2018.01.13  どうしてアベノヨイショにこれほど「くず」が多いのか
盛田常夫(在ハンガリー・経済学者)

 経済評論家を自称する三橋某が逮捕された。アベノミクスを礼賛するアベノヨイショの1人である。専門論文を書けるほどの教育を受けたことも研究活動に携わったこともない御仁だから、経済評論家は僭称というしかない。三流以下、偏差値で言えば30前後の四流評論家である。この程度の人物でも、テレビやラジオの番組に度々登場し、そのお陰で日本各地の経済団体から講演依頼があるようだ。経済学は科学と言うにはほど遠い学問だから、こういうインチキな輩でも、経済政策を「論じて」金儲けできる土壌が存在する。

「日本経済は何の問題もない、世界で一番素晴らしい経済だ」と言っている人がいますと、知人から三橋が2016年に某県の経済同友会で行った講演録が送られてきた。「講演」の内容から見て、どこでも同じようなことを言っているなと予想できる。90分の講演時間だが、講演構成に熟慮した形跡が見られず、雑な放言が続くだけで、論理不明瞭。最初から、地方の聴衆にはこの程度で済むだろうという見下した態度や自画自賛。あまりの雑ぱくさに驚いた。こんな放言に、数十万円も払っているのが日本社会の現状だ。経済評論家バブルとしか言い様がない。しかも、この御仁、大仰にも「(私には)講演依頼が殺到していて、年間200回を超える講演をやっている。...もし来年も講演を依頼される時には私の講演料は絶対に値上がりしていますからね」などと恥ずかしげもなく自己宣伝している。こうやって講演依頼が来るのを待っているのだろう。一知半解の聞きかじりを次から次と披露しているが、自分でも整理が付かず、何を言おうとしているのかはっきりしない。講演と言うにはほど遠い。とても頭脳明晰とは言えず、何を言いたいのかさっぱり分からない。だから、大学の論文試験で評価すれば偏差値30点。
その論調から推測できるのは、粘着質な性格で、自己を中身より大きく見せようとする小心な尊大さだ。だから、DV報道を見ると、「然(さも)もありなん」と思う。財務省を批判しているから、国税庁の調査を受ける恐れがあるとか、えん罪を受ける可能性があるなどとブログで自らを過大評価しているようだが、一種の炎上商法だろう。講演録からうかがえる尊大な態度から、品格に欠け、性格が良くないことはすぐに分かる。この四流「評論家」が私生活で何をしていようとも関心はないが、ニュースの中で12月23日に安倍首相と会食したことが触れられていた。こちらの方が興味深い。「ああ、またか」というのが率直な感想だ。

 それにしても、アベノヨイショにはどうしてこれほど屑が多いのだろうか。アベノヨイショ本と準強姦で世にその名が知られ、フィクサーのように政界と経済界の境界を彷徨って甘い汁を吸っている山口敬之、能力がないのにアベノミクス擁護で飯を食っているDVの三橋(ペンネームで本名ではないようだが)、三橋と同様に、「巨額国家債務の宣伝は財務省の企み」と批判してアベノヨイショしている剽窃と窃盗の前科がある高橋洋一、経済学研究の論文も実績もないのに、アベノミクス発案に貢献してスイス大使に抜擢され、次期日銀総裁に自らを売り込む厚顔無恥と自己過信の権化のような人物で、特攻隊を礼賛する偏狭な愛国者本田悦朗。そういえば、「アベ友学園」問題の発端となった篭池一家も、奇妙な家族だった。

 山本孝三、高木毅、稲田朋美など無能で破廉恥な大臣を次から次への据えてきた安倍晋三の周辺には、どうして品格、知性、能力に欠ける胡散臭い人物が集まっているのだろう。それは偶然ではないだろう。安倍が懇意にしている人物は知性と品格が己と同じ程度か、それ以下なのだ。「類は友を呼ぶ」だ。自分より知性があって知的水準が高い人物や難しい議論を避けて、自分が簡単に理解できる単純な経済政策イデオロギーや愛国イデオロギーに靡(なび)いてくる連中を、すぐに仲間だと考えるからだろう。要するに、「人を見る目がない」のだが、それは安倍自身がその程度の人物だということを証明している。そういう人物が長期にわたって日本の宰相として居座り続けているのだから、日本社会にとってこれほどの悲劇はない。
2018.01.10  大いなる護憲運動よ、起これ
  ―八ヶ岳山麓から(247)――

阿部治平(もと高校教師)

安倍晋三首相の年頭のことばを読むと、今年は何がなんでも憲法改定発議をやる構えです。去年の暮れ、自民党の憲法改正推進本部が改憲4項目の「論点取りまとめ」を公表しました。そのうちもっとも重要なのは、いわずと知れた憲法9条の改定=「自衛隊の明記」です。
安倍政権以前の自民党政権は、専守防衛、個別的自衛権を9条に反しないものとして、国際的にも冠たる戦力をもつ自衛隊を育成してきました。しかし安倍政権は、安保法制を強引に成立させ、同政権の目的が海外での無制限な武力行使を可能にする集団的自衛権の確立にあることを示しました。
改憲勢力は国会の3分の2を握っているのですから、護憲派はすでに城の外堀を埋められたようなものです。護憲のためには保守派の牙城の一角を切崩し、自民党の一部をも加えて、広範な国民の力を結集しなければなりません。

国会中心に考えれば、抵抗勢力の中心は総選挙で躍進した立憲民主党です。地方での草の根運動の中核になるのは、おそらく共産党です。党員活動家の老化を憂える人もおられますが、敵も同じく老化していますから、それはひとまず置いて考えましょう。
去年の暮、立憲民主党は独自の綱領を新たに決定しました。我々にとって最も重要なのは、日米軍事同盟を容認し、専守防衛のための自衛力をもつ途をとるとしながらも、安保法制を前提とした憲法改定には反対するとしたことです。
そこで、懸念されるのは、立憲民主党と共産党の基本路線の違いです。
立憲民主党は日米安保条約を基軸とし、自衛隊を情勢に即応した戦力をもつものにするという安全保障論に立っています。共産党はゆくゆくは日米安保条約は廃棄し、自衛隊は解散して国民的合意に基づいて自衛軍を再編成するとしています。共産党の志位委員長は、日米安保条約が日本を守っているというのは幻想だ、在日米軍には日本防衛の義務はない、アメリカの海兵隊は海外の敵への「殴り込み」部隊だ、と語っています。
共産党のいうように、かりに日米安保条約の廃棄が国家の独立と軍事的中立をもたらすとしても、その場合、東アジアの軍事力バランスは当然中国に傾きます。尖閣諸島での日中両国の確執からしても、自衛隊の解散、安保破棄を立憲民主党が(いや国民の多くも)認めるはずはありません。日米安保条約をめぐって両党が対立すると、護憲運動の上では非生産的な結果が生れます。

しかし、さる2015年9月安保法制が国会を通過したとき、共産党の志位委員長が提案した臨時政府は、新安保法制の廃止を目標とし、日米安保条約は「凍結」、日本に対する急迫不正の主権侵害に対しては、自衛隊を新安保法制以前の自衛隊法にしたがって作動させるとしました。
つまり政党としては自衛隊違憲論は変えないが、反安保法制の連合政府としては合憲という立場で臨むということです。この態度はかつて村山内閣成立時の社会党の自衛隊に関する判断と似ています。共産党は自衛隊を頭ごなしに否定した時代もあったことを思うと、(世論に押されたのか)ずいぶん現実的になりました。これは幸いというべきでしょう。

しかし安倍首相の自衛隊を憲法に明記せず、いつまでも日陰者にしておくことはできないという主張は、安保法制下の自衛隊の現状を肯定する人々には説得力をもっています。
これに対して「護憲的改憲論」を称える人々がいます。9条を書換えて専守防衛の軍事組織を憲法に明確に位置づけるべしとする意見です。9条を一言一句たりとも変えない、とする人々には受入れられないかもしれませんが、集団的自衛権、自衛隊の海外派遣を否定するという趣旨ですから護憲論には違いがありません。

問題なのは、立憲民主党がいう専守防衛とはいったい何か、はっきりしないことです。いままでの政府答弁などによると、相手側から武力攻撃があったとき、他に手段がないと認められる限り、自衛のために必要な反撃をすること、その防衛力は必要最小のものに限られる、というものです。
歴代政府は、ミサイル攻撃などで、他に対処する手段のないときは敵基地攻撃も許されるとしてきました。また武力攻撃があきらかに予測される事態における先制攻撃が許されるか否かについても議論があります。いったん間違うと専守防衛をたてまえとした軍事力の際限のない拡大が企図される危険があります。
立憲民主党の枝野幸男代表は、12月18日講演会で長距離巡航ミサイルの導入の是非に関して「敵基地攻撃能力を持つために導入するのか。そうでなければ歯止めはどこにあるのか。国会審議で問いただしていく」と発言しました。
小野寺五典防衛相は、大臣就任前には敵基地攻撃能力の保有を政府に求めた人物ですが、長距離巡航ミサイル導入に関しては「(敵基地攻撃の)能力保有を想定していない」と発言しています。
「歯止めはどこにあるのか」立憲民主党も共産党も現政権との違いを明らかにする必要があります。

もうひとつ。日本の平和と安全にとって重要なことは「敵をつくらない」外交努力です。北朝鮮の核武装や中国の海洋進出を問題視するとしても、仇敵視することなく、軍事的衝突に至らず、日本が甚大な損害を被らない政策をえらぶ必要があります。右翼ジャーナリズムは慰安婦問題や南京大虐殺をめぐって、韓国・中国を敵視する報道をします。これは国際的には「歴史修正主義」の日本を印象付け、両国だけでなくアメリカを含めた国際世論を敵に回すことになり、日本の安全にとってはきわめて危険な行為です。
安倍政権は「Jアラート」を鳴らして国民の多くが北朝鮮に憎しみをもつように煽り、選挙に勝利しました。今年尖閣などで中国の軍事進出が著しくなったら、これを極力宣伝して改憲に利用するでしょう。護憲派は「敵をつくらない」政策についてもっと掘り下げた議論をする必要があります。

自民党には、現行憲法下でも日米安保を堅持し、海外派兵も可能として改憲の必要なしとする改憲慎重派がいます。どうやったらこの人々と共闘できるか。できなければ護憲派は敗北します。以下の話は対象が自民党ではありませんが、共闘のむずかしさをものがたっています。
さきの衆院総選挙のおり、長野四区(木曽・塩尻・諏訪)では共産党は毛利栄子氏を出馬させ、わが地域の市民連合も他に候補がいないところから毛利氏を推薦し、自共対決となりました。ところが民進党の寺島義幸氏が希望の党公認の落下傘候補として四区に舞い降りました。これで毛利敗北はきまり、結果は自民8万、共産4万、希望4万となりました
ところが寺島氏は運動期間中、意外にも「安保法制反対、9条守れ」と演説して歩いたのです。もちろん安保法制肯定・改憲という希望の党の党是に反します。これを怪しむうちに民進党の杉尾秀哉参議院議員が寺島氏の応援にやってきました。杉尾氏はさきの参院選で共産党を含む野党3党や信州市民連合と結び、自民党と対決して勝利した人です。
このご両人は護憲派か改憲派か?寺島氏が出馬しなければ、わずかではあれ毛利氏勝利の可能性があったので、共産党はもちろん無党派の人でも寺島・杉尾両氏に対してあきれたり怒ったりしました。
しかし、いま改憲発議を阻止するためには、右から左まで豊富な人材が必要です。できれば杉尾氏には動いてもらわなくてはなりません。寺島氏にも改憲阻止の陣営に加わってもらいたいと思います。

いま立憲民主党の枝野氏は共産党とは距離を置いています。共産党に近づきすぎたら国民の支持を失うという懸念があるからだと思います。共産党の人にはわからないようですが、同党に対するアレルギーはかなり根強いものがあります。私が村の「憲法9条を守る会」に入り、護憲のステッカーを家の壁に張ったとき、親戚の若者は「共産党に入ったのか、とんでもない」という顔をしたことがあります。「9条の会」のおもな活動家が共産党員だからです。
党の顔が出すぎると、護憲勢力を小さくする危険があります。ここのところは共産党に大人のふるまいを期待するしかありません。

ともあれ、今年は私も老いさらばえた体と心に鞭打って、改憲阻止のために働くつもりです。そして皆様のご健闘を祈ります。
2017.12.30 民進党解体の〝戦犯〟前原氏が「後悔ない」「引退考えない」を公言する無責任さ、厚顔無恥さ

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

不愉快極まる1年だった。この1年は、安倍首相夫妻の森友・加計疑惑などに象徴される国政私物化の横行や居直り、財務省や国交省官僚の公文書破棄による事実隠蔽など「安倍1強体制」の下で権力腐敗が加速度的に進行した1年だった。にもかかわらず、政権に返り咲いた安倍首相は2017年12月26日で丸5年を迎えたという。これだけの腐臭をまき散らしながら安倍内閣が長期政権として命脈を保っているのは、ひとえに自公与党が選挙戦で勝利し、野党がその一角も崩せない状態が続いているためだ。

ところが、これまで不可能だと思われていた安倍政権に対する野党共闘が、共産の自共対決路線(単独路線)から野党共闘路線(協力路線)への転換によって2016年参院選の選挙区(1人区)で成立し、2017年総選挙ではその延長線上に野党共闘が本格展開を見る段になっていた。その矢先、前原前民進党代表の手によって野党第1党の民進党が解体され、野党共闘は大きく後退した。漁夫の利を占めたのは安倍政権だった。

前原氏が、神津連合会長の後押しで小池東京都知事とタッグを組み、小池新党を立ち上げるために民進党を解体するという前代未聞の政治的策謀(野党再編)は、文字通り「国家的謀略」とも言える大事件だった。前原氏個人に関して言えば、これほど大それたシナリオを独りで組み立てられるほどのキャパシティもなければ、決断力もない。そこにはおそらく、松下政経塾の人脈に連なる国際的ネットワークの後押しや、首相官邸とのパイプラインなどとも絡んだ見えない支援組織が介在し、その代表役として神津連合会長が動いたと考えるのが自然だろう。いまや、前原氏は安倍長期政権を支える最大の功労者であり、安倍首相の〝影の盟友〟と言ってもいい存在なのだ。

総選挙後、暫く鳴りを潜めていたその前原氏が地元の京都新聞に登場したのは2017年12月17日のこと、独占インタビュー記事が大紙面に掲載された。出る方も出る方なら載せる方も載せる方だと思うが、前原氏が京都政界ではいまだ無視できない影響力を有していること、解体されたはずの民進党のなかで再結集への動きがあること、それに山田知事の5選不出馬宣言で来年4月の京都府知事選に向けての新たな体制作りが始まっていることなど、そこにはさまざまな政治的背景があるのだろう。

京都新聞は地方紙なので全国の読者には目に入らない。前原氏のインタビュー記事を要約して紹介したい。以下はその簡単な抜粋である。

◇衆院選直前に野党第1党を解党し、小池氏が率いる出来たばかりの希望の党への合流を決めた。「奇襲」とも言われた驚きの決断だったが、結果は自民党の大勝に終わった。
「合流は一発逆転を狙った賭けの要素はあった。政党の出来上がりや結果は残念だったが、支持率が希望の半分に満たなかった民進のままで選挙に突っ込めば、議席を減らすだけに終わった。衆院選で希望は議席が50人ほどだったとはいえ、旧民進系の合計は選挙前より増えた。決断してチャレンジして良かった。後悔はない。」
「駆け引きはあっても、前に進むしかないと思った。小池さんが最も割を食ったが、戦友として新たな政治のかたまりをつくっていきたい。まずは民進と希望が合流し、支援組織の連合が応援できるひとかたまりをつくることが大事だ。」

◇自民と並ぶ政権交代可能な二大政党の実現は遠のいた。自身は無所属で当選後、希望に入ったが、引退は考えなかったか。
「寸分もなかった。厳しい選挙でも応援してくれた人への責任がある。もう一度はい上がり、政権政党の中核で仕事をしたい。再編を焦る時期ではなく、再来年の統一地方選や参院選の政治決戦に向け、仲間とともに知恵を出し合いたい。」

◇京都の民進系組織も3分裂となった。来年4月に迫る京都府知事選にはどう関わるか。
「希望には、京都選出の国会議員が4人いるが、これまで同様に民進府連と協力関係を保つ。民進府議団の意向を尊重し、支援体制を組む。」

このインタビュー記事を読むと、「政権政党の中核で仕事をしたい」という自分個人の野望実現のためには、いかなる(周辺の)犠牲をいとわない―という前原氏の懲りない性分が浮かび上がってくる。「後悔はない」「(引退を考えたことは)寸分もなかった」という発言は、強がりでも体裁でもなく「本音」なのだ。そこには、野党第1党の民進党を解党したという自責の念もなければ、その後の希望の党の凋落ぶりや先行き不安についての悩みも見られない。まるで「カエルの面にションベン」といった感じなのである。

こんな恥も節操もない人物に1票を投じている有権者(京都市民)はいったいどんな人だろうかと思うが、前原後援会は結構強力で世間の批判にも持ちこたえている。全国各地では、放言、失言、暴言を繰り返す自民党議員が、地元では「先生!」と崇められているような政治構造ができ上がっているが、京都の中でもかって「革新の牙城」と言われた左京区で前原氏が断トツ1位で当選してくるところに、京都の革新勢力の衰えを痛感する。悲しいが、これが現実なのである。

とはいえ、前原氏のノーテンキ発言がそのまま通用するかというと必ずしもそうではない。というよりは、民進解体によって民進京都府連もまた分裂状態に陥り、「お先真っ暗」というのが実情なのだ。前原氏のインタビュー記事と並んで掲載された京都新聞の観測記事には、「京都の民進系3分裂、統一選、難しい進路」との見出しで次のような解説が附されている。
「立憲民主党と希望の党が12月に入り、国会議員による京都府連を相次いで新設し、京都の民主系は、地方議員が残る民進府連を含めて3分裂した。民進府連幹部は『使命を終えた政党』と解散も示唆し、約50人の地方議員は『立憲民主か、希望か』の選択を迫られそうだが、来年4月の府知事選を前に、表立った離党や移籍は控えている。」
「民進府連は、会長の安井勉京都市議が『党支持率が1%ほどの政党で選挙したい人はいない。清算するのが筋だ』と、統一地方選までにめどを付けたい考えだ。ただ、ある地方議員は『野党第1党を壊した〝戦犯〟批判のある前原さんの希望か、連合京都が距離を置く福山さんの率いる立憲民主か、難しい選択だ』と頭を抱え込む。」

だが、前原氏や希望の党が支援を期待する連合もまた分裂状態に陥っている。2017年12月22日の日経新聞は「連合に分裂の足音、民進瓦解で再燃、内部の亀裂 根深く」(読み解きポリティクス)と題して、「日本最大の労働組合のナショナルセンター(全国中央組織)、連合が支持政党を決められないでいる。旧民主党時代を含め約20年間支持してきた民進党が10月の衆院選で分裂し、所属した議員が3つの党に分かれたためだ。憲法や安全保障など幅広い政策で考え方が異なる議員が同居した民進の構造は、連合そのものにも当てはまる。分裂は対岸の火事ではない」として、次のような指摘をしている。
(1)連合は長年の労組間の分裂と対立を繰り返し、1989年に今の姿にたどり着いた。旧民社党を支持する民間中心の「同盟」、旧社会党を支持する官公労が軸だった「総評」を中心に4団体が大同団結。野党第1党の旧民主の結成を後押しし、政権交代可能な勢力構築に寄与した。
(2)しかし、旧民主党内と同様に、同盟系が保守系を、総評系がリベラル系を支援する寄り合い所帯は今も昔も変わらない。同盟系が「立憲民主は共産党と一体。応援できない」と漏らせば、総評系は「安全保障関連法を容認する希望の党は推せない」と反発。今回の野党の分裂は連合内の亀裂を浮き彫りにした。
(3)次回の参院選では総評系の自治労や日教組などを母体とする候補が立憲民主から、他の候補は民進や希望から出馬するシナリオも浮上する。全国を1つの選挙区とする参院の比例代表で、連合の組織内候補が複数の政党から出馬すれば、連合の内部組織同士で票を奪い合う構図となるのは必至だ。連合幹部は「産別が異なる党から候補を出せば事実上の連合の分裂に陥る」と話す。

神津連合会長が立会人として推進した民進解体が、連合の分裂に波及しつつあるのは皮肉(自業自得)というほかないが、「自らまいた種」をどう刈り取るかは困難を極めるだろう。立憲民主が希望の党との連携を拒否している以上、民進が立憲民主と希望を含めた統一会派を結成することは不可能だ。事実、12月に入ってからは蓮舫氏をはじめ民進から立憲民主への国会議員の鞍替えが相次いでいるように、今後は民進そのものが帰趨を問われることになる。またそれ以上に、政党支持率が低迷している希望から民進の地方議員が統一地方選に出馬することも考えにくい。

結局のところ、民進党本体はもとより地方組織が分裂して機能不全に陥り、統一地方選が戦えないような状態になれば、民進は地方から消えていく運命をたどるほかない。また、希望の党の地方組織の設立は京都など一部にとどまり、全国的に確立することも難しい。事態は、前原氏が意図したように民進解体には成功したが、希望の党(第2保守党)の設立には至らず、そして前原氏も希望の党と運命を共にするしかないのである。

2017.12.15 共産党の総選挙総括を読んで感じたこと
近代政党としての透明感がない

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 共産党の総選挙総括に関する報告を「しんぶん赤旗」(2017年12月4、5日)で読んだ。結論は、市民と野党の共闘の勝利、共産党の躍進という2つの大目標の達成に向けて頑張ったが、前者は重要な成果を上げたものの、後者は比例代表の20議席(606万票、11・4%)から11議席(440万票、7・9%)へ後退してことにもみられるように、「大変残念な結果」になったというものだ。

 第1の目標である市民と野党共闘はこれからもとことん追求するということなので、問題は共闘を前進させながら第2の目標である共産党の躍進をいかにして達成するかということになる。この問題は「新しい努力と探求が求められる課題」なので、今回の総括はこの課題をめぐって主に展開されるのだろうと思っていた。

 だがこの点については、(1)共産党の綱領、理念、歴史をまるごと理解してもらい、積極的支持者を増やす日常的活動を抜本的に強める、(2)どんな複雑な情勢のもとでも党躍進を実現できる自力をつける―、という従来からの方針が繰り返されただけで、特に新しい方針の提起がなかった。具体的には、(1)あらゆる党活動の軸に比例代表選挙をすえる、(2)後援会活動を選挙活動の日常化の要に位置づけ、その抜本的強化をはかる―、の2点だが、これも従来から言われてきたことで新味はない。要するに、打つ手がないので「とにかく頑張れ」ということに尽きるのである。

 しかし頑張るためには基礎体力が要る。「自力」とは「地力」のことであり、「体力」がなければ発揮できない。とりわけ選挙戦は政党間で得票数を争う「数の勝負」なのだから、どれだけの数の活動家が選挙戦に参加できるかが勝敗の分かれ目になる。如何に少数精鋭の軍団であっても、総選挙のような総力戦には「数の力」が決定的に重要になる。「多勢に無勢」という言葉があるように、総選挙を戦うにはそれなりの数がなければ戦えないのである。

 ところが、この総括文書には基礎体力の指標である組織メンバーの数も年齢構成も公表されていない。労働組合にせよ各種の政治団体にせよ、近代組織であれば構成員数は原則として公表されるのが習わしだ。どんな立派な目標を掲げた組織であっても、それが取るに足らない数のメンバーしか擁していないのであれば、社会的には相手にされないだろう。そんな当然のことが実現されていないのである。

 これらに関しては、僅かに前回総選挙から今回の総選挙までに党員6%減、赤旗読者7%減、日曜版読者9%減との記述があるだけで実態はよく分からない。後援会員数も全国で342万人という数字が出ているが、都道府県単位の数字などは分からない。こうした組織実態に関する数字の非公開主義は、かっては「組織防衛」といった観点から正当化されていたのであろうが、それがいつまでも続いているようでは「秘密結社」のような印象を与えるので、国民からは好感を持たれないだろう。

 自らの情報は公開しないで、共産党をまるごと理解してもらうのは困難ではないか。組織の実態も含めて思い切った情報公開に踏み切らない限り、いくら政治方針を事細かく説いても相手は信用しないだろう。そして、情報公開時代の「開かれた近代政党」としてのイメージが定着しない限り、党の躍進は難しいのではないかと思う。

 それから、組織メンバーが高齢化していることも気掛かりだ。年齢構成が公表されていないので正確なことは分からないが、高度成長期の革新自治体全盛時代に組織メンバーになった活動家が多いと聞くので、この人たちはもうとっくに高齢者の仲間入りをしているはずだ。65歳以上の高齢者が組織の過半数を占めるようになると、活動力は目に見えて衰えていく。今度の総選挙でもポスター張りやチラシの配布などがうまくいかず、投票動員の電話も満足に掛けられないのが実態だとあちこちで聞いた。

 後援会員が全国で342万人もいるのに、比例代表得票数が440万票しかなかったことは深刻だ。これでは後援会員1人に対して1・3票にしかならない。後援会員の活動も自分自身が投票に行くのがやっと...というところまで落ちているのである。高齢化のために後援会活動が開店休業になっていては、比例代表得票数が伸びないのも無理はない。何しろ「寄る年波には勝てない」のである。

 後期高齢者に入る75歳までが「活動寿命」だとすると、あと10年で過半数あるいはそれ以上(3分の2)の組織メンバーが活動を停止することになる。それをカバーするだけの若者たちが入ってくれば話は別だが、青年組織の現状から見れば、それは「夢のまた夢」でしかない。第一、共産党の指導を受けようとする若者が此の日本中でどれだけいるのか、調査をすれば分かることだが、「月の石」を見つけるよりも難しいと言われているのである。

 「老兵は死なず、消えるのみ」という言葉がある。確かに戦後民主主義の先頭を担った老兵たちの意気込みはまだ衰えていない。だが、気持ちは意気軒高でも身体が動かないことには選挙活動はできない。老兵たちに幾ら号令をかけても隊列はもはや動かないところまで組織全体に高齢化の波が覆っているのではないか。

 「どんな複雑な情勢のもとでも、共闘の前進と日本共産党の躍進を同時に実現するには『いまの党勢はあまりにも小さい』」のが現状であれば、その「あまりにも小さい」現実から出発するのがリアリズムというものであろう。体力がないのにレースに出場するわけにはいかない。近代政党としての体質改善に取り組み、組織の透明性を高める事なしには展望は開けない。「足元を掘れ、ここに泉がある」というではないか。

2017.12.07 「核兵器禁止条約」の早期締結を求める
韓国通信NO541

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

今年7月、わが国は国連で採択された「核兵器禁止条約」を署名しなかった。つまり反対した。「唯一の被爆国」と自称して核廃絶を求めてきた日本政府の反対に国内外から驚きの声が上がった。アメリカの核兵器の傘にあるので現実的でないという。核兵器によって平和が脅かされている世界を変えようとするどこが非現実的なのか。まさに詭弁である。政府の釈明に私の語学力はついていけない。北朝鮮の核保有に危機感を募らせ「禁止条約」に反対する理由もわからない。わが国の看板は「核兵器廃絶」だが、本音は核兵器を必要と言っているのに等しい。
我孫子市が「核兵器禁止条約」の早期締結の署名活動をしている。我孫子市の独自の活動ではないことを知った。「平和首長会議」に参加している全国の自治体1741(わが国の自治体約96%)が共同歩調で展開している。皆さんが住む自治体でも同じ取り組みをしている。知ってましたか?
平和首長会議は1982年国連軍縮会議特別総会で広島市長が提案し、世界162ヵ国、日本を含む7,514の都市が参加し、核廃絶はもとより貧困、人権、環境問題に取り組む世界的な団体だ。
政府の「テイタラク」に失望していたところに、この署名活動である。署名用紙の冒頭に趣旨が書かれていた。短いので以下に全文紹介する。

2017年7月、被爆者を始めとした多くの人々の核兵器廃絶への強い願いが実を結び、「核兵器禁止条約」が国連で採択されました。核兵器のない世界を実現させるためには、核保有国とその傘の下にある国々がこの条約を締結することが不可欠です。この署名を通して、皆さんの平和を希求する声を世界に広げ、全ての国が条約を締結するよう促しましょう。
※この署名は、平和首長会議がとりまとめて国連へ提出します。〔提出先〕我孫子市企画財政部企画課 と付記されていた。

<政府に反旗を翻した自治体>
平和首長会議の署名は政府と真逆の主張で、核兵器の「保有国とその傘の下にある国々」へ早期締結を求めている。地方自治とはこういうものだったのか! すっかり愉快な気分で市の図書館にあった署名用紙を教室に持ち込んだ(外国人のための日本語教室。私はそこで毎週土曜ボランティアをしている)。核兵器禁止に反対する人がいるはずはなく、またたくまに署名用紙は署名でいっぱいになった。こんな楽な署名活動は久しぶり。日本語を勉強に来ている外国人に「核兵器禁止条約」を説明するのに少し手間取ったが、理解すると署名は簡単だった。国籍、年齢を問わない地球規模の署名というのも素晴らしい。翌日、3日は駅前で仲間と「スタンディングデモ」。私はサンタクロース姿で一時間。その後にでかけたスポーツジムでも署名用紙を見せたらまたたく間に署名が集まった。エアロビクス仲間の高校生も署名に加わった。世界から核兵器がなくなることを望まない人がどこにいるのだろうか。政府の「言い逃れ」署名拒否は笑いものになっている。

<これも金正恩のおかげ?>
安倍内閣は北朝鮮の核兵器とミサイルで恐怖を煽り、選挙で「勝った」と云っても過言ではない。不評の内閣だが北朝鮮のおかげで支持をつないでいることを、「金正恩サマのおかげ」と皮肉ったことがある。
今回の署名運動、北朝鮮の核に対する恐怖のおかげで、「核兵器禁止」条約」の世論が一挙に拡がり高まったことになる。これも「金正恩サマ」のおかげ。
署名用紙は各自治体のホームページから簡単に引き出せる。
ただ、この署名について疑問を感じた点がひとつある。どうして条約を拒否した国の市民が国連に署名を提出するのか。署名を受け取った国連から、「まず自国の政府に働きかけたら」と言われそうな気がする。そうかもしれない。しかし核廃絶を訴え続けてきた日本が土壇場になって反対した理由に比べたら、一市民として国連の採択を世界的規模で「あらゆる国」に広げようとする署名は筋が通っている。世界中の世論が核保有国と日本を含めた保有国に依存する国々を包囲することになる。そう確信して早速図書館備え付けの回収箱に10名分の署名を投函した。

アメリカに核廃絶を求め、北朝鮮にも核の放棄を求めるなら戦争は回避できる。「最終兵器」で威嚇せず外交交渉をすべきだ。複雑なようで単純な理屈がなかなか理解されないのでもどかしい。北朝鮮を「テロ支援国家」に再び指定して対決姿勢を見せるトランプ大統領とそれに追随する安倍首相からは解決の糸口は見えない。
11月29日、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射によってアメリカ本土までミサイルが到達可能となった。新たな展開にアメリカは大きな衝撃を受けた。韓国も深刻に受け止めているが、世論は「戦争絶対反対」、政府は必死に外交努力を続けている。わが国の外交努力は見えない。
先月13日の話題なので旧聞に属するが、世界フィギュアスケートの第一人者だった(2010冬季オリンピック金メダリスト)キム・ヨナが国連総会で、「平昌五輪は平和と人類愛という五輪の精神を全世界の人々と共有する場になるだろう」、「北の選手にぜひオリンピック競技に参加して欲しい」と全世界と北朝鮮に向けて平和のメッセージを送った。当日の総会ではオリンピック期間中とその前後に総会加盟国の「敵対行為の自制、停戦」を採択した。
「北に近い平昌は危険ではないのか」と心配する友人に「日本よりは安全かも」と私は答えた。先月、東海第二原発が40年ルールを無視して20年の使用延長の申請をした。地元と30km圏内の住民に焦点が集まっているが、東海村から東京まではわずか100kmの距離だ。福島の後始末もてきないで原発を再稼働させるとは狂気の沙汰だ。老朽原発だけに事故が起きる可能性は高い。東京オリンピックどころではない。

2017.12.04 この総選挙はいったいなんだったのか
総選挙後に広がる野党状況の異変

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 総選挙が終わってからというものは、社会や政治を取り巻く空気がどす黒く澱んでいるように思えて仕方がない。息苦しいというか、重苦しいというか、諦めとも無力感とも付かないどんよりとした空気が上から下まで覆っている感じなのだ。深呼吸しようにも力が湧いてこず、低肺活量のままで息切れしそうな気さえする始末。こんなことでは駄目だと気を奮い起こしても、いつの間にかまたもとの状態に戻ってしまう。いったいどうすればいいのか。

 こんなことは個人的状況なら体調不良やスランプなどと思ってやり過ごせるかもしれないが、社会状況や政治状況ともなるとそうはいかない。自分の受け止め方に問題があるのか、それとも周辺状況そのものに問題があるのか、原因を突き止めなければ納得がいかないのだ。そんな鬱々とした気分でここ1週間ほどは過ごしてきたが、自分の気持ちに決着をつけるためにも(主観的であれ)考えを一応整理してみたい。

総選挙前の一種の興奮状態が過ぎていま思うことは、今度の総選挙はいったいなんだったのかということだ。結局は「何も変わらなかった」との徒労感だけしか残らない。毎日新聞オピニオン欄は、森健氏(ジャーナリスト)を起用してこのような「衆院選後の光景・社会に広がる無力感の正体」の分析を試みている(2017年11月28日)。

森氏は次のように述べる。
「『大義なき解散』と批判された総選挙だったが、結果は与党が3分の2議席を維持。そんな拍子抜けも一因にはあるだろう。だが、もう一つ無力感の要因として思い至るのが、安倍首相周辺が一連の疑惑に答えないという不作為だ。」
「選挙の混乱で隠されたのは、国会論戦で追及されたであろう森友学園や加計学園問題だったはずだ。その両問題は、選挙後、権力との関係性の変化を示唆するように明暗が分かれており、そこに気味悪い違いがある。」
「学園問題とはいえ、首相と仲がいい方は学部新設が認可され、首相に疎まれた方は逮捕・勾留されたまま。どちらも法的な整合性に関しては合理的な理由や根拠が明らかにされていないが、こうも対応が異なるのはなぜなのか。」

その通りだと思う。総選挙後に加計学園獣医学部の新設が認可されることは既定の事実だったのであろうが、それでも認可後には加計孝太郎理事長がせめても一応は記者会見するものとみなされていた。ところがどうだろう。加計学園は、読売新聞を先頭に全国紙に次々と加計学園獣医学部新設認可の全面広告を載せ、大々的に学生募集を始める傍ら、当の加計孝太郎氏は国民の前にいっこうに姿を現そうともしない。まるで、国民の疑惑を陰であざ笑うかのような態度ではないか。

一方、安倍昭恵首相夫人の方も、森友学園との関係で国会証人喚問や参考人招致に関して度重なる要請を受けていることなどどこ吹く風。各地の講演会では「最近は学校問題で世間が騒がしくなっているようですが...」など、まるで他人事のように言って笑いを取るのだという。国有財産のタダ同然の払い下げに手を貸した張本人でありながら、それを笑いネタにするほどの余裕はいったいどこから生まれるのか。これも国民をあざ笑い、馬鹿にすることなしには考えられない不遜な態度ではないか。

私は、会計検査院の報告が出たときからこのような状況が覆るのではないかと期待していた。確かにこの間の衆参予算委員会の論戦を通して森友学園への国有地売却が「特別扱い」であったことは明らかになった。だが、これほどの露骨な「特別扱い」が次から次へと暴露されてきているにもかかわらず、それが財務官僚や国交官僚の詭弁に阻まれ、安倍首相や昭恵夫人への責任追及に結び付かないことに例えようのない苛立ちを覚える。自公与党をはじめ維新や希望の党が共同戦線を張って分厚い防護壁を築き、安倍首相を四方八方から擁護している布陣が余りに強大なためだ。そのことが国民に無力感を与え、社会に閉塞感をもたらしている。

そのことを象徴するのが、国会代表質問直後の11月24~26日に実施された日本経済新聞の世論調査結果だろう。文科相の加計学園獣医学部新設の認可については「評価する」27%を「評価しない」60%が大きく上回り、学部新設の手続きをめぐる政府の説明に「納得できない」71%が「納得できる」19%を圧倒しながら、それでいて内閣支持率52%(前回54%)、不支持率39%(同38%)はほとんど変わらないのである。

そして何よりも注目されるのは、総選挙後の政党支持率の変化だ。立憲民主が前回と同じく14%と野党としては突出した支持率をたたき出したものの、その他の野党の方は、共産3%、維新2%、希望2%、民進1%、社民・自由0%と見る影もない。希望や維新が国民の信頼を失って没落していくのは当然だとしても、野党共闘に尽力した共産や社民がかくも低迷するのはなぜなのか。

とりわけ共産の場合は、野党共闘に力を尽してこれまで5%台を上回る支持率を安定して維持してきたのが、また「元の木阿弥」の状態に戻ってしまった。これではいったい何のために頑張ったのか、支持者はさぞがっかりしていることだろう。社民に至っては今回総選挙の比例代表得票数が100万票を割って94万票となり、前回よりも37万票減らしただけに、もはや党の存続自体が問われるような状況だ。

日経世論調査でもう一つ注目されるのは、民進党から分裂した立憲民主、希望、無所属の会について「ひとつにまとまる必要はない」61%が「ひとつにまとまるべきだ」30%を大きく引き離したことだ。このことは、国の基本政策において統一した態度を打ち出せない民進に対する批判があらわれたものと言えるが、それが野党共闘全体に関わる否定的評価につながっていくとなると、今後の政治情勢はますます暗くなる一方だ。

立憲民主は、目下地方組織の設立を巡って民進と激しい駆け引きを続けているが、地方議員も来年の統一地方選を前にして所属を決めなければならず浮足立っている。民進京都府連でも前原・泉氏らと福山氏が希望と立憲民主に分裂する中で事態を収拾できない有様で、この混乱は当分収まりそうにない。となると、分裂騒動を引きずる野党のイメージは悪化するばかりで、安倍政権がどれだけ不評であっても当面は打開する方向が見つからない。

結局は、希望や維新が与党陣営に加わって与党体制が確立し、残された立憲民主、共産、社民、無所属の会などがどう態勢を立て直すかというギリギリの選択を迫られるまでこんな状態が続くのだろう。問題は、その間に国民の無力感と諦めが広がり、改憲国民投票を阻止するエネルギーまでが失われてしまいかねないことだ。さて、野党各党はどうする。

2017.11.23 日本政治の劣化と退廃を象徴する出来事(事件)だった、小池都知事の希望の党代表辞任が物語るもの
                 
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)
                  

 小池東京都知事が希望の党代表を突如辞任した翌日、一連の「小池騒動」を報じた11月15日の各紙朝刊には、「投げ出し」「丸投げ」「風頼み」「身勝手」「無責任」「不信」「分裂」「瓦解」など、最大級の侮蔑を意味する言葉が紙面に躍った。小池氏が臨時記者会見を開いて希望の党結成宣言と自らの代表就任を表明したのはついこの間の9月25日のこと、それから僅か50日で小池氏は代表辞任の理由を何一つ語ることなく国政の舞台から突然消えた(身を隠したのである)。

 一方の主役(あるいは脇役)だった前原民進党前代表もそれ以降、ぱったりと姿を見せなくなった。地元の京都ではいまや居酒屋でしか話題にならないような存在となり、「馬鹿な奴!」との巷の声も最近はだんだん聞かれなくなってきている。前原氏はもはや京都市民にとっては「過去の人」となり、誰も関心を持たなくなった。唯一張り切っているのは、希望の党共同代表選に手を挙げ、国対委員長に就任した泉氏ぐらいのものだ。もっともこちらの方は、この前の衆院補選で「野党統一候補」と勝手に思い込み、泉氏に投票した革新系有権者の方が臍(ほぞ)をかんでいる。でも今さら悔やんでも遅い。

 余談はさておき、小池氏の電撃辞任から数日経った現在、朝日新聞などでは「小池騒動=民進分裂劇」の検証が始まっている。目下連載中なので結論がどう落ち着くかは分からないが、少なくとも出だし部分はこれまでの予想とそれほど違わない。要するに、全ては前原氏が民進党代表に選出された9月1日から始まり、小池新党立ち上げの匂いを嗅ぎ取った前原氏が「民進党解体シナリオ」を描いたときから事態は動き始めたのである。

 「民進党を解党したい。民進の衆院議員は希望の党に公認申請させます」(前原)、「それでいきましょう」(小池)...。朝日新聞19日朝刊の紙面に掲載されたドキュメント記事は余りに生々しい。9月26日深夜、帝国ホテルで持たれた密室会談では、前原民進党代表と小池都知事が神津連合会長(立会人)らの前で密約をかわした。それも、前原氏が民進の100億円超の政治資金(国民の税金である政党助成金)と党職員を提供し、連合は総選挙で「ヒトもカネ」も出すという好条件付きだ。

 おそらくこの時点では、前原氏は人気のない民進に「小池新党」というヴェールをかぶせて党勢を拡大し、実質的には「前原一派=民進右派=連合支持勢力」が党運営を仕切ることで、やがては自らが新党党首としてデビューするという「甘い夢」を描いていたのだろう。だが、こちらの方は小池氏の方が1枚も2枚も上だった。民進や連合の「ヒトとカネ」は欲しいが、リベラル系まで来てもらっては困る、彼らを排除するなら受け入れもいいという条件を出したのだ。

 前原氏はここで第2の決断に踏み切る。「リベラル系排除」という条件を曖昧にしたままで民進両議員総会に臨み、総選挙直前という引き返せない状況の中で、小池条件を口実にして「リベラル系排除」を実行に移す道を選んだのである。それが小池氏の「排除宣言」となり、公認申請時の安保法制容認・憲法改正賛成の「誓約書」提出となった。ここまでは何もかも前原・小池シナリオで事が進んでいた。

 だが、余りにも露骨な「誓約書=踏み絵」に反発した枝野氏らが立憲民主党結成に踏み切り、「排除リスト」が流出するなかで世論の流れが変わって希望の党は急速に失速した。選挙結果はもう繰り返さない。呆れるほどの自民圧勝となり、改憲勢力は自公与党だけで3分の2を超える始末。いったい日本の政治はどうなっているんだと(少数派となった)心ある有権者は嘆いている。

 私は、小池氏の希望の党代表辞任に至る一連の騒動を最近の日本政治の劣化と退廃を象徴する出来事(事件)だと考えている。第1に、それは前原氏と小池氏という政治家の「首相になりたい」という個人的野望のために引き起こされた騒動、すなわち「究極の国政私物化」のあらわれだと言うことだ。井戸塀政治家などは望むべくないにしても、国民と政党を自らの野望のためには容赦なく足蹴にしても構わないという政治リーダーが今や堂々と登場する時代になったのである。それをポピュリスト政党というかどうかは別にして、前原・小池両氏がその象徴的存在であることは間違いない。

 第2は、そんな人物をリーダーとする希望の党に1000万人近い有権者が投票したことだ。政党としての理念も理想もなく、政策も綱領も定かでない即席政党に対して1千万票近い大量投票が流れる事態など想像もつかない。だが、それが現実の投票行動としてあらわれるところに、国民の果てしない政治意識の劣化が見てとれると思うのは決してひとり私だけではあるまい。

 第3は、前原・小池両氏の策謀に踊らされた(乗った)民進党国会議員の愚かさだ。自らが所属する政党の解党提案に対してほとんど議論らしい議論もなく了承し(枝野氏らも同じ)、事態が明るみに出るにつれて右往左往する有様は、これが野党第1党の姿かと目を疑わせる。加えて、小池氏らの「誓約書」に署名して希望の党衆院議員に当選したにもかかわらず、その直後から安保法制は容認できないとか、憲法改正には反対だなどと言い出す人たちにも呆れる。要するに、当選するためにはどこの政党に乗り換えても構わないと考える「渡り鳥議員」がそこにいるだけで、そのことを実践してきた小池氏と体質は寸分も変わらないのである。

 こうした「風見鶏議員」「渡り鳥議員」が様子を見て次々と前言を翻し、民進党が分裂に次ぐ分裂を重ねているところをみると、今後の政局がどうなるかは「一寸先が闇」としか言い様がない。枝野氏ら立憲民主党が軽々に野党再編に組みしない、野党共闘に乗らないと言っているのは、民進党が犯した過ちの大きさを痛感しているからではないか。いずれにしても、これからの日本の政治は当分闇夜の中を歩き続けるしかないと私は絶望している。

2017.11.21 護憲の中身を決めるときがきた
                ――八ヶ岳山麓から(241)――
                 
阿部治平 (もと高校教師)

2017年衆院選では、急ごしらえの立憲民主党が気を吐いたけれども、護憲・リベラルとでもいうべき「立憲民主党+共産党+社民党と市民連合」は3分の1に至らず惨敗となった。今後、安倍晋三氏率いる改憲・加憲派はいよいよ攻勢に出る。これに倣って産経・読売系メディアは、テレビ・新聞・インターネット上でいままで以上に強力なキャンペーンを打つことは確実だ。

9条改憲に反対する議論には、おおまかにつぎの四つの流れがあるとおもう。
①改憲せず、日米安保条約は将来破棄する。9条を文字通りに理解して、一切の「戦力の不保持」「交戦権の否認」をつらぬく。急迫不正の主権侵害にはもてる限りの手段をもって抵抗する。
②改憲せず、将来日米安保条約を破棄するのは①と同じ。ただし現行憲法の下でも個別的自衛権があるものとし、急迫不正の主権侵害には自衛隊をもって対抗する。
③日米安保体制を認め、防衛力増強もはかり、将来の改憲を視野に入れる。ただし、新安保法制下の(あるいは安倍政権下の)集団的自衛権・海外派兵を容認するような憲法9条の改定には反対する。
④改憲し、個別的自衛権・専守防衛に厳格に限定した自衛権を憲法に書き込む。すなわち②と同じ論理を改憲によって実現しようとするものだが、憲法9条改定に及ぶので、①②の護憲派にはなかなか受け入れられない。

以上四つの間にはさまざまなバリエーションがあるし、議論も錯綜している。
そこでさきにあげた3党について日米安保体制および自衛隊を含む防衛問題にたいする姿勢を見ると、次のようになる。

立憲民主党は、民進党綱領を引継いで「私たちは、専守防衛を前提に外交安全保障における現実主義を貫く。我が国周辺の安全保障環境を直視し、自衛力を着実に整備して国民の生命・財産、領土・領海・領空を守る。日米同盟を深化させ、アジアや太平洋地域との共生を実現する(立憲民主党綱領2017年10月2日)」という。同党は年内には新綱領をつくるらしいが、これと大きな違いが生まれるとは思えない。
というのは、憲法9条については党代表の枝野幸男氏は、10月9日のBuzzFeed NEWSのインタビュー記事で、「私は護憲派ではない」「いまの日本国憲法が持っている価値観を発展させるなら、改憲は大いにあり」と明言する。同時に「そのことといま憲法9条を変えるべきかどうかは、切り離して考えるべきだ」ともいっている。
結局、さきの衆院選での立憲民主党の公約は下記のようになった。
「専守防衛を逸脱し、立憲主義を破壊する、安保法制を前提とした憲法9条の改悪に反対。領海警備法の制定と憲法の枠内での周辺事態法強化で専守防衛を軸とする現実的な安全保障政策を推進する(10月7日、福山・長妻両氏による)」
立憲民主党は、冒頭の③の路線と見ることができよう。国会を中心にみるかぎり、立憲民主党が改憲反対運動を主導せざるを得ない。枝野幸男代表に揺らぐことなきを祈るのみ。

これと対照的なのは旧社会党である。①で述べたように旧社会党は憲法9条を文字通りに理解し、「非武装・中立」をとなえた。中立とは、米ソ冷戦時代は日米安保体制からの脱却を意味した。急迫不正の主権侵害に対しては、警察力やストライキでこれを排除し国民の安全を図るとした(それでもなおやられたら「降伏」という選択肢もあるといった社会党幹部もいた)。
当時は自衛隊は違憲という主張だったが、委員長村山富市氏が首班となった内閣では「合憲」とした。内閣としては、自衛隊を現下の防衛力とするかぎり、違憲とするわけにはいかないからだろう。
社民党に看板を変えても、政策の大筋は変らなかった。2006年の「社民党宣言」では、違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指す。また日米安全保障条約は、最終的に平和友好条約へと転換させ、在日米軍基地の整理・縮小・撤去を進めるとした。

共産党は1960年代後半から90年代前半くらいまでは、「中立・自衛」を提唱した。自衛とは他国からの侵略から国民の生命と生活を守るという意味である。だから共産党が目指す安保条約廃棄の民主連合政府は、国民の多数の意見の同意があれば自衛隊を解散し、その後改憲して自衛力を再建するとした。
ところが1994年党大会で「中立・自衛」の解釈を変え、社民党と同じく、憲法9条に「先駆的な意義」みとめ、軍隊をもたなくても主権は保てるといいだした。
さらに2015年9月新安保法制が国会を通過したとき、志位委員長は臨時的政府を提案して、日米安保条約は「凍結」、新安保法制は廃止、日本に対する急迫不正の主権侵害に対しては、自衛隊は新安保法以前の自衛隊法で行動すると発言した。当時の山下書記局長も、政党としては自衛隊違憲論は変えないが、反安保連合政府としては合憲という立場で臨むとした。
いまのところ、地方レベルの改憲反対運動の足になるのは共産党である。だが日本には共産主義に対するアレルギーがあるから、これが出過ぎたとき、支持者が減る危険がある。

憲法9条と自衛という二者対立的な論理を統一しようとすれば、社民党以外は複雑でわかりにくい政策にならざるを得ない。この点は、自民党だって同じことだ。敗戦直後の憲法制定議会では吉田茂氏は自衛権を否定したが、やがて警察予備隊をつくり、保安隊に至って「戦力なき軍隊」といい、自衛隊になってからは専守防衛・個別的自衛権を主張した。
安倍晋三政権に至って、「非戦闘地域」とか「駆けつけ警護」とか「後方支援」といった屁理屈をこね、ついには閣議による解釈改憲という奇手を使って自衛隊の海外派遣を正当化した。だがいま安倍晋三氏の願う国家実現のためには、現行憲法の解釈改憲ではもはや限界、改憲は必至という段階に至った。

ところで、従来の改憲反対論には国際的観点が少しばかり欠けていたように感じる。安倍内閣が掲げる新安保法制や集団的自衛権、さらには憲法9条改定などの震源地は間違いなくアメリカである。護憲派は将来アメリカとの関係をどうするか。これを議論しなければならない。
今次総選挙では、安倍政権は国際情勢を上手に利用した。トランプの北朝鮮に対する威嚇と悪罵に同調して対北朝鮮の日米軍事演習をやり、Jアラートを鳴らして作為的に緊張を煽り、北朝鮮の「挑発」と「国難」を宣伝した。
だが「北」が日韓に先制攻撃をかけたら「北」は壊滅する。このことは金正恩委員長は百も承知している。彼の気が触れでもしないかぎり、「北」には攻撃意思はないと見るのが自然である。当の韓国では人々が冷静だというのに、日本では安倍政権ばかりかメディアも、いまだ「挑発」を連発し危機を煽っている。だいたい日本海沿岸に原発をぞろぞろ並べておいて北朝鮮の脅威もないものだ。
中国の習近平政権は、今後もナショナリズムを煽りつつ、軍事力に経済力を加えて勢力を拡大し続ける。国内矛盾が高まれば当然のように尖閣問題も過熱させるだろう。タイミングよくこれがおきれば、安倍政権にとっては願ってもないことである。我々はこれも警戒しなければならない。

今日、改憲・加憲勢力の間に意見の相違がある如く、護憲・リベラルを掲げる人々にもそれぞれ異なった見解がある。なにがなんでも9条を守り戦力は保持しないとするか、自衛隊は合憲だが憲法にはその存在を書きこませないとするか、日米安保を認めるが、安倍政権のもとでは改憲には反対だとするか、それともアメリカから自立した専守防衛の自衛権を憲法に書き込めというか。
もし希望の党の改憲慎重・新安保法制反対の人々までも含めた野党共闘をはかろうとするなら、どのような意見をひっこめ、どこで妥協するか、互いに身を切る努力が必要である。

日本人は、現状が気に染まなくても仕方がないとあきらめがちだ。改憲に反対という人でもかなりが「自衛隊はなくては困るが、憲法9条の改定まではどうかとおもう」という漠然とした気分である。これは韓国の「ローソク革命」に現れた主権者意識とは著しく異なる。我々は運動の中で、この長いものには巻かれる気分をどうしても克服しなければならない。
これに成功するか否かで日本の歴史的方向が決まる。

2017.11.20 タケシ風パロディ:町人国家日本の卑屈な接待外交
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 微に入り細にわたる日本の「おもてなし」は世界に稀にみる美徳だけどさ、これに政治的な魂胆が絡んでくると意味が変わるんだな。政治の世界じゃ、いくら接待にお金をかけたって、外交方針が変わることなんてないんでさ。大げさな接待を準備すれば、逆にその魂胆を勘ぐられるんでね、だからプーチンなんかは、当て付けがましい接待を知っていたから、わざと何時間も遅れて到着したもんね。
 いくら日本食が世界に誇ることができる食文化だと言ってもさ、それを本当に賞味できる外国人なんて、そんなに数がいるわけないんでさ。アングロサクソン系なんぞは、日本人のように、食べることに拘りなんてないんでね、名人シェフが料理したってその価値が分かる人なんて少ないんだよ。文化的素養に欠ける知性のない政治家には「猫に小判」、欧米風に言えば「豚に真珠」ってとこだな。「これだけ接待してんだから、良いことしてくれるよね」というのは日本人にだけ通用する「常識」だね。もっとも、今回は生食を好まないトランプ一家のために、今回は牛肉のオンパレードだったようだがね。

 もっともさ、アメリカに諂(へつら)うだけの外交なら、襟を正して正面から議論する話もないんでさ、せめて日本のおもてなしをたっぷり楽しんでもらって、機嫌を取ろうってことだな。沖縄の基地をどうするのか、日米地位協定をどうするのかって話を正面から切り出す熱い思いなど一欠けらもないから、一国の首相がアメリカの大統領と何を話し合ったのかなんてほとんど話題にならないってわけさ。ゴルフや「銀ぶら」の話、どこのレストランでどんな料理を食べたかって話だけだもんな。公式晩餐会に「ピコ太郎」を招待するなんて、あまりにトランプ一家のご機嫌取りの卑屈な外交で、とても独立国の外交とは言えないね。
 もっとも、安倍さんの頭には独立や自立という観念そのものがないんだよな。単純に、仲良くしていれば、「同盟」だと思ってんだろうね。根っからの属国政治家だから、自立とか独立という観念も概念もないってことさ。まさに属国政治家の面族躍如だよ。「週刊新潮」の「米中韓のメディアが冷笑! 『安倍総理』は『トランプ父娘』の靴を舐めたか」は正論だね。こういう外交を可笑しいとも思わないマスコミも国民も世界の田舎モンだな。欧州の政治じゃ、絶対にあり得ない卑屈な接待外交だよ。だから、トランプも、好き放題に振舞って気持ち良く気軽に観光気分で日本に来れるってわけさ。「なぁ、それでいいだろう、Shinzo」ってことさ。政府の累積赤字が積もりに積もっているのに、公金を垂れ流して、トランプ一家を接待しなけりゃならない義理がどこにあるのさ。

 それにしても、ゴルフ外交って言うけどさ、ありゃ一体なんなのさ。トランプがラウンドしたかったのは松山選手で、下手くそな安倍首相じゃないってことが明々白々だったね。だってさ、1番ホールで安倍さんがまだバンカーから抜け出だしたところなのに、トランプと松山選手は次のホールに向かってさっさと歩いているもんね。だからホールアウトもしていない安倍さんは慌ててしまって、追いつこうとバンカーの一番高い壁を駆け上ったのは良いが、エッジに足をかけた途端に、バランスを崩してひっくり返ってバンカーに逆戻りだもんね。「体調が悪いのか」なんて報道があってけど、置いてきぼりになって慌てただけのことさ。
 このずっこけ動画がネットの世界に広まって、首相官邸も慌てたようだな。「ゴルフ談義をやっていたのはトランプ大統領と松山選手で、安倍首相はあっちこっちと球を追いかけていただけ」という真実を知られたくないということさ。ゴルフの後で、安倍さんは「難しい話もできました」なんて言ってたけどさ、簡単な話すらできる余裕もなかったというのが真相なんでね、格好をつけただけだよ。そうでも言わないと、「どうして一国の首相が、トランプと松山選手のゴルフ遊びの接待役になる必要があるのか」ってことになるんでね。要するに、芸者の代わりにゴルフ選手を当てがって、ご機嫌を取ったってことさ。このゴルフ接待のために、警備費を含めて、いったいどれだけの経費がかかったのか知りたいね。

 そもそも、「主権国」を公式訪問するのに、大統領専用機が日本の軍事占領基地であるアメリカ軍横田基地に到着するなんて、日本も舐められたもんだな。要するに、占領基地から日本の地へ足を踏み入れたってことだよ。だってトランプが叫んだって言うじゃない、「世界を支配しているのはアメリカだ」、って。日本は未だにアメリカの占領国だという感覚なんだよな。繰り返しトランプに恭順の意を表し続けるShinzoの日本は、最初から見下されてるってことだよ。日本は対米主権国ではなく、対米従属国だということを今更ながらに知らされたね。しかも、最初の行き先がゴルフ場だなんて、馬鹿にするのもほどほどにして欲しいね。「Shinzoが来てくれっていうから、来てやったんだ」ということなんじゃないの。だから、日本はアメリカの占領国家で、アメリカの庇護の許に日本は育ったってことを態度で示したんでね、こういう好き勝手な振る舞いに、政府・外務省は何も言えないしできないのが真実さ。何が日米同盟かね。戦後70年たってもアメリカへの従属関係が継続していることだよ。
 こういうことを理解できる日本人はもう一握りなんだろうな。ネットじゃ、「アメリカ大統領とゴルフができる安倍首相の外交力はすごい」っていうバカな奴が多いけど、あまりにアメリカべったりなんで、何が独立国として基本的な振る舞いなのかってことさえ、分からなくなってんだよな、政治家も国民も。「屈辱」という言葉も忘れてしまっているじゃないかと思うね。韓国や北朝鮮を批判する時だけは、やけにプライドが高いんだけどね、アメリカになると平身低頭だよ。「なぁ、Shinzo、そうだろう」、「へい、仰せの通りでございます」。卑しいね、日本の外交は。
 屈辱から始まってゴルフ接待で嬉々としている安倍外交なんて、朝貢外交というより、町人国家の卑屈な属国外交だよ。日本人の外交音痴が世界の嘲笑の的になっているの分からないんだよな。政治家も国民も。悲しいね、おしまい。
2017.11.17  たかが選挙されど選挙-我孫子市の選挙結果から見えてきたこと
           韓国通信NO540

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

2017衆院選挙で安倍首相の悲願がまた一歩、現実味を帯びてきた。比例区得票率33.3%の自民党が61%に相当する284議席を獲得したとはあきれる。イカサマ選挙というほかない。
二十歳になり、初めての選挙で社会党の木村禧八郎さんに投票した。半世紀以上の昔のこと。インフレーションの研究で有名な経済学者だった。
今回、小選挙区は共産党、比例区は立憲民主党に投票した。選挙だけで世の中が変わるとは思っていないが、世の中を変える有力な手段のひとつと思いこれまで投票所には皆勤である。前回の参院選挙では「選挙に行こう!原発なくせ」の名刺を作って若者たちに配った。

<I am not ABE>
特定の政党や個人への投票を依頼する選挙運動はしたことがないが、自分の気持だけは伝えたい。「アベ政治を許さない」のプラカードを駅頭で掲げるのはそのためだ。
通っているスポーツジムで「I am not ABE」とプリントしたスポーツウェアを着て「選挙運動」をした。それを見て「何?」と聞いてくる人、気がつかない人には「ちよっと見てよ」と話しかけた。私が何故「安部ではないのか」そのわけを話した。週2回のジム通いで多くの人と話をした。もちろん「安倍首相が好き」という人にも出会った。17才の高校3年生にも声をかけた。誰に投票したらいいか相談をもちかけられた。「安倍首相は好きか」「嫌い」と即座に返事がかえってきた。希望の党は「自民と変わらないね」というと「そうね」。「残るのは共産党しかない」。
選挙が終わりエアロビクスのスタジオで会った。
候補者は自民と希望と共産の3名だけ。共産党に生まれて初めて投票したと語ってくれた。

<「小選挙区は共産党へ 比例は立憲」>
千葉8区(柏・我孫子)では現職の自民党候補桜田が当選した。日本会議所属で文科副大臣を務めたバリバリの極右議員である。「従軍慰安婦はデッチあげ」と安倍首相の持論と同じ発言を展開して副大臣をクビになった。太田は民主党から生活の党、維新の党と渡り歩き、今回は希望の党から立候補した。共産党からは小野里が急遽立候補した。
得票数では自民桜田が圧勝。しかし二人の非自民候補の得票が自民を上回り、比例の得票数では希望の得票をいれなくても立憲、共産、社民で自民を上回った。
人口約13万人、有権者数111千人(投票率55.47%)の我孫子市を含む8区で野党統一候補が出馬したら当選は間違いなかった。全国64の選挙区で野党が一本化したら自民が敗北したといわれる(産経新聞デジタル)。千葉8区もそのわかりやすい例である。平和、護憲の勢力の結集に教訓を残したが、今回の自民圧勝は選挙民の意思からかけ離れた空中の楼閣、虚構だったことがわかる。「I am not Sakurada」。安倍首相のオトモダチ桜田の落城も目前だ。

<仲間を捨てて 街に出よう>
11日、埼玉県大宮市で開かれた会合で韓国のローソクデモの話をした。元国鉄の労働者で組合活動の中心になって活躍してきた人ばかり30名ほどが集まった。
昔、藤田省三さんと酒を飲んだ時のこと。酔いが回るうちに「銀行の組合なんか御用組合に決まっている」と藤田さんが断言したことに私が腹を立て大喧嘩になった。私が銀行の組合の組合員だったからである。「学者は本ばかり読んで現実を知らなすぎる」と、私も一歩も譲らなかった。でも、労働運動の現状を見ると、組合に期待をしないと「暴言」を吐いた藤田さんは真理の一面を突いていたことになる。
私がいた組合は会社とともに消滅した。今では組合運動のことを考えることはあまりない。かつて情熱を注いだ組合運動を「卒業」してもなお、仲間と定例的に学習会を開いている今回のグループの存在に正直驚いた。彼らは今でもさまざまな政治集会に出かけ、最近は福島の被災地に出かけたりもしている。
労働運動のOBとして運動を模索するひとたち。ローソクデモと市民運動についての話を聞きたいという手ごわい聞き手を前に緊張した。一市民としてどう生きるか、何が出来るかが、その日のテーマだった。私に答えを出せるはずはなく、知りえたローソクデモと私の体験談を話した。
日本と共通する問題を抱えながら何故韓国で延べ1700万人、毎週100万人もの市民が集まったのか。その背景にある民主化運動の歴史と、韓国社会に積もりに積もった不満の数々。民主化闘争から生まれた『朝露』や『君のための行進曲』を熱唱して過去の運動の記憶を現在に蘇らせる人々。市民運動から生まれた自立した市民たちの存在。組織に依存しない確立された個。同じ儒教社会ながら、「一君万民」は万民のための君主と理解する韓国と、君主のための万民と考える日本との違い。韓国人の、倫理観にもとづく自己主張の激しさなど、思いつくままに話した。
韓国の社会運動では「希望」が語られ、日本では「挫折」が語られる。孤立した運動は社会を動かす力に乏しい。それに比べネットワーク化が進み社会的影響力を持つ韓国の市民運動(後に紹介する丸山茂樹氏の評価も引用した)。脱原発に突き進み、貧困問題への具体的着手も始まった。
参加者の顔を見ながら、「わが国にあって韓国にないもの。それは、社会運動の経験を豊富に持つ高齢者たちの存在」と気づいた。高齢者が元気な日本社会の可能性を韓国の友人から指摘されたことを思いだした。
仲間内で「愚痴」を言うより少しでも若者と付き合おう。一人でもやれることはいっぱいある。「ひとりデモ」「東京電力から電気を買わない」「I am not ABE」「NHKとのバトル」「家族との話し合い」といったことの大切さを述べ締めくくった。
懇親会に参加した。「あなたを見習って一人で駅頭に立ちますよ」と声をかけてくれた人がいた。労働運動の仲間と話をするのは久しぶりだった。古巣に帰ったようで気分が高揚した。銀行の合併を世に問うた『三菱銀行の野望』を二十冊贈呈した。銀行も組合も認めなかった有志個人発行。処分覚悟の抵抗の「書」である。
 

『共生と共歓の世界を創る-グルーバルな社会連帯経済をめざして』

尊敬する先輩丸山茂樹さんが本を出版した。グラムシ、ポランニー、さらにブラヴォイの思想を紹介しながら共生社会の実現を社会的連帯経済に求めるという意欲的な内容。朴元淳ソウル市長の提言と協同組合づくりの実践、日本の重茂漁協などが紹介されている。著者は長年にわたる生協活動の実践と理論研究をとおして人間と仕事、社会のあり方に提言をおこなってきた。「持続する社会」とは? 示唆と刺激に溢れる好著として一読をお薦めしたい。
                      社会評論社発行 本体2200円+税