2017.08.06 「本日休載」
 
今日 8月 6日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会


2017.08.05 集合名詞(Collective Noun)
人の集合体は数えられるが、物の集合体は数えられない

松野町夫 (翻訳家)

集合名詞は人や物の集合体を表す。たとえば、family(家族)、team(チーム)、police(警察)、furniture(家具)、clothing(衣類)などが集合名詞である。家族は親と子供で構成されている。同様に、チームは個々のメンバーで、警察は警察官で、家具はテーブル、椅子などで、衣類はシャツ、ズボン、ブラウスなどで、それぞれ構成されている。

集合名詞は、その集合体の全体をひとつとみて単数扱いが原則だ。しかし人の集合体の場合、それを構成する個々の人を考えて複数扱いすることもある。とくにイギリスでは複数扱いすることが多い。

How is your family? ご家族の皆さんはご機嫌いかがですか。→ 単数扱い
How are your family? ご家族の皆さんはご機嫌いかがですか。→ 複数扱い

ただし物の集合体は不可算名詞として英米ともに単数扱い。

The furniture is beautifully finished. その家具は仕上げが美しい。
Our furniture is not luxurious, but comfortable. うちの家具は豪華ではないが、快適だ。

一般に、人の集合体は数えられるが、物の集合体は数えられない。
つまり集合名詞には、数えられる集合名詞と数えられない集合名詞の2種類がある。

集合名詞 [C]
数えられる集合名詞: family, team, police → 人の集合体は数えられる

集合名詞 [U]
数えられない集合名詞: furniture, clothing → 物の集合体は数えられない

集合名詞として、5つの単語を上記に示したが、当然のことながら集合名詞はこれよりはるかに多い。そこで、集合名詞を [C] と [U] に分けながら、もっと詳しく調べることにする。

集合名詞 [C]
数えられる集合名詞は、単数・複数両様の扱いができるもの(family タイプ)と、常に複数扱いするもの(police タイプ)に分類できる。

family タイプ → 単数・複数両様の扱いができる
family(家族) team(チーム) crowd(群衆) audience(聴衆) cabinet(閣僚) class(クラス)
club(クラブ) committee(委員会) company(会社) staff(職員) crew(乗組員)

family は単数・複数両様の扱いが可能なので、a family, two families, many families ... のように、a, 数詞, many などを付けることができる。

There are thirty families in this apartment building. このアパートには30世帯いる。
Our team was [were] winning beautifully. わがチームはみごとに勝ち進んでいた。
The team is [are] not playing very well this season. 今シーズン、チームの調子はあまりよくない。
The club has about 50 members. そのクラブには約50名の会員がいる。
A large audience attended the show. 多くの観客がそのショーを見に来た。
= The show attracted a large audience.
Audiences for her shows are declining. 彼女のショーの客は減少している。
The musical is playing to capacity audiences. そのミュージカルは引き続き満員の客を集めている。

police タイプ → 常に複数扱いとなる
police(警察) people(人々) cattle(牛) clergy(聖職者) poultry(家禽)

police は複数の警官を意味するので、2人の警官は two police だが、1人の警官は a policeman or a police officer という(a police はダメ)。

The police are in the house. 警察が家の中にいます。(The police is はダメ)
Several police are patrolling the neighborhood. 数人の警官が周辺をパトロールしている。
100 police are guarding the conference hall. 百人の警官がその会議場を警備している。
Police say they have arrested ten people. 警察は10名を逮捕したと言っている。

Many young people are out of work. 多くの若者が失業している。
At least ten people were killed in the accident. その事故で少なくとも10人が死んだ。
The cattle are grazing in the pasture. 牛が牧場で草を食べている。
The poultry we keep are ducks and chickens. うちで飼っている家禽はアヒルとニワトリです。
Poultry grow faster on a steady diet of antibiotics. 家禽に常に抗生物質を与えると早く育つ。

集合名詞 [U]
以下の単語はすべて、「物の集合体」を表しているので、数えられない名詞として単数扱いとなる。量を示すときは much,little で示し、数を示すときはa piece of, ...pieces of, an article of, ...articles of で示す。その用法は物質名詞(water, paper)と同じ。

baggage(手荷物) clothing(衣類) chinaware(陶磁器類) confectionery(菓子類) crockery(陶磁器類) cutlery(刃物類)drapery(反物類) earthenware(土器類) equipment(機器) footwear(履物類) furniture(家具) glassware(ガラス器具類) hardware(金物類) ironware(鉄器類) jewelry(宝石類) machinery(機械類) perfumery(香水類) porcelain(磁器類) pottery(陶器類) produce(農産物) stationery(文房具類) underwear(肌着類)

Her baggage was overweight. 彼女の手荷物は規定重量を超えていた。
How many pieces of baggage can I take on the airplane with me?
機内へは何個の手荷物を持ち込めますか。
two pieces of baggage 手荷物 2 個; a piece of furniture 家具一点
We don't have much furniture. 家具はあまりもっていない。
There is a lot of furniture in his room. 彼の部屋には家具が多い。

Confectionery is sweets and chocolates.  菓子類とは菓子やチョコレートのこと。
We're collecting clothing for the poor. 貧しい人々のために衣料を募っている。
All your trendy clothing will be out of style in a year or two.
あなたのトレンディーな衣類もすべて 1 年か 2 年もすればすたれるよ。
All the furniture was large and carved. 家具はすべて大きく、彫刻が施されていた。
This store has a large selection of footwear. この店は履物が豊富にそろっている。
A factory contains much machinery. 工場には機械がたくさんある。
She packed one change of underwear. 彼女は肌着の着替え一組を詰めた。

2017.08.04 いま、ゲーツ氏のアプローチを読む
ウォールストリートジャーナル紙インタビューから

木村 知義 (多摩大学経営情報学部客員教授)

朝鮮半島の核・ミサイル問題は、北朝鮮によるあいつぐ「ICBM発射成功」という緊迫感をはらみつつも、ある種の危機の「こう着状態」とでもいうべき局面にある。
いうまでもなく7月28日深夜の2度目のICBM発射によって米国は一層の「焦燥感」を募らせたことは間違いない。にもかかわらず「なす術がない」という状況もまた事実である。人を介して伝えられるワシントン深部からのサウンドには依然として「武力行使」の可能性が強くにじみ出ている。しかし、米国による「軍事的処置」は、それが引き起こす甚大な影響、被害を考えれば、事実上無理だというのが大方の論調となっている。4月の米中首脳会談にかかわって一部のメディアが伝えた北朝鮮問題をめぐる「100日計画」についても、貿易・通商問題の「100日計画」はともかく、いつのまにか紙面から消えた。トランプ大統領の言う、中国に対する「強い失望」にもかかわらず、である。
要は、誰もが手詰まり状態に立ち尽くすという「風景」だと言っても過言ではないだろう。そんな局面であればこそ、一層重心低く事態と向き合い、事の本質を見据える、熟慮、熟考が求められる。

本質的、根本的「解」は朝鮮半島の「休戦状態」を平和的環境に転換すること、米朝国交正常化への道筋のなかで北朝鮮の「核」の平和的管理から朝鮮半島、ひいては北東アジアの非核化をめざすということにしかない。北朝鮮の現体制に対する好悪の感情で物事を考える「小児病的態度」では何も生み出せないこと、なによりも戦略的、大局的観点に立つ重要性も言うまでもない。
北朝鮮核問題を巡る6カ国協議の日米韓首席代表による会合が7月11日シンガポールで行われたが、同時に、国際学術会議「北東アジア協力対話」も開かれた。昨年北京で開催された同会議には、北朝鮮から外務省北米局(昨年までは米州局)の崔善姫副局長(現局長)が出席したが、今回、北朝鮮は参加しなかった。すなわち、北朝鮮が繰り返し表明しているように従来の「6者協議」の枠組みには戻らないという強い意思表示である。朝米交渉こそが事態を動かす唯一の道であることを言わんとしていることは明らかである。カギはそのメッセージが米国サイド(トランプ政権および政策立案に影響力を行使できる周辺関係者)にどう届いているかだ。

と、そんな折、元米中央情報局(CIA)長官で、民主、共和両党の4人の大統領に仕え、ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ両政権で国防長官を務めたロバート・ゲーツ氏がウォールストリートジャーナル(WSJ)のチーフコメンテーター、ジェラルド・F・サイブ氏のインタビューに応えた。注目すべきは、そこでゲーツ氏の挙げた「原則」である。

その第一は「北朝鮮を攻撃する純粋に軍事的な優れた選択肢はない」であり、第二の原則としてゲーツ氏は「どう見ても中国が依然として鍵である」とする。そして原則の第三で「基本的に外交的要素と軍事的要素の両方を含む総合的な戦略を中国首脳部に説明することが必要だと思われる」と語る。「言い換えれば、北朝鮮やその指導者の金正恩氏を直接相手にする前に中国と合意せよ、ということだ」とインタビュアーのサイブ氏。続けて「ゲーツ氏の考えはこうだ。米国は中国に対し、①旧ソ連とキューバ危機を解決したときと同様に、北朝鮮の体制を承認し、体制の転換を狙う政策の破棄を約束する用意がある、②北朝鮮と平和条約を締結する用意がある、③韓国内に配備している軍事力の変更を検討してもいい――と提案する。この見返りに、米国は北朝鮮の核・ミサイル開発計画に対して強い制約、つまり基本的には現状での凍結を要求し、国際社会や中国自身が北朝鮮にこれを実施させることを求める。これが重要なところだが、中国には、外交的解決策の実施には中国の協力が期待されると伝える」ことだとしている。(WSJ日本版7月11日)

「北朝鮮に核兵器をあきらめさせることはできないと思う」と語り「米国はさらに中国にこう伝える。どのような外交的な解決策を取るにせよ、北朝鮮はさらなる核兵器開発や発射能力の向上を目指していないことが分かるように立ち入り査察に合意しなければならない。その結果、北朝鮮が保有する核兵器は20数個程度に限定される可能性がある」とくぎを刺すことも忘れないが、ゲーツ氏が示したこれらの原則とアプローチは現在の「こう着状態」を打破する現実的「解」としてきわめて示唆的である。

記事掲載と同じ11日の記者会見で中国外務省の耿爽副報道局長は、北朝鮮の核・ミサイル開発阻止のため、中国に影響力を行使するよう求める日米両国などに対し「『中国責任論』を誇張し、自らの責任逃れをたくらんでいる」と重ねて「不快感」を示すとともに、「中国が努力して火を消しても油を注ぐ者がいる」として「制裁強化を図る日米などをけん制した」(共同7月11日)。

わずか5回という限られた経験ではあるが、平壌の地に立って肌で感じた北朝鮮のメンタリティーから言えば、中国を介さずに朝米直接交渉をということだろう。
 しかし、その場を作るために中国が果たすべき重要な役割もあるということを忘れてはならない。5月に朝鮮中央通信が伝えた「朝中関係の柱を切り倒す無謀な言行をこれ以上してはいけない」と題する論評によって中朝のただならぬ「関係悪化」を知らされたわれわれであったが、ここにきて同じ朝鮮中央通信が「労働新聞」掲載の論評を引きながら「米国が朝鮮の核戦力強化措置に対して『中国責任論』を唱えるのは自分の手がやけどするのを恐れて腕をこまぬき、他人の手で火の玉を握るようにしようとする破廉恥で狡猾な術数であると(「労働新聞」論評が)暴露、糾弾した」として、「米国が中国を推し立ててわれわれを圧迫するからといって、朝中両国の人民が反帝・反米抗戦を通じて血潮を流して結んだ友誼と親善の伝統を絶対に壊すことはできない」「歴史の主人、創造者である朝中人民が記した友誼と親善の伝統的な歴史は米国のようなごろつき国家が無礼非道に振る舞うからといって消されるものではない」(7月21日)と伝えた。この論評については、日本のメディアではほとんど伝えられていない。

当たり前のことだが、物事は一筋縄ではいかない、複雑なものだということである。双方にどれほどの「嫌悪感」があったとしても、それをこえて必要なことには立ち向かうというのが外交であり、戦略的思考、大局観というものだろう。
そして、この稿を書いている最中、ワシントンでは、北朝鮮の核保有という現実を認めた上で核の拡散を防ぐ「管理体制」の構築を急ぐべきとの声も出始めているという情報ももたらされた。トランプ政権としては「軍事行動」とこうした「現実論」のはざまで選択を迫られるという「苦しい局面」に立たされているというべきだろう。その意味でも、27年の長きにわたりCIAにあってパワーゲームとインテリジェンスの世界でしのぎを削ってきたゲーツ氏の提言が示唆するところはきわめて大というべきだ。
それにしてもとため息が出るのは、事態に対する構想力のかけらも感じられない安倍政権の寒貧たる風景である。(8月1日稿)

筆者紹介: きむら・ともよし。1948年生まれ。元NHKアナウンサー。在職時代ラジオセンターで早朝情報番組のアンカーを務めるとともにアジアにかかわる企画、取材、放送に携わる。2008年退職後、個人研究所「21世紀社会動態研究所」に依って「北東アジア動態研究会」を主宰。

2017.08.03 森友学園の籠池夫妻が漸く逮捕された
籠池夫妻逮捕が財務省捜査につながるかどうかは内閣支持率の動向に懸かっている

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

2017年7月31日、大阪地検特捜部は、学校法人森友学園(大阪市)による国の補助金不正受給事件で、前理事長の籠池泰典容疑者と妻諄子容疑者を詐欺容疑で逮捕した。籠池容疑者は「天性の詐欺師」と言われただけあって、身体中のどこを叩いても埃が出てくるような怪しげな人物だ。とっくの昔に逮捕されていてもおかしくないのに、それが昨日までズルズルと引き延ばされてきたのにはそれなりの訳がある。

言うまでもなく、森友学園疑惑は籠池夫妻の単なる詐欺事件ではない。事件の核心は、近畿財務局(財務省)が安倍首相夫妻の意を受けて(忖度して)、国民の財産である国有地をタダ同然の安値で森友学園に払い下げしたという点にある。いわば、安倍政権による国政私物化の象徴が森友学園疑惑の核心であって、それが解明されるかどうかに国民の関心が集中しているのである。

検察は極めて世論動向に敏い政治的な権力組織だ。国民の意向を忖度する上ではどの省庁よりも敏感なアンテナを持っている。森友学園疑惑に関して言えば、それを籠池夫妻の個人的詐欺事件のレベルにとどめるのか、それとも財務省主導の国家的レベルの犯罪として捜査するかが判断の分かれ目になる。検察は、世論動向を見ながらその落しどころを探ってきたのだろう。それが籠池夫妻逮捕までにかなりの時間を要した背景だ。

しかし、籠池夫妻の逮捕だけはどうしても避けられない。放置すれば、「騙した方が得」ということになって法治国家の骨格が揺らぐからだ。だから、遅かれ早かれ籠池夫妻はいずれ逮捕されることになっていた。問題はそのタイミングである。私は、この8月3日に予定されている内閣改造直前に、籠池夫妻が逮捕されたことに重大な意味が込められていると考える。

今回の籠池夫妻逮捕は、森友学園疑惑を国家的犯罪の一環として財務省にまで捜査の手を広げるかどうかについて、検察が国民に投げかけた「リトマス試験紙」のようなものだ。国民世論が籠池夫妻逮捕だけで満足すれば森友学園疑惑はこれで幕引きになるだろうし、納得しなければ次のステージに移ることになる。その決め手になるのが内閣改造に対する国民世論の動向であり、有体に言えば、内閣支持率が上がるか下がるかによって、検察の次の一手が決まるということだ。

検察は「正義の味方」でもなければ「法の番人」でもない。国家統治機構(国家権力)の秩序と安定をまもることが最大の使命であり、そのためには犯罪を見逃すこともあれば、立件することもある。市民で構成される検察審議会が往々にして異議を申したてるのはそれゆえだ。とりわけ国家的犯罪ともなれば、国家統治機構の根幹を揺るがす可能性を秘めているだけに、それをどの程度の影響にとどめるか(逮捕するかしないか、逮捕するにしてもどのように立件するか)は、ひとえに検察の判断に懸かっている。

注目されるのは、大阪地検特捜部が近畿財務局関係者の事情聴取を始めているという情報が流れていることだ。NHK大阪放送局(社会部)がスクープした近畿財務局と森友学園との国有地払い下げに関する事前交渉記録の存在が明らかになったのである。大阪放送局には幸い政治部がないので、スクープした記録がそのままニュースに流されることになった(NHK大阪放送局がんばれ!)。ローカルニュースだけでなく全国ニュースでも流れたところをみると、政治部や上層部の妨害ももはやこれまでとなったのだろう。

検察はこの状況を注意深く見守っていると思う。世論動向を見間違えれば、検察庁の表看板にペンキが掛けられるようなことも起こり得るし、ロッキード事件のように田中角栄首相の逮捕にまで発展すれば、国民の拍手喝さいを受けることにもなる。籠池容疑者が「今日は田中首相が逮捕された日と同じ」と呟いたのは、森友学園疑惑を籠池夫妻逮捕という次元で終わらせるなという彼一流のアピールだったのだろう。

内閣改造人事については巷間様々な憶測が流れている。私たち国民には知るすべもないので拙速な予断は避けなければならないが、一つ言えることは、今後の内閣支持率の動向が森友学園疑惑解明のカギを握っているということだ。支持率が回復すれば検察は財務省追求の手を緩めるだろうし、支持率が回復しなければ次の一手である財務省捜査に着手するかもしれない。

防衛省では稲田大臣の辞任にとどまらず、防衛事務次官や陸上幕僚長の退職にまで発展した。財務省もこのままで済まされるとは思われない(思いたくない)。国税庁長官に栄転した前理財局長をはじめ、元近畿財務局局長など森友学園疑惑関係者は山ほどいる。この氷山の一角でも明らかになれば、後は芋づる式に事件の全容は明らかになる。

次回の世論調査は内閣改造後に行われる。国民世論が森友学園疑惑に対して如何なる審判を下すか、私は固唾をのんでその結果を待っている。

2017.08.03 苦境での内閣改造―政権生命弱体化が過去の事例
 

野上浩太郎(政治ジャーナリスト)

 安倍晋三とは、亡き父親の安倍晋太郎が外相のころ、その秘書官として修行中だった晋三と会って会話を交わしたことがある。その時の印象はとてもよかった。当時、すでに父君は内臓にがんを抱えており、折角の竹下登首相からの信頼と友情に包まれ、後継首相(自民党総裁)就任は確実視されていたのに、がんさえなければ惜しいことだと思いながらその息子と飯を食った。父君ががんであることは政治記者の間で広く知られ、しかも発生場所が膵臓という難しい部分だったために、それさえなければ念願の政府・与党のトップになれたのに「気の毒」という気持ちだった。それを隠しながら「それにしても、秘書をしている息子さんは好漢だなあ」と思った。それが1989年ごろのことだ。
 どういう好漢ぶりだったかといえば、「最近の若者にしては感じがいいなあ。謙虚さがあるなあ」という程度で、強い印象を受けたわけではない。1959-1960年、祖父の岸信介元首相による安保条約の改定強行採決に、一学生として怒り心頭、毎日のように国会周辺デモに加わっていたご縁で、食事をしながら「うーむ。これがあの60年安保をやった岸さんの孫か。それにしては好青年だなあ」と漠然と思ったような記憶を呼び覚まされた。不幸にして父の晋太郎ががんで亡くなれば、この好青年晋三が地盤を継いで楽に衆院総選挙に初当選し、国会議員になることは当然の成り行きであろう。
 幼い晋三が、渋谷南平台町にあった岸邸の中で「アンポ、ハンタイ」と叫びながら祖父の膝に飛び乗ったエピソードは祖父も晋三本人も書いたりしゃべったりしている。大邸宅とはいえ、全学連などは南平台にもデモをかけていたから、幼児の耳に自然にはいってこびりついたのだろう。
 そして50数年後のいま、晋三は「右翼のこころ」を支えに、祖父並みの右寄り政策を掲げて、内閣支持率の低落にあえいでいる。その典型が7月29日に辞意表明した稲田朋美の防衛相辞任表明である。誰が見ても、弁護士出身の稲田は防衛省を率いる識見も指導力も持っていなかった。その結果、在任1年も経たないうちに、とんでもない失言を重ねた。最もわかりやすい失言が都議選の応援演説の中で「自衛隊、防衛省、自民党」がこの候補を応援しているからよろしく、とやったやつで、現職の防衛相がこんな演説をやれば法律(公職選挙法)はもとより憲法そのものに触れることは子供にでもわかる。さすがに稲田は発言した夜に陳謝し取り消したが、これ以外にも危なっかしい失言を次々と重ねた。
 ところが失言や暴言のたびごとに、安倍は稲田をかばいにかばった。なぜか?お互いに筋金入りの右翼であり、同志だからである。特に右でも左でもない普通の市民感覚を持つ多数派市民から見れば、弁護士出身にしては発言のきめの荒さに驚くところだが、安倍からみれば「将来の総理候補」とさえ表現しても見当はずれではない人材であるらしい。
戦前から連日有楽町の駅前で右翼老人としてだみ声で演説してきた赤尾敏は、筆者が若手記者のころ、たまたまそばを通りかかったとき「ビートルズにあの大切な武道館を使わせるのは許せない」とののしった。武道館は日本の伝統を象徴する貴重な建造物で、そこでガチャガチャとやかましいビートルズごときが、歌いギターをかき鳴らすのは許すべきではない、というのが赤尾演説の趣旨だったようだ。ビートルズファンの若者の一人だった筆者は、苦笑しながら通り過ぎた。
その数年前、山口乙矢という17歳の少年が大きな短刀で演説中の浅沼稲次郎社会党委員長の腹部を二度三度と突き刺し、出血多量で事実上即死させた。山口の所属先は赤尾敏のグループで、なぜ浅沼の腹を突き刺して殺したかといえば、ビートルズに武道館を使わせるような左翼の誤った思想は許せないという赤尾老人の思想を狂熱的に信じたからだ。
 安倍は「お友達内閣」とか「お友達人事」を繰り返しているうちに、「一強」と呼ばれるほどの大勢力をかき集めた。だが、先の都議選で歴史的敗北を喫したうえ、同志中の同志、稲田おばさんにまで辞任されては一強も憲法改正もお笑い草だ。そうかといって内閣支持率の急降下ぶりを見る限り、近い将来、解散ー総選挙をやれば確実に自民党は議席を減らし、改憲に必要な3分の2さえ失われる。改憲の発議ができなくなる。8月3日に内閣改造人事を予定しているが、こういう状況の中で改造人事をやれば政権の存続生命は一気に脆弱化するのが過去の例だ。(8月1日記)

 だが安倍もすでに第1-2次にわたり、合計6年間の首相経験を積んでいる。普通なら、閣僚未経験者を数人はめ込むのがこれまでの首相のやり方なのだが、今回は政権の危機対応ともいうべき、中身のある人事を断行した。
 第一に野田聖子氏の総務相起用。第2次内閣の組閣の際には、野田への推薦人を削り、出馬できなくした。
 第二に、うるさ型の河野太郎氏の外相への起用。河野を評価する菅義偉官房長官の進言もあり、河野家伝統の「権力者への噛みつき」を恐れなかった。
第三に林芳正氏の文部科学相起用。彼は自信家で、いずれは首相の座をうかがう秀才だ。安倍がもっとも苦手とするタイプだが、あえて閣内のトラブル生産者となった文科相に引き込み、「林君のお手並み拝見」といったところだ。
これらの人事で、自民党内の鎮静化をはかった。

2017.08.02 「親しまれるより」より「畏れられたい」―正念場の習近平 1
新・管見中国(26)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 しばらく中国のことを書く気がしなかった。なぜなら最近の中国は、何を書いても、かねてから「反中国」を売り物にしている某紙の論調と似たようなことになるものだから、自分で自分がいやになってしまうのだ。しかし、今やそんなことも言っていられない状況になってきた。
 先月、ドイツのハンブルクで開かれたG20の首脳会合では、2010年にノーベル平和賞を受賞しながら、獄につながれたままだった劉暁波氏が肝臓がんで死期が迫るまで、中国当局は氏を病院にも移さず、申しわけ程度に最後の最後に市中の病院には入れたものの、国外での治療を望んだ本人、家族の願いを聞き入れないまま、死なせてしまったことに、習近平と個別に会談した各国首脳は一言の苦言を呈することも避けた。
 理由は分からないでもない。劉氏にノーベル平和賞を与えたノルウェーはその後、何年も中国による経済的な報復を受けたし、最近では米の超高高度ミサイル迎撃システムの配備を受け入れた韓国に対して、中国政府はそれこそ庶民までも動員して、反対キャンペーンを繰り広げた。おかげで韓国の自動車メーカーは軒並み中国での売り上げを大きく減らし、100店もの店舗を展開していた韓国の大手スーパーはいまだにその9割もが店を再開できないでいる。
 国内では「市場の機能をより発揮させる」ことを改革項目に挙げながら、気に入らないことをした国に対してはそれこそ官民挙げて経済的仕返しに出るのだから、うかつなことは言わないほうが無難だと「国益」を背負っている首脳たちが判断するのもしかたのないことだろう。
 中国が「改革・開放」政策を掲げて、流行り言葉で言えば「経済発展ファースト」の道を歩み始めてからも、「中国の特色を持った社会主義」を盾に「民主」、「人権」といった人類の「普遍的価値」を拒否し続けていることに、世界はそれなりの対応をしてきた。1989年6月のいわゆる天安門事件では多くの国が中国に「制裁」を課した。
 中国政権も表向きはそうした外からの「干渉」を断固拒絶しながらも、行政末端の村では村長選挙を実施したり、政権にたてつく人間を法律によらずに辺縁の地に送る「労働改造」制度を廃止したりと、やがては普遍的価値を認める方向に進むことを期待させる措置をとった。
 しかし、2010年にGDP総額で日本を越えて世界2位の経済大国となった頃から、「大国意識」の広がりとともに外部からの批判に対する開き直りが始まり、それは2012年に習近平がトップ・リーダーとなって、大中華を復興させるという「中国の夢」を唱え始めて以降いよいよ顕著となった。
 一方、この間、世界では自由貿易体制を批判する声が高まり、それを唱えた米共和党のトランプ候補が2016年秋の大統領選で勝利したことで、1つの主張としての立場を獲得した。それに対して、習近平は16年9月の中国・杭州でのG20 、17年1月のダボス会議、17年7月のハンブルクG20 と機会あるごとに「自由貿易体制」擁護を唱えた。これによって、他国においてはいざ知らず、中国国内では習近平を「自由貿易」の守護神に祭り上げる風潮が定着し、奇妙なことにそれをもって「民主」、「人権」を受け入れないマイナスを相対的に矮小化する、開き直りの議論が大手を振ってまかり通るに至っている。
 それにしても、中国は、いや習近平は、いったいなぜそれほどまでに「民主」、「人権」を忌避するのか。さまざまな理由が挙げられるが、要するに自分が、あるいは自分たちが、あの国を統治することに自信がないのだ。自由な選挙で統治者を選ぶとなったら、自分たちが負けることは自明であるし、自由にものを言わせ、書かせたら、国中に自分たちを糾弾する言葉があふれるのは間違いないからである。不正腐敗を摘発された「虎」(大物幹部)のリストがすべてを物語っている。
 独裁政権に腐敗はつきものと言っても、毛沢東(第一代)、鄧小平(第二代)といった指導者は命を賭して革命を成功させた世代だから、おのずから身に威信を備えていた。それがあればこそ、毛沢東は文化大革命のような突拍子もないことを始められたのだが、そういう威信はその後の江沢民、胡錦涛、習近平にはない。それでも江沢民、胡錦涛には鄧小平の眼鏡にかなったというわずかな正統性がないわけではなかったが、習近平にはそれもない。
 となると、習近平は無から威信を作り出さねばならない。しかし、時期もよくなかった。改革・開放政策に踏み切って以来続いてきた経済の高度成長も、2008年のリーマンショック以来の世界経済の低迷、中国国内の人件費の高騰による輸出競争力の低下などで、もはやかつてのような二けた成長は望むべくもない。
 まずその状況を習近平は国民に「新常態」という造語で苦しい説明しなければならなかった。中国共産党結党100年にあたる2021年には1人当たりGDPを2010年の2倍に引き上げて「小康社会」を実現し、建国100年の2049年には世界の先進国の仲間入りする、という習近平の「中国の夢」は予想される多難への予防鎮痛薬であろう。
 さてそこで威信をどのように築くか。習近平はまず中国共産党内部で強権をふるった。2012年まで政治局常務委員、つまりトップ7の1員として司法・警察を牛耳り、石油閥の頭目でもあった周永康を葬り、習のライバルと目されていた政治局員、薄熙来を追い落とし、軍の最高幹部(中央軍事委副主席)2人、徐才厚、郭伯雄を追放した。
 そのうえで、昨2016年秋には「核心」という法律にも、党規約にもない新しい地位に自分を置くことを中央委で認めさせて、前任の江沢民、胡錦涛との差別化を実現した。そしていよいよ今年秋の第19回党大会では、毛沢東にならって「党主席」の地位にのぼり、任期のない最高指導者となろうとしている。
 それが習の思惑通り実現するかどうかは、勿論、まだ何とも言えない。すべては今後の2,3か月にかかっている。しかし、最近、笑い話のようでいて、見過ごすことのできないニュースがあった。
 習近平はその体型からディズニー・アニメの「くまのプーさん」に似ているとされ、中国のネット上では両者の体型を対比する投稿が相次いでいたが、それが当局の目にとまり、「プーさん」という言葉を使った投稿ができなくなったり、「プーさん」の画像が削除されたりしているというのだ(『毎日』7月18日夕刊)。

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 日本では1990年代の細川内閣で官房長官を務めた武村正義氏が「ムーミンパパ」に似ているといわれ、似たようなことがあったが、すくなくとも本人がそれを嫌ったとは聞いていない。よほど悪いキャラクターでない限り、そうした対比は国民に親しみを感じさせるから政治家なら普通は歓迎するところだろう。
 それを取り締まるというのは、習近平が思い描く自らの指導者像は国民が親近感を持つようなタイプではない、ということだ。むしろ「主席ハ神聖ニシテ犯スヘカラズ」式の畏れ多い存在を考えているのだろう。それは彼の置かれた状況、彼の不安、緊張、焦燥を表しているのではないか。
これから党大会までどんな動きがあるのか、耳をすませていなければならないが、「自由貿易の守護神」の看板の下で、「民主」や「人権」がますますあの広い国から遠ざかって行きつつあるのは間違いない。(2017・8・1)

2017.08.01 男子テニス:フェデラーとナダルの復活

盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)


ビッグ・トゥーの完全復活
 昨年まで怪我や疲労などで不調が続いたナダルとフェデラーが、今年に入って完全に復活した。ナダルが10勝目を達成した今年の全仏を見る限り、全盛時のナダルと変わらぬほどの無敵状態だった。30歳を超えても、セットを一つも落とさず7試合を戦える力は驚異である。
ウィンブルドン8勝目のフェデラーもまた、今年に入ってグランドスラム大会2勝目である。彼もセットを落とさず7戦を戦い抜いた。しかも、ほとんどの試合を2時間以内に収めた。これで今年のグランドスラム3大会はナダルとフェデラーが分け合うビッグ・トゥーの天下になった。ナダル31歳、フェデラーは今年の8月で36歳である。
次のグランドスラム大会である全米で、ナダルとマリーが早い段階で敗退し、フェデラーが勝ち進めば、再びフェデラーのランキング1位が見えてくる。36歳になってもランキング1位を狙えるフェデラーは、やはりレジェンドである。リオ五輪の後、錦織選手は、「さすがに東京五輪にはもうフェデラーはいないと思う」と語ったが、39歳になるフェデラーが残された最後のタイトルを求めて、五輪金メダルを狙いに来る可能性も否定できなくなった。

名ばかりのグラスコート
 芝のコートで選手がプレーするのは、ウィンブルドンの前哨戦と本大会を含め、1年間でわずか1ヶ月に過ぎない。芝のサーフェイスは球が弾まず滑ってしまうので、クレーコート・シーズンを終えた選手には適応が非常に難しい。ウィンブルドン本大会まで3週間ほどの適応期間があった錦織選手は、1回戦を3セット70分ほどの短時間で試合を終えた。相手のチェッキナートは数日前までクレーコートの大会に参加していて、芝での練習がほとんどできない状態で錦織戦を迎えた。打球のポイントを掴めず、まったく勝負にならなかった。それほどサーフェイスの違いは大きい。
 激しい動きが続く現代テニスでは、芝コートはすぐに傷んでしまう。コートがまだらになって禿げ、芝と土の境に球が落ちるとイレギュラーバウンドする。グラスコートといえば聞こえは良いが、でこぼこの文字通りの草テニスである。こうなってしまうと、ストロークで押す選手に勝ち目はなくなり、速いサーヴで、ヴォレーが上手な選手が圧倒的に有利になる。ベストエイトに残った選手は皆、剛球サーヴァーである。とにかく、ウィンブルドンを勝ち進むためには、サーヴ力がなければ勝負にならない。
 フェデラーは3月20日のマスターズ・マイアミ(ハードコート)で優勝した後、クレーコートの大会を避け、ウィンブルドンの芝コートに焦点を絞ってきた。ストローク力が試されるクレーシーズンを避け、サーヴ力で勝負できるウィンブルドン1本に賭けたのである。その準備が完全に嵌った。錦織選手が全豪大会の後、ハードコートの試合が続くにもかかわらず、一時的にクレーコートでの勝負に賭けて、南米の2大会に出て失敗したのと対照的である。慣れない南米の柔らかいクレーコートへの中途半端な大会参戦が、錦織選手の調子を狂わせてしまった。マネージメントミスである。

サーヴ力で決まるウィンブルドン
 ストロークで押す錦織選手は芝コートに向いていない。それでも、2回戦までの試合では芝コートへの準備が見られたから、もう少し上位まで行けると思っていたが、3回戦敗退となった。日本のテニス評論家の中には、「芝のコートへの苦手意識を払拭すべき」という論評もあったが、これは的外れ。意識やメンタルな問題ではなく、錦織選手のサーヴ力で芝コートを戦うのは難しい。
 テニスのサーヴは、野球の投手の投球と似ているところがあり、必ずしもスピードだけでサーヴ力が決まるわけではない。ビッグ4のサーヴスピードはとくに速くなく、平均速度はファーストサーヴが180km/h前後で、センカンドサーヴは150km/h前後である。チリッチやラオニッチ、あるいはティームやディミトロフなどの体躯のある若手選手のサーヴスピードは、ビッグ4より10~20%ほど速い。チリッチ、ラオニッチやティームなどは勝負所で210km/hを超えるサーヴを連発していたが、どれだけ速いサーヴでも、受け手のツボに入ってしまうと、リターンエースになる。大谷選手が160km/hを超える球を投げても、ホームランを打たれるのと同じである。
 フェデラー選手のファーストサーヴは190km/h前後だが、制球力が効いている。サーヴの制球力がフェデラーの最大の武器で、コーナーを突く制球力があれば、この程度のスピードでも十分にポイントを取ることができる。しかも、チェンジアップのように、ファーストサーヴの速度を意識的に落として、相手のミスを誘う技術も持っている。
 優れたサーヴの制球力がフェデラー選手の試合時間を短くし、身体的な負担を少なくしている。だから、36歳になった今も、全盛期と変わらぬ活躍ができる。

錦織選手の課題
 フェデラー選手の試合運びの対極にあるのが、錦織選手である。錦織選手の最大の弱点はサーヴ力。ファーストサーヴを叩かれることはほとんどないが、緩いファーストサーヴでは勝負所のポイントを確実に取れない。また、極端にスピードが落ちるセカンドサーヴは、相手選手の狙い目になっている。錦織選手のセンカンドサーヴの速度は110-120km/hで、これだけ遅いと、いろいろな変化を付けても相手の餌食になる。
 サーヴ力が弱いと、勝負を決めるポイントを取るのに苦労する。サーヴィスゲームでセットを締めるべきところを、簡単に締められない。必然的にストローク勝負になり、試合時間が長くなる。試合時間が長くなると、緊張感を維持するのが難しく、試合を通して、プレーの波(好不調の波)が大きくなる。だから、フェデラー選手と正反対の試合展開になる。その結果、体力を消耗し、怪我を誘発する。これでは長丁場になるグランドスラム大会を勝ち抜くのは至難の業である。
 「錦織選手に欠けているのはメンタルなもの」という的外れな論評が多い。錦織選手に欠けているのは、メンタルなものではなく、フィジカルなものである。フィジカルが強くなれば、メンタル面でも余裕が出るはずだ。身体能力の高い若手の追い上げにあっている錦織選手は、サーヴ力を上げない限り、現在のランキングを維持するのも難しくなるだろう。日頃のトレーニングで、サーヴ力を高めることに力を入れるべきだろう。とくに、セカンドサーヴのスピードと制球力を上げることは必須の条件である。これなしには、グランドスラム大会はもちろん、年間9大会あるマスターズ1000で優勝するのも難しい。錦織選手がひと踏ん張りして、選手生活にもう一花咲かせるのを見たいものだ。

2017.07.31 中国世論は北朝鮮をどうみているか、それは中共中央とどう違うか
         ――八ヶ岳山麓から(229)――
               
阿部治平 (もと高校教師)

北朝鮮の核・ミサイル開発にたいして、日米は中国に追加制裁を求めてきたが、中国は徹底した制裁には踏み切らなかったし、今後もこれ以上やる気はない。いまや米中合意の制裁方式が無力であることは、誰の目にも明らかになった。最終的な解決は、時間はかかるだろうが米朝の直接交渉以外に道はない。

「中国青年報」はこの6月、北朝鮮に対する近年の世論の傾向を発表した。李敦球論文「朝鮮半島認識にかかわる6大論点」がそれである。「中国青年報」は中国共産主義青年団(共青団)の機関紙で、「人民日報」「環球時報」などに次ぐ主要紙。李敦球は現在国務院世界発展研究所朝鮮半島研究主任で、朝鮮問題専門家である。

李論文がとりあげた「北朝鮮に対する近年の世論」の要旨は、箇条書きにするとつぎの通りである。
①韓国を含めた朝鮮半島の地政学的戦略的価値はなくなった。
②朝鮮の核保有は米韓に対するものではなく中国に対するものである。
③朝鮮の核ミサイル開発によって米日の中国包囲の軍事力が強化された。
④北朝鮮に対する一定程度の武力攻撃を支持する。
⑤アメリカによるTHAADの韓国配備をある限度で受入れる。
⑥北朝鮮の核実験は中国東北地方を荒廃させる。

李敦球自身はこのいずれにも否定的で、「客観的でもなく論理的にも合致しないような見方をくり返して世論の分裂を引き起こすようなことは、人々の認識を混乱させる可能性がある」との批判を加えており、この論文が中共中央の意向を反映したものであることを示している。

①は、韓国も含めた朝鮮半島の緩衝地域という戦略的価値が失われた。その理由は軍事技術が発展したこと、あるいは中国が北朝鮮をコントロールできなくなったことによるとするものである。
李敦球は中国は他国をコントロールしたことはないと弁解しつつも、(韓国ではなく)北朝鮮の地政学的戦略的地位は変らないと反論している。
北朝鮮自身は、中国が自国を米中間の緩衝国と見ていることはわかっていて、朝鮮戦争以来70年近く反米対決戦を闘い、米国の侵略的企図を挫折させて中国大陸の平和と安全をまもったのは我々だと胸を張っている。

②の北朝鮮の核兵器が中国に対するものだとする見方が生まれたのは、北朝鮮の中国への激しい非難がきっかけであろう。だが北の核保有の論理は、1960年前に、米ソの包囲下にあった中国が核保有をめざした当時の毛沢東の主張とほとんど同じで、以下のようなものである。
「核保有は、急変する情勢に対処するための一時的な対応策でもなく、いかなる対話テーブルにおける駆け引き材料でもなく、革命の最高利益と民族の安全を守るための最上の戦略的選択である。朝鮮の核は共和国の尊厳と力の絶対的象徴であり、民族復興の万年、億年の保証だ」
中露両国は日米韓と違い、北の核開発の軍事的脅威を直接に感じているわけではないが、NPT(核独占)体制の保全のために北朝鮮の核・ミサイル開発に反対している。そして、これが日韓の核武装の口実になることを警戒している。だが私はこれ以上中朝関係が悪化すれば、北の核は中国にとって脅威となる可能性は十分に存在すると思う。
金氏政権の核・ミサイル開発の論理は、朝鮮戦争以来北が直面してきた厳しい国際環境を検討することなしには理解できないものである。

やや意外だが李敦球は、③の北朝鮮の核ミサイル開発が日米における中国包囲の軍事力強化を引き起こしたとする見方を否定している。彼は、日米の国家発展戦略あるいは軍事戦略は、それぞれの国内的な政治、経済、文化及び軍事等の総合的要素が合わさって形成されたものである。北朝鮮は弱小国であって米日の戦略的方向を左右することなどできない。朝鮮が軍事的「挑発」をしなかったとしても、日米が現在の国家戦略、軍事戦略を実行しないとはかぎらない、というのである。
北朝鮮はこれについて、「中国の一部の論者は我々の核保有が北東アジア情勢を緊張させ、同地域に対する米国の戦略的配置を強化する口実を提供するというとんでもない詭弁を並べ立てているが、米国のアジア太平洋支配戦略はわれわれが核を保有するはるか以前から稼働し、以前からその基本目標はほかならぬ中国であった」と主張している。後半はそのとおりだ。
だが日本に関する限り③の論理を全面否定することはできない。安倍晋三政権は東シナ海での中国の軍事的プレゼンスとともに、北の核・ミサイル開発を軍備拡大の口実にしているからである。そしてメディアに北のミサイル発射を「挑発」と宣伝させ、これをうけてテレビはほとんどナンセンスなミサイル避難方法を放送するに至った。しかもそれにつられた日本海側の自治体のいくつかが防空訓練を実施したのである。嗤うべきか悲しむべきか。

さて、6項目すべてに共通しているのは、北朝鮮への過剰な警戒心と嫌悪感である。たとえば北の核が中国に対するもので、しかも日米の軍拡を促し、中国東北の環境を汚染する恐れがある。だから北朝鮮の(アメリカによる)核基地攻撃を容認するのもやむなしという。
李敦球は、北朝鮮が第5回核実験を行った後、米韓合同軍事演習が今までにない規模で行われたために緊張が生れ、北朝鮮基地攻撃論がこの中で台頭したという。そして現実には北の核実験が東北の環境を汚染してはいないし、世界で2000回以上行われた核実験よりも、チェルノブイリと福島の原発事故のほうが環境に対する大きな災難をもたらしたと反論している。また、李敦球はアメリカによる北基地攻撃は恐るべき結果をもたらし、事態の収拾がつかなくなるといい、われわれ同様の認識を示している。
北朝鮮はこれについてこういっている。
「(中国では)国境から100キロも離れているところの核実験を、北東地域の安全を脅かしているだの、われわれが北東アジア情勢を刺激して同地域に対する米国の戦略的配置を強化する口実を提供しているだのとして喧伝した。そのあげく、われわれの核保有に反対するのは、米国と中国の共通の利益であるとして、自分らに危険をもたらす戦争を避けるためにも、われわれに対する制裁を強化すべきだと、でまかせの主張をした」

⑤はTHAADの韓国配備の問題であるが、これを受容する考え方がなぜ中国で起こったのか私にはわからない。李敦球はもちろん受容派を非難した。これについてロシアの認識は核・ミサイル問題同様、中国と同じように反対している。むしろプーチンはアメリカが推進するミサイル防衛システム開発に重大な懸念を抱いている。というのは、アメリカのミサイル撃墜システムの精密度は急速に高度化しているからである。

以上、李敦球がとりあげた中国「世論」なるものが意外に幼稚で、「街道消息(うわさ話)」なみのレベルであることに驚く。思うに、中国のインテリたちの北朝鮮に対する過度のいらだちや憤懣、それから生まれる錯誤は、彼らが我々以上に重要な情報を知らされていないところから来るのではないか。情報を制限し必要な知識を提供せずに、過剰な警戒心と嫌悪感にもとづく「世論」を説得するのはむずかしい。

(李敦球論文の邦訳は浅井基文氏のブログ
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2017/922.html. から、また北朝鮮の論調に関しては、同ブログ「朝鮮メディアにおける対中国批判論調」http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2017/925.html)から引いた。(2017・07・27記)

2017.07.30  「本日休載」
今日07月30日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会

2017.07.29 「ろうそく」が後押し~文在寅丸の出帆
韓国通信NO531

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 韓国の新政権スタート(5/10)から2カ月あまり。「ろうそく市民革命」から生まれた新政権の動きは予想されたとはいえ、とても新鮮だ。
 公企業体の非正規雇用者の正規雇用化。最低賃金の大幅アップが大きな話題となった。来年度から時間給7530ウォン(日本円換算753円16.4%の引き上げ)、2020年までに1万ウォンを目指すという。人件費の負担が困難な中小零細企業には国庫補助を行うという。韓国経済を無視した「バラマキ」だ、「人気取り」だ、「経済成長」が犠牲になるという批判もあるが、その声は小さく、説得力に乏しい。

 「脱原発宣言」も、拙速で無謀という批判にさらされた。「原子力ムラ」(韓国では原発マフィア)の彼らは原発も放射能も安全と主張して、福島原発事故による原発事故関連死や健康被害を説明した大統領発言を「大ウソ」と断じた。原発輸出のセールスマンをつとめる日本の首相を引き合いに、脱原発を主張する自国の大統領をコキおろす厚かましさである。

 注目されるのはやはり北朝鮮との対話路線ではないだろうか。これには早速、韓国と日本、それぞれの一部から「非現実的」、  「日米に説明を尽くすべき」という非難があがった。
 しかし軍事会談の申し入れ、離散家族の再会事業の開始、来年の冬季平昌オリンピックの共同開催提案という提案は驚くほどのことではない。戦争回避のための賢明な選択である。北の「脅威」を喧伝してきた日本政府にとっては「力の抜ける」ような対話路線だが、日本には相談せず、アメリカには事前に相談したともいわれる。事実とすれば、したたかな文在寅外交である。アメリカ艦隊と一緒に北朝鮮を侵攻する構えを見せた日本政府のメンツはまるつぶれだが、話し合い路線に胸をなでおろした日本人は多かったはずだ。2002年の平壌宣言以降、拉致問題を理由に対立姿勢を強めてきた安倍路線が北朝鮮の孤立に拍車をかけ、核開発に走らせたともいえる。新政権の「平和攻勢」は前途多難が予想されるが、平和の光が少し見えてきた。「積弊清算」「国民統合」を掲げた文政権には「ろうそくデモ」で示された広範な国民の意志と支持が後押しをしている。「帰らざる河」を渡った国民の民主主義と平和への熱い思いがある。「向かい風」に向かって進む帆船のように前に進むことはあっても決して後退しないはずだ。貧困格差の解消、原発問題、北朝鮮政策、米軍基地問題などわが国と共通する問題をかかえた韓国から学ぶことは多い。

<安倍政権の賞味期限切れ>
 安倍政権の支持率低落が止まらない。今までの高支持が理解できないので、低下も理解できない。首相を替えても後継者はいくらでもいる。こんな事くらいで政権もマスコミもバタバタするようでは国の未来が不安だ。先週の土曜日、近くの駅頭で「アベ政権は許さない」のプラカードを掲げていたら多くの人から声をかけられた。安倍政権の化けの皮がはがれたのか、賞味期限切れかどうかわからないが、やはり「一日でも早く辞めて欲しい」という声が多く、求めないのにカンパまでもらった。