2017.08.10 中国人の批判精神は健全である
――八ヶ岳山麓から(230)――

阿部治平(もと高校教師)

中国では、近頃次期国務院総理候補だった重慶市の中国共産党書記・孫政才氏が罷免されました。代って重慶市党委書記となった陳敏爾氏、すでにその職に就いた蔡奇・北京市党委書記、応勇・上海市長らはみな習氏の腹心です。
「腐敗問題を解決しなければ党が滅び国が滅ぶ」という名目の権力闘争、習近平総書記への権力集中がまた一歩進んだといえそうです。とりわけ習氏の思想言論統制は厳しく、いささかの批判、異議申立ても許さない。
中国では六月初め、「ネット安全法」を施行してインターネットの規制を強めました。ネット運営者に利用者の個人情報などの提供を義務づけ、当局にはネット上の情報を削除する権限が与えられ、企業秘密などのデータが当局につつぬけとなる恐れもでてきました。それどころではありません。国民にスパイ行為の通報を奨励する「密告制度」も始まりました。
こうしたことは、8月2日の本ブログ田畑光永氏のお説のとおり、習近平氏の不安、緊張、焦燥を表わすものかもしれません。
8月3日のニュースだと、中国のインターネット・騰訊社提供の人工知能(AI)が、ユーザーとの対話で「共産党は無能」「中国の夢は米国への移住」と共産党批判をやって、騰訊社があわててAIのサービスを停止する騒ぎがありました。AIも旺盛な批判精神を学んだものと思われます。
当局の厳重な規制の隙間から、ゲリラ戦もどきにメッセンジャーアプリの「微信」WeChatなどに批判、いやみ、くすぐりが登場します。もちろんあっという間に葬られますが、じつにたまですが、「佳作」がちまたに流れて生き残ることがあります。
以下、そのひとつを要約紹介します。作者不明で、この一文にも「急いでほかの人に送って!」という叫びと「サーバーは法違反の内容に注意」という当局の文言がついていました。( )内は阿部。

「土下座と宦官の復活を強烈に要求する」
作者不明

この頃ある人がネット上で、「人民が役人に出会ったら土下座する」制度の復活を要求した(以下「土下座制度」という)。私個人としては、非常に優れた提案だと思う。
土下座は奴隷根性そのものじゃないかと非難したり、中国の歴史や古典を忘れて、奴隷根性という言葉にケチをつけたがる奴がいるが、どうかしているといわざるを得ない。
昔はもちろん形だけだったかもしれないが「土下座制度」があった。現在だって民衆は、役人をみると自分から頭を下げて身を避ける。そのうえ役人の言葉をことごとく「指示」とか「領導」とかと受止める。つまり現在でも、人は内心では役人にひざまずき頭を地につけているのである。奴隷根性!
だから「土下座制度」が実施されると、ひざまずくという外形と心理的内容とが高度に統一され、天下晴れて土下座ができるのである。そのうえひざまずくのはいささか面目ないと思っている者は、自分への言いわけが得られる。
この制度を受入れられず、自分は公民だとか国の主人公だとかほざくトウヘンボクがいる。こいつらには頭を下げてひざまずくか、さもなくば頭を落されるか、どっちか選べと教育すべきである。

わが中華民族(正確には漢民族)は竜の子孫だ。竜とはそもそも何であるか?それは皇帝であり天子である。もし脳みそのどこかに反骨とか反皇帝とか反天子の考えをもつ奴ががあるとすれば、皇帝は非常にお怒りになる。したがって奴隷根性のない奴は大国賊だ。ひとたび皇帝のお怒りに触れればどうなるかは、いまや全国民が知るところとなっている。これをこいつらにしっかりわからせるべきではなかろうか。
これとは逆に、もし君に奴隷根性があると判断されれば、これはもう表彰ものだ。君はものがわかった人として出世の可能性がある。たとえ出世できなくても、少なくとも御身は安全である。

もうひとつ。中国の男女問題を論じて、どうして宦官制度を復活させないんだと、皮肉っぽくいう人がいた。なるほど!名案だ!
しかし、私は皮肉ではなくまじめに、ただちに宦官制度を復活させるよう強く要求したい。理由は以下のとおり。
第一、竜の子孫ということから申し上げる。竜には人がお仕えする必要がある。だって竜が一人で飯を食ったり、便器を洗ったりはできないんだから(むかし人々は部屋でおまるを使った)。誰が竜にお仕えするか。これには宦官が最適だ。
人は表向きとは違い、いやしい下心というものをもっている。しかし宦官は男でもなければ女でもない、ご主人様あるのみだ。ところがご主人様にはあまたの妻妾がある。美しきこといずれアヤメかカキツバタだから、宦官でなかったら安心できない。たとえご主人様が安心したとしても、私ごときものでも、何かやらかすのではないかと自分が心配になる。だが去勢された人を見よ。実に清潔、安心ではないか。

第二、宦官は我国の国粋的存在である。民族はその才あって初めて世界的存在になり得る。世界各国の歴史を調べても、宦官制度があるのはわが民族だけだ。よその国でも、たまたま人を去勢することはある。だが、制度にはなっていない。
乱臣賊子どもが騒ぎ立てて大清帝国が滅亡に至ったとき、かくも優れた宦官制度も葬り去られた。これぞまさしく中華民族の一大損失といわざるを得ない。
いまや機は熟した!我々がやらねばならぬのはこの国粋的存在を復活させることだ。それだけでなく、声を大にしてこれを世界に提唱し広めることだ。宦官制度を中華料理や漢方医薬同様、国家を代表するものとすることである。

第三、宦官は権力への忠孝両全の代名詞である。テレビに登場する宦官をご覧あれ。ご主人様に対しては従順で、必ず「奴才(ヌーツァイ、やつがれ)」と自称し、なにかといえばひざまずくではないか。諸兄姉よ、子供が父母にこのようにするのを見たことがあるか?
宦官には魏忠賢(明末、国家の実権を握り恐怖政治を敷いた悪辣宦官)のようなワルもいるが、それはごく少数だ。冷静に見れば宦官の主流はやはり善良だし、信頼のおけるものだ。我々が忠孝の精神を追い求める以上は、宦官制度を回復すべきである。

第四、宦官制度は当面する我国男女の性のアンバランスを正常化するに最も適した制度だということである。詳述できない理由で、公式数値では我国男女の性比率は現在大いにバランスを失うに至った。なにしろ結婚適齢男性は女性よりも何千万も多いのだから。
このように多くの男が女房をもてないとなると、これは重大な社会問題だ。売買春がいたるところに生れたのは必然である。女郎買なくして男の楽しみがどこにあろうか。もっとも出世成功した人は数名の女性をひとりじめしているが……。

くりかえすが、現在この問題の一挙両得の解決方法は宦官制度だ。かりに全中国何千万の男が自ら去勢して主体的に宦官になれば、この問題は自ずから解決する。政府が断固この政策を展開すれば、わが宦官制度の優越性を世界に示すことができる。

最後に宦官になろうとする人々にお勧めする。お急ぎあれ。わが国は人が多い。何をやるにも競争が激しい。早ければ早いほどよい。いまや宦官になるための医学上の条件は良好である。手術は簡単で痛くはない。手術してさっぱりしたら女を買う必要がなくなる。万が一うまくいかなくたって、少なくとも去勢の方法を知ることはできるというものだ。(2017・8・3)

2017.08.07 異例づくめの閲兵から読み取れるもの―正念場の習近平 2
新・管見中国(27)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 8月1日は中国軍の、より正確には中国共産党軍の建軍記念日である。1927年のこの日の夜、江西省南昌で共産党員による最初の武力蜂起が起こった。それ以来、今年で90年である。その記念日を前に7月30日、習近平は中央軍事委員会主席として12000人の兵員が繰り広げた訓練とデモンストレーションを閲兵した。
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中国の閲兵といえば一昨年の9月3日、抗日戦争と世界反ファシズム戦争の勝利70周年を祝う大がかりな軍事パレードが北京で行われたことが記憶に新しい。外国首脳の参加という面では、この時はロシアのプーチン、韓国の朴槿恵、両大統領が目立ったくらいで、やや寂しかったが、中国軍ご自慢の最新鋭兵器をそろえたり、抗日戦争を戦った老兵たちが参加したりと、盛沢山のプログラムで、初めて車上から閲兵した習近平も大いに威信を高めた(はずである)。
あれからまだ2年足らずなのにまた閲兵とは異例である。このほかにも今年の閲兵にはいろいろ異例があった。今回はそれに立ち入ってみたい。
中国というと閲兵大好きな国と思われるかもしれないが、じつはそんなにしょっちゅう軍事パレードをやっているわけではない。これまでで16回だそうである。それも建国何周年といった節目の年に行われるのが通例である。一昨年は第二次大戦終結50周年、これも節目といえば節目であった。
今年の閲兵は前回から2年しか経っていない上に、そういう名分がない。従って、まずこれが異例の第1。そして場所。恒例の北京・天安門広場ではなく内蒙古自治区の「朱日和訓練基地」という砂漠のように乾ききった平原の訓練場である。地図で見ると、北京の北西方向、直線距離で400キロほどのところである。広さはアジア最大の演習場ともいわれる。これが異例の第2、である。
次が規模と内容である。場所が場所だから、ということもあろうが、参加兵員12000という規模は、通常の華やかな大パレードに比べると、10分の1くらいである。その内容もお決まりの軍楽隊や儀仗兵の姿はなく、基地で訓練中の部隊を中心にもっぱら質実剛健、中でも初参加の陸軍ヘリコプター強襲部隊が編隊飛行から現場に着陸、降り立った隊員が地上に展開するところまで実演したのが目を引いたという。
また規模は小さくとも登場した兵器の40%は初登場ということで、テレビの中継画面には何度もモザイクがかかったそうである。こうした規模と内容が異例の第3。
ところで中国共産党の最高指導部は中央政治局常務委員会を構成する7人である。トップは総書記の習近平、以下、首相の李克強ほか各方面をつかさどる6人が順位に従って続く。この7人は個別に地方視察や外国に出ているような場合は別として、公の場に出る際には全員そろって登場するのが通例である。
ところが今度の閲兵には習近平が1人だけで参加した。一昨年9月の場合は、閲兵とメインスピーチは習近平だったが、全体の司会進行係は首相の李克強が担当と、役割を分けていた。今回は習近平だけで、ほかの首脳の姿はなかった。習の単独参加を異例の第4、としておこう。
もう1点、細かいことを付け加えれば、閲兵に臨んだ習近平が参加した兵員と同じ軍装、迷彩服を着ていたことである。中国では軍は党(共産党)の指揮に従うのが鉄則とされている。西側諸国の「文官統制」の中国版とでも言うべきか。したがって閲兵する方まで軍装では軍と党との関係がはっきりしなくなってしまう。2年前の北京の閲兵では習近平も詰襟の中山服(中国の正装)で閲兵した。迷彩服で閲兵を今回の異例の第5、としておこう。
さてこれらの「異例」をどう読み解くか。と言ったところで、中国のことだから掌を指すようなわけにはいかない。誤りと判明すれば、頭を下げることにして、以下に私の解釈を申し述べる。
まず時期と場所。今年の7月30日には万人が納得する理由はない。とすれば、これは習近平の都合に違いない。どんな都合か。前回も述べたように、習近平はこの秋(日取りは未定)の中国共産党第19回全国大会で、総書記に再選されて、あと5年の任期に入るといった、予定通りでは満足せず、昨年の「核心」に続いて、特別な地位、ベストは任期無制限の「主席」の地位を目指していると見られる。それがうまくいくかどうかは、今後2,3か月の党内暗闘にかかっているが、そのために今回の閲兵が必要であったのだ。
じつは前例がある。1981年9月、「人民解放軍華北大演習」というのが行われた。14日に始まり、最終日の19日に閲兵式が行われた。閲兵したのは鄧小平、場所は今回と同じ「朱日和訓練基地」(当時はこの名前は公表されず、「華北某地」と報道された)である。
当時の事情を詳しく述べることは控えるが、毛沢東の死、「四人組」の逮捕を受けて、復権した鄧小平は「改革・開放」路線を推し進めると同時に、自らは党主席にも首相にもならず、政府では副首相にとどまりながら、党と国家の中央軍事委員会主席の座について軍を掌握した。その鄧小平が自らの権力を固めたのが、「華北大閲兵」であったのだ。この閲兵には華国鋒、胡耀邦、趙紫陽、李先念ら当時の最高指導部が同行し、その前で鄧小平はカーキ色の軍服に身をつつんで閲兵した。このころから鄧小平は「中国の最高実力者」という、非公式ながら、誰もが知る称号で世界中から呼ばれるようになるのである。
習近平はこの鄧小平の行動を手本としていると見れば、今度の閲兵はまことに分かりやすい。ただ、異例の3,4,5は鄧小平とはやや違う、というか、そこには習近平独自の事情が反映されている。
習近平の独自色を出した異例の3は規模と内容である。とくに新型兵器を繰り出したことには特別の意味がある。習近平は2年前の前回の閲兵では軍の人員を30万人削減するという目標を打ち出して、驚かせたが、この年の11月から本格的に軍の改革にのりだした。その目的は、徐才厚、郭伯雄時代の積弊を清算して、習自身の言葉によれば「呼べばすぐ来る、来ればすぐ戦う、戦えば勝つ」軍隊に作り替えることであるが、一言で言えば、古い人民解放軍の陸軍中心の組織から近代的な軍隊への脱皮であった。
具体的には陸・海・空3軍を並立させ、その上に統合参謀部が置かれ、また以前は「第二砲兵部隊」といういかにも臨時組織のような名称だったミサイル部隊が「ロケット軍司令部」として3軍とならび、さらにサイバー部隊を示すと思われる「戦略支援部隊司令部」が新設された。
また全国を7つに分けていた旧「軍区」を5つの「戦区」に統廃合し、それぞれに3軍とロケット部隊を配属して(内陸戦区には当然海軍はない)、組織的に縦横を有機的に結び付けることにした。
こういう改革を進めると同時に30万人のリストラを進めたわけだから、それなりの抵抗もあったはずだが、それへの代償が今回披露された新兵器の開発、配備であったろう。それは頼りになる軍のトップというイメージの確立に役立ったはずだ。
こう考えてくれば、異例の第4、つまり習近平が1人で現れた意味も分かりやすい。軍を司どるのは中央政治局ではなく、軍事委主席たる習近平なのだということを形に表したものだ。この閲兵によって、軍との関係では習近平とその他の6人とは大きな差ができた。
習近平が迷彩服を着たのも兵員との一体感を強調するためであったろうし、閲兵の際、型どおりに習が兵員に「同志諸君、ご苦労!」と呼びかけ、それに対する兵員の答えが型どおりの「首長、好!」(「首長」は階級、職名でなく、指導者を示す普通名詞)でなく、「主席、好!」(「主席、ようこそ!」)であったのは、くどすぎる演出であった。
以上が7月30日に行われた習近平の閲兵が持つ意味についての私の見方である。中国のことは、内実がはっきりしないことが多いのだが、これは比較的単純なので、そう的外れではないと自分では思っている。
中国共産党第19回大会までなお3か月近くある。物語はまだまだ続く。(170802)

2017.08.04 いま、ゲーツ氏のアプローチを読む
ウォールストリートジャーナル紙インタビューから

木村 知義 (多摩大学経営情報学部客員教授)

朝鮮半島の核・ミサイル問題は、北朝鮮によるあいつぐ「ICBM発射成功」という緊迫感をはらみつつも、ある種の危機の「こう着状態」とでもいうべき局面にある。
いうまでもなく7月28日深夜の2度目のICBM発射によって米国は一層の「焦燥感」を募らせたことは間違いない。にもかかわらず「なす術がない」という状況もまた事実である。人を介して伝えられるワシントン深部からのサウンドには依然として「武力行使」の可能性が強くにじみ出ている。しかし、米国による「軍事的処置」は、それが引き起こす甚大な影響、被害を考えれば、事実上無理だというのが大方の論調となっている。4月の米中首脳会談にかかわって一部のメディアが伝えた北朝鮮問題をめぐる「100日計画」についても、貿易・通商問題の「100日計画」はともかく、いつのまにか紙面から消えた。トランプ大統領の言う、中国に対する「強い失望」にもかかわらず、である。
要は、誰もが手詰まり状態に立ち尽くすという「風景」だと言っても過言ではないだろう。そんな局面であればこそ、一層重心低く事態と向き合い、事の本質を見据える、熟慮、熟考が求められる。

本質的、根本的「解」は朝鮮半島の「休戦状態」を平和的環境に転換すること、米朝国交正常化への道筋のなかで北朝鮮の「核」の平和的管理から朝鮮半島、ひいては北東アジアの非核化をめざすということにしかない。北朝鮮の現体制に対する好悪の感情で物事を考える「小児病的態度」では何も生み出せないこと、なによりも戦略的、大局的観点に立つ重要性も言うまでもない。
北朝鮮核問題を巡る6カ国協議の日米韓首席代表による会合が7月11日シンガポールで行われたが、同時に、国際学術会議「北東アジア協力対話」も開かれた。昨年北京で開催された同会議には、北朝鮮から外務省北米局(昨年までは米州局)の崔善姫副局長(現局長)が出席したが、今回、北朝鮮は参加しなかった。すなわち、北朝鮮が繰り返し表明しているように従来の「6者協議」の枠組みには戻らないという強い意思表示である。朝米交渉こそが事態を動かす唯一の道であることを言わんとしていることは明らかである。カギはそのメッセージが米国サイド(トランプ政権および政策立案に影響力を行使できる周辺関係者)にどう届いているかだ。

と、そんな折、元米中央情報局(CIA)長官で、民主、共和両党の4人の大統領に仕え、ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ両政権で国防長官を務めたロバート・ゲーツ氏がウォールストリートジャーナル(WSJ)のチーフコメンテーター、ジェラルド・F・サイブ氏のインタビューに応えた。注目すべきは、そこでゲーツ氏の挙げた「原則」である。

その第一は「北朝鮮を攻撃する純粋に軍事的な優れた選択肢はない」であり、第二の原則としてゲーツ氏は「どう見ても中国が依然として鍵である」とする。そして原則の第三で「基本的に外交的要素と軍事的要素の両方を含む総合的な戦略を中国首脳部に説明することが必要だと思われる」と語る。「言い換えれば、北朝鮮やその指導者の金正恩氏を直接相手にする前に中国と合意せよ、ということだ」とインタビュアーのサイブ氏。続けて「ゲーツ氏の考えはこうだ。米国は中国に対し、①旧ソ連とキューバ危機を解決したときと同様に、北朝鮮の体制を承認し、体制の転換を狙う政策の破棄を約束する用意がある、②北朝鮮と平和条約を締結する用意がある、③韓国内に配備している軍事力の変更を検討してもいい――と提案する。この見返りに、米国は北朝鮮の核・ミサイル開発計画に対して強い制約、つまり基本的には現状での凍結を要求し、国際社会や中国自身が北朝鮮にこれを実施させることを求める。これが重要なところだが、中国には、外交的解決策の実施には中国の協力が期待されると伝える」ことだとしている。(WSJ日本版7月11日)

「北朝鮮に核兵器をあきらめさせることはできないと思う」と語り「米国はさらに中国にこう伝える。どのような外交的な解決策を取るにせよ、北朝鮮はさらなる核兵器開発や発射能力の向上を目指していないことが分かるように立ち入り査察に合意しなければならない。その結果、北朝鮮が保有する核兵器は20数個程度に限定される可能性がある」とくぎを刺すことも忘れないが、ゲーツ氏が示したこれらの原則とアプローチは現在の「こう着状態」を打破する現実的「解」としてきわめて示唆的である。

記事掲載と同じ11日の記者会見で中国外務省の耿爽副報道局長は、北朝鮮の核・ミサイル開発阻止のため、中国に影響力を行使するよう求める日米両国などに対し「『中国責任論』を誇張し、自らの責任逃れをたくらんでいる」と重ねて「不快感」を示すとともに、「中国が努力して火を消しても油を注ぐ者がいる」として「制裁強化を図る日米などをけん制した」(共同7月11日)。

わずか5回という限られた経験ではあるが、平壌の地に立って肌で感じた北朝鮮のメンタリティーから言えば、中国を介さずに朝米直接交渉をということだろう。
 しかし、その場を作るために中国が果たすべき重要な役割もあるということを忘れてはならない。5月に朝鮮中央通信が伝えた「朝中関係の柱を切り倒す無謀な言行をこれ以上してはいけない」と題する論評によって中朝のただならぬ「関係悪化」を知らされたわれわれであったが、ここにきて同じ朝鮮中央通信が「労働新聞」掲載の論評を引きながら「米国が朝鮮の核戦力強化措置に対して『中国責任論』を唱えるのは自分の手がやけどするのを恐れて腕をこまぬき、他人の手で火の玉を握るようにしようとする破廉恥で狡猾な術数であると(「労働新聞」論評が)暴露、糾弾した」として、「米国が中国を推し立ててわれわれを圧迫するからといって、朝中両国の人民が反帝・反米抗戦を通じて血潮を流して結んだ友誼と親善の伝統を絶対に壊すことはできない」「歴史の主人、創造者である朝中人民が記した友誼と親善の伝統的な歴史は米国のようなごろつき国家が無礼非道に振る舞うからといって消されるものではない」(7月21日)と伝えた。この論評については、日本のメディアではほとんど伝えられていない。

当たり前のことだが、物事は一筋縄ではいかない、複雑なものだということである。双方にどれほどの「嫌悪感」があったとしても、それをこえて必要なことには立ち向かうというのが外交であり、戦略的思考、大局観というものだろう。
そして、この稿を書いている最中、ワシントンでは、北朝鮮の核保有という現実を認めた上で核の拡散を防ぐ「管理体制」の構築を急ぐべきとの声も出始めているという情報ももたらされた。トランプ政権としては「軍事行動」とこうした「現実論」のはざまで選択を迫られるという「苦しい局面」に立たされているというべきだろう。その意味でも、27年の長きにわたりCIAにあってパワーゲームとインテリジェンスの世界でしのぎを削ってきたゲーツ氏の提言が示唆するところはきわめて大というべきだ。
それにしてもとため息が出るのは、事態に対する構想力のかけらも感じられない安倍政権の寒貧たる風景である。(8月1日稿)

筆者紹介: きむら・ともよし。1948年生まれ。元NHKアナウンサー。在職時代ラジオセンターで早朝情報番組のアンカーを務めるとともにアジアにかかわる企画、取材、放送に携わる。2008年退職後、個人研究所「21世紀社会動態研究所」に依って「北東アジア動態研究会」を主宰。

2017.08.02 「親しまれるより」より「畏れられたい」―正念場の習近平 1
新・管見中国(26)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 しばらく中国のことを書く気がしなかった。なぜなら最近の中国は、何を書いても、かねてから「反中国」を売り物にしている某紙の論調と似たようなことになるものだから、自分で自分がいやになってしまうのだ。しかし、今やそんなことも言っていられない状況になってきた。
 先月、ドイツのハンブルクで開かれたG20の首脳会合では、2010年にノーベル平和賞を受賞しながら、獄につながれたままだった劉暁波氏が肝臓がんで死期が迫るまで、中国当局は氏を病院にも移さず、申しわけ程度に最後の最後に市中の病院には入れたものの、国外での治療を望んだ本人、家族の願いを聞き入れないまま、死なせてしまったことに、習近平と個別に会談した各国首脳は一言の苦言を呈することも避けた。
 理由は分からないでもない。劉氏にノーベル平和賞を与えたノルウェーはその後、何年も中国による経済的な報復を受けたし、最近では米の超高高度ミサイル迎撃システムの配備を受け入れた韓国に対して、中国政府はそれこそ庶民までも動員して、反対キャンペーンを繰り広げた。おかげで韓国の自動車メーカーは軒並み中国での売り上げを大きく減らし、100店もの店舗を展開していた韓国の大手スーパーはいまだにその9割もが店を再開できないでいる。
 国内では「市場の機能をより発揮させる」ことを改革項目に挙げながら、気に入らないことをした国に対してはそれこそ官民挙げて経済的仕返しに出るのだから、うかつなことは言わないほうが無難だと「国益」を背負っている首脳たちが判断するのもしかたのないことだろう。
 中国が「改革・開放」政策を掲げて、流行り言葉で言えば「経済発展ファースト」の道を歩み始めてからも、「中国の特色を持った社会主義」を盾に「民主」、「人権」といった人類の「普遍的価値」を拒否し続けていることに、世界はそれなりの対応をしてきた。1989年6月のいわゆる天安門事件では多くの国が中国に「制裁」を課した。
 中国政権も表向きはそうした外からの「干渉」を断固拒絶しながらも、行政末端の村では村長選挙を実施したり、政権にたてつく人間を法律によらずに辺縁の地に送る「労働改造」制度を廃止したりと、やがては普遍的価値を認める方向に進むことを期待させる措置をとった。
 しかし、2010年にGDP総額で日本を越えて世界2位の経済大国となった頃から、「大国意識」の広がりとともに外部からの批判に対する開き直りが始まり、それは2012年に習近平がトップ・リーダーとなって、大中華を復興させるという「中国の夢」を唱え始めて以降いよいよ顕著となった。
 一方、この間、世界では自由貿易体制を批判する声が高まり、それを唱えた米共和党のトランプ候補が2016年秋の大統領選で勝利したことで、1つの主張としての立場を獲得した。それに対して、習近平は16年9月の中国・杭州でのG20 、17年1月のダボス会議、17年7月のハンブルクG20 と機会あるごとに「自由貿易体制」擁護を唱えた。これによって、他国においてはいざ知らず、中国国内では習近平を「自由貿易」の守護神に祭り上げる風潮が定着し、奇妙なことにそれをもって「民主」、「人権」を受け入れないマイナスを相対的に矮小化する、開き直りの議論が大手を振ってまかり通るに至っている。
 それにしても、中国は、いや習近平は、いったいなぜそれほどまでに「民主」、「人権」を忌避するのか。さまざまな理由が挙げられるが、要するに自分が、あるいは自分たちが、あの国を統治することに自信がないのだ。自由な選挙で統治者を選ぶとなったら、自分たちが負けることは自明であるし、自由にものを言わせ、書かせたら、国中に自分たちを糾弾する言葉があふれるのは間違いないからである。不正腐敗を摘発された「虎」(大物幹部)のリストがすべてを物語っている。
 独裁政権に腐敗はつきものと言っても、毛沢東(第一代)、鄧小平(第二代)といった指導者は命を賭して革命を成功させた世代だから、おのずから身に威信を備えていた。それがあればこそ、毛沢東は文化大革命のような突拍子もないことを始められたのだが、そういう威信はその後の江沢民、胡錦涛、習近平にはない。それでも江沢民、胡錦涛には鄧小平の眼鏡にかなったというわずかな正統性がないわけではなかったが、習近平にはそれもない。
 となると、習近平は無から威信を作り出さねばならない。しかし、時期もよくなかった。改革・開放政策に踏み切って以来続いてきた経済の高度成長も、2008年のリーマンショック以来の世界経済の低迷、中国国内の人件費の高騰による輸出競争力の低下などで、もはやかつてのような二けた成長は望むべくもない。
 まずその状況を習近平は国民に「新常態」という造語で苦しい説明しなければならなかった。中国共産党結党100年にあたる2021年には1人当たりGDPを2010年の2倍に引き上げて「小康社会」を実現し、建国100年の2049年には世界の先進国の仲間入りする、という習近平の「中国の夢」は予想される多難への予防鎮痛薬であろう。
 さてそこで威信をどのように築くか。習近平はまず中国共産党内部で強権をふるった。2012年まで政治局常務委員、つまりトップ7の1員として司法・警察を牛耳り、石油閥の頭目でもあった周永康を葬り、習のライバルと目されていた政治局員、薄熙来を追い落とし、軍の最高幹部(中央軍事委副主席)2人、徐才厚、郭伯雄を追放した。
 そのうえで、昨2016年秋には「核心」という法律にも、党規約にもない新しい地位に自分を置くことを中央委で認めさせて、前任の江沢民、胡錦涛との差別化を実現した。そしていよいよ今年秋の第19回党大会では、毛沢東にならって「党主席」の地位にのぼり、任期のない最高指導者となろうとしている。
 それが習の思惑通り実現するかどうかは、勿論、まだ何とも言えない。すべては今後の2,3か月にかかっている。しかし、最近、笑い話のようでいて、見過ごすことのできないニュースがあった。
 習近平はその体型からディズニー・アニメの「くまのプーさん」に似ているとされ、中国のネット上では両者の体型を対比する投稿が相次いでいたが、それが当局の目にとまり、「プーさん」という言葉を使った投稿ができなくなったり、「プーさん」の画像が削除されたりしているというのだ(『毎日』7月18日夕刊)。

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 日本では1990年代の細川内閣で官房長官を務めた武村正義氏が「ムーミンパパ」に似ているといわれ、似たようなことがあったが、すくなくとも本人がそれを嫌ったとは聞いていない。よほど悪いキャラクターでない限り、そうした対比は国民に親しみを感じさせるから政治家なら普通は歓迎するところだろう。
 それを取り締まるというのは、習近平が思い描く自らの指導者像は国民が親近感を持つようなタイプではない、ということだ。むしろ「主席ハ神聖ニシテ犯スヘカラズ」式の畏れ多い存在を考えているのだろう。それは彼の置かれた状況、彼の不安、緊張、焦燥を表しているのではないか。
これから党大会までどんな動きがあるのか、耳をすませていなければならないが、「自由貿易の守護神」の看板の下で、「民主」や「人権」がますますあの広い国から遠ざかって行きつつあるのは間違いない。(2017・8・1)

2017.07.31 中国世論は北朝鮮をどうみているか、それは中共中央とどう違うか
         ――八ヶ岳山麓から(229)――
               
阿部治平 (もと高校教師)

北朝鮮の核・ミサイル開発にたいして、日米は中国に追加制裁を求めてきたが、中国は徹底した制裁には踏み切らなかったし、今後もこれ以上やる気はない。いまや米中合意の制裁方式が無力であることは、誰の目にも明らかになった。最終的な解決は、時間はかかるだろうが米朝の直接交渉以外に道はない。

「中国青年報」はこの6月、北朝鮮に対する近年の世論の傾向を発表した。李敦球論文「朝鮮半島認識にかかわる6大論点」がそれである。「中国青年報」は中国共産主義青年団(共青団)の機関紙で、「人民日報」「環球時報」などに次ぐ主要紙。李敦球は現在国務院世界発展研究所朝鮮半島研究主任で、朝鮮問題専門家である。

李論文がとりあげた「北朝鮮に対する近年の世論」の要旨は、箇条書きにするとつぎの通りである。
①韓国を含めた朝鮮半島の地政学的戦略的価値はなくなった。
②朝鮮の核保有は米韓に対するものではなく中国に対するものである。
③朝鮮の核ミサイル開発によって米日の中国包囲の軍事力が強化された。
④北朝鮮に対する一定程度の武力攻撃を支持する。
⑤アメリカによるTHAADの韓国配備をある限度で受入れる。
⑥北朝鮮の核実験は中国東北地方を荒廃させる。

李敦球自身はこのいずれにも否定的で、「客観的でもなく論理的にも合致しないような見方をくり返して世論の分裂を引き起こすようなことは、人々の認識を混乱させる可能性がある」との批判を加えており、この論文が中共中央の意向を反映したものであることを示している。

①は、韓国も含めた朝鮮半島の緩衝地域という戦略的価値が失われた。その理由は軍事技術が発展したこと、あるいは中国が北朝鮮をコントロールできなくなったことによるとするものである。
李敦球は中国は他国をコントロールしたことはないと弁解しつつも、(韓国ではなく)北朝鮮の地政学的戦略的地位は変らないと反論している。
北朝鮮自身は、中国が自国を米中間の緩衝国と見ていることはわかっていて、朝鮮戦争以来70年近く反米対決戦を闘い、米国の侵略的企図を挫折させて中国大陸の平和と安全をまもったのは我々だと胸を張っている。

②の北朝鮮の核兵器が中国に対するものだとする見方が生まれたのは、北朝鮮の中国への激しい非難がきっかけであろう。だが北の核保有の論理は、1960年前に、米ソの包囲下にあった中国が核保有をめざした当時の毛沢東の主張とほとんど同じで、以下のようなものである。
「核保有は、急変する情勢に対処するための一時的な対応策でもなく、いかなる対話テーブルにおける駆け引き材料でもなく、革命の最高利益と民族の安全を守るための最上の戦略的選択である。朝鮮の核は共和国の尊厳と力の絶対的象徴であり、民族復興の万年、億年の保証だ」
中露両国は日米韓と違い、北の核開発の軍事的脅威を直接に感じているわけではないが、NPT(核独占)体制の保全のために北朝鮮の核・ミサイル開発に反対している。そして、これが日韓の核武装の口実になることを警戒している。だが私はこれ以上中朝関係が悪化すれば、北の核は中国にとって脅威となる可能性は十分に存在すると思う。
金氏政権の核・ミサイル開発の論理は、朝鮮戦争以来北が直面してきた厳しい国際環境を検討することなしには理解できないものである。

やや意外だが李敦球は、③の北朝鮮の核ミサイル開発が日米における中国包囲の軍事力強化を引き起こしたとする見方を否定している。彼は、日米の国家発展戦略あるいは軍事戦略は、それぞれの国内的な政治、経済、文化及び軍事等の総合的要素が合わさって形成されたものである。北朝鮮は弱小国であって米日の戦略的方向を左右することなどできない。朝鮮が軍事的「挑発」をしなかったとしても、日米が現在の国家戦略、軍事戦略を実行しないとはかぎらない、というのである。
北朝鮮はこれについて、「中国の一部の論者は我々の核保有が北東アジア情勢を緊張させ、同地域に対する米国の戦略的配置を強化する口実を提供するというとんでもない詭弁を並べ立てているが、米国のアジア太平洋支配戦略はわれわれが核を保有するはるか以前から稼働し、以前からその基本目標はほかならぬ中国であった」と主張している。後半はそのとおりだ。
だが日本に関する限り③の論理を全面否定することはできない。安倍晋三政権は東シナ海での中国の軍事的プレゼンスとともに、北の核・ミサイル開発を軍備拡大の口実にしているからである。そしてメディアに北のミサイル発射を「挑発」と宣伝させ、これをうけてテレビはほとんどナンセンスなミサイル避難方法を放送するに至った。しかもそれにつられた日本海側の自治体のいくつかが防空訓練を実施したのである。嗤うべきか悲しむべきか。

さて、6項目すべてに共通しているのは、北朝鮮への過剰な警戒心と嫌悪感である。たとえば北の核が中国に対するもので、しかも日米の軍拡を促し、中国東北の環境を汚染する恐れがある。だから北朝鮮の(アメリカによる)核基地攻撃を容認するのもやむなしという。
李敦球は、北朝鮮が第5回核実験を行った後、米韓合同軍事演習が今までにない規模で行われたために緊張が生れ、北朝鮮基地攻撃論がこの中で台頭したという。そして現実には北の核実験が東北の環境を汚染してはいないし、世界で2000回以上行われた核実験よりも、チェルノブイリと福島の原発事故のほうが環境に対する大きな災難をもたらしたと反論している。また、李敦球はアメリカによる北基地攻撃は恐るべき結果をもたらし、事態の収拾がつかなくなるといい、われわれ同様の認識を示している。
北朝鮮はこれについてこういっている。
「(中国では)国境から100キロも離れているところの核実験を、北東地域の安全を脅かしているだの、われわれが北東アジア情勢を刺激して同地域に対する米国の戦略的配置を強化する口実を提供しているだのとして喧伝した。そのあげく、われわれの核保有に反対するのは、米国と中国の共通の利益であるとして、自分らに危険をもたらす戦争を避けるためにも、われわれに対する制裁を強化すべきだと、でまかせの主張をした」

⑤はTHAADの韓国配備の問題であるが、これを受容する考え方がなぜ中国で起こったのか私にはわからない。李敦球はもちろん受容派を非難した。これについてロシアの認識は核・ミサイル問題同様、中国と同じように反対している。むしろプーチンはアメリカが推進するミサイル防衛システム開発に重大な懸念を抱いている。というのは、アメリカのミサイル撃墜システムの精密度は急速に高度化しているからである。

以上、李敦球がとりあげた中国「世論」なるものが意外に幼稚で、「街道消息(うわさ話)」なみのレベルであることに驚く。思うに、中国のインテリたちの北朝鮮に対する過度のいらだちや憤懣、それから生まれる錯誤は、彼らが我々以上に重要な情報を知らされていないところから来るのではないか。情報を制限し必要な知識を提供せずに、過剰な警戒心と嫌悪感にもとづく「世論」を説得するのはむずかしい。

(李敦球論文の邦訳は浅井基文氏のブログ
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2017/922.html. から、また北朝鮮の論調に関しては、同ブログ「朝鮮メディアにおける対中国批判論調」http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2017/925.html)から引いた。(2017・07・27記)

2017.07.29 「ろうそく」が後押し~文在寅丸の出帆
韓国通信NO531

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 韓国の新政権スタート(5/10)から2カ月あまり。「ろうそく市民革命」から生まれた新政権の動きは予想されたとはいえ、とても新鮮だ。
 公企業体の非正規雇用者の正規雇用化。最低賃金の大幅アップが大きな話題となった。来年度から時間給7530ウォン(日本円換算753円16.4%の引き上げ)、2020年までに1万ウォンを目指すという。人件費の負担が困難な中小零細企業には国庫補助を行うという。韓国経済を無視した「バラマキ」だ、「人気取り」だ、「経済成長」が犠牲になるという批判もあるが、その声は小さく、説得力に乏しい。

 「脱原発宣言」も、拙速で無謀という批判にさらされた。「原子力ムラ」(韓国では原発マフィア)の彼らは原発も放射能も安全と主張して、福島原発事故による原発事故関連死や健康被害を説明した大統領発言を「大ウソ」と断じた。原発輸出のセールスマンをつとめる日本の首相を引き合いに、脱原発を主張する自国の大統領をコキおろす厚かましさである。

 注目されるのはやはり北朝鮮との対話路線ではないだろうか。これには早速、韓国と日本、それぞれの一部から「非現実的」、  「日米に説明を尽くすべき」という非難があがった。
 しかし軍事会談の申し入れ、離散家族の再会事業の開始、来年の冬季平昌オリンピックの共同開催提案という提案は驚くほどのことではない。戦争回避のための賢明な選択である。北の「脅威」を喧伝してきた日本政府にとっては「力の抜ける」ような対話路線だが、日本には相談せず、アメリカには事前に相談したともいわれる。事実とすれば、したたかな文在寅外交である。アメリカ艦隊と一緒に北朝鮮を侵攻する構えを見せた日本政府のメンツはまるつぶれだが、話し合い路線に胸をなでおろした日本人は多かったはずだ。2002年の平壌宣言以降、拉致問題を理由に対立姿勢を強めてきた安倍路線が北朝鮮の孤立に拍車をかけ、核開発に走らせたともいえる。新政権の「平和攻勢」は前途多難が予想されるが、平和の光が少し見えてきた。「積弊清算」「国民統合」を掲げた文政権には「ろうそくデモ」で示された広範な国民の意志と支持が後押しをしている。「帰らざる河」を渡った国民の民主主義と平和への熱い思いがある。「向かい風」に向かって進む帆船のように前に進むことはあっても決して後退しないはずだ。貧困格差の解消、原発問題、北朝鮮政策、米軍基地問題などわが国と共通する問題をかかえた韓国から学ぶことは多い。

<安倍政権の賞味期限切れ>
 安倍政権の支持率低落が止まらない。今までの高支持が理解できないので、低下も理解できない。首相を替えても後継者はいくらでもいる。こんな事くらいで政権もマスコミもバタバタするようでは国の未来が不安だ。先週の土曜日、近くの駅頭で「アベ政権は許さない」のプラカードを掲げていたら多くの人から声をかけられた。安倍政権の化けの皮がはがれたのか、賞味期限切れかどうかわからないが、やはり「一日でも早く辞めて欲しい」という声が多く、求めないのにカンパまでもらった。
2017.07.26 「自由」は反マルクス主義であり反革命である
          ――八ヶ岳山麓から(228)――
               
阿部治平 (もと高校教師)

ほとんどの中国人は、中国に劉曉波という人物がいて、08憲章なるものを起草して民主化を要求し、そのために投獄され、獄中でノーベル平和賞を受賞したことを知らない。その死は伝えられることはない。
そうした中国の統治者である中国共産党中央が、先に紹介した。「自由があってこそ創造があるのだ」という北京大学教授張維迎氏の主張を放置するはずはなく、同主張はネットに登場してから12時間足らずで消去され、かわって当局の意向を忖度した反論がただちに登場した。
ここでは「張維迎の類が北京大学を利用して『墓堀人』を養成するのを絶対に許さない」という論文(以下「反論」)を検討してみる。
https://finance.sina.cn/china/cjpl/2017-07-11/detail-ifyhwefp0577990.d.html?vt=4&pos=108

「反論」の要点
張維迎論文の中心は、「中国の過去500年の(イノベーションの)空白は自由が制限されていたからだ。思想の自由がなければ、行動の自由もない。自由があってはじめて中国人の企業家精神と独創力を十分に発揮でき、中国を新しい国家に変えることができる」という点に尽きる。張氏は中国経済の高度成長をそれなりに評価しているのだが、さらにその先の段階へ進むためには徹底した市場化をやるほかないと主張してきた人物である。
したがって、張維迎への批判は、自由がなくても科学技術は発展するとか、中共施政下でも独創的技術が生まれたとかいうことでなければならない。ところがこの「反論」では欧米日の中国侵略の歴史や、鄧小平農政の自作農創設や、中共治政下の経済の高速発展が偉大なものであったことをことさらに強調し、さらには習近平主席が毛沢東に心酔していることを受けて、毛沢東が文化大革命中に青年を農村に「下放」したことを肯定し、現在の中共中央指導部に「下放」経験者が数多くいることを誇らしげに記している。
この「反論」が技術開発にまともに触れた部分は、わずかに屠yaoyao(yaoは口ヘンに幼)女史が新薬の開発でノーベル生理学医学賞を受けた事実と、中国「雑交水稲」の父袁隆平氏のハイブリッド水稲技術、さらに中国の特許申請件数が世界一の多さに達したことしかない。
科学技術分野でのノーベル賞受賞者が屠女史たった一人、めざましい業績が袁隆平氏一人という事実は、むしろ張維迎氏の「自由がないところには独創がない」という主張を裏付けるものだ。特許に至っては、洗濯機のごみ取りからips細胞周辺までそのレベルは千差万別だから、特許申請件数が多いことがただちに中共支配下で独自の技術開発が数多くあることの証明にはならない。

「反論」氏が本当に反論したかったこと「反論」の著者もこうした「反論」がいかにも愚かで、まかり間違えば張維迎論文を肯定することになりかねないことはわかっているかもしれない。では「反論」氏が本当にいいたいことは何か。
答えは簡単で、張氏が「自由がなければ、独創も科学技術の発展もない」といったことがいけないのである。「反論」氏にとっては、これこそマルクス主義に反し、共産党の指導を否定する資本主義の道を歩ませることになる。そこでこんなふうに口を極めて張維迎氏を非難するのである。
「学んでは人の師、行なっては世の模範であるべきなのに(張維迎は)『自由と責任』のスローガンを打ち立て、ほらを吹き、極めて険悪な了見で、新中国で生まれた天地をひっくり返すような変化を根本的に無視し、改革開放以来の目を見張る成果を否定し、共産党の指導を否定し、我々の路線と理論、制度、文化についての自信を破壊している」
「突き詰めたところ共産党の指導を覆し、英米モデルによって中国を徹底改造し、資本主義の道を歩ませようとしている。これは学術問題でもなんでもない。重大な原則問題・政治問題である」

なぜ自由を求めるものが生れるか
劉曉波氏にしたように、中国憲法の民主的条項の完全実施や司法の独立を要求するものをただちに投獄したとしても、中国には思い出したように、自由だの民主主義だのを求める張維迎氏のような人物が現れる。
そこで「反論」氏は「現在(張維迎のような)社会上のあれこれの反党・反軍・反政府などのマイナス感情がなぜ盛んになったのか」と問い、自ら答える。
「わが国改革の全面深化・全方位対外開放・中外の交流は頻繁になり、英語・ロシア語・日本語・ドイツ語・フランス語など外語使用の人はだんだん多くなった。我々は外語を使用すると同時に、自覚するか否かにかかわらず一種の価値観念・思惟方式・言語体系を受取り押し広めている。こうした状況の中では、人によっては、『ヨーロッパは強く自分は弱い』という言語構造の中で定見をうしない、ヨーロッパ理論と価値観の『伝声管』になり、実質的には『魂を失う』ものが出てくる」
つまり、経済のグローバル化や文化の多元化が中国インテリの思考を「西側化」し、反マルクス主義的にしているというのである。ならばいくら警戒しても「定見」を失い「墓堀人」の卵となるインテリは、いくらでも生まれることになる。そうだとすればこれは力で抑えつける以外にない。
私が知るかぎり、力づくではない方法もある。中国で生活していたとき、私が接した学生のほとんどはマルクス主義の初歩の教条を知らなかった。「中学高校でいやになるほど暗記させられたから、もうマルクスはいやだ」というのがその答えだった。
若者がマルクスを忘却の彼方の追いやることは、中共指導者にとってはたいへんに都合のよいことである。中国の現状をマルクス経済学の教条に照らして、「中国では資本による労働の搾取があるのか」とか、「中国富裕層のあの巨万の富はどこから来たか」などと若者に言いだされては困るのである。

プロレタリアート叛乱への恐怖
まじめな話だが、中国では一党独裁を非難したり、資本の利益制限を主張したりするものは反マルクス主義的であり反革命である。権力と富とが特定階層に集中する現体制を正当化し、国家独占資本主義のゆがんだ市場経済を擁護するイデオロギーこそがマルクス主義である。マルクス先生、エンゲルス先生がご存命であればどんなに驚かれることであろう!
そして張維迎氏のように徹底した市場化を主張する体制側イデオローグでも、自由を掲げて現状を批判すれば打倒の対象になる。それは市民・労働者の反権力的組織的抵抗を導く恐れがあるからである。中共中央が恐れるのは、1989年の民主化運動の再現である。市民・労働者が組織され、民主主義への体制変革とか、資本の利益制限とか、社会福祉などを要求しだすことである。
中共は中央から地方の末端まで権力の網をしっかり張ってはいるが、その支配を正当化するイデオロギーは、現実との乖離がはなはだしく、現体制によって利益を得ている数百万の富裕層をのぞけば、十数億人民大衆に対しては説得力はほとんどない。
そこで中国政府はこの6月はじめ、イデオロギー規制を強化する「ネット安全法」を施行した。当局は遠慮なくネット情報をコントロールできるし、ネット運営者は利用者の個人情報などを提供しなければならない。反政府運動が起きないのはこのように人民大衆がバラバラにされ、横の連携を絶たれているからである。こうして張維迎氏へのばかばかしい「反論」には、体制側イデオロギーの深刻な危機感が反映されていることがわかるのである。
2017.07.25 アリスとの出会いーその「奇跡」の人生から学ぶ
韓国通信NO530

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 一年ぶりのアウシュヴィッツ平和博物館※。
水仙、桜、れんぎょう、こでまり、芝桜が一斉に咲くのを見て14年間の歳月を思い出した。栃木県から福島県白河へ移転した博物館のオープンを記念して植えた芝桜が特に思い出深い。<写真/アウシュヴィッツ平和博物館本館>
(※1988年からポーランドのアウシュヴィッツ博物館から借り受けた資料等を全国巡回後、2003年から福島県白河市で常設展示。原発事故後、原発災害資料センターを併設)
韓国通信530

 ホロコースト、チェコのテレジン収容所に長年かかわってきたピアニスト志村泉さんの『アリスの奇跡』コンサートが、アウシュヴィッツ平和博物館主催で4月22日、同博物館で開かれたので、それを聴きに白河を訪れたのだった。
アリス・ヘルツ=ゾマーは1903年生まれ。チェコ出身のピアニスト。4年前に110歳で亡くなるまでピアノを弾き続けた数少ないホロコーストからの生還者。ピアニスト、ピアノ教師、母親として、一市民として、愛にあふれた生涯を送った。

<ピアノとお話>
 ピアノ演奏の前に志村さんはアリスの数奇な人生を語り、曲ごとにアリスとのかかわりについて聴衆にレクチャーした。<写真下/志村泉さん> まず、ショパンのエチュード「別れの曲」。
 1943年7月5日、アリスは隣人のナチス党員夫妻の求めに応じて、「別れの曲」を弾いたといわれている。アリス一家がテレジン収容所に送られる前夜である。すべての財産を奪われ、空っぽの部屋に残されたピアノで弾いた。(『アリスの奇跡』キャロライン・ステンジュー著より)。
 志村さんは、この曲を収容所に送られるアリスの気持ちになって演奏したはずだ。狂おしいほど不安なはずだったアリスは絶望せず、希望を失わなかった。
 アリスは生涯ベートーベンを尊敬し、「熱情」ソナタを好んで演奏したといわれる。ピアノがうなり、息を呑むような情熱的な演奏から、志村さんのアリスと曲への思いが伝わってきた。
 初めて聴くウルマン(チェコ出身。1898~1944、作曲家、指揮者、ピアニスト)のソナタ第2番。アリスは、テレジン収容所で、アウシュヴィッツへ送られるウルマンの前でこの曲を演奏した。とかく難解といわれる現代曲だが、初めて聴くソナタは、ベートーベンやショパンを感じさせる甘く親しみやすいメロディながら、ウルマンの「不安」と「苦悩」が重なる。
 会場では福島原発事故をテーマにした三人の絵画展が開かれていた。その作品に囲まれたウルマンの曲は「フクシマ」と響き合った。アリスは100回を越す「収容所コンサート」を開いたという。志村さんは、アリスを語り、アリスになり切って熱演した。
韓国通信530ー2

<テレジン収容所(1941/11~1945/4)のこと>
 チェコのテレジン収容所には音楽家を始め多くの芸術家や科学者たちが収容された。最盛期にオーケストラが四つもあったとは驚く。劣悪な環境の中で子どもたちのためのオペラまで上演された。「文化」に溢れた収容所に見えるが、ガス室による大量虐殺をカムフラージュするためだった。そのため国際赤十字団を招いてコンサートまで開かれる一方で、収容されたユダヤ人を次々とアウシュヴィッツのガス室へ送るという類まれな「通過施設」だった。
 収容されたユダヤ人は156千人、解放時には生存者はわずか17千人。生存率は11%たらず。「消えた人たち」はアウシュヴィッツに送られ、あるいは収容所内で死亡した。
 アリスのピアノは、収容された人たちを励まし、希望を与え続けた。自分を待ち構えている苛酷な運命に絶望してはできないことだった。強制労働と特別に許可された練習とコンサートがその後のアリスの生き方を決定づけた。

<アリスの世界>
 音楽の力によってナチの恐怖を超えたアリスは奇跡的に生き延びた。夫はすでにアウシュヴィッツで殺されていた。彼女は42才になっていた。解放後、イスラエル、イギリスへ移住してピアニストとして目覚ましい活躍を続けた。
 ピアニストとしての名声とは別に、彼女は私生活をとても大切にする人で、たびたび友人たちを招いてはホームリサイタルを開いている。これは生涯続いた。アリスは自分の体験から「愛」と「希望」の大切さを語り続けた。<写真/本の表紙/アリス・ヘルツ=ゾマー>
韓国通信530ー4

 志村さんのこの日のコンサートはアリスの世界を彷彿とさせた。演奏会が終わって参加者たちとアリスの世界を語り、音楽の素晴らしさを語った。テレジン収容所でアリスが弾いたピアノはポンコツだったが、この日、主催者が用意したピアノは生前アリスが愛用したスタンウェイだったことも話題となった。

 アリスは大変な勉強家、読書家でもあった。高齢になって大学で哲学を学び、カフカやスピノザに親しみ、シュテファン・ツバイクの『昨日の世界』を愛読し、生涯、日々学び、思索を重ねた。数多くの著名な文化人、演奏家、指揮者たちが彼女の自宅を訪れたが、無名の人たちとも心を開いてつきあい、孤独とは無縁な生活を送った。
 憎悪を嫌ったアリスは、無限の寛容な心を持った人だった。「私たちは永遠からやって来て、永遠に戻る」と語り、マーラーの交響曲第二番四楽章の歌詞「私は神から出でて、神に戻る」はアリスの魂のテーマだったとも伝えられる。
 アリスは夫や家族、友人たちを奪ったナチスの残虐行為をどのように考えていたのだろうか。アイヒマンの公判を傍聴して、ハンナ・アーレントと同様に「自分の責任を果たしただけ」と平然と述べたアイヒマンの凡庸さに衝撃を受けた。だから、彼女はホロコーストがなくなっても世界は何も変わっていないと感じていた。人を理解すること、愛することからすべてが始まると主張してやまなかった。2001年9.11事件以降、憎しみの連鎖が世界を覆ったことに心を痛め続けた。

<憎しみにあふれた世界にも春は来るのか>
 今、世界は「憎しみの連鎖の」なかにある。そして、テロと戦争が続発している。自国第一主義、排他主義が広がり、至る所で人間の尊厳が貶められている。
 「ホロコーストは終わっていない」という収容所からの帰還者であるアリスの言葉は重い。終生、音楽と愛の力を信じ、憎しみのない未来を願ったアリスは私たちが忘れがちな大切なことを思いださせてくれる。アリスは自分を苦しめたナチスに対して憎悪を燃やすことはなかったが、憎悪そのものは許せなかった。憎悪を煽ったヒットラーを「無教養」な「ポピュリスト」とあざ笑い、闘おうとしなかったことがホロコーストを生み戦争を生んだというアリスの指摘は、今でもそのまま通用する。トランプ米大統領のポピュリズム、安倍首相の無知蒙昧を笑ってすましてはいけない。アリスがもし生きていれば、間違いなく彼らとヒットラーに違いはないと答えるはずだ。
 韓国の詩人李相和の「失われた野にも春は来るのか」は、日本によって奪われた祖国に春が来ることを願った詩である。私はその一節を、憎しみに覆われた地球に春が訪れることを願う人類共通の願いとして心に留めておきたい。

 なお本文は「未来へのかけ橋」<テレジンのピアノの会発行>NO39掲載文章を加筆修正したものです。

2017.07.24 衝撃的なアルジャジーラのモスル解放報道
 
坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 モスル解放のニュースは洪水のように、世界で報道された。主としてネットを通じてできるだけ多くの報道に目を通したが、中東カタールに本社がある国際衛星テレビ局アルジャジーラの報道がとりわけ優れていると思った。アルジャジーラについては、6月29日の本欄で「アルジャジーラを潰すな!中東唯一の自由な国際衛星TV局。サウジ、エジプトらが閉鎖要求」で書いた。サウジアラビア、エジプトなど中東4か国が、6月5日に国交断絶、わずかな通行ルートを残して陸路、航空路を閉鎖、22日には、イランとの外交関係の縮小、エジプトのムスリム同胞団やシリアの一部反政府過激派への援助の停止、アルジャジーラの閉鎖など13項目を要求。カタール政府はこれらすべてを拒否した。アルジャジーラも従来通り、アラビア語、英語報道を続けてきた。
 モスル解放の報道でも、その報道姿勢は、英BBC以上に、人の命、人権を尊重する立場を失わずに、戦場から、後方の難民キャンプから、首都バグダッドから、現地報道を続け、イラク軍や米軍の行動に対しての批判も避けなかった。
 その中から、ここでは、アルジャジーラ電子版が伝えた、イラク政府のモスル解放宣言(7月10日)前後にアルジャジーラ取材陣が現場で撮影した写真を紹介しよう。

(写真説明)撮影者はアルジャジーラのEmanuele Satolli.
「イスラム国IS]支配から解放されたモスル市西部。自宅の地下などに何週間も隠れていた市民たちが、激しい爆撃と銃撃戦で瓦礫となった街頭に出てきた。

モスル写真1
1.自宅の壁の穴から出てきた女性

モスル写真2
2.まだ、自宅の地下室からでられなかった家族

モスル写真3
3.ISの抵抗が終わり、かってはにぎやかだった街頭に出てきた市民たち

モスル写真4
4.赤ちゃんをだいて出てきた女性

モスル写真5
5.高級だったモスル・ホテルのロビーで休むイラク兵たち


2017.07.18  これは灯火が消える前の一瞬の輝きか
          ――八ヶ岳山麓から(227)――

阿部治平 (もと高校教師)

7月1日、経済学者張維迎氏は、北京大学国家発展研究院の卒業式で、教授陣を代表して「自由とは責任にほかならない」という表題の講演をおこなった。彼は自由を推進することの歴史的意義を強調して、これは祖国の命運に関心をもつ「北京大学人」の責任であり使命であると語った。
張氏は1959年生。中国経済の徹底した市場化、国営資本の民営化を提唱して新自由主義経済学者の旗手といわれた。だが、企業家精神を擁護するあまり、その不当行為を容認するような議論に及んだため、資本家の代弁者といった批判を受けた人物でもある。
講演は政府筋を恐慌に陥れたらしく、北京大学国家発展研究院の公式サイトから速やかに削除された。苛烈な思想弾圧がつづく今日、彼が当局からどんな扱いを受けるか懸念される。以下はこの講演の私なりの要約である。

「自由とは責任にほかならない」
                                                     張維迎
1500年以降中国人は何も創造しなかった
イギリスの科学博物館の研究者Jack Challonerの統計によると、旧石器時代(250万年前)から2008年のあいだに世界を変えるような重要な発明は1001件あった。そのうち中国は30件で3%を占めるという。この30件はすべて1500年以前にうまれ、1500年以前の時代の全世界163件の重大発明の18.4%を占めるという。
最後の一件は1493年発明の歯ブラシである。これは明代たったひとつの重大発明である。1500年以後500年余り全世界の838件の重要発明中、中国がものしたものは一件もない。

技術開発と急速な拡大
1500年以後世界は一体化した。技術の発明が速いばかりか、その拡散速度はさらに早くなった。新技術がある地方に現れると、たちまちほかの地方が引入れるから、人類全体の進歩には重大な影響を及ぼすこととなった。経済成長のみなもとは、新製品・新技術・新産業の絶えざる創出である。
自動車を例に取ろう。自動車産業は1880年中期にドイツ人のKarl BenzやGottlieb Daimler、それにWilhelm Maybachなどが作り出したものである。ドイツ人が自動車を発明するや、15年後にはフランスが世界第一の自動車生産国になり、さらにその15年後にはフランスに代わってアメリカが第一となり、1930年アメリカの自動車普及率は60%に達した。
自動車産業の技術史をみると、有名な発明者は千をもって数えることがわかる。中国はいま第一の自動車大国だが、技術革新はドイツ・フランス・イギリス・イタリア・ベルギー・スウェーデン・スイス・日本などで行われ、中国人はだれ一人いないのだ!

人口規模と独創の関係
理論上は、ある国家の人口規模が大きいほど創造は多く、技術進歩も早いといえる。しかし創造と人口の比は指数関係であり、単純な等比関係ではない。
10数年前、アメリカの物理学者Geoffrey Westらは、都市生活中、人類の発明創造と人口の関係には「4分の5乗」の法則があることを発見した。もしある都市の人口が他の都市の10倍であるとすれば、発明創造の総量は後者の10を「4分の5乗」して得られる数値すなわち17.8倍となるという。
これからすると中国の世界発明創造に対する貢献は、中国の人口規模とはまったく比例しないことになる。中国人口はアメリカの4倍、日本の10倍、イギリスの20倍、スイスの165倍である。知識創造の指数累乗法則に従えば、中国の発明発見はアメリカの5.6倍、日本の17・8倍、イギリスの42.3倍、スイスに至っては591倍となるはずである。
そのスイス人は、手術用の鉗子、電子補聴器・安全ベルト・整形技術・液晶パネルなどを発明した。中国人民銀行発行の人民元紙幣に使われているニセ札防止インキはスイスの技術であり、国産の小麦粉の60~70%はスイス・ブロン社製の機械で製粉したものである。

中国にもかつて自由な時代があった
中国人の遺伝子に問題があるわけではあるまい。我々は古代中国の輝かしいものと理解される方法を、現代というこの時期に失っているのだ。明らかに我々の体制と制度に問題があることがわかる。独創力は自由にささえられたものである!思想と行動の自由だ。中国体制の基本的特徴は人の自由を制限し、個人の独創性と企業家精神を扼殺するものである。
中国人がもっとも創造力を発揮したのは、春秋戦国と宋代である。これは偶然ではない。この二つの時代は中国人が最も自由な時代だった。1500年以前、ヨーロッパもアジアも昏迷の中にあった。1500年以後、ヨーロッパに宗教改革とルネッサンスがおこり、だんだんに自由と法治に向かって歩み出した。いま我々はその逆を行っている。
私は強調したい。自由は不可分の総体である。心の不自由なとき、行動の自由はありえない。言論が不自由なとき、思想は自由ではありえない。自由があってこそ創造があるのだ。例をあげる。

手洗いと活字印刷、顕微鏡の関係
今日、食事の前とトイレのあと手を洗うのは習慣となった。だがハンガリーの内科医Ignaz Semmelweisが、医者と看護師は産婦に接触する前に手を洗う必要があるといいだしたのは、1847年のことである。これは当時の習慣と異なっていたから、彼は同僚のご機嫌をそこね、仕事を失い、精神病院で死んだ。享年47。
では人類の衛生習慣はどのように変化したのか。
これは印刷機の発明と関係がある。1440年代、ドイツの企業家Johannes Gutenbergが活字印刷を発明した。印刷機によって書籍と読書が普及した。そこで眼鏡の必要が生れ爆発的に増加した。印刷機の発明から100年後、ヨーロッパには数千のメガネ屋が生まれた。これが光学技術の革命を引きおこした。
1590年、オランダの眼鏡製造商Janssen父子は、いくつかのレンズを円筒の中に重ねておくと、ガラスを通してみたものが大きくなるのに気がついた。これが顕微鏡の発明につながった。イギリスの科学者Robert Hookは顕微鏡をつかって細胞を発見し、科学と医学の革命を引き起こした。初期の顕微鏡は解像度がたいへんに低く、1870年代に至ってドイツのレンズ製造商Carl Zeissが新しい顕微鏡を生産したが、それは精密な数学公式を基礎とした構造であった。
ドイツの医者Robert Kochなどは、まさにこの顕微鏡を使って微生物・細菌を発見し、かのIgnaz Semmelweisの見方が正しかったことを証明した。これによって微生物理論と細菌学が創設され、これによって人類の衛生習慣が改善され、人類の余命が大幅に延長されることになったのである。

発明・独創は自由あってこそ
過去30余年、中国経済はまれにみる発展を遂げた。この成果は西側世界300年の発明と創造が蓄積した技術を基礎として実現したものである。ところが中国経済の高度成長を支えた重要な技術と製品はすべて他人の発明したもので、自分の発明はひとつもない。我々はただの利ざや稼ぎをやったのであって、独創者ではない。我々は他人が作った大建築の上に小さな楼閣をつくったにすぎない。我々には自らを誇る理由がないのだ!
これから50年、100年と世界の発明発見は歴史を重ねるだろうが、中国は過去500年の歴史上の空白を変えることができるだろうか?答えは中国人が享有する自由を持続し向上させることができるか否かにかかっている。なぜなら自由があって、はじめて中国人はその企業家精神と独創力を十分に発揮でき、中国を新しい形の国家に変えることができるからである。
ここにおいて自由を推進し、またそれを擁護することは、中国の命運に関心をもつ一人一人の責任である。さらにいえば、これは「北京大学人」の使命である! 自由を守らずして「北京大学人」を自称するなかれ!
(2017・7・12記)