2016.01.04 目から鱗の落ちる記事はない
―2016年元旦の全国紙を読む―

半澤健市 (元金融機関勤務)


 2015年9月に「戦争法案」が強行採決された。今夏の参院選または衆参ダブル選挙の結果によっては、戦時が恒常化するかも知れぬといっても誇張にはなるまい。
2016年の元旦各紙を読み比べた印象を書く。私の読み比べは7回目である。対象は朝日、毎日、読売、産経、日経、東京、ジャパンタイムズの7紙。一面トップ、社説、特集記事を中心に読んだ。

《一面トップ記事は総じて低調》
 読売のトップは、「数研出版」にも三省堂同様に、教科書選定誘導のために教師招待をして検定中の教科書を見せ、意見を聴いたことへの謝礼を出していたというものである。教科書選定の過程に歪みが生ずるという批判である。たしかに検定中の教科書公開は禁じられているから、採用を狙ってカネをバラまくのはよくない。記事は、その不法性を強調して、政府介入の強化へとつなげたいという意識が感じられる。明示的ではないが、教科書検定の強化という目的から発想された記事である。「選定のあり方 再考を」なる中見出しがある。

産経のトップは、「マイナンバー」制度のソフトがプクラムに誤りのある欠陥商品だったこと、しかし「地方公共団体情報システム機構」が原因開示を拒否していることをを追求している。一般論としてはこの追求を非難はできない。しかしこの制度が、国民のプライバシーを犯し徴税に利用される懸念はつとに指摘されてきた。しかも不思議なのは、「住基カード」導入時には論争になったこの問題が、今は殆ど論じられない。新聞が市民のためのメディアなら、開示拒否批判とともに、全体的な構図のなかで論ずるべきではないのか。こういう取り上げ方は問題を矮小化している。

朝日のトップは「18歳をあるく」という若者問題である。選挙権を18歳まで下げれば、彼らは与党の援軍になるとみる人が多かった。ところがシールズの出現どころか高校生までが反安保デモに登場するに及んで、「18歳援軍論」は違うかも知れないとみんなが思い始めている。これが記事掲載の原点―少なくとも大きな要因―と思うのだが、この特集記事は焦点が絞り切れていない。消費行動やサブカルの担い手としての興味にとどまっている。PR会社の博報堂担当者による消費傾向分析から始まるのである。若者の内面には及ばない。
若者3人の「オピニオン」欄も読者には一連のものと映る。2人は格差、差別への批判と対策を論じ、1人は「デモか無言か」以外の選択肢の提唱であり、いずれも正論である。去年も感じたが、第三者に批判させる手法である。これはシリーズで続くようだから、一日だけで決定的なことは言えないが。

《毎日・東京がややマシである》
 毎日は、安倍政権が「お試し改憲」の一つに「緊急事態条項」の制定を考えていると伝えている。この提案は「3・11」に起源をもち、野党の多くも当時は検討には賛成した。国会議員の任期を暫定的に延長するなどの「非常事態立法」的な改定は、麻生太郎の「ナチに学べ」論を想起させる。

東京のトップは、安倍政権が中古武器輸出推進のために法整備を検討中と報じている。オスプレーを買って、中古武器を新しい「同盟」国へ売るのであろう。日本資本主義は安倍政権によって軍事ケインズ主義へカジを切った、とする論が台頭している。このニュースはその分析を裏付ける動きにみえる。

ジャパンタイムスの一面トップは、写真入りで従軍慰安婦合意に反撥する韓国当事者や青年層の動きを共同電を引いて報じている。

日経一面は、アジア経済圏企業家のグローバル経営戦略を報じている。日経の奉ずる新自由主義の実例集である。

以上の瞥見から感ずるのは各紙から今日の緊張感を反映した意識が伝わってこないことである。

《社説は定番化・慰安婦問題はジャパンタイムスのみ》
 社説では各紙がどんな現状認識をしているかがわかる。

読売の社説「世界の安定へ重い日本の責務」は長文だが、事態の経緯を述べるところは多いが議論には説得力がない。
テロとの戦いでは対米隷従路線を確信して変わらない。しかしさすがにアベノミクスに満点をつけられず、グジャグジシャと問題点を曖昧に論じている。憲法改正に関しては「大災害が発生した場合に備える緊急事態条項などは、真剣に検討すべきだ」と述べ、沖縄基地は「辺野古移設が最も現実的な選択肢だ」と述べる。全体に「長期的に問題の所在を議論し、合意形成を図っていかねばならない」といい、「野党も、昨年の安全保障法制の審議のように、情緒的な反対論ばかりでは困る。緊張感を持った実のある政策論議が求められる」と結んでいる。「情緒的な反対論」には笑った。非論理的で、「情緒的」で、実のない答弁が、次々と崩壊したのは安倍晋三側だったからである。

産経の社説(論説委員長石井聡「年のはじめに」)は相変わらずの日米同盟強化論である。毎年、同じ文章を掲げたらよいと思えるほどである。

日経社説「新たな時代の『追いつき追い越せ』へ」は、1人当たりGDPが下落する日本経済が、グローバル経済に生き残るための「ブランド経営」の提唱である。スイスとオランダの構造政策を手本とみている。美しい見本の提示に同感したいが、フラット化するグローバル経済化のなかで理論的にそれは可能なのか。

朝日社説は「分断」をキーワードとして、イスラム国、格差、差別などの拡大により世界に亀裂が生じていると診断し、連帯・共感を対峙させて民主主義の崩壊を防げと解いている。沖縄基地問題についてこう書いている。

  「沖縄の米軍基地問題も日本に分断を生んでいる。県民の多くが本土に求めるのは、一県には重すぎる負担の分担だ。「同胞」から「同胞」への支援要請である。しかし本土の反応は冷たい。政治は問題を安全保障をめぐる対立の構図に還元してしまう。そこに「同胞」への共感と連帯をもたらす本来のナショナリズムは見る影もない。」

これは「本土の沖縄化」の提唱ではないか。沖縄の望みはこれとは違うのではないか。日米同盟の維持はオスプレイが本土を飛び回ることと同義ではないだろう。

ジャパンタイムスの社説だけが従軍慰安婦を取り上げた。政府間合意が、両国とりわけ韓国の当事者や青年層の反撥に対応できるかに懸念を示している。日本語全国紙の慰安婦問題の取り上げ方は社説以外でも極めて小さい。慰安婦問題は「最終的かつ不可逆的に」解決した(resolved finally and irreversiby)というが、北朝鮮との国交回復や将来の南北朝鮮の統一は視野にないのだろうか。

《漱石に関する水村・堀江対談は秀逸》
 特集と別刷について簡単に触れる。日経の「2020ニッポンの道しるべ」は専門紙らしく企業経営、経済構造、IT・ハイテク技術、ポスト安倍予想などを巡る新情報を網羅して読ませる内容であった。別刷は各紙とも、テレビ・ラジオ番組とスポーツ記事の羅列である。
その中で没後百年夏目漱石に関する記事で、日経の作家水村美苗・堀江敏幸対談が秀逸である。朝日の山崎正和の漱石論は「プレモダン時代にポストモダンを展望した」と賞賛しているが、短文でもありわかりにくいものであった。

以上、駆け足で書いた。現状分析、将来展望、対策提言のいずれにも、私には目から鱗が落ちる記事は一つもなかった。その理由は、世界の現状がそれだけ混沌の中にあること、ジャーナリストの力量が低いこと、評者の高齢が新事象の理解を阻んでいること、によって説明できるであろう。(2016/01/02)

2015.11.26  BPO意見書が「クローズアップ現代」の放送倫理違反認定
          あわせて政府自民党の介入に警告

隅井孝雄(ジャーナリスト)


11月7日、放送倫理番組向上機構(BPO) の放送倫理検証委員会が、かねてから問題になっていた「クローズアップ現代」の「出家詐欺」の過剰演出について、6日意見書を発表した。「重大な放送倫理違反があった」ことを認定したのだ。
しかし、「クローズアップ現代」問題を総務省が警告文書を送付、自民情報通信調査会が事情聴取で呼び出したのは重大な政治介入であると批判、政府は反発している。

番組の隠し撮りなどの手法は放送倫理違反
「意見書」は28ページにわたる厖大なものだ。制作過程を事細かに調査し、事前取材が不十分、しかも裏付け取材をせずに情報提供者の話を鵜呑みにし、隠し撮り風の演出を加えた、と批判「重大な放送倫理違反があった」と結論づけた。番組は多重債務者が出家して戸籍を変え、債務記録の紹介を困難にする「出家詐欺」という闇の世界の実態を描き出そうというものであった。しかし番組の中で「出家詐欺ブローカー」とされた男性の職業や、詐欺の舞台となった事務所は実際と異なり、この場所に相談に訪れたとされる多重債務者は担当記者と知り合いだった。また相談を隠し撮りしたように放送されたが、その席に記者も同席していた、ということが検証委員会の克明な調査で明らかにされた。

唯一の調査報道番組へ温かい眼差
「クローズアップ現代」は1993年4月以来(当初は21時30分、2000年4月から19:35分の放送)、発足当時NHKニュース9の特集を切り離して独立した番組にするという構想だったため、いわゆる調査報道の手法をとる唯一の番組として、現在まで22年以上放送が続いてきた。過去オウム事件報道など何回も20%以上の視聴率を記録、現在でも10%を下がることがないNHKの看板番組である。
BPOの報告書の最後の部分は次のように述べた。「不祥事が起きると制作現場の管理が必要以上に強化され、事件の真相に迫る取材活動が萎縮する、そうしたことのないような(NHKの)配慮を期待する」。また、4月28日の「クローズアップ現代」で番組自体が行った検証放送を引用し、「自律的な検証の姿勢と真摯さは十分評価されるべきだ。番組の活力がそがれることなく、キャスター(国谷裕子)の言葉どおり、社会の真実に迫る意欲的な番組が今後も生み出されていくことを強く期待する」と締めくくった。異例のことであるが、放送倫理の検証にあたった川端和治委員長ら12人の委員の温かい眼差しを感じる。

政府、自民党との確執
この番組に対しかねてから政府自民党が快からず思っていたといわれている。7月3日、「クローズアップ現代」は菅義偉官房長官をゲストに集団的自衛権を取り上げた。国谷キャスターは「憲法の解釈を変えて良いのか」、「密接な関係を持った国のために第三国を攻撃することにならないか」、「解釈変更への違和感、不安をどのように払拭するのか」などの質問をしたことで、官邸がNHKを叱責した、との記事が週刊誌「フライデー」(7/19)に掲載された。官邸は否定しているが、記事には「NHK(担当者)を土下座させた」という表現もある。
またこの番組が打ち切りになるか、15分~20分に短縮されると"憶測"するメディア報道もある(11月10日現代ビジネス)。この番組が政府、自民党の標的になっているという認識がひろがっているといえよう。私は「クローズアップ現代」が今日の不祥事を乗り越え調査報道の真価を発揮し続けることを心から望んでいる。

政府自民党の介入行為こそ「放送法」違反
こうした状況の下で、今回のBPO意見書は総務大臣が4月28日にNHKに対し文書で「厳重注意」したことは権力介入であり、また自民党情報通信戦略調査会が事情調査のためNHK幹部を呼び出したことを批判した。
意見書はその根拠を次のように述べた。
――「高市早苗総務大臣は厳重注意の理由は『事実に基づかない報道や自らの番組基準に抵触する放送が行われたことである』という。しかし、放送による表現の自由は憲法で保障されている。また放送法の『放送法の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による自由を確保すること』(第1条第2号) という原則を定めている。ここにいう『放送の不偏不党』、『真実』や『自律』は放送事業者、制作者に課せられたものではなく、この原則を守るよう求められているのは政府などの公権力である」。
つまり放送局を呼び出し、あるいは厳重注意の文書を送りつけた政府、与党こそが憲法、放送法に違反する行為なのだ。今回のBPO倫理検証委員会の「意見書」は、政権に対して警告を発したものといえよう。

BPOの存在意義は?
BPO「放送倫理番組向上機構」は2003年、それまであった放送番組向上委員会、放送と人権委員会機構(BRO)の二つの機能を引き継ぎ発展させた自主規制機関としてNHKと民放連が設立した。「放送倫理検証委員会」「放送人権委員会」「青少年委員会」の3委員会によって構成される。
放送は電波の割り当てを政府が行うという必要性があるため、ややもすれば行政当局が内容に対する統制を行うのが当然という誤解が生じた。そこで放送の自由、自律を保障するための第三者機構を国の介入に対する歯止めとして誕生させようという構想が生まれたのだ。以来BPOは番組が放送倫理を守っているかどうか、人権を侵害していないか、青少年に不適切な番組はないか、常時見守り、必要があれば委員会で検証することを任務としてきた。
BPOの意見書に対し高市総務相は「放送法に抵触する内容であったことから、放送法を所管する立場から必要な対応をした。番組準則に違反したかどうかの最終判断は総務大臣であることから単なる倫理規定ではなく、法規範性を有する」(11/6)と反論した。
政府とBPOの見解は真っ向から対立している。安倍政権のこれまでの性格から見るとBPOの改組をNHKと民放に要求する可能性がある。しかし放送の自由、自立を守るため、BPOを擁護する必要がある、と私は思う。

2015.09.05  あるリベラルなジャーナリストの死
坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

7月に亡くなった共同通信の元社長、犬養康彦さんの「お別れの会」が9月2日、東京のホテルであった。社会部出身の彼は、社会部の記者だったときも、デスクのときも、社会部長の時も、編集局長のときも、社長のときも、いつも変わらぬリベラルなジャーナリストだった。共同社会部出身のジャーナリストには、TBSのニュース・キャスターになった故田英夫、「デスク日記」の小和田次郎(原寿雄)らの伝統がある。その少し後輩の犬養さんには、自ら身を晒して政治・社会の不正や抑圧と戦うことはあまりなかったが、社内の自由な取材をささえ、励まし、権力からの絶え間ない干渉をしっかり、穏やかに跳ね返し続けた。彼が、社を退いた以後、共同通信のリベラルな伝統が次第に掘り崩されてはいるが、安倍政権の安保法制強行に対する、東京新聞を含む全国の共同通信加盟地方紙の厳しい批判を見るたびに、犬養さんも加わっていたリベラルな報道の流れを感じる。
犬養さんは、1936年の5.15事件で暗殺された、犬養毅首相の孫で、父は元法相、姉は評論家・作家の犬養道子さん、姪のJICA前総裁・緒方貞子さんら、華やかな一族の一員だった。貧乏人が多い共同通信になぜ入ったのかを聞いたことはないが、おとなしく見えて、根っからの社会部記者で、そのリベラル思想は、軍人のクーデター未遂の標的になった祖父の血が流れていたのかもしれない。
1964年の東京オリンピックで、犬養さんは社会部のキャップだった。新聞の1面トップ用の記事、開会本記を書いたが、案外地味なおとなしい記事だったのを覚えている。私も五輪担当班の一員だったが、入社4年目の社会部遊軍記者だった私は、キャップに雑用を命じられるだけで、「空いてる時間は、陸上競技を見ていろ」と指示された。陸上競技などはそれまで見たことはなかったが、観覧席の前の方に座ってみると、これぞオリンピックという感じで、面白かった。確か女子走り高跳びで、バラシュという背の高いハンガリーの選手が断然強く、魅了されたのを今でも思い出す。それが犬養流の記者の育て方だったのだろう。
1971年の世界卓球大会で、外信部の中島宏記者が、中国が米国の選手団を中国に招待し、断絶していた米中関係を中国側が開こうとしていることをスクープした。(この経過は今年7月28日の朝日新聞記事に詳しい)。共同の取材班を代表して犬養さんが、同年の新聞協会賞(編集部門)を受け取った。彼自身のスクープではなかったが、ジャーナリストとして、一番うれしかったことだったという。
2015.08.07  日経FTは第二の野村リーマンか
    ―カルチュアギャップの行方―

半澤健市 (元金融機関勤務)


 『日本経済新聞』が英日刊経済紙『フィナンシャル・タイムズ』(FT)を買収したという。極私的感想を述べたい。

《タテのものをヨコにする邦銀と日経》
 1974年のことである。三人の信託銀行員が「ウォール街40」というビルでニューヨーク支店の開店準備に奔走していた。そこに机を一つもらった私は、同じ会社だが駐在員ではなく半年足らずの「研修生」だった。金融市場をよく見てこいと命じられたのである。米大手証券の新人教育を傍聴したり、一人で米欧のカウンターパートを取材した。二重価格構造(two-tier market)の株式相場の崩壊にも遭遇した。米信託会社の資産運用現場にいたときである。エリート運用者も狼狽するのを見た。水門事件で退陣する大統領の演説もテレビ視聴した。良い勉強になった。

ニューヨーク駐在員諸兄の仕事に現地情報の報告があり、彼らは『ウォールストリート・ジャーナル』や『ニューヨーク・タイムズ』(ビジネス欄)を読んで、ヨコのものをタテにしたレポートを、東京本部へ送っていた。至急のものはテレックスで、通常は航空郵便の時代である。興銀や東銀や野村は一次情報もあろうが、新規参入者としてニューヨークへ殺到する日本の金融機関はシロウトの集団であった。
日経の米国金融記事も基本は同じである。一言でいえば現地メディア記事の要約であった。

《英米経済紙の存在感とリアリズム》 
 40年が経ち、私が退職してから20年になる。
現役時代は、米紙のほか英紙FTや『エコノミスト』を読んだ。彼らの事実報道もコラムも、ヨコタテ式記事の多い日経とは格段の差があると感じた。
今はどうであろうか。改善されていると思いたい。
日経FTに関するメディアの評価は、買収価格の1600億円の是非をめぐる損得勘定ものが多い。しかし、ことの本質は、相場情報を起源とする日経が、イギリス帝国主義のDNAをもつFTを「企業統治」できるか、である。

私のいた企業は 設立母体の一つが野村證券だった。野村が、かつての圧倒的な力を失った理由を同期の友人は、2008年の「リーマン・ブラザース」部門買収に求めている。当初に期待した相乗効果が出ず、むしろ両者の企業カルチュアの差異が、野村のアイデンテイティーを失わせたというのである。私は内部を知らないから、この判定はOBのノスタルジックな繰り言かも知れないと思う。また不調の原因はリーマン合併だけであるまい。

《第三世代も揺らぐ今、日経の統治は如何》
 早大教授の谷藤悦史氏が『マスコミ市民』(2015年8月号)に書いている。
ジャーナリズムの第一世代は主張ジャーナリズム(蘇峰や諭吉の時代)、第二世代は事実報道ジャーナリズム、第三世代は批評・解釈ジャーナリズムだという。国際的にも共通の現象だそうである。第三世代では、欧州では「ジャーナリストが良いコラムニストになる」という実例に現れている。(氏によればその成功もIT化などで揺らいでいるそうだ)。FTのコラム「LEX」や、NYTのOpinion欄の面白さを、いくらか知る者としてこの分析は納得できる。

問題は日経である。経済評論家の佐髙信は、かつて日経を「日本株式会社の機関紙」と呼んだ。なるほど、だからオリンパスや東芝のスキャンダルはスクープできないのであろう。その編集方針も以前に紹介した通りで、ポビュリズム的である。「財界の提灯持ち」である。しかしFTも提灯持ちではないのかという反論があろう。私はそうだと思っている。
FTの提灯は世界企業が信奉する「新自由主義」というスマートな理念である。
しかも世界の企業人への認知度は、FTと日経とは大差がある。役者がちがう。
「日経FT」は「野村リーマン」の二の舞になるのか。成り行きを注目したい。(2015/08/04)

2015.07.23 中国紙で、自民党内の「報道の自由侵害発言」を読む……
――八ヶ岳山麓から(152)――

阿部治平(もと高校教師)

6月末から数日、中国にいた。
中国の新聞「参考消息」(2015・7・1)に「日本のメディア去勢、御用文人籠絡」「メディア、安倍の報道の自由に対する圧政を追求」というかなり大きな見出しの記事があった。
「参考消息」紙は、以前は党幹部・特権層だけに内部情報を提供するものだったが、文化大革命後は外国ニュースの翻訳専門紙になって一般民衆も読める。問題の記事は英「フィナンシャル・タイムズ」からの抜粋翻訳である。概略以下の通り。
――先週、日本首相安倍晋三が沖縄島で(沖縄戦犠牲者を祈念する式典で)公式演説をやったとき、聴衆から「戦争屋」「帰れ」などと批判の叫び声を浴びせられた。だが、国家放送NHKと購読者数最大の「読売新聞」系統のメディアはこれを無視し報道しなかった。
安倍はNHKの会長に腹心を送り込んだが、これはリベラルな新聞「朝日新聞」の戦中の「慰安婦」報道に対して照準を合わせてとった行動である。こうしたことは日本の報道の自由に関して憂慮すべきものである。上智大学教授中野晃一は、この報道の自主規制は「安倍政権がすでにかなりの程度日本のメディアを去勢したことを示している」と語った。
安倍との関係が密接な自民党若手政治家の「文化芸術懇話会」は、6月25日の会議で、非友好的メディアを如何に叩きのめすかを討議した。彼らは経済界に圧力をかけ、彼らに従わないメディアから広告を引き上げるべしとした。
過去二年半、安倍政権が安定を維持している原因の一つは、彼がメディアのコントロールに成功しているからである――

「参考消息」紙はこれにつづけて「安倍、自分の旗振り文化人を籠絡」と題して東京新聞(2015・6・30)の記事を紹介している。以下概略。
――流行作家百田尚樹は自民党内の学習会上「沖縄のふたつの新聞を停刊すべし」と放言した。この右翼論壇の得意客は安倍晋三など保守派政客と密接な関係をもっている。2012年安倍が首相にかえり咲いて以来、百田の影響力は強くなった。彼の歴史認識と憲法観に関する発言は幾度も社会の注目を浴びた。
ことは百田にとどまらない、安倍政権下で右翼ジャーナリズムは肥大化している――
この記事に付けられたロイター社配給の安保法制反対集会の写真には「ファシズム反対、死神総理」などのプラカードを持った人々の姿がある。
さらに「参考消息」紙は7月5日、朝日新聞と共同通信の、安倍首相の3日の特別委員会での陳謝記事を載せた。見出しに「安保関連法案の衆議院通過のため、急いで事態を治めようとしたもの」という。

これを中国で対日認識に厳しい知人に見せて感想を聞いた。彼は「自民党の若手政治家は、日本の新聞が自民党の宣伝紙になることをめざしているのか?」と大いに関心を示し、「これだと日本の媒体(メディア)はどんどん中国に近づくね」と笑った。
帰国して友人にこの話をすると、「中国の新聞が日本の報道の自由について文句をいうかねえ」とちょっと呆れた顔をした。「報道の自由制限を非難するような記事を出して大丈夫か」と「参考消息」紙編集部を心配する人もいた。
中国では中共機関紙だけでなく、すべてのメディアは中国共産党の宣伝機関であることを求められている。国内外の重大なできごとは報道が規制され、ときにはすべて国営通信社新華社の配給によるように指示されることは、みなさまご存知の通りである。
もちろん「参考消息」もその観点でニュースを選択している。このたびのフィナンシャル・タイムズなどの翻訳記事も、日本批判・反安倍政権の観点から訳出されたもので、報道の自由を求める観点から載せたのではない。

報道自由がないのは権力維持のためだが、これによって社会に損害を与えることがある。
2008年5月四川省汶川大地震、2010年4月青海玉樹大地震の報道では、なぜ小学生が教室の出入口に折重なって死んだか、なぜ中学の校舎が脆かったかといった追求がなかった。したがって事件事故の教訓が社会のものにならない。先日の長江観光客船転覆事件でも、乗客のほとんどが溺死したのだから救出作戦は成功したとはいえないが、その分析はない。
いずれの記事も、国家最高指導者が現場に駆けつけて陣頭指揮を執ったとか、救助隊が勇敢だったといったとか、どうでもいいことが優先した。だから記者が現場に行かないでもちょうちん記事なら書ける。現にテレビでそれをやらかして、視聴者に暴露されたことがあった。
もちろん記者の中には真実の報道にこだわり、民間新聞を発足させた人もいるが、現在はたいてい抑え込まれてしまった。

似た問題を繰返して申し訳ないが、私は、日本ではテレビが絶大な影響力をもつうえに、その報道姿勢はかなりの程度中国のテレビに似ているという印象をもっている。
どのチャンネルでも似た内容、似た見解を流す。現政権にとって不都合なことは意図的に避けることがある。中学生のいじめ自殺事件では、事件内容の報道や、学校・教師に対する非難はほとんど同じ。安っぽい正義感を意図的に振り回して人々の同情心をくすぐっている。また対米従属状態継続の理由や、対中朝軍事情勢を主な口実にする安保法制の危険性についての深い分析がテレビ画面に現れることはめったにない。
さらにニュース番組で、きまった人物が複数のチャンネルに出て発言するのも気になる。たとえば国内政治では田崎史郎・伊藤敦夫、中国事情では富坂聡、国際問題では宮家邦彦、教育問題では尾木直樹等々。
これらの人々のなかには、安倍晋三ブレーンがいる。それが「○○に詳しい」と紹介されて、中立・客観を装って政治問題の解説をする。現政権に批判的な意見を聞くことはめったにない。我々は現状肯定的解説のくりかえしによって、無意識に彼らのものの見方考え方に馴らされているかもしれない。これはファシズムへの危険な道である。

それどころではない。時事通信社の記者は、7月13日午後菅官房長官の定例会見で、米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐって、沖縄県議会で埋立て用石材の搬入規制条例が成立したことを質問し、「国として見限っていい」「もうそんな連中は放っておいてもいいと思うが、いかがか」などと発言したという。ついに出たという感じだ。
権力へのおもねり、お追従としては、ここまで行けばもはや立派というほかない。――時事通信社は自社にこんな記者がいてこんな質問をして、さぞかし恥ずかしかったでしょうね。ま、形だけの処分をして幕引きか。

前述の「中国の新聞が日本の報道の自由についていうかねえ」という日本の友人の感想には、ジャーナリズムとか報道自由のレベルでは中国と日本とは比較にならないという考えがある。ほんとうにそうだろうか?
私の考えでは、日本のジャーナリズムはジャーナリスト自身によって権力からの独立がおぼつかない状態になっている。フィナンシャル・タイムズが憂慮した読売新聞やNHKはすでに権力の侍女、民衆支配の道具だ。いや右翼ジャーナリズムと自らみとめる産経やいくつかの雑誌なども含めて、安倍政権の先導者というべき存在である。健全なジャーナリズムの印象がすっかりなくなっている。我々は中国を笑うことができるか。

2015.05.12 改憲挫折への希望を強めた憲法記念日(下)
    ―TBSの歴史家ジョン・ダワー氏インタビュー

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)


 憲法記念日前後のテレビの報道の中では、断然5月2日のTBSの報道特集「戦後70年・歴史家からの警告」が素晴らしかった。ダワー氏は、いうまでもなく米国の歴史学者(マサチューセッツ工科大学名誉教授)で、近現代の日本・日米関係史研究の第1人者。戦後の日本復興を分析した「敗北を抱きしめて」(ピューリッツアー賞受賞)の和訳はロング・セラーになっている。インタビュアーは報道特集の金平茂紀キャスター。テーマと質問、ダワー氏の発言は、まさに2015年の憲法記念日企画にズバリ対応している。長時間のインタビューの核心をあえていえば、“戦後70年 戦争ができる国を目指す日本への、歴史家からの強い警告”だ。その立場は、自国アメリカのベトナム戦争と政府への厳しい批判によって、重みを増している。
 この番組を視て思い出したのは、TBS午後6時台の報道特集の前身である「JNNニューススコープ」の初代キャスター故田英夫さんの「ハノイの微笑」のことだ。60年代、アメリカ軍空爆下の北べトナムに西側のテレビ局として初めて入り、「ハノイの微笑」と題したルポルタージュ番組を制作・報道。日本だけでなく世界の視聴者に初めて、ベトナム戦争で北ベトナムが負けていない実状を知らせ、アメリカの敗北を予感させた。政府と自民党は反米報道として非難、福田幹事長が今道TBS社長を呼びつけて田英夫さんを降板させるよう圧力をかけた。別件でもTBSを批判、田さんは68年に降板。その後、国会議員に転身した。
 今回の金平キャスターのダワー氏のインタビューには、「ハノイの微笑」の伝統が生きている。TBSと金平氏には、安倍政権や自民党から圧力、嫌がらせがあるかもしれないが、自信をもって跳ね返してほしい。

 わたしは、番組をしっかり視聴したつもりだが、録画しなかった。しかし、ネット上に公開された「素晴らしい番組だったので紹介します」という「文字起こし」を、番組の記憶で確かめた。TBSから日本語の記録を入手できればいいし、できなければ、ネットの「文字起こし」にアクセスして(難しくなっている)ぜひ全文を多くの人に読んでほしい。
 ここでは、ジョン・ダワー氏の発言の一部を抜粋して紹介します。

第1章 戦後70年 戦争の美化
 「今年は、第2次世界大戦70周年と、ベトナムにアメリカが本格介入してから50周年の節目の年です。アメリカ政府、特に国防総省がベトナム戦争を追悼する数々のイベントを準備しています。私は危機感を抱いているのですが、彼らは戦争を美化しようとしています。『崇高なアメリカ人が大義を抱いて戦い、命を落とした』というのが彼らの解釈です。しかし悲惨な戦争でした」
 「日本でも保守派は戦争を美化しようとしていますが、それはアメリカの保守派がベトナム戦争を美化しているのと同じです」
 「わたしにはベトナム戦争の記念碑と靖国神社が重なって見えます」
 「戦争で亡くなったアメリカ兵の名前が刻んである記念碑を見ると心が打たれます。とても美しい記念碑です。しかしそこには、亡くなったベトナム人、カンボジア人、ラオス人の名前は一切書かれていません。彼らはアメリカの空爆で亡くなっているのに」

第2章 戦争責任 日本とドイツ
 「ドイツは、戦時中に行った残虐な行為は決して忘れてはいけない、そうした残虐行為は二度と繰り返さないと言っています。また、国民がその態度を尊重しています」
 「天皇陛下は戦争と平和について本当に真剣に考えておられると思います」
 「日本でも真摯な発言はありました」
 「戦後50年の節目の年に村山首相は、印象を残す発言を発表しました。戦争だけでなく植民地支配に関する謝罪も行いました」
 「戦後60年の時には、小泉首相が談話を発表しました。その談話は村山談話を踏襲したものでした。1990年代には慰安婦に関する河野談話が発表されました」
 「しかし、著名な政治家や、今は安倍首相がそうした発言を後退させてしまうのです。世界はそれを見て『日本には誠意がない』とおもってしまう。今では、ドイツと全く異なるイメージを持たれてしまっています」

第3章 沖縄の声を聴け
 「1952年から72年まで、沖縄はアメリカの植民地あるいは新種の植民地でした。1972年に沖縄が日本の領土に復帰した時も、グロテスクな米軍基地はそのままでした」
 「終戦以来、日本政府とアメリカ政府が沖縄に対して行ってきたことは、終戦の記憶の一部として、決して忘れてはならないことです」
 「沖縄の人々が戦争の恐ろしさについて語るとき、そして戦争の悲惨な歴史について語るとき、いまも非常に鮮明に話します。わたしたちは、彼らの話に真摯に耳を傾けるべきです」

第4章「普通の国」の正体
 「日本の保守派がいう『普通の国』とは、憲法を改正し、自らの軍隊を持ち、自らの武器を保有し、戦闘に参加できる国を意味しています」
 「彼らの目標は、海外で軍事行動を展開する際に『アメリカとより緊密に協力できるように』することなのです」
 「1945年から今日に至る70年間の、アメリカの軍事政策は、ひどい大失敗でした。その一つ、ベトナム戦争は本当にひどい戦争で、必要のない戦争でした。(2001年)9月11日の同時多発テロ事件への対応として、テロとの戦いの名のもとに、イラクへの軍事介入を行い、それがさらなるテロを起こしました。『イスラム国』なる国家を名乗る集団も、アメリカの行動から生まれたものです」
 「『普通の国』とは今日『精度が高い戦争』を意味するのです。ドローンやハイテクを駆使した戦争です。わたしには日本の保守派のこんな姿が目に浮かびます。『この流れに加わるんだ』と。安倍首相がそれについて言及すると、『どんな武器なら製造や輸出ができるか』といった議論が起きています。この狂った状況はアメリカが発信源なのです。
 わたしは日本がそうした意味での『普通の国』になることを望んでいません。なぜならば日本はさまざまな意味で素晴らしい国だからです。
 日本はさまざまな戦争を経験して学んだことを、戦争の教訓を、スポークスマンとして広く発信してほしいのです」
 「日本の方々が憲法を変えたいのならば、それもできるでしょう。憲法9条だけじゃなく、前文も変えることができるでしょう。
 けれども、そこに書かれている理念は、大変に素晴らしい理想です。
 わたしは多くの日本人がその理想を共有していると思いますし、アメリカがとっくの昔に忘れ去ってしまった尊いものです」
 「憲法こそが先の最2次世界大戦から得た財産です。日本の財産であり、財産になったのです」

終章 日本の若者たちへのメッセージ
 「戦争は本当に悲惨な出来事でした」
「わたしたちは、それぞれが他の国に対して、ひどい行いをしました。あのような戦争は二度とくりかえしてはなりません」
 「日本には行き過ぎた愛国主義者たちが存在しているので、戦争が日本にもたらした結果や、日本人がアジアで行ってきたことに真摯に向き合えなかったのです。そして未だに真摯に向き合えていないのです。自虐的だ、あるいは東京裁判しかりだ、などと言って」
 「戦後70年というこの機会に、わたしたちは『あれはひどい戦争だった』という声にもう一度耳を傾けるべきです。わたしは『かつての日本にあった理想や希望が今ではなくなってきたのでは』と感じるときがあります。そのことを、とても悲しく、虚しく感じます。(終わり)

2015.05.11 改憲挫折への希望を強めた憲法記念日(上)

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)


 今年の憲法記念日、安倍政権が画策する憲法前文と第9条の改悪を挫折させる希望を強めた日となった。憲法改悪に反対する多数の世論が、改悪支持の世論を上回る現実が定着しており、前文と9条改悪には触れずに、反対が弱そうな変えやすい条項の“お試し改憲”で国会議決、国民投票の突破口を開こうとする安倍政権の狡知も、国民に大方ばれてしまったことが明らかになった。わたし自身の新聞、テレビの報道チェックは限られているが、いくつかの出来事や報道を記録しておきたい。

(1) 9条改悪反対多数が定着
 朝日新聞世論調査では、憲法9条について「変えない方がよい」が63%、「変える方が良い」の29%を大きく上回った。昨年はそれぞれ64%と29%で、2対1以上の比率が定着したといえる。女性は「変えないほうがよい」が69%だった。また、憲法そのものを変えることの是非については、「変える必要がない」が48%(前年50%)、「変える必要がある」43%(同44%)だった。さらに、「憲法第9条を変えやすくするために、まず国民の賛成が多い条項を変えて、国民に憲法を変える手続きに慣れてもらう、という考え方について」は、「評価する」が32%、「評価しない」が60%だった。        
 NHKの世論調査では、憲法9条を変えることの是非について「必要ない」が38%、「必要ある」が22%で、2対1弱、「どちらともいえない」が34%だった。また、憲法改正そのものについては「必要ない」が25%、「必要ある」が28%、「どちらともいえない」が43%だった。「必要ある」は昨年より14ポイント減っている。このことは、憲法のどこかを“改正”する必要を強調して、国民の”改正“ハードルを低めようとする狡知に気づいた回答者が、大きく増えたことを示している。
 安倍政権が閣議決定で憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認したことについてはー
朝日新聞の世論調査では、「適切だった」が24%、「適切でなかった」が67%。NHKの世論調査では「賛成」が22%,「反対」が30%、「どちらともいえない」が42%。またNHK調査で、「政府がその理由を十分説明しているか」については、「十分説明している」が2%、「ある程度説明している」が30%、計32%なのに対し、「あまり説明していない」が49%、「全く説明していない」が12%、計61%だった。

(2) 立ち直った朝日新聞
  閣議決定による集団的自衛権の行使容認、「積極的平和主義」の主張、米議会での安保関連法制の確約など、憲法前文と9条を改悪し「戦争放棄の平和国家」を「米国の戦争に参加する同盟国」に変えようとする安倍政権の意図が露骨に明確になる中で、朝日新聞は昨年のバッシングから立ち直った、あるいは立ち直らざるを得なかったと、安倍首相の訪米と憲法記念日をめぐる報道でも感じた。甘いだろうか。バッシングのさなか、本欄でも「朝日頑張れ」と書いたが、あらためて、そう訴えたい。
 5月3日の社説「安倍政権と憲法―上からの改憲を跳ね返す」は、「またも裏口から」「だれへの『押し付けか』」「棄権でなく拒否権を」の中見出しを入れ、「昨年の9条の解釈変更から明文改憲へと向かう自民党の試みは、権力への縛りを国民への縛りに変えてしまう立憲主義の逆転にほかならない」と指摘。「戦後70年。いま必要なのは、時代に逆行する動きに、明確に拒否の意思を示すことだ」と結んでいる。
 同日の1面トップ記事では「首相、改憲へ迂回戦略」で、いかにも政治部記事らしく、首相の改憲戦略を解説しているだけだが、左肩の「座標軸」では、安倍首相が盛んに宣伝し、自民党内では「憲法に盛り込もう」という声もある「積極的平和主義」について、大野博人・論説主幹が「連帯なき『積極的平和主義』」で厳しく批判している。
 憲法前文と9条を尊重する紙面づくりは、政治面だけでなく、社会面、オピニオン面でより活発だ。2日のオピニオン面の声欄では憲法前文を三様の投稿と共に載せている。
 連日、第2社会面やオピニオン面で、護憲の立場から発言する人々は、声欄の読者を別にして、今年になってからだけでも数百人になるだろう。「あ、この人もだ」と毎日のように思う。例えば、5月5日の菅原文子さん。昨年11月に亡くなった俳優菅原文太さんの妻。米軍普天間飛行場の辺野古移設を阻止するための「辺野古基金」の共同代表。「現政権への不服従を示すため」に代表を引き受けた思いと、文太さんと平和について語った日々を振り返ったー
「沖縄の基地問題は、憲法や人権問題なのです。戦後70年間耐えてきて『もっと我慢しろ』という権利が誰にあるでしょう。税金を払うものとして、諸外国との同盟のために国民の生活を軽んじる政治姿勢に信託することはできません。
 晩年、菅原は、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をし、安保法制の整備を進める安倍政権の動きを心配していました。『子どものころの雰囲気に似てきた』と。軍国主義時代に生まれ育ち、死ぬときも軍事国家に向かおうとする国で一生を終えるのか、と先行きを憂えていました」
 
2015.02.18  外国人記者の見た日本メディアの現実
半澤健市 (元金融機関勤務)

 本稿は在日外国人記者による「朝日誤報報道」に関する一見解の紹介である。
記者はDavid McNeillとJustin McCurryl。McNeill氏は『インディペンデント』、『アイリッシュタイムズ』、『エコノミスト』に執筆しており、McCurry氏は『ガーディアン』『オブザーバー』両紙の日本・韓国特派員、フランスのTV番組にも出演している。
記事は「日本外国特派員協会」の月刊誌『NUMBER1 SHIMBUN』の2014年11月号に掲載された。以下(***と***の間)が記事全文である。記事転載と邦訳に関して翻訳家脇山真木氏の全面的な協力を得た。二人の筆者と脇山氏に謝意を表する。
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朝日新聞を撃沈せよ!
―標的としてのマスメディア―


 いかにして、信望厚かった新聞が、過激なライバル紙、正義の保守論壇(リビジョニスト)、おしゃべりなテキサス人の照準になってしまったのか?
 今年に至るまで、多くの日本人は、グレンデールがどこにあるかなど知らなかっただろう。カリフォルニア州はロサンゼルスの郊外にある、人口20万人の市で、アニメ製作、アジア系人口が多いこと、ビッグボーイ(ハンバーガーチェーン)などで知られていた。それが、地元の公園に地味な若い女性のブロンズ像が建てられたことで、日韓の苦い歴史のミクロコスモス(縮図)へと変わってしまった。
この彫像は、戦時中、日本の売春宿に集められた女性たちの苦しみを記念し、拒まれた正義を象徴するものだった。だが、除幕以降、グレンデール市は、日本の外交的な抗議、何百通もの怒りのレター、像の撤去を求める一件の訴訟の攻撃にさらされることとなった。
 そしてこの紛争は、10月21日に茶番の側面を呈した。市議会が、トニー・マラーノという右翼のビデオ・ブロガーのくどくどしい証言を聞く羽目に陥ったのだ。マラーノは極悪な共産主義者、“犬を食べる”韓国人、アメリカをイスラム国家に変えるオバマ大統領の計画などに対する警告ブログをしばし休み、憎たらしい記念像をぶちのめしに、(おそらく自費で)テキサスから数百マイルの長旅を経て、グレンデールにやって来た。
 国家主義(ナショナリスト)サークルでは「テキサス親父」として知られているマラーノ氏は、国全体になり代わって「この銅像は日本や日本国民にとって侮辱であり、名誉をおとしめるものだ」と市議会に申し立てていると信じているらしかった。マラーノは、市議会に向かって、グ市は日本バッシングをしているのではないことを証明するよう、強く迫った。
 なぜこんなことになってしまったのか? つまり、ロサンゼルス郊外の片隅のコミュニティーが、世界の良心とまではいかなくとも、世界の支持・共感を得ようとする東アジアの2国間の争いの焦点になってしまったのか?
 冒頭に述べた保守リビジョニストが信頼に足るのであれば、このことはもとより、第二次世界大戦中に女性を性奴隷に強要したという、世界的に認識されてしまった日本軍の歴史に関しても、明らかに朝日新聞が悪いことになる。
 ことのはじまりはこうだ。日本で第二位の購読者数を誇る朝日新聞が、1990年代に慰安婦問題をとりあげ、一連の記事にして掲載した。そのひとつが吉田清治氏をニュース源とするものだった。リビジョニストの話によると、これが1993年の河野談話につながり、この河野談話が、米国下院121号決議(2007)につながったという。同決議は、日本政府に対して、過去の下劣な出来事を正式に認め、明確、明白に謝罪することを求めたものだ。
 だから、2014年8月に、吉田証言は信用できないことを認め、遅まきながらこの連載記事について謝罪したときをもって、朝日新聞は相次ぐリビジョニストたちの大言壮語に門戸を開放してしまったのだった。(本誌2014年9月号、「高くついた朝日新聞の容認」参照)
 朝日批判はトップから始まった。安倍首相はくり返し、朝日の報道を非難した。「朝日の虚偽の記事により、多くの国民が傷つき、悲しみ、怒った。世界に対するわが国の名誉を損なった」と。
 産経と読売は一片の憐憫もない攻撃を加えた。読売の英語版、「ザ・ジャパン・ニューズ」は、ライバル紙にふりかかった困難について、夏以来、50におよぼうとする数の記事、論説、ゲストのコラムを載せた。この中には、4部からなるシリーズも含まれていた。その主張は、「過去10年における慰安婦問題に関する朝日の報道は、日本軍が制度的、強制的に女性を連れ去り、兵士用の慰安婦にしたという曲解された見方をゆるぎないものにした重要な要因だった」というものだった。

 ゆがめられた事実、ゆがめられた言葉
 実際は、河野談話は、韓国人や軍の性奴隷だった人たちが何年間もかけて行ったキャンペーンの成果だった。同様に、「疑惑の吉田証言および朝日新聞の報道は、米国下院決議121号とは無関係だ」と言うのは、121号決議を書いた専門家グループで、学者たちがこの点を明らかにしなければならないと思ったのは、毎日新聞が同グループに取材した後、正反対の記事を書いたからだった。「われわれ全員が仰天した」と当時をふり返る。
 そこで、同グループは、「われわれは、121号決議の考察、草案作り、弁護において、吉田証言と朝日の記事は要因ではなかったと記者たちに明確に語った」という声明を出した。「われわれが強調したのは、ひとつの信用のおけない情報源で、議会向けリサーチの論拠は作り上げられないという点だった」。実際、同グループは、「インドー太平洋地域全般において、帝国日本が軍、植民地の役人、ビジネスマン、海外労働者のために性奴隷制度を組織し、運営したことを立証する書類や証言による証拠はたっぷりとあった」と語った。決議121号を書いた専門家たちは、毎日新聞の記者たちは、“初めに結論ありき”で取材に来たのではないかという奇妙な感じを受けたのだが、実は、われわれ(本記事の二人の執筆者)も同じような印象を受けた。朝日新聞が吉田証言を撤回した後、われわれは数社の日本のニュース会社から、ある同じ質問を受けた。それは、「外国特派員の報道は、朝日新聞の記事の影響を大きく受けたのではないか」という質問だった。
 答は明確に「ノー」である。われわれは2人とも、吉田証言については昨年まで聞いたことがなかった。過去10年間、われわれは韓国やその他の国で、直接慰安婦たちを取材してきた。ソウル郊外にある(歴史博物館であり、生存している元従軍慰安婦の共同体でもある)ハウス・オブ・シェアリングHouse of Sharingも訪ねた。
 8人が住んでいて、カン・イルチュルさんもその一人だった。占領下の中国(朝鮮半島の南部にあった故郷から何千マイルも離れたところ)にあった日本軍の売春宿で2年間働かされた時の肉体的な傷跡がまだ残っている。「小部屋に入れられ、一日に10〜20人の兵隊の相手をさせられた」と言った。
 あなたや他の従軍慰安婦たちが強要されたという証拠はないのではないかという質問に対しては、頭を前にさしのべ、頭皮の傷跡を見せてくれた。憲兵にしょっちゅう殴られて、ついた傷跡だという。
 カンさんは、戦後中国人と結婚し、2000年になるまで韓国に戻らなかった。「日本の指導者たちが、わたしたちのことを嘘つきだと責めるのを聞くと、悲しさと怒りを感じる」。2012年、87歳になったカンさんの言葉だ。
 元朝日新聞記者に対して、非公式の脅迫キャンペーンが始まった。脅迫キャンペーンには前例がある。“反日要素”を標的とする極右が、1987年に小尻知博(コジリトモヒロ)という朝日新聞記者を殺害した。今回の標的は、朝日新聞の元ソウル支局長であった植村隆氏で、慰安婦問題の記事が脅迫キャンペーンの理由だった。
 朝日を退職した植村氏が神戸松蔭女子大に雇われたとき、これに対して不信感を表明した「週刊文春」の記事がきっかけで、ヘイトメール(差別的憎悪表現)が津波のように押し寄せてきた。「その記事が出るやいなや、毎週200通のメッセージが大学事務局に送りつけられた」と植村は言う。
 植村氏は神戸松蔭女子大学と話し合い、生まれ故郷の札幌にもどり、北星学園大学に非常勤の教職を見つけた。しかし、ヘイトメールはその後も引きもきらず送り続けられ、大学を爆破するというものまであった。「No. 1 Shimbun」の本号が印刷されるころには、容疑者は脅迫罪で警察に拘置され、植村氏は、かろうじて北星学園大学の仕事をつないでいるだろう。
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2014.11.24  ある朝日新聞人の言説について思うこと
          ――八ヶ岳山麓から(126)――

阿部治平 (もと高校教師)

中馬清福(きよふく)。
1935年生まれ。東京都立大学卒業後、朝日新聞社入社。政治部員、同部次長、論説委員、同主幹、代表取締役専務・編集担当などを歴任して2001年に退任。2005年2月から信濃毎日新聞社の主筆、論説顧問をつとめた。この11月1日死去、79歳。「朝日」では功成り名遂げた人であった。
私は長年の中国滞在から帰って、2012年に信濃毎日新聞(「信毎」)を手にするまではこの人をまったく知らなかった。「信毎」に毎月2回掲載される中馬氏の大型コラム「考」は、護憲と反戦の立場を貫いていた。私は落葉松林の片隅の小屋にひとりいて、共鳴できる友人を得た感じがして嬉しかった。

2013年1月27日の「考」欄、「改憲の方向が逆ではないか――未来性を欠く自民案」では、自民党の改憲草案を批判し、2月10日「『公益・公の秩序』とは何か――あいまい過ぎて危険」では、「旧憲法(大日本帝国憲法)」でも自由を認めていたにもかかわらず、言論弾圧があったのはなぜかと問い、「これらの自由に『法律ノ範囲内ニ於テ』という条件を付けたからだ」と答えている。「目標は崇高かつ普遍的に、ただし中身は法律で都合よく変えていく」と自民党の改憲草案批判をつづけた。

対中国問題では、2013年2月24日「いまの中国とどう向き合うか」で、1930年代の日米の新聞が戦争を煽り、日本軍部がそれに乗って国民を興奮させた事態に至ったことを語り、いまの日中関係をこれ以上悪化させてはならないと訴えている。
そして、日中両国政権の対立は続くとしても「戦争だけはしない」という選択しかないといい、安倍政権に「中国包囲網を作る先頭に立ち、いずれは排除への道を歩むのか……」と問いかけた。アメリカに過剰に頼って中国に対峙する外交を批判したのである。

その一方、ノーベル賞受賞の劉曉波らの「零八憲章」への共感を示して「08憲章の考えを受入れたら党独裁体制は崩れ、自らの特権は消える。権力はそう考え、未来より今、の道を選択した。それがいつまでもつか。『人民の中国』の姿はまだ見えない」と中国の現体制を批判している。

「尖閣をどう扱うか」では、「帰属を明記せぬ棚上げがいいが今は難しい」とし、そこで、尖閣を“休戦”に持ち込む。その間に緊張をやわらげ、当面は監視船であれ、非軍用機であれ相手の出方によって対応をする、これは「資源の浪費だが戦争になるよりはましである」という。
また「石原都知事が尖閣諸島を購入といいだすと、反中派はこれに飛びつき、民主党政権は一歩進めて『国有化』の道を歩んだ。日中関係を極めて悪化し今日に至っている(ママ。2月24日「考」の注(1))」と民主党内閣の拙劣な対応を批判した。
この11月はじめ、日中両首脳の会談があって、報道で見るかぎりは中馬氏のいう「戦争を避ける」道を選んだように見える。だが双方の真意はまだわからない。

中馬氏への全面的な共感はここまでである。
というのはその後、氏の訃報を見てから、氏の『新聞は生残れるか』(岩波新書2003年)を読んでいささか疑問を生じたからだ。同書はひとくちでいえば、新聞社重役として記者に必要な知識と心構えを語ったものである。

なかに、中馬氏がかかわった2000年の「新聞倫理綱領」の解説がある。新聞の社会的責任の重さを①(言論の)自由と責任、②正確と公正、③独立と寛容、④人権の尊重、⑤品格と節度など5項目に分けて明らかにしたものだ。これをめぐる彼の議論はまったく文句のつけようがないものだ。
ところが新聞社と記者の関係について書いてない。自由と責任といっても、記者個々人がどれだけ新聞社から独立しているか、上司の指示命令どおりにやれというなら兵隊と同じだから記者に責任は生じない。取材執筆の自由があれば記者個人の責任が当然生れる。
氏は、ニュースに誤報はつきものとして、「問題は新聞と記者の側にある。とくに間違った後の処理にある」「その傷口がさらに広がるか、それとも直っていくかは、ひとえに新聞と記者の態度にかかっている」という。――そのとおり。
だが氏は、誤報の原因究明と処理の仕組みはどうあるべきなのか、具体的なことはなにも書かない。今となってはこれが問題の核心だが。

歪曲と誤報の訂正手続きと手段ができていれば、「朝日」は慰安婦問題で傷口を広げず、「護憲・軍縮・共生」を目指す勢力もこのようにひどい打撃を受けなかったはずである。中馬氏は「強制連行」に関する「吉田清治証言」が紙面に登場したとき、かつて「吉田証言」の虚偽が指摘されたとき、いったいどういう意見だったのだろうか、ひとこと聞いてみたかった。

中馬氏はいう。「権力は腐敗する。それを防ぐには誰かが監視しなくてはならない。その任に当たるのが新聞だ。新聞は読者に雇われた番犬なのだ。だから新聞は事実をもって権力を批判し続ける」――自負心の高いのには驚くが、ごもっともである。
「事実をもって権力を批判し続ける」のだから、報道各社はどのような政治的意見をもとうが、あるいは支持政党がいずれであろうが、読者としてはニュースの公正さ・発生した事実にもとづいた客観的な報道の原則を守ってほしい。これがないと、我々はニュースを信用できず、新聞も生き残れまい。
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2014.11.01 「朝日」攻撃の先にあるもの
――八ヶ岳山麓から(120)――

阿部治平(もと高校教師)


「週刊文春」(10月9日)と雑誌「文藝春秋」(11月)の「朝日問題」を読んだ。この2冊しか読んでない。
「週刊文春」の「『朝日新聞問題』私の結論!」に出てくる人は34人、「文藝春秋」の「隠蔽された朝日新聞の『罪と罰』」に出てくる人は27人。一番知りたかったのは「朝日」の人の意見だが、現役記者の発言はない(これは社内事情かな)。元「朝日」の人は二つの雑誌で二人だけだった。

自分で原稿を書いたのか話を編集部がまとめたのかは定かでないが、両誌掲載の「識者」に共通する見解は、二、三の例外をのぞけば「朝日」糾弾である。怨みつらみも多い。慰安婦問題の吉田証言の訂正がなぜ30年も遅れたか、東電「吉田調書」についての記事がなぜ「原発所員の9割が所長命令に違反して撤退」になったのか、といった分析検証はないに等しい。池上彰のコラム不掲載問題も同じ。
印象に残ったのは「週刊文春」では半藤一利「朝日バッシングに感じる『戦争前夜』」で、「文藝春秋」では大沼保昭(元「アジア女性基金」理事)「慰安婦救済を阻んだ日韓メディアの大罪」だった。保守・右翼を自認する人の中では佐伯啓思「サヨク進歩派の欺瞞」が読ませるもので、ジャーナリズム論としては浜矩子「よきエコノミスト三つの条件」が説得力があった。

「朝日たたき」は結果として、安倍内閣、「読売」、「産経」への応援になっている。安倍首相はNHKで、従軍慰安婦問題について「日本兵が人さらいのように慰安婦にしたという記事が世界中で事実と思われ、非難する碑ができているのも事実だ。取り消すなら世界に向かってしっかり取り消すことが求められる」と述べた。日本に対する国際世論が――とくに日中戦争・第二次大戦を中心とする過去に関して、安倍内閣の右傾化傾向に対して――悪化した責任は、「朝日新聞のでたらめな報道にある」としたいのである。
「朝日」が慰安婦問題の報道の根拠とした「吉田証言」が偽りだったからといって、そこに「強制性」がなかったというものではない。朝鮮・台湾の植民地化と日中戦争と東南アジア侵略の責任から逃れられるわけのものでもない。

「朝日たたき」の矛先はいまのところ、「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認め、謝罪を表明した「河野談話」に向けられている。「産経」は「吉田証言」が虚偽であったからには「河野談話」などにおける慰安婦が強制連行されたとの主張の根幹は、もはや崩れたといったという(2014・8・6)。自民党は「河野談話の根拠が揺らいだ」として、当時政調会長だった高市早苗が「河野談話」に代わる「新たな内閣官房長官談話」を出すよう主張、桜井よしこは「河野談話の取り消しなくしてぬれぎぬは晴らせない。潰すべき本丸は河野談話なのである」といった。この人は「朝日」廃刊を主張したというからいよいよ鼻息は荒い。

塩野七生は「文藝春秋」のエッセイで安倍晋三に巧妙な忠告をしている。
彼女は、外国人記者にとって戦場での女の存在は歴史的な現象であり、問題は唯一、国による強制的な連行の有無にあったという。私もその通りだと思うが、そのすぐ後に「その問題には朝日もいまだに、広い意味での強制性はあった、と言いつづけているのである」と続く。強制性はなかったという考えのようである。
だから、彼女はこれを払拭するために、「朝日」を含めたこの問題の関係者を全員国会に呼び出せ、そうすれば中国・韓国からの、日本は歴史に向かい合っていないという非難を事実をもって反論できる。その際外国人記者に、日本の右傾化は日本の良質な新聞まで廃刊に追い込んだとして報道されないように肝に銘じて発言すべきだというのである。

そんなことをやっても強制性は否定できまい。早い話がオランダやフィリピンだ。オランダでは「蘭印」で日本軍の性奴隷にされた女性たちの話がゆきわたっている。それは吉田証言ではなく、犠牲にされたオランダ女性の証言によるものだ。
「河野談話」が明らかにしたのは、やはり強制性である。米国下院、オランダ下院、カナダ下院、欧州議会、韓国国会、台湾立法院、フィリピン下院外交委員会などの日本政府への抗議、勧告決議があるが、そこで問題にしているのは、吉田証言による強制連行の有無ではない。日本軍による慰安所での強制的な性奴隷状態である。

いま私はメディアの「朝日」たたきの論理に反対する。
安倍晋三に代表される人々や、「朝日」たたきを目的とする「読売」や「産経」の「河野談話」否定の先に、歴史の過去を美化し罪をごまかそうという意志が明かだからである。
だが、歴史のごまかしや悪行の無視は、どう逆立ちしても国際的には通用しないのだ。考えてもごらんなさい。現ドイツ政府が、ナチの戦争犯罪の記録に間違いや誇張があったからといって、その訂正を求めるようなことがあれば、国際的にどのような反応 を呼び起こすか。安倍政権とその太鼓持ちの思惑は国際的にはまったく通用しないのだ。
さかのぼって、日清戦争中の旅順虐殺事件、その後三浦公使らによる韓国皇后閔妃惨殺事件等々は、どう説明できるのか。さらに「南京事件」だ。日本軍による殺人の規模が、中国主張のように30万人でなくて、ナチ党員だったラーベがヒトラーへの上申書で推測するように、「およそ5万から6万人」だったとしても、大虐殺の事実は消えない。日中戦争に続く「大東亜戦争」について、司馬遼太郎はこういった。
「あの戦争は、多くの他民族に禍害を与えました。領地をとるつもりはなかったとはいえ、以上に述べた理由で、侵略戦争でした。……真に植民地を解放するという聖者のような思想から出たものなら、まず朝鮮・台湾を解放していなければならないのです」(『この国のかたち4』)。
私もまたこの見解に追従する。

しかし、「朝日たたき」に賛成はしないが、私は現在の「朝日」に対して数々の批判をもっている。
今回、「朝日」の社長は記者会見で30年ぶりに慰安婦の吉田証言を虚偽だったとし、東電吉田調書報道は誤報だとし、池上彰の記事不掲載は間違ったとした。これがなぜ生じたか。「朝日」は自らの手でそれを明らかにできるか。できないだろう。そして、これからも同じ間違いを繰返す恐れがあると思う。慰安婦問題に限らないいくつかの誤り、不適切を過去の報道に見るからだ。
たとえば1966年にはじまる中国の文化大革命だ。毛沢東は自らのカリスマ性を用いて革命功労者から一般農牧民に至るまで千万の国民を、人権無視のはちゃめちゃな論理で、暴行・拷問・殺害・長期投獄の憂き目にあわせた。日本でこれを批判をしたのは産経新聞と日本共産党だけだった。1966年9月から日本のジャーナリストは「赤旗」も含めて軒並み北京から追放されたが、「朝日」だけは残り、秋岡記者らの文革追随のちょうちん持ち記事を載せつづけた。
朝日新聞社にはかつて「朝日ジャーナル」という週刊誌があった。大学紛争のときは、この雑誌によってひとつの宗派ができた。同誌には大学教師をやめようともしないで大学解体を叫ぶノーテンキな主張が掲載された。
「荒れる中学」問題では、メディア総体の傾向は中学高校の教師をバカ扱いしながら責任を問い続けるものだった。なかでも徹底していたのは「朝日ジャーナル」だった。我々バカ教師は「明日ドーナル」と思いながら、中学で校舎一階のガラス窓をことごとく壊して入学してきた生徒たちと対峙していた。学校問題が教師を叩くだけでは何のくすりにもならないのに、それがわからないジャーナリストに歯ぎしりした。大きなメディアは権力である。権力の前に我々は無力だった。

とはいえ、私は「朝日つぶし」に加担する気持ちは全くない。「朝日」が安倍首相の「戦後レジームからの脱却」だの、A級戦犯合祀後の閣僚の靖国参拝だの、河野談話の見直しだのを批判してきたことは、それなりの見識だと思うからだ。
だが、いまの「朝日」はあまりにも心もとない。だいたい社長以下責任者は即座に辞任を表明すべきなのに、「立てなおし」をやってから進退を判断するとか言っている。その腰抜けぶりからすれば、国会に呼び出されたら弁明に窮して右往左往するだろう。たたかれたあげく「朝日」は思想転向するかもしれない。そうなると「護憲・軍縮・共生の社会」を目指すあれこれの勢力に与える打撃は大きい。