2018.11.08 「下院喪失」トランプ氏に大ブレーキ
民主党は「どん底」から脱出
「決戦」は2年後、大統領選


金子敦郎(国際ジャーナリスト、元共同通信ワシントン支局長)


 トランプ大統領に対する米国民の最初の審判とされた米中間選挙は、民主党の下院多数派奪回という、予想通りの結果に終わった。これでトランプ氏の「暴走」にブレーキがかかるが、トランプ氏はさっそく「不正投票」があったなどと相変わらず。民主党はトランプ・ショックのどん底からは抜け出て、反撃に取り掛かるだろう。米国に深い分断をもたらした両党の妥協なき対立は、トランプ再選がかかる2年後の「総選挙」(大統領、両院議会の同時選挙)へ向けてさらに激化するに違いない。
 選挙結果を分析する詳しいデータはまだ明らかにされていないが、投票率が50%に迫り、中間選挙では記録的な高率になりそうなこと、その中で候補者でも投票者でも、女性の数がこれも記録的に増え、さらに若者の投票が目立ったという。トランプ大統領の登場に屈辱を味わい、危機感を高めた民主党の「草の根運動」の高まりがこの結果をもたらしたといえるだろう。
 共和党では選挙戦の追い込みで、中南米から米国を目指す難民・移民の大キャラバンをとらえて「脅威」をかき立て、「分断」をさらに深めさせる、といういつものトランプ戦術が支持層を奮い立たせ、敗北を最小限にとどめたと思われる。トランプ氏の世論動員力とこれに応える支持勢力にも衰えは見られない。両者の力関係は揺らぐには至っていない。  

ビジネス疑惑
 米議会の上下両院の権限は、最高裁および高裁判事や行政府高官の人事承認権を上院がもつ以外は変わらない。下院を民主党が握ったことによって、両院の判断にねじれが生じる。下院の各委員会の委員長は民主党が握る。トランプ大統領がなんでもできるという状況にストップがかかることは間違いない。両党の争いに大きな変化を生むことになるだろうが、トランプの「分断」を批判してきた民主党は、これをうまく使う知恵が必要だ。
 民主党が下院多数派を占めることで、大統領弾劾裁判の発議権を得た。弾劾は制度上、大統領を辞めさせる唯一の方法。下院は大統領を上院弾劾裁判所に訴追することができる。トランプ大統領には弾劾につなげ得る疑惑が数多くある。
 2016年大統領選挙でロシアの情報機関がトランプ選対幹部に頻繁に接触し、SNSを使って対立候補クリントン氏に不利な情報を大量に流したとするロシア疑惑は、FBI特別捜査が進展している。ここからいつ何が飛び出すかは分からないが、トランプ氏のビジネスがらみの疑惑は公然の秘密だ。米国では政府高官はその役職をビジネスに利用するこを禁じる法律がある(利益の相反)。就任に際してその資産を公開し、株券や証券類は全て売却を求められ、資産は第三者が運営する基金(blind fund)に預託することが義務づけられている。
 大統領はこうした法律の対象には書き込まれていないが、自主的に対応するという趣旨だとされる。大統領は納税証明書を開示することも慣行になってきた。トランプ氏はこのいずれにも応じていない。巨額の資産を形成してきた不動産業の実務は2人の息子にゆだねたとしているが、ビジネスを統括するトランプ・オーガニゼーション最高責任者のポストは握ったままである。
 ホワイトハウスのすぐそばに持っているホテルは、トランプ政権にかかわりのある米国内外の要人たちでにぎわっている。新聞によく出るのがフロリダにある豪華リゾート「マララーゴ」。安倍首相や習近平中国主席ら外国の首脳を招いて首脳会談の場に使われた。米国憲法は大統領が外国から金品を受け取ってはならないと定められている。民主党系の弁護士たちが、これらは大統領の地位を利用したビジネスにあたり、外国から利益を上げているのではないか-と調査を進めていて、一部はすでに提訴されている。
 民主党下院が弾劾に持ち込むまでには時間がかかる。上院の弾劾裁判所の決定は3分の2の多数に拠るので、共和党が多数を維持している限り、有罪判決は期待できない。しかし、弾劾への動きを進めることによって、トランプ氏が強い制約を受けることは間違いない。

アメリカン・ドリーム
 出口調査では、投票に際して強い関心を抱いたのは移民問題と保健問題だったという。移民受け入れ条件を厳格化し、すでに米国に入っている不法移民は追放するというのがトランプ政策。あの大キャラバンのように「アメリカン・ドリーム」を求めてくる移民によって繁栄してきた米国の在り方を変えることになる。ハイテク時代をリードするGAFAは移民の町、シリコンバレーから生まれたことを知らないとは思えないのだが。
 オバマ大統領が誕生した時、世界は米国民主主義を称賛した。しかし、共和党首脳部は「オバマを再選させないために全力を挙げる」と宣言、オバマ政権の主要な政策を全て阻止することに全力を傾けた。FOXニュースなどの保守系メディアもこれと一体となった。「オバマ氏は米国生まれではない」(大統領にはなれない)、「隠れモスレム」といった「フェイク情報」が執拗に流され、各種の世論調査によれば、共和党員の半数が信じた。このキャンペーンの先頭に立っていたのが、テレビの人気番組を持っていたトランプ氏だった。
 黒人大統領の登場は南北戦争の後も社会の底辺に潜んでいた「人種差別」を引き出すことにもなった。民主党との対決は先鋭化への道を走り出した。共和党では穏健派勢力が締め出され、低学歴が多い白人中心の党へ、民主党は高学歴の少数派白人と非白人(アフリカ系黒人、中南米系、アジア系)の連合体の党へと、それぞれ変形していった。
 PEWリサーチの調査によると、両党の関係は対立から敵対へと進んだ。ある著名な米ジャーナリストは、米国は「内戦(南北戦争)の第Ⅱ幕」に入ったと評している。

生き延びたオバマレガシー
 オバマ大統領が最優先に取り組んだのが国民皆保険制度つくりだった。「小さな政府」を旨とする共和党が絶対反対。何本も骨を抜かれたがなんとか成立はした。それでも「バマケア」と呼ばれて、党派を超えて低所得層に歓迎された。トランプ氏このオバマ・レガシー潰しに取り掛かったが、上院で与党から2人の離反者が出て失敗。共和党は中間選挙で残る数本の骨を抜き取った健保制度への乗り換えを図ったが支持層の支持は得られず、下院を奪われて「オバマケア」は生き残ることになった。
 トランプ氏をホワイトハウスに送り込んだのは、南部の低学歴・低所得の白人とグローバリズムの繁栄からとり残された斜陽産業地帯(ラストベルト)の白人労働者だったとされている。オバマケアで最も恩恵を受ける人たちでもあった。
 選挙戦の最大の焦点は民主党が下院の多数を獲得するか否かにあった。米国では大統領の与党が上下両院の多数を支配することも、逆に野党が両院を抑えることも、決して珍しいことではなかった。それでも米国の議会政治は機能してきた。この3者の間の「チェック・アンド・バランス」が保たれていたからだ。しかし、異常な大統領のもとで上下両院の多数を握る与党が大統領に追随するだけでチェック機能を失った。議会政治の危機である。中間選挙はこの危機を救った。

2020年への2年
 トランプ大統領の次の2年はいかにして再選を確実にするかにすべてをかけることになる。中間選挙の票狙いでは、花火を打ち上げるだけでその結果が後でどうなるかは気にしないで済ませた。北朝鮮の非核化問題はそれだ。20年あまり何の進展も選られなかった問題で、トランプ氏が力ずくの威嚇戦術から一転、「対話」に転進、新しい展望を開く「歴史的大成功」(トランプ)を収めた。選挙の票につながったかは分からないが、真の非核化を実現して朝鮮半島に安定と平和をもたらす道をつけるのはこれからの難問題だ。中国を主敵にした貿易戦争はどこまで突っ込むのか。支持者は喝采を叫んだが、農業や鉄鋼・アルミなど関連業界およびその裾野で物価値上がりが始まっている。いちばん苦しむのはトランプ支持の低所得層である。
 下院を失い予想されるこうした状態の中で、トランプ氏がなにがなんでも再選を狙うとなれば、苦しまぎれの「暴走」に出る可能性が高い。「内戦の第Ⅲ幕」は回避しなければならない。

                (完)
2018.11.07 大変革進行中の中国みたまま(3)
―関心が低くなった?日本人の存在

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 今回、中国旅行から帰国し「中国に行ってきた」と友人や家族に話すと、決まったように「対日感情はどうだった?」と訊かれた。たしかに2010年の尖閣諸島海域への中国漁船団の侵入、2012年の石原都知事による尖閣諸島購入方針表明、野田政権による国有化に対する中国各地での反日デモ、同年12月の第2次安倍内閣発足、安倍首相の靖国神社参拝以来、日中関係が悪化した。ごく一部での出来事だったが、中国で反日デモが日本の商業施設をぶち壊すような事件も発生。それが大々的に日本国内で報道されたことから、以後、日本企業が中国から撤退、縮小する事態が続いた。
 10年前まで、中国に行く機会がしばしばあったが、今回は上海、蘇州、北京、東北部の長春、瀋陽を動き回り、昼食、夕食はすべて現地の飲食店で食べた。人が多数集まる上海の外灘、北京の天安門広場にも行ったが、どこでも10年前とはかなり違う感じを受けた。広大な天安門広場出入り口は2、3か所で、全国から集まる人々、団体でぎっしりと行列ができているが、その人々も、チェックポイントの警官も日本人だからと特別な表情を示すことは全くなく、パスポートかホテルのカードですんなり通し、なければ絶対に入れない。
 周りの入場者も、何の関心も示ささない。街の飲食店でもレストランでも、日本人だからといって、特別に親切にすることも、そっけなくすることもなく、扱い、態度は街の人々と違いがない。
 どこでも街を走る乗用車で目立つのはドイツ車とくにフォルクスワーゲンだ。それにだいぶ離れて次ぐのは日本車か韓国車だろう。
 第2次安倍内閣の6年間に、中国にとっても、中国人にとっても、日本との関係がいわば疎遠になり、敵視もしないが、重視もしない他人になったのではないだろうか。だが、世界第2位、第3位の隣国がこんな関係でよいのか。中国は「シルクロード外交」重視で西と南西を向いて力を注いでいるが、日中が外交・経済協力関係をもっと改善・強化すれば、双方にとって利益になり、朝鮮半島をはじめ国際社会への影響力が間違いなく大きくなるはずだ。
 ▼旧満州国(中国では偽満州国と呼ぶ)旅行の勧め
 中国の東北地方では大連に何回も行ったことがあり、大連市の下水処理水を沖合に放流する海中放水路建設を指揮した親しい友人には、いつもお世話になった。北朝鮮、ロシアとも国境を接する吉林省朝鮮族自治州には1週間滞在したこともある。しかし、吉林省長春、遼寧省瀋陽は初めての旅行だった。いうまでもなく、両市は日本支配下の旧満州国時代の新京と奉天だ。長春では、日本に留学して帰国した大学院生が案内役を務めてくれた。
 長春は日本軍の侵攻、占領下に作り上げた旧満州国の首都(占領下に新京と改称)。日本が担ぎだして、皇帝の冠をかぶせたのが溥儀だった。
 長春には旧満州を軍事支配した関東軍の司令部はじめ、満州八大部と呼ばれた軍事部、司法部、経済部、外交部、文教部、交通部,興農部、民生部の八部の建物と、皇帝溥儀のささやかな執務宮殿、居住宮殿など、数多くの建物が現存している。満州八大部の建物はほとんど省や市が使用しているが、残存ビルでおそらく最大の関東軍司令部があった建物は子供専門病院になっていた。
 長春では精力的に動いたので疲れ果て、夕食は北朝鮮料理が自慢のレストランへ行った。北朝鮮料理といえばまず冷麺。8~10人が座れるテーブルごとに仕切っている。ピアノを置いたステージがある。さっそく中国産ビール「青島」と冷麺、他の料理を3点ほど注文して間もなく、そろいの朝鮮民族衣装チョゴリで着飾った若い女性たちの演奏と踊りが始まった。かなり広いフロアでひと踊りすると、フロアから客席を回る。踊り子は5人。ピアノとヴァイオリンの女性は定位置で、かなり上手だ。脇の椅子に、団長と思しき中年の女性が座っていた。食卓から立って、フロアの脇で踊りをみつめ、拍手していたら、曲が日本歌曲の「浜千鳥」になり「上を向いて歩こう」に続いた。他の客と同じような軽い服装をしていたのだが、やはり日本人と分かったようだ。
 長春にも瀋陽にも、日本軍の占領支配、偽満州帝国をテーマにした大きな歴史博物館があり、見学者がかなりいた。過酷な写真や新聞コピーなどの展示が多く、中国語だけでなく日本語の説明もかなり率直あるいは乱暴についていた。観客はけっこう立ち止まって読んでいる人もいたが、私たちに目を向ける人は一人もいなかった。歴史は遠くなったのだろうか。
 最近、日本では半藤一利著「ノモンハンの夏」をはじめ日本軍の無謀な侵略、旧満州支配、すさまじい数の日本軍兵士たちの犠牲について追及する歴史書、TVドキュメンタリーが注目を集めたようだ。
 旧満州(偽満州国)はまだな人に、まずは、長春を訪れることを勧めたい。(了)
 
中国見たまま(3)写真1 
1、長春には旧満州国(中国では偽満州国と呼ぶ)の建物がほとんどそのまま保存され、使用されている。写真は旧関東軍本部跡の看板

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2、旧関東軍本部の建物。子供専門の吉林大学付属病院になっている。

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3、長春にある北朝鮮レストランには毎晩、北朝鮮の歌舞団が出演していて大人気。
(いずれも坂井撮影)






2018.11.06 オ~寒っ  ソウルの最低温度は0度
    韓国通信NO576

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 仁川空港へ向かうバスのテレビが、新日鉄住金に原告各人に1億ウォン(約1千万円)の支払いを命じた大法院(最高裁)判決を速報で伝えていた。 
 テレビ各局が特集番組を組むくらいに韓国では国民の関心は高かった。これまでの流れから見ると、紆余曲折はあったが強制徴用された原告の勝利は十分に予想されていた。日本政府もそれを見越して韓国政府に「警告」を発していた。政府に圧力をかければ判決が覆ると考えたのは不遜、お粗末としか言いようがない。かつてアメリカが日本の主権を犯して砂川事件の判決を覆えさせたことを思いださせる。
 帰国すると案の定、ニュースは安倍首相、河野外相の抗議、コメンテーターも「国際信義に反する」と非難一色、日本中が怒っているように感じられた。

<何かがおかしい>
 1965年の日韓条約ですべて「解決済み」とする政府の主張が正しいなら、韓国側が個人補償を求めるのは理屈に合わないのは確かだ。対日請求権によって日本側が支払った無償3億ドル、有償2億ドルの資金の他に個人が受けた被害が救済されるべくもない。しかしそう簡単に言い切れるものかどうか。日韓条約締結に至る経過とその後の韓国政府の見解の「揺らぎ」を並べ立てても仕方がないが、従軍慰安婦問題にせよ徴用工の問題にせよ謝罪と補償を求める人たちが存在し、韓国民がそれを支持している現実に変りはない。政府間の対立にまかせるなら泥沼化することは目に見えている。心ある日本と韓国の市民たちは心を痛めているはずだ。

 もう一度37年間にわたった日本の植民地支配とそれを「清算」したとする日韓基本条約と請求権協定について冷静に考える時期なのかも知れない。日韓の交渉内容を不服とする韓国内の勢力(彼らは日本の侵略に対する反省と謝罪を強く求めていた)を抑え込むために朴正煕政権は戒厳令、衛戍令を連発して締結を強行した。あわせて極東戦略の必要性から日韓条約成立を急がせたアメリカの介在を知るなら、日韓条約ですべてが「解決済み」と言い切る日本政府に韓国人が納得していないことくらいは理解できるはずではないか。私たち日本人は日韓、日朝の歴史をあまりにも知らなすぎる。「信じられない」「許しがたい」などと感情的な発言をする前に韓国側の主張にもっと耳を傾ける必要がある。

 韓国を旅行しながら考え続けたのは日韓の未来のことだった。市民レベルでの理解が進んでいるのを感じる一方では、わが国の韓国に対する根強い不信感。それは市民の側の責任というよりアメリカには卑屈なほどに追従しながら韓国を軽視する政治家とマスコミ、エセ学者に負うところが大きい。強制労働による徴用工が20万人もいたこと、性奴隷として貶められた数多くの少女たちの存在。関東大震災時に虐殺された在日朝鮮人の存在。「存在しなかった」、「解決済み」と考えるのは金銭補償の問題以前の、市民感覚としては「恥ずかしい」道義的問題だ。今回の徴用工問題を奇貨として慰安婦問題も「解決済み」に持ち込みたい政府の意図も見え隠れする。
 絶好の天候に恵まれ、素晴らしい紅葉と海を眺めながら、気持ちは晴れなかった。10月には珍しく、韓国旅行最終日29日の朝は氷点下近く、日中も10度を越えなかった。冬の到来には早すぎる。
2018.11.05 国内外労働者をモノ扱いするな
―資本の論理を加速する安倍政権―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《ゼロ成長と新自由主義の発動》
 1960年から30年間、「高度経済成長」を続けた結果、日本は一時世界第二の経済大国となった。それが1990年を境に高度成長は停滞期に入った。この30年間は、いくらかの誇張を加えれば、ゼロ成長が続いている。「明治維新150年」のシッポ20%の期間は経済成長が止まっているのである。「平成」は、成長が「平」らに「成」って終わる。その理由には諸説ある。日本の成長力自体の喪失。政府・民間の非効率な投資。再分配政策の欠如。などなどだ。

これらの状況に対して資本はどう対応しているか。
それは新自由主義政策の導入である。自由な市場に任せれば、経済資源―ヒト・モノ・カネ―の配分は全てうまく行く。これが、市場原理主義たる新自由主義の核心である。その目的は何か。企業力の全面展開による利潤獲得である。ヒトの扱いにおいては、人件費・社会福祉コストの削減が狙いとなる。これで収益が上がる。資本家である株主への還元―株価上昇と配当金増配―が増加する。

《労働力市場に起こったこと・起こること》
 労働力市場で、具体的には何が起こるのか。
昇給がないから実家から離れられず、結婚できるだけの貯金が出来ず、共働きでも託児所がなくて子供が産めず、といった若者・中年族が続出する。落ちこぼれると、最悪は孤独死に至る。理屈っぽく言うと「規制撤廃の促進」「自由放任の徹底」「公共性の消滅」の実現である。この冷酷な実態には「働き方改革」という美名が与えらている。

一体、労働力市場は売り手(求職側)と買い手(求人側)の力の差が大きい市場である。短期な好況期を除き買い手が圧倒的に強い。
産業資本主義の発展に先んじたイギリスで、労働運動が起こり労働組合が資本家に対抗した。健全な労働力の再生産は資本主義の持続的な発展にも必要である。国家も、対等な労使交渉による労働条件を目指した法制の整備につとめた。いずれにせよ労働者の権利は、長い闘争によって獲得された歴史と伝統をもつ社会の「公共財」として機能してきた。
それも新自由主義の浸透によって分断され弱体化さている。

《経団連の意のままに動く安倍政権にNOを》
 平成時代後半から顕著になった「非正規労働者の増加」、この数年で急速に進んだ「高度プロフェッショナル(残業代ゼロ)制度」、そして現在、政府が拙速・無原則に進めている「入管法の改正」。いずれも買い手側が優位で自由にふるまうシステムである。日本経団連などの大企業の強いニーズに対応した労働政策でありその理念は新自由主義である。興味ある読者は経団連のサイトをご覧になるとよい。外国人労働者をモノとしか見ていない資本の論理がハッキリわかる。それは日本人労働者の賃金抑圧にも寄与するだろう。

現在、世界中でポピュリズム政権、自国第一主義、貿易戦争の勃発が、政治経済を動揺の渦に巻き込んでいる。その最重要な原因の一つは、長年に亘る諸国の外国人移民受容である。不可逆的に定着する深刻な問題である。その環境下で、破綻をみせている新自由主義を、安倍政権は周回遅れで推進しようとしている。これは人間性に背く政策選択だ。

我々になにができるか。国会内外で市民と野党が結集して「アベ政治を許さない」を実現すること。これが困難ではあるが我々に希望を与える目標である。(2018/11/03・文化の日)


2018.11.04 「本日休載」
 今日11月04日(日)は休載します。

     リベラル21編集委員会

2018.11.03 大変革進行中の中国みたまま(2)
―北京の大気汚染は解消したのか

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 悪名高いかった北京の大気汚染は解消したのだろうか?
今回の中国旅行中、強い関心があったことの一つは、北京のひどい大気汚染は解消したか、ということだった。しかし、わずか4日間の北京滞在中、あのどんより濁った、大気汚染をまったく感じなかった。初秋のさわやかな2千万都市北京だった。上海は海に近いので大気汚染問題は、生じなかったのではないか(私が知らなかっただけかもしれないが)。
 もちろん、わずかな滞在日数を秋に過ごしただけで、判断はできない。しかし北京市民の友人、知人たちに尋ねると誰もが、あの大気汚染はもう気にしなくなった、という答えだった。
 中国政府と北京市当局は、大気汚染解消に二つの重要対策で取り組んできたという。
その第一は、北京市内と周辺の、大量に汚染排気、排水を排出してきた工場をほとんど潰したこと。本リベラル21で、有数の中国通の田畑光永さんがリポートしている、昨年11月北京市大興区で強行された「区画丸ごと取り壊し・全住民強制立ち退き」のような強行手法で、大気汚染源とみなした工場などをつぶすか、追い出してきたのだろう。北京で会った友人たちは、大興区での取り壊し・全住民強制立ち退きを知っていたが、“ひどいことをする”という非難めいた顔はなかった。
 もう一つの大気汚染対策は、乗用車のガソリン・エンジンから電池エンジン、あるいはガス・エンジンへの転換の推進だ。すでにタクシーの大部分が、電池エンジンかガス・エンジンで走っているのではないか、と思った。統計を見ていないから、間違っているかもしれないが。ともかく、北京はじめ市内では、ガソリン・スタンドよりもガス・スタンドか電池用充電スタンドが目に付く。どこもタクシーが集まっていた。自家用車の場合は、おそらくガソリン・エンジンの方が急速に速度を上げられるから、自家用車をバッテリー車に替えたと言う人はいなかったが、転換は拡がりつつあると思った。
 今回の北京、上海、長春、瀋陽の旅では、瀋陽市内から空港に行く道路でだけ、大気汚染で上空がややどんよりしていた。
 ▼今なお残る旧市街「胡同(ホートン)」
 10年前には、北京では高層ビジネス・ビル、高層住宅ビルの建設が進み、市街の変化がどんどん進行していた。繁華街王府井の中心を貫く道路は、いま歩行者専用になっている。それよりも、どうなったか気になっていたのは、王府井からも遠くない北京の旧市街胡同がどうなったかだった。いまや古い話になったが、1966年から73年にかけての文化大革命期、胡同は旧勢力の巣窟として紅衛兵の攻撃目標になり、建物が破壊され、住民が追い出された。文化大革命が終わったあと、首都の再建、発展計画が打ち出され、広い胡同地域は建物が壊され、近代的なビル、道路に代わっていくとの説明だった。中国に行くたびに胡同がどうなっているか聞いたが、案内役は「再開発が進み、胡同はなくなりますよ」との答えばかりだった。
 だが今回、偶然、胡同に入り込んでしまった。そのたたずまいは、かなりくたびれてはいるが、70年代に歩いたままの民家の街並みが残り、住民が歩き、生活していた。うれしかった。中国政府と北京市当局の計画は、胡同の一掃ではなく歴史的・文化的価値を尊重して保存するものだったのか、住民の抵抗が根強かったために、変更したのか。わからない。
 たまたま、今日ネットで検索したら、以下のAFP電が紹介してあったー「2017年5月24日 AFP Fred Dufoul記者:中国・北京の旧市街に残る胡同と呼ばれる細い路地。数百年前には胡同に面して風格のある赤い扉が立ち並び、扉の向こうには中庭が広 がっていた。中庭を囲む建物の小屋ばりは曲線を描き、柱は色付づけされていた。庶民の家でさえ、広々とした中庭があった。
 しかし、20世紀半ば以降、とくに文化大革命期には胡同の多くの家々が接収され、破壊された。
 現在は2150万人が暮らす土地不足の北京で、胡同に面する中庭は木造の掘立小屋か、もう少しましなコンクリートの部屋で埋め尽くされている。いくつかの世帯が生活をともにし、家族ではないが皆、とても親しい」
2018.11.02 難民・移民をめぐる左右のポピュリズム
盛田常夫(在ブダペスト、経済学者)

ドイツの州議会選挙結果が教えていること
 10月にドイツの2州で州議会選挙が行われた。10月14日のバイエルン州の議会選挙、10月28日のヘッセン州の議会選挙は、ともに類似した結果となった。バイエルン州の与党CSD(キリスト教社会同盟)とSPD(社会民主党)は得票率を10%減らし、ヘッセン州でもCDU(ドイツキリスト教民主同盟)とSPDが同様に10%強の得票減となった。バイエルン州は難民・移民の受入れ窓口であり、ヘッセン州はバイエルン州とともにドイツ経済の中心地である。この2つの州における与党の大幅後退はドイツ政治の安定時代の終焉を意味している。
 CSDとCDUの後退は政権政党の難民・移民政策への批判の結果であり、これらの党から離れた支持者はAfD(ドイツのための選択肢)に流れ、SPDから離れた支持者はGrüne(緑の党)とLinke(左翼党)に流れたと推測される。とくに、社会民主党は得票率を半減させており、連立政権政党から一介の少数党に転落した。
 ドイツ社会民主党のみならず、欧州左翼は難民・移民問題での対応を誤り、政治的影響力を急速に失っている。大量の難民・移民の無条件受入れが地域社会のアイデンティティを喪失する危機的事態を迎えたにもかかわらず、それを無視して、住民の危機的感情を「ポピュリズム」、「極右民族主義」と切り捨てる政治姿勢が、支持を失った最大の原因である。問題の本質を見失った政治的対応が、現実の利害関係に苦しむ地域住民の支持を失ったと考えるべきだろう。

人道主義vs民族主義は架空の対立軸
 ドイツが難民とも移民ともつかない人々をほとんど無条件に受け入れた背景には、過去にユダヤ人を虐殺したという負い目があり、そのことが大量流入初期の人道主義的対応となった。また、ここ数十年、産業界の要請からトルコや旧東欧諸国から大量のゲストワーカーを受け入れていることも、事実上の無条件移民を受け入れる世論を醸成した。
 ところが、余儀なくされたものとはいえ、2015年秋からの無秩序な大量受入れは当該地域社会を、危機的な状況に陥れた。学校の講堂が難民・移民で占拠され、小さな町や村には見慣れない人々が日中から屯(たむろ)するようになった。小さな地域社会であればあるほど、地域の雰囲気が激変した。村や町の人口に匹敵する難民・移民が押し寄せたところもある。難民・移民を受け入れていない地域や都市の住民は理想主義を語っていればよいが、当該地域住民は日常生活そのものが急速に悪化することに不安を抱かざるをえない。
 ところが、政党政治家や知識人たちが人道主義にもとづいて難民・移民の大量流入を支持し、それを批判する人々を「極右民族主義」と見下したのでは、地域社会に生きる人々は地域社会で生きる拠り所を失ってしまう。連邦政府の無定見な難民・移民政策を批判する政党に票が流れるのは、自然な流れである。それを「極右の進出」と騒ぐのは間違いである。
 明らかに、ドイツ社会民主党は地域住民の日常生活における不安や地域社会のアイデンティティ喪失の危機にたいして、適切な政策対応をおこなわず、イデオロギー的に批判するのみであった。これでは有権者の支持が減るのは当然である。
 問題の本質は、人道主義と民族主義の対立にあるのではない。まして、センチメンタリズムで解決できるものでもない。地域社会のアイデンティティを維持しながら、どのように難民・移民を受け入れることができるかを明確にしない限り、問題の解決にはならない。イデオロギーの対立が本質なのではなく、地域社会、ひいてはドイツ社会をどのような社会にするのかというコンセンサスを醸成することが重要なのである。それなしに、地域住民の危機感情を無視すれば、政権は支持されないということだ。
 この問題に見られるように、欧州左翼は理性を優先した現実無視の観念論に傾斜する傾向があり、地域住民の現実的感情を汲み取ることができない。将来社会のあり方について真摯な議論をせずに、旧来の観念論的人道主義だけを掲げていたのでは、有権者からも見放されるということだ。これはドイツに限らず、社会主義体制崩壊後の欧州左翼が共通に抱える問題である(日本も例外ではない)。

難民と移民の区別
 難民と移民は明確に区別されるべきものである。ところが、2015年の大量流入はその区別を事実上不可能にした。2015年当時でも、難民を称する人々のほとんどが、事実上の経済移民であった。最終目的地(国)を指定する「難民」は難民ではなく、経済移民である。2015年当時でもシリアからの難民は3割程度で、後の7割はシリア難民に便乗して世界各地からトルコの沿岸に集まり、密航業者にお金を払った移民希望者である。
 EUは今年6月の首脳会議において、ようやく「難民」と「移民」の選別に乗り出し、「難民」の欧州域内移動についても、統一的なルール設定に動き出した。また、密航業者の手引きでアフリカから地中海を経由してイタリアやギリシアに向かう人々を海上で救助する救助船の入港は各国から拒否され、最大の救助船(NGO SOS Méditerranéeを掲げたAquarius号)はパナマの船籍を剥奪され、活動を停止せざるを得なくなった。不法入国幇助と認定されたのである。なぜなら、アフリカから地中海を経由して欧州に入国しようとする人々の9割以上が経済移民で、難民は数パーセントだからである。
 経済移民をどう受け入れるかは、欧州各国の主権事項である。すでに多民族国家になっている国もあれば、ほとんど単一民族国家に留まっている国もある。フランス、ベルギー、オランダのように、イスラム系住民がかなりの比率を占めている国もある。ベルギーやオランダの貧困な移民スラム街からパリテロ事件の実行犯が生まれ、オランダから多くのIS兵士が旅立った。他方、イスラム系住民がほとんどおらず、移民労働力を必要としない国もある。したがって、「欧州統合は多民族の共存社会だから、すべての国で移民を受け入れなければならない」ということにはならない。100年200年先の欧州がそのような多民族統合社会になるかもしれないが、21世紀初頭の欧州社会はまだそのような統合を共通の目標にしてはいない。
 欧州左翼が多民族統合社会を目指すために、地域住民の危機意識を無視すれば、支持を失っていく。理想は必要だが、足を地に着けて現実問題を解決しながらステップを踏まなければ、手痛いしっぺ返しを受けることになる。

左派ポピュリズムと右派ポピュリズム
 このように見ると、移民を拒否する国をいとも簡単に民族主義とレッテル貼りするのは間違っている。もちろん、ハンガリーのように、「ハンガリー・ファースト」をさらにイデオロギー的に強め、種々の問題にたいするEUからの批判を「ハンガリーを移民国家にするための企み」として、政府を挙げて政治キャンペーンを張るのは、難民・移民問題を利用して権力基盤を固めようとする民族主義的なポピュリズムである。したがって、問題の本質とイデオロギー的な宣伝を明確に区別することが必要である。
 ハンガリー政府の立場が民族主義的ポピュリズムだとすれば、欧州左翼は観念論的人道主義だと言えよう。観念論的人道主義は左派ポピュリズムである。それぞれのポピュリズムは、それぞれの政党支持層をつなぎ止めるイデオロギーである。
 しかし、イデオロギーの違いが問題なのではない。欧州統合をどのように考え、民族国家のあり方をどのようにしていくのかという地道な歩みが必要なのである。左右のポピュリズムの対立は問題解決にはならない。

本ブログ寄稿者 盛田常夫氏講演会のお知らせ

日本大学経済学部中国アジア研究センター主催研究会
日時 2018年11月19日月曜日18時から20時
講演者 盛田常夫氏(元法政大学教授、在ハンガリー)
講演テーマ 難民・移民問題における左派ポピュリズムと右派ポピュリズム
場所 日本大学経済学部7号館4階7043教室
   JR水道橋駅下車、お茶の水側出口を出て、右へ5分、
          右側に日大経済学部のビルがあります。

ご連絡は不要です。ご自由にお越しください。
幹事 池本修一 日本大学経済学部
   ikemoto.shuichi@nihon-u.ac.jp


2018.11.01  「社会運動情報センター」の設立を
運動を広げ、力強くするために

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 「社会運動の情報センターみたようなものが必要ではないか」。以前からからそう思ってきたが、そうした思いを一層強くする機会が先ごろあった。9月17日(月・祝日)に東京・代々木公園で開かれた「いのちをつなぎ くらしを守れ フクシマと共に 9・17さようなら原発全国集会」での見聞である。

 私は、「さようなら原発全国集会」が代々木公園で開かれるたびに、そこへ出かけてゆく。取材のためだ。
 会場に行くルートも決まっている。JR山手線の原宿駅で降りると、前方に五輪橋が見える。それを右に渡ると、真っ直ぐの歩道が伸びる。それを進み、2つ目の信号のところで道路を渡ると、公園の入り口だ。遠方に野外ステージが見えてくる。集会は野外ステージ前の広場で行われる。

 いつもそうだが、五輪橋の手前あたりから、2つ目の信号までの歩道の両側、それに公園の入り口付近に、チラシや機関紙を抱えた人たちが立っていて、集会会場に向かう人たちをつかまえる。手渡されたチラシや機関紙を受け取る人もおれば、受け取らない人もいる。
 私は、出されたチラシや機関紙をすべて受け取ることにしている。もっとも、今回は左手で手提げ袋を下げていたので、右手のみでそれらを受け取らざるを得なかった。しかも、なにしろおびただしい数なので、右手でつかめきれなかったチラシや機関紙があった。
 家に帰ってそれらを数えてみたら32枚あった。現場で受け取れなかったものがあり、それに私が通ったコースと別な場所でも配っていたから、この日、会場周辺で配られたチラシや機関紙は膨大な数だったろう。

 ところで、私が手にした32枚のチラシや機関紙の内訳は、反原発・脱原発関係11、改憲・安保関連法反対関係5、沖縄・辺野古新基地関係2、三里塚の農地強制収用関係2、共謀罪関係1、武器輸出関係1、731部隊関係1、慰安婦関係1、ベトナム反戦運動関係1、社会主義関連1、冤罪関係1、政治団体・宗教団体の機関紙5。政治団体・宗教団体の機関紙を除けば、大半が集会、講演会、映画の上映会などの開催を知らせるチラシであった。

 とりわけ印象に残ったのは、ほとんどのチラシが、全国レベルの大組織がつくったものでなく、市町村レベル、あるいは地域の小さな団体が作成したものだったことである。これらの団体には宣伝力がない。そこで、「さようなら原発全国集会」には大勢の人がやって来るに違いないと、チラシを抱えて集まってきたのだろう、と私は思った。

 正直言って、私は驚いた。地域にはこんなにも多彩な政治的課題を掲げた小さな運動団体・グループが多数存在していることに、である。その人たちが、自らチラシを配る。その熱意に心打たれた。と同時に、これまで半世紀以上にわたって社会運動(大衆運動)を見てきた私には、以前から気になっていたことが甦ってきたのである。「気になっていたこと」とは、日本の社会運動が1980年代以降、大同団結に向かうよりは、むしろ、細分化への道をたどってきたことだ。
 
 社会運動とは、自立した個人、個人が共通の目標に向かって行動を共にすることである。しかし、その共同行動が少人数にとどまっていては、運動は力を持ち得ない。つまり、多数の人びとが参加する運動になって初めて世論を動かすことができるのだ。それゆえ、個人の自主性を尊重しながらも小異を捨てて大同団結することが社会運動に求められる原則なのだ。その場合、まず、求められるのは、それぞれの組織を解体して新しい組織をつくるという組織的統一ではなく、それぞれの組織を維持しながら、共通の課題で統一行動を推進することだと言ってよいだろう。

 しかるに、1980年代以降続いてきたのは、分裂と細分化であった。これには、1980年代半ばに起きた原水爆禁止運動の再分裂が濃い影を落としている。
 もっとも、近年、安倍政権があまりにも性急に軍事化を進めたため、関係団体間に危機感が高まり、集団的自衛権行使容認の閣議決定、安保関連法、共謀罪に反対する運動や改憲阻止運動では、全国レベルでの団体共闘が成立した。脱原発運動の面でも団体間共闘が行われるようになった。が、草の根レベルでの団体共闘も進んではいるものの、まだ全国化していない。

 だから、32枚のチラシや機関紙を目の前にして、私は改めてこう思ったのである。
 「多種多様な社会運動団体が発する情報を集め、それらを全国に発信することができれば、個々の運動団体が発する情報が多くの市民に届き、多くの市民がそれらの情報を共有することができるはず。そうなれば、各種の運動がもっと拡大し、大きな流れをつくることができるのではないか。そうなれば、政治への影響力も増す」
 「そのためには、各社会運動団体が発する情報を集め、発信するセンターが必要だ。世はインターネット全盛時代。それを駆使すれば、そうカネをかけなくてもセンター設立は可能ではないか。要はインターネット練達の士の協力を得られるかどうかだ」
 センターの名称は「社会運動情報センター」としたらどうか。
2018.10.31  私が会った忘れ得ぬ人びと(2)
    三木睦子さん――政界・言論界で隠れもない女丈夫 

横田 喬(作家)

 怖いものなしで、思ったことは何でもズバズバ口にする政界・言論界の「肝っ玉母さん」だった。六年前までは健在で、まだまだ長生きしてほしかった。もう三十四年も前、一九八三(昭和五十八)年の『朝日新聞』の企画物の記事に、私が記したこんな文章がある。

 ――千葉女の威勢のよさそのまま、勝浦市生まれの元宰相夫人三木睦子(六六)の女丈夫ぶりは政界に隠れもない。徳島県人の夫三木武夫(七六)をよくもり立て、三木政権時代は「女総理」の異名さえとった。アンチ三木の閣僚や自民党幹部を夫に代わってやり込めたり、夫人の会などを督励して自派の結束を支えたり、勇ましい逸話は数々ある。

 生家は千葉政財界の名門・森コンツェルン。代議士でもあった亡父・森矗昶の薫陶を受け政治家稼業の表裏を学び、夫を支え「クリーン三木」の看板を守り通す。夫の宿敵・田中角栄への敵がい心を隠しておけず、「田中さんの強みは約束を忘れてしまえること。三木なら、財産を公開すると誓えば、バカ正直に必ず守るんだけど。まじめに勉強を勧める三木みたいのは煙たがられ、遊びに誘う悪友の方に人気が集まる。田中派ばかり増える情けない自民党なんて、もうやめちゃえばって三木にも言ってるのよ」。

 この発言を翌日の『朝日』夕刊一面のコラム「素粒子」が取り上げ、こうフォローした。<婦唱夫随となれば、大受け間違いなし。自民党なんかやめちゃったら、と三木元首相夫人。>

 「金権田中」対「クリーン三木」の衝突は宿命的で、必然の帰結だった。‘七四年、金脈問題で世論の指弾を浴び田中内閣が退陣し、緊急避難~棚ぼた式に三木政権が成立する。翌々年、突如ロッキード事件が発覚。三木はフォード大統領あてに親書を送って協力を求め、日本の最高検に米側の関連資料が届き、前首相・田中逮捕という非常事態に立ち至る。
が、刑事被告人・田中は郷里・新潟で圧倒的人気を誇って衆院の議席を維持し、自民党最大派閥の長として福田~大平~中曽根の歴代政権に睨みを利かす。利権や金力による利益誘導選挙、ずばり言えば土地ころがしによる土建政治――そういう角栄的なものが自民党では、力を発揮する。民主政治は結局のところ数合わせで、多数派が勝ちを収める。「水清ければ魚棲まず」、正論を吐くクリーン三木は煙たがられ、金回りのいい田中派に多くがなびく。気概に富む睦子さんがいかに歯噛みしても、冷厳な現実は覆らない。

 睦子さんは、私にこうも言った。
 ――財界人出身の代議士だった父には、政治家の妻の心得として「他人様から受け取ってもいいお金(寄付金)と絶対ダメなお金(賄賂)をしっかり見分けるように」と、篤と言い聞かされた。それが根本であり一切だ、と思っています。

 睦子さんには、‘七二年にも差しでインタビューしている。佐藤内閣の末期のころで、「三角大福」すなわち三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫ら自民党の実力者四人による後継争いが白熱化する折のこと。私は「お茶の間の『三角大福』」という企画を思いついた。夫人ないし娘さんに家庭人としての素顔をざっくばらんに語ってもらう趣向だ。

 睦子さんによる夫の紹介は、あからさま過ぎて少々びっくりした。
 ――まあ、ちょっと居ないくらい不器用な人ね。自分では着物の帯もちゃんと結べず、帯の先っぽをずるずる引きずって家の中をまごまごする。ご飯を食べるにも、お箸で上手に口元へ運べず、ぼろぼろこぼしてしまう。とにかく、困った人よ。
 が、ほほ笑みが浮かび、どこか不出来な子を思いやる母親のようで、好感が持てた。そんな不器用さが精神面にも通ずるのか、生来曲がったことが大嫌い。万事に融通が利かず、多数派工作なんかでも損してしまう、といった注釈もあったと記憶する。

 「三角大福」の争いは事実上「角福決戦」だったのだが、中間派の中曽根陣営が田中支持を打ち出して大勢が決し、私の企画はおじゃんになる。当時は福田派の若手議員だった森喜朗(元首相)から「田中派は札束ぎゅう詰めの鞄を議員会館に持ち込み、中間派を一本釣りしてるよ」と耳打ちされたのも忘れられない。

 角福決戦の前年、三木は参院改革をめざす企てに手を貸している。それまで参院議長を三期九年も務めた重宗雄三が「重宗王国」と言われる独裁体制を築き、その体制を長野出身の長老議員・木内四郎に譲ろうと図る。が、三木派の鍋島直紹をはじめ三木の檄を受けた自民党の反重宗派議員が「桜会」を結成して反重宗で結束し、参院改革に名乗りを上げた河野謙三を対抗馬に担ぐ。共産党を含む全野党が「桜会」と手を結んで反重宗でまとまり、投票の結果は百二十八票対百十八票となり、改革派の河野新議長が誕生する。

 当夜、平河町の小料理屋へ当時親しくしていた自民党参院議員の秘書氏と酒を飲みに行った。たまたま重宗前議長の年配の秘書氏もやはり飲みに来ていた。秘書同士で昵懇の仲らしく、酒の酔いも手伝って、重宗の秘書氏は聞き捨てならぬこんな放言をする。
 ――オヤジ(重宗を指す)は木内から三億もらう約束やった。俺はオヤジの仕事の十分の一はこなしとるから、三千万はもらう気でおった。それが、みんなパーや。

 佐藤内閣当時、参院自民党は大臣を順送りで三人出せる決まりで、重宗議長に三千万円ずつ包む習わしと噂された。参院出身の大臣は内閣改造ごとにころころ変わるから、三億円の出資位すぐ取り返せるのかも。自民党政治の闇は深い、と当時つくづく感じたものだ。

 本題の三木睦子さんに戻る。二〇〇〇年、村山富市元首相を会長とする「日朝国交促進国民協議会」が発足すると、副会長に就く。日本の社会が「北朝鮮叩き」一色に染まっても右ならいせず、ぶれず、怯まず、信念を貫き通す。‘〇四年、護憲派の作家や学者ら九人から成る「九条の会」呼びかけ人へ名を連ねる。加藤周一・鶴見俊輔・大江健三郎らの面々の中で、自民党政権の元首相夫人という彼女の存在は一際異彩を放った。

 夫・武夫は先の大戦に際し対米戦争反対を唱え、翼賛非推薦で衆院当選を果たす。心を許し合う非推薦の盟友に山口県選出の安倍寛がいた。晩年の彼女は、講演会でこう話した。
――安倍さんは、特高の目をかいくぐり、深夜に我が家を訪れたことがあります。おにぎりを結んでもてなした覚えは忘れられない。晋三さんも母方の祖父(岸信介)にばかり私淑せず、父方の方も少しは見習ったらと思います。
 全く同感。彼女は‘一二年に九十五歳で亡くなったが、物怖じしない「肝っ玉母さん」にはまだまだ長生きしてもらい、もっと直言を重ねてほしかった。
         
2018.10.30  大変革進行中の中国みたまま(1)
     ―スマホ利用の爆発的広がり―

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 中国を9日間、中国通の友人と旅行し、変わりつつある現代中国を見、中国の友人たちと語り合ってきた。昨年の武漢、湖南省旅行に次ぐ中国旅行で、中国社会がスマホをはじめITの利用の飛躍的な拡大で大きく変化しつつあることを、改めて衝撃的に感じた。
 今回行ったのは、上海、北京、東北部の長春、瀋陽の4都市。上海―北京、長春-瀋陽は高速鉄道、北京―長春は空路で移動した。各地で同行友人の仕事・研究上の親しい中国人たち、日本に留学し同行友人が何かと支援してきた学生たち、そして私のゼミ,大学院にいた中国東部の朝鮮族自治州出身の女性に案内をしてもらい、話し合うことができた。
 最近は日本の空港でも実施されるようになったが、空港の入国審査で、顔写真を撮られパスポートの個人データが、国内の空港、鉄道、銀行などで利用されるようになった。空港でも街の至る所にある銀行の無人窓口で口座を作れば、外国人でもスマホで金額にかかわらず、大口でも少額でも支払いができる。預金の範囲内ならば、街頭の小さな店でも使える。使えないのは露天商ぐらいではないか。数時間後には、スマホに使用金額と口座残高のデータが送られてくる。もちろん現金でも支払いはできるが、スマホ支払いの方がだいぶ多いと見受けた。
 中国総人口は14億人を超えている。40歳以下のネット・SNSユーザーだけで、5億人を超えているというが、買い物の支払い程度のスマホ利用者は、もっと多いのではないか。どんどん路線が延長されている空路も鉄道もほとんど予約はスマホで簡単にすませ、予約番号と身分証やパスポートを窓口に出せば買える。空路も鉄道も満員になる路線が多いから、いきなり窓口で買おうとしても買えないことが多々あるという。
 外国人旅行者にとって一番困るのは、とくに大都市では、流しのタクシーがいないことだ。スマホでタクシーを呼べば、所属会社にかかわらず、近くの空車が応答し、近い車を選ベばやってくる。スマホ上の地図を見ながら、あと何分で来るかが分かる。
 このように一般庶民までスマホを利用でき、さらに利用者が増え続けるのは、スマホ本体と通信料金が極めて安いからだ。
 スマホの本体は1万2千円ぐらいから買え、通信料金も日本の3分1以下のようだ。同行した友人も、新しい中国製スマホを1万2千円ほどで買い、月額最低料金は千円ぐらいで電話と中国版LINEのWechatを使いまくっていた。大手3社はじめ日本の通信会社はスマホ本体と電波使用料は高すぎ暴利すぎるとおもう。
 わたしは、周恩来首相、毛沢東主席の死後、改革開放が始まった1978年に軍事問題研究者のグループで訪中して以来、たびたび中国を訪問する機会に恵まれた。昨年秋8年ぶりに訪中し、中部の武漢と湖南省を旅行した。その印象を本ブログにも報告、その中で中国社会の大きな変化の兆候について書いた。今回はその変化が確実に進んでいることを上海と北京、そして日本が支配した旧満州(中国は偽満州帝国と呼ぶ)の長春(旧瀋陽)、瀋陽(旧奉天)で再確認した。
 昨秋も今回も、歩き回ったどこでも感じたことは、まちがきれいになったことだ、かつてのように、ごみが街頭に散らばっていることはなかった。ゴミ一つない、などというと、そんなはずはない、どこを見ているのか、と反中派は信じないだろうが、事実、道路にゴミがなく、樹木が手入れされ、花が多く、政府や共産党の宣伝文句を書いた紙が減り、スローガンは決められた掲示板などの場所に整理され、街歩きの気分の邪魔にならない。北京、上海に行く機会があれば、ぜひ街を歩き回ってほしい。この変化は何を意味するのだろう。(続く)