2017.12.29 トップはトランプ米大統領のアメリカ第一主義
2017年自己流世界10大ニュース

伊藤力司 (ジャーナリスト)

世界中でさまざまなニュースが飛び交った2017年も終わりに近づいた。新聞各紙はそれぞれ10大ニュースを発表する時節だが、ここでは自己流の尺度から世界10大ニュースを選定してみた。読者諸賢の尺度と比較して見ていただければ幸いである。

1、 米国第一主義のトランプ政権発足
2、 北朝鮮の核・ミサイル開発進み米朝危機高まる
3、 ノーベル平和賞にICAN、核兵器禁止条約採択
4、 「イスラム国」の「首都」ラッカ陥落
5、 中国共産党大会・習近平体制強化
6、 仏大統領に史上最年少のマクロン氏当選
7、 韓国の朴槿恵大統領逮捕、文在寅政権発足
8、 各地でイスラム過激派のテロ続く
9、 米欧で脱金融緩和、NY株は史上最高値圏
10、サウジアラビアで皇太子が政敵封じ込め

第1位 トランプ政権の発足 「アメリカ第一主義」を掲げるドナルド・トランプ氏が1月20日、第45代アメリカ合衆国大統領として就任。大統領選挙戦の公約に沿ってTPP(環太平洋パートナー協定)から米国の離脱を実行(1月)、気候変動抑制に関する国際協定であるパリ協定からも離脱を表明(6月)。さらに国際合意に反してエルサレムをイスラエルの首都として認定すると爆弾発表(12月)するなど、強引な「米国第一主義」の実行が世界的な反発を招いた。

第2位 北朝鮮の核・ミサイル開発で米朝危機高まる 北朝鮮「金王朝」3代目の金正恩・労働党委員長就任後6年目で核・ミサイル開発が高度化。ICBM(大陸間弾道ミサイル)級のミサイル実験に加えて水爆実験(9月)も行われた。米国は武力行使も辞さない構えで「北」に核・ミサイル開発の放棄を迫り、国連安保理を通じて対「北」制裁を強化しているが「北」の譲歩は得られず、米朝間の緊張は極度に高まった。

第3位 ノーベル平和賞にICAN、核兵器禁止条約採択 2017年ノーベル平和賞に国際反核NGOのICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が選ばれ、12月6日オスロで開かれた授賞式でカナダ在住の被爆者サーロー節子さん(85)が「核兵器は必要悪ではなく絶対悪だ」とスピーチ、感動を呼んだ。国連本部で交渉が続けられていた核兵器禁止条約は7月7日、全国連加盟国の3分の2以上の129か国が署名して採択された。核保有国や日本は不参加。

第4位 「イスラム国」の「首都」ラッカ陥落 2014年6月から狂信的武装イスラム集団が、シリア北部からイラク西部にわたる広範な地域を支配してIS(イスラム国)を名乗って地域住民を支配してきたが、イラク第2の都市モスルをイラク政府軍が奪回(6月)。イスラム国「首都」を名乗っていたシリア北部のラッカも米軍などが支援するクルド・アラブ合同部隊が制圧(10月)。世界を震撼させたIS根拠地はなくなったが、IS系のテロリストは世界各地に拡散した。

第5位 中国共産党大会・習近平体制強化 5年に一度の中国共産党大会が開かれ(10月)、習近平総書記が再任された。今回採択された党規約には「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想の指導の下共産党が全国人民を指導」と固有名詞が書き込まれ、毛沢東、鄧小平に次ぐ権威を得ようとしている。習氏が過去5年間の「トラもハエもたたく」党内反腐敗闘争で政敵粛清の権力闘争に勝ったことを示しているようだ。

第6位 仏大統領に史上最年少のマクロン氏当選 5月のフランス大統領選挙で弱冠39歳のエマニュエル・マクロン氏が、右翼国民戦線のマリーヌ・ルペン氏を大差で破って当選。続く6月の国民議会(下院)総選挙でもマクロン陣営の新党「共和国前進」が圧勝。中東・アフリカからの移民流入に反発する欧州・右翼ポピュリズムに歯止めをかけた。

第7位 韓国の朴槿恵大統領逮捕、文在寅政権発足 韓国の憲法裁判所は3月14日、朴槿恵大統領が友人に便宜を図った行為を法治主義違反として弾劾を採決。検察庁は同31日大統領を逮捕、収賄容疑も含めて起訴した。これを受けて5月に大統領選挙が行われ、革新系の文在寅氏が当選。昨年10月末から23週連続で、毎週末に続けられた反朴政権の大規模ろうそくデモが事態を動かした。

第8位 各国でイスラム過激派のテロ続く 中東でのIS(イスラム国)は壊滅したが、IS系のイスラム過激派が世界各地でテロ攻撃を頻発させた。英国マンチェスターの野外コンサート会場での自爆テロ(5月)やロンドンやバルセロナ、ニューヨークでの自動車暴走テロなど欧米のほか、トルコ、エジプト、アフガニスタン、パキスタンなどイスラム圏でも大規模テロが頻発した。

第9位 米欧で脱金融緩和、NY株は史上最高値圏 2008年のリーマン・ショックを受けて、米欧日の中央銀行が揃って展開した大規模金融緩和はようやく変化の時期を迎えつつある。アメリカの中央銀行に当たるFDR(米連邦準備制度理事会)が2015年12月に政策金利の引き上げを実行して以来、2016年と2017年を通じて慎重な利上げを継続。ECB(欧州中央銀行)は本年10月の理事会で、政策金利は今後も据え置くものの来年1月から量的緩和を縮小することを決定。日銀だけが今後も従来通りの量的緩和を続ける。NY株式のダウ平均株価は2万4000ドル台の史上最高値圏を続けている。

第10位 サウジアラビアで皇太子が政敵封じ込め 世界一の産油国サウジアラビアで、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子(32)による汚職摘発が行われ、王子、現職閣僚、閣僚経験者ら大物201人を拘束した(11月)ことが判明。イスラム教スンニ派の盟主で親米国サウジアラビアの政情は中東全域、世界の石油事情に影響する。


2017.12.28 嗚呼!こともなく第2次安倍政権5周年、どうして?
暴論珍説メモ(番外)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 一昨26日、第2次安倍政権が成立5周年を迎えたそうである。民主党(当時)の野田政権が衆院選で惨敗して自民党に政権を奪い返された、あの思い出したくもない日からなすすべもなく5年もの時間が流れたのだ。
 2009年9月16日、民主党の鳩山政権が誕生した時、それまでの第1次安倍政権から福田、麻生と続いた自民党内閣の相次ぐ閣僚の不祥事や年金問題の不始末の後だけに、長年の自民党政治はこれで終わり、2度と復活することはないだろうという甘い予測に喜んだのが、まるで別の惑星での出来事のようである。
 そもそも安倍晋三なる政治家は父親(安倍晋太郎)の地盤を継いで出てきただけのボンボン代議士だったのが、奇策好みの小泉純一郎首相(当時)に取り立てられて官房副長官から一足飛びに自民党の幹事長に指名されて、有力政治家の列に加わったものの、「できる」とか「切れる」とかの評価とは縁のない存在だった。
 そういう人物が2012年に自民党が政権党に復活した時に再び総裁の座にいて第二次内閣を組織したのには驚かされたが、それが5年も続き、いまや佐藤栄作、吉田茂に次いで戦後第3位の長期政権となり、万一、来年9月の自民党総裁選に勝てばなんと2021年までの超長期政権となる可能性があり、その場合は戦前の桂太郎内閣を抜いて、日本憲政史上の最長期政権となるという。
 なんともため息しか出ないが、なぜ安倍晋三なのだろう。
 勿論、自信のある回答は持ち合わせないのだが、結局のところ誰でもいいということではないのだろうか。これまで自民党総裁選で安倍と争った人たちを思い浮かべてみる。最初は確か谷垣貞一と麻生太郎だった。2回目は石破茂、小池百合子、石原伸晃、林芳正といった顔ぶれだったと思う。名前はなんとか思い出せても、誰がなにを主張したかは全く記憶にない。おそらく大同小異だったはずだ。
 つまり誰にもこれぞという処方箋が書けない時代なのだ。少子化で国全体の活動量が右肩下がり、世界的にもつい最近までリーマン・ショックの影を背負っている停滞の時代だった。その中で成長戦略だのなんだのと言ってみたところで、絵にかいたモチに過ぎないことは誰の目にも明らかだった。
 となると、防衛庁の防衛省への昇格、教育基本法の改定(第1次)、特定秘密保護法、安保関連法、テロ等準備罪新法(第2次)に見られる安倍の右寄り体質が、麻生副総理が喝破したように北朝鮮のこのところの緊張激化政策にも助けられて、確固たる一定量の支持を獲得し、それが「在任中5回の国政選挙に勝たせてもらった」(26日の安倍談話)という結果につながったと考えられる。
 しかし、これだけでは話が単純すぎる。安倍政権を長続きさせているもう1つの重要な要素は野党だ。
 今にして思えば、2009年の政権交代がすでにボタンの掛け違いではなかったか。あの選挙では、選挙ブローカーの小沢一郎一派を受け入れた民主党が300議席を超える大勝を博したのだが、その動力はようやく野党らしく成長したかに見えた民主党に期待をつないだ層と、あちこちで政党を作ったり壊したりしていた小沢の選挙テクニックに引きずられる層が、期せずして合体した結果発生した爆弾低気圧みたいなものではなかったか。
 そんなエネルギーだったから、たちまち雲散霧消して、後に残ったのは小沢の権力欲に民主党の首相たちが次々と振り回される自民党以上に見苦しい内紛だけであった。そこには新政権らしいまとまったビジョンがないばかりか、政党としての最低限の必要条件である綱領もなかった。
 民主党政権が政策面でわずかに人目を引いたのは「事業仕分け」と八ッ場ダムの建設中止であったが、前者は竜頭蛇尾、後者は元の木阿弥という結果に終わり、外交安保にいたっては自民党の政策をなぞるだけに終始した。
 しかもこの3年間が安倍長期政権を生む土壌を用意した。烏合の衆の野党に政権を渡してもろくなことにはならない、というのが世間の常識になってしまった。その結果が、小選挙区制度が勝敗の幅を誇大化しているにせよ、とにかく自民党の連戦連勝、その中での安倍の比較優位が長期政権へとつながって今日に至っている。
 その状況が今年は1つの極点に達した。自民党の方には変化はないが、野党が自壊した。衆院選を間近に控えて、解党して小池百合子の新党に合流して小池人気に便乗しようとした前原民進党がものの見事に空中分解した。今の日本に何が必要かを自分の頭で考えようとせず、有権者の揺れ動く好みになんとか迎合して、議員の数を揃え政権にありつきたいという民主党以来の「野党根性」がついに命脈つきたのである。
 民進党は希望の党、立憲民主党、無所属、そして選挙のなかった参議院の民進党残党と4分した。しかし、この形はとても定着しそうにないから、まだまだついたり離れたりの論議が続くことだろう。しかし、そんな議論が不毛であることに、なぜ彼らは気づかないのだろうか。
 前述したように、今は処方箋を書くのが難しい時代である。長期政権といったところで、安倍内閣の成長戦略は有名無実と化し、財政再建は遠のくばかり、働き方改革だのなんだのは言葉遊びの域をでず、それでも懲りずの教育無償化だのなんのと目先を変えることに汲々としているのが現状だ。森友、加計では安倍の友情利権の本当の姿を国民は共有した。
 それでも世界経済がようやくリーマン・ショックからの立ち直りがはっきりして、日本も形ばかりの景気拡大がつづいているのは安倍にとっては幸運の女神だ。ついている男であることは残念ながら確かだ。
 そんな安倍に野党はどう対抗するべきか。民主党時代に小沢一郎の背中に乗って政権がとれたからといって、小池百合子に乗ろうとした民進党の愚は指摘したが、それ以前に蓮舫を代表にしたのも正面からの論争を避けて、彼女の人気(があるとは思えないが)で選挙を戦おうとした同じ発想である。
 そんな小細工は捨てて、正面から現代日本に取り組むべきだ。なにを主張すべきか。
 私見を言わせてもらえば、日本に活気がないのは言うまでもなく少子高齢化で人口減少が続いているからである。人口は増える必要はないが、減少することはいろいろ弊害が出てくる。それを避けるためにはもう少し出生率を高めなければならない。それには若年層の所得を思い切って引き上げねばならない。
 今の若い人は子供を産まないのではなく、多くは産めないのである。安倍は賃上げを自分の責任でやろうとせず、経団連に頼んだりしているが、国策として若年層への分配を増やすべきである。昨年の米大統領選で民主党のサンダースがクリントン相手に善戦したことを手本とすべきである。
 次は化石燃料、原子力エネルギーから自然エネルギーへの転換を目標として明確に打ち出すべきである。どう進めるか、いつまでにどの程度まで進めるか、は議論の分かれるところだが、とにかく最低限の目標は明確にして、賛同しない人間は取り込まない決意が必要である。
 安全保障も憲法と関連して厄介である。とくに北朝鮮の挑発政策が続いている現状では、とかく強硬路線に人気が集まるのはやむを得ない。安倍政権はここぞチャンスとばかりに憲法改正・自衛隊合憲明示に向かって直進するだろう。
 野党はどうするべきか。日本は過去において、戦力と自衛力(防衛力)を分ける知恵を生み出した。この使い分けは便宜的であることは否めないが、侵略の歴史への反省と不戦の誓いを忘れないために、あくまで憲法9条は残し、予算配分をGDPの1%以内に抑えることを条件として自衛力を整備することを明示してはどうだろうか。
 すくなくともこの3点くらいは合意したうえで、ちゃんとした野党を作ってほしい。今いる顔ぶれをなるべく減らさずに、言葉の上で妥協点を探しながら、結局、まとまりのない組織となって風を求めてさまよう姿はもう見せて欲しくない。(171226)

2017.12.26 中国に傾斜するネパール
――八ヶ岳山麓から(245)――

阿部治平(もと高校教師)

ネパールの国政選挙は11月26日と12月7日に投票、12月13日現在下院選の結果がほぼ確定しました。統一共産党(UML)と共産党毛沢東主義派(マオイスト)が主導する共産系諸派同盟は、10月にできたばかりですが、116議席を獲得し、現在の第1党・親インドのネパール会議派(NCP、コングレス)の23議席に大差をつけました。すでに共産系諸派は首相候補選出に向け、協議に入ったといいます(時事2017・12・14)。
13日現在、州議会でもUMLは160、マオイストは69を確保し、コングレスは38議席しかありません。カトマンズ盆地の都市では11日早朝からすでにお祝い行事が始りました(中国新聞ネット2017・12・11)。
ちなみに、ネパールの下院は定数275名(小選挙区165名,比例代表110名。議員任期5年)、上院は定数59名(州議会議員,地方自治体首長等が選出する56名と大統領指名3名)です。また同時に行われた州議会選挙は定数550名(各州小選挙区330名,比例代表220名)です。
どういうわけか中国環球時報ネットは、わざわざ日本NHKのニュースを引用して、「ネパールの左派両党はともに中国寄りで、新年1月新政府が成立すれば中国との協力が強化され、これがインドの不満と反撃を引きおこすことは間違いない」と、この結果を伝えました。

1996年マオイストは、教師出身のP.K.ダハール(内戦時プラチャンダ)を指導者として王政反対の内戦を始めました。内戦は2006年春国王ギャネンドラ退位まで11年間続き、人口2600万のネパールで1万3000人という犠牲を出しました。しかも幼少のものを兵隊にし、拷問・虐殺の酸鼻を極めるものでした。
中国はマオイストが軍事的に優位に立つまでは、彼らが毛沢東主義を名乗るのを迷惑がったのですが、ギャネンドラ国王が打倒されて共和政が視野に入り、マオイストが権力に近づくとともにこれに急接近しました。
2008年の制憲議会選挙でマオイストが第一党になり、ダハールは首相に選出されました。彼の最初の外国訪問は中国でした。ところがダハールは武装勢力のネパール国軍への統合問題や、幹部の身びいき、その他の問題で軍上層と他党から十分な信頼をえられず政局は混乱し、マオイスト支持者は急減しました。
国会は当初4年の議員任期を大幅に延長して、ようやく2015年9月正式に新憲法が公布でき、ネパールは7つの州をもつ連邦民主共和国となりました。今回の選挙は新憲法下初の国政選挙でした。

ネパール国政選挙をめぐる中印のせめぎ合いは、中国に軍配が上がりました。この影響をもろに受けて、境遇が一段と惨めになる民族があります。チベット難民です。
ダハールは首相のとき、「ネパールは中国の国家主権、国民統一と領域統合への努力を強く支持し、いかなる勢力にもネパールの領内を反中国活動や分離運動のために利用させることはない」と、中国が敵視するチベット難民を取締る意志を明瞭にしました。
ネパールにはカトマンズを中心に、1958~59年チベット叛乱の際の2万人近い難民と、文化大革命後ネパールに逃れた数千人がいます。文化人類学者別所裕介氏によれば、2008年以後マオイスト政権は、中国の意向を受けて複数のチベット人が集まる集会・言論活動の禁止、難民認定証の発給停止、亡命政府首相選挙の妨害、仏教法会の停止という形で亡命チベット人の動きを厳しく管理しました。
2013年、抑圧に耐えかねたチベット人がボドナート仏塔で「焼身抗議」をしました。「焼身抗議」は元来は中国チベット人地域にかぎられていたものです(『体制転換期ネパールにおける包摂の諸相』中の別所論文)。
さらにいうと、中国は2010年以来、ネパール内務省宛年間147万ドルの「治安維持」名目の資金を供与し、この3月ダハールが訪中した際にも地方選挙に資金援助を約束しています。文字通りの内政干渉ですね。

ところで、インドのモディ政権は、ネパールで親中国派が台頭するのを黙って見ていたわけではありません。インドはカトマンズ・ニューデリー間バス便の開設に加え,国境付近の鉄道網の拡充計画、カトマンズとバナラシ,ルンビニとブッダガヤ,ジャナクプルとアヨダヤなどインド・ネパール間の友好都市関係の緊密化と交通インフラの改善などの計画を提示し、さらにインド人のネパール旅行を勧奨し、政府職員がネパール旅行をするときには休暇とチケット代を支給するということまでいいだしました。
このたびの総選挙直前の11月中旬, コングレスのデウバ首相は、モディ首相の意を受けたのか、中国国有企業に請負わせる予定だったブディガンダキ水力発電所建設・発電事業をネパール電力公社に担当させると発表しました。この計画はマオイスト主導で進めていたもので、1200メガワットというネパール最大級の発電事業で、すでに中国とは計画の覚書に署名していたものです。
その一方でデウバ首相はインド企業が中心となっているアルン3・上カルナリ水力発電事業の方は,そのまま予定通り推進すると決めました。もちろん中国は激しく怒りました。

習近平主席の「一帯一路」構想でも、ネパールを陸のシルクロードの一部と位置付けた「環ヒマラヤ経済経済協力帯」構想を発表しています。キーロン・シャブルベシ道路の開通とチベット鉄道のシガツェへの延伸が2014年に完成したことを背景に、ダム(樟木)・キーロン(吉隆)・プラン(普蘭)の三つの伝統的な交易地点を拠点として、ヒマラヤを越える国境貿易・ツーリズム・チベット薬・農牧業・文化産業を発展させる構想です。
中国の開発攻勢はいまのところ、自動車道路など物流関係のインフラ建設と観光開発です。ヒマラヤを南北に貫通するムスタン(二チェン峠やサンクワサバ(キマタンカ峠)、タブレジュン(オランチュンゴラ峠)に物流道路を完成させる。またシガツェに届いたチベット鉄道をキーロンまで延伸し、ネパールのタトパニとラスワディにつなげるドライポート建設、ポカラとルンビニの飛行場と四つの水力発電所建設を計画しています。
すでにチベットとむすぶタトパニ・カトマンズ間のコダリ道路は、大型輸送トラックで過密状態になっています。新ルートが完成すれば、中国からの消費物資がどっと流れ込み、ネパールの貿易構造に変化が生まれる可能性があります。
すでに中国人のネパール観光は急増していますが、中国の援助によるルンビニ観光開発は、最終的には、ラサからの鉄道、国際空港、115メートルという巨大な仏像、五つ星ホテル、国際仏教大学の建設をめざしています。

このたびの選挙で、親インドのコングレスが惨敗したのは、インドのモディ首相のネパールに対する覇権主義的ふるまいによるものが大きいと思います。
従来ネパールは輸出入の60~70%をインドに頼ってきました。ところが、15年9月から約半年、インド国境沿いに住む(ネパール人口の半分近い)ヒンズー系マデシ人の一部によってインド・ネパール国境が閉鎖され、消費物資の輸入がとまる騒ぎがありました。新憲法による新たな州区画がマデシ人にとって不利になると判断したためです。このためカトマンズでも長期間燃料や食材が不足しました。ところがモディ首相はマデシ人の行動を容認したうえ、なおネパールに新憲法の改正を要求したのです。
これがネパール大衆の反インド感情を燃え上がらせました。匹夫もその志を奪うべからずというところでしょう。
というわけで、このたびはネパール民族主義の矛先はインドに向かいましたが、中国もやり過ぎると、ネパール人の反発を買う時が来るかもしれません。

2017.12.23 圧倒的支持をえた独立への苦難の戦い続く
―クルドとカタルーニャ、歴史的住民投票その後

坂井定雄(龍谷大学名誉教授)

2017年も、世界中で現在と将来にかかわる重要な、歴史に残る出来事が発生した。この秋、イラクのクルド自治区と、スペインのカタルーニャ自治州では、民族国家独立を目指す歴史的な住民投票が民主的に実施され、どちらも圧倒的多数の賛成で可決されたが、中央政府は独立への交渉を全面拒否、軍、警察力も動員して、独立運動の進展に立ちはだかった。どちらも自治区、自治州として維持されたまま、中央政府とのきびしいせめぎあいが続いている。
スペインでは、ラホイ首相以下の中央政府がカタル―ニャ独立に真っ向から反対、国家反逆罪でカタル―ニャ州のプッチダモン首相以下を追求し始めたため、プッチダモン首相はベルギーに脱出。さらにラホイ首相は、独立支持が多数の州議会を解散、12月21日に州議会選挙を実施した。ラホイ首相は、独立への住民投票は反対派の住民が多く棄権したため圧倒的に支持されたとの判断があった。しかし州議会選挙の結果は、州議会135議席のうち、独立派の3政党が70議席を獲得、僅差とはいえ、独立反対派が敗北した。独立派は大いに活気づいたが、ラホイ首相以下、中央政府のカタル―ニア独立反対は強固で、全国的には国民世論の多数に支持されている。
ここでは、クルド自治区その後について書こう。
再録になるが、9月25日行われたイラク・クルド自治区の国家独立の可否を問う投票は、自治区と実効支配下のキルクーク、ドイツなどの海外在住クルド人が参加。有権者4,581,255人、投票率約72.2%、賛成92.7%だった。独立投票を推進したバルザーニ大統領(自治政府議長)は、イラク政府に独立への交渉を呼びかけ、独立宣言を急がず、交渉期間を2年間と設定した。しかし、イラク政府のアバディ首相は住民投票の撤回を求めて交渉を拒否。10月15日、政府軍とシーア派民兵軍団を動員して、2014年以来クルド自治政府が実効支配している、大油田地帯のキルクークへの攻撃を開始した。これに対して、クルド側はほとんど無抵抗に、強力な準軍隊ペシュメルガを自治区に撤退させ、政府軍との戦闘拡大を避けた。バルザーニ大統領も自治政府も、政府軍との戦闘拡大を避けた理由を説明していないが、もし本格的に抵抗していれば、多数の住民が犠牲になり、自治区全体が残酷な破壊を被る内戦になることを予測していたに違いない。
10月30日、バルザーニ大統領は、同日で終了する任期を延長することなく退任、後任の大統領選挙を予定することなく、いとこのネチルバン・バルザーニ首相に国家の最高権力者を引き継いだ。「イスラム国(IS)」との戦いと難民保護で国際社会の支持を集めて自信を強め、一生の念願である独立への住民投票を果たし、予想通り圧倒的な支持をえて、イラク政府との交渉でクルド国家独立の実現を目指したバルザーニ大統領は、イラク政府とくにアバディ首相への期待を過大にかけたのだろうか。それとも、住民投票での歴史的な独立支持の記憶を未来に残すことだけでも、願っていたのだろうか。
しかし、アバディ首相とイラク政府はバルザーニ大統領とクルド人に対して、冷酷に対応した。キルクークの支配を回復、続いて自治区内の国際空港2か所を閉鎖した。陸地に囲まれた自治区では、人間の出入国と物流が担っている役割は大きい。最も重要な区都のアルビル空港だけで、1日に50~60便が発着、5千~5千5百人が出入国、物流は毎月2,500トンに達していた。
クルド自治区にとって、最大の財政的打撃は、キルクークからクルド自治区経由トルコのジェイハン港に至り輸出されるキルクーク原油の収入が失われたことだ。その結果、自治政府当局者がクルド系通信社に明らかにした数字では、自治区から輸出される原油は、10月以前は日量70万バレルだったが、現在は25万バレルに減少し、政府の収入は月額で5億6千5百万ドルから3億3千7百万ドルに減少したという。
さらに約120万人とされる自治区の公務員の給与支払いが、大きな困難になりつつある。その給与総額は月額7億7千2百万ドルで、一部をイラク政府が負担している。その負担額の支払いをイラク政府が無期限停止したのだ。かねてからイラク政府は、自治政府が公務員数を水増ししていると主張していた。今回停止した理由もそれだった。
クルド自治区政府は、目下来年の予算を編成中だが、公務員給与を33%減額せざるを得ないとみられている。
このような政治・経済状況の中、反政府少数野党の指導下で、反政府デモが一部に広がり、少数ながら死傷者も出ている。
その一方で、自治政府を支持するクルド民族主義の活動も活発だ。12月17日は、国が定めた「国旗の日」。赤、白、緑の三色旗が首都を見下ろす丘の上に多数ひらめき、若者たちが巨大な国旗を掲げて、行進した。
12月1日にクルド自治政府の最高指導者になったネチルバン・バルザーニ首相は、クルド人移民が多いドイツを最初に外国訪問。18日ベルリンで、メルケル首相と会談した。メルケル首相は「イラクの枠内での、クルド自治区の憲法上の権利をドイツは支持する」と表明。バルザーニ首相は「われわれはイラク政府との会談を望んでいる。独立についての国民投票が憲法に反し、無効だとした、連邦裁判所の判断を尊重する。イラク憲法は国家の分離は憲法に反する、としている」と述べたという。
いまは「前」となったバルザーニ大統領の国家独立への熱情とそれを支持した大多数のクルド人の願いは、いまは叶わぬ苦難の戦いを歴史に刻んでいくだろう。

2017.12.22 これほどの強制立ち退きとは―北京火災現場のその後
新・管見中国(34)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 今月16日の本欄に私は「人権に国情ありや!南南人権論壇の茶番」(新・管見中国33)という一文を載せ、その中で先月18日に北京で違法建築アパートから出た火災の火元周辺が市当局によって取り壊され、住民が強制退去させられた事件に触れたが、その後、北京を短期間訪れる機会があり、実際を見ることができたので、それを報告したい。
 現場は北京市大興区新建村。市内の中心部から車で小一時間ほど南へ走ったあたりで(正確なキロ数は分からなかった)、名前が示すようにいかにも最近、人が集まってきた場所という印象の土地で、そこここに服飾関係の工場が目についた。火元を目指して進むと道路わきに延々と青いトタンの塀が現れた。それの切れ目から中を覗いてみてあっと驚いた。
 塀の内側全部の建物が取り壊され、瓦礫がそのまま積み上げられていた。取り壊し・強制立ち退きといっても、私は火元の周り数10メートルからせいぜい100メートル四方くらい(それでも相当な広さだが)と予想していたのだが、なんと塀で囲まれた地域は何本もの道路を呑み込んで、反対側の塀は見えなかったから、少なくとも1キロ四方くらいはある広大なものであった。
 塀に沿って進みながら、切れ目から中を覗いていくと、民家のほかに工場あり、商店街あり、学校あり、幼稚園あり・・・、なのだが、見たところ、ちょっとがっちりした建物は窓や入口、室内は壊されていても骨組みはそのままというのが多い。瓦礫の山といっても見通しは悪く、それだけになんとも生々しく、そこここから壊されるところを見ていた住民たちの悲鳴や怨念が立ち上ってくるような、息苦しい光景が続く。
 なぜこんなことになったのか。報道によれば、先月18日の火事の後、北京市のトップ、蔡奇・共産党北京市委書記から違法建築に対する「大調査、大整頓、大整理」という号令が発せられ、住民は数日のうちに立ち退くよう命じられたという。
 確かに違法建築が野放図に増え、火事となれば多くの犠牲者が出るのを放っておくことはできないだろうが、それなら号令が言うように「大調査」をまず実行して、違法建築を見つけ次第、改善させるなり、だめなら壊せばいい。違法建築のほとんどは建物の地下に避難路の不十分な多くの小部屋を作って、出稼ぎ労働者などに安価で貸すということだから、しらみつぶしに調べるほうが、地区まるごとを廃墟にするよりよほどコストもかからず、住みかを追われる人間の数も比較にならないほど少ないはずだ。
 にもかかわらず、こんな強硬手段に出たのには、それなりの理由があるはずだ。思い当たるのは、きっかけになった火事の発生時期だ。習近平が総書記に再選されて「習近平新時代」の到来と国中が「喜びに湧いた!」共産党第19回大会が終わってまだ1か月も経たないうちに、首都の北京で、貧しい出稼ぎ労働者、地下の違法住居、焼死者多数・・・というウソ寒い現実を突きつけられて、習近平自身が激怒したのではないか。
 北京のトップ・蔡奇は習近平の学友として知られ、大学人から最近急に抜擢されて政治の世界へ入り、あれよあれよという間に今の地位についた人間だ。習近平も怒りをぶつけやすかったろうし、蔡奇のほうはなんとか汚名を挽回せねばと焦ったであろう。禍を転じて福となすとばかりに、ほとんど街(村だが)全体を新しく作り直すという藪から棒の大計画がそこから出てきたのではあるまいか。違法建築とは関係ない何万人という住民は降って沸いた立ち退き命令にさぞ驚愕したことであろう。
 それにしても、突然、立ち退きを命じられた人々はどこへどのように収まったのだろうか。補償はあるのか。あるという話だが、あんなに慌ただしく、しかも大量の取り壊し、立ち退きの後始末がスピーディにきちんと行われるものだろうか。
 青い塀沿いの道を走っている時、目の前の車が塀に寄って止まったと思ったら、まず女性2人が降りてきて、大きな荷物を抱えて反対側の路地に走りこんでいった。次に運転席の男性が飛び出して、明らかに布団袋と思われる大きな布包みを担いで、2人を追って路地へ駈け込んでいった。なんだろうと、こちらも飛び降りて彼らの姿を目で追ったが、あっという間にそれは建物の影に消えた。
 その時、気が付いたのだが塀の外の住宅地もすでに住人は立ち退かされて、すべて空き家となっていたのだった。そこへ飛び込んで行った3人はおそらく自宅を追われ、どこかへ身を寄せたものの、やはり居心地が悪く、とりあえず身の回りの物を持って家に戻ってきたものであろう。お上の目を盗んで自宅に入っても、この寒空におそらく電気も水も止まっている家でどうして暮らすのか、他人事にしても考えると目の前が暗くなる。
 ところで、冬の北京の名物(と言っては不謹慎だが)はPM2.5に汚染された空気のはずである。ところがこの15日から18日までの4日間はすくなくとも北京は青空だった。不思議に思って知人に聞いてみると、習近平はことのほか空の色を気にするそうで、しきりと燃料を石炭から天然ガスに切り替えるよう関係部局の尻を叩いているのだそうである。その結果、天然ガスが来ないうちに石炭の使用をやめた学校で子供たちが寒さにふるえて、そこでやむなく外の日向に机を持ち出して授業をしているといった話が伝わっていた。
 これらの話を通じて見えて来ることは、習近平という人は現代風の行政組織を通じて合理的に国を運営するというより、昔の皇帝のように、可能性や合理性を無視して、自分の見たくない現実を目の届かないところに押しのけ、見たい夢を無理にでも実行させる、といったタイプの権力者のようである。
 そういえば、彼の発する政治的号令は二言目には「党に従え」である。「党に従え」の「党」とはその核心である習近平その人にほかならない。毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦涛と続いてきた中国共産党治下の中国では、5人目の権力者にいたって清朝以来の皇帝が降臨して来たのであろうか。                       (171221)
2017.12.19 5年ぶり職場復帰⇒社長就任MBC、ストライキ100日目KBS
韓国通信NO542

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

韓国の二つの公共放送(KBS、MBC)では、管理者を含む労働者たちが「放送の公正・公平」を主張して壮絶な闘いを繰り広げてきた。わが国でそのような運動は聞いたことがない。韓国社会が遅れているのか日本が進んでいるのかは読者におまかせしたい。
なかでもMBC労組は2012年に170日間にわるストライキを決行し、44名が解雇・停職処分となった。「解雇無効」の判決が出ても会社側は控訴、労使の対立は泥沼化した。同様にKBSも部長クラスのほとんどの職員が「役職を返上」、労働組合とともにも社長の退陣を求め9月からストライキを継続中だ。
両組合の運動に新たな動きが生まれている。MBCの経営刷新の動きだ。

<面接試験で選ばれた社長>
ストライキ71日目、MBCの社長が突然解任され、後任に2012年のストライキで解雇されたチェ・スンホ氏(55)が就任した。新社長のチェ・スンホン氏はMBCの看板報道番組「PD手帖」のプロデューサーであり、ほかにも社会性のあるドキュメンタリーを手がけた人物として知られる。組合の委員長を歴任、ストライキ中に解雇された。解雇後はオンライン調査専門メディア「打破」で活躍、李・朴両大統領の放送掌握をテーマにした映画『共犯者たち』の監督をつとめるなど、放送の正常化に取り組んだことでも知られている。解雇闘争を闘い1997日ぶりの解雇撤回と同時に「社長」として職場復帰した。
 社長になった経緯が興味深い。 MBCの経営権を持つ大株主、放送文化振興会(放文振)が実施した面接試験(12月7日)で他のライバルに競り勝ち「合格」して社長になった。
報道の民主化の先頭に立ち、能力に溢れた人材であることは誰もが認めていたが、経営のトップに躍り出たことに韓国でも一様に驚いたようだ。驚くのはそればかりではない。それまで社長選出が密室で行われていたのを改め、「透明性」を高めるために、候補者たちは視聴者と社員の前で政策発表をし、面接審査の過程はホームページ、
チェ候補は説明会で過去の腐敗と権限乱用などを集中的に調査、徹底した責任を追及すると約束。今後の抱負として、ニュース部門では「機械的中立性の影に隠れない、分析と批判を入れたニュース」「デパート式ニュースの脱却」「調査報道の復活」「10年後に見るに値するドキュメンタリーの作成」などを公約にあげた。
 初出勤した今月8日、新社長は労働組合との共同宣言文を発表。解雇者6人は即時復職した。復職した記者の一人は「覚めたくない夢」と喜びを語った。
 大株主の放送文化振興会はこれまで政権の意を汲んで天下り社長を選んできたが、公営放送としての国民の期待に応えるために経営の刷新を断行した。社長となったチェ・スンホ氏は「MBCを再建して公的責任を正しく遂行する公営放送を取り戻すために全力を尽くしたい」と語った。
 一方、闘争継続中のKBSでも理事長、社長の退陣はもはや時間の問題となっている。李明博元大統領の公共放送乗っ取りと情報操作の実態が明らかになりつつあるからだ。

<テレビを買ったら受信料を払え>
わが国の公共放送NHKの話題は、もっぱら受信料制度が合憲かどうかで争われた最高裁判決(6日)であろう。憲法が保障する「契約の自由」は認められず800万所帯とも1000万所帯ともいわれる受信料不払い者は「契約の自由」を理由に支払いを拒めなくなった。
受信料の問題はともかくとして、放送の公正さという点で、NHKが「テレビを買ったら受信料を払え」と胸を張って主張できるのか大いに疑問だ。
NHKの中立性でまず思いだすのはETV2001「問われる戦時性暴力」での番組改変事件がある。安倍晋三(当時官房副長官)ら右派政治家が従軍慰安婦問題でNHKにねじこんで改ざんを迫った。NHKがこれほど権力に弱いとは信じがたいことだった。極めつけは首相のオトモダチ籾井が会長に就任すると「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」と発言し、あからさまな政府の広報機関宣言をしてしまったことだ。受信料を払わせることにエネルギーを費やしても「公正・公平」な報道に努力を傾けているとはとても思えない。政府が知られたくないものは知らせない。政府が伝えたいものは忠実に伝える。ニュース番組の順番、時間のどれをとっても政府に「忖度」しているように見える。李明博元大統領が強く望んだことは「政府の批判」をさせないことだった。批判をする番組は「偏向」していると攻撃し、スタッフを左遷させた。
MBCの新社長が語った抱負―機械的中立性の影に隠れない、分析と批判を入れたニュース――デパート式ニュースからの脱却―は、わがMHKに捧げたい言葉でもある。今回の最高裁判決で一番欠けていたのは「契約の自由」という法律問題ではなく、「報道の公正」が問われるべきだった。国営、官営放送局に受信料を支払う義務が国民にあるのかどうか。

<東海第二原発は廃炉に>
茨城県東海村から直線距離87キロmにある我孫子市の市民として東海第二原発廃炉を求める請願行動を準備中だ。請願文書の作成、署名用紙を準備して市会議員と打ち合わせをした。危険だから寿命を40年にして廃炉と決めたはずだが、20年延長して使わせろという住民無視の「ムシ」のいい話は絶対に認められない。手作りのチラシを作って千人くらいの署名は集めたいと仲間と話した。市議会で意見書が承認されると政府、原子力規制委員会、茨城県に送られる。
栃木県益子町議会では住民たちの請願で既に意見書が採択された。
稼働したばかりの愛媛県の伊方原発3号機の稼働差し止めの仮処分決定が広島高裁であった。またひとつ希望が見えてきた。

2017.12.16 人権に国情ありや! 南南人権論壇の茶番
新・管見中国(33)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 去る7日、北京で第一回「南南人権論壇」なる国際会議が開かれた。まず「南南」とは何なんだ?と思われるだろうが、よく発展途上国と先進国との関係を「南北関係」というところからの造語(多分)で、途上国どうしを意味する。つまり途上国だけが集まって人権について話し合おうという会議である。
 それにしても中国が人権について国際会議を主催するというのは、前回触れた「トイレ革命」同様、やや意表を突く。なぜなら中国はこれまで「人権」という言葉自体にある種アレルギーを持っていたようだからである。西側(という言い方も古いが)からは中国の人権状況はともすれば批判の対象となった。
 今ではなくなった(はずだ)が、かつては当局から睨まれた人間は正式の裁判を経ずに無産階級独裁の名のもとに辺地の収容所に送られて、労働に従事(労働改造)させられもしたし、今でも民衆の言論表現の自由は大きく制限されている。一昨2015年7月9日には全国で200人を超える弁護士や人権活動家が一斉に逮捕された(709事件)。そのうちのかなりの人々はまだ釈放されていない。これらは西側の感覚では大きな人権侵害である。
 その中国が人権についての国際会議を開いたのである。8日付け『人民日報』によれば、この論壇(フォーラム)は国務院(内閣)の新聞弁公室(報道担当室)と外交部との共催で70を超える国と国際組織の代表、学者ら300人以上が出席したとのことであるが、第一回というのに、その趣旨とか開催に至る経過などについては何の説明もない。
 ただ習近平総書記が祝辞を寄せており、それがこのニュースの目玉である。
 その祝辞の内容―「中国共産党と中国政府は人民を中心とする発展の思想を堅持し、常に人民の利益を最上位に置き、人民のよりよい生活に対する熱望を戦闘目標とし、中国人民の各種の基本的権利のレベルを絶え間なく向上させ、尊重してきた。・・・
現在、世界の人口の80%以上は発展途上国が占めている。地球的な人権事業の発展は途上国の共同努力と切り離せない。人権事業は各国の国情と人民の必要に依拠することによってのみ推進することができる。発展途上国は人権の普遍性と特殊性を結合する原則を堅持して、不断に人権保障のレベルを高めるべきでる」(傍点引用者)
 至極もっともらしい言葉が並んでいるごとくであるが、注意深く読むと、「各国の国情」、「人権の普遍性と特殊性」といった見過ごせない単語がひそんでいる。実質は、人権の旗を掲げて、人権を守れという圧力をはね返そうという呼びかけである。
 しかし、これはきわめて危険な思想である。人権には国の事情によって区別があり、各国の人権には他国と共通する部分もあるが、各国独自の基準もあるということは、つまり「人権にも国籍がある」と言いたいのだ。
 この考え方は「国情」を理由に他国からの干渉をはねつける武器にもなるし、時によっては他国の人権に「特殊性」を理由に差別を課すことも可能になる。それはまた人種差別、外国人差別にもつながりかねない。
 「習近平新時代」の中国は何事につけても、他国の批判には耳を貸さず、自国流を押し通す傾向が顕著になってきた。世界2位のGDP大国たることをもって批判をはね返す権利が生じたとでも思っているふしがある。そしてそれが政権の威信を輝かせるとでも思っているらしい。
 北京では去る11月18日、市南部の出稼ぎ労働者が多く暮らす街で、違法集合住宅から火災が起こり、子供を含む19人の死者を出した。これに対して、市当局は有無を言わさずに違法建築取り壊しに乗り出し、多くの市民がこの寒空に街頭に放り出された。代替の宿泊施設を用意せずにいきなり取り壊しというのも、中國の「国情」により許されるということか。違法建築を消しされば問題は解決するという党官僚らしい発想である。
 ここまでで十分衝撃的なニュースであったが、続報でさらに驚かされた。12月9日の『毎日』によれば、路頭に迷った住民のために、市民のボランティアが空き室を提供したりなどの支援に乗り出したが、その情報サイトが市当局によって閉鎖されたというのである。その理由について、同紙は「(共産)党の枠外で、住民の権利を守る活動を許せば、一党独裁体制を脅かす芽となりかねないからだ」と書いている。その通りであろう。
 これによって一党支配体制は盤石となるのか、はたまた「盤弱」に向かうのか。中国の「国情」はどちらの答えを出すのだろうか。(171212)

2017.12.14 ミャンマーを手中におさめようとする中国
――八ヶ岳山麓から(244)――

阿部治平(もと高校教師)

この秋、ミャンマー・ラカイン州をおもな居住区とする20万とか50万というロヒンギャ人が、同じムスリムの隣国バングラデシュに逃れました。もともと130万くらいしかない民族だから、国連は前例のない規模の危機、民族浄化だとして、アウンサンスーチー女史率いる政府の対応の遅れを非難し、ローマ法王までミャンマーを訪問して保護を訴えました。
スーチー女史は記者会見でその責任を問われると、「私は政治家です」と一見とぼけた答えをしました。「スーチー女史は軍の残虐行為を知らされていない」という事情通もいますが、私はそうは思いません。スーチー女史は「私は軍人ではない」といったのです。ミャンマー軍政期の2008年につくられた現行憲法では、ミャンマー軍は特権が保証されていて、文民政権は軍を統制できません。
では、なぜこんにちミャンマー軍はロヒンギャ迫害に乗り出したか。
まず国籍と自治を求めて戦うロヒンギャ・ゲリラの存在があります。ミャンマー軍は、警察襲撃への報復として、ゲリラの温床であるロヒンギャの村を焼き払って、ラカイン州の治安安定を図ったのです。

ここで忘れてはならないのは中国の存在です。中国は国際世論に反して、ロヒンギャ問題はミャンマーの「国内問題」であり、内政に干渉すべきではないという理由で、ミャンマー軍の非行を非難しませんでした。
ミャンマーで1988年に軍による再クーデターがおきたときも、欧米諸国は経済制裁に踏切りましたが、中国はむしろ軍政に接近して政治経済上の「貸し」を作り、今日までミャンマーに対して強い影響力を維持してきました。

ベンガル湾に臨むラカイン州には石油・ガス開発のためにインドや韓国の資本も進出していますが、中国は港湾都市チャウピューを起点にミャンマー内陸を縦断し、昆明から重慶に至る石油・天然ガスのパイプラインを建設しました。これは去年1月から稼働し、中国西南開発のための重要なエネルギー供給路となっています
2015年には中国中信集団(CITIC)などの財団とタイの財閥との合同企業がチャウピューに約1000ヘクタールの工業団地やミャンマー最大の港湾施設を整備する利権を獲得しました(日経ネット2016・01・04)。
というわけで、ラカイン州の治安は「一帯一路」構想実現の上で、中国にとって「核心的利益」にほかなりません。
(地図をご覧になりたい方は、http://blog.knak.jp/2013/05/post-1256.htmlを参照してください)。

このほかにも、中国にとって重要なのは、少数民族地区を通る石油・ガスパイプライン沿線の治安問題、イラワディ川上流の支流合流地点、カチン族聖地の「ミッソン・ダム」建設の再開問題です。そしてさらに大きいのは東北部中緬国境の少数民族問題です。
ミャンマー人口の3分の1近くが少数民族です。中国雲南省との接壌地帯には国境をはさんで同じ民族が住み、ミャンマー側にはカチン、シャン、カヤ、カレンなど少数民族主体の行政区があり、そのなかにまた民族特区があります。ここには高度自治あるいは独立をめざす武装集団が複数存在しています。
中国の文化大革命時代、ミャンマー軍事政権は文革支持の華僑を弾圧しました。それをゆさぶるために、中国は少数民族ゲリラに武器や人員を援助しました。現在民族特区の指導者のかなりの部分は、文革期に武装ゲリラに参加した元紅衛兵の漢人です。
中国は現在これら漢人幹部を通して少数民族集団の間に強い影響力を維持しています。現にスーチー女史がはじめて中国を訪問したときは、ゲリラの活動が一時停止したほどです。またコーカン(果敢)地域住民は漢人そのもので、コーカン自治政府はネット上に漢語のホームページをもっています(本ブログ「八ヶ岳山麓から(196)」)。

ロヒンギャ問題が国際的に露出する以前の話ですが、2016年11月に中国は、人民日報傘下の環球時報の論文を通して大略こんな主張をしました。
――ミャンマー軍と中緬国境の武装集団との戦争が再発した。去年の戦争では大量の難民を生んだが、殷鑑遠からず、今回もまた数千のミャンマー民衆が雲南に避難してきた。武装集団は無謀にも木姐、105号埠頭など中国・ミャンマー貿易の重要河港と中緬貿易の大動脈を襲撃した。
さらに武装集団は中国が投資したミッソン・ダム開発計画に厄介な問題を持ち込み、建設を妨害している。武装集団のなかには、あつかましくも中国領内の同族に越境参戦をよびかけ、わが領内で非合法に武装を補充している。こうしたやり口は極悪非道であり、中国は絶対に容認しない。
ミャンマー北部の混乱は中国の国益に損害を与えるばかりでなく、中国の国家イメージを悪化させた。この地域の戦争は現在中国が推進している、中国・インド・バングラ経済回廊と「一帯一路」の形成にとって大きな障碍になっている。

スーチー政権は軍政以来の中国の影響力を削ぎたいし、その介入を避けるためにも内戦は早々に終結したい。そこで少数民族ゲリラとの和平交渉を何度も試みたのですが、どうしても事態を収拾できません。
ところが中国はこの環球時報論文を通して、「ミャンマー各勢力は和平交渉の席に着け」と呼びかけました。ミャンマー軍にも「なにがなんでも少数民族武装集団を制圧するのはやめて、スーチー政権ともっと協調すべきだ」といい、とりわけ武装集団には「敗勢の者がわが国に援助を求めているが、今後中国をあてにしてはならない」として関係切断をする意向を示しました。
従来中国はジンバブエやチリなどの専制国家に対しては、「主権尊重」「内政不干渉」の原則をタテに、これら政府を国際的非難からかばって、その資源開発を援助してきました。
ところが最近のミャンマー内戦に対しては、「中国は富強である(原文は『実力雄厚』)。しかもミャンマー内戦の各勢力と密接な関係にあり、その政策決定に影響を与える力がある。中国は敢えて問題を引受ける」といい始めました。内戦が中国にとってマイナスにしか働かなくなったので、ミャンマー各勢力が自力で和平を実現できなければ、中国が介入するぞと露骨な脅しに出たのです(以上、環球時報2016・11・24)。
しかし、いまだ戦火は止みません。国際世論の手前表立った介入を控えているかもしれません。

リーマンショックを機に、中共指導層はアメリカの凋落を確信しました。その後の不景気を何とかしようと、西欧諸国の首脳が中国詣でをしたので、さらにその思いを強くしたことでしょう。
大清帝国は乾隆帝のとき、ビルマに侵入してコンバウン朝を朝貢国としましたが、今日「実力雄厚」の中国がミャンマーの内政に介入するとすれば、中緬関係はほとんど日米関係に近い、中国を目上とする支配従属関係になるでしょう。
安倍首相はこの6月5日、東京都内の国際交流会議で、中国の「一帯一路」構想に、「条件が揃えば日本も協力していきたい」と述べました。中国政府は陰ではともかく公式には歓迎し、ネット世論は嘲笑しています。後れを取った日本を尻目に、中央アジア・ASEAN諸国をくみこんだ中国の「一帯一路」経済圏構築は、ミャンマーに関する限り極めて着実に進んでいます。

2017.12.09 習近平新時代・幕開けの将軍の死―張陽自殺の謎
新・管見中国(32)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 日本もなぜかいつまでも「安倍一強」だが、中国は文字通り「習近平一強」時代である。なにしろ「習近平新時代の中国の特色を持つ社会主義思想」なるものが、先ごろの党大会で党の指導思想として中国共産党規約に書き込まれたほどである。
 こんなふうに名前つきで考え方が規約に書き込まれているのは毛沢東と鄧小平だけだから、習近平は大先輩2人とならぶ指導者として公認されたことになる。もっとも毛沢東は革命闘争の指導者であり、階級闘争路線の守護神、一方の鄧小平は一転して「金儲け大いに結構」という改革開放政策の提唱者・指導者と、先輩2人は逆方向をむいていたのだが、でも2人はそれぞれ思想の中身が明快であったのに対し、「習・・・・思想」は前世紀以来の屈辱の歴史を清算して「社会主義現代化強国」をつくりたいというだけである。それはどういう国で、どのように実現するかの道筋はさっぱり見えないのだが、そんなことはどうでもいいとばかりに中國のメディアはすでに「新時代」が始まったような浮かれぶりである。
 そこへ習近平総書記の「新時代の指令第1号」とでもいうべきものが伝えられた。なんと「トイレ革命を推進せよ」というのである。これには思わずうなった。初球にこんな変化球を投げてくるとは、「おぬしなかなかやるな!」である。
 総じて中国のトイレはそうきれいとは言えない。地方は特にそうである。随分昔のことになるが、河南省に毛沢東思想で村民を教育し、経営に好成績を上げていると評判だった村を訪ねたことがある。びっくりしたことに、村の入り口にタイル張りの大きなピカピカの公衆トイレがあった。訪れる人にそれだけで十分この村の「快適生活」を感じさせた。
 国民の頭の中に1つずつきれいなトイレを思い描かせて、求心力を高めるソフト路線は、「トラもハエも叩く」とまなじりを決して腐敗退治の号令を発した5年前とは一味も二味も違ったニュー習近平の登場かと思わせた。
 ところがそんなムードにたちまち冷水が浴びせられた。11月28日の新華社電が昨年新設された中央軍事委員会政治工作部の主任というポストにいた張陽という上将(軍の最高位)が、11月23日に自宅で首をつって自殺したと報じたのである。
 張陽は1951年生まれ、軍内のイデオロギー畑を歩み、2012年、61歳で当時の総政治部主任というポストに上り詰め、中央軍事委員会委員に就任した。総政治部というのは、総参謀部、総後勤部、総装備部とともに軍の「4総部」の1つで軍の思想面の総元締めである。そしてその主任は共産党総書記・国家主席を主席とする党と国家の中央軍事委員会の委員に名を連ねる高官である。
 習近平は2015年9月の抗日戦争勝利70周年を記念する軍事パレードを閲兵した際、軍の30万人削減計画と機構改革を明らかにし、その後、組織の再編、人事の異動が進められたが、張陽は昨年、総政治部が衣替えした新設の中央軍事委員会政治工作部の初代主任に横すべりして、その地位を保った。
 張陽の死を伝えた11月28日の新華社電(要旨)――8月28日、中央軍事委員会は張陽に対する「組織談話」(カッコは引用者)を行い、郭伯雄、徐才厚らに関連する諸問題についての調査の事実確認を行うことを決定した。その結果、張陽は規律、法令に大きく違反し、贈収賄や由来不明の巨額の資産を有する犯罪が確認された。「組織談話」を受けている期間、張陽はずっと在宅であったが、11月23日、自宅において縊死した。
 「組織談話」とは耳慣れない言葉だが、規律検査委員会の取り調べの一段階で組織として事情を聞くことと思われるが、その結果、犯罪事実が確認されたということは、談話とはいえ、実体は取り調べである。
 郭伯雄、徐才厚は習近平が反腐敗で叩いた大トラ2匹で、2人とも中央軍事委員会の副主席という軍制服組のトップに君臨していた人物。しかし、郭伯雄は昨年7月25日、収賄罪などで無期懲役の判決を受けて服役中。徐才厚はそれより先、2014年にやはり収賄などで規律検査委に摘発されたが、刑が確定する前の2015年3月、膀胱がんで死去。
 今度の張陽はこの2人との関連で取り調べを受けていたのだが、2人の事件が決着してからもう少なくとも1年以上が経過している。張陽が2人と共犯だったにしろ、あるいは贈賄したにしろ、一握りの最高幹部どうしのこと、なんでもっと早く手が伸びなかったのか。その間に張陽は機構改変に伴うものとはいえ、新ポストに移ってもいる。
 それに習政権の汚職摘発で不思議なのは、たとえばこの大トラ2人は賄賂をとって役職に就けたり(売官)、便宜を図ったりしたというのだが、賄賂を贈ったほうはまず摘発されないのだ。贈賄者不明の収賄はありえないはずだから、かなり多数の贈賄犯がいるはずだ。それも最高幹部に下っ端が賄賂を贈れるわけがないから、大トラへの贈賄犯は中トラか小トラのはずだ。そういう構造が上から下へ層をなしているにちがいない。
 したがって、なぜ贈賄側を挙げないかといえば、おそらくきりがないからであろう。問いただせば、全員が「皆がやっていることだから」と答える。「皆」をつかまえるわけにはいかない。
 それでも習政権は反腐敗を続けなければならないとすれば、その対象の選択に犯罪の有無、軽重だけでなく、ほかの要素が入ってくる可能性が生まれる。
張陽の自殺について、『解放軍報』(11月29日)の評論員は「罪を畏れて自殺したが、自殺という手段で党紀・国法の処罰から逃げる行為は極めて卑劣である」と書いた。そうとしか書きようがないのだろうが、じつは反腐敗の過程での自殺は相当多いと言われている。自殺の理由は罪を畏れるよりも、自分が摘発されることへの憤死が多いという。「なぜ自分が」「なぜ自分だけが」という思いが死に走らせる。自殺を防ぐために、取調室の窓を開かないようにしたり、椅子や机の角に柔らかいものをはったりしているという報道を見たことがある。
これまで摘発されたいわゆる大物の自殺では、昔の「四人組」の江青とか、前世紀末の北京市副市長という前例があるが、張陽の死は改めて独裁権力の裏側の暗闇を思わせる。
じつは軍の最高幹部にもう1人、規律検査委の調べを受けているのではないかと噂されている人物がいる。その人物が何事もなかったように再登場してくるか、あるいは摘発対象となるか、習近平礼賛報道の洪水の中で耳をすませていなければなるまい。(171219)

2017.12.08 トランプのエルサレムの首都承認は歴史的重大犯罪
―日本政府は抗議と撤回要求をすべきだ

坂井定雄(龍谷大学名誉教授)

トランプ米大統領は6日、世界で初めてエルサレムをイスラエルの首都として承認、発表した。米国大使館のテルアビブからエルサレムへの移転準備開始も指示した。
エルサレムは、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の聖地で、とくにイスラム教徒にとっては、神の預言者ムハンマドが昇天したとされる、最も重要な3聖地のひとつ。このため、国際社会が第2次大戦後、英国の委任統治終了後のパレスチナの処理を決めた1947年の国連パレスチナ分割決議では、アラブ人領土とユダヤ人領土への分割とともに、エルサレムを国際管理都市に指定された。その直後の第一次戦争で、エルサレムは聖地の歴史的建造物が集まる東半分をアラブ側、西半分をイスラエルが占領。さらに67年の第3次戦争でイスラエルは東半分も占領して東西合わせたエルサレムを首都と宣言したが、米国を含め国際社会は、あくまでエルサレムを国際管理都市とする47年国連パレスチナ分割決議を順守。イスラエルの首都宣言を受け入れず、すべての国が大使館をテルアビブに置いたままだった。
トランプ政権下の米国が、エルサレムを首都として承認し、大使館を移転することは、当事者のパレスチナ人だけでなく、全イスラム教徒、イスラム国家の強い反感、反米行動を呼ぶことは必至だ。イスラム過激派の反米テロも拡大激化するだろう。
▼エルサレムの歴史と現状
今年は英国が「ユダヤ人の民族的郷土をパレスチナに樹立することを支持する」とした1917年のバルフォア宣言発表から満百年。
バルフォア宣言以後、パレスチナへのユダヤ人移民の組織的入植がはじまり、第1次大戦後の1920年にパレスチナは英国の委任統治になった。しかしユダヤ人移民とアラブ人住民との争いが増え続けたため、第2次大戦後、英国は委任統治放棄。1947年、国連は米国の強い影響下にパレスチナのアラブ・ユダヤ分割決議を採択。総人口約2百万人のうち3分の1のユダヤ人に全土の57%、3分の2を占める主にアラブ人に43%を与え、エルサレムを国際管理都市とする内容だった。翌48年ユダヤ人側はユダヤ国家イスラエルの建国を宣言、分割案に不満だったアラブ側から攻撃開始、第1次中東戦争となった。イスラエルの優勢下に49年休戦協定。イスラエルは占領地を77%に拡大。エルサレムの西半分も占領した。
さらに67年の第3次戦争でイスラエルは、エルサレムの東半分とヨルダン川西岸地区、エジプト領シナイ半島を占領。イスラエルは東西エルサレムを統合して首都宣言した。しかし、国連も米国を含む各国もこれを認めず、パレスチナ側の武装抵抗闘争が拡大した。93年、前年の総選挙で選ばれたパレスチナ和平推進派のラビン・イスラエル首相とアラファト・パレスチナ解放機構(PLO)が、米国の仲介で交渉、パレスチナ暫定自治宣言に調印。ヨルダン川西岸地区とガザの自治が始まった。
エルサレムについては、パレスチナ側は、故アラファト大統領以来「エルサレムは将来返還後の首都」と宣言。イスラエルは首都宣言をしたものの西半分に住むパレスチナ人を強制的の追い出すこともできず、米国と国連、各国からの圧力もあり、中途半端な支配が続いた。
▼安倍首相はこれでも支持するのか
安倍首相はトランプの大統領選当選後、真っ先に祝賀に飛び、現在に至るまで、他国の首相とはまるで違う支持、信頼、愛想を捧げてきた。しかし向こうは増長するばかり。今回のエルサレム首都承認は、間違いなく、国際社会、各国が非難、批判する行動だ。トランプの暴挙にも、愛想をささげ続けるのか。情けない、恥さらしだ。それとも、沈黙を守るのか。
(了)