2017.02.09  アベノミクスと属国民族主義
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 世界の先進諸国で、ポピュリズム(大衆迎合主義)と民族主義が幅を利かせるようになっている。西欧のポピュリズムやトランプ政権を批判する前に、日本のポピュリズムと民族主義を問題にすべきだろう。なぜなら、日本の安倍政権こそ、典型的なポピュリズムと偏頗な民族主義を二本柱にする政権だからだ。

アベノミクスは典型的なポピュリズム
 「灯台下暗し」で、日本国民は安倍政権がポピュリズムと民族主義を二本柱にしていることを意識できない。まさに、無意識のうちに嵌ることこそが、大衆迎合のポピュリズムと民族主義の社会現象である。トランプ政権の民族主義的政策を心配する前に、日本の行く末を心配したほうが良い。
 アベノミクスとは、「高度成長をもう一度」という根拠のない経済スローガン=経済イデオロギーにすぎない。景気が悪いより景気が良いほうがいいに決まっているから、右も左も、景気刺激政策に正面切って反対できない。「大胆な金融緩和政策で景気が良くなります」と言われ、株式相場が上昇し、円安が進行して一部の輸出産業が大儲けすると、なんとなく、アベノミクスは正しいと思ってしまう。
日銀が資金を垂れ流して円安を誘導し、株や債券購入を行って相場を支え、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)も国民資産を株式に投資して相場を上げる官製相場は、いずれ将来、日本社会に大きな災禍をもたらす。しかし、少し遠い将来のことに政治家も国民も無関心だ。国民は一時的な株式相場の上昇に一喜一憂して、将来のことなど考えない。まさに、国民大衆の短期的な損得を考える思考に迎合した政策が、アベノミクスなのだ。政治家も国民も、目先の短期的な利益だけに目が奪われている。大衆迎合主義が蔓延(はびこ)る温床だ。
官製相場が崩れた時の責任追及など、後の祭りだ。誰も責任を取らないし、取れない。一時的な「目くらまし」にあって、政治家にだまされた国民が馬鹿だったということにしかならない。政治家の詐欺に引っかかったようなものだが、それがポピュリズム政策の結末だ。

日本は属国民族主義
 安倍政権が巧妙なのは、アノベミクスの成果が見えなくなると、今度は中国や韓国にたいする偏狭な民族主義を鼓舞して、国民の目を隣国との対立に向けさせ、自らの政権基盤を崩さないようにしていることだ。国民はそういう政策にも、すぐに引っかかってしまう。
 尖閣・竹島にしても慰安婦問題にしても、昨日今日の問題ではなく、関係諸国との長い歴史のなかの問題だ。しかし、政治家は歴史認識の問題を隠して、隣国の不寛容さや偏屈さを批判すれば国民の支持が得られる。近代の歴史において、日本は朝鮮や中国を侵略した歴史はあっても、中国や朝鮮が日本を侵略した歴史はない。多くの国民は100年以上にわたる問題の歴史的経緯に関心などなく、たんに日本の国益が隣国によって阻害されているという単純な感情でこの問題を受け止める。政治家にとって、これほど安上がりな政権安定化の政策はない。隣国に対して強い態度で対処しておけば、政権基盤が崩れることはないのだから。
 興味深いのは、ここ最近の日本における民族主義は、きわめて偏頗(へんぱ)で片端(かたわ)な民族主義であることだ。隣国の中国や朝鮮にたいして強い態度をとるのに、アメリカにたいしてはそれができない。戦前から日本社会の底流に流れている中国や朝鮮への蔑視が今も根強く残っていて、それが時として、隣国への高圧的な態度や反発となって現れている。ところが、政治家も国民も、アメリカにたいしては日本の軍事的外交的な自立と独立を主張することができない。なぜなら、政治家も国民も、日本が軍事的外交的にアメリカに従属している属国的な立場にあることすら意識できないほど、アメリカの支配の術中に嵌っているからだ。それこそ、軍事占領から始まった70年にわたるアメリカの長期的軍事支配によってもたらされた換骨奪胎の結末である。
70年も軍事的な支配が続いていると「支配されている」という意識すらなくなり、防衛庁長官を経験した石破茂でさえ、「沖縄で騒いでいる奴らの後ろに誰かがいる」というバカな言動しかできなくなる。戦後一貫して、アメリカは日本の軍事基地をアジアおよび中東世界の軍事戦略基地として機能させてきた。日本を守るというのは付随的な役割に過ぎない。日本防衛という口実で軍事占領が続く沖縄の現状を固定化し、あまつさえ新しい基地を作ってアメリカの軍事政策に奉仕することが、民族主義にも劣ることだということが分からない。軍事占領の延長を容認する民族主義などありえない。偽の民族主義だ。
白井聡氏は日本を「属国民主主義」(白井聡・内田樹『属国民主主義論』東洋経済新報社、2016年)と性格付けしているが、属国民主主義というより「属国民族主義」と性格付けした方がより適切だ。旧植民地国への侮蔑を込めた偏狭な民族主義と大国アメリカへの卑屈な従属的民族主義という二つの矛盾した民族主義が併存しているところに、今日の日本の偏頗な民族主義がある。それが属国民族主義だ。だから、「虎の威」を借りて、アメリカに「尖閣の安全保障を担保してもらえば、他の件では譲歩します」という朝貢外交が生まれる。そのために、国民の年金資産をアメリカのインフラ投資に利用する案すら用意されている。アメリカの原発関連企業に騙され、倒産寸前になっている東芝を見るが良い。トランプにとって、安倍ほど利用しやすい政治家はいない。日本から搾り取れるだけ絞り取る。そんな魂胆も分からず、一緒にゴルフできることに喜喜としている馬鹿な宰相をいただくと、国が滅びてしまう。世界の笑いものだ。これこそ典型的な売国政治家ではないか。
2017.02.03  いいところもあるのだが――日本共産党第27回大会決定についての感想
          ――八ヶ岳山麓から(211)――

阿部治平 (もと高校教師)

はじめに
共産党は、私がただひとつ応援している政党である。今は亡き親友のKは生涯をこの党のためにささげた。だから私はどうか頑張ってほしい、という思いで第27回党大会決定を読んだ。
だしぬけで申し訳ないが、共産党のいう社会主義とはどんなものか、私にはよくわからない。1990年前後、ソ連・東欧が崩壊した。それまでソ連を社会主義だといってきたのに、ときの指導者宮本顕治氏は「ソ連崩壊は大歓迎」といい、その後共産党は、「ソ連は社会主義ではなかった」といいだした。じゃ、以前社会主義だといったのはどういう理由なのか?説明もなければ反省もない。
わたしが「共産党のいう社会主義は計画経済か、プロレタリア独裁はやらないのか」などと問うと、Kは「我々は未来社会のこまかな青写真は描かない」と150年ほど前マルクスがいったようなことをいった。
私はKに、生産手段の社会化だの、中国やベトナムやキューバは市場経済を通して社会主義に進むなど、わかりにくいことをいわないで、「北欧型をモデルにして、それよりもっと高度の福祉国家が社会主義だ」としたらどうかといった。それなら誰でもわかりやすいから、国民の支持も得られて、国会で多数をとることができる。共産党のいう民主改革の道も開ける。
彼は「それじゃ資本主義じゃないか。共産党を名乗る意味がない」といった。我々の知識ではこれ以上のことは議論できなかった。――社会主義とは何かについて共産党にご教示を乞う。

経済政策は観念的で空想的である
共産党は、資本のグローバリズムに抵抗しようとしていない。
大会決定は「いま問われているのは、『自由貿易か、保護主義か』ではない。『自由貿易』の名で多国籍企業の利潤を最大化するためのルールをつくるのか、各国国民の暮らし、経済主権を互いに尊重する公正・平等な貿易と投資のルールをつくるのかである」という。
自由貿易とはグローバル資本が国際的に自由に貿易をやることである。だからグローバル資本はトランプの言動に保護主義を見出して右往左往するし、中国の習近平だって中国資本を代弁して自由貿易をとなえるのである。
ところが共産党は、強者の論理である資本のグローバリズムを問題にしない。アメリカ民主党の大統領候補選挙で健闘したサンダース議員はグローバル資本の海外移転を抑制する法制定を主張し、「海外移転の時代は終わり、代わりに国内で良質な雇用を復活させるときだ」といって労働者・若者の支持を得た。トランプ氏はこれを彼なりに捉えて、目立つことばで宣伝を展開し大統領になった(サンダースがクリントンに勝利した州では、本選挙のときトランプが勝利している)。
また「大企業と中小企業、大都市と地方などの格差を是正」する。そのために、中小企業を「日本経済の根幹」に位置づける。そして「中小企業の商品開発、販路開拓、技術支援などの『振興策』と、大企業・大手金融機関の横暴から中小企業の経営を守る『規制策』を『車の両輪』としてすすめる」という。
また「地域振興策を『呼び込み』型から、地域にある産業や企業など今ある地域の力を支援し、伸ばす、『内発』型に転換する」という。
饅頭の皮は左派だが、あんこがない。日本の産業の中心である大企業を無視して、どうやって中小企業の振興をはかるのか、どうやって地域格差をなくすのか、どうやって大資本と中小企業の格差を是正するのか。
大資本は中小資本を引き連れて、海外に低賃金労働力をもとめて移転していった。その結果、各地に「産業の空洞化」が起き、90年代からは不安定雇用の増大、労働条件の悪化、年金・医療・生活保護の増大による福祉制度の危機などが現れた。
地域産業を「内発」型にするといっても、そもそも肝心の企業が減少衰弱していては話にならない。それが地方の貧困の原因だ。わが故郷を豊かにするためには、やはり高い技術と生産力を持った、かなりの規模の企業が複数なければならない。
――共産党にはまともな経済理論家はいないのか。

人事には驚いた
27回大会の決定では、委員長志位和夫、書記局長小池晃は動かなかった。ところが最高指導部の常任幹部会25人に、不破哲三(86歳)と浜野忠夫(84歳)が入っている。私の村の村長は心身ともに健康だったが、もう80歳近いからと辞めたのだが。
1997年21回大会で宮本顕治氏(89歳)が議長から退くとき、高齢を理由に引退をすすめたのは不破氏である。宮本氏は94年に脳梗塞を患い、その後言動に退行現象がみられたという。その不破氏が86歳のいま、常任幹部会にとどまった理由は何か。
不破氏は、「画期的」理論をもって現在の綱領を定めた党内最高の理論家である。彼が常任幹部会に居座ったのは、同僚たちが情勢の変化とともに動揺し、現行綱領を書換えたり、「あやまった方向」に行くのを防ぐ目付け役になるためではないか。
だが時は残酷だ。老衰は共産党幹部といえども避けてはくれない。不破氏が高く評価している中国共産党は、俗に「七上八下」といって、最高層幹部の任期を67歳までとし、68歳は退任することになっている。このあたりで共産党も中共並みの定年制を決めてはどうか。それとも認知症になってから退職するのか?

中国はとっくに「社会主義への道」から外れている
大会決議案に対して、党内からも中国は「社会主義をめざす国」といえるのか、という疑問が寄せられたという。当然の質問だが、志位氏の答えは「このまま大国主義・覇権主義が今後も続くならば『社会主義への道』から決定的に踏み外す危険がある」というものであった。「長い目で今後を見ていきたい」ともいった。
――まったくノーテンキだ。
中国はすでに「道を踏み外し」て久しい。それは中共党員の構成にも表れている。かつての農民と官僚と軍人の党は、いま官僚、企業管理・経営者層が3分の1を占めるようになった。党員の40%を越える大卒のなかのエリートが国家と党と軍と大企業の中枢を占めている。中共は労農人民の党ではない、高級官僚と大資本家と高級将校の党である。
党員構成の変化は、上層幹部が国有資産を私物化し、不完全ながら民営化が進み、国営資本が成立し、腐敗が桁外れに深化した過程と並行している。かくして中華帝国主義国家ができあがったのである。
これでわからなかったら、極めつきを紹介する。
このほど最高人民法院の周強院長は、中国憲法にも民主と人権が規定されているにもかかわらず、「憲政民主や三権分立、司法の独立などという西側の誤った思想を断固阻止する」「敵対勢力による革命のたくらみや政権転覆の扇動、スパイ活動は厳しく処罰する」などと発言した(信濃毎日・共同、2017・01・17)。これでもなお「中国は社会主義を目指す国(日本共産党綱領)」だと言えるのか。

領土問題解決の方向は疑わしい
志位報告に曰く、「日ロ領土問題の解決は、『領土不拡大』という第2次世界大戦の戦後処理の大原則に背いた不公正を正面から是正することを中心に据え、全千島返還を堂々と求める交渉でこそ道は開けることを、私は、訴えたいと思うのであります。(拍手)」
――これは空想である。
たしかに1875(明治8)年樺太千島交換条約が成立した。だが今日の日本を取り巻く国際関係は、ヤルタ会談とポツダム宣言とサンフランシスコ条約で規定されたものである。
共産党の意見は、サンフランシスコ条約の一部を破棄して千島全島を奪還しようとするものだ。だが、敗戦日本の領土を150年前に戻すために、条約の領土条項だけを破棄することなど不可能だ。サンフランシスコ条約に署名したかどうかにかかわらず、どの国がこの提案に賛成するか考えてもご覧なさい。クリミア併合を見るまでもなく、ロシアからは、「もう一回戦争をやって日本が勝ったら交渉に応じよう」という声が聞こえてきそうだ。
第二次大戦後のソ連やポーランドやドイツなどヨーロッパ諸国の領土の変遷をみれば、共産党がいう「領土不拡大」の原則がどのように守られたか、守られなかったかわかる。
安倍晋三氏がどんなにプーチン氏に援助を約束しても、現実には択捉・国後は還ってこない。歯舞・色丹が取戻せれば上々だ。
志位氏のいうように、正しく筋が通る主張で交渉すれば道が開けるなら、ことは簡単容易だ。国際関係は、いまだ力の論理、優勝劣敗の法律が支配している現実を直視すべきである。非現実的な正論をいいつづけても何もならないのだ。

共産党の大会決定にはいいところもあったが、どうしても同意できないところがあった。以上、私のもっとも気になった項目を申し上げた。反論を期待する。
2017.01.10 今こそ大衆運動の再構築を
改憲に抗う人たちを結集するために

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 新しい年がスタートしたが、安倍政権と自民党は早々と今後の政治方針を打ち出した。明文改憲と「共謀罪」の制定である。「安倍一強」「一強多弱」といわれる政治状況の中で、改憲や「共謀罪」に反対する陣営はどう立ち向かったらいいのか。国会内の与野党の議席数に圧倒的な差がある以上、当面は圧倒的な大衆運動で改憲や「共謀罪」に反対する世論を盛り上げ、安倍政権と自民党を包囲する以外にない。

 安倍首相は1月5日、自民党本部で行われた仕事始めであいさつし、その中で「新しい時代にふさわしい憲法はどんな憲法か。今年はいよいよ議論を深め、私たちが形作っていく年にしていきたい」と述べた(1月6日付読売新聞)。この発言について、同紙は「(首相が)衆参両院の憲法審議会での改憲論議の加速化に意欲を示した」ものと書いた。
 共産党機関紙「しんぶん赤旗」は、この首相発言に強い関心を示し、1月6日付の紙面で「首相、明文改憲に執念」と報じた。
 これを追いかけるように、1月6日には自民党の二階幹事長がBSフジの番組で「憲法問題もいよいよ総理が年頭に口火を切った。これからこれ(改憲論議)を詰めていくことを、自民党は今年中の最大の課題の一つとして考えなければならない」と述べた(1月7日付朝日新聞)。
 
 安倍首相(自民党総裁)は、総裁任期中(自民党総裁の任期は連続2期6年なので安倍氏の任期は2018年9月までだが、3月の自民党大会で連続3期9年に延長されるため、2021年9月まで総裁の座に居続けることが可能となる)に改憲を成し遂げることを悲願としているとされる。
 年頭の首相発言、それを受けた二階幹事長発言で、安倍政権と自民党による改憲作業がいよいよ具体化するということだろう。

 「共謀罪」の制定も首相の強い意欲を反映したものと見ていいようだ。1月6日付の毎日新聞は「首相は5日の自民党役員会で、『共謀罪』の成立要件を絞り込んだ『テロ等組織犯罪準備罪』を新設する組織犯罪処罰法改正に関し、20日召集の通常国会での提出・成立を目指す意欲を示した」と報じている。
 1月6日付の日刊ゲンダイDIGITALが「実際に犯罪を犯していなくても相談しただけで罰せられてしまう。極論すれば、サラリーマンが居酒屋談議で『うるさい上司を殺してやろう』と話しただけで、しょっぴかれる可能性がある。権力側が市民の監視や思想の取り締まりに都合よく運用する恐れもあり、03、04、05年に関連法案が国会に提出されたものの、3度とも廃案に追い込まれた」と書く、曰く付きの法案である。
 これを、なんとしても成立させたいというのだ。

 今の安倍政権にとっては、やりたいことは何でも可能だ。つまり、万能である。なぜなら、政府与党と政府与党に協力的な政党で衆参両院とも3分の2の議席を占めているからだ。昨年の臨時国会では、国民の半数以上が反対する法案を次々と成立させてしまった。TPP(環太平洋経済連携協定)承認案とその関連法案、年金制度改革法案、「カジノ解禁法案」などだ。
 そればかりでない。安倍政権は昨年11月、南スーダンのPKOに派遣する陸上自衛隊に安保関連法に基づく「駆けつけ警護」の新任務を付与することを閣議決定した。国民の半数以上が反対していたにもかかわらず、である。
 そのうえ、安倍政権は原発の再稼働に熱心で、2015年に川内原発1・2号機(鹿児島県)を再稼働させたのに続き、昨年は伊方原発3号機(愛媛県)を再稼働させた。原発の再稼働には国民の約6割が反対しているにもかかわらず、である。

 こうした強行ぶりに、国民の間から「暴走だ」との声も上がったが、安倍政権と政府与党の高姿勢ぶりには変化がみられない。安倍政権への支持率が依然高いことが、こうした高姿勢を支えているのだろう。

 となると、安倍首相と自民党は、明文改憲と「共謀罪」の制定に一気に走り出すことが予想されるというものだ。としたら、改憲や「共謀罪」に反対する陣営としては、今後、どんな戦略戦術でこうした政治的局面に立ち向かうのか。頼みとする野党が国会内で少数派とあっては、自ら大衆運動を盛り上げて世論で国会を包囲する以外にない、と思われる。これまで脱原発運動と安保関連法廃止運動の先頭に立ってきた人の1人、鎌田慧氏(ルポライター)は「大衆運動をいかに盛り上げていくか。それに尽きる」と語る。

 大衆運動とは、集会やデモを指す。世間には、「集会やデモなんかやっても世の中変わらない」と冷ややかに見る人が少なくない。しかし、大衆運動をバカにしてはいけない。直接民主主義の一形態であり、戦後の日本では、大規模な大衆運動が展開された時期がいくつもあり、政治と社会にインパクトを与え、少なからぬ影響を与えてきたからだ。

 例えば、1950年代から60年代にかけての原水爆禁止運動。これは、文字通り国民的な広がりをもつ運動となり、その影響は今日にまで及んでいる。まず、日本がこれまで核武装をしないでこられたのも原水爆禁止運動があったからだとの見方が強い。この運動が日本人の間に「原爆許すまじ」の意識を植え付け、これが日本の核武装を阻止してきたというのだ。確かに、政府関係者さえも「わが国は非核三原則を堅持する」と言わざるを得ない時期があった。被爆者援護を目的とする原爆医療法と原爆特別措置法の制定もこの運動の成果の一つと言える。

 1859年から60年にかけては、日米安保条約改定阻止運動が日本社会を震撼させた。「戦後最大」とまで言われた運動は結局、条約改定阻止は果たせなかったが、条約改定推進の岸信介・自民党内閣が招請したアイゼンハワー米大統領の来日を阻止し、岸内閣を退陣に追い込んだ。

 1967年から70年にかけては、3つの課題が一体となった運動が展開された。3つの課題とは「ベトナム反戦」「沖縄の即時無条件全面返還」「日米安保条約破棄」。結局、運動総体としては「ベトナム反戦」では成果を上げたものの、「沖縄」と「安保」では“敗北”に終わった。
 また、70年代は全国各地で公害が続発し、自然環境と住民の健康破壊が社会問題化した。これに対し公害反対運動が起こり、公害規制と 被災住民の救済に大きな役割を果たした。

 1970年代後半から80年代にかけては、3回にわたる国連軍縮特別総会に「核兵器完全禁止」と「軍縮」を要請する運動が全国で高揚する。中でも、82年の第2回国連軍縮特別総会に向けた反核署名は総計で8000万筆に達し、国際的にも注目を集めた。特別総会そのものは、米ソの対立から成果を上げることができなかったが、3回にわたる国連の会議は、世界のNGOが核軍縮に積極的に取り組むきっかけとなった。その潮流はその後、勢いを増し、国際司法裁判所をして「核兵器の使用・威嚇は一般的には国際法、人道法の原則に反する」とする国連への勧告的意見を出させるまでになった。

 その後、日本の大衆運動は4半世紀の長きにわたる沈滞期が続くが、2011年によみがえる。きっかけは東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発の事故である。これを機に脱原発運動が高揚する。この運動は、2013年9月から2年間にわたって全ての原発を停止させたほか、大津地裁に高浜原発(福井県)の運転差し止めの仮処分決定を出させたり、新潟県で原発再稼働に慎重な知事を誕生させるなどの成果を上げてきた。

 改憲を目指す安倍政権が2014年に集団的自衛権行使容認の閣議決定をし、これを具体化するために安保関連法の制定を図ると、これに反対する大衆運動が起こった。国会で成立した安保関連法が2016年3月に施行さると、運動はその廃止を求める運動に変わった。

 ところで、これまでの安保関連法反対の運動は、別な言い方をするなら、即護憲運動であった。「安保関連法は憲法9条に反する」というのが運動団体の主張であり、集会・デモでも「9条を守れ」のコールが叫ばれてきた。
 安倍政権と自民党が明文改憲と「共謀罪」制定を打ち出してきたことは、安倍政権と自民党が最終目標に向けて新たな攻勢に出たことを意味する。それだけに、安保関連法反対運動を続けてきた陣営側としても新たな対応を迫られよう。

 安保関連法反対運動で中心的な役割をはたしてきたのは「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」だ。これは、自治労や日教組など旧総評系労組が参加している「戦争をさせない1000人委員会」、全労連などでつくる「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」、市民団体の「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」の3団体で構成されている。実行委が、安倍政権と自民党による新たな攻勢にどんな動きをみせるか注目したい。

2016.12.27  ぼんぼん宰相の行き当たりばったり外交
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

白けた「トランプ詣で」からほどなくして「裏地ー見る」の罠にはまり、オスプレイ飛行再開を「理解」して、オバマの顔を立てるハワイ巡礼の旅に向かう無定見な放浪外交

慌てる乞食は貰いが少ない
 トランプが大統領選に当選して慌てた首相官邸の拙速外交は、後代にまで語り継がれる笑い話になるだろう。外務省の予想と異なる結果に驚き、首相官邸が慌てた様子は容易に想像できる。ボンボン宰相の驚きと焦りに、官邸秘書官たちは慌て、予想を外した外務省を無視して、必死に別のコネクションを探す。こういうときの秘書官たちの傲慢さと強引さは目に余る。首相の威を借りて、外務省の無能さを批判し、次官や担当大使・公使を怒鳴りつけることも稀ではない。今回は経済産業省のトップ官僚に、トランプタワーに入居している日本企業を使って、なんとかコネをつけろと命令した。
 逆転一発で、先進国の中で一番初めにトランプに面会できる政府首脳となり、首相官邸は沸いたことだろう。アメリカ政府からの警告で個人面談だと釘を刺されても、死に体のオバマに何の遠慮が要ろうか。ところが、アメリカからアルゼンチンに渡り、意気揚々と臨んだAPEC首脳会議の直後に、トランプがTPPからの離脱を表明して、「アベノ・トランプ詣で」は白けたものになってしまった。「何だ、ゴルフや四方山(よもやま)話だけだったのか」、と。
50万円の金色ゴルフクラブを手土産にするというセンスも理解できないが、相手も同程度の俗物だから良いとして、トランプがこの程度の代物を有難がるわけがない。純金製の黄金クラブならどこかに飾っておくだろうが、「ポチがもってきたメッキもの」と下駄箱に仕舞われているか、誰かがお下がりを受けるのが関の山だろう。ゴルフクラブの買い出しに外務省の職員を使ったようだが、こういう無駄な仕事が結構多いのが外務省なのだ。官邸秘書官から言われれば、外務省も趣味が悪いと思っても断れない。
ネットでは、「50万円でトランプに会えるなら安い」という阿呆なコメントが多く見られたが、国際政治の世界では「日本のおもてなし」や「土産の心遣い」など何の威力もない。少しは効果があるのではないかと考えるのは日本人だけだ。井の中の蛙だから、世界を知らない。西欧の首脳たちは、日本の首相は政治的センスがあって、硬質な論理と高尚な趣味を持ち、立ち振る舞いも素晴らしいなどとは露も思っていない。金箔趣味の秀吉に詣でる田舎大名程度の認識だ。安倍マリオも金色クラブも、国内向けの話題作り以上のものではない。世界を知らない日本人には、到底理解できないだろうが。
 ともかく、「トランプ詣で」は、堅固なディフェンスを忘れ、前掛かりになりすぎて失点する素人外交だ。

「裏地ー見る」とは何だ
 欧州では日本のテレビの衛星放送が見られる。安倍―プーチンの共同記者会見はライブで放映された。ボンボン宰相の喋りはいつも舌足らずで、語尾が不明瞭だ。短く区切って話す時ですら、早口になると、最初の音と最後の音を何と発声しているのか分からない。
 ボンボン宰相が何度も繰り返した「裏地ー見る」と聞こえた音が、「ヴラジーミル」だと分かるまで時間がかかった。「ウラジーミル」と発声したつもりのようだ。たぶん、プーチン本人も、最初は何を言っているのか分からなかったはずだ。何度も繰り返すから、自分の名を呼んでいるようだと分ったとは思うが。
 ロシア語綴りのBは英語のVと同じ発音だから、歯で下唇を噛む発声になる。日本語にない発声だから難しいが、ぼんぼん宰相はアメリカで2年も語学を勉強し、その後も会社員時代にアメリカ勤務があった。発音の基本を学ばなかったはずがない。FとH、BとVの違いは嫌というほど叩き込まれたはずだが、そういう勉強はしなかったようだ。
 もっとも、ぼんぼん宰相の面目のため言えば、今回の「裏地ー見る」は首相が考えついたものではなく、外務省の指南である。ロシア語のVの音は日本語の「ウ」のように聞こえるから、外務省も「ウラジーミル」と表記を使っているようだ。
 「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン(H.E. Mr. Putin, Vladimir Vladimirovich)」
 上の外務省標記では、ミドルネイムのvichのvには「ヴ」を当てていながら、先頭に来るVは「ウ」を当てている。先頭に来るVは無声化してFになりやすいから、Uと発声しても良いと考えたのだろうが、日本語のU(ウ)と発音してしまうと、破擦音にならないから間違った発声になる。日本語にVの音がないから比較は難しいが、例えて言えば、「ブラジャー」と「フラジャー」と発声するようなもので、急に「フラジャー」と言われたら、まず英語が母語の人は何を言っているのか理解できない。昔はPhotoを「ホト」と表記していたが、今では「フォト」と発声に近い表記をとっているのと同じである。逆に、今の若い人には「ホト」を理解できないだろう。
 外人の名前を呼ぶときは、正しい発音にもとづく発声に努力しないと、礼に失する。自分の名前が間違って発声されて、気持ちが良い人はいない。「晋三」を「シュンゾウ」や「チンゾウ」と何度も呼ばれれば、良い気持ちはしないだろう。日本人はこういうところはきわめて鈍感だ。
 プーチンは温泉に入らなかったようだが、それは予想できたことだ。客人をもてなすのは日本の良い習慣だとは思うが、誰もが魚料理や寿司が好きなわけではないし、温泉が好きなわけでもない。よほどの日本通でない限り、欧米の政治家で日本の食文化や生活文化に拘りのある人は多くない。そもそも、欧米の政治家は、日本の政治家のように、公金を使って頻繁に5つ星のホテルやレストランで食事しない。また、ヨーロッパの温泉はほとんどが38℃止まりだから、日本の温泉は熱くて入れない。欧米ではぬるま湯に1時間ほど浸かるのが温泉浴である。だから、欧米の政治家に「おもてなし」の粋を極めた接待を行っても、日本人が考えるような有り難みを感じることなど期待できないし、それで交渉ごとがうまくいくことはない。そう考えるのは日本の宴会政治の発想でしかない。それが日本の政治家には理解できない。首脳会議や国際会議があるごとに、日本では討議の内容より、食事などの接待内容が大きな話題になるが、まったく公金の無駄遣いだ。

飛行停止を要求できない日本政府
 プーチンに北方領土返還と日米安保との矛盾を突きつけられたボンボン宰相だが、その意味をどこまで分かっているのだろうか。事あるごとに、「日米同盟関係」という枕詞を使っているが、日本とアメリカとの間に軍事的な意味での対等な同盟関係は存在しない。日本は軍事的主権をアメリカに握られており、日本が自立的に軍事上の判断を下す権限をもっていない。そのような現状で、北方領土が返還されたらどうなるのかとプーチンは問うている。それにたいして、日本政府は何も答えていない。答えられないのだ。
 図らずも、オスプレイの墜落後の政府の対応で、アメリカにたいする日本の軍事的従属関係が明々白々に露呈されてしまった。何とも間の悪いことだ。日本政府は、「事故原因が明確になるまで、飛行停止」を「お願いする」ことはできても、それを最後まで貫き通すことができない。アメリカ軍が飛行再開の意向を示せば、それを「理解する」ことしかできない。何とも情けない限りだ。
オスプレイの2件の事故から1週間も経たないのに、菅官房長官も稲田防衛大臣も、「米側の説明は防衛省、自衛隊の専門的知見に照らし合理性が認められ.......オスプレイの空中給油以外の飛行を再開することは、理解できる」と、防衛省幹部が用意した文面を読むだけである。この文言には、日本政府の主体的な判断は何一つ示されていない。「アメリカが言っていることは理解できる」と言っているだけである。これが日本におけるアメリカとの軍事関係の現状だ。日本は軍事主権を持たないから、日本駐留のアメリカ軍にたいして、自らの主張を通すことができない。アメリカ軍の言い分をただオウム返しする以上の知恵をもたない。日米安保は戦後占領の継続だから、軍事的に対等な同盟関係など存在していない。軍事的に日本は主権国家ではないのだ。
 アメリカへの軍事的従属関係を前提にしたままで、北方領土問題は解決しない。だから、一方的な経済的貢献だけに終わることは目に見えている。「従属同盟」を「対等同盟」であるかのように思い込んでいるボンボン宰相には、日米安保を維持したままでは北方領土返還実現が不可能なことを理解できないだろう。

過去の歴史を不問にする相互訪問
 オバマ大統領の広島訪問の返礼や、「トランプ詣で」で怒りを買ったことへの謝罪を兼ねて、ボンボン宰相は真珠湾を訪問する。どの民族にとっても、過去の歴史を直視し、そこから学ぶとことほど難しいものはない。
 オバマ大統領は非戦闘員である市民を大量殺戮した原爆投下について、間違いを認めることはなかった。オバマ大統領のみならず、戦後のアメリカの歴代大統領は、「日本への原爆投下を戦争終結のための不可欠な戦闘行為だった」という以上の説明を行っていない。このアメリカの姿勢こそ、戦後の世界各地におけるアメリカ軍による大量虐殺を正当化させている出発点である。自らが正しいと考えれば、「大量の市民が犠牲になっても止むを得ない」という正当化こそ、帝国主義的発想である。その出発点は原爆投下にある。
 戦後の世界で、もっとも大量の殺人を行ってきたのはアメリカである。ヴェトナムでの大量殺戮は、まさに広島の原爆投下の延長線上にある。ヴェトナムや中東でアメリカが惹き起こした戦争のために、どれほどの命が犠牲になったか。そういう反省ができるまで、アメリカは原爆投下について、間違いだったことを認めることはないだろう。
 アメリカが誤りを認めないのだから、日本も真珠湾攻撃を謝罪する必要はないのだろうか。ボンボン宰相にとって、オバマ大統領が原爆投下を謝罪しなかったことが、真珠湾訪問を決める救いになっている。オバマ大統領と同様に、犠牲者を慰霊するが、謝罪はしない。日本帝国主義の侵略戦争を認めたくないボンボン宰相にとって、これほど都合の良いバーター取引はない。
 アメリカが帝国主義的な戦争を止めない限り、原爆投下への反省は不可能だろう。だから、ボンボン宰相も、過去の日本帝国主義への反省を口にする必要はないと考えているのだろう。なんとも虚しい相互訪問である。
2016.12.24  安倍とオバマの「真珠湾」
   ―2016年の「敗戦」に思うこと―
 
半澤健市 (元金融機関勤務)

 2016年5月の、原爆投下への謝罪なきバラク・オバマ米大統領の広島訪問。それへの答礼たる、安倍晋三首相の同年12月の真珠湾訪問。この首脳外交は、戦後の日米関係=日本の対米隷従を、見事に表現する事件である。いまから数日後に、安倍とオバマは、真珠湾に浮かぶ米戦艦の戦争記念館で「慰霊」「和解」「平和」「同盟」という美辞麗句のエールを交換するであろう。

 私は、なぜ、安倍の真珠湾訪問が対米隷従を表現しているというのか。
結論からいうと、安倍の行為は、「真珠湾の騙し討ちVS犠牲者を極小化する原爆投下」という、米国が発明した「対称性」のプロパガンダを、受け入れることになるからである。

 その容認はなぜいけないのか。その理由を述べる。
細かいことを言うが「大東亜戦争」は、帝国海軍の真珠湾攻撃で始まったのではない。
第一次攻撃隊が真珠湾から「トラトラトラ(我奇襲ニ成功セリ)」を打電する約1時間50分前に、帝国陸軍は英領マレー半島のコタバルへの強行上陸を開始していた。

 なるほど、対米開戦の最後通告は、日本側の事情―その内容にも諸説あるが―によって米政府への手交は遅れた。しかし、当時のワシントンDCでの日米交渉の緊迫度、米国による日本側暗号の解読などを考慮すれば、日本軍の事前通告なき奇襲に100%の責任を求めるのは、軍事・外交のリアリズムからみて公平でない。米国側の防衛体制の欠落も十分な指摘に値する。現に現地防衛軍の上層部は責任をとらされた。

その上、原爆投下との対照でいえば、真珠湾での攻撃目標は軍事施設に限定されていた。原爆は多数の無辜の民を残忍な手段で死傷させた。「東京裁判」では、「真珠湾攻撃」は戦争犯罪と認定されていない。原爆投下の犯罪性については、本欄にこの夏に書いたから繰り返さない。日本政府は原爆投下に対して直後に強い抗議を米国に発している。
広島におけるオバマ演説は、原爆投下の主体を米国とせず人類とした欺瞞であった。オバマが凡庸な政治家というつもりはない。しかし、結局は米国の帝国主義的な政策を、弁護士的饒舌で正当化する政治家である。これが私の判断である。

 オバマ訪広への「返礼」としての、安倍晋三の真珠湾訪問と犠牲者慰霊は、米国による「真珠湾VS原爆投下」を等価とする図式を受容するものである。相互慰霊でその等価は帳消しにされる。安倍政権は、米国のプロパガンダに乗ぜられたのである。

「戦後レジームからの脱却」によって「美しい日本」、「強い日本」をつくるという安倍晋三の目論見は、米国発明の「対称図式」を認めることで、出口なき「戦後レジームの完成」に帰結することになった。「戦後レジーム」は、何より1960年以降、日米地位協定(当時は行政協定)に指一本手がつけられない関係に端的に表れている。墜落したオスプレイに触れることもできない。日本政府は駐留米軍の発表をそのまま受け入れるだけで抗議すらできない。メディアには墜落を不時着と言わせている。大本営発表と同じである。
属国、植民地とどこが違うか。

しかし安倍の真珠湾外交は、再び政権と自民党の支持率を上昇させるかも知れない。
2012年に発足した第二次安倍内閣の政策は、失敗したアベノミクス、制御不能な福島第一原発、集団的自衛権行使容認を含む好戦法案、その実践である南スーダンでの駆け付け警護、武器輸出の解禁、原発の途上国への輸出、思考停止的なTPPへの突進、カジノ亡国法案、天皇譲位の限定的立法、大統領に手玉に取られた対露外交、防諜法の再提出意向、と続いている。政策の失敗、悪法の量産、戦争の道への急速な傾斜、が切れ目なく続いている。

 これだけ悪法と戦争へのカーペットを敷いている政権を、去勢されたメディアを信用し、鬱屈した情念を仮想敵国への嫌悪に変えて、人々は安倍政権を支持している。逆さのベクトルに気がつかない、多くの優しい日本人は、お笑い芸人とズワイ蟹のテレビ番組を見ながら越年するのであろう。この国は、なかなかに難しい環境下で、年を越そうとしている。(2016/12/20)
2016.12.19  安倍の功名心外交をやめさせよう―後戻りした北方4島問題
    暴論珍説メモ(154)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 今度こそ目に見える成果がありそう、と安倍政権が鳴り物入りで期待を盛り上げたプーチン訪日。さすがに直前になって安倍首相本人も目論見外れに気が付いて、国民の熱をさまそうとはしたが、終わってみればこれほどまでにむなしい結果になろうとは!
安倍首相の胸の内を推し量って、先回りして首相のために地ならしをすることを責務としている自民党の二階幹事長でさえもが「国民の大半はがっかりしているということを胸に刻んでおく必要がある」(16日、党本部で記者団に)と言わざるをえなかったところに、今回のプーチン騒ぎの実態は明らかである。
 このことはすでに数多くの論評が指摘しているので、われわれがあえて屋上屋を重ねる必要はないのだが、事後になっての安倍首相の発言にどうしても見逃せないものがあるので、あえて遅まきながら一言述べておきたい。
 今回の安倍・プーチン会談の後に発表された「プレス向け声明」には「領土」とか「国境画定」といった言葉は全く登場しない。「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島」の文字は一回だけ現れるが、それはそこにおいて共同経済活動を実施するための協議を行うという文脈においてであって、声明には「日露間には領土問題は存在しない」というロシア側の立場が完璧に貫かれている。
 安倍首相は、日露の共同経済活動は「特別な制度」のもとで行われると、得意顔で強調し、あたかもロシアのみならず日本の法制度もそこではある程度は機能することが合意されたかのように語っていたが、「声明」では「その実施のためのしかるべき法的基盤の諸問題が検討される」とあるだけで、「特別な制度」を裏付ける言葉はない。「しかるべき」という形容詞は、日本語ではどちらかと言えば「特別な」というより、「当然の」を意味するものとして使われることが多い。私はロシア語を解さないので、ここの「しかるべき」にあたるロシア語がどういうニュアンスかはわからないが、おそらくストレートに「特別な」とは解されないのではあるまいか。
 とすれば、安倍首相が強調する「特別な制度」は本人の独りよがりと言わざるを得ない。それは今後行われる双方の専門家による協議で明らかになるであろう。
 同時に声明から「領土」「国境画定」といった言葉が消えたことは、これまで歴代の首相がそれこそ岩盤をえぐるようにして勝ち取ってきた、ソ連時代を含めたロシア首脳の諸発言―
「戦後の未解決の諸問題に北方4島の問題が含まれる」(ブレジネフ書記長の口頭確認・1973年)
「歯舞、色丹、国後、択捉の帰属について双方の立場を考慮しつつ領土確定を話し合った」
(ゴルバチョフ大統領の訪日についての日ソ共同声明・1991年)
「択捉、国後、色丹、歯舞の帰属に関する問題」(エリツィン大統領訪日の際の「東京宣言」・
1993年)
「東京宣言に基づき、4島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」方針を確認(プーチン・森会談「イルクーツク声明」・2001年)
 これらの言明が今回の安倍・プーチン「プレス向け声明」できれいに消去されたことで、結果として「日露間に領土問題なし」が裏付けられることになってしまった。大後退と言わざるを得ない。
 それだけではない。じつはもっと大きなマイナスが残った。それは日ソ共同宣言にある「平和条約の締結後、歯舞・色丹を日本に引き渡す」について、プーチン大統領の身勝手な解釈に市民権を持たせてしまったことだ。
 プーチン大統領はこれまでも折に触れて、「『日ソ共同宣言には2島を引き渡す』とあるだけで、その条件が書いてない」と発言してきた。それは「主権まで引き渡すとは限らない」という意味と解釈されてきた。それをプーチン大統領は16日・東京での記者会見でも繰り返した。
じつはこの会見のテレビ中継を私も見ていたが、このあたりの通訳が悪く、ほとんど意味が分からなかった。新聞報道でも「宣言には2島を引き渡すと書いてあるが、その条件が分からない」(17日・『日経』)とある程度だったが、なんと安倍首相自身が17日の日本テレビの番組でこれについて「『主権を返すとは書いていない』というのがプーチン氏の理解で日本側と齟齬がある」と語ったのだ。
これには驚いた。「日本側と齟齬がある」という程度の問題だろうか。
共同宣言のその部分を読み直してみよう。宣言の最終第9項である。その全文―
「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。
ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に引き渡されるものとする」
一読明白なように2島の引き渡しに平和条約締結後という条件を付けている。ということは、条件はそれだけと解するのが普通だ。書いてない条件があるとか、書いてないことは後から条件が付けられるとかの解釈は不自然である。もしそんなことが通用するなら、書いてないことは後からなんとでもなることになり、文書自体が無意味になってしまう。
こんな勝手な解釈を聞かされて、安倍首相はなんと応じたのであろうか。「日本側と齟齬がある」という言い方には、相手の無法を批判する姿勢が感じられない。相手の立場は立場として認めるというニュアンスである。
安倍首相は今回を含めて16回もプーチン大統領と会談を重ねている。今年は特に5月にロシア南部のソチで、9月にウラジオストックで、そして11月にペルーで、と今回までに3回も話している。それでいて相手の狙いを読み切れず、また誰が見てもおかしな条文解釈を聞かされて、それを改めさせることもできなかったとは情けないとし言いようがない。
会談の度に「通訳だけを介した2人だけの話し合い」を重ね、今回の長門でもその時間は95分に及んだとされている。いったい何を話したのだろうか。国民としては狐につままれたような気分である。
2島は引き渡しても、主権は引き渡さないなどという、重大かつ身勝手なことを相手が言い出したなら、それこそひざを交えて改めさせなければならないし、それができないうちは次の話には取り合わないという強い姿勢が必要ではないか。
 にもかかわらず、相手の新しい言い分を自ら自国民に説明したということは、それを両国間の新しい課題として公認したことになる。プーチンとしては「安倍組し易し」と笑いが止まらないであろう。
 なぜこんなことになったのか。結局、安倍の地球儀外交なるものは、自らの功名心に駆られてのものだからである。かれの口癖である「我々の世代で解決しなければ」は「私の名前で解決したい」と同義である。だからとにかく物事を動かすことに前のめりになり、大局が目に入らないのであろう。
 今回、実施が決まった「共同経済活動」なるものがこれからの専門家の検討でどう落ち着くか、勿論、まだ見えないが「成果」を急ぐ安倍の功名心に動かされて、とんだばかを見ることがないよう、国民は見張っていなければならない。(161218)
2016.12.16   安倍外交とはなにか
小川 洋(大学非常勤教師)

最近の日本のマスコミ各社の幹部たちは、気が咎める様子もなく、繰り返し安倍首相と楽しげに食事をともにする。相手の懐に入らねば情報が得られない、という言い分があるのだろうが、国際的な常識からすれば、時の権力者と非公開の席で繰り返し飲食をともにする人物が、ジャーナリストとして信頼されることはありえない。彼らの「報道」の受け手としては、その内容は政権に都合のよいものばかりだと考えざるをえない。実際、とくに第二次安倍政権になってからは、読むに堪えない報道がますます増えている。
それでも、いくつかの国内メディアに加えて海外メディアの報道も合わせて事実関係を整理していくと、首相周辺のメディアが描くものとは異なった絵が見えてくる。安倍首相のこの数ヶ月の対米外交を整理してみよう。

9月19日:ニューヨークでクリントン大統領候補と50分間の会談。会談後、日米同盟の強化と北朝鮮情勢、中国の海洋進出についても意見交換したと、発表された。

【産経新聞、9月20日】会談の目的の一つは、「(自らの)女性政策を持ち出しつつ、クリントン氏との個人的な“信頼関係”を見せつけることで、共和党候補のドナルド・トランプ氏への不信感をにじませ(る)」ことだったとする記事を掲載。

11月9日:日本時間午後3時ころ、大統領選挙結果の大勢が明らかになり、トランプ候補の当選が確実になる。

11月17日:ニューヨークのトランプ氏の自宅で90分間の会談。会談内容は非公開。かつトランプ氏側は家族が同席し、通訳は手配されず、日本側の通訳のみという変則的な「会談」であった。

【BBC、11月18日】会談の事実を伝えるとともに、選挙期間中にトランプ氏が「日本はアメリカの軍事貢献に対して十分な財政負担をしていない」、「満足できる財政負担がなければアメリカの軍事的プレゼンスを引き上げる」という趣旨の発言をしていたことを紹介した。
BBCは、安倍首相のトランプ氏訪問をTPPなどの経済問題ではなく、防衛問題の文脈で伝えたのである。アメリカの選挙結果をどう受け止めたらいいか国際社会がまだ戸惑っている段階で、アメリカの軍事的プレゼンスを失うことに恐怖に近い感情を抱いた極東の政治指導者が、とるものも取りあえずにトランプ氏のもとに駆けつけたという印象さえ与えるものだった。

【共同通信、12月4日】日米外交筋の明らかにした情報として、安倍・トランプ会談に対するホワイトハウスの反応を伝えた。会談予定を伝えられたホワイトハウスは、「トランプ氏はまだ大統領ではない。前例のないことはしないでほしい」と強い異議を伝えていた。この申し入れに対し、日本側は「夕食会は控え、私的なものとする」として予定通りに会談を行った。

11月19-20日:リマにおけるAPEC首脳会議に出席。安倍首相は、会議中にオバマ米大統領との会談を希望していたが、アメリカ側から断られ、記念撮影後の廊下での数分間の立ち話の機会しか得られなかった。これ以前にも3回、国際会議の席でオバマ氏と同席する機会のあった安倍首相は、その都度、個別会談の設定を申し入れていたが、いずれも実現していない。

【産経新聞、12月5日】コラムで、トランプ氏の台湾総統との電話会談など意表を突く行動を取り上げ、文の終わりに「いち早くトランプ氏を観察する機会を持った安倍晋三首相の判断は、正しかったといえる」と書いた。安部首相の人物観察眼がいかほどのものか疑問ではあるが、前日のニュースのダメージを打ち消すためのものだったと考えられる。安倍首相自身がトランプ氏との会談が裏目に出たことに焦りを感じていることが見える。

12月5日:安倍首相は記者団に対して、12月末にハワイを訪問し、オバマ大統領とともに真珠湾攻撃の記念施設で犠牲者の慰霊をするとする予定を発表した。

以上が、この数ヶ月の安倍首相の「対米外交活動」である。

真珠湾訪問のニュースを聴いて筆者が最初に感じた疑問は、なぜ12月7日ではなく年末なのかということであった。どこの国の首脳も年末年始は仕事から離れて休暇をとるわけで、オバマ大統領も例年、この時期に避寒を兼ねて、自分の出生地でもあるハワイで休暇を過ごしている。
そのことに気付いて事情は見えてきた。安倍首相はオバマ大統領が休暇を過ごしているところに押しかけるわけだ。オバマ氏側としては気が進まないとしても断る理由はない。日本のマスメディアの多くは、「戦後日米関係の総決算」など、政権側の主張をそのまま流している。しかし事実は、安倍首相はトランプ氏のもとに拙速に駆け付け、オバマ政権から不快感を示され「味噌をつけた」。まともに首脳会談も持てないままオバマ政権との関係が終わるのは「安倍外交の成果」を唱えるうえで体裁が悪い。もっぱら国内向けの理由で、オバマ大統領との会談の設定を頼み込んだ事情が見えてくる。

一連の「安倍外交」を以上のようなものと見ることが、当たらずといえども遠からず、であるならば、いかにも場当たり的で、とても外交とも呼べるものではないというしかない。

トランプ氏との関係で言えば、選挙結果に内心どれほど動揺したとしても、素知らぬふりをして、先方に内心を悟られない態度をとるべきだった。どんな交渉事でも「手の内を見せない」のは基本中の基本である。政権交代の機会にこちら側も日米関係のあり方を見直すかもしれない、という印象を与えた方が、今後の外交交渉を考えるうえで有利なはずだった。それにも関わらず、「日米同盟が日本外交の基軸」と言って、外国首脳として当選後のトランプ氏との会談に「一番乗り」をしてしまった。交渉能力を始めから放棄しているのだ。

唐突な真珠湾の慰霊訪問も、国際的にはオバマ政権の不興を買ったことに慌てた日本政府が右往左往しているという印象を与え、かえって国際的信用を傷つける結果となっている。さらに真珠湾での慰霊に際して、安倍首相がどのようなメッセージを出すかが焦点となる。オバマ大統領は広島で、アメリカの原爆投下という加害責任については触れなかった。それは「世界の非核化」を掲げてきたオバマ政権のその理想のアピールの場であること、また日本人の被爆者の感情のなかに反米感情があまり強くないことから、アメリカの加害責任に触れなかったことを批判する論調は一部に限られ、あまり問題にはならなかった。
しかし、安倍首相の真珠湾訪問に国際社会向けのメッセージ性を持たせることは難しい。なぜなら、真珠湾は、基本的に二カ国間の出来事であり、国際性に欠ける。また加害・被害関係がはっきりとしている。日本の政治指導者の訪問は、加害者側の慰霊行為となるしかない。だからこそ歴代の首相は避けてきたのである。

安倍首相は、もともとアメリカの知識人や政治家からは、歴史修正主義者として警戒されている。真珠湾の慰霊において謝罪の言葉を含んだメッセージを出さなければ、アメリカ側からは「納得できない」という反応を引き起こすであろう。しかし、ここで謝罪の言葉を述べれば、日米開戦の10年前から始まっていた中国侵略の加害責任を、中国やその他のアジア諸国から追及されることは避けられない。

安倍政権の一連の外交活動が、計算されてのものとは思えないのである。それでもハワイに出かけるのは、日本国内でしか通用しない「外交成果」という話題を作って、内閣支持率の維持、場合によっては選挙対策を目的とする内向きのものとしか考えられない。国内政治向けの目先の「成果」を求めて、かえって自国の国際的信頼を損なうようなものを外交と呼ぶわけにはいかない。
2016.12.12  主権在民―韓国に学ぼう
伊藤力司 (ジャーナリスト)

10月末から6週間、毎週土曜日に韓国の首都ソウルで展開されたパク・クネ大統領の下野を要求する民衆の大デモは、ついに国会における大統領弾劾決議に結実した。1961年の軍事クーデターから4半世紀続いた軍事独裁政権を倒した1987年の民主化闘争の伝統は生きていた。民主国家における主権者は、国民大衆であることをこれほど如実に示した例は少ない。

われわれ日本人は不遜にも、無意識のうちに韓国より日本のほうが民主主義先進国のように思っていたような気がするが、とんでもない誤解である。ソウル市内を埋めた大群衆が示した民意によって国政が目に見える形で転換したありさまは、日本人にとってまさに模範とすべきである。

日本でも1960年の安保闘争では、大規模な民衆のデモが連日国会を包囲するという民衆の大闘争があった。安保闘争は結果として、岸内閣の退場と予定されていたアイゼンハワー米大統領の訪日を阻止したが、闘争の主題であった日米安保条約の破棄はかなわなかった。結果として日本本土の米軍基地を沖縄に移転させ、今日の沖縄の米軍基地過重負担を招く一因となった。

日本では岸内閣を引き継いだ池田内閣の所得倍増政策による高度経済成長の時代に入り、民衆の反権力闘争はベトナム反戦や学園民主化闘争に転換。そのうちに学生運動が極左化、大衆動員の運動より前衛分子の武闘路線に突き進み、一般国民の支持を失った。最終的には極左武闘路線の結末とも言うべき1972年の浅間山荘事件を経て、左翼大衆運動は完全に生命力を失った。

以後日本は80年代の円高バブル時代、90年代後半以降の長期デフレ時代を体験する過程で「一億総中流化時代」から「貧富の格差拡大時代」に転換しつつある。これに抵抗すべき労働運動は闘う「総評」から労使協調の「連合」に転換する中で民衆からの支援を失った。

かくて「戦後レジームの清算」を唱える安倍内閣が長期政権化する中で、宿願とする憲法9条改変を現実の政治日程に載せようとしている。今夏の参議院選挙を経て安倍内閣の改憲に同調する勢力は衆参両院で3分の2を超えた。

日本は今、安倍内閣の暴走により「主権在民」「基本的人権」「武力放棄」を保障した憲法に基づく平和・民主国家存立の危機を迎えている。われわれは今こそ、韓国民衆の「主権在民」の力に学ばなければならない。
2016.12.08  期待するがゆえに現状を悲しむ――日本共産党第27回大会決議案を読んで

    ――八ヶ岳山麓から(206)――

阿部治平(もと高校教師)

先日、日本共産党(以下、日共)の次期衆院選の候補者という女性が村の党員と、林の中の小宅まで挨拶にみえた。私はおおいに恐縮して5000円をカンパした。
そのあと、来年開催という「日共第27回大会の決議案」(以下、「決議案」)を読んだ。ずいぶん長いもので視力の衰えたものには難儀だった。党員はこんな長いものを全部読まなければならないのか。
読み終わって私は、これでは5000円は無駄になると思った。だがそれでも、私は当面の期待をこの党に託す。ほかに左の政党がないのだから。

「決議案」が言及する問題は広範囲におよぶが、ここでは私が重要と考える問題だけを考える。まず経済政策の核心。
「決議案」は、「異常な財界中心」の政治を正すとして、大企業と中小企業、大都市と地方などの格差を是正する「産業構造の改革」をという。
――中小企業を「日本経済の根幹」に位置づけ、中小企業の商品開発、販路開拓、技術支援などの〝振興策〟と、大企業・大手金融機関の横暴から中小企業の経営を守る〝規制策〟を「車の両輪」としてすすめる。
――地域振興策を「呼び込み」型から、地域にある産業や企業など今ある地域の力を支援し、伸ばす、「内発」型に転換する。公共事業を大型開発から、地域循環・生活密着型に転換する。再生可能エネルギー開発に本格的に取り組む。

これでいいのかなあ、という不安がよぎった。
中小企業対策に力が入るのは好いが、日本経済の根幹は否が応でも大企業で、中小企業ではない。大企業は確かに横暴だが、大きな生産力と高い技術、研究機関と頭脳集団を持ち、その傘下にある関連企業、労働者は膨大である。
私はむしろ大企業のありかた対策が先ではないかとおもう。ひとつだけいう。大企業が勝手に国外に投資するのを制度で規制し、そのことで国内の雇用を確保して地域振興策に資することが必要である。
1990年代、大企業の活動が急速に海外に展開しだすと、わが諏訪地方の下請け・孫請け企業も海外に移転し、従業員の若者がそれについてフィリピンなど東南アジアに行った。行けないものは失業した。いわゆる地域産業の空洞化である。大企業の利益は国民の利益に合致しなかった。

アメリカ民主党の大統領候補争いのとき、社会民主主義者を自称するバーニー・サンダース議員は、雇用を海外に移出して利益を上げるのではなく、アメリカ国内で努力し投資し成長するような企業活動がアメリカにとって必要だ。労働者が雇用を失う一方で企業の利潤が拡大する、こんな政策は間違っていると主張し、若者の支持を大いに集めた。
大統領選でトランプがクリントンに勝利したのは、サンダースの指摘したアメリカ経済の苦境、失業問題をそれなりに受止めた宣伝をしたからである。伊藤忠商事の元トップで中国大使を務めた丹羽宇一郎はテレビで、「サンダースが大統領になるくらいならトランプのほうがいい」と発言した。私はこれが日本の大資本の本音だろうと思った。

さて、「決議案」は、中露両国の行動をまさに覇権主義だと非難している。
ロシア・プーチン政権に対する批判は、クリミア併合と、ウクライナ東部での分離独立派武装勢力への支援に向けられている。これを「スターリン時代の覇権主義の復活そのものである」という。
中国批判はまず核問題。中国は核保有5大国の一員として行動し、2015年~16年の国連総会では核兵器禁止条約に背を向けた。これに対して「決議案」は「中国はもはや平和・進歩勢力の側にあるとはいえず、『核兵器のない世界』を求める動きに対する妨害者として立ち現れている」という。
東シナ海と南シナ海問題では、「中国側にどんな言い分があろうと、他国が実効支配している地域に対して、力によって現状変更をせまることは、国連憲章および友好関係原則宣言などが定めた紛争の平和的解決の諸原則に反する」といい、「当然、仲裁裁判所の裁定を無視する態度は許されない」という。
いま日本で、中露両国をこのように批難することは誰でもできる。大事なのはロシアや中国がなぜこうした覇権主義的行動に走るかである。分析のない非難は悪罵にすぎない。

国内政治については、日共は野党勢力の統一政府を熱望している。
そこで「当面は日米安保論争は避ける」という方針だ。「決議案」は、安全保障政策として「急迫不正の主権侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合には自衛隊を活用することも含めて、あらゆる手段を使って国民の命を守る」という。――じゃあ、日米安保体制下の自衛隊の尖閣防衛任務を認めるということですね。
これまで日共は、自衛隊を廃止するまでの段階区分をして、日米安保下で自衛隊が存在する段階、日米安保破棄後も自衛隊が存在する段階、国民的合意のもとで自衛隊が解消する段階の3つがあるとしていた。自衛隊の活用は安保破棄後に限るといっていたような気がするが、かなり現実的な考えになったわけだ。これなら保守第二党の民進党との統一政府は可能かもしれない。

以下幾つかの疑問。
①「決議案」では、安保条約の廃棄段階でも自衛隊はなくせない。自衛隊が廃止されるのは、「日本を取り巻く平和的環境が成熟し、国民の圧倒的多数が自衛隊がなくても安心だという段階」まで行かなくてはならないという。これだと「かなりの長期間」自衛隊は存続する。いいかえると違憲状態がいつ終わるかわからない。これを合理化する理論はどのようになるのか。
②目前の問題として、中国の攻勢によって尖閣諸島の実効支配は危うくなっている。しかも北朝鮮が核武装をして、日本海にミサイルを撃ち込むありさまだ。外交交渉の成果が期待できない今日、自衛隊はどの程度の編成と火力でこれと向き合うべきか。
③「まず海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる」という。海外派兵反対はわかる。だが軍縮は現在即刻やるという意味か、それとも日米安保破棄後か、はては平和的環境ができあがってからか。
④沖縄をどう考えるのか。アメリカの世界戦略が変って沖縄の米軍が削減されたときでも、中国に対峙する自衛隊基地は維持されるだろう。これでは沖縄は永遠に軍事基地の島ということになってしまうが、それでいいのか。
第27回大会までにはあと数ヶ月あるから、それまでにはトランプの外交政策も明らかになるだろう。沖縄をどうするかについて、ぜひ見解を示してもらいたい。

最後に「決議案」が言及していない問題についてのべる。
村の日共の活動家のNが生前、「おれはそう間違ったことをやったつもりはないが、なぜかわが党は大きくならない」と、農家の間に党員が増えないことを嘆いたことがある。彼は60年近い党歴のある人物だった。その場に居合わせた先輩が、「まずは党名変更じゃないか?それに民主集中制をやめることだ」といった。私もこれに賛成である。

党内では「共産党」という党名を誇りとする人は多いだろう。だが党外では、左の人でも「共産党」とか「共産主義」ということばから、暗い冷たいものを感じる人が多い。そもそもこの私がそうだ。戦後を考えただけでも、ソ連ではスターリンの専制政治によって大量の犠牲者が生れ、東欧諸国には何度もの反ソ民衆蜂起があり、毛沢東の誤りで数千万の人が死んだ。
さらに日共は、中国やベトナムやキューバが「市場経済を通じて社会主義へ」進むと見ている。この見解は「日共2004年綱領」の中に示されて以来、一度も修正されていない。しかし、専制政治の国家が市場経済の路線を選択した以上、高度の民主主義が保証された「社会主義」へ進むことはありえない。それはサルがいくら進化してもヒトになれないのと同じである。このような根本にかかわる思想を改めないかぎり、新しい日共を人々に印象づけることはできないだろう。
日共はいまも、中央集権的組織原則を維持している。党内の議論は公開されないし、支部間の議論も禁止されているから、党員は新聞「赤旗」に書いてあることしかいわない。この秘密主義、統制主義には、無知の大衆を導くというエリート意識がいまもって生きているのを感じる。
私は日共が現実的政治勢力としてもっと大きくなるためには、党名を改め、党内での自由な討論だけでなく、党外からも批判や叡智を集められるような、たとえばネット上に広場をつくり、ときどきの問題について誰もが討論に参加できるような組織になるべきだと思う。

いいたいことはいっぱいあるが、今回はこれまで。
2016.12.07  言葉の詐術に要注意!   安倍首相の真珠湾訪問
    暴論珍説メモ(152)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 一昨5日、安倍首相は年末の26,27の両日、ハワイを訪れ、任期残りわずかとなったアメリカのオバマ大統領とともに真珠湾のアリゾナ記念館に赴いて、戦没者を慰霊すると発表した。
この人はまあよくもこう次から次へと耳目を引くイベントを考え付くものだと感心したが、真珠湾行き自体については結果を見なければ、なんとも言いようがない。というのも、昨年8月15日の敗戦70年にあたっての首相談話に見られるように、この人は官僚やら側近やらを動員して、見栄えのいい言葉、当たり障りのない表現を連ねさせ、大事な原則的問題をぼかしてしまい、それでいてなにかを言ったように取り繕う技術というか、詐術というか、に長けているからでる。
むし返すようで悪いが、思い出していただきたい。去年の首相談話にこういう一節があった。
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。・・・先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」
談話に「侵略」という言葉を明記するかどうかが注目されていたが、それに対する答えがこれであった。確かに言葉は入ったが、文脈的には日本が侵略したとは書かれていない。
こういう一節もある。
「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました。・・・こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」
おわびの気持ちを表明したのは歴代内閣である。そして今後もそれは揺るがないというが、安倍内閣、安倍本人はどうなのか、そこは抜け落ちている。これは揚げ足取りではない。注意深くそういう論理にしているのである。そのことは、その後に出てくる以下の文章を見ればはっきりする。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
この最後の一句は、そういう宿命を背負わせるのは「よくない」という価値判断を明確に打ち出している。「なりません」という断定が目立つ。談話ではこの後も「過去の歴史に真正面から向き合う」とか、「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任」といった、フレーズが出てくるのだが、それらは「子どもらには謝罪させない。謝罪は終わり」をカムフラージュする煙幕としか見えない。
そういう安倍首相だからオバマ大統領と並んでアリゾナ記念館に立った時、その口から出てくる言葉は想像がつく。おそらく「75年前、太平洋戦争の発端となったこの戦場に、今、日米両国の首脳が並んで立っていることの歴史的意義」を精一杯大げさな表現で強調し、その和解をもたらした「自分をふくむ歴代両国首脳の指導力と努力」を天まで持ち上げることに終始するだろう。
 そしてそれは同時に「真珠湾の奇襲」という日本が抱えてきた歴史の負債をこれにて一件落着としようとする安倍首相の心情にマッチするものであるにちがいない。しかし、「真珠湾」は歴史の中に薄まればいいというものではない。むしろ、日本人が自らを考える上で真剣に向き合わなければならない重大な材料である。
 満州事変にしろ、盧溝橋事件にしろ、日本の戦争の始まりは、開戦への国家意思がきちんとした手続きに基づいて決定されたわけではない。この2つの場合は現地で始まった戦闘を東京の政府が追認するという形で、戦争になっていった。
 太平洋戦争の場合、日本の中国での軍事行動に米国が反対して、日本軍の中国からの撤兵を求め、両国間の緊張が高まって、日米交渉が行われるまでの経過は省略するが、交渉が難航して、1941(昭和16)年9月6日の御前会議で「10月中旬を目途に対米英蘭(オランダ)戦の準備を完了する」という「帝国国策遂行要領」を決定したのちも、政府部内の意思は統一されていなかった。簡単に言えば陸軍と海軍が対立していた。「ここで米の要求に屈服して、中國から撤兵すれば、開戦以来、大陸に血を流して犠牲となった将兵に申し訳が立たない」と強硬論を主張する東條英機陸相と「日本海軍は米と戦うようにはできていない」と対米開戦に反対する及川古志郎海相の間で、近衛文麿首相は内心では海軍の立場に傾きつつも、それを口に出せず、内閣を投げ出してしまう(10月16日)。
 後任首相を選ぶ重臣会議では、陸軍を抑えられるのは主戦論者の東條陸相しかいないといった、いわば無責任な理由から東條に組閣の大命が降下され(10月18日)、重臣たちの思惑とは逆に日本は開戦への道を進んでしまった。
 そこで考え出されたのが、現地時間12月7日にワシントンで米政府に開戦を通告してから1時間後にハワイの真珠湾を攻撃するという奇襲作戦であった。しかも、在米大使館の不手際により開戦通告が攻撃開始より遅れる結果となり、「通告もなしの不意打ち」という不名誉を日本は背負うことになった。
 この真珠湾に至る3か月ほどの経過をたどるとき、そこには陸・海軍の対立、要職にある人間たちの責任逃れ、怯懦といった、当時の日本の国家としての屋台骨のあやうさがくっきりと浮かび上がる。
 今、日本の首相が真珠湾を訪れるなら、現在にいたる両国間の和解の歴史を持ち上げる前に、不意打ちに至った日本という国家の危うさに思いをいたし、その上で米にきちんと謝罪すべきである。謝罪なしで真珠湾に行けることを、なんだか得をしたように計算し、一件落着とすればそれを功績とするような姑息な態度は見せて欲しくない。
 と言っても、安倍首相には通じないだろう。この人にとって歴史とは、自分が主役になって拍手喝さいの大団円を迎える安っぽい紙芝居の台本として利用するだけのものようであるのだから。
 それよりも、アリゾナ記念館でのオバマ・安倍の2ショットを目にしたアメリカ人たちがどういう反応を示すかが興味ぶかい。75年前の真珠湾奇襲は米国民を団結させ、戦争勝利へ結束させたといわれる。今、大統領選におけるトランプ勝利に見られるようにアメリカ国民は深い亀裂を抱えている。オバマ・安倍の2ショットが再びアメリカ人をもし「Remember Pearl Harbor」で団結させるようなことになったなら、生半可な謝罪より日本は感謝されることになるかもしれない。閑話休題。(161206)