2017.11.02 京都選挙区は2017年衆院選の日本の縮図となった、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか(2)
                
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

 2017年衆院選に臨んで前原民進党代表が小池東京都知事と共謀し、騙まし討ち的に強行した民進党解体劇は野党共闘の分断という当初の目的を果たしたものの、本命の「民進党解体=希望の党躍進」という肝心の目標は果たせなかった。前原氏は10月27日の両院議員総会で、民進党全体が希望の党へ合流する方針を撤回して代表辞意を表明せざるを得なかったが、即時辞任を否定していることもあって党内の紛糾はいまだ収まる気配がない。

 ところがどうだろう。前原氏の地元・京都選挙区では、旧民進党国会議員が希望の党(衆院)と立憲民主党(参院)に分裂したにもかかわらず、民進京都府連では表立った分裂騒ぎが起こっていない。民進府連と連合京都は、公示直前に民進を離党して希望の党へ合流した3候補(泉、北神、山井)と無所属・前原氏の「全員当選」を目標に精力的な選挙運動を展開し、小池希望の党代表の側近である1区(嶋村)と5区(井上)の落下傘候補に対してもスタッフを配置して支援を続けてきた(毎日新聞2017年10月21日)。なかでも京都1区での落下傘候の擁立は、穀田共産候補の追い落としにあったことはいうまでもない。

 選挙運動が締め切られる投票日前日の午後8時前、京都3区の政治舞台である伏見大手筋商店街では立候補した政党全ての運動員が勢揃いし、泉氏(希望の党)と森氏(維新の会)は本人自らが最後のお願いに街頭に立って声を嗄らしていた。私はたまたま(帰宅途中に)現場を通りかかったのでしばらく様子を見ていたが、運動員の数と言い、掲げているプラカードの数と言い、泉陣営が他候補を圧倒していたのは一目瞭然だった。また、運動員のほとんどが連合傘下の労働組合員であることも一目でわかった。

 連合京都は10月27日、京都市内で定期大会を開いた。その席上、来賓として挨拶に立った前原民進党代表は、衆院選の結果について「全て結果責任であり、申し訳ない」と陳謝した。だが、その一方「安倍1強体制を崩す命題は何ら変わらない。地元組織がしっかりブリッジとなり、協力できる体制作りを急ぐべきだ」と強調することも忘れなかった(毎日新聞2017年10月28日)。何のことはない。前原氏は「民進党が希望の党へ合流する方針は正しかったが、選挙では思わしい結果を出せなかったので申し訳ない」と詫びたまでで、民進党を解体して野党共闘を分断した政治責任に関しては何ら触れなかったのだ。

 これを受けて、橋元連合京都会長は「安倍政権が『今のタイミングなら勝てる』と打った選挙で、本来あるべき政策の議論もなかった」と選挙戦を振り返った上で、「今後も共産党との選挙協力はあり得ない」と応じた(毎日新聞同上)。要するに民進府連と連合京都は、民進が希望の党と立憲民主に分裂しても両党の「ブリッジ」となって結束し、共産党との共闘は今後あくまでも拒否し続けることを再確認したのである。

 京都選挙区での今回の共産完敗の原因は、こんな民進府連と連合京都を相手にしながらいつまでも選挙協力に拘泥し続けたことにあるのではないか。その象徴的な事例は、2016年衆院補選において共産が京都3区での立候補を取り下げたことだ。宮崎某議員の不倫辞職の責任を取った自民が候補者を取り下げたのは当然だとしても、共産が全国での野党共闘の行方を忖度したのか、「共産との選挙協力は拒否する」と大会決議までした民進府連会長の泉氏を勝手連的に支援するという驚くべき方針を打ち出したのだ。

 この衆院補選は2つの深刻な後遺症となってあらわれた。1つは共産支持者の著しい票離れを招いたことであり、京都3区の衆院補選の投票率は30・12%で、戦後に行われた衆議院の補欠選挙の中で過去最低の投票率となった。かくいう私も選挙権を与えられて以来、初めて(積極的に)棄権した1人である。もう1つは民進府連と連合京都に対して、共産は袖にされても付いてくるとの驕りと慢心を与えたことだ。またこの衆院補選は、維新の会が「チャンス」とばかり自民と共産の隙間を狙って京都選挙区に進出する契機にもなった。その結果が今回の衆院選にそのままあらわれたのである。以下、その現象を列挙しよう。

 第1は、台風の影響もあったが京都選挙区では投票率が戦後最低の50・90%に落ち込んだことである。今回の衆院選は全国的にも投票率が低く53・68%にとどまったが、それでも戦後最低だった2014年衆院選の52・66%よりもわずかに上回った。だが、京都選挙区では投票率の低下が止まらず(前回は50・99%)、今回も戦後最低を更新し続けている状況だ。有権者が政治離れしている原因の1つに、上記のような不透明な政党関係が横たわっていることは間違いない。

 第2は、前原氏及び希望の党に走った民進前職3人のうちの2人、計3人が低投票率と連合京都の組織力に助けられて小選挙区で当選したことである。かって投票率が低い選挙では共産と公明が強いと言われたこともあったが、現在は両党とも支持者が高齢化していることもあって事情は全く異なる。共産も公明も支持基盤の弱体にともなって投票率が上がらなければ(無党派層の票を獲得しなければ)当選できない体質に変化しており、投票率の低下は両党の得票数・得票率の低下に直結するようになった。この点、連合京都は組織動員力によって一定数の固定票を確保しており、それが今回のような低投票率では大きな力となったのであろう。

 第3は、京都選挙区が希望の党と維新の会の「落下傘候補」の舞台に利用されたことである。京都3区では維新の会の森候補が僅か16,511票しか得票できず、トップ泉氏とは5万票近い大差がついた。しかし、森氏は泉氏の26・2%(惜敗率)しか得票できなかったにもかかわらず、近畿比例ブロックでは1位にランクされていたために比例代表で当選することになった。これは、松井維新の会代表が京都に何とか維新進出の橋頭保をつくりたいとの政治的意図に基づくもので、森氏は無所属の泡まつ候補(2,509票)を除いて4人中の最下位でありながら当選したのである。

 それでも森氏は、この前の衆院補選に出馬していたことから地元有権者とは多少とも馴染みはあった。だが、京都5区の希望の党候補・井上氏に至っては、公示直前に天から舞い降りてきた文字通りの落下傘候補だった。地元有権者の誰も知らない希望の党の候補者が、ある日突然、小池氏と前原氏の密室協議で京都5区の候補者として決まったのである。民進府連と連合京都が、地元とは縁もゆかりもない井上氏を支援したのはそのためだろう。

 だが、こんな有権者不在・地元無視の立候補が地元有権者に受け入れられるはずがない。井上氏は、果せるかな19,586票(これでも多い)の得票で5人中4位で落選した。ところが驚くべきことには、地元の誰もが知らない井上氏が近畿比例ブロックでは希望の党の第2位にランクされ、5区トップの本田氏の32・4%(惜敗率)の得票率でありながら希望の党比例代表に当選したのである。

 一方、割を食ったのは、お隣の奈良1区の馬渕氏だった。馬渕氏は惜敗率97・2%でありながら、近畿比例ブロックでは第3位にランクされていたため惜敗率32・4%の井上氏の後位に退けられて当選できなかった。小池氏と前原氏の密室協議で決まった小池側近候補が、こんな低得票率ですら「希望の党比例代表」として当選することは選挙の私物化以外の何もでもない。そして割を食って馬渕氏が落選したことは、奈良県有権者の候補者選出権を奪ったばかりか、議会制民主主義の土台である選挙制度を根底から破壊するものになった。

 第4は、共産が京都小選挙区で完敗し、近畿比例ブロックでも穀田氏1人しか当選できなかったことだ。野党共闘が分断され、小選挙区での当選可能性が少なくなった段階で、共産は比例区重視の方針に転換した。しかしその時はすでに遅く、京都選挙区では2014年衆院選の比例代表得票数193,596票(得票率18・6%)から、今回は150,232票(14・1%)へほぼ4分の1近い票を失った。

 渡辺共産党京都府委員会委員長は、「今回の結果は、いわば統一戦線の発展をめぐる攻防の一断面と言えます。市民と野党の共闘に大いに確信を深め、同時にその中で党が前進できず、後退したことの自己分析を深めることが何より求められます」と選挙総括会議で述べている(京都民報2017年10月29日)。このことの趣旨は、共産が立憲民主に対して積極的に選挙協力したにもかかわらず、有権者の関心が立憲民主に集中して共産が「ウィンウイン関係」を築けなかったと言うことであろう。

 確かに今回の立憲民主ブームは驚異的だった。だが比例代表得票数でみると、共産が遅れを取ったのは立憲民主だけではなく、希望の党に対しても競り負けたことに気づく。京都選挙区の比例代表得票数は、前回の2014年衆院選では自民310,909票(29・9%)、共産193,596票(18・6%)、維新の党189,471票(18・2%)、民主179,765票(17・3%)、公明116,336票(11・2%)で、共産は第2位だった。それが今回は、自民332,064票(31・2%)、立憲民主192,867票(18・1%)、希望の党151,661票(14・3%)、共産150,232票(14・1%)、公明112,371票(10・6%)、維新の会106,945票(10・1%)となって、共産は第4位に後退したのである。

 しかし、民主党を母体にした民進党は立憲民主と希望の党に分裂したにもかかわらず、両党を合わせると比例代表得票数は前回18万票(17・3%)から今回の34・5票(32・4%)へほぼ倍増している。そして、この倍増分の多くは自民から2・1万票、維新から8・3万票、共産から4・3万票をそれぞれ奪ったものであり、独り共産が負けたわけではない。

 このことの意味することは決して小さくない。共産の得票減は立憲民主と希望の党の両側から奪われたものであって、立憲民主の所為だけでもなければ希望の党の所為だけでもない。要するに、志位委員長や小池書記局長が言う如く、共産は「自力不足」で負けたのであって、野党共闘の分断に敗因の全てを求めるのには少し無理がある。

 私が考える共産の敗因は複合的だ。立憲民主に負けたのは、革新勢力が民進党解体の危機を回避するために立憲民主に戦略的投票をしたことで大方の説明がつく。一方、希望の党に負けたのは、共産が疑いもなくポピュリズム政党に対して抵抗力を失っているためだ。ポピュリズム政党である希望の党の小池代表が、マヌーバーとはいえ既成勢力に対する「反権力」を唱えたことは、共産支持者から少なからぬ票を奪ったと思う。なぜなら、共産は安倍政権に対する最も先鋭的な反権力政党であるにもかかわらず、他方では民主集中制の組織原則にもとづく強固な権力政党だとみられているからだ。

 渡辺京都府委員長の「市民と野党の共闘に大いに確信を深め、同時にその中で党が前進できず、後退したことの自己分析を深める」との方針が今後どのような具体的方針となってあらわれるか、私を含め京都選挙区の有権者はみな期待を持って注視している。
2017.10.27  選挙が終わって日が暮れて
           ――八ヶ岳山麓から(238)――

阿部治平 (もと高校教師)

総選挙の結果は、立憲民主党がひとり躍進したが、護憲・リベラル派全体では3分の1を取れなかった。特に共産党の比例区は半減した。敗北というほかない。

長野県の小選挙区は全国情勢とは異なり、与野党せめぎ合いとなった。改選前自民党は3議席だったが2に減少し、民進党系が無所属1、希望の党2の3議席を得た。
わが4区(諏訪・塩尻・木曽)は、もともと3区から出るはずの希望の党の元職がまわされて来たために自民後藤・共産毛利・希望寺島の三つ巴となり、その結果、自民6万8673、共産4万0898、希望4万0863票となって自民勝利。共産・希望を合計すると自民を1万2000票近く上回っている。自民党は漁夫の利を得たのである。信濃毎日新聞の出口調査によると、立憲民主支持層が共産毛利氏(52%)と希望の寺島氏(41%)に割れてしまったのだ。
わが村での比例代表の各党得票を見ると、投票者数4438人のうち、自民・公明の合計は1684票である。これに対する立憲民主・共産・社民3党合計は1656票であった。保革は均衡している。

そこで、わが村の選挙の話をしましょう。
選挙をひかえた村の市民会議では、わが4区では護憲派の候補者がほかにいないのだからと、共産党毛利栄子氏を推すことになった。ところが私が友人たちに聞くと、2,3の人が「選挙区は共産党に入れるしかないが、比例区は立憲民主党でいく」という。この話を共産党の人にすると、「そういう人が多くて困る」といった。わが村レベルでも共産党は縮んでいた。
選挙運動中盤になって希望の党の寺島氏は、党の路線とはまったく逆の「安保法制反対、憲法9条を守る」といいだした。なんとまあと驚くうちに、寺島応援に民進党の杉尾秀哉参議院議員がやって来た。彼は参院選長野県区の野党統一候補として当選した人だ。つい2ケ月前海抜1200mのわが村にまで来て国会報告会をやり、護憲・安保法制反対を訴えたばかりだった。私はおもわず「節操のない連中だ。羞恥心というものがないのかね!」といってしまった。

思いがけず嬉しかったのは、元村長清水氏が「憲法九条を守る村民の会」の会報に談話を載せたことだ。彼は「憲法を改正しようという勢力がある。どうして改正しなければならないのか、私にはよくわからない」「戦争を知らない今の政治家は、危なっかしくて見ていられない。憲法を変えようなどと、人類の理想を捨てかねないことを平気で口にする」とはなはだまっとうな主張をした。
かれは20年ほど前、共産党村議小池氏と村長の席を争ったとき、自民党の応援を得て、「共産党に村政を引っ掻き回されていいのか!」と宣伝カーでどなっていた人である。

17日には市民連合の人が、上諏訪駅前の共産党演説会に連れて行ってくれた。比例の藤野候補も毛利候補も話の内容はありきたり。藤野氏は党政策委員長として自衛隊予算を「人殺し」と発言して批判を浴びた人だが、自己批判の弁はなかった。
志位委員長に至っては、よくいえば淡々。赤旗日曜版に書いてある程度の公約の説明だった。わたしはメモを取っていたが飽きてしまった。支持者が4、5百人集まっていて、ときどき「そーだ!」とか掛け声をかけるが、なかなか盛り上がらない。
駅前だから高校生も一般の人も通る。せめて「ご通行中の皆さん、立ち止まって私の話をちょっと聞いてください」くらいのことをいえないものか。志位さん、正しいことをいっていれば票が集まるというものじゃありませんよ。
半世紀前、この地方に林百郎という共産党代議士がいた。この人は村の立会演説会では、政権与党(今でいうと自公)批判から宇宙開発までを話題にした。面白いからみんな拍手をする。すると「ありがと。だが手をたたくだけじゃあこまる。百郎とおれの名前を書いてくれなきゃ」といって、また喝采を博したものだ。

わが村の半分は、かなり頑固な自民支持者である。
自民党はかつて米価を高レベルに維持することによって農家の支持を得ていた。農政転換後、水田経営だけでは20ヘクタールでも苦しい。これで村の自民党支持基盤は脆弱になったはずである。ところがコメに代るセロリー・キャベツなど新商品の導入があって、農家はつぶれずにすんだ。したがって既成の小農民的保守主義も維持された。「代々我家は自民党」という慣行がかなり残ったのである。
もうひとつ。わが村の農業の担い手は65~70歳だ。大都市からの移住者の大半がこれまた定年退職の高齢者だ。日本では金融資産の7割は高齢者が保有している。マイナス金利の今日、定期預金などの利息はあてにならない。そこで高齢の新来村民はもちろん、原住村民も意外に多くが投資信託や株式投資をやる。
かなり古い話だが、専業農家の友人は3000万円だかを投資信託に回した。そのうち3割か4割をリーマンショックで失い、損を取戻さないうちに亡くなった。こうなれば森友・加計問題であろうが、北朝鮮情勢であろうが、非正規雇用が40%になろうが、そんなものはどうでもいい。生きているうちに株価が1円でも上がればそれに越したことはない。
安倍晋三氏はこれをよく知っているから、選挙運動期間中、景気の昂揚・就業率の好転を宣伝した。都合のよいことに株式市況は、投票日直前の十数日空前の高値がつづいた。そこで新旧の高齢住民は、安倍政権のふるまいに不安は感じながらも自民党に一票を投じることになる。しかもわが村と限らず、高齢者は投票率が高い。かくして与党勢力は高齢者層に支えられるのである。

村のリベラル勢力にも問題がないわけではない。
市民連合の集まりが土曜日の昼間開かれたことがあった。村は「土日百姓(第二種兼業)」が多い。したがって土日は稲の収穫や野菜の出荷で忙しい。九条の会であれ市民連合であれ、活動家には移住してきた新村民が多いのだが、この人たちは原住村民の農繁期など関心がない(まあ、呼びかけても原住村民はなかなか集まらないからだけれども)。
しかも活動家には、なんといっても共産党員が多い。彼らの地を這うような努力を高く評価しないわけにはゆかない。だが共産党に対しては、新来村民であれ原住村民であれ、かなりの心理的抵抗がある。そこでリベラル派拡大のためにはどうしても共産党のイメージを好転させなければならない。

では共産党のイメージを好転させるにはどうすればよいか。
とりあえずは党名変更を検討してほしい。「共産党」は、党員にとっては誇り高い党名であろうが、世間じゃ暗い冷たいイメージをもっている。
次に、あなた方は社会主義をめざしているというが、ほんとうにそれでよいかも検討してほしい。いま開かれている中国共産党19回大会を見てご覧なさい。習近平氏は思想弾圧をし、競争相手を蹴落として、強権政治の頂点に登ろうとしている。これが「中国の特色ある社会主義」ですよ。
日本共産党は中国とは違うというだろうが、共産党だの社会主義という名称に変わりはない。それで日本の将来は社会主義が好いと思う日本人が何人いるか?明々白々のことと思うのだが。

今日(23日)、共産党の人たちが「ご支援ありがとう」と挨拶に来た。私が「志位和夫氏は辞任するんでしょうね」と聞いたら、驚いたようだった。彼らのもってきた赤旗のコピーを見ると、志位委員長は「……正確なたたかいをやった」といっている。ふつう議席を半減させたリーダーがこんなことをいうかね?
なにはともあれ、自身の党が埋没した原因がなんだったか、我々支援者の前に反省の弁を語るのが常識ではなかろうか。だがいつもの総括、「政策は正しかったが現場の力量が足りなかった。これから本気で党建設をしよう」というのは勘弁してほしい。(2012・10・23記)
2017.10.26  「神さま、仏さま、前原・小池さま」のお陰で自民が圧勝した、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

 投票前の予想をはるかに超える自民の圧勝だ。選挙前の国会で失態の限りを尽くしてきた自民の問題議員・暴言議員までが軒並み当選しているのだから、まったく嫌になる。全ての原因は野党側の「オウンゴール」によるものであり、野党共闘が分断されて候補者が乱立したためで、自民にとってはまさに「神さま、仏さま、前原・小池さま」といったところだろう。開票日翌日の今日(10月23日)、台風の影響で最終的な議席数もまだ確定していないのだから、この段階で総括めいたことを述べるのはいささか早計かもしれないので、全国の選挙結果に関する分析はいずれ行うことにして、今回はとりあえず京都の選挙結果についてコメントしよう。

 京都選挙区は、今回の波乱劇の主役となった前原氏一派の牙城だ。旧民進党の衆員議員は定数6人(小選挙区)のうち4人、参院議員は定数4人(改選数2人)のうち1人を占め、今回の衆院選では前原氏(無所属)を含めて全員が希望の党に走ったことになる。しかし、選挙結果は複雑だ。2区の前原氏は自民・共産候補に大差をつけて当選したが、後の3人は当選1、落選2(うち1は比例復活)に分かれた。当選したのは、宮崎某(自民)が不倫辞職したときの補選で当選した3区の泉氏だ。この時は自民が責任を取って立候補を自粛し、一方、共産は頼まれもしないのに「野党共闘」を推進するとして自主的に立候補を取り下げたので、泉氏は楽々当選できたのである。

 このときは、共産が支持者に対して泉氏への投票を積極的に呼びかけた。だがそのことが仇になって、今回は共産候補への投票を呼びかけても支持者にはなかなか応じてもらえなかったという。「この前は味方だと言っていたのに、今度は敵だというのは納得できない」というのがその理由だ。野党共闘といっても相手候補の人物を確かめ、きちんとした選挙協定を結ばないと、後で「トンデモナイ」ことになるという格好の見本だろう。

 4区の北神氏は前原氏の心酔者で根っからの改憲論者だ。前原氏は共産を「シロアリ」視する筋金入りの反共主義者だが、北神氏もそれに劣らず野党共闘に激しい拒否反応を示すつわもので、共産を「赤いモルヒネ」と公然と呼んで憚らない人物なのである。そんなことで北神氏は希望の党へ率先して合流したのであるが、意に反して自民の後塵を拝する結果となった。希望の党が後半大きく失速したので、もう一息及ばなかったのである。

 残る1人は野田政権で国対委員長を務めた6区の山井氏だ。山井氏はこれまで福祉を重視するリベラル派だと見なされていたのに、今回は「みんなで渡れば怖くない」とばかり希望の党に走った。小池代表に対して改憲・安保法制容認の「踏み絵」を踏んでの参加だから、有権者からは「変節漢」として猛烈な反発を喰らったことはいうまでもない。結果、山井氏は自民新人に惜敗したが、それでも惜敗率が高かったこともあって比例復活した。農村部中心の選挙区なので義理と人情で切り抜けたのであろうか。

 このほか希望の党の候補者には、4位の得票しかできなかった5区の井上氏が比例代表で当選するという奇怪な出来事があった。聞けば、井上氏は小池氏の側近だということで5区の落下傘候補として舞い降り、最下位に近い得票であるにもかかわらず比例名簿の上位にあるだけで当選することになったのだという。5区の有権者からみれば「井上フー?」といった存在が、代議士として堂々と国会に出ていくことがまかり通っているのである。これは、3区で4位の得票しかできなかった維新会の森氏が、比例代表で国会議員になったのと同じ構図で割り切れないものを感じる。

 共産は1区の穀田氏が2位で比例復活したほかは全滅だった。その他の選挙区は2区から6区まで全て3位にとどまり、得票率も当選者の3分の1強の水準にしか届かなかった。「日本の夜明けは京都から」と豪語したかっての面影はもはやどこにも見られない。原因は明白だろう。若者を引き受ける魅力にないことで支持者が次第に高齢化し、思うように選挙運動が出来なくなっているのである。ビラをまく人も電話かけする人もその多くは中高年層が主力で、活動量が飛躍的に落ちているからである。

 おそらくその背景には、上部から降りてくる方針を忠実に実行するという共産の「組織文化」に若者が馴染めないことがあるのだろう。野党共闘一つにしても、これまで「自共対決」一本槍を唱えていた共産がある日突然方向転換して打ち出されたもので、歴史がそれほどあるわけでもない。しかもそれが志位委員長の決断で生まれたというのだから、たとえ方針が正しくても「ある日突然一人の決断で方針が決まる」という組織の体質に対しては、若者が違和感を持つのは無理からぬところがある。衆院補選で泉氏を勝手連的に応援しながら今度は同氏と対決するというのでは、ご都合主義だと言われても仕方がないからである。

 選挙後の政局は極めて流動的だ。共産は立憲民主との野党共闘を目指すというが、枝野代表がそれに応じるという保証はどこにもない。むしろ、選挙中からのトレードマークである「右でも左でもなく前へ」という枝野代表のフレーズは、明らかに共産との共闘に消極的なサインであり、立憲民主党がおいそれと新しい野党共闘に踏み切るとは思えない。結局、共産は立憲民主に尽くした挙句、袖にされるという割り切れない現実に向き合うことになる。言葉を選ばずに言えば、「トンビに油揚げをさらわれる」状態に陥ったのである。

 この難局を切り抜けるには、結局自力による回復しか特効薬がないだろう。相手頼みの野党共闘は相手あっての話であり、その条件が限りなく薄くなった情勢の下ではこれまでの硬直した「組織文化」を払拭してもっと生き生きとした体質改善に踏み切ることだ。このことを抜きにした著名人・文化人頼みの野党共闘はもう限界にきている。


   イラク政府とクルド自治区政府が全面停戦―クルド側は「独立投票結果の凍結」を表明

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

内戦状態になっていたイラク政府とクルド自治区(地域)政府は25日未明、双方が公式声明で停戦を呼びかけ、停戦となった。9月25日に自治区政府が、自治区全域と実効支配していたキルクーク、海外在住のクルド人による、独立の可否を問う住民投票を実施し、92.7%の賛成で可決。それに対して政府側は10月15日深夜から、政府軍とシーア派民兵軍団を動員してキルクークに攻撃を開始。クルド側はほとんど抵抗せずに強力な武装勢力ペシュメルガがクルド自治区に向け撤収し始めたが、政府軍は自治区にまで追撃する構えを見せていた。
イラク政府声明は「これ以上の戦闘を停止することを提案する」とし「戦闘の継続は、どちらの側にも勝利をもたらさず、この国を分裂と混乱に陥れるだけだ」と明記。
クルド自治区政府は声明で「イラク・クルディスタンで実施された独立投票の結果を凍結する」と表明するとともに、軍事行動の即時停止および「イラク政府とクルド自治政府による、イラク憲法に基づく交渉を即時開催する用意がある」と提案した。
これで、クルド独立投票がもたらした、イラク内戦の危機はひとまず避けられたといえよう。政府側は、2014年いらいクルド自治政府が支配していた世界的な油田地帯キルクークを取り戻し、クルド側は独立宣言には至らないまでも、史上はじめての独立投票で、大多数の住民の支持を得た歴史的記録を残した。ただし、アバディ・イラク首相は、憲法によりイラク議会だけが独立の可否を決定できるとして、「クルド人の投票は過去のものになった」と言明しており、双方の交渉が始まっても、その位置づけをどうするか合意は難しそうだ。(了)
2017.10.25  「与党圧勝、3分の2確保、野党バラバラに分散、立憲に勢い」
野上 浩太郎 (政治ジャーナリスト)

 10月22日投開票の衆院総選挙で自民、公明両与党は284議席と29議席の合計313議席を獲得。憲法改正の国会発議に必要な3分の2を超えた。野党各党は旧民主党時代からのバラバラ性を引きずり、特に小池百合子・希望の党代表の失敗も手伝って中程度の政党が林立する弱小勢力の集団群にとどまった。この中で小池氏から「排除」された議員集団が立憲民主党を名乗って55人というグループを確保、僅かではあるが希望の党を上回る健闘ぶりを示した。
 それにしても立憲民主を除く各党の「選挙下手」ぶりは有権者の気持ちを暗くした。第二次安倍晋三政権は首相が自賛するほどの成果を挙げたとはとても言えなかったが、9月28日の臨時国会冒頭解散は「座頭市」の一太刀を連想させる鮮やかさで、審議は一切なし。狙いはどうやら自らの自民党総裁3選と計9年の長期政権実現にあるようだ。安倍首相の第一志望は憲法改正だろうが、憲法を口にする際の安倍首相は慎重である。自公両与党は数の上では悠々、発議に必要な3分の2を獲得したが、衆院総選挙とはいえ数だけで押し切るのはかえって逆効果の側面を持つ。衆参両院でそれぞれ3分の2を獲得したとはいえ、功を焦って純粋与党だけで押し切ろうとすれば、本命の国民投票(これは多数決)で否決されないとは限らない。安倍首相が母方の祖父岸信介元首相にならって本命の9条改正に失敗すれば、安倍政権そのものの生命が失われかねない。首相が5月に掲げた「自衛隊の名称を憲法に明記する」という改正案はわかりやすいが、9条1,2項をそのまま残して自衛隊をその一角に書き込めば、国際的にもきな臭くなる。自民、公明両与党だけで発議するとなれば、きな臭さが増す。数を確保しても、平和日本のイメージが「暴力的」になったのでは逆効果だろう。このため安倍首相としては小池都知事が率いる希望の党や維新などから賛同者を募り、穏便な形で憲法改正を実現したい意向とみられる。
 ところで希望の党を率いる小池都知事の呑気な表情には驚かされる。投開票日にパリに出張中という日程にも驚かされるが、なんといってもバラバラ体質イメージを捨て去るべく、前原代表との党首会談を皮切りに民進党を丸ごと希望に潜り込ませようとした。気に入らない人材は切り捨て、合流を図ったことが絵にかいたような自損行為だった。小池代表は「全員を合流させるなどの考えはさらさらない」「排除する」などのどぎつい言葉を連発した。その口調は冷然としていた。枝野氏は直ちに新党・立憲民主党をまとめ、素直なリベラル議員を中心に2週間の戦いに打って出た。見事に弾は当たった。選挙前には15議席しかなかった立憲がトータルで40議席も増えて全体で55議席と第二政党に駆け上がった。
 安倍首相が尊敬するのは、祖父岸信介元首相だ。日米安保条約の調印・批准強行である。いくら安倍首相といえども日本の核武装にまでは踏み切れまい。ところが、北方の北朝鮮は米国をターゲットとしながらも韓国と日本への核威嚇をちらつかせる。 今から日本が核武装しても、核戦争をするわけにはいかない。日米同盟を歯止めに北からの核攻撃を抑止するしか道はなさそうだ。(了)
2017.10.24  まだ最後の決戦がある
           改憲賛否を問う国民投票に向け大衆運動の構築を

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 総選挙が終わった。改憲派の圧勝、護憲派の完敗だった。この結果を受けて、安倍自民党は、改憲に向けた作業をいっきに加速させるだろう。しかし、絶望することはない。望みなきにしもあらず。最後の決戦の場として「国民投票」があり、護憲派がこの国民投票で勝利することができれば、改憲派の狙いを阻止することができるからだ。

 今回の総選挙では、自民・公明両党で衆院議席の3分の2を獲得したほか、両党に希望の党、日本維新の会の当選者を加えると、改憲勢力は衆院議席の4分の3(75%)を占める。この結果、護憲派(立憲民主党、共産党、社民党、無所属など)は衆院で極めて小さな勢力となってしまった。参院でも、すでに改憲勢力は3分の2を占めている。

 自民党は衆院選の公約で憲法改定を初めて重点政策として掲げた。そこに「自衛隊の明記」「教育の無償化・充実強化」「緊急事態対応」「参院の合区解消」の4項目を書き込んだ。
 だから、自民党としては、総選挙で大勝したことで「公約が国民に支持された」として、大手を振って改憲作業に力を注ぐことになるだろう。自民党内で検討されているスケジュールは、今秋の特別国会後に臨時国会を開いて改正原案を提示し、与野党で協議して来年の通常国会で改正案を発議、それを来年秋に国民投票に付し、可決されれば新憲法として2020年に施行、というもののようだ。

 これに対し護憲派はどんな戦略を描けばいいだろうか。
 国会内で圧倒的な少数派となってしまった護憲派としては、改憲の賛否を問う国民投票での勝利を最終目標にして、それに向けて大衆運動を盛り上げる以外にない。すなわち、草の根からの護憲の大運動を全国の津々浦々で展開し、国民投票で「改憲反対」の意思を示す人が有権者の過半数に達するようにする以外に道はない。

 そうしたことは可能だろうか。十分に可能と私は考える。なぜなら、最近の新聞・通信・テレビ各社の全国世論調査によれば、国民の間では「改憲」と「護憲」が伯仲しているからである。とりわけ「9条改憲」に対しては「賛成」よりは「反対」の方が多い。このことは注目に値する。要するに、国民投票での勝機は十分にあるのだ。
 大衆運動をバカにしてはいけない。この春、韓国では在職中の朴槿恵大統領が罷免され、その後の大統領選で文在寅氏が選ばれるという政変があったが、こうした最高指導者の交代をもたらしたのは、「ローソク市民革命」と呼ばれる広範な市民による大規模なデモだった。

 いずれにせよ、護憲派には、これから先、運動のあり方についても再検討が迫られるだろう。これまでの護憲運動を見続けてきた者から言わせてもらうと、運動参加者は全般的に言って高齢者が多い。若い人をもっと増やさないと、運動の発展は望めない。若い人たちにも加わってもらうためにはどうしたらいいか。そのための突き詰めた論議が求められるというものだ。

 護憲派にはまた、大衆運動に取り組む一方で、日本の安全保障をどうしたら確保できるかという理論的な検討の深化も求められるのではないか。
 今回の総選挙で、自民党が大勝した背景に緊迫する朝鮮半島情勢があったとみて間違いない。北朝鮮による核・ミサイル開発が国民に深刻な不安を与えていたから、「モリ・カケ問題」などで安倍政権に不信感を持ちながらも、日本の安全保障のために防衛力増強と日米同盟強化を進めると主張する自民党に一票を投じた有権者が少なくなかったはずだ。「この国を守り抜く」という安倍首相の叫びが、有権者にうけたのである。こうした自民党の行き方に対抗する、説得力ある安全保障論が護憲派からはあまり聞かれなかった。
 
 護憲派は、平和憲法を護りながら、北朝鮮の核開発問題をこう解決し、世界と日本の平和を護る――という説得ある政策なり提言を打ち出す必要がある。
 1990年代半ばには、「自衛隊の違憲性の解決を目指す具体的提案」として、「平和基本法」の制定を提案した学者グループがあった。それは、自衛隊を「最小限防御力(憲法の許容しうる水準の軍事力)」にまで縮小する、具体的には国土警備隊的なものに改組するという提案だった。当時はほとんど省みられなかったが、この提案は今一度検討に値するのではないか、と私は考える。
2017.10.22  何としても憲法9条を護るための投票を!
                      「リベラル21」同人一同

 いよいよ運命の投票日になった。今回の衆議院解散・総選挙が「モリ・カケ疑惑」を封じ込め、与党系で衆議院議席の3分の2以上を確保して憲法9条の改定を進めようとする安倍晋三首相の利己的な動機で決定されたことは明らかだ。

 われわれ「リベラル21」が10月10日、「衆議院議席の3分の1(155議席)以上の護憲派を」と訴えたアピールは、多くの読者のみなさまから「拍手」をいただいた。

 安倍首相が狙う9条改憲を阻止しなければならないという声は、「9条の会」をはじめ全国各地に広がっている。それなのに、新聞各紙が報ずる総選挙予測はおしなべて自公勢力の圧勝を告げている。同じ各紙の世論調査で、安倍内閣不支持率が軒並み支持率を上回っているというのに、これは一体どうしたことか。

 一つには小選挙区制の下では、野党系が分立すれば与党が圧倒的に有利になるというシステムの問題がある。反改憲のはずだった民進党の前原誠司代表が急ごしらえの希望の党(小池百合子代表)に合流したため、野党系が改憲派の希望の党と護憲派の共産党、社民党と分立する結果となった。

 枝野幸男・民進党代表代行は、小池百合子氏が強いた「改憲・安保法制支持」の踏み絵を拒否した護憲派を糾合して「立憲民主党」を立ち上げた。立憲民主党への支持が高まり、共産党は護憲勢力統合のため67小選挙区で独自候補を取り下げた。こうして289の全小選挙区中、249の小選挙区で憲法9条改定反対の統一候補で一本化された。

 「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」をうたった憲法9条は「日本の宝」「世界の宝」である。なのに、「総選挙で優勢」と伝えられた自民党は、早くも「来年の通常国会で改憲発議を目指す」との方針を明らかにしている。
 9条が改変されるようなことがあれば、第2次世界大戦後に日本が世界の人々に向かっておこなった「これからは平和国家として生きる」との誓いを放棄することになり、周辺国を軍拡に向かわせるなど、世界的な反響を呼び起こすだろう。
 読者のみなさまが、これまで「リベラル21」が掲載してきた数々の護憲を推進するための文章を汲んで投票に臨んで下さるよう、敢てもう一度訴えさせていただく。



             「独立を目指すクルド人への懲罰中止を!」
             クルド自治区大統領が世界に訴え

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

イラク・クルド自治区政府議長(大統領)は20日、世界各国と海外在住クルド人に対して「独立の意思を問う平和的権利を行使したクルド民族は、イラク政府による封鎖と集団的懲罰に直面している」として、「クルド民族がまたもジェノサイド(集団虐殺)と大災難を受けつつあるのを防ぐために、それぞれの政府に働きかけてほしい」と訴えた。
イラクのクルド自治区政府は9月25日、イラク国内の自治区と自治区政府が実効支配する隣接のキルクークおよび海外在住クルド人による、クルド人国家の独立の可否を問う住民投票を実施、投票率72.1%、賛成92.7%で可決された。自治区政府はイラク政府に独立の実現のために交渉開始を求めたが、イラク政府側は住民投票そのものが憲法違反だとして拒否。10月15日、政府軍と乱暴で悪名高いシーア派民兵軍団がキルクークへの攻撃を開始。2014年夏に同地を占領していたイスラム過激派イスラム国を追い出して以来、同地の治安を維持してきたクルド人武装勢力ペシュメルガは、ほとんど無抵抗でクルド自治区に向け撤退を開始。政府軍側はそれを追撃して、一部では激しい戦闘になっている。
イラク政府のアバデイ首相は16日、攻撃開始後の記者会見で、「クルドの住民投票は終わり、その結果も過去の出来事になった。国家権力はクルド地域を含むすべての国土に適用される」と宣言している。
イラク政府が世界的な産油地域キルクークの実効支配を、クルド自治政府から取り戻し、クルド独立国家樹立を阻止するだけで自治区はこれまで通り存続させる可能性は大きいが、もし自治区の存続を奪う、あるいは制限しようとすれば、内戦に拡大する危険がある。(了)
2017.10.21  いま起きていることは何か
    ―2017年10月総選挙前の現状認識―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《三極対立でなく一極対少数派》
 メディアは選挙戦の組立は三極対立という。「自民・公明vs希望・維新vs立憲・共産・社民」だという。そうではない。安保法案反対に身体を張った政治家が「一斉転向」してつくった「希望の党」や、是々非々と言いつつ安保に賛成した「日本維新の会」が、どうして野党と言えようか。小池にハマった同穴のムジナである。
 強大な一極に対する微力な反対勢力の対峙。これが現実だ。一極は「自民・公明・維新・希望」である。反対派は、「立憲・共産・社民」である。テレビ政治に長けた機会主義者の言動が「保守一極構造」をハダカにして見せたのである。もっとも当事者が自覚しているかは別であるが。

《一極体制の起源と推移》
 一極体制はいつ始まったのか。それは1960年夏に始まった。安保と三井三池の敗者が、高度成長にコミットしたときに始まった。人々は、革命でなくパイの極大化によって、おのれの分け前を大きくする政策に乗った。「日本的経営」と「官僚統制」が合体した。「経済成長政策」は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に結実した。1980年ごろである。
一極体制はそれからどうなったのか。
 この国は1990年を挟む東西冷戦の終結、この世界史的意義を正面から捉えなかった。むしろ逆走した。94年には社会党党首が、自民党と結んで首相になった。左右対立はなくなったという言説が大勢となった。その結果が「いま起きていること」である。

《一極体制論への予想される批判》
 人は言うであろう。60年体制には総評の春闘があり、社会主義をとなえる政党が三分の一もいたではないか。それは確かにあったし確かにいた。しかし振り返ると彼らは体制の補完勢力だった。その証拠に新自由主義の侵入によって60年体制は一夜にして崩れたではないか。
 人は言うであろう。新自由主義はリーマン・ショック以後は衰退に向かっているではないか。トランプ政権は、孤立主義に変わり、国境の壁を構築しているではないか。
人は言うであろう。お前はまだ社会党や共産党のことを言っているのか。リベラル派は時代錯誤派ではないかと。

《外交・内政ともその批判は当たらない》
 トランプ政権下でもメキシコ国境の壁は進まない。それどころか、国境の壁を超え、リーマン恐慌を越えて、巨大資本と金融資本は、自ら再編成の只中にある。見よ、トランプ政権の主要閣僚は軍人と金融資本家である。
この30年間に国内で何が起こったのか。
 安倍独裁に至る民主政治の破壊―行政が立法・司法を制圧し三権分立が消滅した―、無責任体制を放置したままの原発事故、非正規労働者40%に至る貧困と格差の定着、底の見えない地方の疲弊、改憲なき海外派兵の容認、孤立したトランプ政権への隷従。これが「日本国」の現実である。

《立憲・共産・社民・良識ある無所属へ》
 メディアによる「立憲・共産・社民」の合計議席予想は、現有38名に対して最高で68名、最低で57名である。自民は最大303名を狙うという(10月16日報道の『TBS・毎日』調査)。一極体制は完成の域に達している。

 北の核攻撃で、東京で約20~94万人、ソウルで22万~116万人の死者が出る。これは米研究機関の予測である(『東京新聞』、10月7日)。ドナルド・トランプは全ての選択肢が卓上にあると言っている。安倍晋三はトランプへの全面信頼を表明している。野党は「戦争に巻き込まれる」と言うが、「日本が米国の主導のもとに戦争を始める」が正確であり、安倍は日米共同の「宣戦」さえ支持しているのである。

《「リベラル21」の主張に賛同を》
 私は「リベラル21」の10月10日宣言、それに続く本ブログでの同趣旨の主張に賛成である。
2017年10月22日の総選挙で、「立憲・共産・社民・良識ある無所属」への一票を投じたい。私の意見に賛成する読者は一人でも多くの知己・友人に転送をお願いする。(2017/10/16)

2017.10.20  総選挙で「左派社会党躍進」の再現を                      少数政党が改憲を阻止した62年前の総選挙

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 現行の日本国憲法が施行されたのは1947年である。それから70年もの間、一度も改憲されずに存在し得たのには、それなりの理由がある。さまざまな理由が考えられるが、その一つは護憲を旗印にした政党、それも極めて小さな政党が存在していたからだというのが私の見方だ。その少数政党の名は「左派社会党」である。

 日本国憲法がこれまでに遭遇した最大の危機は、1954年暮れから55年にかけて生じた改憲への動きである。吉田茂・自由党内閣総辞職を受けて54年12月10日に成立した鳩山一郎・民主党内閣は憲法改定に意欲を示し、鳩山首相も「改憲を目指す」と明言した。
 鳩山首相がこうしたの姿勢を明らかにした背景には、米国の対日政策の転換があった。すなわち、太平洋戦争に敗北した日本を占領した米国政府は日本を「非軍事化」することに力を注いだが、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、その方針を転換、日本を「反共のとりで」とする方向に舵を切った。そして、日本政府に防衛力強化(軍備増強)を要求するに至るのだ。鳩山発言も、こうした米国政府の意向をくんだものであった。

 当時は、第9条で「戦争の放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」をうたった日本国憲法は広く国民に支持されていたから、鳩山首相の改憲発言は国民に衝撃を与えた。
 当時、私は長野県諏訪市の県立高校3年生だったが、下校時に駅のプラットホームで会った同年生が、「政府が改憲を変えるなら、それを阻止するためにオレは命がけで抵抗する」と、思い詰めたような表情で私に話しかけてきたことを今でも鮮やかに覚えている。この一事でも分かるように、鳩山首相の改憲発言は若者たちにも深刻な不安をもたらしたが、戦争が終わってまだ9年しかたっていなかったから、若者たちは鳩山発言に「日本はまた軍備をもつ国になるのか。だとすると、若者はまた戦争に駆り出されるのか」という危機感を抱いたわけである。

 鳩山政権下の最初の総選挙(第27回総選挙)が1955年2月27日に行われると決まった時、憲法を支持する国民の関心は1点に集中した。護憲を掲げる政党が衆院議席の3分の1以上を獲得できるかどうか、という点だった。憲法第96条の規定により、もし改憲反対の議員が3分の1以上になれば、改憲を目指す議員による国会での改憲発議を阻止できるからだ。
 憲法改定に反対する人々には不安もあった。なぜなら、直近の総選挙結果では、護憲派は全議席の3分の1を下回っていたからである。すなわち、1953年4月19日に行われた第26回総選挙の当選者454人の内訳は次のようなものだったからである。
<自由党199、改進党76、左派社会党72、右派社会党66、分派自由党35、労農党5、共産党1>
 要するに、護憲を掲げる左派社会党と右派社会党は合わせて138人にとどまり、衆院議席の3分の1(151人)に届いていなかったのである。

 ところが、55年2月27日の第27回総選挙(衆院議席は467人)は次のような結果をもたらした。
 <民主党(改進党の後身)185、自由党112、左派社会党89、右派社会党67、労農党4、諸派2、無所属6、共産党2>
 左派社会党と右派社会党を合わせると156人となり、衆院議席の3分の1(155人)を1議席上回ったのである。
 かくして、鳩山首相の改憲願望は挫折し、日本国憲法は改定を免れた。当時、私は総選挙の結果に「よかった」と胸をなで下ろしたことを覚えている。

 第27回総選挙の結果を受けて、この年10月に左派社会党と右派社会党が統一して「日本社会党」になり、同11月には、民主党と自由党が合同して「自由民主党」(自民党)を結成する。「改憲志向の自民党」対「護憲堅持の社会党」を軸とする「55年体制」の始まりであった。
 そして、それ以降、今日までずっと、日本国憲法は改定されるこはなかった。この間、衆院で護憲派が絶えず3分の1以上を占め、このため、自民党も衆院で改憲発議が出来なかったからである。
 しかし、2012年12月の第46回総選挙で改憲志向の自民・公明が衆院議席の3分の2以上を獲得、14年12月の第47回総選挙でも、両党を中心とする改憲勢力が衆院議席の3分の2以上を占めた。さらに、16年7月の参院選挙の結果、自民・公明を中心とする改憲勢力が参院議でも初めて3分の2以上を占めるに至った。
 こうして、改憲勢力は衆参両院で改憲の発議が可能になった。そして、今回の総選挙。憲法改定が争点となっており、改憲勢力が勝利すれば、来年にも衆参両院での改憲発議、次いで国民投票という運びとなるだろう。

 話を1955年2月27日の第27回総選挙に戻す。
ここでは、護憲政党が衆院議席の3分の1以上を獲得し、鳩山内閣の改憲意図を打ち砕いたわけだが、これを実現した原動力は左派社会党だった。
 敗戦直後、革新政党がいくつも名乗りを上げたが、最大規模のそれは「日本社会党」であった。が、同党は51年10月、右派社会党と左派社会党に分裂した。きっかけは、同年9月にサンフランシスコ講和会議で調印された対日平和条約をめぐって意見が対立したからだった。右派は、ソ連など社会主義諸国を排除した対日平和条約(「片面講和」と言われた)に賛成したが、左派は、社会主義諸国も含めた「全面講和」を主張し、対日平和条約に反対した。サンフランシスコではまた、日米両政府間で日米安保条約が調印されたが、それには両派とも反対だった。
 
 分裂した時の代議士数は右派社会党30人、左派社会党は17人。が、53年の第26回総選挙では、左社72人、右社66人と逆転、55年の第27回総選挙では左社が89人を獲得し、右社の67人を引き離した。
 なぜ、こうした左派社会党の躍進があったのか。同党が掲げた「全面講和」「中立」「基地反対」「再軍備反対」といった、日本国憲法に立脚した平和路線が、有権者の心をつかんだからだと言われている。とりわけ、同党の鈴木茂三郎・委員長の「青年よ再び銃をとるな」という訴えが若者たちの心をゆさぶったと語り継がれている。

 間もなく総選挙。62年ぶりに“奇跡”が起こってほしいと願わずにはいられない。 

2017.10.19  希望の党の失速で前原民進党代表はどうなる、策を弄する者は策に溺れる
  
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 総選挙公示日の直前、かねてから計画していた北海道空知地方の旧産炭地域調査に出かけた。以前からの計画なのでいまさら予定を変更するわけにもいかず、赤平・三笠・岩見沢・歌志内・夕張など空知地方をレンタカーで回ったのだ。同行者3人はいずれも研究室後輩の大学リタイア組で前期・後期高齢者の混成部隊だが、屈強なメンバーばかりなので4日間の走行キロは600キロ近くに達した。

 北海道はいま紅葉シーズンの真っ盛り、空知地方の山々は色とりどりの色彩に溢れていた。だが、その山麓や中腹に広がる旧産炭地域は炭鉱住宅の廃屋が散在するゴーストタウンと化していて、目を覆うばかりの胸の痛む光景だ。その一方、人口減少と財政破綻の象徴となった夕張市では炭鉱住宅の集約化事業がはじまり(いわゆるコンパクトタウン化)、地域を存続させるための努力が地道に続けられていた。人口縮小時代のまちづくりを切り開く先端的な試みだ。

 民進党の解体で全国では野党共闘が分断されたが、北海道ではかなり事情が違う。民進党候補者の多くが立憲民主党に参加して野党共闘が維持され、道内12小選挙区では野党統一候補が11選挙区で健闘している。解散前の議席数においても小選挙区定数12議席のうち自民9、公明1、民主2、比例代表は定数8議席のうち自民3、公明1、民主2、共産1、無所属1とかなり分散していたが、今回の総選挙ではそれ以上の変動が予想されるのだという。

 北海道新聞10月12日の衆院選道内序盤情勢の分析によれば、12選挙区のうち立憲民主・共産の統一候補は11選挙区(うち立憲民主8、共産3)で成立しており、民進党から希望の党に移ったのは2人しかいない。序盤情勢はいずれも自民が優勢だとは言え、野党統一候補が激しく追い上げていて情勢は極めて流動的、予断を許さない。ちなみに、希望の党からの候補者は4人しか出ていない。

 これらの選挙区の中でも異色なのは、自民の協力で公明が過去3回も議席を維持してきた10区である。前回の総選挙では民進・共産票を合わせると公明票を上回っていることもあって、今回は自公与党の危機感は並大抵のものではない。私たちが岩見沢のホテルを出ようとした公示日の朝、報道陣がホテル前に集まっているので何事かと聞いたら、山口公明党代表が公示日の第一声をここで上げるだという。また、菅官房長官も相次いで10区に入りテコ入れを図った。彼にとっては北朝鮮のミサイル発射よりも公明党の議席獲得の方が重要なのだろう(菅官房長官は危機管理に備えて選挙中といえでも首都圏から離れないと言っていた)。

 本題に戻ろう。各紙は10月12日朝刊で公示直後の選挙戦序盤情勢に関する世論調査結果を一斉に発表した。各党支持率を見ると、自民・公明両党の議席獲得数は290から300議席になり、自公は安定多数を獲得する見込みだという。それに比べて、当初は110から120議席を取るかもしれないと言われていた希望の党が失速し、50から60議席にとどまるとされている。一方、立憲民主はメディアが安倍政権批判の「受け皿」と持ち上げたこともあって急伸し、40から50議席をうかがう勢いだ。また、共産はその煽りを食って20前後に後退するとの予想が支配的だ。

 このままの情勢が終盤まで続くとは思えないものの、それでも希望の党の失速と立憲民主党の急伸は意外だった。前原・小池両氏による民進党解体劇があまりにも露骨だったので、それに対する反発が希望の党へのバッシングとなってあらわれ、同情票が立憲民主党に集中したのだろう。しかもこの勢いは終盤になるにつれて加速され、希望の党がさらに議席を減らす可能性も否定できない。政治は一寸先が闇であり、選挙は魔物だと言われる情勢がいままさに現前で展開しているのである。

 私は京都選挙区の有権者の1人なので、とりわけ前原民進党代表の動向が気になる。京都ではいま前原氏に対する不信と反発が渦巻いている。彼の選挙区では優位は動かないものの、これまでにない逆風に直面していると後援会会長が漏らすほどだ。おそらくその結果は得票数の大幅減となってあらわれるだろう。

 しかし私の関心事は、そんなところにあるのではない。総選挙後の政党再編の動向がどのような形であらわれるのか、その中で前原氏の行方がどうなるのかという点だ。今日14日の各紙の観測によれば、希望の党の失速を見越した参院民進党の動きが始まっており、無所属で出馬した野田・岡田氏などが(政党を問わず)元民進党候補の選挙応援に駆けまわっているのだという(岡田氏は京都の希望の党候補の応援にもきた)。予想されるのは参院民進党を核に無所属当選組が加わり、民進党の復活に向かっての動きが加速すると言うことだ。そうなると民進党の希望の党への合流はご破算になり、政党助成金もそのまま民進党に残ることになる。

 前原・小池両氏の民進党解体シナリオは、以下の様なものだったと推察される。
(1)保守2大政党制(新保守主義政党+新自由主義政党)の確立のため、神津連合会長の支援の下に小池氏と前原氏が協力して政党再編を仕掛ける。
(2)そのためには民進党リベラル派を切り離すことが条件であり、前原氏が民進党の小池新党合流という流れをつくり、その過程で小池氏がリベラル派を排除する。
(3)小池新党結成の「風」を巻き起こして選挙戦に突入し、小池氏が首班指名者として立候補する(前原氏はおそらく副党首格として処遇されることになっていたのだろう)。
(4)小池新党が過半数を制すればもちろんのこと、過半数割れの場合であっても自民党との挙力関係を構築し(ただし安倍内閣は退陣)、保守2大政党制を確立する。また、それが不可能な場合は自民党との大連立政権を樹立する。

 この前原・小池シナリオが今後どうなるか、その行方はすべて選挙結果にかかっている。中盤戦から終盤戦にかけての選挙情勢を注視したい。

2017.10.18  安倍首相に長く務めてほしいという普通の国民には、会ったことがない

野上浩太郎 (ジャーナリスト)

 マスコミ各社の世論調査や取材結果を見る限り、今度の衆院選は自民・公明与党の大勝に終わりそうである。自公与党の選挙地盤があまりに堅固であるのに反して、希望の党はじめ野党側があまりにバラバラで脆弱であることがその流れの原因であることははっきりしている。それにしても日本の政治は弱弱しい。
 トップリーダーが強力な指導性を持っているとはとても思えない。第一次政権などはストレスで難病が悪化し、わずか1年余で退陣した。常識的にはこれにて「一巻の終わりか」と多くの国民が受け止めたのだが「この病気によく効く薬がアメリカで開発された」とかで、3年3か月の民主党政権を挟んで、安倍晋三氏はたちまちよみがえり第二次安倍政権を樹立して今度は5年を経てもへこたれず、その間、2回の衆院選、1回の参院選で勝利し、これから1週間後には3回目の衆院選で勝とうとしている。
 その外交、国内政治運営、政治思想のどこが国民のこころをつかんでいるのか。安倍を心から尊敬しこれから10年でも20年でも首相を務めてほしいという気持ちで支えている普通の国民にはお目にかかったことがない。むしろペチャクチャと中身の薄い内容を早口でしゃべるのが得意技で、相手が弱そうな野党の論客だと、居丈高に襲い掛かって骨の髄までしゃぶりつくす。かつてはNHKを例外として民法テレビには顔を出さないのが首相とテレビの間の約束事だったが、安倍首相は「無内容ペチャクチャしゃべり力」を駆使してどこのテレビにも登場し、キャスターたちをケムに巻く。このごろは高級レストランに特定の安倍シンパだけを招き、一方的にしゃべり通す。若い記者連を相手にコメントを述べるときには「いざ、質問」という時点でくるりと一回転し、若手記者に背を向ける。
 だからよくしゃべる割にはぼろを出さない。首相が外遊するときには各社とも同行記者をつけるが、某テレビに限って同じ女性記者をつける。何のことはない。首脳会談を終えて会談内容について東京側デスクが女性記者に質問すると、平気な顔で安倍本人がしゃべった内容をそっくりそのまま女性記者がしゃべるから少しも解説にならない。あらかじめ安倍と同行記者が打ち合わせ済みだったとしか思えない。こういうみっともないことを繰り返すうちに、批判力のない記者が増え、ついでに批判を知らない視聴者が増える。
 米国のトランプ大統領が就任するやいなや各国首脳に先駆けて訪米し、別荘での日米首脳会談に及んだ。その素早さこそ安倍の真骨頂であろう。なりたてのほやほやのトランプにとって、こんなにかわいい外国首脳はいないだろう。就任半年を超えても毎日のように自分の側近の軍人たちの悪口を言い、ニュースの材料を生産する大統領。その中で真っ先に自分を訪ねて、ワンラウンドハーフもゴルフにつきあってくれる日本国首相。「日米同盟」というものは、昔からこんなに、上下関係のシンボルだったのか。