2020.01.14  台湾総統に蔡英文再選
――流れは変わった、負けたのは習近平である

田畑光永 (ジャーナリスト)

 去る11日の台湾総統選。予想された結果とはいえ現職の蔡英文が得票率57.13%、800万票余を積み上げて圧勝したことは、中華人民共和国誕生以来の中国の歴史の流れが変わったのを世界に知らしめる一大エポックを画すものであった。
 蔡英文の勝利について、香港のデモが味方したとか、米の肩入れが大きかったとか、さまざま言い方はあろうし、どれもなにがしかあたっているだろうが、最大の要因は中国本土における習近平体制そのものが広く人心を失い始めたことであると私は見る。
 考えてみれば、現在、中国本土と台湾が対立しなければならない実質的理由は全くないと言っていい。前世紀の前半期、共産党と国民党は中国大陸を舞台に武力をもって相争った。そして共産党が北京に政府を作り、国民党は台湾に逃れて、何とか中華民国の看板を下ろさずに命脈を保った。対立は続いた。
しかし、それは習近平も蔡英文も生まれる前のことである。その後、時はながれ、とくに大陸が鄧小平の主導のもとに改革・開放路線に乗り出してからは、双方に争う理由はなくなり、経済面では相互補完的関係が幅広く成立している。大陸の通信機器メーカーと台湾の半導体組み立て企業とは今や切っても切れない関係にある。
 それに伴って海峡をはさんでの双方の人間の往来、交流はほとんど自由化された。ただ北京と台北にそれぞれ政府があり、通貨の名前が異なっているのが歴史の遺物として残っているに過ぎない。時に摘発される国際的な中国人オレオレ詐欺団の構成メンバーに、多くの場合、双方の人間が入り混じっているなどは、海峡両岸関係の親密さを皮肉な形で示している。
 問題は政府である。政府どうしもオレオレ詐欺団のように(冗談!)双方が手を組んで、「政府はいくつあってもいい」と割り切れば、やがては自然に「一緒になろう」という機運が熟するはずだ。そうならないのは大陸の政府が、「オレのほうがでかいのだから、台湾は吸収合併する」と身勝手を譲らないからだ。
 問題はなぜ大陸政府はそうなのか、という点である。ここから話はややこしくなる。
 大陸の共産党政権は先述したように内戦に勝って政府を打ち立てた。今でも世界には時に武力によって政権が誕生することがあるが、そういう政権もやがて選挙を実施して国民に信を問い、存在の正当性を身にまとうのが普通である。ところが中国の共産党政権はそれをしなかった。
 もっとも当時はまだマルクス主義が生命力を保っていて、特に革命直後は「プロレタリア階級独裁」で革命の果実を死守すべしというテーゼが社会主義圏では受け入れられていたから、10年や15年は選挙がなくてもやむを得なかったと言える。しかし、それが70年ともなっては話は別である。
 革命とは無関係な人間たちが、革命を自らの手柄のような顔をして、いつまでも権力をたらい廻しするのは横領罪に近い。おそらく習近平もそれを自覚している。だから彼は自分を指導者として納得させられるだけの手柄を立てたい。勿論、それは前任の江沢民にも胡錦涛にもあったろうが、彼らは習近平ほど露骨でなかった。
 「一帯一路」だの、「人類運命共同体」だの、大げさな号令をかけるのが、習近平政治の特徴だが、前の世代が果たせなかった「台湾解放の実現」はなかでもとりわけ喉から手が出るほどに欲しい勲章なのだ。2015年秋、当時の台湾・馬英九総統とシンガポールでの会談にこぎつけたおり、世界中の記者、カメラマンの前で何分間も馬英九の手を握って離さなかったシーンは、その象徴であった。
 しかし、習近平政治の本拠は言うまでもなく中国大陸である。そこでも彼は自らの威信を確固たるものとすべく手をつくしている。自分を党の「核心」と呼ばせて権力を集中し、憲法を改正して、国家主席の座に無期限に座り続けることを可能にした。そして自らに対する反抗の芽を摘むことに過度に力を入れるようになり、防犯カメラ、ネット検閲、盗聴器などの網を張り巡らせて、一大監視国家をつくり上げた。それが中国の国民はもとより、世界の人々の目につくようになり、とりわけ民主、自由を知っている香港や台湾の人々の不安をかきたてている。
 昨年来の香港における大規模デモの永続、今回の台湾総統選、いずれもエネルギー源は政治の民主化を忌避して、いわれなく権力を握り続けようとしている習近平その人である、というのが私の見立てである。                    (200113)
2020.01.13 「本日休載」

 今日、1月13日 (月、祝日) は 休載します。

     リベラル21編集委員会

2020.01.12 「本日休載」

 今日、1月12日 (日) は 休載します。

    リベラル21編集委員会

2020.01.11  地球の上で「眠る猫」
         
出町 千鶴子 (画家)

               未来の子どもたちの地球が
                いつでも何処においても
               猫がのんびりと昼寝の出来る
             戦争のない平和な世界でありますように
                  祈りをこめて


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 昨年6月、この絵(愛猫タイガーを描いた「眠る猫」)を植民地歴史博物館(在・韓国ソウル)に寄贈しました。
 ここは、民族問題研究所、太平洋戦争被害者補償推進協議会などの市民団体、独立運動関係者、学会が中心となった民間の力だけで推進され、韓国内外の市民のカンパニアと寄贈文献資料により2018年8月29日に開館しました。
 展示は、「日本帝国主義時代の侵奪の歴史」「それに加担した朝鮮親日派の行為」「朝鮮抗日闘争の歴史」そして「過去を乗り越え平和な未来を実現するために私たちは何をすべきかを考える」の構成になっています。
 戦争は、あらゆる差別を生み出し、人権、文化、あらゆる生き物の生態系までをも蹂躙し、破壊します。戦争という間違いは二度と繰り返させてはいけません。平和な世界でこそ、個人の夢や希望を達成できるのだし、あらゆる可能性を創造できる。それこそが、地球の上の喜びなのだと信じています。植民地歴史博物館のテーマは、「人権」「平和」そして「未来」です。
 訪韓の折には、どうぞ、植民地歴史博物館にお立ち寄り下さい。入館料は300円。よろしければタイガーの様子伺いもよろしくお願いします。1階ロビーで寝ています。 
 「リベラル21」も平和で善意に満ちた美しい時代を目指してがんばります。
2020.01.10  トランプの任期切れまであと1年(1)
  ―イラン国民が崇拝する司令官殺害で幕開け

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

トランプ米大統領の任期はあと1年。もちろんトランプは11月の大統領選挙での再選を目指しているが、少なくとも第2次大戦後、これほど世界に損害を与えた米国の最高指導者はいなかった。トランプを再選させてはならない。決して他人、他国のことではないのだ。現時点では、民主党の候補者が未決定だが、トランプ再選の可能性は45%程度。だから、トランプは、再選に役立つことすべてだけでなく、自分が米大統領の権限を行使しなければできないことを、やり続けてきた。
そのトランプが米軍に命令し、新年早々の3日朝、実行させたのは。イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官(62)の殺害だった。殺害場所は、協力関係にある隣国イラクの首都バグダッドの空港近く。イラク駐留米軍基地から操縦されたドローン(無人機)による攻撃で、おそらく迎えに同行していたイラクのシーア派武装組織の副司令官も殺害された。米大統領の命令による最悪の国際テロ。ソレイマニはイラン国民の信頼と人気が最も高い軍事指導者だった。3日から3日間、国の最高指導者ハメネイ師の呼びかけで首都テヘランをはじめ、全国で追悼集会が開催されたが、その圧倒的な参加者たちの数と怒りの姿は、1978年から79年1月にかけてのイラン革命の際の、全国で2千万人を超える集会とデモに匹敵した。
イラン革命防衛隊は、陸海空三軍とは別組織で、総数は陸軍の3分の1の12万5千人余。1979年に創設され、国境警備、対テロ任務を主としているが、その中の精鋭とされるコッズ部隊は対外工作や情報活動を主任務とし、ソレイマニが最高指揮官を務めた。革命防衛隊は国内の民主化運動への情報収集はじめデモなどの弾圧に出動することもあるが、民主化運動の活動家たちも、トランプの命令によるソレイマニ殺害への巨大な抗議デモには参加している。デモでは米国への報復を求める声が圧倒的だ。
ハメネイ師もラバン国連大使も、米国への報復を公言している。
それに対しトランプは「彼らが米国人や米国の資産に報復をすれば、我々は標的にしているイランの52か所をとても素早く、とても激しく攻撃する」と応酬した。52か所とはイラン革命の際にイランの学生たちがテヘランの米大使館を占拠、館内にいた米国人を人質にした数だ。トランプは、その際の怒りの報復をしようとしているのだ。
11月の米国大統領選でのトランプの再選の可能性は残っているが、世界各国の大多数の人々と政府が、トランプ大統領の敗北を望んでいる、と思う。トランプに最もゴマをすり、トランプの横暴な要求をはねつけることができず、米国製兵器の購入に巨額な国民の税金を浪費する安倍政権。沖縄県民の意思を踏みにじり、米海兵隊基地の辺野古移設に長い年月と巨額の移転・建設費を投入し続ける安倍政権。その安倍首相でさえ、トランプとの親密さ誇示する姿勢が、控えめになってきたのではないか。(続く)
2020.01.09 記憶と反省と想像 (6)  朴正熙박정희
   韓国通信NO626

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

日本語読みで「ボクセイキ」、正式には「パクチョンヒ」。1917年生まれ、創氏改名による日本名は高木正雄である。大邱(テグ)師範学校卒業後、満州国陸軍士官学校を経て日本の陸軍士官学校57期生として教育を受けた。
私の叔父が朴正熙の士官学校時代の教官として大統領から招待をうけ韓国に行ったことがある。
大統領から招待されるなんて、「叔父さんスゴーイ!」と僕は目を丸くした。朴正熙は日本の軍人だった。
その後の経歴は省くが、1948年 麗水・順天反乱事件に南朝鮮労働党員として反乱軍に加わり終身刑判決を受けたが、仲間の情報を当局に提供して免罪釈放された経歴がある。
1961年の5.16軍事クーデターで最高会議議長に就任すると、直ちに反共法を公布。日本との国交正常化交渉に意欲を示し、1963年に第5代大統領に就任した。
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             <クーデター直後の朴正熙/左端>
腹心の部下、中央情報部(KCIA)長の金載圭によって射殺されるまで16年間軍事政権の大統領(5代~9代)として君臨し続けた。

<朴正熙大統領の記憶>
朴正熙は朴槿恵前大統領の父親として知られるほかは「過去の人」になりつつある。朴正熙の評価はさまざまだが、私の記憶にあるイメージは不正選挙、狂信的な反共主義、事件の捏造、中央情報部(KCIA)による恐怖政治を行った独裁者以外の何者でもない。
人民革命党事件(1964)、東ベルリン事件(1967)、統一革命党事件(1968)、金大中拉致事件(1973)、民青学連事件(1974)、第二次人民革命党事件(1974)、学園浸透スパイ団事件(1975)など数々の事件を捏造し、民主化を求める運動もことごとく力で押さえ込んだ。
日本のかつての治安維持法下の憲兵・特高とそっくりな中央情報部が人々を苦しめた。アメリカに促されて成立した日韓条約による経済協力金が、朴正熙政権を支えた。日本の関与が疑われる金大中拉致事件もいまだに真相は明らかでない。朴政権はアメリカの極東戦略に組み込まれた親日、対米従属政権だった。
突然訪れた朴正熙大統領の死。だが、その後の5.18光州事件によって民主化運動は挫折を余儀なくされた。後継の全斗愌政権が目指したのは民主化勢力の一掃、不満分子の再教育、労働運動への弾圧、報道干渉、日米との関係強化だった。中曽根内閣とレーガン大統領は新軍部政権を全面的に支持、全斗煥は国賓として来日(1984)、中曽根首相は40億ドルの借款を約束した。

<ああ光州よ>
文在寅大統領は政権発足直後の5.18光州事件記念演説で、「文在寅政府は光州民主化運動の延長線上に立っている」「新政府は5.18民主化運動とローソク革命の精神を仰ぎ、民主主義を完全に復元する。光州の英霊たちが心安らかに休めるよう 成熟した民主主義の花を咲かせよう」と述べ、3.1独立運動、4.19学生革命とともに光州事件を憲法に盛り込むことを国民に約束し、軍事政権時代の反省と清算にもとづき歴史を前に進める決意を語った。
光州事件は6年間に及ぶ全斗愌軍事独裁を生んだが、それは朴正熙から始まった長い軍事政権の終わりを告げる序曲でもあった。

<5.18光州事件>
1980年5月18日、全羅南道光州に起きた光州事件の映像が流れると全世界に戦慄が走った。
容赦なく打ち据えられ、連行される学生・市民たち、血まみれのまま路上にうずくまる多数の市民たちが映し出された。圧倒的な軍隊に向って抵抗を続ける人たち。
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人間がこれほどにも残虐になれるのか! 「兵士たちは薬物を飲まされたに違いない」と在日の韓国語の老先生は涙した。
事件は朴正熙大統領の死後、労働争議が多発、民主化を求める運動が高まるなかで起きた。当時、学生運動、在野運動が盛んな光州では市民と一体となった民主化運動が展開されていた。
全斗煥少将は光州に空挺団を派遣した。光州を「みせしめ」にして反政府勢力を押さえつける目的で、金大中を扇動者として逮捕した。鎮圧部隊は妊婦、子供まで逮捕、連行、そして殺傷した。
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光州事件については多くの写真、映像が残され、出版物も多い。ドラマ・映画作品としては『砂時計』(1995)、映画『光州事件』(2007)、『タクシー運転手- 約束は海を越えて』(2017年)などがある。事件を物語る数字として、鎮圧部隊3万人、市民の死者154人、行方不明者70人が記録されている。全斗煥の軍事行動は事前に在韓米軍の了解の下で行われた。

<日本人にとって光州事件とは>
事件から11年後の1991年に初めて光州を旅した。宿泊した市内を見下ろすホテルで光州事件の夢を見た。その8年後、旅の途中で出会った文学者青柳優子氏に望月洞(マンウォルドン)にある市民墓地を案内してもらった。2005年には小説『太白山脈』の舞台となった筏橋(ポルギョ)をまわり、5.18式典当日に光州を訪れたことも忘れられない。その日、市内には、『ニムのための行進曲』が流れ、光州は悲しみに包まれた。
『ニムのための行進曲』は光州事件の翌年、道庁で銃撃戦のすえ亡くなった若者を追悼する集まりの中から生まれた。以後、今日まで民衆抵抗の歌として歌われてきた。
歌に感動し、これを『君に捧げる行進曲』と翻訳し直し、作曲家の安藤久義氏にピアノ曲にしてもらい発表会で演奏したことがある。この曲に「入れ込んだ」理由はただひとつ、光州事件の悲劇を心に刻んでおきたいという思い、それも悲劇として刻むだけではなく、民主化のために闘った韓国の民衆の心を自分のものにしたいという思いからだった。


     君に捧げる行進曲       詞 白基玩(ペク・キワン)

         愛も名誉も名も 残さず
         貫き通した 熱い約束
         君は 斃(たお)れ旗はたなびく
         明日を信じて ともに進もう

         歳月は流れても 山河は忘れない
         君を思う熱い心
         君の後に ともに進もう
         君の後に ともに進もう !


 2016年に起きたローソクデモの源流をたずね、東学農民戦争から始まり、3.1独立運動、5.18光州事件にいたる韓国の歴史をたどった。軍事政権は悪あがきを続けたが、民衆の力に抗しきれず1987年6月29日、「民主化宣言」を発表して崩壊した。
 多くの犠牲を払った末に掴みとった民主主義はタナボタ式民主主義とは違う。そのタナボタ民主主義が皮を剥ぐように奪われてきたことに気づかない日本人が多い。
民主主義を求め地底から這いあがってきた韓国社会を、傷ついた「上り龍」に喩えるならば日本は何に喩えるべきか。四半世紀の同時期、日韓がたどった道はこんなにも違う。

 光州は民主化運動の聖地となった感がある。民主主義は「闘いとるもの。闘い守るもの」。学ぶことが実に多い。だが、「民主化宣言」以降も韓国の苦難の道は続く。未完の民主化運動。祖国は分断されたままだ。



映画『1987、ある闘いの真実』は民主化闘争のなかでKCIAによる拷問死を遂げた学生をテーマにした作品で、韓国では公開後700万人以上が見た話題作だ。

『君に捧げる行進曲』は次のサイトから見ることができます。2106年12月10日 60万人が集まったローソクデモ光化門広場の歌声です。
https://www.youtube.com/watch?v=j3ezBIj1mJw
2020.01.08   私が会った忘れ得ぬ人々(16)
竹内直一さん――日本の高級官僚の大半は公僕意識がない

横田 喬 (作家)
                   
 安倍首相ら一統による「桜を見る会」がスキャンダル化しているが、論及は次回に回す。「もり」「かけ」問題が先ごろ安倍政権を強く揺るがした時、私はキャリア官僚出身で無類の正義漢である竹内直一さんの面影を懐かしく思い起こした。

森友学園問題では、決裁文書の改竄をめぐって国有地の値引きを担当した近畿財務局から自殺者まで出した。だが、証人喚問を受けた佐川宣寿国税庁長官は「刑事訴追を受ける恐れがあるから」と五十五回も証言を拒否。大阪地検特捜部は「証拠不十分」として、なんと不起訴処分に。一方、加計学園問題では、前川喜平前文科省事務次官が退官後に「加計ありきで行政が歪められた」「民主主義の危機」と痛烈な安倍政権批判を展開している。

 もし竹内さんが健在なら、佐川氏や大阪地検の情けない体たらくを痛罵し、前川氏の毅然たる言動に喝采を送るに違いない。今から四半世紀余り前の一九九三(平成五)年、『朝日新聞』記者だった私は彼を単独インタビューし、以下のような記事(要旨)を記している。
 ――京都で生まれ、東大法学部を出て農林省へ。昭和四十二年、出向先の経企庁で国民生活局参事官として在任中、牛乳の一斉値上げに抵抗し、撤回させる。このため、乳業各社とそれに同調する農林省に排斥され、翌年退職に追い込まれる。

 その翌年、日本消費者連盟を旗揚げし、運動の第一線に。欠陥商品を社名入りで追及し、詐欺的商法を告発。幅広い分野で「消費者主権」確立を目指し。着実に成果を上げてきた。
 「農林次官をやったのが大手乳業メーカーの副社長に天下りしていて、竹内が主婦を扇動して我々に数十億の損害を与えた、けしからん、やめさせろとねじ込んだんです。日本の高級官僚の大半は公僕という意識なんて全くなく、業界の下請けを平気でやり、自己の栄達を図ることに汲々としている」

 「人事院にも出向したからわかったが、日本の官僚組織は欧米とは大分違う。政治家になるための予備校的感覚で役人になったり、公益法人と称して必要もない外郭団体を作って役員に天下りしたり。天下りは補助金という持参金付きだから、税金の莫大な無駄遣いです」
 「規制緩和が問題になってますが、役人が許認可権にこだわるのは、手放せば自分たちのクビ切りにつながるから。日本のように社会が成熟すれば、小さな政府でいい。民間がリストラに努めているんだから、役所だって当然リストラに励むべきです」
 明快で痛烈な指摘は小気味よかった。硬骨漢の見本のような75歳。――

 帰りしな、竹内さんは立ち話で、こうも言い添えた。
 ――官僚は公僕なのに勘違いをし、「オレたちが国を支えている」と本気で思い込み、議会を「お荷物」視し、主権者の国民を「衆愚」視して、何も知らせようとしない。大事なのは、国民が「東大出などのキャリア官僚は優秀」という思い込みから先ず抜け出すことです。

 竹内直一(敬称略)は一九一八(大正七)年、京都御所のすぐそばで生まれた。父は商人で、両親とも「進学も就職も好きなように」と本人任せにする人柄だった。府立一中~旧制三高当時は柔道や陸上競技に打ち込み、体づくりには食べ物が何より大事と気づく。
東大法学部へ進み、本郷の古本屋で『農村青年報告』という本に接し、農村の実態や農民の苦しみを知る。四一(昭和十六)年に高文試験に通り、農林省へ入る。同年暮れ、太平洋戦争が勃発。繰り上げ卒業~海軍主計中尉として南方戦線へ送られ、辛酸をなめる。

敗戦後の四五年暮れに帰国~復員し、農林省へ。飼料課長として働く六一年、自民党党人派の「暴れん坊」河野一郎が農林大臣に就く。飼料会社オーナーでもある彼は、飼料払い下げを恣に行おうと企て、生産者団体側に立とうとする竹内との間で強い摩擦が生じる。
上司の畜産局長は実力者の河野に尻尾を振る男で、同僚の課長連中もその威勢になびく者が大半。孤立した竹内は局内で深夜まで吊し上げを食ったりした。彼はこう振り返る。
 ――目端が利く者は皆忠勤を励み、河野邸が東京・目黒に新築されると営林局長が立派な庭石や庭木をせっせと運び込む。みんな管下の国有林から剽窃してきたものだった。

 権力者に盾突く役人は徹底的に干される定めだ。竹内に愛知用水公団東京事務所長への出向命令が下る。職員はほんの数名で、仕事の内容は理事長のカバン持ちと上級官庁への連絡折衝の下請け業務。政界人や高級官僚らのご機嫌を取り結ぶ役回りに二年余り耐える。
 が、どうにか農林省に戻り、大臣官房経理課長などを経て六五(昭和四〇)年に経企庁へ出向。新設された国民生活局の参事官(局次長相当)に任ずる。

竹内は商品の不当表示問題や独禁法違反のヤミ再販問題などを取り上げ、国会の商工委員会などで野党委員に追及してもらい、消費者側に有利に運ぶよう取り計らう。翌々年春、農林省は牛乳の小売価格(六七年当時で一八〇㏄が二十円七十銭)を一本二円値上げしたい、と内閣に申し入れる。同省はそれまでも行政指導の形で「一円上げろ」「二円上げろ」と各県に通達。実質的な公定価格で全国一律一斉の値上げが罷り通っていた。竹内は消費者の側に立ち、このような慣行はもはや許されぬと判断。野党側に働きかけ、国会で倉石忠雄農相が厳しく追及され、値上げ案は撤回へ追い込まれる。

 乳業メーカー各社は値上げ幅も値上げ時期もばらばらに陥り、大慌ての体に。このため元農林次官で森永乳業副社長に天下りしていた男が「農林省出身の竹内という男が消費者を扇動し、業界に数十億もの大損害を与えた。即刻、首を切れ」と農林省へ怒鳴り込む。
 ほぼ一年後、竹内は農林省に戻され、「大臣官房付き」というヒラの身分に。事務次官か
ら「辞めて民間に行け」と宣告され、退職金や年金の計算でワリを食うヒラ扱いでの退職に追い込まれる。彼はこう述懐する。「官僚機構の秩序を乱す者はこんな目に遭うぞ、という見せしめのお仕置き。日本の官僚の大多数が業界の顔色を窺って仕事をし、国民の幸せを考えようとしない何よりの証拠です。」

 農林省を退官後まもなく、竹内は身一つで日本消費者連盟を旗揚げし、活動に乗り出す。
七〇年、経企庁在籍当時に集めた資料を基に「不良商品一覧表」を公表し、各社の欠陥商品を社名入りで厳しく追及する。さらに、強引な訪問販売や街頭でのキャッチ・セールで英会話教材などを売りつける米国系のブリタニカ商法を東京地検に告発。勝利を収め、男性参加の「告発型」と言われる消費者運動を新たに切り開く。

そして、当時は街中の豆腐屋さんが防腐剤として常用していた食品添加物AF2の毒性に注目。マスコミなどとも共闘して追放運動に乗り出す。七四年にAF2の発癌性が実証され、使用禁止へ持ち込む。その戦闘的な運動スタイルから「日本のネーダー」(注:ラルフ・ネーダーは環境問題や消費者の権利保護問題などに長年取り組んだアメリカの社会運動家・弁護士)と呼ばれるに至る。

 同年、「すこやかないのちを子や孫の世代へつなぐ」ことを理想に掲げ、各地の草の根運動の結集に乗り出す。有害食品・不当表示・詐欺的商法・原子力発電・農薬など幅広い分野で「消費者主権」の確立を目指す運動を展開。八〇年代以降は国際交流にも力を入れ、八九年には「アジア太平洋消費者会議」を東京で開催する。マレーシアの熱帯雨林地域サラワク出身の女性から「日本への木材輸出で、私たちの森は後十年で裸になる。日本の山は青々と茂り、人々は割り箸を平然と使い捨てにしている」となじられ、忸怩としたと言う。
 竹内さんは〇一年、大動脈瘤破裂のため八十三歳で亡くなった。
2020.01.07  米国よるイラン司令官殺害を非難
  平和アピール七人委が緊急の訴え

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

中東情勢の緊迫化に対し、世界平和アピール七人委員会は1月6日、「米国によるイラン革命防衛隊司令官殺害を非難し、すべての関係者が事態を悪化させないよう求める」と題する緊急アピール発表し、国連総長、国連総会議長、米国大使館、イラン大使館、安倍首相、茂木外相、河野防衛相に送付した。

世界平和アピール七人委は昨年12月12日、「自衛隊の海外派遣を常態化してはいけない」と題するアピールを出したが、新年になって米国によるイラン革命防衛体司令官殺害という事態が発生、成り行きによっては最悪の事態も予想されることから委員全員が危機感を深め、緊急アピールの発表となった。
アピールは「『米国』と『イラン』の立場を置き換えたとき、米国政府と米国民は自国軍の司令官の殺害という事態を受け入れられるだろうか」として米国の行為を非難、両国をはじめ国連や日本政府にこれ以上事態を悪化させないための努力を求めている。

世界平和アピール七人委は、1955年、物理学者・湯川秀樹らにより、人道主義と平和主義に立つ不偏不党の知識人有志の集まりとして結成され、国際間の紛争は武力で解決してはならない、を原則に日本国憲法擁護、核兵器禁止、世界平和実現などを目指して内外に向けアピールを発表してきた。今回のアピールは138回目。

 現在のメンバーは武者小路公秀(国際政治学者、元国連大学副学長)、大石芳野(写真家)、小沼通二(物理学者、慶應義塾大学名誉教授)、池内了(宇宙論・宇宙物理学者、総合研究大学院大学名誉教授)、池辺晋一郎(作曲家、東京音楽大学客員教授)、髙村薫(作家)、島薗進(上智大学教授、宗教学)の7氏。

 アピールの全文は次の通り。

        米国によるイラン革命防衛隊司令官殺害を非難し、
        すべての関係者がこの危機を悪化させないよう求める


                  世界平和アピール七人委員会

米国政府は、イラクでイラン革命防衛隊の司令官を1月3日にドローンで殺害したと発表した。これに対してイランは報復を予告している。イラク首相は主権侵害だとしている。
「米国」と「イラン」の立場を置き換えたとき、米国政府と米国民は自国軍の司令官の殺害という事態を受け入れられるだろうか。
私たち世界平和アピール七人委員会は、米国によるこの殺害を非難し、この危険な事態をさらに悪化させないよう関係するすべての国に求める。
国連安全保障理事会のメンバー諸国は 直ちに自国の立場を明示すべきであり、国連は速やかに総会を開いて対話による解決のためのあらゆる努力を行っていただきたい。
米国とイラン双方と友好関係にあると自任する日本政府は、直ちに米国に完全な自制を促すべきである。
日本政府は、米国が2019年6月に提案した有志連合には参加せず、海上自衛隊の護衛艦と哨戒機を、通行する船舶の護衛を含まない「調査・研究」のために中東に派遣すると、国会にも国民にも説明しないまま2019年12月27日に決定した。
しかし得られる情報を有志連合と共有するため、バーレーンにある米中央海軍司令部に連絡員を派遣することが明らかになり、事態が変われば派遣目的を変更するとされている。これでは米国に与するものとみなされてもしかたがない。我々が12月12日に発表したアピール『自衛隊の海外派遣を常態化してはいけない』の内容をあらためて強く求める。日本国憲法によって法的に制限された軍事組織である自衛隊を危険地域の周辺に派遣させるべきでない。日本は非軍事的手段による平和構築に積極的に取り組むべきである。
2020.01.06  記憶と反省と想像 (5)
   韓国通信NO625

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

「内憂外患」の連続だった韓国・朝鮮の歴史。中国に隣接する地理的な条件に加え、日本の存在が、外患、いつも「災いの元」だった。
日本からの解放後も棘の道を歩まなければならなかった。沖縄と北方領土いう例外はあるが、日本は分断を免れ、「タナボタ」という表現には異論があるかも知れないが、「民主化」を享受する道を歩んだ。戦後韓国が歩んだ道は、日本は関係がないように見えるが「災いの元」日本とは無縁ではなかった。
日本人は1945年以降の隣国に対して無関心であり続けた。日本人が韓国を「発見」したのは、「民主化宣言」(1987/6/29)の翌年の88年ソウルオリンピックだった。それまでの韓国は魅力が乏しく観光にでかける人は少なかった。ところが、夜間外出禁止令に象徴される韓国に劇的な変化が生まれた。私が初めて韓国を旅行したのも、「民主化宣言」直後の87年10月だった。「
民主化宣言」にいたる歴史を復修(さら)ってみた。

<済州島4.3事件から朝鮮戦争へ>
「済州島4.3事件」(1947)では島民8万人が虐殺された。占領軍でもない米軍政が韓国政治に公然と干渉し、政府軍と右翼に「済州島4.3事件」(1947)では島民8万人が虐殺された。占領軍でもない米軍政が韓国政治に公よる虐殺事件を起こした。未曽有の虐殺の真相と責任は闇に閉ざされたままだ。
同胞が血で血を洗う朝鮮戦争は明らかな米ソの代理戦争だった。国土は廃墟と化し、南北あわせ530万人という犠牲者は、実に総人口3,500万人の6分の1にあたる。離散家族は今でも1千万人といわれる。
二つの事件は韓国社会を決定づけた。極端な反共国家へ、軍事政権が生まれる素地となった。日本は戦争特需で経済復興を遂げた以外は無関心だった。
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<写真/避難民たち 東亜日報>

<4.19学生革命>
南朝鮮(韓国)の初代大統領李承晩は朝鮮独立運動の功労者だが、アメリカの傀儡でもあった。また「李承晩ライン」によって多くの日本の漁船が拿捕されたため、日本人の韓国に対する悪感情が生まれたことも否定できない。
李承晩の腐敗独裁政治に「ノー」を叩きつけた4.19学生革命は、日本の60年安保闘争と全く同じ時期に起きた。高校生によって始められた運動は全国に波及、流血の事態は186人を超す死者を生んだ。政府は戒厳令で対決したが、結局、李承晩はアメリカからも見放されアメリカに亡命。その後起きた朴正熙の軍事クーデターによって韓国社会は長い「冬の時代」に入る。
日本の新安保条約は自然承認となり、岸首相は退陣。政権は池田内閣に引き継がれ、日本は高度経済成長時代に突き進んだ。60年安保闘争は戦後最大の反政府運動と評価される一面、学生運動、労働運動の挫折の歴史として語られることが多く、いまや人々の記憶から消えようとしている。
韓国憲法の前文で、4.19学生革命は3.1独立運動とともに継承すべき輝かしい偉業として記されている。独裁政権と闘う民主化運動の精神的支柱として人々の心に生き続ける。

<アメリカが主導した日韓条約>
4.19学生革命、60年安保闘争から5年目に締結された日韓条約に日韓双方で反対運動が繰り広げられた。私が通っていた大学でも「日韓条約粉砕!」の立て看板が掲げられ、デモへの参加呼びかけが盛んに行われた。60年安保闘争に参加した私は日韓条約が新安保条約の延長上にあると理解したが、就職試験を前に反対運動に参加するゆとりはなかった。日本側は反米闘争、護憲の色彩が強く、韓国側は日本に対し植民地時代の清算と謝罪を強く求めた。同じ反対運動だったが、日韓での意識のずれは大きかった。また、韓国の反対運動は数倍も規模が大きく、先鋭化した。
日韓の国交正常化はアメリカの極東戦略の一環だった。ベトナム戦争の激化によって、韓国は派兵、日本は後方支援を米国から求められた。憲法の制約があって日本は派兵ができなかった。
無償3億ドル有償2億ドルという経済協力資金を得るために朴政権は反対勢力を力で押さえ込んで締結を強行した。朴大統領は金で韓国の心を売ったと批判された。日韓条約反対運動は4.19以後最大の反政府運動だった。
韓国政府は経済協力資金を利用して「漢江の奇跡」といわれる経済発展を遂げたが、経済協力資金は軍事政権維持のためにも使われた。日本が軍事政権を支えたといわれる所以だ。<次号「光州事件」へ続く>

NHKへモノ申し
「桜を見る会」問題で安倍内閣は窮地に追い込まれている。今年の桜が散る頃が見ものだ。

12月17日、大阪高裁が森友学園に対する国有財産払い下げ額を明らかにしなかった国に「有罪」判決という画期的なニュースが飛び込んできた。
「隠匿」「改ざん」を常習とする政府への痛打である。まっとうな判決に希望を感じながら、その日の夕方7時のNHKニュースがこれをどう伝えるか見守った。
その日のトップニュースは池江璃花子の退院のニュース(5分)、続いて共通試験での記述式国語と数学の見送り(5分)、聖火リレー関連(7分)、予算編成閣僚折衝(3分)、立憲・国民の合流(2分)と続き、最後まで大阪高裁の判決は報じられなかった。
「またやったかNHK! 」と憤慨、次のメッセージをNHKに送った。
「森友学園への国有地売却額を不開示にした政府に対して大阪高裁が不開示決定は違法とする判決を下した。政府にとっては厳しい判決で大打撃だったはず。しかし全く報道されなかった。安倍内閣に対する忖度もいい加減にして欲しい。ニュースの順番、時間についてチェックしている視聴者がいることを忘れないでほしい。最近のNHKのニュース選択は異常だ。反省を求めても無理なのかも知れないが、抗議だけはしておきたい。回答をいただけるならそれにこしたことはない」。今のところ回答はない。グチを言わずNHKを育てよう。

2020.01.05 「本日休載」
  今日、1月5日(日) は 休載します。

      リベラル21編集委員会