま残念でならない。
Nが主宰する村の落語会に行ってみたことがある。開会の挨拶に立った彼のスピーチは、全くもって落語そのものだった。その日の真打をつとめた本物の落語家が、「この次は和服一式をお貸ししますから、どうか高座に上がっていただいて‥」と言ったものだ。
私が母を亡くしてしょげていた頃、Nが訪ねてきたことがある。薄青色の花束2つと、一冊の本を携えていた。花は彼が栽培していた商品で、本はその頃話題なっていた『くじけないで』という、ある老女性が書いた詩集だった。その詩集を渡しながら、「‥‥新しいコーヒーカップを買ってとかなんとかさあ」と彼は言った。
「くださるの?」
「いや、女房の本だ」
確かにその詩集には、「悲しいことがあったときには、バケツいっぱいの涙を流しましょう、そして新しいカップを買って、コーヒーを注いで飲みましょう」というようなことが書いてあった。
私はコーヒーカップでなく、新しいごはん茶碗を買った。詩集は貸してくれただけというのがちょっぴり可笑しかったが、Nの心遣いが嬉しかった。

その頃、もうひとりの同年者Jがやはり村に帰還した。3人は自然に飲み仲間となった。
JとNはいつも政治や農業問題を論じており、私はただそれを聞いていた。私がしゃべるのは、話題が俳句に及ぶときくらいのものだった。しかしあるとき、議論好きのJにしかけられて、私が共産党をどう思っているかを言わなければならなくなったことがある。
「(若いころ)私の近くにいた党員とおぼしき人には教条主義的な人が多かった。みなが同じことを同じ言葉でしゃべった。自分で考えることをやめているみたいで、それが嫌だった。」
Nは何も言わなかった。
別のときにぽつり、「みんなそれぞれ、でいいんだよな」と言った。
「うん。一生懸命生きた、それでいいって思ってるんダ」と私は答えた。

そんなつきあいが続く間に、Nのガンは進行していた。私たちが57年来の再会を果たしたときすでに、Nの体内には病魔が巣食っていたのだ。
治療のための入退院を繰り返していた。少しずつ少しずつ、彼は衰えていった。やがて袖やズボンがだぶだぶになり、歩く様子が頼りなくなった。今年の初夏にはもう酒が飲めず、とにかく会おうよと集まった3人の席で、さくらんぼを少しだけ食べた。
――近からん別れは言はずさくらんぼ (矩子)
8月。「もう何も読みたくねえ」「‥‥聴きたくねえ」「‥‥考えたくねえ」と彼は言った。「心が空(くう)なの?」と聞いてみた。「そう」と答えが返った。
9月。病院のベッドの端で、彼は痛みに震えていた。もう話さなかった。トイレに行くのに、スリッパを足にかける気力さえなく、看護師に助けられて裸足で歩いた。長居を避けて暇ごいをする私たちに、彼は「わるいな」と言い、右手を少しだけ上げて小さく振った。目はしっかりとこちらを見ていた。
4日後、彼は逝った。

告別式に、弔句ひとつが届けられた。Nの俳句の師からである。
――ひとすじに生きて尊し菊の花 (天明)
一瞬表面的な挨拶句のように感じたが、次の瞬間、これほどNにふさわしい句はないと思った。
75年のときを真剣に生きし者、いま1人、ここに没す。(2015.10.25記)

2015.10.28 戦後70年の哀しさ(2)
―吉田満のエッセイを読み返して―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《吉田満の「遺書」を繰り返し読む》
 戦艦「大和」の沖縄特攻に生き残った吉田満(よしだ・みつる、1923~1979年)は、雑誌に載せるエッセイをベッドで夫人に口述していた。1979年秋のことである。それは彼の絶筆となった。次に掲げるのはその文章の末尾である。(■から■)

■「故人老いず生者老いゆく恨かな」菊池寛のよく知られた名句である。「恨かな」というところに、邪気のない味があるのであろうが、私なら「生者老いゆく痛みかな」とでも結んでみたい。戦死者はいつまでも若い。いや、生き残りが日を追って老いゆくにつれ、ますます若返る。慰霊祭の祭場や同期会の会場で、われわれの脳裏に立ち現れる彼らの童顔は痛ましいほど幼く、澄んだ眼が眩い。その前でわれわれは初老の身のかくしようがない。
彼らは自らの死の意味を納得したいと念じながら、ほとんど何事も知らずして散った。その中の一人は遺書に将来新生日本が世界史の中で正しい役割を果たす日の来ることのみ願うと書いた。その行末を見とどけることもなく、青春の無限の可能性が失われた空白の大きさが悲しい。悲しいというよりも、憤りを抑えることができない。

戦後日本の社会は、どのような実りを結んだか。新日本のかかげた民主主義、平和論、経済優先思想は、広く世界の、特にアジアを中心とする発展途上国の受け入れるところとなりえたか。政治は戦前とどう変わったか。われわれは一体、何をやってきたのか。
沈黙は許されない。戦中派世代のあとを引き継ぐべきジェネレーションにある息子たちに向って、自らのよりどころとする信条、確かな罪責の自覚とを、ぶつけるべきではないか。

ベッドから顔を上げると、窓いっぱいに秋の雲が、沸き立つように、天の涯を流れるのが眺められる。

 おうい雲よ
 ゆうゆうと
 馬鹿にのんきそうじゃないか
 どこまてゆくんだ
 ずっと磐城平の方までゆくんか

と明治の詩人はうたった。雲に対して戦中派はこんなふうに呼びかけることはできない。ただ圧倒されて、しかし来たるべきものにひそかな期待を寄せながら、高い雲の頂きを仰ぎ見るのみである。(「戦中派の死生観」、『文藝春秋』1979年11月号)■

《痛ましいほど幼い童顔と澄んだ眼の死者は》
 1945年4月の「大和」沈没から70年が過ぎ、キリスト者吉田が神に召されてから36年が経った。彼が「ひそかな期待」を寄せた「来たるべきもの」はどのような現実となったか。

2015年10月18日、「われわれの」首相安倍晋三は何をしていたか。
『産経新聞』(10月19日)によれば、安倍は相模湾上にいた。海上自衛隊による艦艇42隻、航空機37機による観艦式で観閲を行い、海自隊員には「国民の命守り抜く」との訓示を述べた。韓国・米国・オーストラリア・フランス・インドの諸国艦艇も祝賀航行を行った。ついで首相は、最近横須賀基地に配備された米原子力空母「ロナルド・レーガン」に乗艦し、艦内を視察した。艦載機の操縦席にも入った。現職首相が米空母に乗艦するのは初めてのことである。

テレビ画面は、安倍が嬉々として米機の操縦席に着席したり、米艦隊司令官に対して新空母の配備を「『トモダチ作戦』に従事した日米の絆のシンボルだ」と発言するのを報じた。この映像は、「日米同盟」の名のもとに米国に隷従する日本の姿を直截に表現している。近い将来に自衛隊が米軍の傭兵となって世界に展開することを予感させる。日本の最高指導者の屈辱的で異様な姿を世界に晒している。

「痛ましいほど幼い童顔で澄んだ眼が眩い」死んだ兵士たちは無言である。掩護戦闘機なしで出撃し、350機の米艦載機によって撃沈された、「大和」の死者たちも無言である。(2015/10/26)

2015.10.13 開き直って「一億総活躍担当大臣」とは!
メール通信「昔あったづもな」第54号

小澤俊夫(小澤昔ばなし研究所所長)

 彦根、相模、横浜そして田沢湖と昔話の研究会をしてきた。田沢湖では山は紅葉が始まっており、空は澄み渡り、湖水は真っ青ですばらしかった。だが安倍首相は内閣改造にあたり、「一億総活躍プラン」を作るために、その担当大臣を任命したという。聞いて呆れた。
 安倍首相が唱えた「日本を取り戻す」とは、「軍国主義日本を取り戻す」だったことがこれではっきりした。
 あの戦争を経験しなかった若い人には結びつかないだろうが、戦争中には「一億総動員」とか「一億一心」、「進め一億火の玉だ」、「一億玉砕、本土決戦」という言葉が新聞やラジオに毎日書かれ、叫ばれていた。戦争体制そのものを表す言葉なのである。国民一人一人の生活や感情は問題ではない。一億の国民は、自己を捨てて国の一部になれ、そして命を差し出せ、という言葉なのである。その上、1945年の敗戦の時には、「こうなった責任は国民全体にある。天皇に対して申し訳なかった。その意味で一億総懺悔しなければならない」という声が強く上がったのである。

 天皇制のもと、国家の支配者たちが、国民を一塊の道具として使った言葉なのである。そこには、個人の生活とか感情などはそもそも勘定のなかに入っていなかった。個人の自由などと言おうものなら、「危険思想の持主」として検挙されたり、社会から追い出されたりした。あるいは、狙い撃ちされて「赤紙」で軍隊に召集されたのである。軍隊に入れられたら、もう個人の意見は全く言えない。すべては「天皇のご命令」で動く。もちろん実際には天皇が発言するのではなく、一階級上の上官の命令であるにすぎない。だが、絶対に服従しなければならない。「一億」という言葉は、国民をそういう、お上に絶対的に服従する者として把握してきた言葉なのである。
 今、安倍首相の口からそれが出てきた。
 安倍首相は戦争法案を成立させたと強弁して、これからは国民を勝手気ままに引っ張りまわせると思いこんで、国民を「一億」とまとめたのだろう。だが、そうはさせない。そもそも、あの戦争法案は国会で可決されていない。
 次の参議院選挙では、必ず自民、公明党に大打撃を与えよう。落選運動を展開しよう。今から、その準備をしなければならない。(2015.10.9)

2015.09.24  戦争法案に賛成した議員を落とそうと呼び掛けよう
    メール通信「昔あったづもな」第53号

小澤俊夫 (小澤昔ばなし研究所所長)

昔ばなし大学再話研究会で那覇に来ている。今、ホテルで参議院本会議を見ている。戦争法案は可決された。だが戦いはこれからなのだ。これまでの議論で、政治権力というものが如何に傲慢で、一方的で、愚かであるかを国民は知ってしまった。国の平和や人々の幸福は自分の政治行動、つまり選挙での投票によってまもらなければだめなんだということをはっきり学んだ。すべての世代が学んだ。選挙での投票が政治を決めていくことを学んだ。
来年の参議院選挙では必ず変化を起こそう。みんなで、自分の身近な人々に、今回の戦争法案に賛成した議員を落とそうと呼び掛けよう。各選挙区でも比例区でも。日本はこれまでは平和で当たり前という気分できたが、今回の一連の議論で、平和は自分の選挙で守らなければならないのだということを肌で感じたと思う。諦めず、みんな連帯して、これからの選挙でくつがえしていこう。(2015.9.19 午前2時35分)
2015.09.03   世界遺産を蹴って町の生活を守ったドレスデン
    メール通信「昔あったづもな」第51号

小澤俊夫 (小澤昔ばなし研究所所長)

昔ばなし大学の「グリム童話研修旅行」のあと「東ドイツ文化の旅」に行ってきた。旅の最後はドレスデンだった。町の中央に壮麗なロココ様式の聖母教会が立っているのだが、この教会、実は先の大戦で連合軍の大爆撃により、完全に破壊されたのである。ぼくが初めてドレスデンを訪れた1989年秋には、この教会は破壊された瓦礫の山のままだった。東西統一後、1991年におとずれた時にもまだ瓦礫の山だった。ドレスデンの友人の話では、現地の人たちはドイツ国民が冒した野蛮な戦争への反省の念と、同じキリスト教徒であるアメリカ、イギリス連合軍が教会を爆撃したことへの戒めとして、瓦礫のままにしてあるのだ、ということだった。

ところが今度行ってみると、教会は完全に修復されて、もとのままの姿になっていた。聞くところによると、修復にあたっては瓦礫の中から各部分の石を探し出して組み立てていったということだった。ない部分はもちろん新しい石で組み立てた。したがって、完成した姿は、爆撃を受けた黒い石と、補った新しい白い石のまだら模様である。それは1998年から2005年まで7年かかった難工事だったそうである。

中に入ってみると、内部は絢爛たるロココ様式が完全に復元されているのには驚いた。
だが、もっと驚いて、思わず喝さいの拍手をしたことがある。この旅に同行してくれた、駿河台大学観光学科の小林将輝准教授の説明によると、ドレスデン市とその周辺エルベ渓谷は2004年に、ユネスコにより「世界遺産」に指定された。ところがドレスデン市にはエルベ河を渡る橋が一本しかなくて、下流のほうの住民は対岸に行くには大回りをしなければならなかった。対岸の新市街は発展し、人口が増加したにもかかわらずである。
そこで、現在ある橋の下流にもう一本、橋を増設することになった。これに対し、ユネスコの委員会は、「橋を増設するならば、世界遺産指定は取り消す」と言って脅しをかけてきた。2006年には「危機にさらされている世界遺産」のリストに登録された。それに対して市長は、橋建設の賛否を問う住民投票を実施した。すると、建設賛成の票が多数を占めたため、橋の建設は実行された。それに対しユネスコは、2009年、ドレスデンとその周辺エルベ渓谷の世界遺産指定を取り消した、ということであった。

ユネスコという世界機構が古都ドレスデンとその周辺のエルベ渓谷を世界遺産と認定したのに、市民は毎日の生活に必要な橋を選んだのである。ぼくは市民の自我の強さに思わず拍手をした。なんとなく権威のありそうな「世界」よりも自分の生活を大事にする心。
市民の心の中にはきっと「世界機構であるユネスコが認めようが認めまいが、われわれの古都ドレスデンの価値は厳としてあるのだ」という自負もあっただろう。
「世界」という言葉が絶対的権威であるかのように通用している日本の風潮をかねがね批判していたぼくにとっては、喝采を叫びたくなることだったのだ。

日本ではどうだろうか。誰かがノーベル賞を受賞したときのあの大騒ぎ。それは、その研究者の研究内容にたいして賛美するのではなく、受賞したことに対して賛美しているにすぎない。研究は既にあったものなのだから。芸術家の場合も同じだ。世界で認められたとなると大騒ぎする。認められる前から優れた活動をしていたのに、世界が認めると「大したものなのだ」と騒ぎだす。
日本という世間全体が、価値判断を世界に任せてしまって、世界で認められたらいいものなのだと大騒ぎする。「世界」という「中央」が認めたらいいものと思うのだ。
そう考えると、これはしっかり意識しなければならない、大きな、そして根深い問題であることがわかる。どこの民族でも同じ傾向はあるのだろうが、われわれ日本人の間では、「お上」の言うことには逆らわないのがいいこととされてきた。「お上」とは即ち「中央」である。「中央」は自分の権威づけのためにいろいろな仕掛けを作る。立派な建築物、幅の広い大通り、大きな官僚組織、軍隊など。われわれ庶民はそういう立派なものを見ると、自分とは別世界の、価値の高いものだと思ってしまう。もしその方面からお褒めの言葉が来たら、一も二もなく喜び、舞い上がる。
 
 福島第一原発の大事故を呼び込んだのも、もともとはこのお上意識ではなかったのか。「お上のすることだからいいことなんだろう」と。だが、今、日本中の多くの庶民がこの弱点に気がついいて、お上の出す「戦争法案」を拒否して立ちあがっている。もう「世界」とか「中央」とか「お上」に屈しない強い意識が市民の間にしっかり根付いてきているのである。これを知ったら、ドレスデン市民もきっと拍手してくれるだろう。(2015.8.27)
2015.08.29 かんぽ生命にご用心! 
    年寄り狙いはおれおれ詐欺だけではない
    暴論珍説メモ(140)  

田畑光永 (ジャーナリスト)


 あんまり腹が立ったから、個人的な経験を書かせていただく。保険の話である。
 歳をとれば誰しも新しい保険とは縁遠くなる。当然のことだ。ところが、先日、家内のところへかんぽ生命の勧誘員が上司と称する人物とともにやってきた。伏線として、わが女房どのは昔から銀行や証券会社がきらいで、というか、飲み込みが悪くて話がよくわからないから敬遠するというタチで、貯金も保険も郵便局だのみというところがあって、やってきた勧誘員とはうっすら顔なじみという関係であったらしい。
 彼らは昔の簡易保険はお客に有利で、お宅もずいぶん恩恵を受けたはずだというような話をひとくさりしたあと、やおら「保障と満期の楽しみをお考えの方に 新フリープラン 普通養老保険 全期間払込90歳満期養老保険」と題するパンフレットを取り出した。
この保険の特徴は「90歳満期」にある。そんなもの、若いひとは見向きもしないだろうから、明らかに年寄り狙いである。かく言う小生は今月末に80歳に到達する押しも押されもしない年寄りである。向こうの狙いにぴったりというわけである。
 それで勧誘員が作ってきたプランは小生を被保険者に家内を受取人とする契約で、90歳満期で、それ以前に死亡した場合や重度障害となった場合に500万円を支払う。生きて満期を迎えた場合も500万円が支払われる。だから「保障と満期の楽しみ」ということになるのだろう。
 問題は保険料である。それが小生の場合、月額68250円だというのである。年額では819000円である。10年かければその10倍になる。支払われる保険金が500万ということは、かけ始めてからうっかり6年も生きると、そのあと払う保険料はそのままただで取られるわけである。
 勿論、保険には保障機能(6年以前に死ねば受取金額が払った保険料より多くなる)があるから、そのコストは分かるが、満期まで800万円以上払って受け取るのは500万円というのはいくらなんでもひどすぎないか。
 これは68250円という月々の支払と500万円という死亡時の受け取り額との間の差額に目をくらませようという、年寄りのボケを狙った詐欺商法である。そこを会社側も意識していて、パンフレットの表面にはわざわざこんなことが書いてある。
 「当社では、満70歳以上のお客さまには、ご家族などのご同席をお願いしています。
保険の商品内容をしっかりご理解いただくために、満70歳以上のお客さまには、ご家族、またはご親族とご一緒に説明しております」
 おそらくこれは問題になった場合の言いぬけ用である。守られていない。現にわが家に来た2人は「保険の内容はご主人さまには言わない方がいいでしょう」と繰り返したという。年齢的に死が間近に迫っていることをお互い意識して、生きているのだから、それを確認するような保険に入ることは言わない方がいい、ということらしいが、自分が6年以上生きたら損するなどという保険は不愉快千万であるから(私も不愉快千万であった)、本人の耳に入れれば、間違いなく話が壊れる。そこで本人抜きで契約をまとめようとしたのだろう。
 もっと悪い想像をすれば、家族がもう長いことはないとふんで、老人にこの保険をかけたとして、その老人が採算分岐点を越えて生きながらえたら、家族は悔し涙で無駄となる保険金を払い続けなければならない。そこから先、どんなことが起り得るか、あんまり考えたくはない状況だ。
 というわけで、この保険設計はあまりにひどい。保険会社は集めた保険金を運用して利益を出し、それを一定の条件で顧客に払い戻すのが本来の姿である。しかし、ゆうちょ銀行にしても、かんぽ生命にしても、昔の大蔵省資金運用部資金へ渡して国債を買っていれば仕事になった時代の名残で、運用がさっぱりとはかねて言われてきたのだが、老人ボケにつけむこんな詐欺まがいに手を出すようでは、民営化の結末は明らかである。
 ゆうちょ銀行もかんぽ生命も今秋には株を上場するという話だが、それへ向けての焦りがこんな商法を思いつかせたのかもしれない。とにかく、われこそは年寄りと自負する方々はくれぐれもご用心を。老人狙いはおれおれ詐欺だけではないのだ。