2018.05.10  No Pasaran(ノー・パサラン)! 奴らを通すな!
   韓国通信NO556

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

スペイン内戦(1936年7月~39年3月)でフランコ軍と戦った人民戦線政府のスローガンNo Pasaran。 40年くらい前、この言葉を口にした記憶がある。チリのアジェンデ政権をクーデターで倒したピノチエット政権に危機感を募らせた時だったような気がする。

5月3日、我孫子の駅前で「アベ政治を許さない」のプラカードを掲げていたら、多くの人から前文部次官前川喜平さんの講演会場の場所を尋ねられた。前川さん本人もプラカードに気づいて会釈をして通りすぎて行った。
「前川さん、講演料はとらないそうですよ。立派ですねェ」と、一緒にプラカードを掲げた相棒が言うので、「僕たちだって金を貰わずにこうして立っているのだから、別に偉いとは思わないけど」と冷たく突き放した。講演が始まる直前に会場にでかけ、入場を申し込んだが「定員オーバー」と断られた。仕方なく駅前に戻り、相棒と「いくら講演を聴いても、行動がともなわなければダメだ」などとグチをこぼしあった。この日は憲法記念日なので特別に2時間、終わってから近くのスポーツクラブに立ち寄った。

「大型連休なのにスポーツクラブしか来るところはないのか」と顔見知りを冷やかしたら、「お互いさま」と言われてしまった。参加した「ZUMBA(ズンバ)」はラテン音楽中心の自由ダンスで、インストラクターを見ながら腰を動かしたり、絶叫したり。50分で12曲ぐらい、水分を補給する時間以外は踊りっぱなしなので汗も結構出るし、ストレス解消になる。週に2回、始めてからもう8年になる。踊った曲に「No Pasaran 」があった。自由を求める民衆の歌だ。インストラクターがせめて「ファシズムはダメ。自由がいい」くらいの説明をしてくれたら最高の憲法記念日になったはずだ。

<「理想主義」を笑うな>
 駅前でプラカードを掲げていると、そこにある銅板レリーフの白樺派の文人たちに励まされている気持ちになる。「理想主義」「人道主義」は私のような貧乏人には、青春のある時期を除いて無縁であり続けた。我孫子に住むようになって彼らの存在が気になり始め、小説を読み直したり、柳宗悦の民藝運動にも関心を持つようになった。
なかでも小林多喜二と志賀直哉の交流、「種まく人」のプロレタリアート作家金子洋文と武者小路実篤の交流から白樺派の「理想主義」「人道主義」がプロレタリア作家にとても近い存在だったことに気づいた。彼らが生きていたら、「どぶ」のように汚れ、放射能に汚染された手賀沼を何と言うだろうか。明治時代のような「富国強兵」を叫ぶ政治家たちが「美しい日本」を主張する政治状況、物が溢れていても幸福感の薄い社会を彼らは何と思うのだろうか。

「理想的な生き方とは? 理想的な社会とは?」。駅頭に立つ短い時間、いつもそのことを考える。
「森友」「加計」問題、公文書の「改ざん」、セクハラ問題が続き、「アウト」と思っていた安倍政権は根強い3割の支持で粘り腰を見せている。3割支持のトランプ大統領とそっくりだ。北朝鮮との戦争まで匂わせたトランプと一体感を印象付けた安倍首相だが、米朝首脳会談が実現しそうになって梯子を外された。望みの綱は米朝会議の「不調」だが、会議の場所の設定にまで話が進むに至って、突如、金正恩委員長との会談を言いだした。バスに乗り遅れたくない焦りだろうか、これまで、拉致問題だけにこだわり続けてきた政府の方針転換である。文在寅大統領を介して日朝会談の可能性が伝えられると、晴天の霹靂、安倍首相が「平壌宣言」(2002)を持ち出したことに耳を疑った。

<「平壌宣言」で墓穴を掘る?>
小泉元首相の随行員として平壌に出かけた安倍晋三官房副長官(当時)は、拉致問題を理由に、平壌宣言の実行どころか北朝鮮敵視を15年間も続け、政治家として成功を収め首相にまでなった。この宣言は当時、日本でもまた韓国でも驚きをもって迎えられた画期的な内容だった。
今でも「宣言」は有効と安倍首相は主張するが、彼が内容を理解しているのか疑問に思える。改めて「宣言」を読み直した。

前文で「日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立」を謳い―
1項で「信頼関係に基づく早期の国交正常化交渉」の再開と決意を表明。
2項で日本は、「過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明、無償資金、長期借款の供与と人道支援を約束」。国家賠償でなく「資金援助・協力」という点は日韓条約と同じだが、植民地統治時代の反省とお詫びは日韓条約にはない。安倍首相の口が裂けても出てこない歴史認識だ。さらに「在日朝鮮人の地位問題、文化財の問題の解決」が盛り込まれた。
3項は拉致問題に関わるもの。「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとること」を確認。拉致問題は先延ばしされたが、正常化後、拉致の真相と実態が解明されることが期待された。事実、正常化交渉前に一部の人が帰国を果たした。
4項では「朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守」と「核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進する」必要性と「ミサイル発射のモラトリアム延長」を表明。
 
 全文が外務省のホームページに掲載されているので一読をお勧めしたい。「平壌宣言」を意図的に無視し続けため、今日の深刻な日朝間の緊張関係と核問題が生まれたのは明かだ。その責任はひとえに安倍首相にある。「拉致の解決抜きに国交正常化はない」と、目的と前提を逆転させ、拉致被害者家族と日本国民と北朝鮮を騙し続けてきた。
 ここにきて「平壌宣言」を持ち出した唐突さに驚くが、遅きに失したとしても原点に戻って国交正常化するとなら歓迎すべきことかも知れない。
しかし、「北朝鮮憎し」で固まってきた安倍首相と側近たちが対北朝鮮政策を180度転換するのは考え難い。日本だけが乗り遅れそうになって慌てて「平壌宣言」を引っ張り出した首相のなりふり構わない自己正当化ぶりがまたもや明らかになった。北朝鮮の「脅威」をひたすら煽り続けた「失われた15年」。 国民を騙し続けた安倍首相は速やかに退場すべきだ。No Pasaran!
2018.05.09  映画『ウィンストン・チャーチル』から安倍政権を考える
  対米隷属の根底にあるもの

小川 洋(大学非常勤教師)

 映画『ウィンストン・チャーチル』を見た。原題は“Darkest Hour”である。1940年5月10日の首相就任から6月4日の下院での、ナチスドイツに対する徹底抗戦の意思を表明するまでの約一カ月のチャーチルを描いている。チャーチル内閣には前首相のチェンバレンが加わり、外務大臣のハリファックスは対ナチス宥和派である。国王ジョージ5世からの信頼も薄く、政治基盤に不安を抱えての内閣発足であった。
 しかも5月10日には、ドイツ軍がオランダとベルギーに侵攻し、6日後にはフランス首相から「フランス軍は敗北した」という報告をチャーチルは受ける。連合国軍の約35万の兵士はダンケルクに追い込まれて身動きができない状況に置かれた。さすがのチャーチルも弱気の虫にとりつかれ、イタリアの仲介による講和の可能性を探る。しかし彼は最終決断の直前、地下鉄で乗り合わせた庶民の声を聴く。そしてイギリスを守る決断をする。映画は、この濃密な時間を丁寧に描いている。

 この間、繰り返される演説(この映画では、口述を秘書がタイプして清書する場面も含めて演説の場面が多くある)のなかで、クライマックスは下院での演説の予行ともなった議会ロビーでの非公式の演説である(映画はこの場面で終わる)。しかし私にとって最も印象的な演説は、宥和策を否定する理由をあげた以下の個所であった。
「対独講和をした場合、一部の者は豊かになるかもしれない。しかし我が国土の至るところにハーケンクロイツがはためき、その下で、多くのイギリス国民は貧しい暮らしを余儀なくされるだろう」

 この個所で、日本の自称「愛国者」たちが政権批判をする者に対し、「反日分子」呼ばわりし、しばしば日の丸とともに星条旗を打ち振る姿の意味するものに思い当たったのである。なるほど、彼らは「星条旗のお蔭で自分たちは豊かな生活を享受している」と考えているのだ。そうでなければ、「愛国者」が何の衒いもなく、外国の国旗を振り回せるはずがないではないか。

 1945年8月、時の日本政府は徹底抗戦をせずに降伏を選んだ。軍部を除いて旧支配層のほとんどは無傷で残った。それどころか東西冷戦が深刻化するにつれて、中国大陸情報に詳しいA級戦犯容疑者さえもが政治家として復活した。彼らにとって、星条旗の下で再び権力と富を追求できる条件を得たのである。イギリスではチャーチルによって、その芽を摘まれたような勢力が、皮肉なことに敗戦国である戦後の日本に出現したのだ。

 さらに「ハーケンクロイツの下で貧しい生活を強いられるイギリス国民」と違って、戦後の日本は、朝鮮戦争とベトナム戦争とアメリカの中国封じ込め策という特殊な国際環境のもとで、ドイツと並ぶ「戦後の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げた。国民の多くは星条旗(アメリカ文化)のもとで、豊かな生活を享受することになったのである。しかし、それはあくまでも東西冷戦とアジアでの熱戦という、アメリカの世界戦略のおこぼれに与るという位置に日本があったということである。しかし、東西冷戦と局地的な戦争という環境が失われた90年代以降も、保守政治家たちと官僚機構は、アメリカへの隷従以外の選択肢を考えられないまま、ここまで来てしまった。

現政権の中枢の人々は、その必要性も怪しいアメリカ軍の基地建設のために沖縄のサンゴの海に土砂を投入するなど、アメリカへの隷従によって国土をどれほど棄損しようと、気に留める風もない。そもそも2002年段階で、在日米軍の駐留経費の75%を日本政府が負担し、経済的にはアメリカ軍は日本の傭兵に成り下がっている。しかしそのアメリカ兵やアメリカ軍用機が国民の安全を脅かしている状態も放置している。そのことに主権国家の政権担当者として恥じる気持ちもみとめられない。

一昨年末、安倍首相は大統領選に勝ったばかりのトランプの私邸を訪れてゴルフクラブをプレゼントした。その姿を見て筆者が感じたのは、ただ「恥ずかしさ」だった。まるで雑踏のなかで母親を見失い、動転し泣き叫んだ末に、母親に再会し、固く手を握って安堵の様子を見せる子どものような、といえば良いか。子どもなら「微笑ましい」で済むが、いい歳をした大人の見せる姿ではない。
当時、世界の指導者たちは、思わぬ選挙結果に戸惑い、イスラム圏に対する排外主義的な言動など、国際社会に背を向ける姿勢を示し続けてきた候補者が当選し、この人物とどのような距離をとればよいか慎重に計算している最中だった。しかし、他国の首脳に先駆けて挨拶に行ったことを、「さすが外交の安倍」と褒める論調がテレビや新聞にあった。まともな知性をもつ者であれば、到底、口にできないような言辞が、今日の日本では電波や活字として流されているのである。今の日本に必要なことは、アメリカが後退していく東アジアで、どのような立ち位置を選択するかの議論であるはずだ。しかし、政権の頭からマスメディアまで、今後の日本の針路を構想できる状態でないことだけは確かだ。

しかしつい先日、朝鮮半島の南北首脳が38°線上で会談をもち、朝鮮戦争を完全に終結させることが確認された。アメリカが極東で軍事的なプレゼンスを続ける理由は消滅していく。ソビエト連邦の崩壊やベルリンの壁の崩壊など、第二次大戦後の国際秩序の大きな変動過程を思い起こせば、いったん始まった政治的モメンタムは、勢いを増すことはあっても、停滞することは考えにくい。この事態に際し、「北朝鮮に対して対話は成り立たない。圧力を強める以外の選択肢はない」と言っていた我が国の首相は、日朝国交正常化を言い出した。「錯乱」という言葉以外の語を思いつかない。

 さて天皇とアメリカの関係である。昭和天皇が講和後のアメリカ軍の駐留継続と沖縄の半永久的なアメリカへの提供に積極的に動いたことは、アメリカで公開された史料などに基づく豊下楢彦らの研究から明らかにされている。昭和天皇は、共産主義の影に怯え、共産主義革命によって自分の代で皇統が絶えるよりは、アメリカの庇護のもとで皇統が続くことを選んだと推測される。アメリカにとっても占領を容易にするうえで、天皇を利用することは初期の段階から基本方針とされていたから、天皇の姿勢は歓迎すべきものだった。

明仁陛下は皇太子時代から繰り返し沖縄の戦跡や慰霊碑を訪問し、さらには太平洋戦争において民間人も多く犠牲になった南太平洋の島々にも慰霊の旅に出られてきた。立場上、その意図するところを積極的に説明することは避けられているが、昭和天皇の果たすべきだった課題に取り組んでこられたものと推察される。そして、美智子皇后ともども、現憲法の遵守の姿勢を繰り返し強調されているのは、戦後の天皇の地位が現憲法と抱き合わせのものとして創出され、憲法の変更はどの個所であれ、天皇の地位を動揺させる可能性があることを危惧されているからだろう。現在、「星条旗のもとで権力と富を手に入れた」者たちが、無分別にも憲法に手を加えようとしている。今上天皇と現政権の間の緊張関係が顕現しつつある理由である。

 なお本稿執筆の直前、白井聡の新著『国体論―菊と星条旗』を読んだ。第2次安倍政権の対米隷属姿勢について「国体」という概念を使い、戦前と戦後の国体の変遷パターンの類似性を指摘しながら、現政権の歴史的位置を的確に分析している。本稿が白井氏の著書からの間接的な示唆を受けたものであることも付け加えたい。
2018.05.04  「安倍内閣を倒せ、9条を絶対に守ろう」
  東京で憲法施行71年を記念する大集会

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 日本国憲法施行71年にあたる5月3日(祝日)、東京・江東区有明の東京臨海広域防災公園で、「9条改憲NO!平和といのちと人権を―5・3憲法集会」が開かれた。主催者発表で6万人が集まったが、森友学園にからむ公文書改ざん問題、加計学園獣医学新設問題、自衛隊の「日報」隠し問題などがいずれも未解決なのに、安倍首相が9条改憲に強い意欲を示していることから、会場では、「安倍内閣打倒」「9条改憲を絶対に許さない」の声が噴出した。

 集会を主催したのは「5・3憲法集会実行委員会」。実行委を構成するのは、戦争をさせない1000人委員会、憲法9条を壊すな!実行委員会、戦争する国づくりストップ!憲法をまもり・いかす共同センター、九条の会などで、いわば、護憲を目指すほとんど全ての潮流による統一集会となった。
 昨年も5月3日に同じ会場でやはり統一集会の「5・3憲法集会」が開かれたが、参加者は5万5000人で、今年はそれを上回った。2018憲法大集会01
                  「会場を埋めた参加者」
 集会は午後1時から始まったが、開会前から、りんかい線国際展示場駅、ゆりかもめ有明駅から降りたおびただしい参加者が会場につめかけた。会場は海浜にあるため、海からの風が会場を吹き渡り、色鮮やかな組合旗や団体旗、のぼりがはためいた。
 旗やのぼりから見て、労組、脱原発団体、平和団体、宗教団体、女性団体などから参加があったことが分かる。が、圧倒的に多かったのは、何も持たず、ゼッケンも着けない、いわゆる一般市民とみられる人たちだった。一人や、夫婦連れ、友人同士で参加した人が多く、家族連れや子ども連れもみられた。

 開会のあいさつをした総がかり行動実行委員会共同代表の高田健さんは「安倍政権はいまや崩壊寸前である。しかも、朝日新聞の世論調査では、58%の人が安倍政権下の改憲に反対している。なのに、内閣支持率はまだ30%もある。政権は自然に倒れることはない。私たちの手で倒そう」と呼びかけた。
        2018憲法大集会02
                「大きな看板も登場した」
2018憲法大集会05
           「モリ・カケ問題の真相究明を訴える人たちも

 トークで登壇した作家・落合恵子さんは「安倍内閣はウソつき内閣。ウソにウソを重ねている。しかも、福島の人たちを苦しめ、福祉といのちをないがしろにし、戦争大好きの内閣である。(退陣は)そこまで来ている。あと一押しだ」と訴えた。
 
 山内敏弘・一橋大学名誉教授は専ら改憲問題について語り、その中でこう述べた。
 「憲法が施行されて71年になるが、第9条が改定されないできたから、日本は戦争に巻き込まれることなく、私たちは曲がりなりにも平和に生きてこられた。今こそ、9条が果たしてきた役割を積極的に評価すべきだ」
 「安倍首相は、ウソをついている。9条に自衛隊を明記しても何も変わらないと言っているが、これはとんでもないウソだ。安倍内閣が制定した安保法制は自衛隊の限定的な集団的自衛権を容認しているではないか。まさに国民をあざむくものだ」
 「先日、板門店で南北首脳会談があり、朝鮮半島の非核化、終戦、南北融和で合意した。素晴らしい内容だと思う。日本政府もこれを支持し、その実現に協力すべきだ。それには、まず、日本も非核とならなくてはいけない。つまり、米国の核の傘から脱却し、核兵器禁止条約に参加すべきだ」

 閉会あいさつに立った総がかり行動実行委員会共同代表の福山真劫さんは「今日は、たくさんの人がいろいろなことを述べた。それらを集約すると、2点に絞られる。つまり、『安倍を倒せ』と『9条を絶対に守ろう』だ。これからも、この2点に向けて頑張ろう」と呼びかけた。会場は万雷のような拍手に包まれた。
 なお、会場では、昨年から進めている「改憲反対3000万署名」が1350万筆を超えたと発表された。

 集会後、参加者は2コースに分かれてデモ行進した。
2018憲法大集会04
        「会場で参加者に配られたプラカードにはこんな文言が」
2018憲法大集会03
              「デモ行進のスタートを待つ参加者」




2018.04.27  「下司(ゲス)」が「下種(ゲス)」を庇う安倍政権の惨状
安倍内閣は「下衆(ゲス)」の集団と化した

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

安倍内閣は4月24日、テレビ朝日女性記者へのセクハラ行為を重ねてきた福田財務次官に対し、処分保留のまま辞任を認めた。福田次官が辞任を申し出た理由は「職責を果たすのが困難」というもの、100パーセント(2万パーセントと言ってもいい)意味不明だ。財務省幹部も同様の態度で一貫している。野党6党のヒアリング調査で退職金の額を聞かれた某幹部は、「自己都合で辞めるのであれば単純に計算できる」と回答し、即座に5千万円余の金額を挙げた。彼らの発言の中には「セクハラ」の「セ」の字も出てこない。要するに、福田次官は「自己都合」で辞めたというのである。

聞くも恥ずかしい下劣な言葉が音声データとして明るみに出ているにもかかわらず、驚くのは福田氏自身が、この期に及んでなお「自分の声かどうか確認できない」「あんなひどい会話をした記憶はない」「全体をみれば、セクハラに該当しないのは分かるはず」など、セクハラ行為そのものを否定していることだ。その上、セクハラ行為を暴露した週刊誌に対して「(名誉棄損で)訴訟を起こす」とまで広言するのだから、これでは何とか「猛々しい」としか言いようがない。

さらに仰天するのは、麻生財務相が福田次官を一貫して庇い続けてきたことだ。セクハラ行為が発覚して以降の発言を辿ってみると、「(福田次官の処分は)訓戒で十分」「(セクハラの被害受けた)本人が申し出てこなければどうしようもない」「(加害者と言われている)福田の人権はなしっていうわけですか」「(セクハラが嫌なら)次官担当を男性記者に代えればいい」「(テレ朝からの抗議文は)もう少し大きな字で書いてもらった方が見やすいな」「週刊誌の報道だけでセクハラがあったと認定し、それで退職金を減額というのはいかがなものか。はめられて訴えられているのではないかといったいろいろなご意見もある」「本人が裁判で争うならば処分を判断するのは難しい」などなど、一貫して福田次官を擁護しているのだ。

そして、その極め付きが4月24日の閣議決定だった。安倍首相は福田次官のセクハラ行為に関する野党の調査要求や罷免要求を一切無視し、処分を保留したまま福田次官の辞任を承認したのである。閣議決定は閣僚の全員一致を原則とする。つまり、安倍内閣の閣僚全員が(処分抜きの)福田次官の辞任を承認したのであり、閣議決定に署名した閣僚の中にはこれまで麻生財務相の対応に「違和感」を表明していた野田総務相も含まれる。女性の人権を踏みにじった閣議決定に署名した野田総務相(女性活躍担当相兼任)はこれからいったいどんな施策を推進するのだろう。女性の人権を守れない「女性活躍担当相」など、もうそれだけで「資格なし」と見放されるのではないか。

しかしながら、「女性総活躍社会」「女性が輝く社会」を掲げる安倍内閣が、政府高官のセクハラ行為一つすら処分しないまま事態の隠蔽と収束を図る――、こんな欺瞞に満ちた行為が世に許されるはずがない。安倍首相はことあるごとに「全力を挙げて膿を出し切る。行政の信頼回復に取り組む」などと強調するが、こんな三百代言をいったい誰が信じるというのか。言えば言うほど、国民の不信感と嫌悪感が高まるだけだ。

「ゲス」という言葉がある。通常は「ゲスの勘ぐり」とかいった意味で使われるが、念のため広辞苑で調べてみた。すると、そこには「下司」「下種」「下衆」の3種類の意味があることがわかった。言い得て妙な言葉ではないか。この3種の言葉を適用すると、安倍政権の本質はさしずめ次のように表現できるだろう。
―「下司(ゲス)」と化した麻生財務相が「下種(ゲス)」そのものの福田次官を庇う。そして、安倍内閣はこの事態を閣議決定で追認することによって文字通りの「下衆(ゲス)」の集団と化したのである―

安倍政権の窮状は、さすがの読売新聞も看過できないらしい。4月20~22日に実施した読売世論調査では、内閣支持率がついに30%台に割り込み、支持率下落に歯止めがかからない状態に陥ったことを伝えている。一方、不支持率は前回3月調査から50%台に乗り、今回は53%に達した。読売紙が憂慮するのは、「男性の安倍離れ」なかでも「若年層の安倍離れ」だ。次のように言う(4月23日朝刊)。
「昨年8月以降、男性の支持はおおむね5割以上を保ってきたが、今回調査では44%となり、前回から7ポイント低下。男性の不支持率は第2次内閣以降で最高の50%(前回44%)に上昇し逆転した。男性の不支持が支持を上回ったケースの中では、今回の6ポイント差が最も大きい」
「年代別にみると、これまでは安倍内閣に批判的な人が多い高齢層で支持が低く、若年層で高い傾向が見られた。前回調査で40歳代と50歳代で不支持が支持を上回ったのに続き、今回は30歳代でも不支持が5割強、支持が4割弱と逆転した」
「昨年10月の衆院選以降、内閣支持率は自民支持率よりおおむね10%以上高い傾向が続いていたが、今回は内閣支持率39%、自民支持率37%で、その差は2ポイントまで縮まった」

読売新聞は、内閣支持続落の原因を「外交で浮揚 不発」に求めている。相次ぐ内政の失態で外交の成果が帳消しになったというのである。その根拠として読売紙は、安倍内閣が外交成果によってこれまで内閣支持率アップに成功してきたことを挙げている。2016年12月、安倍首相がオバマ大統領と真珠湾を訪問した時は支持率63%(+4)、17年2月にトランプ大統領と初の首脳会談を行った時は支持率66%(+5)だった。だが、柳の下にはいつまでもドジョウはいない。今回18年4月のトランプ大統領との首脳会談では支持率39%(-3)となり、これまでの経験則が通じなくなった。これも安倍政権が直面する新しい政治局面だろう。「下司(ゲス)」が「下種(ゲス)」を庇い、それを追認する「下衆(ゲス)」の集団は消えるしかない―、おそらくお天道様はそう引導を言い渡されるのではないか。

2018.04.25 2018沖縄県知事選はどうなる?

宮里政充 (もと高校教員)

翁長知事の苦境――「オール沖縄会議」の退潮と健康不安
翁長県政実現の原動力となった「オール沖縄会議」のホームページには、「辺野古への新基地建設を止めたい―。オスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖撤去、県内移設断念を求めた『建白書』の精神を実現させるため、2015年12月14日、『オール沖縄会議』は結成されました。『オール沖縄会議』は多くの市民団体や政党、労働組合や経済界、個人に支えられています」とある。今、この「オール沖縄会議」に退潮の兆しが見え始めている。

その要因の1つ目は今年2月に行われた名護市長選で支援した稲嶺氏が敗れたことである。この敗北は「辺野古移設反対という民意」を背景に政府と闘ってきた翁長県政に大きな打撃を与えた。尤も県政与党が推す市長候補が敗れる傾向は昨年の宮古島(1月)、浦添市(2月)、うるま市(4月)と続いており、名護市長選のあとの石垣市(3月)でもその流れは止まらなかった。県政与党支援の候補が当選したのは南城市(1月)だけである。そして現在のところ、沖縄県内11市のうち、9市の保守系市長が「チーム沖縄」としてまとまり、「辺野古容認」、「基地より経済」などの政策を打ち出している。

2つ目は、「オール沖縄会議」の共同代表呉屋守将氏(金秀グループ会長。金秀グループは建設・鉄鋼業・商事会社・ガソリンスタンド・健康食品・ゴルフ場など幅広い分野におよぶ企業グループである)と、當山智士氏(大手ホテルグループ「かりゆし」社長)が相次いで脱会したことである。呉屋氏の場合は名護市長選の敗北の責任をとった形だが、その理由のほかに「オール沖縄会議」が辺野古基地建設の是非を問う県民投票の実施に消極的だということがある。その点は當山氏も同じである。両氏とも翁長知事の支持は続けると言っているが、今後の「オール沖縄会議」内の力関係の変化、たとえば政党色や革新色が表面化してくれば両氏のスタンスが変わることも考えられる。

3つ目は翁長知事の健康問題である。4月10日、知事は浦添市の総合病院で記者会見し、精密検査の結果、膵臓に腫瘍が見つかり今月中に手術を行うことを公表した。会見によれば、手術によって根治すると医師から言われているので手術後早期に復帰したい意向だが、秋の知事選に立候補するかどうかについては明言を避けた(4月11日・琉球新報)。沖縄自民党県連は知事選の日程が早まることも念頭に入れ、候補者選びを急いでいる。

アイデンティティーの闘い
2018年11月に予定されている沖縄県知事選は未確定要素が多い。今後本土政府は「チーム沖縄」にこれまでにないテコ入れをしてくるだろうし、「基地より経済」のスローガンは基地反対運動の展望が見えにくい現状ではかなりの程度県民に浸透していくものと思われる。
ただ、沖縄における米軍基地の問題は辺野古移設だけにとどまるものではない。米軍基地の過重な負担を強いられている現状は、戦後70余年にわたる沖縄全体の安全保障の問題であるだけでなく、沖縄に住む人々の歴史的・文化的アイデンティティーに関わる問題でもあるからだ。
1609年の島津の侵攻、明治の琉球処分、悲惨を極めた地上戦、米軍支配、本土復帰という歴史の流れの中で、米軍基地の存在は沖縄人(ウチナーンチュ)というアイデンティティーを阻害する大きな要素である。つまり、「基地の島沖縄」を自分のよって立つべき根拠として生きたいと思っているウチナーンチュはほとんどいない。名護市の渡具知新市長は「私は辺野古容認派ではない」と明言したが(2月7日、沖縄タイムス)、選挙期間中は辺野古移設に関わることには一切触れなかった。その傾向は他の首長選挙にもみられる戦術の特徴であるが、それは「米軍基地容認」を前面に出しては勝てないことを知っているからである。おそらく渡具知新市長は今後、市の財政が多少潤って福祉政策に予算が回せるようになった半面、辺野古新基地がもたらすさまざまな問題に直面せざるを得ないだろう。そしてその対応の仕方によっては名護市民や県民の信を失い、市長の地位を追われることも十分にありうるのである。

知事選へ向けて―県民投票への動き
辺野古移設工事に伴い、防衛省による無許可の岩礁破砕は違法として、県が国を相手に岩礁破砕の差し止めを求めた裁判で、沖縄那覇地裁の森健一裁判長は「県の訴えは裁判の対象にならない」として門前払いした(2018.3.13)。沖縄県は同月23日に控訴した。翁長知事に残されている次の手は辺野古埋め立ての「撤回」である。専門家の間では、埋め立て承認後でも、国の公益よりも県の公益の方が大きいと判断されるような出来事が生じたと認められる場合には「撤回」できるとの見方がある。翁長知事は2016年4月5日、毎日新聞のインタビューに応じて「撤回も視野に入れる」という考えを明らかにしている(2016.4.6)。名護市長選で辺野古問題については「県と国との行方を注視する」として態度を明らかにしなかった渡具知氏は、3月13日「県は判決に従うべき」という考えを明らかにした(3.3琉球新報電子版)。
 
 さて、ここへ来て「『辺野古』県民投票の会」という市民組織が動き始めた。 米軍普天間飛行場の移設に伴う沖縄県名護市辺野古の新基地建設問題で、建設の是非を問う県民投票を研究してきた学者や学生でつくるグループが「『辺野古』県民投票の会」を組織し、投票条例制定の請求に必要な署名集めを5月から始めることを表明した。請求代表者には呉屋守將金秀グループ会長、新垣弁護士、仲里利信前衆議院議員らが名を連ね、早ければ9月の統一地方選、遅くとも秋の県知事選と同日の投票実施を目指す。
会の代表に就いた一橋大大学院生の元山仁士郎さんは「条例制定による住民投票には確かに法的拘束力はないが、知事の行政権限である撤回と結びつくことで、法的拘束力を持ち得るものになると考える。」(4月18日 琉球新報)と意欲を示した。
県民投票には条例の制定が必要で、県議会へ提案するには有権者の50分の1の署名が必要である(地方自治法)。会としては10分の1(約115、000筆)の署名を目指している。署名期間は開始から2か月間である。「オール沖縄会議」の中には県民投票は翁長知事がリードすべきだという意見、県民を分裂させるので投票そのものをやめるべきだなどの意見があり、まとまっていない。

この秋の沖縄知事選はこれまで見てきたように波乱含みであるが、さらに特に米朝関係に歴史的な変化が生じた場合、知事選はどのような影響を受けるであろうか。(2018.4.21)

2018.04.23 権力は腐敗する、安倍1強政治は絶対に腐敗する
安倍首相の日米首脳会談の目的はトランプ大統領との「私的取引」(ディール)にある

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 このところ、聞くに堪えない、見るに堪えない「底なし」の腐敗現象が目の前に広がっている。モリカケ問題に象徴される安倍首相(夫妻)の国政私物化の事実を隠すため、国会では閣僚や官僚の虚偽答弁が相次ぎ、さらには答弁との矛盾がないように大規模な公文書の改ざんまでが行われる始末。ウソを隠すためにウソを積み重ねるという「底なし」の絶対的腐敗現象が、国家統治機構全体に広がっているのである。

 加えて、「ノーパンしゃぶしゃぶ」以来といわれる財務官僚の退廃ぶりが赤裸々に暴露され、安倍1強政権の奉仕者となった官僚機構の腐敗現象がトップにまで及んでいる醜悪な事態が明らかになった。女性記者の人権を「言葉遊び」など称して散々蹂躙してきた福田財務次官が遂に辞職(更迭)に追い込まれ、福田次官の「人権擁護」を口実に真相の解明を妨害してきた麻生財務相も、漸くその政治責任・任命責任から逃れられない破目に陥ったのである。

 こんな折も折、安倍首相は内政の矛盾を外交で逸らすためか、トランプ大統領とのトップ会談に臨んでいる。しかも、疑惑渦中の昭恵夫人や柳瀬審議官(元首相秘書官)を引き連れての外交日程だ。米朝首脳会談直前の緊張した国際情勢の下で、ゴルフや宴会に同席する(だけの)昭恵夫人を同行させる必要がどれだけあるのか、国民の財産である国有地をタダ同然で払い下げる切っ掛けを作った昭恵夫人を国民の税金で外遊させることが果たして許されるのか――、こんな国民の疑惑や不信感を一切無視しての訪米だ。

 おそらく帰途の機中では、福田財務次官更迭後の政界対応や柳瀬審議官の国会喚問などへの対策をめぐって関係者の間での「鳩首協議」が行われるのだろう。安倍政権にとって未曽有の難局となったこの事態をどう乗り切るか、頂点に達している国民の不信感をどうやわらげるか、低下一方の内閣支持率をどう回復させるか、そのための起死回生の一打はあるかなどなど、関係者の間で集中協議が行われるのであろう。

 そう考えると今回の日米首脳会談の目的は、日米外交交渉などといった表向きの体裁はともかく、安倍首相の政権危機を乗り切るためのトランプ大統領との「私的取引」(ディール)になる公算が大きい。今回の安倍首相の最大の訪米目的は、おそらくはトランプ大統領から「拉致問題」解決のための約束を取り付けること、そのことを梃子にして国民の目を内政問題から逸らして世論の支持を回復させることにあるのだろう。だから、政権の危機を脱するためには国益などはお構いなしにトランプ大統領との「私的取引」に応じる可能性が高いということだ。

安倍首相は、かねがね北朝鮮の核・ミサイル開発の脅威を「国難」と喧伝することで自らの政権基盤を強化してきた。先の総選挙では選挙戦略として「北朝鮮問題」を取り上げ、その脅威を振りまくことで国民の不安を煽り(ミサイルからの避難訓練まで実施させた)、右派勢力を結集させた。また、1基1千億円ともいわれる「陸上型イージス」(ミサイル防衛システム)をアメリカから導入することについても早速予算化させた。いわば、安倍首相にとっての北朝鮮問題は「虎の子」なのであり、その時々の政治情勢に応じて自由に利用できる効果満点のカードなのである。

しかし、安倍首相にとっても泣き所はある。言うまでもなく、拉致問題の解決が遅々として進まないことだ。圧力一辺倒の安倍首相の方針に北朝鮮が応じるはずもなく、そのことが拉致家族や国民世論の厳しい批判を招き、新たな打開策が求められていた。進退窮まっていた安倍首相に対して、その窮状を打開する「千載一遇の機会」「最初で最後のチャンス」を与えたのが、今回の米朝首脳会談ではなかったか。

安倍首相は、自らが招いた国政私物化による政治危機を回避するために、そして懸案の拉致問題を解決するため、今回の日米首脳会談をフルに利用しようとするだろう。そのためには、トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」の一方的要求に応じることも厭わないだろう。それが日米貿易の2国間交渉であろうと、TTPへの譲歩であろうと、アメリカからの武器輸入であろうと、如何なる代償を払ってでも自らの政治危機を乗り切るためにはトランプ大統領の要求を呑むのではないか。

安倍政権の危機は、モリカケ問題に象徴される国政私物化から生じた。その危機を脱するために、安倍首相は「拉致問題カード」をトランプ大統領との「私的取引」(ディール)に利用しようとしている。自らの私益のためには国益も顧みない――、ここに究極の安倍政権による国政私物化の姿があらわれている。

2018.04.21 韓国のローソクデモがわが国に与えた影響
韓国通信NO553

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

2012年12月に行われた選挙で52%を獲得して大統領になった朴槿恵は任期を一年を残し、国民から弾劾され、逮捕された。政権末期の支持率はたったの4%。女性大統領としてもてはやされた一時期もあったが、末路はあまりにも惨めだった。選んだ側にも責任があるのではないかと冷やかしたくもなるが、市民が下したのは不正は絶対に認めないという冷酷なまでの厳しい判断だった。
「お友だち」の便宜をはかり、法を曲げた点では安倍首相も朴槿恵もそっくりだが、4%の支持率と安倍首相の最新の支持率30%台では雲泥の差である。
昨年の総選挙で「圧勝」した自民党は有権者の25%の得票で284議席を占めた。上げ底第一党の総裁が首相になるという仕組みに首をかしげたくなるが、ここに至ってなお30%の支持率の背景には日韓両国の政治(倫理)に対する考え方の違いがあるように思える。
平和主義、基本的人権を謳った日本国憲法を否定する潮流。私たちはこれまで一体何を学んで来たのだろうか。明治維新から150年間の日本人の生き方、自分自身の生き方まで問われるようで空しくなる。

<救いが無いわけではない>
最近、国会周辺を始めとする各地で「異議申し立て」の行動が広がりを見せている。これまでにない新しい大衆の政治参加だ。原発事故以来、毎週金曜日に官邸前で繰り広げられてきた抗議デモが発端となったのは間違いない。
自然発生的、自発的な個人の活動のせいか「烏合の衆」と疑問視されたこともあったが、今では既存の団体や政党も無視できないほど運動の中心に成長した。怒りを声に出す人たちが着実に増え続けている。参加者に悲壮感はなく無理をしていないのもいい。「安倍的」な傲慢な政治とそれを支持する30%を打ち破る可能性が生まれつつある。選挙で世の中を変えることも可能だが、選挙だけでは変わらない限界を越えようとする新たな動きだ。

<日本と韓国の違い>
韓国のローソクデモがわが国に与えた影響は少なくない。集会では「韓国のローソクデモのように闘おう」という声がたびたび聞かれる。怒りをもって集まる人たちの心には忘れ難い事件として今でも生き続けている。
韓国のみならず日本の一部で文在寅新政権を「容共」「社会主義」政権と非難する主張がある。「大企業優先から人間優先社会」「貧富の格差是正」「何よりも平和」を掲げればそういう批判が出るのは当然だ。文在寅大統領が本当に社会主義者だという話は聞いたことがない。「原発をなくしたら経済競争に負ける」「最低賃金引き上げは中小零細企業に打撃だ」「北朝鮮の会話路線に騙されるな」、より民主的な憲法改正提案には「人気取り政策」などとい批判が続いている。公然と噂されていた李明博元大統領の露骨な金権ぶりと不法選挙は朴槿恵政権下では覆い隠されていたが、新政権の下で明らかになり逮捕された。「政治的報復」という非難もあるが「正常化」されたに過ぎない。
2007年に起きた巨大スーパーマーケットの大量解雇事件(映画『明日へ』で紹介され、感動を呼んだ。2014 年作品)は全面解決。KTX女性乗務員解雇事件も解決の見通しが立つなど多くの労働弾圧、政治弾圧事件で朗報が続く。ローソクの力が過去の歪みを正しているのがうかがえる。旧勢力にとって文政権は「恐怖政治」なのだろう。
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【スーパー店舗内で籠城を続けたパート社員たちが機動隊に包囲され、「カート」を押し出して店外に飛び出す感動的な映画最終場面】
「国家機密法」「安保法制(戦争法)」「共謀罪」など、憲法を無視した政権が、国有財産の不当払い下げ、脱法的な獣医学部の新設、さらに公文書の「改ざん」、「隠蔽」などで反国民的な性格を露わにした。麻生財務相、安倍首相の退陣ぐらいで済ましていいのか。朴槿恵には懲役24年の判決が下った。

<違いのルートをたどる新たな旅へ>
去年から韓国社会と日本社会に起きたさまざまな現象を見ながら考えてきた。この違いはどこから来るのか。韓国の風土と歴史に育まれた思考と行動。日本人として学ぶことが多いはずだ。もっと掘り下げて理解したいという思いが日増しに強まっている。
一昨年、大邱(テグ)を振り出しに全羅北道・南道を旅して「全琫準(チョンボンジュン)を追いかけて」という紀行文を韓国通信に連載した(NO499~505)ことがある。日清戦争前後、朝鮮半島全土で繰り広げられた東学農民戦争の足跡を訪ねた。
その後、ローソクデモに南部の農民たちが大挙してトラクターに乗りソウルの集会に「東学農民・全琫準」の旗を掲げて参加したことを知った。平等を求める東学の革命精神が今でも脈々と韓国社会に生きていることを知った。土着の思想や風俗、宗教、李朝時代の儒教思想についても知りたい。日本植民地時代の反日独立運動、済州島4.3事件、光州事件、民主化運動から今日のローソク革命に至る韓国人の歴史をあらためて学ぶつもりだ。私の韓国とのかかわりも新しい段階を迎えようとしている。全羅道の山と田園を訪ね歩く旅もしたい。旅先であいた口が塞がらないほど無残な日本について考えてみたい。

2018.04.18 安倍内閣の支持率はなぜ高いのか(12)
―ウェーバー政治論とのギャップに呆然―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 
ウェーバーの『職業としての政治』(岩波文庫)を読んだ。
日本の政治を長いスパンで見ると何処にいるかを知るためである。

《『職業としての政治』は死去前年のミュンヘン講演》 
安倍政治の崩壊は一寸先だと思う。メディアのテーマは「次は誰か」に移ると思う。
アベノミクスの失敗や安倍政治のファシズム性を総括しないで、政治家の権力闘争に話題を転換する。政治は永田町にあるというのがメディアの認識であり、政治家の固有名詞で政治を論ずるのが一般庶民の常識である。その伝統は良くないと思い私は読んだのである。

ドイツの社会学者マックス・ウェーバー(1864~1920)は、19年1月に「職業としての学問」、「職業としての政治」の二つの講演をミュンヘンで行った。
短いものだが、後者が彼の政治認識の核心である。

ドイツおよび世界の状況はどうだったのか。
年表から事象を並べてみる。
▼1919年
・ 1月 1日 ベルリンでドイツ共産党創立
・ 1月 5日 ドイツ労働者党(ナチス)結成
・ 1月18日 パリ講和会議始まる(~6/28ベルサイユ講和条約調印)
・ 1月19日 ドイツ国民議会選挙 社民163、中央88、民主75、独立社民22
    共産党不参加
・ 3月 2日 コミンテルン創立大会(モスクワ)
・ 5月 4日 北京学生示威行動(五・四運動)
・ 7月31日 ドイツ国民議会ワイマール共和国憲法を採択
・ 11月19日 米上院、ベルサイユ条約批准否決
▼1920年
・ 1月10日 国際連盟発足

《時代と問題意識》
 『職業としての政治』の訳者脇圭平は同書の「あとがき」てこう述べている。(■から■)この記述は、1945年後の数年間、日本を支配した知的・政治空間を想起させる。
■第一次大戦における敗戦の結果、ドイツ全土が騒然たる革命の雰囲気に包まれていた時期である。熱烈なるナショナリストでもあったウェーバーにとって祖国の敗北はたしかに大きなショックではあったが、それ以上に彼を悲しませ、やりきれない思いに駆り立てたのは、この戦争の結果(敗戦の事実)をあたかも「神の審判」のように受けとり、自虐的な「負い目の感情」の中で、ひたすらに「至福千年」の理想を夢み、「革命という名誉ある名に値しない血なまぐさい謝肉祭」にわれを忘れて陶酔し切っているかにみえる一部の前衛的な学生や知識人の善意ではあるが独りよがりな「ロマンティシズム」であった■

ウェーバーの政治論は、「政治とは国家間であれ、国内の人間集団間であれ、権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である」と定義する。
そうであれば、究極の権力を持つ国家の正当性が問題になる。ウェーバーは政治支配の
類型に三種あるという。一つは伝統的支配、二つはカリスマ的支配、三つは合法性による支配である。正当化された国家に人々は服従する。その物質的な担保は、国家のもつ「暴力装置」である。

《三つの支配類型・伝統的・カリスマ的・合法的》
 三つの「理念型」は、歴史的な現実を反映させつつウエーバーが抽出した概念である。彼は、現代は合法的支配が大勢と見ながらも、カリスマ的支配も存在しうるとみていた。「カリスマ」はギリシャ語の「神から与えられた奇跡、呪術、預言などを行う超自然的・非日常的な力」のことである。カリスマ的支配はそういう能力を持つ指導者による支配である。カリスマに帰依した人々は服従する。ウェーバーは、歴史上の人物にそれを見たと同時に、当時の国際社会を見渡して、敗北したドイツにもその出現を幻視したのであろう。

ウェーバーの政治(=権力闘争とその分配)認識はリアルであった。しかし、彼の政治論の特色は、その過酷な現実主義には満足できず政治家の「責任倫理」を見ようとしたことである。彼は、政治家が権力を行使するときの昂揚した気分を「心情倫理」の達成とみた。しかしそれは「空虚」な達成であり、悲劇性があると考えた。
ウェーバーはいう。
政治家にとって「情熱」、「責任感」、「判断力」が重要である。
情熱とは「事柄」(仕事・問題・対象・現実)への情熱的献身である。
情熱が「責任感」と結びついてはじめて政治家をつくり出す。そのためには「判断力」が必要である。それは事物と距離を置いて見ることである。
これだけの発言でも、私はウエーバーの政治に対する精神性の大きさに感じ入る。

《倫理と政治の関係はなにかという問い》
 しかしウェーバーの考察は、遂に「倫理と政治の関係は本当はどうなっているのか」という問題に発展する。
■「ボルシェヴィズムやスパルタクス団(ドイツ共産党の前身。民社党最左翼で非合法の一派)のイデオローグたちも、彼らが行使するこの政治的手段のゆえに、軍国主義的独裁者とまったく同じ結果を招いているという事実に、われわれは気づいていないのだろうか。権力を掌握した者の人柄とディレッタンティズムという点を除いて、労兵評議会の支配と旧制度のどれか任意の権力者の支配と、一体どこが違うのか■

ウエーバーはこのように、政治目的のためには手段を選ばないというリアリズムに満足できない。それはフランス革命最終段階の恐怖政治への評価に関して以来、「近代のジレンマ」、「歴史の狡知」として指摘され論じられてきた。ウェーバーは百年前に死んだが、以降の歴史を見れば、ロシア革命、ナチス・日本軍のホロコースト、米国による日本への原爆投下、文化大革命などがその例証となるだろう。

「心情倫理」と「責任倫理」。これがウエーバー政治論の最後の論点である。
私の理解した限りでは、現実政治はともかく、「心情」が強ければ目的のために手段は正当化されるという論理は破綻する。心情倫理論の究極には最後は神が判定してくれるという思想があり、人間による責任の回避というのが、彼の結論である。
しかし「責任倫理」についても、矛盾はなくならない。これがウェーバーの問いかけだ。
■山上の垂訓は資産について「一切か無か」といっている。福音の徒は無条件的で曖昧さを許さない。汝の有てるものを―そっくりそのまま―与えよである。それに対して政治家は言うであろう。福音の掟は、それが万人のよくなしうるところでない以上、社会的には無意味な要求である。(略)さらにそこでは「汝のもう一つの頬も向けよ!」である。一体他人に人を殴る権利があるのか、そんなことは一切問わず、無条件に頬を向けるのである■

《明治150年の謳歌どころではない》
 マックス・ウェーバーの政治論は最後に宗教論、責任論にまで上昇する。
彼の強い危機意識にも拘わらず、ドイツにはヒトラー政権が実現し再び世界大戦に敗れた。日独伊三国同盟の一員として、昭和天皇を戴く大日本帝国も「大東亜戦争」を戦い、最後はほとんど全世界を敵として敗北した。
現在、国際社会での存在感で、日本は圧倒的にドイツにリードされている。ドイツが及第で日本が落第というつもりはないが、「明治一五〇年」の謳歌ではないだろう。
国のかたち、外交、国内政経、エルルギー、文化。150年を総括し次の150年を真剣に展望したい。このままでは地盤沈下あるのみである。(2018/04/15)

2018.04.16 安倍首相はトランプ大統領の足を引っ張るな
世界平和七人委が日米首脳会談を前に訴え

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 世界平和アピール七人委員会は4月15日、「米朝会談の成功を願い、日本の貢献を期待する」と題するアピールを発表した。
 世界平和アピール七人委は、1955年、世界連邦建設同盟理事長で平凡社社長だった下中弥三郎の提唱により、人道主義と平和主義に立つ不偏不党の知識人有志の集まりとして結成され、国際間の紛争は武力で解決してはならないを原則に、世界平和実現、核兵器禁止、日本国憲法の擁護を目指して内外に向けアピールを発表してきた。今回のアピールは129回目。
 現在の委員は、武者小路公秀(国際政治学者、元国連大学副学長)、大石芳野(写真家)、小沼通二(物理学者、慶應義塾大学名誉教授)、池内了(宇宙論・宇宙物理学者、総合研究大学院大学名誉教授)、池辺晋一郎(作曲家、東京音楽大学客員教授)、髙村薫(作家)、島薗進(宗教学、上智大学教授)の7氏。

 アピールは、6月初めに予定されているトランプ米大統領とキムジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長の会談を前に、4月17日からトランプ大統領と安倍首相による日米首脳会談が行われるのを重視し、両首脳に対する七人委の要望を述べたものだ。
 その中で、七人委は、両首脳に「妨害を乗り越えて、朝鮮半島、そして全世界の核兵器の廃絶に向かってほしい」と訴え、安倍首相には、北朝鮮に対する圧力強化を主張し続けるのでなく、「安定した平和を求める国際世論に沿って行動すること」を求めている。
 アピールの全文は次の通り。

米朝会談の成功を願い、日本の貢献を期待する
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫 島薗進


私たち世界平和アピール七人委員会は、ドナルド・トランプ米国大統領と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のキムジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長の会談の合意と成功を願い、韓国のムンジェイン(文在寅)大統領の朝鮮半島の安定化への努力を多とする。
米国と北朝鮮の圧力の応酬の中で、私たちは東アジアの安定した平和を願ってきた。北朝鮮への圧力は、対話路線に導くための手段でなければならなかった。対話路線の兆しが見えた時、トランプ政権は非公開接触を続けてきたことを認め、対話を選んだ。しかるに安倍晋三首相は、その後も圧力強化を主張しつづけ、河野太郎外相は3月31日の講演で「(北朝鮮が)次の核実験の用意を一生懸命やっている」と発言し、核実験場での活動が激減し、3月5日以後止まっていると米国からいわれて、反論を示せずにいる。私たちは日本政府が安定した平和を求める国際世論に沿って行動することを求める。
私たちは朝鮮半島の非核化の実現を望んでいる。しかしこれは全世界、特に核兵器不拡散条約に加盟する米国を含む核兵器保有国の非可逆的かつ段階的な非核化への義務の履行と、日本の拡大抑止(核の傘)依存政策の放棄を伴うものでなければ期待することは難しく、安定した世界の実現につながらない。この意味で私たちはトランプ政権の「核態勢の見直し」に反対した。米国にも北朝鮮にも日本にもタカ派がいて妨害を行う可能性は否定できないが、妨害を乗り越えて、朝鮮半島、そして全世界の核兵器の廃絶に向かうのであれば、相互の敵視政策を転換し、友好関係を樹立することが可能になり、当面の核兵器の危険性も大きく減少させることができる。
日米首脳会談を前にして、安倍首相がトランプ大統領の足を引っ張ることなく背を押して、日本自身も積極的に直接、アジアと世界の平和と安定のために貢献することができれば、その他の懸案の解決への道も開けるものと考える。

2018.04.05 安倍首相を不作為罪で告発できないか
― 佐川証言で安心させてはいけない

田畑光永 (ジャーナリスト)

 森友問題は先月27日の佐川前国税庁長官に対する証人喚問でなぜかヤマを越えたムードになってきた。
 丸川自民党議員「総理からの指示はありませんでしたね」
 佐川証人「ございませんでした」
 こんな質問と答えで、総理の「潔白」が証明されたかのように自民党は振るまい、野党側は攻め手を失ってしまった。総理夫人を証人として呼ぶべし、という声も聞こえるが、実現させる手立ても別にないようである。
 財務省における決裁文書の改ざんは役人のモラルとして由々しき事件ではあるが、これは不正が行われた後の本省と出先の間の証拠隠滅行為であって、それに安倍首相や麻生財務相を結び付けようとしても無理である。彼らがそんなことに関わっているはずはないからである。
 だからその点に関しては、彼らは胸を張って「無関係」を主張し、それが事件全体の幕引きムードにつながっているのではないか。しかし、それでは困る。モリ・カケは田中元首相のロッキード事件よりはるかに悪質な「首相の犯罪」であり、文書改ざんはその余震にすぎないからである。
 安倍首相は昨年2月の国会答弁で「私や妻がこの事件に関係していたら、首相どころか国会議員も辞めますよ」と大見えを切った。そこまで言うところをみると、直接、「森友をたのむ」とか「加計をよろしく」とは周りの役人たちに言っていないかもしれない。
 しかし、そこが安倍首相の悪質なところなのである。彼は加計学園の理事長や籠池夫妻との関係を隠そうとはしていなかった。隠すどころか、むしろ親密さを誇示していた(「腹心の友」発言や夫人の名誉校長就任容認)。また彼らが行政の力を利用して、それぞれの目的を達成しようとしていることにブレーキをかけることもなかったはずだ。
 これは安倍首相にとって理想的な状況である。何も言わなくても、周りの役人たちはみな事情が分かっている。前川前文科事務次官に役人の首相補佐官が「総理が言えないから私が言うのだ」と加計問題の処理を早めるよう迫るといったことが、「総理の知らないところで」発生するのである。
 ただ口に出さないですむということは具合のよいことばかりではない。今度の財務省の文書改ざんはその1つの表れであろう。本省(佐川理財局長・当時)は近畿財務局も事情は承知のはずと思っていた。しかし、改ざんされた決裁文書を見ると、出先の近畿財務局は籠池の図々しい要求を唯々諾々と受け入れていいものか否か、おそらく危惧があったのであろう。だから口をはさんできた政治家や安倍夫人の名前を書類に残して「政治マターとして扱っていますよ」と本省向けに自分たちのアリバイを残したのであろう。
 また土地の値引き交渉にしても、交渉の直接当事者としては、はっきり命令されたわけでなく、それこそ忖度で処理したことを後で責任を追及されてはたまったものではないから記録に残した。
 しかし、それらは本省の佐川氏にとっては、まったく言わずもがな。「なぜこんなことをいちいち書くんだ」と怒り心頭ものの文書が続々書かれたのであろう。その行き違いが自殺者を生んだ悲劇の原因ではなかったのだろうか。
 そこで本題――
 刑法には「不作為の罪」というのがある。なにかをしないことが悪い結果を生むことを知りながらその行為をしなかった場合に適用される。保護責任者遺棄致死罪とか不退去罪、あるいは多衆不解散罪などというのもある。
 私は法律の素人だからとんだ見当違いかもしれず、その時は恥じ入るばかりだが、不作為を罪に問えるなら、安倍首相は絶対にクロである。何をしなかったか?加計にしろ、森友にしろ、自分の親しい友人が行政の審査を受けたり、行政の手を借りようとした場合、たんに「よろしく頼む」と言わなければいいのではなく、自分から関係省庁に「ゆめ手心を加えるな。厳正公平に処理せよ」と言うべきなのに、それをしなかったことである。
 「私が関係していたら、首相どころか国会議員も辞めますよ」という言葉が本心なら、行政機構のトップに立つ首相がその影響力を自分の知り合いの便宜を図ることにつかってはいけないと、安倍首相もよくわかっているはずである。それなら、関係省庁にその存在が知られているような人間の場合、自分から言いいさえしなければ、黙っていていいというわけにはいかない。行政をねじ曲げてはいけないなら、それを自ら念押しすべきである。特に内閣人事室によって高級官僚の生殺与奪の権を握っている人間が、黙っていることは「便宜を図れ」と言っているのに等しい。
 文書改ざん問題は検察の捜査が進んでいるそうだから、いずれは結論が出るだろう。しかし、どのような結論が出るにしても大きな期待は持てない。むしろ、安倍、麻生といった政治家を免罪することになりかねない。
 モリ・カケの張本人が誰かはそれこそ天下周知のことなのに、そこへ手が伸びないというのはなんとももどかしい。不作為の罪、ではだめだろうか。