2019.06.10  護憲の集い次々と
          首相の「改憲争点化」発言で

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 安倍首相が5月17日、「憲法を議論する政党か、議論しない政党か、参院選で訴える」と発言したことから、安倍政権による改憲を阻止しようという集会が草の根のレベルで活発化している。そのいくつかを紹介する。

◆「憲法9条、変えさせない6・12大集会」
日時:6月12日(水) 18時30分開会
場所:中野ゼロ大ホール(東京都中野区中野2-9-7。JR中野駅下車)
パフォーマンス:松元ヒロさん
お話:一橋大学名誉教授・渡辺治さん「9条改憲を阻んで安倍政治に終止符を!」
音楽・沖縄三線:Milk[弥勒]
参加費:999円(学生500円)
主催:九条の会東京連絡会(TEL 03-5812-4495 FAX 03-5812-4496)

◆「声を上げよう!憲法下町のつどい 世界からみた日本国憲法」
日時:6月12日(水)18時30分から
場所:金杉区民館下谷分館(東京都台東区下谷3-14-3)
講演:伊藤千尋さん(ジャーナリスト・元朝日新聞記者)
音楽:フォルテ
参加費:入場無料
連絡先:台東協同法律事務所(TEL 03-3834-5831)

◆「元号と天皇制、平和憲法を考える講演と討論の集い」
日時:6月13日(木)18時30分から20時30分まで
会場:文京区民センター2A会議室(東京都文京区本郷4-15-14、都営三田線・大江戸線春日駅、東京メトロ丸ノ内線後楽園駅下車)
講演:高嶋伸欣・琉球大学名誉教授「昭和天皇の戦争責任と日本国憲法」
資料代:800円
主催:壊憲NO!96条改悪反対連絡会議
連絡先:☎03-5802-3809

◆「へいわってどんなこと? 児童文学と絵本とジャーナリズムの出会い」
「憲法と平和」をめぐって、児童文学作家の朽木祥、絵本作家の浜田桂子、ジャーナリストの斎藤貴男の3人が若者に、それぞれの仕事を通した体験談や時代認識を語る。若者は大人に対し、大人は若者に対し、それぞれ何を求めるのか?
日時:6月29日(土)午後2時~4時30分
会場:東京・神田神保町 東京堂書店6階東京堂ホール
参加費:1000円(学生無料)
定員:100名(当日券あり。ただし事前申込みが定員に達した場合、当日券はありません)電子メールでの申込み:heiwa@japanpen.or.jp タイトルを「平和について考える2019」とし、本文に氏名、年齢、電話番号を、学生はその旨を明記
往復はがきでの申込み:送付先は〒103-0026 中央区日本橋兜町20-3 日本ペンクラブ「平和について考える2019」係。往信用裏面に氏名、年齢、郵便番号、住所、電話番号、学生はその旨を明記。返信用表面に返信先の郵便番号、住所、氏名を明記。お申し込みいただいてから5日以内に返信を送ります
主催:日本ペンクラブ平和委員会

2019.06.09  「本日休載」

今日6月9日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会

2019.06.08  緊急対談「どうする、日本の政治」
          村上誠一郎×落合恵子TALK SHOW

 革命はいつの時代もカフェから。ブックカフェ、エスパス・ビブリオでは、政権与党自民党にいながら一人、安倍政権に正論をもって対峙する衆議院議員・村上誠一郎さんが、ポスト安倍の新しい政治をテーマに、ゲストをお招きしてトークショーを開催します。
 今回は、子どもや女性、そしてハンディキャップのある人が住みよい社会の実現、反原発、護憲を目指して活動を続ける作家であり、クレヨンハウス・オーナーの落合恵子さんをお招きします。

日時:6月14日(金)18:30~20:30

会場:エスパス・ビブリオ(東京都千代田区神田駿河台1―7―10 YK駿河台ビルB1。
     JR御茶ノ水駅下車、御茶ノ水橋口から徒歩7分) 

参加費:2000円

予約制:電話またはメールで受付。70人になり次第締め切り
<電話予約>03-6821-5703(火~土 11:30~20:00/日・月・祝は休)
<メール予約> info@espacebiblio.superstudio.co.jp 「6/14村上誠一郎トーク希望」と記入の上、名前・電話番号・ 参加人数を明記。おって返信メールで予約完了をお知らせします
(岩)
2019.06.07  チバリヨー沖縄 !(下)
          韓国通信NO602

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

<基地さえなければ>
 沖縄の観光客が増え続けている。昨年2018年の年間観光客は1千万人に迫り、外国人観光客も300万人を超えた。基地だらけの沖縄にこれほどの観光客。基地がなければ、パリ、ニューヨーク、ハワイなんか目じゃない。五年前に訪れた宜野湾北谷 (ちゃたん)町は、返還されたバンビ飛行場の跡地を利用してアメリカンスタイルの商店、遊戯施設を作り、活気ある町に変身を遂げた。レジャーランド化して若者や観光客で大賑わいだった。北谷は脱基地のお手本とも言われる。

<読谷村 (よみたんそん)をたずねた>
 今回の旅で印象に残った読谷村。
 「鉄の暴風」というイメージは、沖縄戦最初の米軍上陸地となった読谷村と重なるが、読谷村は不死鳥のように生き返った。
 「平和共存・文化継承・環境保全・健康増進・共生持続」、「ゆたさ(・・・)ある風水、優る肝心、咲き誇る文化や、健康の村」を村づくりの目標に掲げる。全村が壊滅した挙句、95%が米軍に接収された村が掲げるこの言葉は重い。役場正面には「政府は日米地位協定を抜本的に見直せ」と大書した横断幕が掲げられていた。

<憲法第九条に込められた不戦の誓い>
 読谷村の小橋川清弘(谷村史編集/元読谷村立歴史民俗資料館館長)さんからお話を伺った。
チバリヨー沖縄 !(下) 役場の入り口にある憲法第九条のレリーフから読谷村の平和への覚悟が伝わり感動した。村の形がオオトリ(鳳)に似ているのでオオトリが村のシンボルになった。「風水」※によって村役場を基地のド真ん中にしたという奇想天外な話。「風水」を根拠に、村役場など主だった公共施設を基地の中に作り、それが現在の村の中心になった。1997年に現町役場が完成。当時の山内徳信村長の「三代目 読谷村役場」という言葉が残されているので紹介する。<上写真/三代目読谷村役場> 村民あげての運動が実った喜びと決意が伝わる。※中国伝統の自然観のひとつ。都市、住宅、墓を地勢や方位、地脈、陰陽で決める。朝鮮・日本にも伝わり活用された。「鬼門」という言葉もその名残。



 嗚呼! 遂に村民の夢が実現した 読谷村の自治の殿堂として米軍基地・読谷飛行場の真ん中に誇らしく自信を持って建っているお前は 三代目読谷村役場なのだ 由緒ある座喜味城を腰当に、風水よく鳳凰の島として建っているのだ アメリカ軍にも大和政府にも読谷村の読谷村民だ、と訴え続け、戦い続けた村民の勝利だ  読谷村の自治・分権・参加民主主義・平和の殿堂として村民とともに輝き未来に向かって雄々しくはばたけ 1997年4月1日  読谷村長 山内徳信


<かがやく村>;
 小橋川さんは読谷村場の名前が刻まれた石碑の前で、「すべての地域に住む人のための役場。一人ひとりが読谷の主人」と役場の使命を説明した。「主権者は国民」と謳った日本国憲法を地域で生かそうとする「読谷村精神」に感銘した。<左下写真/読谷精神を語る小橋川氏>

チバリヨー沖縄 !(下) 読谷村は日本一人口の多い村。4万人を超えた。読谷村の次に人口の多い村は東海原発のある茨城県の東海村だ。基地と原発を抱えた二つの村。
 東海村の元村長村上達也さんに「東海村はいまだに何故、村なのか」と不躾な質問をしたことがある。「村こそ共同体の基本だ」」と彼は胸を張った。小橋川さんの話から、東海村の村上さんを思いだしていた。市町村合併が続き、道州制が浮上しているが、これは住民を効率よく管理するための主客転倒の発想だ。この時ほど「村民」になることに魅力を感じたことはない。

<悲劇を乗り越えて>
 1945年4月1日、雲霞のごとく押し寄せた米軍16,000名によって村はたちたまち占領され、村民は逃げまどった。読谷村の95%が米軍によって接収され、人権も生きる権利も奪われるなかで基地返還の運動が進められ、1997年には役場庁舎が、1999年には文化センターが基地内に建った。さらに2006年7月には飛行場の敷地190ヘクタールのうち140ヘクタールを返還させた。
町役場の展望室から、小橋川さんは運動広場、野球場、文化センターなどを説明しながら将来構想を語ってくれた。現在でも村の36%が米軍の通信施設、弾薬庫として使用されているという。が。
 本土の捨て石とされ、日本から切り離され、復帰後は基地を押し付けられてきた沖縄の縮図といわれる読谷村から、厳しさの中にも前途に明るい可能性が見える。本土復帰後、知事となった屋良朝苗は読谷村出身である。山内元村長の、日本国憲法を村政の基本精神とした村政の実績が、花開こうとしている。住民福祉を第一に、文化、観光都市を目指している。

<チビチリガマを前に小橋川さんが語った90分>
 小橋川さんから読谷村波平にあるチビチリガマの悲劇を聞いた。米軍に追われ避難した村民約140人が米軍の投降の呼びかけに対して、竹やりで抵抗したあげく、壕の中で火をつけ、毒薬注射で自殺、包丁や鎌で首を切るという集団自決が発生し85人が死んだ。凄惨な死の実態は有志の実態調査によってやっと83年になって明らかになった。
 悲劇は続く。洞窟から遺骨が収集され、入り口に慰霊のために「平和の像」が建てられたが右翼の集団によって87年に破壊された。海邦国体(1987年)で起きた「日の丸焼き捨て事件」に対する報復だった。私たち一行6人は再建された平和の像の前で集団自決とその後のいまわしい事件の説明に耳をそばだてた。傍を流れる小川、鬱蒼とした樹々に囲まれたガマ(壕)の中は暗く、74年前の悲劇をそれぞれに思い浮かべながら90分を過ごした。
 「集団自決」は米軍上陸後、沖縄各地で起きた。子どもや仲間を殺した忌まわしい事件を知られたくない人が多く、未だに全容は明らかにされていない。
 同じ読谷村にあるシムクガマでは逃げ込んだ約千人の村民が全員投降したため全員が生き延びたという説明に耳を疑った。シムクガマにいたハワイ帰りの村民が、米軍と交渉したためだ。
 前者は日本軍の方針に殉じ、後者は交渉によって生きる道を選んだ。この違いはどこから生まれたのか。「やはり教育の問題でしょうね」、戦争の悲惨さといのちの尊さを教えない最近の教育を小橋川さんは心配していた。

<旅の終わりに>
 旅の最終日、私たちは読谷村座喜味 (ざきみ)にある「やちむん(やきもの)の里」をたずねた。陶芸美術館朝露館の関谷興仁さんを中心とした、今度の私たちの旅には欠かせない訪問先だった。やちむんの里の起りは17世紀に遡るといわれるが、その後衰退した。首里城下に集められた陶芸家による「壺屋窯」から1972年に陶芸家金城次郎氏(故人)が読谷に工房を移すと、中堅の陶工4名が共同登窯を築き、読谷山焼を作り始めた。その後、首里から多くの陶芸家が移り住み、沖縄を代表する焼き物の里になった。現在50余りの工房があり、多くの陶芸愛好家が訪れる。
 チバリヨー沖縄 !(下) 民藝の柳宗悦、濱田庄司らによって沖縄独特の美が評価された沖縄の焼き物は読谷村に引き継がれている。
特に益子で活躍した濱田庄司が、「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と述懐するように、沖縄の陶芸と益子は縁が深い。広い敷地に工房、登り窯(写真上)が点在し、読谷村が誇る有力な「平和産業」となっている。実はこの地も米軍用地を利用したものだ。平坦地にこれだけ多くの工房が軒を並べて存在するのは珍しい。

 二泊三日の「琉球ぷらっと道中」。一行6人の平均年齢はおそらく70才を超えていたが、とても行動的で、沖縄料理にも観光地にも貪欲だった。今帰仁 (なきじん)グスク跡、恩納村の万座毛など沖縄観光の目玉と称される所もたずねては遺跡と豊かな自然美を堪能した。
 繰り返すことになるが、沖縄に多くの観光客が訪れ美しい自然と歴史・文化に驚嘆の声をあげる。その沖縄に日本政府は米軍基地を押し付け、さらに新しい基地を作ってアジアはもちろん世界に向けて軍事的威嚇を強めようとしている。非武装中立の琉球沖縄がアジアの交易の拠点となり交易と観光で繁栄する青写真もある。
 本土に住む人間として何ができるのか、本気で考える時が来た。
2019.06.06  「青い山脈」の成功と失敗
          ―亡き杉葉子を偲んで―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《ヤミ屋に囲まれて生まれた「青い山脈」》
 ■昭和24年1月に作曲されたこの曲のメロディーは、当時服部(良一)が大阪駅から京都駅へ行くすし詰めの電車の中で生まれた、という。ハッピ姿やハチ巻きの闇屋の大群がぎっしりと乗り込み、服部は身動きも出来ないまま、車窓からくっきりと見える美しい山脈(やまなみ)を眺めながら、健康的なメロディーを頭に画いていた。これと思った旋律が浮かんだので、忘れない中に直ぐに書き留めておかなければ、と考えた服部は、五線紙をカバンから取り出す隙もないので、ポケットの手帖を辛うじて引っぱり出し、手帖の鉛筆で、ハーモニカの略符1,2,3を使って素早く書き留めた。まわりの闇屋さんも、商売の計算をしている仲間と思ったのか、同情的に見てくれたので、電車が京都駅に滑り込むまでに、最後の小節を無事書き終って、目出度く「青い山脈」の名旋律が完成した。■

 これは、三枚組のCD『服部良一―僕の音楽人生』(1989年、コロムビアミュージックエンターテインメント(株))に、音楽評論家瀬川昌久が書いた解説の一部である。

《「青い山脈」を選んだのは一人だけ》
 30人ほどの映画同好グループで、「世界映画史上・私のベスト3」という人気投票をしたことがある。20年ほど以前と記憶する。上位には「天井桟敷の人々」、「ローマの休日」、「第三の男」、「ライムライト」といった不朽の名作が、邦画では小津安二郎、黒澤明、溝口健二の代表作が並んだ。
「青い山脈」を挙げたのは私一人だった。服部良一が「闇屋さん」に囲まれて名曲を作ったとき、私は13歳であった。「青い山脈」と杉葉子は、私にとって青春の象徴であったし、私の中では「戦後民主主義の象徴」であり続けた。
それは「青春」の輝きと儚さ、未成熟に終わった「戦後民主主義」をずっと想起させてくれたからである。原節子(教師島崎雪子)、木暮実千代(芸者)、若山セツ子(その妹)、池部良(受験浪人金谷六助)、竜崎一郎(独身の町医者)、伊豆肇(旧制高校生ガンちゃん)。彼らは既に映画に出演していた。特に原節子、木暮実千代、竜崎一郎は、戦意高揚作品の主役、準主役でもあった。杉葉子だけが唯一の「新人スター」である。その肢体の美しさに私は息をのんだ。私は今でも映画館のどの席の近くで見たか―混んでいて座席に座れなかったのである―をハッキリ覚えているし、その後テープやDVDで何度も見て場面の展開を覚えている。

《杉葉子と原節子は戦後民主主義の象徴だった》
 今井正によるこの作品のあと、「青い山脈」は三回のリメイクがあったが、誰もが思い出すことはない。杉葉子はその後、成瀬巳喜男の「山の音」「めし」、市川崑の「結婚行進曲」「青春銭形平次」、田中絹代の「月は上りぬ」などで一定の評価を得たが、結局「青い山脈」の寺沢新子(旧制高等女学校5年生)の衝撃を超えられなかった。女子大出の英語教師を演ずる原節子は理念の具象化として表現されている。それもあって彼女の住まいが画面に現れることはない。杉葉子も「お母さんが二人いる」設定にもかかわらず、その家庭も画面に出てこない。主題歌「恋のアマリリス」の歌詞にある「姉と呼びたき師の君も悩み給うか恋の夜は」は新子の目線で見た雪子である。前編で、二人が女学校に近い小高い丘の芝生でおどる場面に、このメロディーは雪子が口笛を吹く設定で使われた。

《名曲だけが残るのだろうか》
 監督の今井正はなぜか、服部作曲の「青い山脈」を高く評価しなかったという。しかし藤山一郎と美人歌手奈良光枝が吹き込んだレコードは空前のヒットとなった。70年後の今でも、懐メロのTV番組は、「青い山脈」の全員合唱で終わる。今井はそれでも、前編―前後編二本あったのだ―のタイトルバックに合唱で入れた。後編、恋人たちが砂浜に向かって銀輪を走らせる場面にも使った。婚約した原節子と竜崎一郎を望遠レンズに入るラストシーンでもゆっくりした旋律を歌い上げている。
私個人は、レコードB面で、二葉あき子が歌った「恋のアマリリス」を好む。杉葉子らは撮影中に後者をくちずさむことが多かったという。両曲は米国のポピュラー音楽家パーシー・フェースが、大編成オケ用に編曲して録音しているが、叙情性において映画タイトルバックのコーラスに遠く及ばない。

《人は71年前を知っているだろうか》
 昭和24年は今から71年前である。そこから71年遡ると、1877年(明治10年)である。国会も憲法もまだ出来ていなかった。右大臣三条実美の時代である。官軍は西郷隆盛と西南戦争を戦う一方で、上野では内国勧業博覧会が開かれていた。「音楽取調掛」が「東京音楽学校」に改組されたのはこの10年後である。
私が「青い山脈」を見たときに、71年前のそういう過去を回想することはできなかった。ならば、私の「青い山脈」回想は、今の13歳に、伝わるであろうか。私は「青い山脈」を論じて次のことを伝えたいのである。

《歴史認識はバラバラにされ百田某が歴史を語っている》
 昭和の前半に生まれた「青い山脈」は、その昭和を生き延び、平成をも生き延びた。されば、年相応に、老いたといわねばならない。「青い山脈」が夢見た生活水準は、その後40年ほどで実現した。GDP世界第二位になったからである。しかしそこが頂上だった。平成の30年間は、映画の恋人たちの成果が、次々にハゲ落ちる過程であった。更にいえば、もともと「青い山脈」の精神的な理念は実現されなかった。「男女同権」や「基本的人権」は、競争第一の企業社会の門前で立ちすくんだのである。同権の代わりに不平等と格差が、そして人権社会の代わりに同調圧力の共同体が出現したのである。「令和の御代」は、「青い山脈」の精神的側面の実現に失敗した日本の現実を、更に厳しい姿で我々に突きつけることになるだろう。人々は今、70年どころか、100年単位の長期展望を迫られている。同時に百田某の「歴史書」がベストセラーであるのが現実である。(2019/06/03)
2019.06.05  私が会った忘れ得ぬ人々(九)
          立花隆さん――ゼネラリストたることを専門とする専門家たらん

横田 喬 (作家)

 戦前日本の「知の巨人」が南方熊楠(敬称略)だとすれば、戦後日本のそれはさしずめ立花隆だろう。南方は生ける百科全書とも言うべき博識で鳴らしたが、立花も凄い読書量や博学な点では負けていない。菊池寛賞・毎日出版文化賞・司馬遼太郎賞などを受け、理系学問の分子生物学や脳科学への造詣が認められ、東大大学院特任教授にも任じている。

 今から三十五年前の一九八四(昭和五十九)年、私は東京・文京区内の自宅に彼を訪ね、差しで一時間余り取材している。当時の『朝日新聞』紙面から紹介記事(概要)を引くと、
 ――田中角栄元首相の“天敵”として名をはせたルポライター立花隆(四四)は、父の勤めの関係で長崎で生まれたが、小学校から高校途中まで水戸で育った。本名・橘隆志。
一見ソフトに映るが、なかなかの意地っ張りだ。田中金脈を追及した十年前の雑誌論文『田中角栄研究』。権力者に弓引く身への相手陣営からの圧力も陰に陽に厳しかった。相手が強ければ強いほどファイトを燃やし、ロッキード事件公判を欠かさず傍聴、筆誅の刃をとぐ。

 小学生のころ、休日に水戸の大きな本屋に行き、終日立ち読みを続けて飽きなかったほど読書好き。文献や資料の核心を見抜く力に優れ、仕事仲間は「本を読む天才」視する。東大でフランス文学と哲学を専攻。『日本共産党の研究』『農協 巨大な挑戦』は政界などに波紋を広げ、『文明の逆説』『宇宙からの帰還』は現代文明や人間存在の本質を問う。
 着眼のよさと実証の確かさ、平易で力強い文章。ニュージャーナリズムの地位を高め、「角栄追究と早く縁を切り、もっと次元の違う仕事がしたい」――
 
 『田中角栄研究』は‘七四(昭和四十九)年秋、月刊誌『文芸春秋』の肝いりで二十人ほどのチームを編成。登記簿や政治資金収支報告書など公開情報を徹底的に調べ上げ、それを基に関係者に当たって裏付けを取る地道な「調査報道」の典型だ。角栄の息がかかる室町産業の例が凄い。農民たちから河川敷だからと五千五百万円の安値で買い取った土地が国に堤防を造らせて立派な土地に化け、八十五億円もの法外な値上がり益を懐にする。この論文に目を通し、私は正直「やられた」と感じ、己の非才ぶりに愛想が尽きた。

 立花は「小学三年で漱石(『坊ちゃん』)を読み、六年の時にディケンズ(『二都物語』)を読んだ」というから、驚く。両親は文学青年・文学少女上がりで、父親は書評紙の編集者で、家の中には沢山の本があった。が、立花は読書一辺倒でもなく、中学では陸上部の活動に励みハイ・ジャンプ1㍍64㌢の新記録をマーク。青白い秀才タイプではなかった。

 受験勉強で大変だった高校時代も、欧米作家が中心の『世界文学全集』を半ばは読破。東大入学後は「文学研究会」でサークル活動に励み、ドストエフスキーやトルストイは代表作のほとんどに目を通す。彼の両親は共にクリスチャンで、彼自身も子供の頃から教会へ行かされ、キリスト教の影響が強い、という。文学専攻の意義について、こう言う。
 ――文学を経ないで精神形成をした人は、どうしても物の見方が浅い。想像力が十分に培われていないために、物事の理解が図式的になり易い。
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2019.06.04 堺市長選が始まった、合同選対本部の設置なしには、堺自民・共産・立憲・市民ボランティアの「混成部隊」は維新・公明の「正規軍」に惨敗するだろう
          大阪維新のこれから(7)

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

 5月26日から堺市長選が始まった。6月9日(日)が投開票日なので、選挙運動期間は僅か2週間しかない。人口80万人の政令指定都市の市長選がたった2週間とあっては、それ以前の準備状態で勝敗が決まると言っても過言ではない。しかし、反維新側の自民堺市議が離党して立候補表明したのは選挙公示日直前の5月18日(土)のこと、それ以前に万全の準備を整えて出馬表明した維新側候補に比べると、情勢が極めて不利なことは否めない。

 加えて今年4月7日(日)投開票の堺市議選では、大阪維新が前回の14議席(得票数9万9千票・得票率31%)から18議席に(13万1千票・39%)に躍進し、ダントツの第1党に躍り出た。公明は現状維持の11議席(6万票・19%、→5万9千票・18%)、自民は1議席増の9議席(5万7千票・18%→5万9千票・18%)を死守して何とか支持層を固めたが、割を食ったのは共産、立憲、無所属だった。共産は6議席(4万票・13%)から4議席(3万5千票・10%)へ、立憲は2議席(1万9千票・6%)から1議席(1万6千票・5%)へ、無所属も7議席(4万2千票・13%)から5議席(3万5千票・10%)へとそれぞれ大きく後退した。要するに、共産・立憲・無所属が大阪維新に票を喰われたのである。

 堺市長選の公示日、5月26日(日)の維新・公明の合同記者会見で、公明が維新に屈服表明したことの影響も大きい。このことは、衆院選大阪16区(堺市の中心区)が地盤の北側一雄氏(公明党副委員長)に対して、維新が対抗馬を出さないことを約束し、その代り堺市長選で公明が維新側候補を支援するという取引(ディール)が成立したことを意味する。直前の堺市議選の政党別得票数を基礎にして、維新・反維新の両候補の基礎数を計算すると以下のようになる。
〇維新側候補20万7千票=維新13万1千票+公明5万9千票+無所属1万7千票〈1/2〉
〇反維新側候補12万7千票=自民5万9千票+共産3万5千票+立憲3万8千票+無所属1万7千票〈1/2〉

 5月28日(火)の午後から夜にかけて、私は市民ボランティアの事務所や集会の様子を見て回ったが、集会では参加者の発言を聞いて衝撃を受けた。反維新側はそれぞれ勝手連的に選挙運動を展開しているのだが、それが候補者の運動に結びついていないのだ。例えば、駅前の街頭演説で候補者が雨中で懸命に訴えているにもかかわらず、周辺には運動員がチラホラとしかいないといった状況があちこちで見られるという。

 大阪維新と公明が構成する選挙陣営は〝正規軍〟なのである。彼らの陣営には選挙参謀としてプロの大手広告会社が常駐し、選挙情勢を分析して宣伝活動や集票活動の指揮を執っている。街頭宣伝には近畿地方の維新議員が組織的に動員されて宣伝活動を担い、地元の維新堺市議団はもっぱら業界や地域を回って集票工作を担当するなど、分業体制も徹底している。そして決起集会には、吉村知事や松井市長が駆け付けて候補者と揃い踏みをするという演出も凝らされているのである。

 これに対して、反維新陣営は勝手連的な〝混成部隊〟でしかない。それぞれのグループでは頑張っているが、それらのエネルギーを束ねて大きなうねりを作っていく参謀本部や司令部が不在なのだ。大阪ダブル選挙では反維新候補として有為な人材を擁立したにもかかわらず、維新陣営の際立った組織戦に負けた。反維新陣営の中核となるべき自民大阪府連が分裂し、選対本部が機能せず、自主的に支援する各政党や市民グループとの協力体制が成立しなかったためだ。

 堺市長選では大阪ダブル選挙の誤りを繰り返してはならないだろう。堺自民はもはや大阪自民からの支援は得られない以上、支援政党や市民グループと共闘体制を組むしかない。その要となる「(暫定)合同選対本部」を直ちに設置し、選挙態勢を立て直さない限り勝利の展望は見えてこない。待っているのは“惨敗”だけだ。残る時間は僅かであり、関係者の決断が迫られている。(つづく)
2019.06.03  このままだと次も負けるぞ共産党
          ――八ヶ岳山麓から(283)――

阿部治平(もと高校教師)

私は、保守のリベラル派から左の政党なら時と場合でどの政党でも支持する、という締まりのない人間だが、この10年くらいは共産党の支持者であった。わが村に共産党しか左翼政党がないからだ。

このたび、その共産党の志位委員長による第6回中央委員会総会(6中総)への報告を読んだ。この要約を掲載した「赤旗日曜版」の横見出しは、「日本の命運がかかる参院選」というものであったが、私は報告を読んで「日本共産党の命運がかかる参院選」だと思った。

「6中総」で志位氏は、「統一地方選挙の共産党の獲得議席は、前回比でみると、道府県議選で111議席から99議席に、政令市議選で136議席から115議席に、区市町村議選で1088議席から998議席に減らす結果となった」と発言したから、敗北を認めたものと私は思った。
ところが「(共産党の得票を)総選挙比例票との比較で見ると、道府県議選では得票数で124%、得票率で154%、政令市議選では得票数で110%、得票率で132%、区市町村議選では得票数で92%、得票率で110%となりました。この全体をとらえるならば、『今後の前進・躍進にむけた足がかりをつくった』ということがいえます」としていて、必ずしも敗北だとは認めていなかった。

志位氏は敗因分析を意識的に避けたと思ったが、同時にこれとほとんど同じ文章があったのを思い出した。2017年衆議院議員総選挙後の12月の第3回中央委員会総会(3中総)への報告である。
志位氏は、「3中総」で「比例代表で440万票へと後退し、13年参院選の515万票、16年参院選の601万票を下回ったことは、党の現状としてリアルに直視しなくてはなりません」とし、比例代表では、前回の20議席から11議席へ、得票・得票率とも大幅に後退したことを認めた。
ところが、選挙区別にみると半数を超える選挙区で得票を伸ばし、勝利した沖縄1区以外にも、五つの必勝とした選挙区で得票率30%を超えるなどがあり、議席への足掛かりとなる地歩を築いたといっている。

つまり「6中総」でも「3中総」の文言をくりかえし、後退した選挙結果を認めつつも今後の前進、議席の「足がかり」を作ったとしているのである。選挙のたびに敗北しているのに「足がかり」を作ったもないと思うのだが。

党勢拡大方針についても「6中総」は「3中総」とほとんど同じである。
「6中総」では、「日刊紙読者を2万4千人以上、日曜版読者を12万人以上増やす必要がありますが、1支部あたりにすれば、日刊紙読者で1人以上、日曜版読者で7人以上増やせば、前回参院選時を上回って選挙をたたかうことができます」という。
「3中総」でも、2018年来年7月末までに機関紙読者数など党勢を2016年参院選時まで回復・突破することをめざすとし、「これは党員で1万1千人、日刊紙読者で1万3千人、日曜版読者で6万3千人を増やすという目標となります。一つの支部・グループあたり、党員1人増、日刊紙読者1人増、日曜版読者4人増を実現すれば達成できます」とあり、ほとんど変らない。現実にはこの目標は達成しなかった。
機関紙の拡大目標は、2019年の「6中総」では2017年の「3中総」より2倍近くに増えている。いまどきは一般紙でも読者がどんどん減っている。全国一律に1支部あたり7人の「日曜版」読者拡大というのは空想的で、高齢党員の多い支部にとっては酷な目標というべきである。

ほかにも「いかがなものか」と思ったところがある。
日本共産党は武力革命ではなく多数者による革命を目指している。選挙による政権交代である。議席を獲得して「なんぼのもの」である。
ところが、「6中総」は敗北の原因を追究しない。「そんな暇はない、とにかく参院選だ」と党員の尻叩きをしている感じを受ける。もちろん志位氏の報告には「とくに議席を大きく後退させたところは、機関とその長の率直で端的な反省を含めて、必要最小限の総括がいります」という発言がある。にもかかわらず最高機関である党中央の政治方針と、その長たる志位氏の姿勢については率直で端的な反省の弁が見られないのだ。
敗因の厳しい分析をしないこと、党勢後退の解決策を機関紙拡大にのみ求めること、これのくり返しは、いまや党中央の思考のマンネリ化というより、むしろ思考の硬化と劣化を示すものではないか。

反省のなさは支部レベルにも行きわたっている。
たとえば志位委員長のお膝元船橋市の共産党は県議選に2人立てて2人とも落選し、県議を空白とした。市議選でも8人立てて3人落選した。このままだと志位氏の議席すら危ない。しかし、いまだ船橋市の共産党は「必要最小限の総括」をしていない。
私の村でも52年ぶりに村議会での共産党の議席は空白となった。小中学校以来の親友Nが26歳のとき、村議選に初めて共産党を名乗って立候補し、第2位で当選して以来の屈辱である。私の村の共産党も村議選を総括する気配はない。

地方選には国政選挙とは異なる要素が加わる。
地方政治では、地域住民の生活を守る力が求められ、地方独自の政策の発想力が問われる。
わが村の場合、農作物の高温障害・害虫被害にかかわろうとしない共産党議員がいたり、土地の事情をまったく知らない新移入者を議員に立候補させる、というようなことが起こった(すでに本ブログ「八ヶ岳山麓から(281)」で述べた)。日頃村民の面倒を見ることもなく、選挙のときだけ頼むといってもそれは無理だ。村議選では他の候補者から「共産党がやるのは国政だけだ。村をどうしたいのかわからない」という声を聞いた。党がどう評価されるかはこれらの事実のつみ重ねだということを、地方の党員も党中央も承知してほしい。

最近の日本共産党は、他の革新勢力との選挙協力を意識している。
志位氏はさきの「6中総」の中で、市民連合が党と協力して活動したと述べた。しかしこれは幻を現実と取り違えている。わが村をみているとわかるが、氏のいう「市民連合」や「憲法九条の会」など、すなわち村内の各種「革新団体」のメンバーは、どれも「共産党後援会」の顔ぶれとほとんど同じである。ほんとうの意味での市民連合は実現していないのである。

私はずっと、わが国における革新勢力の拡大を願ってきたし、これからもそうである。共産党も革新勢力の一翼を担っているが、革新勢力を構成しているのは、圧倒的に無党派の人々である。共産党がこれらの人々と協力する道を探し求めることを、それも従来よりもっと実際的で実現可能な道を探し求めることを私は期待している。(2019・5・23)

2019.06.02  「本日休載」
 今日、6月2日(日) は 休載します。

   リベラル21編集委員会
2019.06.01 ■短信■
     院内集会・安倍改憲を吹っ飛ばせ!
     自民党改憲Q&A徹底批判

 安倍政権は、2020年までの憲法「改正」に執念を燃やしています。本年2月20日ころ、自民党は同党憲法改正推進本部による「日本国憲法改正の考え方『条文イメージ(たたき台素案)』Q&A~」を広報ツールとして、党所属の国会議員等に配布し草の根の改憲戦略を強化しています。
 この「自民党Q&A」には9条の解釈はこれまでどおり変わらないなど「ごまかし」の「答」が書き連ねてあります。この「自民党Q&A」の「ごまかし」を広く国民に知らせるために、本年3月、改憲問題対策法律家6団体連絡会はブックレット『自民党改憲Q&A徹底批判』を緊急出版しました。改憲をめぐる緊迫した政治情勢をつかむとともに、安倍政権の狙う改憲4項目の危険性と改憲手続法の問題点を徹底的に明らかにするために集会を企画しました。

日時:6月10日(月) 18:00開会(17:30受付開始)

会場:参議院議員会館1階101 号室(17時30分から参議院議員会館1階で通行証を配布。会場は定員140名。先着順に通行証をお配りします)

報告:「自民党改憲Q&A徹底批判」小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授) 、清水雅彦(日本体育大学教授)、永山茂樹(東海大学教授)、飯島滋明(名古屋学院大学教授)
報告:「改憲手続法の問題点」田中隆(弁護士)
報告:「改憲発議をさせないために私たちにできること」飯島滋明

連帯挨拶:立憲・国民・共産・社民各党 、総がかり行動実行委員会、日本労働弁護団

共催:改憲問題対策法律家6団体連絡会、安倍9条改憲NO!全国市民アクション

問い合わせ:TEL 03-5367-5430(日本民主法律家協会)

※当日は資料代として100円を頂戴します
                                                          (岩)