2016.12.12  主権在民―韓国に学ぼう
伊藤力司 (ジャーナリスト)

10月末から6週間、毎週土曜日に韓国の首都ソウルで展開されたパク・クネ大統領の下野を要求する民衆の大デモは、ついに国会における大統領弾劾決議に結実した。1961年の軍事クーデターから4半世紀続いた軍事独裁政権を倒した1987年の民主化闘争の伝統は生きていた。民主国家における主権者は、国民大衆であることをこれほど如実に示した例は少ない。

われわれ日本人は不遜にも、無意識のうちに韓国より日本のほうが民主主義先進国のように思っていたような気がするが、とんでもない誤解である。ソウル市内を埋めた大群衆が示した民意によって国政が目に見える形で転換したありさまは、日本人にとってまさに模範とすべきである。

日本でも1960年の安保闘争では、大規模な民衆のデモが連日国会を包囲するという民衆の大闘争があった。安保闘争は結果として、岸内閣の退場と予定されていたアイゼンハワー米大統領の訪日を阻止したが、闘争の主題であった日米安保条約の破棄はかなわなかった。結果として日本本土の米軍基地を沖縄に移転させ、今日の沖縄の米軍基地過重負担を招く一因となった。

日本では岸内閣を引き継いだ池田内閣の所得倍増政策による高度経済成長の時代に入り、民衆の反権力闘争はベトナム反戦や学園民主化闘争に転換。そのうちに学生運動が極左化、大衆動員の運動より前衛分子の武闘路線に突き進み、一般国民の支持を失った。最終的には極左武闘路線の結末とも言うべき1972年の浅間山荘事件を経て、左翼大衆運動は完全に生命力を失った。

以後日本は80年代の円高バブル時代、90年代後半以降の長期デフレ時代を体験する過程で「一億総中流化時代」から「貧富の格差拡大時代」に転換しつつある。これに抵抗すべき労働運動は闘う「総評」から労使協調の「連合」に転換する中で民衆からの支援を失った。

かくて「戦後レジームの清算」を唱える安倍内閣が長期政権化する中で、宿願とする憲法9条改変を現実の政治日程に載せようとしている。今夏の参議院選挙を経て安倍内閣の改憲に同調する勢力は衆参両院で3分の2を超えた。

日本は今、安倍内閣の暴走により「主権在民」「基本的人権」「武力放棄」を保障した憲法に基づく平和・民主国家存立の危機を迎えている。われわれは今こそ、韓国民衆の「主権在民」の力に学ばなければならない。
2016.12.08  期待するがゆえに現状を悲しむ――日本共産党第27回大会決議案を読んで

    ――八ヶ岳山麓から(206)――

阿部治平(もと高校教師)

先日、日本共産党(以下、日共)の次期衆院選の候補者という女性が村の党員と、林の中の小宅まで挨拶にみえた。私はおおいに恐縮して5000円をカンパした。
そのあと、来年開催という「日共第27回大会の決議案」(以下、「決議案」)を読んだ。ずいぶん長いもので視力の衰えたものには難儀だった。党員はこんな長いものを全部読まなければならないのか。
読み終わって私は、これでは5000円は無駄になると思った。だがそれでも、私は当面の期待をこの党に託す。ほかに左の政党がないのだから。

「決議案」が言及する問題は広範囲におよぶが、ここでは私が重要と考える問題だけを考える。まず経済政策の核心。
「決議案」は、「異常な財界中心」の政治を正すとして、大企業と中小企業、大都市と地方などの格差を是正する「産業構造の改革」をという。
――中小企業を「日本経済の根幹」に位置づけ、中小企業の商品開発、販路開拓、技術支援などの〝振興策〟と、大企業・大手金融機関の横暴から中小企業の経営を守る〝規制策〟を「車の両輪」としてすすめる。
――地域振興策を「呼び込み」型から、地域にある産業や企業など今ある地域の力を支援し、伸ばす、「内発」型に転換する。公共事業を大型開発から、地域循環・生活密着型に転換する。再生可能エネルギー開発に本格的に取り組む。

これでいいのかなあ、という不安がよぎった。
中小企業対策に力が入るのは好いが、日本経済の根幹は否が応でも大企業で、中小企業ではない。大企業は確かに横暴だが、大きな生産力と高い技術、研究機関と頭脳集団を持ち、その傘下にある関連企業、労働者は膨大である。
私はむしろ大企業のありかた対策が先ではないかとおもう。ひとつだけいう。大企業が勝手に国外に投資するのを制度で規制し、そのことで国内の雇用を確保して地域振興策に資することが必要である。
1990年代、大企業の活動が急速に海外に展開しだすと、わが諏訪地方の下請け・孫請け企業も海外に移転し、従業員の若者がそれについてフィリピンなど東南アジアに行った。行けないものは失業した。いわゆる地域産業の空洞化である。大企業の利益は国民の利益に合致しなかった。

アメリカ民主党の大統領候補争いのとき、社会民主主義者を自称するバーニー・サンダース議員は、雇用を海外に移出して利益を上げるのではなく、アメリカ国内で努力し投資し成長するような企業活動がアメリカにとって必要だ。労働者が雇用を失う一方で企業の利潤が拡大する、こんな政策は間違っていると主張し、若者の支持を大いに集めた。
大統領選でトランプがクリントンに勝利したのは、サンダースの指摘したアメリカ経済の苦境、失業問題をそれなりに受止めた宣伝をしたからである。伊藤忠商事の元トップで中国大使を務めた丹羽宇一郎はテレビで、「サンダースが大統領になるくらいならトランプのほうがいい」と発言した。私はこれが日本の大資本の本音だろうと思った。

さて、「決議案」は、中露両国の行動をまさに覇権主義だと非難している。
ロシア・プーチン政権に対する批判は、クリミア併合と、ウクライナ東部での分離独立派武装勢力への支援に向けられている。これを「スターリン時代の覇権主義の復活そのものである」という。
中国批判はまず核問題。中国は核保有5大国の一員として行動し、2015年~16年の国連総会では核兵器禁止条約に背を向けた。これに対して「決議案」は「中国はもはや平和・進歩勢力の側にあるとはいえず、『核兵器のない世界』を求める動きに対する妨害者として立ち現れている」という。
東シナ海と南シナ海問題では、「中国側にどんな言い分があろうと、他国が実効支配している地域に対して、力によって現状変更をせまることは、国連憲章および友好関係原則宣言などが定めた紛争の平和的解決の諸原則に反する」といい、「当然、仲裁裁判所の裁定を無視する態度は許されない」という。
いま日本で、中露両国をこのように批難することは誰でもできる。大事なのはロシアや中国がなぜこうした覇権主義的行動に走るかである。分析のない非難は悪罵にすぎない。

国内政治については、日共は野党勢力の統一政府を熱望している。
そこで「当面は日米安保論争は避ける」という方針だ。「決議案」は、安全保障政策として「急迫不正の主権侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合には自衛隊を活用することも含めて、あらゆる手段を使って国民の命を守る」という。――じゃあ、日米安保体制下の自衛隊の尖閣防衛任務を認めるということですね。
これまで日共は、自衛隊を廃止するまでの段階区分をして、日米安保下で自衛隊が存在する段階、日米安保破棄後も自衛隊が存在する段階、国民的合意のもとで自衛隊が解消する段階の3つがあるとしていた。自衛隊の活用は安保破棄後に限るといっていたような気がするが、かなり現実的な考えになったわけだ。これなら保守第二党の民進党との統一政府は可能かもしれない。

以下幾つかの疑問。
①「決議案」では、安保条約の廃棄段階でも自衛隊はなくせない。自衛隊が廃止されるのは、「日本を取り巻く平和的環境が成熟し、国民の圧倒的多数が自衛隊がなくても安心だという段階」まで行かなくてはならないという。これだと「かなりの長期間」自衛隊は存続する。いいかえると違憲状態がいつ終わるかわからない。これを合理化する理論はどのようになるのか。
②目前の問題として、中国の攻勢によって尖閣諸島の実効支配は危うくなっている。しかも北朝鮮が核武装をして、日本海にミサイルを撃ち込むありさまだ。外交交渉の成果が期待できない今日、自衛隊はどの程度の編成と火力でこれと向き合うべきか。
③「まず海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる」という。海外派兵反対はわかる。だが軍縮は現在即刻やるという意味か、それとも日米安保破棄後か、はては平和的環境ができあがってからか。
④沖縄をどう考えるのか。アメリカの世界戦略が変って沖縄の米軍が削減されたときでも、中国に対峙する自衛隊基地は維持されるだろう。これでは沖縄は永遠に軍事基地の島ということになってしまうが、それでいいのか。
第27回大会までにはあと数ヶ月あるから、それまでにはトランプの外交政策も明らかになるだろう。沖縄をどうするかについて、ぜひ見解を示してもらいたい。

最後に「決議案」が言及していない問題についてのべる。
村の日共の活動家のNが生前、「おれはそう間違ったことをやったつもりはないが、なぜかわが党は大きくならない」と、農家の間に党員が増えないことを嘆いたことがある。彼は60年近い党歴のある人物だった。その場に居合わせた先輩が、「まずは党名変更じゃないか?それに民主集中制をやめることだ」といった。私もこれに賛成である。

党内では「共産党」という党名を誇りとする人は多いだろう。だが党外では、左の人でも「共産党」とか「共産主義」ということばから、暗い冷たいものを感じる人が多い。そもそもこの私がそうだ。戦後を考えただけでも、ソ連ではスターリンの専制政治によって大量の犠牲者が生れ、東欧諸国には何度もの反ソ民衆蜂起があり、毛沢東の誤りで数千万の人が死んだ。
さらに日共は、中国やベトナムやキューバが「市場経済を通じて社会主義へ」進むと見ている。この見解は「日共2004年綱領」の中に示されて以来、一度も修正されていない。しかし、専制政治の国家が市場経済の路線を選択した以上、高度の民主主義が保証された「社会主義」へ進むことはありえない。それはサルがいくら進化してもヒトになれないのと同じである。このような根本にかかわる思想を改めないかぎり、新しい日共を人々に印象づけることはできないだろう。
日共はいまも、中央集権的組織原則を維持している。党内の議論は公開されないし、支部間の議論も禁止されているから、党員は新聞「赤旗」に書いてあることしかいわない。この秘密主義、統制主義には、無知の大衆を導くというエリート意識がいまもって生きているのを感じる。
私は日共が現実的政治勢力としてもっと大きくなるためには、党名を改め、党内での自由な討論だけでなく、党外からも批判や叡智を集められるような、たとえばネット上に広場をつくり、ときどきの問題について誰もが討論に参加できるような組織になるべきだと思う。

いいたいことはいっぱいあるが、今回はこれまで。
2016.12.07  言葉の詐術に要注意!   安倍首相の真珠湾訪問
    暴論珍説メモ(152)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 一昨5日、安倍首相は年末の26,27の両日、ハワイを訪れ、任期残りわずかとなったアメリカのオバマ大統領とともに真珠湾のアリゾナ記念館に赴いて、戦没者を慰霊すると発表した。
この人はまあよくもこう次から次へと耳目を引くイベントを考え付くものだと感心したが、真珠湾行き自体については結果を見なければ、なんとも言いようがない。というのも、昨年8月15日の敗戦70年にあたっての首相談話に見られるように、この人は官僚やら側近やらを動員して、見栄えのいい言葉、当たり障りのない表現を連ねさせ、大事な原則的問題をぼかしてしまい、それでいてなにかを言ったように取り繕う技術というか、詐術というか、に長けているからでる。
むし返すようで悪いが、思い出していただきたい。去年の首相談話にこういう一節があった。
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。・・・先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」
談話に「侵略」という言葉を明記するかどうかが注目されていたが、それに対する答えがこれであった。確かに言葉は入ったが、文脈的には日本が侵略したとは書かれていない。
こういう一節もある。
「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました。・・・こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」
おわびの気持ちを表明したのは歴代内閣である。そして今後もそれは揺るがないというが、安倍内閣、安倍本人はどうなのか、そこは抜け落ちている。これは揚げ足取りではない。注意深くそういう論理にしているのである。そのことは、その後に出てくる以下の文章を見ればはっきりする。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
この最後の一句は、そういう宿命を背負わせるのは「よくない」という価値判断を明確に打ち出している。「なりません」という断定が目立つ。談話ではこの後も「過去の歴史に真正面から向き合う」とか、「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任」といった、フレーズが出てくるのだが、それらは「子どもらには謝罪させない。謝罪は終わり」をカムフラージュする煙幕としか見えない。
そういう安倍首相だからオバマ大統領と並んでアリゾナ記念館に立った時、その口から出てくる言葉は想像がつく。おそらく「75年前、太平洋戦争の発端となったこの戦場に、今、日米両国の首脳が並んで立っていることの歴史的意義」を精一杯大げさな表現で強調し、その和解をもたらした「自分をふくむ歴代両国首脳の指導力と努力」を天まで持ち上げることに終始するだろう。
 そしてそれは同時に「真珠湾の奇襲」という日本が抱えてきた歴史の負債をこれにて一件落着としようとする安倍首相の心情にマッチするものであるにちがいない。しかし、「真珠湾」は歴史の中に薄まればいいというものではない。むしろ、日本人が自らを考える上で真剣に向き合わなければならない重大な材料である。
 満州事変にしろ、盧溝橋事件にしろ、日本の戦争の始まりは、開戦への国家意思がきちんとした手続きに基づいて決定されたわけではない。この2つの場合は現地で始まった戦闘を東京の政府が追認するという形で、戦争になっていった。
 太平洋戦争の場合、日本の中国での軍事行動に米国が反対して、日本軍の中国からの撤兵を求め、両国間の緊張が高まって、日米交渉が行われるまでの経過は省略するが、交渉が難航して、1941(昭和16)年9月6日の御前会議で「10月中旬を目途に対米英蘭(オランダ)戦の準備を完了する」という「帝国国策遂行要領」を決定したのちも、政府部内の意思は統一されていなかった。簡単に言えば陸軍と海軍が対立していた。「ここで米の要求に屈服して、中國から撤兵すれば、開戦以来、大陸に血を流して犠牲となった将兵に申し訳が立たない」と強硬論を主張する東條英機陸相と「日本海軍は米と戦うようにはできていない」と対米開戦に反対する及川古志郎海相の間で、近衛文麿首相は内心では海軍の立場に傾きつつも、それを口に出せず、内閣を投げ出してしまう(10月16日)。
 後任首相を選ぶ重臣会議では、陸軍を抑えられるのは主戦論者の東條陸相しかいないといった、いわば無責任な理由から東條に組閣の大命が降下され(10月18日)、重臣たちの思惑とは逆に日本は開戦への道を進んでしまった。
 そこで考え出されたのが、現地時間12月7日にワシントンで米政府に開戦を通告してから1時間後にハワイの真珠湾を攻撃するという奇襲作戦であった。しかも、在米大使館の不手際により開戦通告が攻撃開始より遅れる結果となり、「通告もなしの不意打ち」という不名誉を日本は背負うことになった。
 この真珠湾に至る3か月ほどの経過をたどるとき、そこには陸・海軍の対立、要職にある人間たちの責任逃れ、怯懦といった、当時の日本の国家としての屋台骨のあやうさがくっきりと浮かび上がる。
 今、日本の首相が真珠湾を訪れるなら、現在にいたる両国間の和解の歴史を持ち上げる前に、不意打ちに至った日本という国家の危うさに思いをいたし、その上で米にきちんと謝罪すべきである。謝罪なしで真珠湾に行けることを、なんだか得をしたように計算し、一件落着とすればそれを功績とするような姑息な態度は見せて欲しくない。
 と言っても、安倍首相には通じないだろう。この人にとって歴史とは、自分が主役になって拍手喝さいの大団円を迎える安っぽい紙芝居の台本として利用するだけのものようであるのだから。
 それよりも、アリゾナ記念館でのオバマ・安倍の2ショットを目にしたアメリカ人たちがどういう反応を示すかが興味ぶかい。75年前の真珠湾奇襲は米国民を団結させ、戦争勝利へ結束させたといわれる。今、大統領選におけるトランプ勝利に見られるようにアメリカ国民は深い亀裂を抱えている。オバマ・安倍の2ショットが再びアメリカ人をもし「Remember Pearl Harbor」で団結させるようなことになったなら、生半可な謝罪より日本は感謝されることになるかもしれない。閑話休題。(161206)
2016.11.21 世界に恥ずかしい!
    いち早くトランプにゴマすり、それで得意な安倍首相

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 安倍首相は17日(現地時間)、ニューヨークで大統領選に当選したばかりのトランプ氏と1時間半ほど会談した。世界各国の首脳に先駆けての会談だ。大統領選で、トランプ氏を嫌い、厳しく批判し、クリントン氏に投票した半数以上の選挙民も、トランプ氏に強い批判と警戒心を抱く世界各国も、安倍首相の抜け駆け、ゴマすり会談にあきれ、軽蔑しているに違いない。日本国民として、世界に恥ずかしい。政権が正式に発足し、政策も主要閣僚・機関幹部が就任してからでも十分間に合うし、それが各国首脳の常識ではないか。
 それにしても、日本の主要メディア、とくに主要新聞、NHKと民放はどうしたのだ。
この会談後、首相の得意げな顔を大々的に報道しながら、前例のない、常識はずれの素早い「次期」大統領とのゴマすり会談を、批判する論調、識者発言がほとんど見当たらない。
 選挙運動中にトランプ氏が発言しまくった人種差別、人権無視、具体的にはイスラム教徒の入国禁止、メキシコ国境での壁建設、自国権益中心の保護主義、国際協調の軽視などの姿勢、政策については、運動中の発言で、就任後は現実的に変化するので心配ないと、日本政府・与党幹部も、財界首脳も強調した。たしかに、政府と議会、経済界を動かすためには、次期大統領も選挙中の発言をそのまま実行できないことがあるだろう。それを議会やメディアから責められることも限られているのが、ある程度は米国の“常識”かもしれない。
 歴代の米政権は、民主党だけでなく共和党でも、民主主義、人権擁護、人種差別との戦い、国連中心の国際協調主義をそれなりに重視することによって、戦後世界で米国が大きな役割を果たすことができた。
 しかし、トランプ氏は、選挙キャンペーンの人気集め発言ではなく、大統領就任後、米国の利益最優先、医療保険はじめ社会保障の縮小、国連中心の国際協調の軽視、人権無視・人種差別などの政策を、多少弱めることはあっても、維持するに違いない。
 それは、確定した次期政権の主要ポストの顔ぶれからも明白だ。イスラム敵視発言を繰り返してきたフリン次期国家安全保障担当大統領補佐官、不法移民1100万人の強制送還を主張するセッションズ次期司法長官、テロ容疑者は水攻め以上に苛烈な拷問で取り調べること容認するボンベオ次期CIA長官など。アフガニスタンとイラクでの戦争を開始したジョージW・ブッシュ政権で重用されたネオコン(右翼的な新保守主義)の一人、ボルトンを軍事政策の中心ポストに配置するのも有力視されている。
 「9・11」,アフガン戦争、イラク戦争以来きわめて不安定で、いくつもの国を激しく破壊し、何十万人の死者、何百万人もの難民を出して、なおその残酷な犠牲者が増え続けている世界で、トランプ次期米政権がどのような役割を果たすのか、きわめて不安だ。
 それだけではない。世界では右翼的な政治勢力が、ロシアのプーチン政権をはじめ、東欧、西欧で勢力を拡大、フランスですら次期大統領選挙で右翼のルペン政権が生まれる可能性があるという。プーチン大統領は、トランプ氏と早速エールを交換した。世界で最も喜んだには、イスラエルのネタニヤフ首相だろう。残忍なパレスチナ攻撃・入植地拡大が、米国からの抑制がなくなり、やりたい放題になるからだ。「これで中東和平交渉は死んだ」とパレスチナでは誰もがみなしているという。
安倍首相は、トランプ氏との抜け駆け会談で、右翼的なポピュリズムの最前列に加わろうとしているのだ。

2016.11.01  「日本の常識は世界の非常識」―霍見芳浩ニューヨーク市立大学名誉教授
          韓国通信NO508

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

 10月27日、水道橋の「たんぽぽ舎」で霍見芳浩(つるみ・よしひろ)さんの講演を聞いた。霍見さんはアメリカ在住の研究者として日本を観察するレポートで知られる。アメリカの大統領選挙と安倍政権について語るという講演に期待した。

 <ブッシュ前大統領は失敗作>
 ニューヨーク市立大学はアメリカの大学の名門。彼が教えた生徒のなかにはブッシュ前大統領、トヨタ自動車の現社長などがいる。教え子のブッシュが大統領になるとは夢にも思わなかった。その不明を謝罪したいと語り会場を沸かせた。

この日の講演会は、反原発の市民運動の依頼に多忙な霍見氏が応じた小集会といってよい。アメリカ大統領選挙の話が中心となったが、話題は憲法問題、原発事故、司法問題など多岐にわたった。それは以下の講演会資料からも明らかだ。
 「元A級戦犯被害者被疑者の祖父を敬愛し、『戦前』を取り戻そうとする安倍晋三政権は“御用メディア”を使って人民を騙し、国政選挙に4連勝。自民総裁任期を延長し、壊憲を目論んでいる。経済政策に行き詰まり、福島原発「事件」を”アンダーコントロール”と云い張って原発再稼働を強行し、沖縄の民意を圧殺する現政権を放置できない。11月米大統領選挙(両候補ともTPP反対)で選ばれる次期大統領の新政権が日本に与える影響は?原発と人類は共存できるのか?『日本の常識は世界の非常識』『日本には住民はいても市民はいない』。この閉塞した社会をどうたて直すべきか」

<ヒラリー・クリントン候補の苦戦>
 差別主義者にして人格破綻者である共和党のトランプ候補の主な支持層は白人貧困層である。彼は共和党の中枢からも見放され、3回の討論でも明らかに劣勢であるにもかかわらず、州ごとの代議員総取り方式によって勝つ可能性が残されている。
ヒラリーが有能な政治家だと多くの人が認めるが、彼女ほど長期にわたって中傷され続けた政治家も珍しい。まるでメディアリンチである。
ウェルズリー大学の卒業生総代として行ったベトナム反戦スピーチで注目され、弁護士として子供の人権問題で活躍した。有能であるが故に批判する人も多い。しかし「トランプもヒラリー」も「どっちもどっちだ」という世論が作られているのは心配だ。接戦が予想されるが、トランプが大統領になったアメリカは想像に絶する。同時に行われる上院・下院選挙も民主党が勝たないとアメリカの民主主義は危険な状況になる。トランプ陣営はカルト集団化しており共和党は分裂の危機にある。ヒラリーと競ったサンダースはトランプ阻止のために奮闘している。

<安倍首相の評価>
一般のアメリカ市民は安倍首相のことはあまり知らない。しかし米国内のエスタブリッシュメントたちは平和憲法改憲の動きに危機感を募らせている。しかし国と国の関係では国益の擦り合わせが優先されるので、米国が改憲にどう関与するかはわからない。
 日本の憲法をアメリカによる「押し付け」という主張が聞かれるが、実態は日米合作、特に憲法9条は幣原首相の発案であることは間違いない。日本の憲法学者も市民ももっと勉強して欲しい。
アメリカの国民は最高裁判事の名前をよく知っている。大統領の権力と対等にわたりあえる力があるからだ。日本の最高裁が政府に従属しているのとは大違いだ。戦後の民主化は司法に手を付けなかった。悔やまれるが自分たちで改革するしかない。アメリカの民主主義にも問題はたくさんあるが、国民は政治に無関心ではない。議論で相手を打ち負かすディベイト(Debate)文化が民主主義を支えている。残念ながら日本にはない。

2時間の講演の前半はアメリカの大統領選挙の最新情報。残り時間が会場からの意見、質問に費やされたため話が分散。期待していた「新大統領が日本に与える影響」について掘り下げた話が聞けなかったのが残念。ニューヨーク在住。交友関係も広く、鋭い観察力が評価され、報道番組にも度々出演、週刊誌などでよく知られてきた霍見教授も81才である。老いてますます壮健。大切にしたい論客、研究者である。
講演後、「最近、先生の文章を読む機会が無いようですが…」と声をかけたら、「声がかからなくなりまして…」。当日、司会をしていた浅野健一氏が横から「干されているんです」と補足してくれた。

NHKからネットによるアンケートの依頼が来た。12月中旬に放送予定のNHKスペシャル「不寛容社会Ⅱ」の資料にするらしい。番組の趣旨は次のように説明されていた。
「弱い立場にある人たちへのバッシングの背景には何があるのでしょうか?社会の“寛容さ”を取り戻すには何が必要でしょうか?皆さんから寄せられたご意見や具体的な事例を踏まえ、考えていきます」。アンケートの項目は多く、弱者へのバッシングの原因、解決策を皆で考えようという真面目な内容だった。最後の設問に困った。弱者に対してバッシングする風潮の原因は何だと思うかと聞いてきた。以下私の回答である。「一言で説明することは難しいが、社会のリーダーたちが『云いたい放題』という風潮が原因かも知れない。そのリーダーの中にはNHK籾井会長も含む」と書いた。放送受信料の支払いをストップしている私にアンケートを求めてくるのは立派なものだが、さて採用されるかどうか楽しみだ。

2016.10.22 都民1人当たり25万円の負担で東京五輪を開催しますか?

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

摩訶不思議な無責任体制
 東京五輪の競技施設建設が揉めている。政治家や競技連盟幹部などが取り仕切っている東京五輪組織委員会は、十二分にお金をかけて、後世に残るような施設の建設を目指しているようだ。政治家が音頭を取っているから、てっきり政府がそれなりの経費を負担するのかと思っていたら、「東京五輪」だから東京都が必要なお金を工面し、政府は側面から援助するだけだという。
 政府には五輪担当相がいて、安倍首相自らが「マリオ」でリオ五輪閉会式に登場し、森喜朗氏が組織委員会委員長になっているから、当然、政府が分相応の経費負担と責任をもっているのだと思っていたが、政府は「口を出すだけで、金は出さない」という。そんな馬鹿な。最終的に経費を負担する東京都民に十分な説明を尽くさずに、金に糸目を付けず、組織委員会が都の一部の高級官僚と業者の言いなりになって、巨大施設の建設を推進する構図は極めて異常だ。これでは、主役であるはずの東京都民は「お金を出すだけで、口は出せません」ということになる。
誰がこういう構図を許したのだろうか。無責任極まりない体制を許してきた歴代の東京都知事に最大の責任があることは言うまでもない。あたかも高級料亭の請求書を会社の経理に回すかのように、東京都の管理が及ばない組織委員会が途方もない費用がかかる施設を次から次と決め、東京都民に請求書を回すことなど許されるはずがない。
東京都、組織委員会、政府、競技団体の責任の明確化、予算作成やその執行管理などの責任・監督のシステムが、明瞭な形で担保されていない。作成されたはずの予算はたんなる口約束にすぎないかのように、簡単に金額が書き換えられ、経費がそのまま予算となって、いつの間にか、巨額な費用に膨れ上がっている。
こんなことはふつうの会社では考えられない。いったい経費の精査や管理は誰が行っているのだろうか。こんな調子で公的資金を出していけば、東京都であれ政府であれ、債務が膨れ上がるのは当然だ。こんなやり方がまかり通っているからこそ、日本政府の公的累積債務がGDPの2.4倍もの途方もない金額になっている。にもかかわらず、政治家には財政にたいする危機感が完全に欠如している。
途方もない国家債務を抱えている一国の宰相が、わずか8分間の演出に12億円も無駄遣いするなど信じられない。こういう無駄を平気で行い、自画自賛しているような馬鹿な政治家を抱えている日本に、明るい未来などあるはずがない。国家破産(借金棒引きと社会保障の大幅削減)が待っているだけだ。

税金を貪る政治家(タックス・イーター)
 安倍マリオ演出に要した12億円は、大方、官邸機密費から出されたのだろう。そして、このほとんどのお金はこの演出を組織した広告会社に流れていると推測される。だいたい、日本の首相の顔や名前など、世界のほとんどの人は知らないし関心がない。アメリカのオバマ大統領やドイツのメルケル首相ならまだしも、フランスの首相や大統領、イギリスやカナダの首相の名前を挙げられる人は僅かだろう。その他の国の首脳など、顔を見ても、誰だか分からないだろう。政治家の認知度とはその程度のものなのだ。安倍マリオに沸き、錦織圭の銅メダルを騒いでいるのは日本だけだ。
要するに、「安倍マリオ」は日本向けのパフォーマンスだったのだ。リオ五輪を利用して、12億円ものお金を使って、政権と自らの人気取りを画策しただけのことだ。どうして、こんなことが日本で許されているのか、不思議でならない。野党はどうして、こんな無駄遣いを批判しないのか。莫大な公金を使った、身勝手なパフォーマンスを批判せず、逆に楽しんでいる国民はどうかしている。
 政府がお金を出さないなら、五輪開催にかかる費用はすべて東京都民の負担になる。組織委員会はスポンサーの協賛費を集めていると豪語しているが、5000億円止まりである。残りは東京都の負担だ。森喜朗氏は、五輪組織委員会は都の下部組織ではないというが、経費の8割以上を負担する東京都が管理しなければ、誰が管理するのか。政治家は3兆円の大きさがまったく分かっていない。1000万都民1人当たりで計算すると30万円である。4人家族で120万円である。協賛費を除いても、1人当たり25万円だ。都民にそれだけの経費を負担する東京五輪開催の是非を問えば、「ノ-」という回答が出ることは間違いない。誰もそんなにかかるとは思ってもいないから、表だって反対していないだけのことだ。しかし、1人当たりの負担を明確にして、賛否を問えば、東京五輪は不要という結論になるはずだ。
 ところが、そもそも、会社経営をしたことがない官僚と政治家、一部のスポーツ関係者が五輪の組織委員会を作っているから、金銭感覚が失われているだけでなく、予算の作成・管理、支出の精査・監査等という感覚がない。だから、経費は青天井になる。こういう委員会から節約的で合理的な五輪を期待できない。

簡単に修正される建設経費
 政治家も競技連盟幹部も、「レガシー」を合言葉に、箱物建設にお金をかける道を推進している。あの手この手を使って、自分たちが決めた建設を進めようと躍起になっている。身の丈に合わない箱物を建設し、選手育成や競技普及にお金をかけないやり方は、五輪後の「負のレガシー」を積み上げるだけになるだろう。本当のレガシーとは、競技者の育成や補助、競技の普及にお金をかけることだ。それこそが、残すべきレガシーだ。
 ところが、組織委員会を構成している人々の頭は、箱物建設で一杯になっている。辰巳国際水泳競技場に2万人の座席を作るためには、運河に張り出さなければならず、建設費が高騰するから、ここは使えないという。最初から発想が間違っている。5000や8000の座席で何が問題なのか。無駄な建設費を使う余裕があるなら、選手の合宿費や派遣費用、トレーニング費用に向けるのが連盟幹部の役割だろう。連盟幹部の基本姿勢が間違っている。政治家や建設業者と同じ感覚で物を言っている。
 ボート・カヌー会場である「海の森水上競技場」にいたっては、都の幹部が虚偽の低い経費見積をIOCに伝えていたことが明らかになった。本体工事費251億円を98億円と伝えて承認を取ったようだ。批判が強まると、途端に、「500億円近い建設費は190億円圧縮できる」という始末だ。国際連盟に手をまわして、「海の森」ができないなら韓国開催もありうるなど、いろいろなアドバルーンをあげて、必死に「海の森」実現に躍起になっている。あたかも鉛筆なめながら、前の数字を消して、新しい数字を書き込むような官僚の態度は、信用できない。
ここにも、都の官僚組織の深刻な問題を垣間見ることができる。まさに築地の豊洲移転問題と同じ構図だ。都の官僚はいったいどこを向いて仕事をしているのだろうか。とても都民の負担のことを考えて仕事をしているとは思われない。組織委員会と競技連盟の意向を優先し、建設業者に仕事を回すことに腐心しているのではないか。都の高級官僚、政治家、建設業者との癒着や談合があるとみなされても仕方がない。
 都民は五輪の経費負担を自覚し、もっと声を上げるべきだ。

2016.10.08 警視庁機動隊の辺野古、高江派遣費用の差し止め請求をしよう
辺野古基地をめぐる沖縄県敗訴の高裁判決は司法の独立を否定するもの

伊藤力司 (ジャーナリスト)

「世界一危険な」普天間飛行場を返還する代わりに辺野古に新しい基地を作るという1996年の日米合意を「唯一の解決策」とする安倍、オバマ日米政権は、「ちゅら(美しい)海を、いくさの泥で汚させない」という、ウチナワンチュ(沖縄人)の粘り強い反対闘争に辟易しつつも、計画を断念しようとはしていない。

安倍政権と沖縄県の代執行訴訟の和解によって、辺野古沖大浦湾埋め立て工事は目下ストップしているが、代わって今年7月から沖縄島北部の「やんばる(山原)」の密林地帯の集落東村(ひがしそん)高江の近くに、危険なオスプレイ用のヘリパッド(ヘリコプター発着場)を6カ所造るための工事を強引に推し進めている。オスプレイは垂直離着陸と水平飛行のできる新型ヘリコプターだが、開発段階から墜落事故が多く、米国では”widow maker”(未亡人製造機)の異名がつけられたのは、先刻ご承知のとおりだ。。

高江の住民は07年からヘリパッド工事をストップさせるために、工事車両の通る道路に毎日座り込みを続けてきた。座り込みを道路交通法違反として住民を裁判にかける国のいやがらせもあったが、ヘリパッドはこれまでに1カ所造成されただけで、沖縄防衛局も辺野古に気を取られてか、高江で動きを止めていた。ところが辺野古の工事が中断した機会を生かすかのように当局は今年7月からやんばるに襲いかかった。

やんばるの住民を先頭に全沖縄の基地に反対する人々は7月以来連日、ヘリパッド予定地に通じる道路に座り込んで、工事車両の通行を阻止した。これを排除するために実力行使をしたのが警視庁機動隊など本土の大きい県から派遣された総勢500人に上る機動隊員である。屈強な若者で構成される機動隊員に比べて、座り込んだ老壮年男女主体の反対派の物理的強弱度は明らである。反対派は一人一人屈強な機動隊員に抱きかかえられて排除される。

ウチナワ語の通じる沖縄県警の機動隊員が、座り込んでいるおじい、おばあたちの剣幕に尻込みしたがるのに比べ、警視庁や他県から送り込まれた機動隊は情け容赦がない。取材中の現地紙の記者が記者証を示しているのに一時的に拘束する、という憲法で保障された「報道の自由」をないがしろにする態度さえ示している。

日本の警察制度は都道府県警察が単位になっており、警官の人件費は都道府県の予算から支払われるが、警視正以上の官位を持つ警官の給料は国費から支払われる。戦前の警察が内務省に直属、道府県警察は内務省が任命する知事が直轄する仕組みだった。戦後米占領軍の命令でアメリカ式の国家警察と自治体警察に分離されたのを1954年に、全国にまたがる問題に対処する警察庁と地方自治体のための都道府県警察に再編成された。

警視正以上の警視庁機動隊幹部が、日米政府間の約束であるヘリパッド建設問題に関与することは合法だが、東京都予算から給料をもらっている機動隊員が東京都の公務と関係のない沖縄に長期間出張して、現地の豪華リゾートホテルに滞在しているというのはおかしい。自身のブログでこの問題を指摘している澤藤統一郎弁護士は、都民がこのことを裁判に訴えるよう助言している。

同弁護士によれば、地方自治法242条に基づき、東京都民であれば誰でも機動隊の沖縄派遣費用が東京都公安委員会ないし警視総監による違法または不当な公金の支出にあたるとして、その公金支出を差し止め、あるいは既往の損害を東京都に賠償するよう請求できる。さらに監査請求は、事実の特定が不十分でもかまわないし、違法ではなくて不当の主張でもよいとのこと。

とりあえず監査請求をすることで、派遣機動隊の規模や支出が特定できることになる。「機動隊の宿泊先は、名護市内にある1部屋1泊5万円の高級リゾートホテル」との一部報道の真偽も確認できる。そして監査結果に満足できなければ、監査請求者が原告となって、東京地裁に住民訴訟の提起もできるとのこと。(以上「澤藤統一郎の憲法日記」http://article9jp/wordpress/より)

一方、安倍政権が辺野古に米海兵隊新基地建設を巡って沖縄県の翁長雄志知事を訴えた訴訟で、福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判長はさる9月16日、国側の主張を全面的に認め、翁長知事が大浦湾埋め立ての承認取り消しに応じないのは違法だとの判決を言い渡した。この訴訟は仲井真弘多・前沖縄知事が認めた「埋め立て承認」を県が自ら否定し、取り消すことが認められるかどうかという法的手続き論が争点だった。

ところがこの多見谷判決は「(北朝鮮の中距離ミサイル)ノドンの射程内となるのは、わが国内では沖縄などごく一部」「海兵隊の航空基地を沖縄本島から移設すれば機動力、即応力が失われる」「県外に移転できないという国の判断は現在の世界・地域情勢から合理性があり、尊重すべきだ」などと一方的な軍事的判断を述べている。

また翁長知事が埋め立て承認を取り消したことについては「日米間の信頼関係を破壊するもの」と裁判長個人の政治的判断を述べ、沖縄県民多数が辺野古新基地に反対している「民意」については「反対する民意に沿わないとしても、基地負担軽減を求める民意に反するとは言えない」「普天間飛行場の危険を除去するには新基地を建設する以外にない」と政府の言い分をそのまま踏襲している。

法曹関係者の間では、この多見谷寿郎判事は「行政訴訟で体制寄りの判決を下す裁判官」として知られた人物だという。この多見谷判事が福岡高裁那覇支部の裁判長に任命された日取りが2015年10月30日。辺野古新基地建設のため大浦湾埋め立てを承認した仲井間前知事の措置を取り消した翁長知事を相手取って、石井国土交通相が代執行訴訟を提起した同年11月17日の18日前のことであった。

多見谷判事は2014年8月17日から2015年10月29日まで東京地家裁立川支部総括判事の任にあったが、この代執行訴訟が提起されるわずか18日まえに福岡高裁那覇支部の裁判長に任命されたわけである。裁判官の異動は通常3年おきだが、多見谷判事の東京地家裁での在任期間はわずか1年2カ月である。

さらに福岡高裁那覇支部長の前任者須田啓之判事は「薬害C型肝炎九州訴訟」で国と製薬会社の責任を指弾して賠償を命じるというリベラル判決を出した裁判官だが、わずか1年で那覇支部長を終えて宮崎地家裁所長に転出した。こうして見ると、これまで行政関連の裁判で常に体制寄りの判決を下した経歴のある多見谷判事が、辺野古裁判のために選ばれた政治的な人事だったと言われても不思議はない。

言うまでもなく日本国憲法は、国会(立法)、内閣(行政)、裁判所(司法)の三つの独立機関が相互に抑制し合い、バランスを保つことにより国民の権利と自由を保障する三権分立の原則をさだめている。ところが最近では行政権を行使する安倍内閣が、立法、司法の分野にも介入するケースが横行している。

31年間裁判官を勤めた瀬木比呂志・明治大学教授が著わした「絶望の裁判所」(講談社現代文庫)によれば、最高裁判所事務総局という部門が全国の裁判官の人事を統括している。その結果、下級審の裁判官は上級審や上司の顔色ばかり見る“ヒラメ裁判官”だらけになり、その風潮が行政による司法への介入を許しているという。憲法に保障された裁判官の独立は風前の灯である。

(高江のヘリパッド反対闘争は、この闘争に参加している芥川賞作家目取真俊氏のブログ「海鳴りの島から」http://blog.goo.ne.jp/に詳しい)

2016.09.26  ファシズムは死語になったのか
  ―60年前に丸山真男が書いたこと

半澤健市 (元金融機関勤務)

《「ファシズム」の出てこない日本通史》
 「ファシズム」という言葉はなくなったのか。「現政権はファシズム政権」と書く新聞は一紙もない。テレビ局も一つもない。それは現政権がファシズム政権でないから当然なのか。それとも、大東亜戦争下のように、あるものをないとしか書けないマスメディアの現状が、ファシズムの現実を示しているのか。

「岩波講座」の日本通史で、私が閲覧可能なものは、1970年代、1990年代、2010年代の、三回分である。各回とも、二十数巻を擁する。「ファシズム」が、タイトルに含まれる論文は、70年代に四つあった。90年代には論文タイトルには含まれず、全25巻の索引に「ファシズム」「日本ファシズム」と単語が各一回だけ出てきた。10年代講座にはタイトルになく、索引がないので文中の出現の有無は調べられなかった。すなわちリベラル派の日本歴史でも「ファシズム」は、賞味期限が切れた単語なのである。
私の手許にある丸山真男著『超国家主義の論理と心理』(岩波文庫、2015年刊)には、9本の政治論文が載っている。うち3本のタイトルに「ファシズム」が含まれている。
流通しない言葉が「古典」となるのか。我々にファシズムを忘れさせないために古典があるのか。

《丸山による二つのファシズム論》
 下記に一部を紹介する「ファシズムの現代的状況」と題する文章は、1953年4月に『福音と世界』という雑誌に発表された。政治学者丸山真男が、同年2月に日本基督教会信濃町教会で行った講演を補訂したものである。上記文庫中では短いものである。

丸山はファシズムの定義は難しいが大別して二つがあるという。
狭義では、スペインや東欧・中南米などの後進国と、近代化の遅れた高度資本主義国(独・伊・日)とに見られる現象という。一党独裁、非議会主義、全体主義、自国至上主義、排外主義を主張する。アングロ・サクソン系国家でこの解釈が支配的である。自分たちはそういう国家だと思っていない。独・伊・日のファシズムが倒れた今、ファシズムの再現はありえないし、民主主義の旗手米国がファシズムに陥ることなど到底考えられない。これが自由主義陣営の自己認識である。
広義では、概ねマルクス主義的解釈による「現段階における独占資本の支配体制」とする見方となる。ここでは「ブルジョア民主主義・社会民主主義・ファシズム」の差は小さくみられる。丸山は、前者の復活を警戒すべきは当然としても、米国にも歴然としたファシズムの兆候は現れているとみてこの文を記したのであった。
「ファシズムという現象が、決して近代社会の外部から、その花園を荒らしに来た化け物ではなくて、むしろ近代社会、もっと広くいって近代文明の真只中から、内在的に、そのギリギリの矛盾の顕現として出て来た」というのである。
丸山は、ファシズムの特徴として「社会の強制的同質化」、「強制的セメント化」を挙げる。それは非合法的暴力、合法的立法、教育・宣伝など多様な手段で達成される。反対勢力を弾圧するのは、古今東西に共通の手法だが、ナチスの場合は次の二点に特色がある。
一つは、抑圧が「止むをえぬ害悪」としてでなく反対勢力の圧伏自体が目的化し絶対化するニヒリズムであること。二つは、市民の組織を、バラバラな「マス」に再組織(=同質化)すること。あらゆる組織や階層を混ぜ合わせて、無性格・無規定な「マス」に変えるのである。次にこの「マス」を、セメントのように固める。これを「革命」とか「新体制」と呼ぶのである。しかし資本主義的生産方式には一指も触れずにこの同質化は実行される。

《マッカーシー旋風への批判》
 第二次大戦後のファシズムは、ナチスのように手荒ではない。公然とファシズムの看板は掲げられない。そこで民主主義とか自由とかの標語を掲げざるをえなくなった。「民主的自由や基本的人権の制限や蹂躙がまさに自由とデモクラシーを守るという名の下に大っぴらに行われようとしているのが現在の事態です」と丸山は述べている。
1950年に、米国ではジョゼフ・マッカーシーの赤狩りが始まり、数年間荒れ狂った。日本国内では、朝鮮戦争勃発を機に、政治は「逆コース」に入った。民間、公務員のレッド・パージが始まった。日本共産党は、GHQによって非合法化された。丸山の論はこのときに書かれたのである。彼は米国における「反対者に許される発言の自由」と、ナチスにみられた「同種の発言だけを許す自由(同義反復)」に触れたあとこう続ける。
「こういう基準に照して今日のアメリカを見ますと、この〈自由世界〉の元締の国での社会的雰囲気は/(一部略を示す)前者の意味での「自由」観から、後者の意味での「自由」観に驚くほどの勢で移行しているのを認めないわけには行きません。/あらゆる分野での〈忠誠審査〉はまさに大審院判決のいう信条告白の強制であり、F・B・I(連邦捜査局)や非米活動委員会での「赤」や「同調者」の摘発は、アメリカ国内に未だ嘗て見られなかったほどの規模での思想的恐怖をまきおこしているように見えます」、「何も好んでアメリカの暗黒面を並べたてるというつもりではなく/自由を守るためには自由を制限するという考え方は、現在の客観情勢の下ではズルズルとファシズム的な同質化の論理に転化する危険があるととするならば、わが日本のような、自由の伝統どころか、人権や自由の抑圧の伝統をもっている国においては、右のようなもっともらしい考えの危険性がどれほど大きいかは言わずとも明らかであろうと思います」。

《天皇夫妻とジャーナリストの会話》
 このあと丸山は、ファシズムが強制する種類の国民のマス化は、現代資本主義の下では、産業界でも、政治の世界でも、あらゆる組織化とともに不可避的に進行しているというのである。その上、「マス・コミュニケーション」(今なら「マスメディア」)の発達が、この傾向を加速する。丸山の結論は、ファシズムのもつ強制的同質化作用は、近代社会、近代文明の条件や傾向に内在して、根が深いというものである。
それに抵抗するにはどうすべきか。
「国民の政治的社会的自発性を不断に喚起するような仕組と方法がどうしても必要で、そのために国民ができるだけ自主的なグループを作って公共の問題を討議する機会を少しでも多く持つことが大事と思われます」。この策は真っ当で平凡である。

『文藝春秋』(2016年9月号)に半藤一利・保阪正康両氏の対談が載った。本年6月14日に明仁天皇夫妻と両氏が数時間の会話したときの内容報告である。天皇夫妻が、日本近代史に詳しいこと、両氏に鋭い質問をしていること、四人の問答の水準も高いものであること、がよくわかる。両氏は学者でなくジャーナリストだが、近現代史の世界ではアカデミズムとジャーナリズムに垣根がないのが実態である。天皇夫妻が、二人を呼んだ目的はわからない。ただ、二人のジャーナリストは、インタビューに長じ実証に強い人たちである。さらに近年、この二人は「反戦・平和」を訴える発言が多い。現政権が限りなく「ファシズム」に近くて危険だというラジカルな発言もある。
私は、丸山がキリスト教の教会で発した言葉が、なぜか気になってこの一文を書いた。ファシズムは本当に死語になったのか。言葉は目に見えない。しかし世の中、見えないから存在しないといえないこともあるのだ。(2016/09/23)
2016.09.20  「衆院選で野党共闘を」「南スーダン派兵許さず」の声高く
   安保関連法成立1周年で国会前に人の波

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 「戦争する国絶対反対」。豪雨の中に立ち尽くす人たちのコールが、雨雲に煙る国会議事堂の周辺にこだました。9月19日は、安倍政権が野党の反対を押し切って、自衛隊の集団的自衛権行使を認める安全保障関連法を成立させてから1年。この日、同法の廃止を求める行動が全国四百数十カ所で行われ、国会正門前では約2万3千人(主催者発表)が参加する集会があった。同法に反対する運動がなお根強いことが浮き彫りになった。

 国会正門前で開かれた集会は「強行採決から1年 戦争法廃止!国会正門前行動」。主催は昨年から安全保障関連法反対運動を主導してきた「戦争をさせない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」。労働団体、平和運動団体、市民団体などで構成する組織だ。

 集会は午後3時30分、コールで始まった。演台のマイクに立った女性が叫ぶと、参加者全員がそれに合わせて国会議事堂に向かって声をあげた。
 「戦争する国絶対反対」「戦争法は絶対廃止」「戦争法は憲法違反」「みんなの力で憲法守ろう」「憲法守ろう命が大事」「憲法守ろう平和が一番」・・・。「戦争法」とは安全保障関連法のことである。

 次いで、野党4党の各代表あいさつ。
 民進党の岡田克也・前代表は「安全保障関連法が成立してから1年だったが、これが憲法違反の法律であることは何ら変わりがない。これを廃止に追い込んでゆきたい。憲法の平和主義を侵害するのは集団的自衛権の行使だ。我々は憲法の平和主義の基に結集しよう。参院選では野党が結集したため、32の1人区のうち11の選挙区で自民に勝利できた。来る衆院選でも市民を中軸にした野党の結束を図りたい。この国がおかしな方向に行かないよう努力することを誓う」と述べた。

 共産党の志位和夫委員長は「昨年の戦争法強行成立は暴挙であった。断じて許すわけにはいかない。それから1年。市民の力が日本の政治を変えてきた。参院選では、市民に背中を押されて、野党は32の1人区の全てに統一候補を立てることができ、11の選挙区で自民に勝った。来る衆院選は第2ラウンド。ここでも野党間で協力しようということはすでに党首会談や幹事長・書記局長会談で決まっている。やるかやらないかではなく、いかにやるかだ」と述べた。

 社民党の福島瑞穂・副党首は、沖縄で、県民の総意を無視して米軍普天間飛行場の辺野古への移設工事と、東村高江で日米両政府が進めるヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設工事が強行されている事実を報告し、「これは基地強化と新基地建設にほかならない。沖縄県民の平和的生存権を踏みにじるもので、断じて容認できない」と述べた。

 その後、戦争をさせない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会の構成団体、学者の会、弁護士団体の各代表、元自衛官らのスピーチがあったが、いずれも安全保障関連法の廃止を求め、そのための市民側の運動の強化を訴えた。その関連で、民進党のこれからの活動方針に懸念を表明した発言もあった。民進党の代表選挙で、野党共闘に否定的な意見が出たことを意識したものと思われた。「共闘問題で民進党は迷走している」と話した学者もいた。
 そうした懸念を反映したのだろう。参加者が掲げるブラカードに「野党は共闘 民進党は市民の声を聞け!」というのがあった。また、スピーチの間に繰り返されたコールにも「野党は共闘 市民も共闘」「市民と野党は共闘共闘」というのがあり、その時はひときわ参加者の声が高くなった。
国会正門前で集会014600
              野党共闘を訴えるプラカードも目についた

 政党代表のあいさつや各団体代表のスピーチで強調されたのは、安全保障関連法に基づいて自衛隊に課される新しい任務への懸念だった。具体的には、アフリカの南スーダンの国連平和維持活動(PKO)として11月にも派遣される予定の陸上自衛隊に新たな任務が付与されるのではないか、との懸念だ。すなわち、「駆けつけ警護」への疑念である。
 スピーカーの何人かは「安全保障関連法によって任務遂行のための武器使用が可能になることで、殺し殺されるという事態が想定される」と述べた。志位共産党委員長と元自衛官は「南スーダンはいわば内戦状態にある。そんなところに自衛隊員を派遣していいのか。もし死者がでたら政府は何と説明するのか」と訴えた。参加者が唱和するコールでも「南スーダン派兵は危険」「駆けつけ警護は憲法違反」「自衛隊員の命を守れ」などのコールが飛び交った。
 
 集会の参加者は中高年が多かった。SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)が解散したためか、学生や若者はあまり見かけなかった。
 午後4時過ぎ。雨足が激しくなった。でも、国会正門前から立ち去る人はほとんどなかった。傘をさしてじっと立ち止まったまま、身じろぎもせずスピーチに耳を傾ける。その真剣な顔、顔 、顔・・・。そこには、組織に指示されたり、動員されたりしてやってきたというのでなく、1人で、しかも自らの固い意思で参加してきた人間の姿があった。雨の中、そうした人びとの間をかき分けて歩きながら、私は思った。「こういう人たちがいる限り、安全保障関連法に反対する運動はすぐしぼんでしまうことはないだろう。むしろ息長く続くのではないか」と。

国会正門前で集会011600
               雨の中、国会周辺につめかけた人たち

国会正門前で集会007600
              子ども連れの集会参加者も

国会正門前で集会020600
                参加者が掲げるプラカード



2016.09.15  トルコ非常事態法によるすさまじい実例
  ―よそ事ではない、自民党の改憲草案が明記の条項

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

トルコのエルドアン政権は、7月15日のクーデター未遂鎮圧直後、非常事態を宣言、閣議決定に基づき発布した非常事態法に基づき、政敵ギュレン師の支持勢力とみなした将兵約3千人、裁判官はじめ公務員、教育関係者など1万3千人以上を逮捕、拘束。約6万人を免職あるいは停職にし、新聞はじめメディア131社の閉鎖を命じた。この事件は「ギュレン師の支持勢力によるクーデター未遂ではなく、軍、司法、教育界などからギュレン師支持者を一掃するための、エルドアン大統領による周到な陰謀だったのではないか」という8月8日の本欄「トルコ・クーデター未遂事件の真相」での私の見方はいまも変わらない。
その後、警察総局、軍警察総司令部、沿岸警備司令部などにも懲戒免職が拡がるとともに、一般省庁・公共機関でも非常事態法に基づく公務員の懲戒免職が拡大した。
東京外国語大学のネット配信メディア「日本語で読む世界のメディア」:中東、東南アジア、南アジアの各地域の新聞が報じた最近のニュース:2016-09-09号によると、国際的評価も高いトルコの最有力紙ヒュリエットは9月2日、「憲法と非常事態法に基づき、8月15日の閣議で採択された政令672号によって、テロ組織に賛同した活動を行ったとして、数多くの公務員が懲戒免職にされた」と、その機関と人数のリストを報道した。
リストには89機関があり、懲戒免職された公務員は総数41,179人。その数が最大の国民教育省から400人台までの公共機関はつぎの通りだー
国民教育省     28,163人
高等教育機構(大学等)2、346人
保険省と関連組織   2,028人
財務省          829人
国税庁          813人
食糧農業畜産省・関連組織 733人
社会保険機構       605人
宗務庁          519人
家族社会政策省      439人
国民教育省と高等教育省が特に多く、両省で3万5千9人に達した理由は、大学から初等教育に至る学校の教員、教育行政公務員には、ギュレン師の比較的リベラルなイスラム主義の支持者も多く、政教分離の堅持を求める知識人層、共和人民党の支持者たちとも協調して、さまざまな教育、文化活動が拡がっているからだろう。もちろん、エルドアン大統領は、将来世代へのリベラルなイスラム主義の定着を強く警戒していたに違いない。
政権がなんでもやり放題の非常事態法
 トルコのエルドアン政権が、クーデター未遂事件で非常事態を宣言し、非常事態法を発動して、多数の公務員を懲戒免職し、数千人の軍将兵を逮捕、処罰したことは、憲法と国会があっても、非常事態の下で国家の最高権力者が思い通りになんでもできることを示す、最近の重要事例だ。
幸い、日本の憲法には非常事態条項はなく、敗戦後の占領支配が終わり主権を回復したのち、政府が非常事態(緊急事態)法を発令することはありえなかった。非常事態法などは必要がなかったのだ。ただ1回だけ2011年の福島第一原子力発電所事故の際、原子力災害対策特別措置法による原子力緊急事態宣言が発令された。あれほどの大事故でさえ、特別措置法で対応できる。政府が権力をほしいままにする非常事態(緊急事態)法は、きわめて危険で、不必要なのだ。
非常事態宣言、あるいは緊急事態法について世界が記憶するのは、1933年、ナチスのアドルフ・ヒトラー首相が議員の大量逮捕の後に、国会の議決を得て手中にした全権委任法(非常事態法)のことだ。全権委任法によって、ナチス政権が第2次世界大戦、ユダヤ人大量虐殺へと突入していった歴史。もちろん日本では、軍が支配する政府が太平洋戦争に突入していった歴史をだれもが記憶している。
だが、いま、安倍政権下の自民党は、憲法改悪の重要項目として、緊急事態条項を新設しようとしている。安倍首相が尊重するとしている自民党の「憲法改正草案」には、次の条項があるー
第98条 緊急事態の宣言
1 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱などによる社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、(中略)緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前または事後に国会の承認を得なければならない。(後略)
第99条 緊急事態の宣言の効果
緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は税制上の必要な支出そのほかの処分をおこない、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。(後略)

―要するに、自民党の「憲法改正草案」では、政権は緊急事態を国会の事前承認なしに宣言でき、法律と同一の効力がある政令を制定でき、それによって、なんでもできるのだ。
トルコでは、立派な憲法があり、国民が憲法を尊重しているが、エルドアン政権はクーデター未遂事件によって非常事態(緊急事態)を宣言し、条例を次々と発令して、やりたい放題を強行した。日本では、憲法9条の改悪をさせないこととともに、緊急事態条項を新設させないことも、改憲阻止の最重要課題だ。



短信■  ヒロシマを理解するための講座
 
  トークセッション<ヒロシマ・2016連続講座>

 今年1月から東京で始まったトークセッション<ヒロシマ・2016連続講座>の9月以降のラインアップが決まった。これは、元高校教員の竹内良男さん(東京都立川市)が始めたもので、「戦争と平和」の問題にさまざまな形で取り組んでいる人たちにそれぞれの体験を話してもらい、東京から遠く離れた広島に思いをはせようというのが狙い。回を重ねるごとに参加者が増え、広島からも参加者がある。

 トークセッションは月に1~3回、土曜日の13時から16時まで開かれる。
 会場は東京都北区中里2-6-1 愛恵ビル3F(公益財団法人愛恵福祉支援財団)。JR山手線駒込駅東口下車。参加費は各回1000円。
 申込先は竹内良男さん(電話090-2166-8611)

★第11回 9月17日(土) 「ビキニの海から」豊崎博光さん(マーシャル諸島を含めて世界中の核実験被害者を鋭い目で記録し続ける写真家) 
★第12回 10月1日(土)  「被爆証言に向き合う」渡辺晴さん・田栗静行さん(お二人とも長崎の被爆者)
★第13回 10月15日(土) 「『原爆の図』の旅」岡村幸宣さん(日本国内だけでなく米国各地も回った「原爆の図」の旅を丸木美術館学芸員が語る)
★第14回 10月29日(土) 「韓国人BC級戦犯」李鶴来さん(泰緬鉄道に関わって戦犯訴追された李さんの証言)
★第15回 11月19日(土) 「私の中のヒロシマ」斉藤とも子さん(井上ひさしの「父と暮せば」に出演、ヒロシマに心寄せる女優)
★第16回 12月3日(土)  「丸山眞男と原爆」川口重雄さん(丸山眞男の文章を読み解いて20年、「丸山眞男手帖の会」の代表)
★第17回 12月17日(土) 「ヒロシマから見える日本」アーサー・ビナードさん(1990年に来日、核をめぐるたくさんの作品を発表し、幅広く活動している詩人) 
                                      (岩)