2017.11.14 ロシア革命100年から何を学ぶのか(2)
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

忘れ去られる「パラダイム転換」
 今、ハンガリーのみならず、チェコでもポーランドでも、民族主義的な政策を掲げる政党が政府を構成している。政治家のみならず、ほとんどの経済学者も、もう体制転換がどのようなパラダイム転換を課題にしていたのかについて語ることはなく、目先の経済的利益に右往左往しているだけだ。それは、旧体制の経済社会の解明に真摯に向き合っていないことの結果でもある。
 国際社会が目まぐるしく変化するので、過去の事象は次第に後景に追いやられ、政治家も学者も新しい事象を解釈し、理解することに精一杯になっている。その結果、いつの間にか、ハンガリーでは再び中央集権的配分システムにもとづく経済システムが構築されている。市場経済がいまだ初期的発展状態にあるにもかかわらず、所得税15%、社会保障負担18.5%、消費税率27%でGDPの半分を国庫に経由させ、政治家が容易に国家財政を采配できる経済システムが構築され、それが消費財市場と自営業者の発展を阻害している。2016年からは、「脱税を阻止し、市場の暴走を止めるため」と称して、税務署に直結したPOSレジの設置を小売り事業者に強制し、小売業の売り上げ監視を強めた。これでは旧社会主義のカーダール体制と変わりがない。
 また、社会主義体制時代には「贈収賄」という観念自体が存在しなかった。共産党組織そのものがインサイダー組織で、その中では「何でもあり」の世界だった。市場経済が発展していないハンガリーでは市場経済倫理が育つ余地がなく、依然として「贈収賄」という社会的規範も確立されていない。旧社会主義国家ではどこも似たり寄ったりの状態である。だから、政治家はかなりの程度、自由に公金に手を突っ込んでも、恥じることはない。何のことはない新時代を唱えて政権に就いた若い政治家たちが、GDPの過半を政府に経由させ、そこからインサイダー情報を使って私財をため込んでいる。
 ルーマニアのチェウシェスクと違って、子供がいなかったカーダールは公金を使って子供に贅沢させる必要はなく、質素な生活を送っていたが、今の若い政治家は役得とばかりに、国民から最大限に集めた税金を、各種補助金や随意契約を通して、近親者や友人実業家に流し、私財をため込んでいる。これではカーダール社会主義体制時代より質が悪い。
 有権者の絶対数で25%の支持を得ているハンガリーの現政権は、4割程度の得票率で3分の2の議席を確保している。日本と同じ構図である。この権力を死守するために、民族主義的なスローガンを掲げ、25%の有権者の支持をつなぎとめている。こういう政治がハンガリーだけでなく、中・東欧全体に広がっている。日米両政府を含め、ポピュリズムが世界の政治を支配している。そのなかで、中・東欧世界はソ連型社会主義からの転換を目指したはずなのに、再び同類のシステムに回帰している。明らかに、経済システムのパラダイム転換が、政治家のみならず、経済学者たちにも理解されていないことの証左である。
 ロシア革命から100年を経た現在もなお、いまだ20世紀社会主義の崩壊から学ぶべきことは多い。
2017.11.14 自公政権「圧勝」の先にあるもの
         
小川 洋 (大学非常勤講師)

 「若い根っこの会」という組織をご存知だろうか。1959年に発足して最盛期には3万人以上の会員を抱えて活発に活動をしていた。しかし現在では高齢者の間でも、「そう言えば」程度でしか記憶されていない。50年代後半から60年代にかけての時期、集団就職などで単身、大都市に出てきた若年層を積極的に組織したのが、若い根っこの会と創価学会だった。

 若い根っこの会は日曜日のピクニック開催など、会員の交流機会を作る活動を中心としていた。対象の世代が結婚するなどして離れていき、現在は埼玉県の川越市に小さな本部が残っているだけである。一方の創価学会は、同じ層を対象に生活上の要求を実現するために政治に進出した。55年には首都圏の地方選挙で公明党として政界進出を果たした。以後、創価学会は公明党を通じて、不安定な職場、劣悪な居住環境など、大都市で恵まれない境遇に置かれていた若年層に交流の場を提供するとともに福利向上のため、行政への働きかけを行っていく。この点で、民主青年同盟(日本共産党)と競合する性格ももった。今でも公明党と日本共産党が不俱戴天の仇の関係にあるひとつの理由である。もっとも若年層の組織化という点では、支持者を動員の対象としてしか見なかった共産党は伸び悩んだ。

 創価学会が池田大作氏のもとで政治活動をいっそう積極的に展開するようになると、信者たちの選挙運動への関わりは熱を帯びるようになる。戦前・戦後を通じて選挙権の行使にもっとも手ごたえを感じる人々だったであろう。69年の都議選では投票所で会員が職員に暴行をはたらく事件を起こしている。創価学会は、自民党議員の後援会や労働組合と並ぶ選挙マシーンとなった。

 筆者は70年代から30年ほど、大都市圏近郊の複数の公立高校教員として働いた。生徒の家庭の宗教・宗派を知る機会は少なかったが、多少の例外があった。そのひとつが創価学会だった。進学校では、担任が個別に生徒の進学希望の内容を聞く。その際に生徒の口から創価大学の名前が出てくることがあった。互いに多少、気まずい雰囲気となり会話はそこで終わってしまう。また放課後、部活動に参加せずに急いで帰宅する生徒の中には、保護者が創価学会の熱心な活動家で、夕方からの信者組織の会合などに子どもを頻繁に同道さていたケースもあった。創価学会は現在でも信者数を個人ではなく世帯数で示している。教義上の理由もあるようだが、信者の多くが組織的な政治活動を通じ、社会の下層から家族単位で這い上がってきた事情を反映している。

 自民党と公明党の両者に共通する強みは、ともに支持者の要望に応えて日常的に行政へ働きかけをすることである。自民党は後援会を通じて、国政から支援者の個人的な世話までする。公明党は初めのうちは公営住宅への入居など、生活に密着した家族単位の要望の実現に働いたと言われるが、現在では企業経営者となっている会員もいるから、自民党と似た構造となっていると思われる。公明党の「平和の党」や「福祉の党」という看板も、行政への働きかけと選挙運動が政治活動のほとんど唯一の実態と化す過程で、すっかり色褪せた。

 90年代以降、自民党は何回か政権から転落し、その度に官僚たちから冷たく扱われた。公明党は長い経験から、行政への効果的な働きかけには与党でいる必要を学んだ。両者は99年に国政レベルで連立政権を組んだ。地方によってはそれぞれの支持者が対立関係にある場合も多かったはずだが、民主党政権下の3年間も連携は崩れなかった。それほどまでに一体化したということであろう。
 自民党と公明党は選挙区の区割りを厳密に行い、かつ創価学会の会員が集票行動の手足となって、両党による国政や地方議会での支配を維持してきた。自公協力後の05年、公明党の総選挙比例区の総獲得票数は898万に達し、以前の500万票あまりから、400万票近くが上積みされた。公明党は多くの議員を国会に送るようになり、自民党も小選挙区での当選を確実なものにできるようになったのである。

 今回の総選挙結果も与党の圧勝であったはずだが、関係者たちは、いまひとつ浮かない表情をしている。いくつかの不安材料が表面化してきたのだ。第一に、公明党の比例区得票数が698万票にとどまり数名の落選者も出したことである。わずか10年余りで、公明党は選挙協力で積み上げた票をほぼ半減させた。創価学会員たちの熱心な選挙運動と投票行動から考えれば深刻な数字のはずである。

 第二に今回、公明党が候補を立てた小選挙区では無効票が10%前後に達するという異例な事態が生じたことである。全国平均は3.31%である。創価学会員は投票所に行くことを強く求められるが、共謀罪法案や安保法制などへの公明党の姿勢に不満を抱く会員が増えているとする情報を考えると、一定数の会員が無言の抵抗として、投票所には行くが無効票を投じたと考えられる。野党が統一候補を立てていれば逆転につながった可能性もある。

 ここから見えるのは、支持者たちの高齢化が確実に両政党の体力を蝕み始めていることである。例えば私が教師として関わった生徒の保護者たちの創価学会員は、すでに60代後半から70代である。彼らの子どもたちの多くは、それなりの学歴を得て、自力で生活するようになり、創価学会の政治力に依存する必要性は低くなっている。また高齢者ほど、公明党に求めるのは生活権の保障であり、治安法制のような法案成立に協力する公明党の動きには強い違和感をもつだろう。また、自民党の後援会も、地方では少子化によって後継者難も深刻化し、活動が低調になりつつあり、選挙運動でも創価学会の力を借りざるをえない。自公協力による集票力には明らかに陰りが見えつつある。

 つまり二つの組織は、極端な言い方をすれば老々介護に近い状態の協力関係になりつつあり、長い目で見れば共倒れに向かって進んでいるようにみえる。投票率が5割程度に低迷していることによって、かろうじて選挙に「勝利」しているに過ぎないとも言える。

 行政への影響力を最大の強みとして支持者に支えられてきた自公政権が続いた結果、とくにこの数年間の安倍政権のもとで、彼のパーソナリティも手伝って、国政の私物化が進められた。政治の質はひたすら低下してきた。安倍首相と特別な関係にあった森友学園、加計学園に、前例のない行政上の便宜が図られたのは象徴的な事件であった。しかし、それらの問題が表面化しても、政権批判の投票行動が拡大するどころか、政治的組織に関わりの少ない国民は、ますます投票所に足を運ばなくなってしまった。

 労働組合は連合成立以降、また農協もTPP問題などで自民党の攻撃を受け、以前ほどの集票力は期待できなくなっている。さらに高齢化という点では、組織の強みを生かして選挙に取り組んできた日本共産党にも同じことはいえるのである。

 政党の基盤が脆弱化していくのと反比例して、組織力を発揮するようになるのは官僚組織であろう。昭和恐慌による社会混乱は、官僚組織と結びついた軍部の冒険的な対外軍事行動の拡大による国家の破滅という結末に行きついた。安倍政権にはすでに、それを繰り返す徴候を見てとることができる。
 安保法制は外務官僚と防衛官僚、共謀罪法案は警察官僚によって、それぞれ用意された。いずれも日本の国際的立場や国民生活を脅かす可能性の高い法案である。そして審議の過程では、首相をはじめ関係閣僚ともにまともな説明能力がないことも明らかになっている。今回の自公政権の圧勝の裏側をこのように見てくれば、我が国の政治状況は容易ならざる段階に至っていると考えざるをえないのである。
2017.11.13 ロシア革命100年から何を学ぶのか
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 ロシア革命から100年の時間が経過した。ソ連社会主義はおよそ70年、中・東欧の社会主義はおよそ40年時間を経て自己崩壊した。20世紀におけるロシアと中・東欧の社会主義実験から何を学ぶことができるのか、それとも学ぶことは何もないのか。20世紀から21世紀に生きる者にとって、この100年あるいは40年の歴史をどう理解するかは、ないがしろにできない課題である。
 しかしながら、日本のみならず、ヨーロッパ諸国でも、社会主義社会・経済を研究してきた学者や政党政治家が、体制転換からの四半世紀の間、この課題に真摯に取り組んできたとは到底思われない。学者の多くは体制崩壊以後の新しい社会現象の分析に精をだしても、なぜ20世紀社会主義が崩壊したのか、そこからどのような理論的結論が得られるのかという営為に真摯に取り組むことはなかった。政治家もまた同様に、何十年にもわたって賞賛してきた社会主義国家が崩壊したことに真正面から向き合うのではなく、「あれは本当の社会主義ではなかったから崩壊するのは当然」と「知ったかぶり」で済ませようとしている。このような姿勢や態度は浅薄極まりない。
 日本においても、学者個人や学会が、総力を挙げて、ソ連や中・東欧における社会主義社会崩壊の分析に取り組んできたとは思われない。学者がこの体たらくなら、政治政党はもっと浅薄な総括で事を済ませている。「ロシアと中・東欧社会主義の崩壊は社会主義の失敗ではなく、覇権主義と官僚主義の失敗だった」というような一片の政治的言明で、20世紀社会主義の分析を終わらせようとしている。このような安直な態度からは、歴史の総括のみならず、現代社会分析や将来社会のあり方について、説得力のある議論を期待することなど不可能である。

社会主義体制崩壊の最大の教訓は何か
 20世紀社会主義崩壊の最大の原因は、資本主義に代わる計画経済システムを構築できなかったことに尽きる。ロシア革命直後には、国民経済計画策定のための手段や方法が探求されたが、その実現の不可能性から、経済計画は早々と共産党政治局による集権的管理・配分、事実上の戦時的配給制度に堕してしまった。この視点から、私は20世紀社会主義を、「封建時代から資本主義時代への歴史的転換において一時的に出現し短命(失敗)に終わった社会主義実験で、戦時社会主義を超えるものではなかった」と総括した(拙著『ポスト社会主義の政治経済学』日本評論社、2010年)。
 20世紀の共産党独裁体制はいわば啓蒙君主制の労働者階級版を超えるものではなく、その意味で歴史時代に制約された社会体制であった。ソ連型社会主義は20世紀に現れた啓蒙独裁政治体制であり、国民経済計画の不可能性によって、その経済システムは共産党の恣意的な政治指導対象物に転化した。経済の政治的指令を貫徹させるために、個人事業者を抑圧し、市場経済を一掃した。こうして個別経済主体の活動能力を抑え込んだ結果、社会主義経済は定常経済に陥ったが、対西側との鎖国政策は国民が経済停滞状況を感じ取ることを妨げた。しかし、社会主義体制が崩壊し、それぞれの国民経済が世界に向かって開かれた時に、旧社会主義国家は埋めることができない西側との経済発展格差に直面し、社会主義工業企業は体制転換恐慌に陥り、工業部門の全般的崩壊という危機に陥ったのである。
 人類の経済社会は「交換」をベースにする市場システムをベースにしない限り、持続可能な経済システムを持ちえない。しかも、「交換」は経済主体の平等を前提とする。つまり、give and takeという原理は「交換」における主体の同等性を前提している。これにたいし、中央集権的な「配分」は容易に、give, but obeyという支配-従属の原理に転化する。「交換」をベースにする経済システムは平等・公正の社会的規範を発展させるのにたいし、「配分」をベースとする経済システムは与える者と与えられる者との支配従属関係を生み出し易い。
 市場的交換システムを全面否定した20世紀社会主義は、国民経済を発展させる基盤を失った。「市場は悪」というイデオロギー的な断罪が、国民経済の発展を阻害し、20世紀社会主義の自己崩壊を帰結したのである。

社会発展の契機で見た二つの基底的経済行為の特性比較

社会的・経済的モーメント

基底的経済行為

交  換

配  分

1.コミュニケーション

情報的・双務的

物理的・片務的

2.制度化

自己組織化された市場制度

官僚制度

3.人間関係

非人格化-文明化

人格依存-非文明化

4.組織化

開放性と透明性

閉鎖性と秘密性

5.社会的行動

自立と個人責任

権威への依存

6.複雑性

継続的に増大

単純化への退化

7.自己発展

自生的・継続的

劣化的・自己破滅的

 出所:拙著『ポスト社会主義の政治経済学』7頁(日本評論社、2010年)

西欧の社会民主主義
 20世紀社会主義は何もロシアと中・東欧世界だけの話ではない。ロシア革命の影響は直接間接に、西欧社会に社会保障制度を充実させる圧力となり、西欧ではソ連型社会主義とは異なる社会民主主義国家の建設が急がれた。そこでは市場経済をベースに、社会保障制度を構築することが追求された。
 市場経済の発展に裏付けられた福祉国家は、ソ連型社会主義国家よりはるかに高水準の社会保障制度を構築することができた。西欧社会を構成する諸国は単純に資本主義国家と規定できない。そもそも社会主義か資本主義かという問題の立て方は、戦争か平和という問題設定とほとんど同義であり、政治的な問いかけである。現実世界はもっと複雑であり、西欧福祉国家は市場経済をベースにしつつ、巨大企業の社会的制御を強め、社会保障制度の充実を図って、ソ連型社会主義よりはるかに高度な福祉国家が建設することができたのである。
 このことは、医療制度や年金制度を比較すれば一目瞭然である。旧社会主義国は体制転換から30年近くを経ても、いまだに旧体制の医師主権の権威主義的システムから脱皮することができず、医療サービスの質はきわめて低い。年金額も西側に比べて、きわめて低い。市場経済の発展を抑圧してきた数十年の歴史は、いまだに旧社会主義国家に負の影響を与え続けている。
 社会主義的政策を掲げてきた西欧型福祉国家社会とソ連型社会主義社会を比較すれば、その本質的な違いは明瞭である。だから、体制転換を契機に、西欧諸国の共産党が20世紀社会主義から決別して政党名称を変更したのは必然的な帰結である。世界を見渡しても共産党の名称が残存しているのは、社会的後進性をもつアジア世界だけという事実はたいへん興味深い。権力にある共産党は自らの専制的支配を正当化するために「社会主義・共産主義」のスローガンを利用し、権力にない共産党は地上に存在することのない桃源郷を目標に「社会主義・共産主義」の旗を降ろさない。前者が自らの支配を合理化するための社会主義イデオロギーの便宜的利用だとすれば、後者は20世紀社会主義の現実の営みから目を背け、19世紀のイデオロギーにしがみつく空虚で空想的な社会主義への回帰である。

ロシア革命100年から何を学ぶのか
出所:Eurostat (online data code: gov_10a_main) 2017年4月24日
図 EU諸国の対GDPで見た財政支出と歳入

 ソ連や中・東欧諸国の社会主義は、国家の再分配率が高くても、基礎となる経済発展水準が低いために、高い水準の社会保障サービスを提供することができなかった。そのため、労働者の不満を抑えるべく、有給休暇だけは、西側諸国を上回る制度を構築してきた。体制転換後も、西側並みか、それ以上の休暇制度だけは何の変更もなく存続しており、就業年数とは無関係に、自然年齢による有給休暇が取得できる。ハンガリーの場合、年休は年20日から始まり、40歳半ばには30日で上限を迎える。このほかに、病欠が年15日認められるので、これをすべて消化すると、50歳になる前に、年45日、実に9週間の休暇の取得が可能になる。
 この休暇制度は体制転換後の経済発展を阻害する要因になっている。社会主義時代は休暇の自由時間だけを享受する、まさに貧困を分け合う共産主義(コルナイは、これを「未熟児として生まれた福祉国家」と称している)だったが、体制転換後は「EU共産主義」にジャンプしたかのように、40歳代半ばで9週間の休暇を得る「早期年金生活国家」を維持している。何のことはない、旧体制時代と本質的に変わっていない。市場経済の発展にもとづく高いレベルの福祉国家を目指すのではなく、市場経済の発展に裏付けられることのない低いレベルの福祉国家を維持するという点で、旧体制が抱えていた問題をそのまま引き継いでいる。
 
2017.11.12  「本日休載」

今日11月12日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会

2017.11.11 場合とは何か
「~した場合」は、if で表現するのが普通だが、case でも表現できる

松野町夫 (翻訳家)

場合とは何か。場合は、場に合うと書く。「場に合う」は、「その場に出合った時」というのが原義だ。出会うには、少なくとも2つの物事が必要で、「場合」は両者を関連付ける役割がある。たとえば、「雨が降った場合、試合は中止します」では、「(試合の場に)雨が降る」と「試合を中止する」という2つの出来事が「場合」で関連付けられている。

「場」は元来、場所(空間)を表し、「場合」は元来、とき(時間)を表す。カントの言うように、人間は時間と空間という枠組みのなかでしか、物事を認識できないものだとすれば、「場」と「場合」は人間の認識の根幹に係わる重要な語といえる。

ウィクショナリーによると、「場合」は、和語の「ばあい」を漢字表記したもので、ベトナム語や中国語にも同じ意味で定着しているという。実際、エキサイト翻訳で「場合」を中国語(繁体字)に翻訳すると、「情況」と表示される。ちなみに、「場合」を英語に翻訳すると、Case と表示される。つまりこの機械翻訳システムでは、場合=情況、Case ということになる。

場の関連語には、場所、場面、場合、場数(ばかず)、場末(ばすえ)、場違い、場馴れなどがあるが、このうち、「場合」だけは私にとって、昔から気になる用語であった。意味や用法は一応理解しているのに、それでもどこか漠然としたところが残る。このわかりにくさは、ひとつには漢字に由来するのかもしれない。本来、「場」は物事の行われる場所を表し、「場合」は物事の行われるその時(時間)を表す。「場」は場所なのでわかりやすいが、「場合」はどこにも時を示す漢字がない。

「場合」が難解なもうひとつの要因は、意味が複数あることである。国語辞典では、「場合」を「とき」「事情」のふたつの意味に分けるのが一般的だ。ただし、事情は「事の次第」、つまり物事の状態や、そうなった理由、原因、来歴を表し、現状、状況、情況、境遇、局面、事態、実情、真相などを含む。

ば-あい【場合】
(1) あることが起こったとき。おり。とき。occasion; case <用例>雨の~中止。
(2) 事情。事態。circumstances <用例>時と~によっては行く。万一の~。
【日本語大辞典第二版】

ば‐あい【場合】‥アヒ
(1) その場に出合った時。時。おり。時機。「事故の―には」
(2) 局面。境遇。事情。「―によっては」「時と―による」
【広辞苑第四版】

しかし、研究社和英(第5版)中辞典では、「場合」を「事例」「時」「事情」の、みっつに分ける。

ばあい【場合】
(1) 事例 a case
(2) 時 an occasion; a time; a moment
(3) 事情 a situation; circumstances

ジーニアス英和(第5版)辞典では case を次のように定義する(要点のみを抜粋した)。
ちなみに case は基本的に可算名詞である。

case [kéis]
(1) 場合 in this case この場合は
(2) 例 a classic [typical] case 典型的な例
(3) 真相 That is not the case. それは真相ではない。
(4) 事件 a murder case 殺人事件
(5) 訴訟 win (lose) a case. 勝訴(敗訴)する。
(6) 主張 have a good case for ~に対するもっともな言い分がある。
(7) 症例・患者 an emergency case 急患
(8) 対象者 a welfare case 生活保護受給者
(9)〘文法〙格 the possessive case 所有格

「case」と「場合」を比較すると、case は9つの意味があり、そのうち最初の3つが「場合」の意味と一致するが、残りの6つは一致しない。仮に「case」を大きな円で表すと、「場合」は小さな円で、「case」という大円にすっぽり納まっているようなイメージだ。これを和文英訳という観点から表現すると、「場合」は「case」ですべて表現できることを意味する。少なくとも理論的には。ただし、現実の翻訳の現場では、「場合」を常に case で表すわけではなく、自然な英文を得るために、別の単語を使用することも、あるいは「場合」を訳出しない(削除する)ことも多い。

「~した場合」は、if で表現するのが普通だが、case でも表現できる。

雨が降った場合、試合は中止します。
If it rains, the game will be canceled.
= In case of rain, the game will be canceled.
= In case it rains, the game will be canceled.(米語)

in case には2つの異なる用法(意味)がある。 if に置換できるかどうかが判別の決め手となる。

1. Take an umbrella in case it rains. 雨が降るといけないから傘をお持ちなさい。
= Take an umbrella because it is possible to rain.

2. In case it rains, the game will be canceled. 雨が降った場合、試合は中止します。
= If it rains, the game will be canceled.

1. の in case は if に置き換えることはできない。if に置き換えると意味が変わってしまうから。
”Take an umbrella if it rains.” は、「雨が降れば傘を持っていきなさい」(=雨が降らなければ傘は必要はありません)という意味だが、”Take an umbrella in case it rains.” は、「雨が降る可能性があるので、(雨の降る降らないに係わらず)傘を持っていきなさい」という意味。

2. の in case は if に置き換えることができる。 in case = if。 if に置き換えても意味は変わらない。ただしこの用法は、主に米国式である。

「~する場合があります」は、In some cases, ... ; または There are some cases in which ... と翻訳することもあるが、以下のような例(be subject to)では case を使用しないほうがよい。

定期便(フライト)は霧のために遅れる場合があります。
Flights are subject to delay because of the fog.
仕様は、予告なしに変更される場合があります。
Specifications are subject to change without notice.
価格はすべて予告なしに変更される場合があります。
All prices are subject to change without prior notice.
2017.11.10 NHKの「クローズアップ現代+」に「香害」被害者たちが憤っています
        シリーズ「香害」 第3回
                      
岡田幹治 (フリーライター)

10月25日に放送されたNHK「クローズアップ現代+(プラス)」の「気にしすぎ!? 相次ぐにおいトラブル」に対し、「香害」被害者たち(香りつき商品の成分で様々な健康被害を受けた人たち)から「ひどい内容だ。番組のせいで私たちはさらに肩身が狭くなり、健康被害を受けても我慢を強いられてしまう」など、憤りの声が上がっています。
なぜなのでしょうか。番組にはどんな問題があるのでしょうか。

◆体臭に過敏になった日本社会
25分間の番組は次のような内容でした。
まず、日本人が最近、体臭に過敏になっており、それを覆い隠すために消臭スプレーの噴霧などが日常的に行われている、異常とも思える実態を、いくつかのエピソードで伝えます。
そして、坂井信之・東北大学脳科学センター教授が、においを嗅いで心地よくなるか不快になるかは、におい発生源の見た目や人間関係などによって左右されることを明らかにします。体臭を気にして専門クリニックを訪れる人が増えているが、その7割は体臭がとくに強いわけではないとも指摘されます。
続いて番組は、ニオイ対策用の香りつき商品(消臭スプレーや柔軟剤)をめぐる様々なトラブルに焦点を移し、その一つとして、商品に含まれている化学物質がもたらす体調不良を取り上げます。
香りつき商品が原因で「化学物質過敏症(MCS)」になった女性が登場し、ここ数年で症状が悪化し、ニオイを嗅ぐとめまいがしてずっと寝ているようになって、今年6月に10年務めた仕事を辞めざるを得なかったと訴えます。
番組のまとめ部分では、坂井教授とともに、坂部貢・東海大学医学部教授(医師)が出演し、「MCS患者の約8割はニオイにも過敏に反応するが、空気中の化学物質は無数にあるので、なぜ症状が出るのかというメカニズムは分かっていないところが多い。環境省と厚生労働省が研究班などをつくって研究しているが、問題が複雑で、アウトカム(成果)まで達していない」と述べます。
どう対応したらよいか、というキャスターの問いに対し、坂部教授は「ニオイに対して感受性が高くて症状が出る方もいることにわれわれは配慮すること、そしてメーカーは消費者に注意を喚起することが必要」と述べ、坂井教授は「体臭に寛容になるためには、人間関係も寛容になる必要がある」と述べます。

◆まるで消臭スプレーのCMこの番組の第一の問題点は、消臭スプレーなどを販売する業界の立場に立っていることです。
たとえば、人々の意識や行動を探るためのアンケートです。番組は、化粧品会社マンダムが実施した「職場のニオイに関する意識調査2017②」を取り上げ、「職場で『嫌だ』と感じるニオイ」は1位が体臭、2位が口臭、3位がタバコのニオイだとしています(注1)。
しかし、別のアンケートもあります。シャボン玉石けんのアンケートでは、回答者の8割が「香りつき商品を日常的に使用」しており、79%が「他人のニオイ(香水・柔軟剤・シャンプーなど)で不快に感じたことがあり」、51%が「人工的な香りを嗅いで、頭痛・めまい・吐き気などの体調不良になったことがある」と回答しているのですが(注2)、こちらは取り上げられませんでした。
最近の体臭過敏の風潮には、テレビCMなどを通じた業界のあおりによってつくられた面がありますが、それは報じられません。
ニオイ対策にしても、体は入浴やシャワーで清潔にする、衣類は洗濯し、スーツ類は風に当てるといった、当たり前の方法は全く示されません。消臭スプレーや汗拭きシートの使用しか方法はないかのようです。
番組には消臭スプレーを体に噴霧する場面が何度も登場し、まるで「体臭を気にする人は消臭スプレーを使いましょう」というCMを見ているようです(注3)。残念なことに、スプレーが有害な成分を周りにまき散らし、周辺の空気質を悪化させていることは語られません。

◆香害被害者の悲鳴や怒り
番組の最大の問題点は、「ニオイの感じ方という快・不快の問題」と「香り商品に含まれる成分がもたらす健康被害の問題」が、きちんと区別されずに議論されていることです。
これらは「香り(ニオイ)に関する認知・心理的な問題」と「香りつき商品の成分がもたらす身体的生理的影響の問題」であり、両者は全く異なるものです。ところが、番組のまとめの場面では二人の識者がそれぞれ自説を述べるので、よほど注意深く聴かないと正確に理解できない。
なにより結びが問題です。坂井教授が「体臭に寛容になるためには、人間関係も寛容になる必要がある」と述べたのを受けて、キャスターが「なかなか難しい問題ですが、互いに配慮しあうことから始めるしかなさそうです」と締めくくるため、香害の被害者は「精神的に軟弱で、寛容度が低い人間」であるように受け取られてしまいます(注4)。
被害者たちから悲鳴や怒りが噴出するのは当然でしょう――。
「体調を崩しても、体臭予防の香りには寛容になれ、と周囲から言われかねない」、「人間関係が悪い人物と認識される可能性があるので、病名を打ち明けにくくなる」、「体調が悪化しても我慢を強いられ、社会復帰が遠ざかる」「香り商品の影響で喘息などが起きても『気のせいだ』と言われるのであれば、どう生きていけばいいのか」などなど。
「香害被害者たちは愚弄された」という声も聞かれました。

◆使用量の問題ではない!
番組では、以下のような日本石鹸洗剤工業会の見解が示されました。
「香りに関する問題について、因果関係は不明ですが、困っている人のいることを真摯にとらえ、対応をはかっています。実態調査の結果、2割の人が2倍の量の柔軟剤を使っていることがわかったので、目安通りの使用と周囲への配慮を呼びかけています」
この見解は番組での坂部教授の発言内容とほぼ同じです(注5)。坂部教授は環境省の「環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究」の総括研究者や、厚生労働省の「シックハウス問題に関する検討会」の中心的メンバーを長らく務めていますから、政府の考えでもあるのでしょう。
この見解は重大な問題を含んでいます。一つは、香り商品は目安通りに使用したからといって無害になるわけではないのに、目安通りに使用すれば健康に悪影響はないという誤解を与えることです。
もう一つの問題は、現段階で政府や業界が対策を取らないのは当然だという認識が広がることです。多数の被害者が出ている以上、メカニズムや因果関係が明確でなくとも、最新の知見に基づいて、被害を広げないように政府・業界は手を打つべきだと私は考えます。
水俣病をはじめとする過去の公害事件では、被害者が多数出て、その原因が絞られてくると、決まって「因果関係がはっきりしない」と国・業界・御用学者が言い出し、有効な対策が実行されませんでした。因果関係が明らかになって対策が取られるときには、被害の規模が途方もなく膨らんでいるのが常でした。
一種の「公害」になった「香害」についてもまた、同じ道を歩みつつあることが、工業会の見解や坂部教授の発言からうかがえます。
今回のクローズアップ現代+は、そうした動きを後押しする番組だったと思います。

注1 マンダムの意識調査は今年5月、東京・大阪の25~49歳の働く男女1028人を対象にインターネットで実施された。
注2 シャボン玉石けんのアンケートは今年7月、20~50歳代の男女598人を対象にインターネットで実施された。
注3 NHKでは10月18日放送のガッテン「なぜ出るホコリ! 原因はソコだった!?」でも、柔軟剤をしみ込ませた「除電ぞうきん」で床・壁・棚などを拭く方法を推奨している。
注4 番組には気になる場面が数多くあった。たとえば、埼玉県熊谷市が市役所の入り口にミントの香りを漂わせる機器を設置したところ、香りが苦手という意見が相次ぎ、撤去を余儀なくされたが、担当職員は「よかれと思ってやったのに、不快に思われた方がいたことは大変残念」と述べていた。なぜ香りはすべての人に心地よいと判断したのだろうか。
あるいは、体臭を気にして頻繁にスプレーする夫と止めてほしい妻の間でケンカが続く夫婦。夫が帰宅すると、妻が「舌がしびれる」ほど健康に影響が出ているのに、なぜ夫は使用を止めないのだろうか。
注5 坂部教授は番組で「メカニズムが明らかでない」ことを強調していた。このため一部の香害被害者からは「味方と思っていたMCSの専門医に、後ろから撃たれた思いだ」との声が出た。

◆岡田の11月の講演予定
▽香害~そのニオイが体をむしばむ?!
  11月21日(火)午後6時30分~8時30分
  札幌エルプラザ 大研修室4F(札幌市北区北8条西3丁目)
  問い合わせ:生活クラブ・多田(011-665-1717)
▽香害~そのニオイが体をむしばむ?!
  11月22日(水)午前10時~12時
  札幌市教育文化会館 講堂4F(札幌市中央区北1条西13丁目)
  問い合わせ:生活クラブ・多田(011-665-1717)
▽広がる香害~あなたは大丈夫?
  11月29日(水)午前10時30分~12時30分
  生活クラブ館(小田急線経堂駅 徒歩3分)
  問い合わせ:コミュニティスクール・まちデザイン(03-5426-5212)
2017.11.09 習近平思想とは何か
       ――八ヶ岳山麓から(240)――
             
阿部治平 (もと高校教師)

中国共産党第19回大会が終った。
習近平総書記(国家主席)は18日の報告で、「中国の特色ある社会主義は新時代に入った」と宣言し、3年後の2020年には「小康(ややゆとりのある)社会」を実現し、建国100周年を迎える2049年ごろには「社会主義現代化強国」を建設するとした。これは(アメリカ並みの)国際的影響力を有する軍事大国、中華民族の意気高く世界の中に屹立する国家を意味する。この報告では「新時代」という語彙は35もあった。また「中華民族の偉大な復興」という言葉は27回使用されたという。
習氏は、5000年以上の文明史をもつ世界の偉大な民族「中華民族」は、アヘン戦争以降、苦難に陥った、だから「中華民族」の「偉大な復興」は「偉大な夢」であり、そのために「偉大な闘争」をおこなわなければならないという。「大国崛起」は江沢民時代からいわれた言葉だが、習近平氏の統治を示す「新時代」の「復興」には新しい意味がある。

習氏は就任した時、たいした権力基盤をもたなかったが、この5年間たくみにおのれの地位を高めてきた。それは、大衆受けする貪官汚吏の腐敗摘発という手段で政界や軍の政敵とそれに連なる経済人を葬り、民主人権派の弁護士をはじめとする数百人の人々を逮捕投獄して苛烈な拷問を加え、香港にまで手を伸ばして言論弾圧をするという恐怖政治であった。
そのことによって、党大会は(習近平の名を)「『習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想』という文言で、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、『3つの代表』の重要思想、科学的発展観と同列に党の行動指針に盛り込むことを全会一致で決定した(人民ネット日本語版)」以下これを習近平思想という。
すでにこの2年ほど中国のメディアでは、「習近平同志の一連の重要講話」「(習近平同志の)治国理政の新理念新思想新戦略」がきまり文句になっていたし、一連の大会議題が習氏の2期目に向けての権力集中を加速させる内容であったから、これは誰もが予想できたことであった。
だが、1982年に廃止された「党主席制度」を復活させることはできなかった。ここにかれの力の限界がある。「中共中央主席」こそは1945年以来毛沢東が終生ゆずることのなかった、独裁政治最高の地位である。

「習近平思想」を規約に書きいれたことによって、「新時代」の思想がなんであるか、体系だったものを示す必要が当然に生れた。
習氏が傾倒する毛沢東は当代一流の中国文化人であったし、側近が代筆したものだとしても幾多の彼の著作とされるものがある。ところが習氏には伝統的教養もまとまった著作もない。鄧小平のような画期的政策転換をしたこともない。毛・鄧と並べると、誰の目にもその評価が隔絶するところは明らかである。
この思いは私ばかりではない。習近平賛歌を歌う中共中央周辺の理論家も同じらしい。だから彼らが忖度する習近平思想らしき論文がいくつも公表されている。
典型は、党大会の直前の中国社会科学院院長王偉光氏の言説である。
王偉光氏は「『普遍的価値』の反科学性と虚偽性、欺瞞性」という、1万4000字ほどの大論文の結論でこう述べた。
中国でも国家の制度として、(辛亥革命以後)欧米風の共和制などさまざまな政治制度を試したがうまくゆかなかった。現行の「中国の特色ある社会主義」が中国にもっとも適した制度であると。
習近平報告にもこれと同じ趣旨の、政治制度は特定の社会・政治条件や歴史・文化伝統から切り離して抽象的に論じられるべきではないとか、「中国の特色ある社会主義」の発展の道は、外国の政治制度を機械的にまねすべきものではないとする箇所がある。

王偉光氏は、とりわけ民主主義について以下のようにいう。
――ブルジョアジーにはブルジョアジーの民主・自由・人権観があり、プロレタリアートにはプロレタリアートの自由・民主・人権観がある。欧米には欧米の、中国には中国の自由・民主・人権がある。
――欧米諸国は、17,8世紀の欧米の市民革命を経て成立した政治形態、すなわち国民主権、基本的人権、法の支配、権力分立などを民主主義とし、これを人類一般に通用すべき普遍的価値としているが、これには反対する。あるいは人間の自由と平等を尊重する立場を普遍的価値としているのにも反対する。
――普遍的価値は資本主義的、唯心主義的、反科学的、欺瞞的な価値観である。個別的、具体的、歴史的、階級的価値観から離れ、しかも独立した存在、一切を超越した不変的価値観なるものは根本的に存在しない。これは欧米資本主義の政治に服務するイデオロギー的手段である。
――普遍的価値は欧米勢力がプロレタリアート・労働人民を主人とする民主専政の社会主義国体と、共産党の指導を転覆しようしているしろものである。
(http://mp.weixin.qq.com/s/uPWkS7ok0Az56WBIJ1qgKg)

たしかに自由・民主・人権は、ヨーロッパでブルジョアジーの成長とともに生れた観念である。
では王氏のいう、プロレタリアートの民主・自由・人権観とはどんなものか。中国の民主・自由・人権はどのように存在するか。氏はそれを「個別的、具体的、歴史的、階級的」に明らかにする義務がある。ところが、氏の論文はブルジョア民主主義を罵倒するだけで、これがまったくないのである。
ならば、わたしは王先生にうかがいたい。
中国の言論人はこの王偉光論文に公然と反対し、批判を発表し、出版することが許されるか。労働者が組合をつくるのを警察がこれを妨害することはないか。資本家と交渉したりストライキをしようとすれば逮捕、監禁、拷問されるといったことはないか。

中国の労働者の状態は、マルクスやエンゲルスが生きた時代の、あるいは戦前の日本の無権の労働者階級の状態に似ている。労働者の基本権である団結権・団体交渉権・ストライキ権など薬にしたくてもない。とくに出稼ぎ労働者においてしかり。
この現状を「中国の特色ある社会主義」として是とするかぎり、氏のいうプロレタリアートの民主・自由・人権はありえない。王氏といえども実在しないものを論じることはできないのだ。習氏も19回党大会報告で「人権」にふれたのは、統治方法を論じた部分においてだけである。

中共19回大会が毛沢東と同じ位置に習近平を並べたことは、中国の未来を象徴している。習氏の毛沢東流統治が容認されたことになるからである。毛沢東の治政は、歴代の皇帝支配と農民的平等主義、レーニン・スターリン流独裁のアマルガムであった。
党大会報告からすると、習氏の統治は毛沢東の治政から農民的平等主義を除き、それに新自由主義を接木した強権政治である。内政がこうだとすれば、国際的には、アジアインフラ投資銀行AIIBを核に「一帯一路」政策を一層拡大し、隣国には高圧的に臨むだろう。東シナ海・南シナ海、中印国境は荒れる。

「北朝鮮はおれの生きているうちに崩壊するだろうが、中共独裁はいつ危なくなるだろうか」と聞いてきた友人がいた。――そうはゆかない。
中共中央は、いや中国人の多くもいまや力は全身にみなぎっていると判断している。経済ひとつとりあげても、日本は中国を必要としているが、中国はすでに日本がなくてもやってゆけるレベルにある。その外交もすでに日本を素通りしている。北朝鮮問題でもほとんど日本を勘定に入れていない。中国外交官が日本に関して発言したのは、安倍政権が露骨な反中国外交を展開した時だけである。
日本はこの隣人と否が応でもつきあわなければならない。アメリカ一辺倒の従来体制では、どのような政治勢力が政権の座に就こうとも、意気天を衝く「中華帝国」に対応できないだろう。(2017・10・29記)

2017.11.08 若者に支持されない政党には未来がない、体質改善できない政党は生物学的法則で淘汰される
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

            
 前回、共産党の得票率低下(京都選挙区)の原因は支持者の高齢化による活動力の低下にあると書いた。なぜ、共産の支持者がかくも中高年層に偏っているのか。その理由として、民主集中制に象徴されるような共産の「組織文化」に若者たちが馴染めないからだとも書いた。街頭宣伝している人もビラ配りをしている人もそのほとんどが中高年層で、とにかく若者の姿が見えないのだ。大都市部ではともかく郡部に行くともはや機関紙の配り手がなく、郵送に切り替えているところも出てきているのだという。これは京都だけの現象ではなく、全国に共通するというのだから事態は重大だろう。未来を担う若者たちにソッポ向かれては、政党のこれからの展望が開けないからだ。

 今回の衆院選は、選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられてから初めて実施された総選挙だった。私が各紙の出口調査のなかでとりわけ注目していたのは年代別の政党支持率だ。日経新聞はこの点、選挙前から若者層の投票行動の特徴を「保守」「低投票」とズバリ指摘していた。投票当日の出口調査の結果はまさにその通りになった。

 「若年層の特徴の一つが、安倍内閣の支持率が比較的高い点だ。日経が10~11日に実施した衆院選の序盤情勢調査で、18~19歳の内閣支持率は52%と不支持率の32%を上回った。不支持率(48%)が支持率(37%)より高い全体平均とは逆の結果となり、支持率が3割台だった40歳代以上の世代と比べて『保守的』だ。(略)低投票意欲も特徴の一つ。日経調査では、今回の衆院選の投票に『行く』と答えたのは18~19歳で79%。年代別で最も低かった。明るい選挙推進協会が昨年の参院選で実施した調査によると、18~20歳代の若年層が投票を棄権した理由として最も多く挙げたのが『あまり関心がなかったから』の40.3%。『仕事があったから』などを挙げる人が多かった中高年と比べると政治への関心の低さが鮮明となった」(日経2017年10月19日)

 「出口調査で18~19歳の有権者にどの政党を支持するか聞くと、39.9%が自民党と答えた。希望の党が10.7%で続いた。(略)若年層の多くが自民を支持する傾向が浮き彫りになった。年代別に自民の支持率をみると、20代が40.6%と最高だった。次に70歳以上が40.2%と高く、18~19歳が続いた。40~60代はいずれも30%台前半だった。立憲民主は60代の17.8%が支持するなど高齢層の支持率が高かった。最も高かったのは60代。70歳以上が16.7%とそれに次いで高かった。10~30代ではいずれも10%を下回り、高齢層ほど支持を集める傾向が強かった。共産も高齢層のほうが若年層より支持率が高かった」(日経2017年10月22日電子版)

 ちなみに全年代を合わせた政党支持は、自民36.0%(18歳・19歳39.9%、以下同じ)、立憲民主14.0%(7.0%)、希望11.8%(10.7%)、公明5.4%(6.5%)、共産5.3%(3.3%)、維新3.8%(3.9%)、支持政党なし18.8%(24.1%)というもので、もはや若者の保守傾向は明白だろう(同上)。

 この傾向は、18歳選挙権を国政選挙で初めて導入した昨年の2016年参院選ですでに明らかだった。共同通信の出口調査に基づいて若者層の政党別投票先を分析した日経新聞は、この段階で若者層の保守化を次のように明確に指摘していた。
 
 「国政選挙で18~19歳が初めて投票した昨年の参院選では、18~19歳に比例代表の投票先を聞くと、自民40.0%、民進19.2%、公明10.6%、おおさか維新7.4%、共産7.2%、その他15.3%で、若年層が自民を選ぶ傾向が浮かんだ。自民への投票を年代別に見ると、20歳代43.2%、30歳代40.9%、18、19歳40.0%の順で高く、40歳代以上の各年代はいずれも4割未満だった」(日経2016年7月11日電子版)

 この状況をして「この頃の若いものは!」と言って嘆くことは簡単だ。しかし、戦後の革新運動を担ってきた中高年層の視点から、一方的に若者層を批判することは的外れだろう。長年、学生たちと接してきた私の実感から言えば、現代の若者層の感覚や感性は「限定的指向性」「選択的自発性」とも言える際立った特徴を有している。「限定的指向性」とは特定の社会事象に興味を示す傾向のことであり、「選択的自発性」とは特定の分野で自発性を発揮する傾向のことだ。

 私たちの世代が理想としてきた人間像は、「全面的に発達した社会人」だった。社会のあらゆる事象に関心を持ち、新聞を隈なく読み、政治問題や社会問題をわがことのように考え、自分の意思を集団的(組織的)に表現して社会を動かすことを使命と感じるような人物像が理想とされてきたのである。当時の学生運動のリーダーたちの姿を思い浮かべれば、そのキャラクターはほぼ想像がつく。

 昔人間と比べて、現代の若者が社会的関心や情熱を決して失っているわけではない。災害時のボランティア活動一つを取って見ても、彼・彼女らがどれほど献身的に行動するかは周知の事実だ。ともすれば見落としがちな社会的弱者や少数派の問題に対しても、若者たちのアンテナは鋭くて見逃しはしない。ただ、社会が多様化し複雑化するにつれて問題構造が巨大になり、その全容を把握することが困難になっているだけだ。若者たちは「時と場所」を得れば驚くような主体性と自発性を発揮する。問題は、現在の政党活動がこのような若者たちを引き付ける感性と魅力を失っていることだ。若者の「保守」「低投票」はその証なのである。若者たちは興味と関心があれば投票にも行くし、政治活動にも参加する。そんな機会と場所を政党が提供できていないだけなのである。

 今回の衆院選の結果を共産がどのように考えているか、まだ正式の総括は出されていない。だが、志位委員長が11月1日、特別国会開会にあたって党国会議員団総会で行った挨拶の中にはその趣旨が明確に見てとれる。以下はその一節である(赤旗2017年11月2日)。

 「市民と野党の共闘を前進させながら、いかにして日本共産党の躍進を勝ち取るか。これは、新しい努力と探求が求められる課題であります。総選挙の結果を受けての常任幹部会の声明では、二つの内容での努力と探求を呼びかけました。第一は、日本共産党の綱領、理念、歴史を丸ごと理解していただき、共産党を丸ごと支持してもらえる方を広げる活動を日常的に抜本的に強めることであります。第二は、日本共産党の自力を強めること、すなわち、党員拡大を根幹にした党勢拡大を前進させることであります」

 この挨拶は、共産を「丸ごと」受けてくれるような支持者を増やすこと、党員を拡大することに尽きている。要するに、党の体質改善には触れることなく今まで通りの方針を貫徹することを求めたものだ。だが、共産を「丸ごと」受け入れてくれる若者がどれだけいるだろうか。そのことは、かって隆盛を誇った共産の青年下部組織が壊滅状態に陥っていること一つを取ってみでも明らかではないか。

 それともこの挨拶は、民主集中制に象徴される「組織文化」の問題点に言及することもなく、党幹部の定年制もない前近代的組織のままで自力強化が可能とでも考えているのだろうか。なにしろ、中国共産党でさえが70歳定年制を守っているこの時世に、80歳を超える幹部が日本ではいまだ多大な影響力を行使しているのである。
 
 だが、いかに科学的社会主義を唱える政党でも「高齢化」という生物学的法則を避けるわけにはいかない。高齢化はいわば「自然科学法則」として組織全体に呵責のない勢いで浸透していくのであり、いかなる科学的社会主義を以てしてもこの自然科学法則を否定することはできない。人口学の推計手法を適用すれば、現在の組織年齢構成が将来どのような結果を引き起こすかは余りも明白だ。生物学的消滅を避けようとすれば、若者を引き付けるような開かれた組織に向かって抜本的改革に踏み切るほかはないのである。(つづく)

2017.11.07 トランプ大統領、過去70年で最悪の支持率

安倍首相もNHKなども世界から軽蔑されないか

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)


 トランプ米大統領が訪日した5日、大統領の支持率が米大統領として過去70年で史上最低であることを示す世論調査結果が明らかになった。ほかにも同日、トランプ政権の危なさを示す報道が世界に流れた。ゴルフをやって、大統領も首相も大いに浮かれていたが、お二人だけでなく、全く無批判にはしゃいで報道したNHKや日本の一部メディアは、首脳会談をいくらPRしても世界から軽蔑されるのではないか。
 米紙ワシントン・ポストは5日、同紙とABCニュースによる最新の合同世論調査結果を発表、トランプ大統領の支持率が37%、不支持率が59%(50%は強く不支持)で、就任から同時期の歴代大統領として、過去70年間に最低であることを明らかした。
 共同通信は6日、次のように報道しているー「前政権が導入した医療保険制度(オバマケア)の見直しなど重要公約が軒並み停滞していることが主因。北朝鮮対応で51%が『全く信用できない』とした。無党派層の支持低下が著しく、経済、人種問題、オバマケアを巡りトランプ政権の業績を評価するとの回答は、無党派層では政権発足時より20ポイントも低下した」
 さらに同日、米国メディアも英BBCはじめ世界のメディアが、「トランプ政権のウイルバー・ロス商務長官が、タックスヘイブン(租税回避地)にある複数の法人を介して、ロシアのプーチン大統領に近いガス会社との取引で利益を得ていたことが、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ) の調べで分かった」(朝日新聞)と報道した。大富豪の実業家ロス商務長官は米上院で承認を受ける際、法律に従い、職務と利益相反になり得るとして、大半の資産を手放すことを宣誓しており、重大な宣誓違反として、辞任を迫られる可能性が大きい。
 もう1件ある。米NBCテレビが5日に報道した。大統領選挙にロシアの工作がかかわった疑惑を捜査しているモラー特別検察官が、トランプ大統領と密接だったフリン前補佐官を「訴追する十分な証拠を得た」ことが明らかになった件だ。共同通信のワシントン電は次のように伝えているー
 「米ABCテレビ5日、ロシア政府による昨年の米大統領選干渉疑惑を捜査するモラー特別検査官のチームが、フリン前大統領補佐官の訴伯に十分な証拠を得たと報じた。複数の捜査関係者の話としている。
 疑惑を巡っては先月、トランプ陣営のマナフォート元選対関係者3人が訴追された。フリン氏が訴追されれば、トランプ政権元高官で初となる。
 フリン氏は今年2月、1月の政権発足前に駐米ロシア大使と対ロ制裁解除を協議したことを巡りペンス副大統領に虚偽の報告をし、辞任に追い込まれた。」(了)

2017.11.06  「ああ、民主主義よ」おまえの名を呼ぶ
          韓国通信NO539

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 選挙は予想どおり自民党の圧勝に終わった。投票率の低さ、選挙制度、希望の党の旗揚げ騒動などあらためて話する気になれない。
 巧妙な小池の「反安倍」の口車に乗り、「踏み絵」までさせられた民進党議員の姿は哀れだった。わが国の民主主義はこの程度のものだったのか。喜劇的悲劇、悪夢を見た思いだ。
 民進党の解体騒ぎをよそに安倍首相らは「愛国者」のように振る舞い支持を訴えた。テレビは連日、北朝鮮のミサイル発射の映像を繰り返し見せつけて争点隠しの安倍を援護射撃した。

<北朝鮮は本当に脅威なのか>
 「脅威」を叫び続けた首相の底意は見えみえだった。
 「秘密保護法」「戦争法(安保法制)」「共謀罪」など憲法を蹂躙した悪法の山。国会軽視。辺野古に執念を燃やす露骨な対米従属。森友・加計問題でわかった国政の私物化。安倍首相は北朝鮮の脅威、国民感情を煽ってすべての問題を棚に上げた。北朝鮮の政治利用はこれにとどまらない。自衛隊が心おきなく戦えるように9条改憲まで言いだした。「金正恩サマサマ」と麻生副総理が本当のことを語った。
 「国難」という言葉に込めた首相の狙いは、ズバリ、国家の存亡の時期には民主主義、平和憲法など「くそくらえ」ということだ。安倍政権のファシズム体質丸出しの選挙だった。
 選挙が終わり、選挙期間中繰り返し聞かされた「脅威」は聞かれなくなったが、問題は何も解決していない。煽るだけ煽って解決の糸口は見いだせないままだ。
 一体あの騒ぎは何だったのだ。

<安倍首相、アナタこそ「国難」だ>
 問題の本質は北朝鮮とアメリカとの争いに日本が当事者になりたがっていることだ。ここに至る経緯はきりがないのでやめておくが、ともかく「平壌宣言」は日朝両国政府が現在も「有効」と認めている。将来友好国となることを誓ったわが国は、アメリカと北朝鮮の間に入って、「仲良くしろ」「トバッチリはご免」と両国に言える立ち位置にある。口先だけの仲裁役は中立でなければ信用されないのは当然だ。中立国としては米軍基地の使用を断わればすむという単純明快な話である。アメリカと一緒になって戦う姿勢を見せる安倍首相が「国難」を呼び込んだ。まさに「自作自演の国難」である。朝鮮半島と日本で何が起ころうと所詮アメリカにとってはFar East(極東)の出来事に過ぎない。アメリカまかせにしない独自の「平和攻勢」は可能だ。このような議論ができないのか、しようとしないのか不思議だ。
 政府は国連安保理が制裁決議を全会一致で可決されたため、「制裁」こそが唯一の解決策と考えているようだ。しかし「制裁」は北朝鮮の核実験に対する非難と制裁であり、あくまでも平和的解決を求めるものだ。トランプ大統領の好戦的姿勢とそれに同調する安倍首相は世界の常識、趨勢からあまりにもかけ離れている。国際平和と安全を求める国連に対する両首脳の理解不足が際立つ。対決一辺倒では戦争になることをどの国も知っている。選挙に使った「目くらまし」。安倍首相が盛んに叫んだ北朝鮮の「脅威」とは一体何だったのか。脅威解消のために具体的に何をしようとしているのか。説得力のある策は何も示されていない。わかっているのは「トランプ大統領と一体」という、危険であなたまかせの方針だけ。トランプの言動の「怪しさ」は全世界が認めるところ。大統領の「お友だち」を自慢する安倍首相は、国際的に見ると、悪友と付き合って自国民を戦争に巻き込む愚か者に見えるはずだ。
 来月に予定されるトランプ訪日で「対北作戦会議」にあわせてゴルフが予定されている。米韓による空と海の封鎖に自衛隊が加わり一触即発の事態がと報じられるが、ゴルフをするゆとりはあるらしい。これだけ国内外に不安をまき散らしながら何とも人を喰った話ではないか、トランプ、安倍の真意がどこにあるのか疑う人も多い。世界は戦争を望まない。そして安倍もトランプも同じことを言うに違いない。二人の「ウソ」を冷静に見抜くことが私たちに求められている。
 アメリカの「核」の傘を理由にわが国は核兵器禁止条約に「反対」した。わが国は北朝鮮の核保有を非難する資格があるのか。よい核兵器と悪い核兵器なんてあり得ない。わが国がすべきことは条約に加入すること。北朝鮮を始めすべての核保有国に核廃絶を求めるべきではないか。
 「国民の財産といのち」を守ると訴えながら福島原発被災者は切り捨て。原発の輸出。原発再稼働。わかりやすい安倍首相の「ウソ」にこれ以上付き合ってはいられない。

<双葉町民の選択と苦悩>
 福島県の双葉町から届いたメールマガジンに驚いた。双葉町は原発事故で町民全員が避難している(2016年2月現在もほぼ全域が「帰還困難区域」)。町民は故郷を失ってなお復興を願う「流浪の民」の苦しさのなかにある。震災後の一時期、町役場ごと埼玉県加須市にある廃校(旧埼玉県立騎西高等学校)に多くの住民が避難した。学校の教室や体育館に仕切りをつくって不便な暮らしを余儀くされている町民と話をする機会があった。口々に生活の苦しさを語り、井戸川町長(当時)の政府と東電に騙されたという天を衝くばかりの怒りが今も忘れられない。
 登録人口6千人ばかり。町役場が発表した選挙結果は以下のとおりである。 2500人余りの有権者たちは双葉町の復興を願って投票したはずだが、原発事故を起こした自民党に期待を寄せていることがわかる内容だ。原発事故被災者の切り捨て、再稼働をすすめる自民党に寄せる期待とは何か。事故から7年目を迎える双葉町町民の複雑な思いと困難さを私たちは理解できているのか。それを考える資料として紹介する。

 平成29年10月22日執行の衆議院議員総選挙の双葉町選挙区における投票及び開票の結果をお知らせします。

選挙当日の有権者数

 

合計

 当日有権者数

2,498

2,745

5,243


 
投票結果 

 

合計

 当日投票者数

253

246

499

 期日前投票者数

799

837

1,636

 不在者投票者数

175

209

384

 投票者総数

1,227

1,292

2,519

 最終投票率

49.12

47.07

48.05

 (前回投票率)

(46.12)

(44.55)

(45.30)

 ※最高裁判所裁判官国民審査投票率:47.87%(前回42.73%) 開票結果


[衆議院福島県小選挙区選出議員選挙]

候補者氏名(届出順)

候補者届出政党等の名称

得票数

1

 吉野 まさよし

 自由民主党

1,566

2

 吉田 泉

 希望の党

621

3

 くまがい 智

 日本共産党

116

4

 えんどう 陽子

 社会民主党

164

 小計 (有効投票数)

2,467

 無効

52

 計 (投票総数)

2,519

 持帰り

0

 合計 (投票者総数)

2,519


 
[衆議院東北選挙区比例代表選出議員選挙]

政党名(届出順)

得票数

1

 公明党(公明)

264

2

 日本維新の会(維新)

50

3

 日本のこころ(日本)

20

4

 社会民主党(社民党)

71

5

 日本共産党(共産党)

106

6

 幸福実現党(幸福)

14

7

 自由民主党(自民党)

897

8

 希望の党(希望)

551

9

 立憲民主党(民主党)

478

 小計 (有効投票数)

2,451

 無効

68

 計 (投票総数)

2,519

 持帰り

0

 合計 (投票者総数)

2,519