2017.04.18 「テロ等準備罪」(共謀罪)の国会審議が始まった
韓国通信NO521

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

テロを未然に防ぐための法律、一般市民とは関係のない法律と政府はさかんに宣伝し、今国会での成立を目指している。「秘密保護法」「戦争法」に続き、あらたに「テロ等準備罪」(共謀罪)を新設しようとする目的は明らかだ。
世界各地に頻発するテロの恐怖に乗じた今回の治安立法は、主権者である国民の基本的人権を警察権力(国)が奪うものだ。日比谷の緊急集会に参加し、国会議事堂までデモをした(6日)。
行動前の準備段階で処罰する共謀罪は戦前の「治安維持法」時代に逆戻りどころか、すべての携帯電話、スマホ、インターネットまで監視する。それでも「知られて困ることはない」と思う人も多い。

<監視社会は民主主義を殺す>
こんな法律ができたら市民団体、政治団体、宗教団体、労働団体は窒息する。原発、公害、環境、人権、平和にかかわる団体はもちろんのこと、少しでも住みよい社会を目指そうと奮闘する市民団体は犯罪集団視される危険がある。政府の批判勢力を摘み取るのが狙いだ。言論に携わる人たちも監視によって委縮する。政府に遠慮しがちなマスコミはさらに批判力を失い、「無知は力」とばかり権力者の不正は隠蔽され、官製報道一色になりかねない。戦争遂行の新聞記者だったことを恥じて新聞社を去った むのたけじさんの心配が繰り返されようとしている。
共謀罪の新設は民主主義を圧殺、憲法改悪へ突き進む最終章なのかも知れない。

<非力ながらトイレで考えた>
「トイレで知る・考える…社会のこと」という変わったカレンダーがわが家のトイレにある。
今月のカレンダーのタイトルは「沈黙は金」。
「原発再稼働」に 「戦争法案」に 「秘密保護法案」に 「武器輸出」に 「沖縄の基地問題」に 多くの国民が反対しているのになぜ 推し進めるのか
キング牧師は言いました「最大の悲劇は 悪人の圧政や残酷さではなく善人の沈黙だ」…と
カレンダーの言葉に触発されて共謀罪反対の集会に出かけた。相変わらず単純で軽い生き方をしている自分に気づく。「悲劇」というより「喜劇」に近い。スポーツジムに出かけ筋トレ・エアロで三時間汗を流して日比谷に出かけたのも「喜劇」のような気もする。

報告
その1) 4月3日、花見に出かけた公園で「アベ政治は許さない」のステッカーを掲げた。妻と共謀した「テロ」活動?だった。
その2) 確定申告にマイナンバー記入せずに還付金請求成功。ただちに名護市に「ふるさと納税」。
その3) 『スノーデン、監視社会の恐怖を語る』(小笠原みどり著)を読む。住基ネット、マイナンバー制を監視社会の到来と考える著者。テロ対策を口実に始まった米国の監視社会。苦悩のなかから希望を感じさせる。スノーデンの日本に向けたメッセージ。著者もスノーデンも命がけなのが伝わり勇気づけられた。秘密保護法も共謀罪もアメリカ発。監視社会は世論操作さえも可能にする。

2017.04.17 シリア攻撃で支持率上昇を狙ったトランプ大統領、それに便乗しようとした安倍首相、内閣支持率はこれからどうなる、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた
トランプ・安倍の思惑、その行方は

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 NHKは4月11日夜のニュースウェブで、トランプ大統領がシリアのアサド政権に対して下したミサイル攻撃に関する世論調査の結果を伝えた。アメリカのABCテレビと有力紙のワシントン・ポストが4月10日に発表した全米世論調査の結果は、シリア攻撃「支持」50%、「反対」40%というもの。一方、アサド政権に対して追加の攻撃を行う場合は「支持」35%、「反対」54%というより厳しい結果だった。また、今回のミサイル攻撃がアメリカとアサド政権の後ろ盾となっているロシアとの関係を「悪化させる」と思う人は59%に上った。

 4月12日付の赤旗も10日発表の米ギャラップ社の世論調査結果を伝えている。ギャラップ社は、トランプ米政権による4月6日のシリアに対するミサイル攻撃に関する世論調査を7、8両日に行い、結果は「支持」50%、「不支持」41%だった。これだけだと「支持」が「不支持」を上回っているのでトランプ大統領の決断が全米で支持されているような印象を与えるが、同社の解説によると必ずしもそうではないらしい。

 アメリカの海外軍事行動は1983年のグレナダ侵攻以来11を数えるが、これらの中でも今回のシリア攻撃は2011年のリビア攻撃(支持47%、不支持37%)に次ぐ「歴史的な(支持の)低さ」だという。過去、最も支持を得たのは、9・11同時多発テロ後の報復行動として行われたブッシュ大統領によるアフガニスタン戦争の「支持」90%、「不支持」5%であり、2011年のリビア攻撃を除けばいずれも過半の支持を得ている。

 米CBSテレビの世論調査(4月7~9日実施)でも、69%がトランプ大統領は攻撃にあたって議会承認が「必要」だったとし、「必要なかった」としたのは25%に止まった。また、米国がシリアでどこまで関与すべきかとの質問に対しては、「空爆のみ」30%、「外交対話のみ」(軍事行動はこれ以上しない)26%、「地上部隊による軍事関与」18%、「全く関与しない」15%という結果になった(赤旗、同上)。

ギャラップ社の世論調査では、このところトランプ大統領支持率は40%台半ばあたりを上下していたが、3月21日には支持率37%、不支持率58%と1月下旬の就任以来最低の水準にまで落ち込んでいた。同社は、支持率下落の原因は医療保険制度改革(オバマケア)の撤廃に向けて共和党が提示した法案や、裁判所からの反対に直面している入国禁止令などに対する国民の不満を反映していると分析している(CNNニュース、2017年3月21日)。トランプ大統領は今回のシリアにおける化学兵器使用問題を、国民の目を「ならず者国家」に向けさせる好機と踏んだのだろう。それを低支持率の泥沼から這い出すための千載一遇の機会と捉えたのだろう。

 だが、アメリカの世論は意外にも冷静で、トランプ大統領もその結果に衝撃を受けたのではないか。トランプ大統領の目論見としてはシリア攻撃で圧倒的な支持を獲得し、その勢いを駆って北朝鮮に脅しをかけるというシナリオを描いていたに違いない。それが大きく狂ったのだから、目下、空母艦隊など使って展開している朝鮮半島周辺の軍事作戦をそのまま続行することは難しくなるだろう。

 一方、シリア攻撃に対して即刻強い支持を表明した安倍首相の目論見はどのようなものだったのだろうか。トランプ大統領によるシリア攻撃は、安倍首相にとっても「森友疑惑」から抜け出す千載一遇の機会だと把握されていたに違いない。なにしろ朝な夕なに茶の間の話題になる「森友疑惑」は、もはや安倍政権の「喉に刺さった骨」と化しており、安倍首相夫妻を悩ませ続けてきたからだ。幕引きを図ろうとしても世論がなかなか許してくれない。ならば、時間をかけて沈静化させる以外に方法がないと思っていたところへ、飛び込んできたのがアメリカのシリア攻撃だったのである。

 かねがね北朝鮮の脅威を強調して国内世論を操作してきた安倍政権にとって、これほどの好機はない。アメリカのシリア攻撃は、安倍政権にとっては「森友疑惑」から国民の目をそらす絶好の機会(神風)であり、かつシリア攻撃に乗じて北朝鮮批判の世論をさらに高め、一挙に軍事力増強を実現する一石二鳥の機会が訪れたというわけだ。それはまた、低下し始めた内閣支持率を回復させるために、政策の重点を内政問題から外交問題に転換させる一大契機としても認識されているに違いない。

 だが、目下テレビ番組で連日報じられている4月27日のアメリカによる北朝鮮爆撃の噂がガセネタであることがわかれば、アメリカの世論と同じく国内世論も一挙に冷静さを取り戻すことになるだろう。そのときにシリア攻撃に乗じて北朝鮮の脅威を煽った安倍政権の内閣支持率はどう変化するのだろう。次回あるいは次々回の世論調査結果が待たれる。(つづく)

2017.04.16 「本日休載」

今日 4月 16日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会


2017.04.15 アナクロニズムも極まれり
「教育勅語、教材としてならOK」との閣議決定

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 「アナクロニズムもついにここまで来たか」。安倍内閣が教育勅語について政府答弁書を閣議決定したとのニュースを読んだ時、私はそんな感慨に襲われた。答弁書が「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」としていたからである。かつて教育勅語を暗唱させられた世代としては、国民主権をうたった日本国憲法の施行からすでに70年、教育勅語も国会で失効・排除決議がなされたのだから、教育現場にそれが再登場することなどありえないと考えてきたからである。

 私が長野県諏訪地方の小学校に入学したのは1942年(昭和17年)4月のことである。アジア・太平洋戦中で、小学校は国民学校といった。国民学校3年の時の1945年8月に戦争は終わったので、私は3年5カ月にわたって戦時下の小学生生活をおくったことになる。

 その3年5カ月は、教育勅語によって教育された日々であった。
 教育勅語とは、日本国の元首であり統治者であった明治天皇が、その「臣民」だった国民に国民道徳の基本と教育の根本理念を説いた言葉として1890年(明治23年)10月30日に発布されたものだった。

 国民学校では、教育勅語を唱和させられた。早く唱和できるようになりたいと、家に帰ってからも声を出して一生懸命習ったものである。だから、当時、私は教育勅語の全文を暗唱することができた。そのせいだろう、いまでもその一部が口をついて出る。
 「朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ……」
 「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ……」
「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」

 まだ幼かったから、勅語が何を言っているのかよく分からなかった。が、「現人神」である天皇の教えだから、それに、先生が覚えなさいと言っているのだから一生懸命努力してそらで言えるようにならなくては、という思いが幼心を突き動かしていたのだろうと思う。
  
 紀元節などの国の祝日や、入学式、卒業式では、在校生は講堂に集められた。そこでは、校長による教育勅語の朗読があった。教育勅語を会場に運んでくるのは教頭先生で、その時、教頭先生は白い手袋をはめた両手で黒塗りのお盆を眼前に捧げていた。お盆に載っかっていたのが紫のふくさに包まれた教育勅語で、教頭先生が演壇に着くまでの間、私たちはずっと最敬礼を続けていなければならなかった。

 教育勅語が保管されていたのは、校庭の隅にあった奉安殿である。そこには、天皇、皇后の写真も飾られていた。奉安殿の前を通る時は、立ち止まって拝礼するよう命じられていたし、集団で奉安殿の前を通る時は「歩調とれ」という合図で分列行進をさせられたものだ。
 
 天皇に関しては、こんなこともあった。
 授業中、先生の口から「て」という言葉が発せられると、私たちは、とっさに座ったままであったが胸を張り、両手を膝上に置くなどして居住まいを正し、正面をまっすく見据えたものである。なぜなら「て」は、先生がその後に発する「天皇陛下」の最初の発音だったからである。つまり、教室では、「天皇陛下」という言葉が発せられたら姿勢を正さなければならなかったのだ。

 大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)というのもあった。
アジア・太平洋戦争開戦の詔勅が出された 1941年 12月8日を記念する日で、毎月8日がそれに充てられた。国民の戦意高揚をはかる目的で設けられた措置で、その日は、教室で宮城遙拝(ようはい)があった。全員が起立し、東方に向かって頭を下げた。学校からの東の方角に皇居があったからである。
 また、その日には、私たち児童は登校前に、集落ごとに連れだって集落の神社を参拝した。集落から戦地に出征している兵隊さんの武運長久を祈るためだった。

 こうした国民学校での教育に私は何ら疑問を抱かず、極めて従順に従った。もし、あのまま戦争が続いていたら、私は「軍国少年」に育ち、「天皇陛下のために」と、特攻隊に志願していたかもしれない。いずれにしても、私たちの世代は、いわば教育勅語が血肉化された世代だったわけである。

 ところが、1945年8月15日の敗戦が、日本を根底から変えた。
 46年1月1日には、天皇が自ら神格を否定する「人間宣言」を行った。
47年5月3日には、新しい憲法の日本国憲法が施行された。その第1条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあった。日本国民は天皇の「臣民」から国の主権者となったのだった。

 こうした歴史的な転換を踏まえて、48年6月19日、参議院本会議で教育勅語等の失効確認に関する決議が、衆議院本会議で敎育勅語等排除に關する決議が採択された。  
 参議院の決議は「われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失っている」と述べ、衆議院の決議も「敎育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の敎育に関する諸詔勅が、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であったがためである。思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よって憲法第98條の本旨に従い、院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する」としていた。
 
 こうした歴史的経緯の中で育ってきただけに、大阪市の学校法人・森友学園が運営する塚本幼稚園で園児たちが教育勅語を唱和するシーンがテレビ画面に映し出された時、私はショックを受けた。遠い昔の亡霊が甦ったかのような錯覚に陥った。
 そして、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との閣議決定である。
 そればかりでない。4月7日の衆院内閣委員会では、義家弘介・文部科学副大臣が、幼稚園などの朝礼で教育勅語を朗読することについて「教育基本法に反しない限りは問題ない行為であろうと思う」と答弁した。「教育基本法に反しない限り」と言いながら、どういうことが教育基本法に反するのか、反しないのか具体的な例を挙げなかった。

 どうやら、安倍政権は、かつて国会で教育勅語の失効を確認する決議や、敎育勅語を排除する決議がなされたことなど、どこ吹く風といった風情である。国権の最高機関とされる国会無視もはなはだしいと言わざるをえない。
 今回の閣議決定は、安倍政権が教育現場での教育勅語の使用にお墨付きを与えたものと言ってよい。これから敎育勅語を活用する学校が出てくるのではないか。

 なぜ、安倍政権は教育勅語の復活にこだわるのか。それは、安倍政権にとって教育勅語が改憲というという最終目標に向けた一里塚の1つだからだろう。
 この最終目標に向けて安倍政権は一歩一歩、一里塚を積み上げてきた。国民投票法の制定、教育基本法の改正、秘密保護法、集団的自衛権に関する解釈変更、安保法制等々である。残るは共謀罪の制定といったところか。
 教育勅語の復活も目標達成の上でそれなりの役割を果たす、と見ているのではないか。なぜなら、教育勅語の核心は「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」(万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家のためにつくせ=旧文部省図書局の通釈)という一行にあるからだ。「戦後レジームからの脱却」を目指す安倍首相とそれにつながる人たちは、こうした教育勅語の精神を国民の間に広く浸透させ、日本を再び戦前の国のような国にしたいと思っているのではないか。そう思えてならない。
 そういえば、自民党の憲法改正草案の第1条には、こう書かれている。「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」。自民党は、天皇を再び元首にしようとしているのである。

2017.04.14 「森友疑惑」司法も究明へ
国会はじめ国民自身の追及も緩めてはならない

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

 「森友疑惑」の解明を裁判所や検察(だけ)に委ねてはいけない、これは国会はもとより国民自身が究明しなければならない疑獄事件なのだ、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた(19)

 「森友疑惑」すなわち森友学園への国有地払い下げや小学校認可を巡る不正や疑惑がいよいよ司法の場でも取り上げられることになった。4月6日の各紙が伝えるところによると、
(1)小学校校舎の建築については、森友学園が国や大阪府などに金額の異なる契約書を提出して補助金を騙し取ったとして、補助金適正化法違反容疑での告発状を大阪地検特捜部が受理。
(2)校舎建築費が支払われていないとして、建築業者が支払いを求めて提訴。併せて、当該建築物と敷地および籠池理事長自宅や敷地の仮差押えも受理。
(3)国有地の払い下げについては、不当な安値で売却し国に損害を与えたとして、財務省近畿財務局職員(氏名不詳)に対する背任容疑での告発状を大阪地検特捜部が受理。
(4)国有地払い下げや小学校認可を巡って、政治家に金品を贈ろうとした贈賄申し込み容疑での告発状が出され、受理をするかどうかについては地検が目下検討中とある。

 加えて、大阪府は4月5日、学校法人「森友学園」めぐり国有地を売却した財務省近畿財務局の職員と小学校の設置認可事務を担当した府職員のやりとりの調査結果を公表した。松井知事はこれまで、近畿財務局が森友学園関連で大阪府を訪れたのは2回だとしていたが、今回は2013~15年に財務局職員が5回府庁を訪れたことを明らかにした。朝日新聞4月6日の詳報によると、
(1)財務局職員2人が最初に大阪府庁を訪れたのは2013年9月12日。財務局側から「(学校の)認可はいつおりるのか」と聞かれた。
(2)同年11月19日にも財務局職員2人が訪れ、小学校の実現可能性を尋ねる照会文を持参。府側は「正式な認可申請が出ていない段階で回答は難しい」と答えたが、財務局側から「それでも構わないから照会文を受け取ってほしい」と言われ、受け取った。
(3)2014年10月2日には、担当課長級の「統括管理官」を含む数人が府庁を訪問。統括管理官は、私学審で小学校認可が継続審議になった直後の2015年1月8日にも訪れた。府の担当者が「いつ(私学審の)答申が得られるかわからない」と説明すると、財務局側は「審議会の結論を出す時期など、ある程度事務局でコントロールできるのではないか」と語った...という。

 近畿財務局と大阪府のやりとりが公表されたその日に、大阪地検特捜部が近畿財務局職員(氏名不詳)に対する背任容疑での告発状を受理したことは、偶然とはいえ非常に興味深い。財務局側の異常ともいえる「親切さ=前のめり姿勢」を見れば、統括管理官など近畿財務局担当職員が本省(財務省)の指示(忖度)を受け、国有地払い下げを条件に森友学園小学校の設置認可を府側に急がせようとしていた(迫っていた)ことは紛れもない事実であり、大阪地検特捜部にとっても有力な証拠資料になるはずだ。

 それにも増して文科省ならともかく(それでも大問題になるが)、財務省の所管でもない私学小学校の設置認可になぜかくも近畿財務局が介入するのか、それも「森友疑惑」を解く重要なカギになる。これらの事実は、全てを森友学園の教育思想に感銘した安倍首相や昭恵夫人への「忖度」の一言で片付けることの難しさを物語っている。もし検察の本格的な事情聴取が始まれば「結託」(忖度ではない)の事実が明らかになるであろうが、問題はそこで「幕引き」されるかどうかが次の焦点になる。

 問題は、検察が告発を受理したとしても起訴するかどうかは必ずしもわからないことだ。これまでの政治事件の多くが不起訴になり(甘木元経済産業大臣のような口利き贈賄容疑が明らかな事件でさえも)、検察審査会が起訴相当と判断しても起訴に持ち込むのは容易でない。それに告発状を受理してから事情聴取に移り、起訴不起訴の結論を出すまでには相当な時間がかかる。この間に国民の関心が失われれば、検察が受理したとしてもそのまま「お蔵入り」にならないとも限らない。

 検察としても森友学園に対する告発は受理するが、財務局職員に対する告発は受理しないということになれば、国家権力に対して「忖度」したという批判は免れない。そこで、ここは一応告発だけは受理しておき、ほとぼりが冷めた頃に不起訴にするといった見方も成り立たたないわけではない。要するに、検察や裁判所だけに事態の真相解明を委ね、国民がそれを観ているだけではこの問題は解決できないのである。

 検察や裁判所は、政権から独立した権威として然るべき正当な判断を示してほしい。しかしだからといって、司法に国民の判断を委ねるわけにはいかない。政権はもとより司法への批判を含めて国民が主権者としての見識を示すことなしには「森友疑惑」は解明できない。それほどこの事件は安倍政権の本質に迫る疑獄事件なのであり、教育勅語復活を否定しない復古主義、歴史修正主義への戦いなのである。(つづく)

2017.04.13 完全復活したフェデラー、不振に陥った錦織
-その原因を分析する

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

驚異的な復活
 テニス界の史上最高選手といわれるフェデラーが、昨シーズン途中で膝の治療のために長期休養に入った時点で、ほとんどのテニスファンはフェデラーの引退を想定した。年齢も35歳に達し、ここ数年のパフォーマンスは下降の一途を辿っていたから、長期のトーナメント離脱は選手生命にとって致命的なレベル低下をもたらすだろうと考えた人は多い。だから、復帰後の今年の全豪オープン5回戦で、錦織-フェデラー戦が実現した時には錦織の楽勝で世代交代かと思われたが、その予想は外れ、フェデラーは錦織撃破の余勢を駆って、全豪タイトルまで取ってしまった。
 続く、ATP1000(グランドスラム4大会に次ぐ、優勝ポイント1000の大会で、年間9大会開催)のIndian Wells(カリフォルニア)でも優勝し、4月3日に決勝を迎えたATP1000大会のMiami Openでもナダルを破って優勝した。
 この3ヶ月間でフェデラー選手が荒稼ぎしたATPポイントは4000ポイントである。これは錦織選手が1年かけて獲得したポイント数に匹敵する。
 Indian Wellsでフェデラーが優勝した3月19日、スキージャンプW杯ノルウェイのジャンピング大会(HS225m)で、44歳の葛西選手が見事2位に入賞した。年齢で一回りも二回りも違う並み居る若手のホープを押しのけた結果に、大会に参加した各国選手も役員も喝采を送っていた。選手でも恐怖心があるというヒルサイズ(HS)225mのジャンピング台で、44歳になっても240mを超える大ジャンプを披露できる葛西選手は、歴史に残るレジェンドである。
 どんな競技であれ、スポーツ選手の選手生命が長くなるのは良いことだ。往年の名選手が、新進気鋭の選手と対等に戦う姿に感動を覚える。しかし、その復活劇や選手生命維持の背後には、凡人には想像もできない厳しいトレーニングが隠されている。それにしても、間もなく36歳にもなろうとするフェデラー選手が、引退の危機を乗り越え、最高のパフォーマンスを披露しているのはなぜだろうか

レベルアップしたフェデラー
 フェデラーの選手生命を支えているのは、制球力のある速いサーヴィスを武器にした、速いゲーム展開にある。210km/hや220km/hの高速サーヴィスを打つ選手が多い中、フェデラーの平均球速190km/hはとくに速いわけではない。しかし、これは野球の投手と同じで、コーナーを突く制球力があれば、超高速のサーヴィスは不要なのだ。フェデラーの球速は、投手との比較で言えば、140km後半の球速に相当する。制球に優れているから、エースにならなくても、相手の返球が甘くなり、それを叩いて比較的楽にポイントがとれる。フェデラーのゲームは長いラリーになることが少なく、勝っても負けても、試合時間が短いのが特徴だ。厳しいトーナメントが続く男子テニスの世界で、試合時間が短いことは体の負担が小さいことを意味する。このプレースタイルが、怪我を最小限にし、長い選手生命を保っている秘訣なのだ。
 ただ、今年の復活劇を支えている最大の要因は、サーヴィス力というより、バックハンドストロークのレベルアップにある。フェデラーの最大の弱点は片手のバックハンドにある。ナダルは強烈なスピン(順回転)をかけた重くて高く跳ねるボールを、フェデラーのバックサイドに集中することで、ストローク戦で常に優位に立ってきた。フェデラーにとって、バックサイドを集中的に攻められるのが泣き所だった。その結果、ナダルとの対戦成績はダブルスコアほどに開いている。ちなみに、ナダルのスピン(回転)数は、毎分4500回転前後である。1秒間の回転数は70~80回転で、ふつうの選手より2割ほど回転数が多い。
 ところが、今年の全豪決勝の対ナダル戦で見せたように、フェデラーはバックハンドからノータッチエースとなるストロークを何本も放ち、ナダルのバックハンド攻めを切り返した。明らかに、休養期間中のトレーニングがこの弱点の克服にあったことを教えている。35歳になってもそれを成し遂げるところに、フェデラーの凄さがある。引退間際の歳になっても、日々精進ということだ。これで今年に入って、苦手にしてきた対ナダル戦は3連勝である。
 もう一つ見逃せないのは、フットワークである。フェデラーはもともと足が速い。しかし、何時の時点からか、細かなフットワークやボールを最後まで追うことをサボるようになった。長期にわたって頂点に立つ選手は、次第に、体力を消耗させずに試合を終わらせたいという気持ちが強くなる(省エネ症候群)。そこから、手を抜いたフットワークやプレーに陥りやすい。手抜きが日常化すると、プレーのレベルが下がる。ところが、長期の休養から復帰した今年のフェデラーは、生まれ変わったように、細かなフットワークを欠かさず、球際まで追いかける攻撃的な姿勢を見せている。それが全盛期のような安定したショットを生み出している。
まるでサイボーグのように球を打ち返し、ここ数年間、無敵状態になっていたジョコヴィッチ選手もまた、今年に入って、この「省エネ症候群」に陥るようになった。日頃のトレーニングでも、フットワークをサボると、試合でもおろそかになり、全力でぶつかってくる相手を交わすことができなくなる。ジョコヴィッチ選手の最近の連続敗戦の原因もまた、頂点に立つ選手が陥る「省エネ症候群」にある。ジョコヴィッチのコーチを離れたボリス・ベッカーは、ジョコヴィッチ選手の手抜きトレーニングに言及している。
ランキングが上位の選手は、大きな大会では、決勝まで6~7試合をこなさなければならない。だから、最初の試合から全力で戦うことはせず、試合を重ねるなかで、ギアを切り替えていく。力をセーヴしながら、勝負所でギアをチェンジすることができるのが、トップ選手の強みなのである。しかし、相手選手はスタミナを気にすることなく、番狂わせを狙って、全力で向かってくる。しかも、相手選手の調子が非常に良いと、手抜きする上位選手はかなり苦戦を強いられる。大会の早い段階で上位シードが敗れるケースがこれである。上位選手にとって、緒戦の1~2戦は鬼門なのである。

錦織選手の不振の原因
 フェデラー選手のレベルアップした要因が、まさに逆方向に働いているのが、今年の錦織選手である。それもこれも、錦織が「省エネ症候群」に陥ってしまったからだ。
 錦織選手のサーヴィス力は女子のトップ選手並みで、肝心なところでサーヴィスゲームをキープできない。それが試合時間を長引かせ、体力を消耗させる。Miami Openの対ヴェルダスコ戦で、2セットとも早い段階で相手のサーヴィスをブレークし、自らのサーヴィスゲームでセットを締めるチャンスを得た。しかし、2セットとも自らのサーヴィスゲームを落とし、試合がもつれた。試合には勝ったが、2時間未満で終えられるはずの試合が、1時間以上も長くなり、3時間近い時間を要した。ただでさえ体の強さに問題がある錦織選手だ。弱いサーヴィスが試合時間を長引かせ、体を痛めるという悪循環に陥っている。フェデラーと正反対のプレースタイルである。サーヴィス力を上げない限り、グランドスラムはもとより、ATP1000のタイトルを取るのも難しいだろう。
 さらに、ここに来て目立つのは、プレーの粗さである。サーヴィスを打った後、最適なボールの落下点へ足を運ぶフットワークがおろそかになっている。サーヴィスを打った場所から足をまったく動かさず、細かなステップなしで返球することが多い。こうなると、ボールのコントロールを失い、ミスするケースが目立つ。フットワークが悪いと、錦織の武器である深い返球が影を潜め、浅く返ったボールをことごとく相手にヒットされ、ストローク戦で劣勢に立たされる。
願ってもないくじ運に恵まれたIndian Wellsの準々決勝対ソック戦、優位に立たなくてはならないストローク戦でこの悪い癖が出て、完全に力負けした。Miamiでは長い試合が2試合続いた結果、手首を痛め、準々決勝はフォニーニ選手に完敗した。
 今年の錦織選手を見ていると、なるべく楽に試合を終えたいというプレーが、見え見えになっている。錦織本来の攻めのプレーが陰を潜め、受け身の消極的なプレースタイルが目立つ。アグレッシブでない錦織はまったく相手選手の脅威ではない。サーヴィス力がなく、ストローク戦で粘れない並みの選手になってしまっては、トーナメントで勝ち進むことができない。錦織選手が「省エネ症候群」に陥るのは早すぎる。グランドスラム大会はもちろん、ATP1000のタイトルもとっていない現状で、受け身のスタイルに陥るのは理解できない。最大の武器である攻めのスタイルを貫くために、サーヴィス力とフットワークの強化を怠ってはならない。フェデラーのように、初心に戻ってハードワークする姿勢が必要だ。錦織選手の奮起を促したい。
全員が30歳代に入るBig Four(フェデラー、ジョコヴィッチ、マリー、ナダル)がまだまだ力をあるところを見せているなか、次世代の若い選手たちが、錦織選手のすぐ背後に迫っている。狭間の世代にある錦織選手がトップを狙える時間はあまり残されていない。

2017.04.12 「オオカミはなぜ草を食うようになったか」
――八ヶ岳山麓から(217)――

阿部治平(もと高校教師)

<中国のネット上で、大変読まれている寓話を紹介します>

虎と豹と狼の故事
                     無名氏

ある日
ライオンが豹にオオカミ10頭の世話をさせ、餌の肉を分けてやるように命じた。
豹は肉の塊を受取ると、不公平のないように、これを均等に11個に切り分けた。自分はまずそのひとつを取り、残り10個をオオカミどもに分けてやった。ところがオオカミらは、どうも自分に与えられた肉は他より少ないと思いこんだらしい。
しばらくすると、誰もが豹に向かって大いに不平を鳴らすようになった。豹にしてみれば1頭くらいならなんとでもなるが、オオカミが10頭そろって歯向かってくるのには参ってしまった。
そこで豹は大いに困惑ししょんぼりして、ライオンに仕事をやめたいと申し出た。ライオンはそれを聞くと「へーえ、そうか。じゃ俺のやり方を見てみろよ」といった。

2日目
ライオンは、こんどは肉の塊を大小さまざまに、11個に切り分け、自分がまず一番大きいのを取った。しかる後にオオカミどもに威張りくさってこういった。
「おまえら、自分らでこの肉を分ける方法を相談しろ」
その途端、オオカミどもは相談なんかクソくらえ、猛烈な奪いあいを始め、容赦なく噛みつき蹴飛ばしあった。中ぐらいの塊りを狙えばどうにかものできるものも、大きなのをめざして仲間に噛みついた。
これを見た豹は大いに感服して、ライオンに「これはまた、どういうやり方でしょう?」と訊ねた。
ライオンは微笑して「人間どもは成果主義賃金制というらしいぜ」と答えた(注)。

注)中国の成果主義賃金制度は、一般に賃金の半分くらいを労働成果によるものとし、毎月管理職が成績評価をして決める。たとえば毎月3000元の賃金なら1500元が基本給で、1500元が成績評価分とされる。2割の奨励金が出るとすれば1500+1800=3300となる。怠けているとみなされれば3000元を割ってしまう。

3日目
ライオンは、やはり肉の塊を11個に切り分けたが、自分では大きいのを二つ選んで取り、しかる後にまたオオカミどもに威張りくさってこういった。
「おまえら、自分らでこの肉を分ける方法を相談しろ」
オオカミ10頭は9個の肉の塊をめざして、また猛烈な争奪戦を演じた。肉はとにかくそれぞれの口に入ったが、一番弱いオオカミだけは肉を食うことができず、腹が減って死んでしまった。
豹はまた、大いに納得して「これはまたどういう方法でしょうか」と訊ねた。ライオンは口元に笑いをうかべ、「人間どもは優勝劣敗・末位淘汰というらしいぜ」といった。

4日目
ライオンは今度は肉を二つに切り分けて、半分を自分が取ってから、しかるのちに威張りくさってオオカミどもにいった。
「おまえら、この肉を分ける方法を自分らで相談しろ」
オオカミどもはまた壮烈な争奪戦を演じたが、最後に一番強い奴が勝利して、戦利品にかぶりついた。彼は腹いっぱいになると、ようやく肉から離れ、ほかのオオカミどもに「残りを食ってもいいぞ」といった。
この結果、何頭かが最強の奴の子分になり、ぺこぺこと頭を下げていうことをきくようになった。ほかのオオカミも強いほうから残り物を頂戴するようになった。
これからというものは、ライオンはただその一番強いオオカミを手なづければよくなった。そいつに餌をやりさえればほかの連中の心配をすることもなくなったのだ。
豹はまた、大いに感心してライオンに「これはまたどういう便法ですか」と尋ねた。
ライオンは苦笑しながら「人間どもは失職者の職場復帰競争というらしいぜ」と答えた。

5日目
この日、ライオンは肉を五つに等分した。その三つを自分が取って、一つは残し、もう一つを九つに小分けして、しかる後にオオカミどもにそっくり返っていった。
「小さなのをひとつずつ分配する。お前たちのためを考えて、一番優秀な奴には奨励金としてでかいのを与える」
オオカミどもは、急いで自分の取り分をもらい、それから各自どうするかじっくりと考えた。そこでオオカミのなかには、自分の取り分のなかから一部をライオンに献上するものが現れた。他のものは全部を差出した。さあ、そこで一番優秀な従業員がボーナスとして比較的大きな塊を得ることとなった。
しばらくすると、ライオンは肉の80%を完全に自分のものにするようになった。
豹はすっかり恐れ入って、地面に身を投げ出し、「これはいったいなんという計略ですか」と伺いを立てた。
ライオンはせせら笑って「人間の役人の間じゃ、これがきまりになっているじゃないか」と答えた。

6日目
やがてライオンは餌の肉を独り占めし、オオカミは草を食うしか手がなくなった。かくして以前のようにけんか口論はなくなり、オオカミは劣悪な環境に耐え、理不尽ながらこの待遇に甘んじることとなった。豹はおおいに尊敬の念をもってライオンに訊ねた。
「これはいったいなんという戦略ですか」
ライオンは鼻を鳴らして答えた。
「人間社会じゃ『調和ある(和諧)社会』といっているのを聞いたことがあるけどね」(注)

注)「調和ある(和諧)社会」は胡錦濤国家主席時代に提唱され、今日でも中国が目指す社会として政府主導のスローガンであり、学校でも教える。民主主義と法治や、人と社会活動における誠信友愛、社会的活力の充満、社会秩序の安定、人と自然の調和がうたわれている。

2017.04.11 中東への軍事介入を急拡大する米国
アハマド・ラシッド「中東のトランプー新たな野蛮」から(2)

坂井定雄(龍谷大学名誉教授)

本稿(1)を書いていた4月4日、シリア北西部の反政府勢力支配地域イドリブ州を政府軍機が爆撃、致死性猛毒サリンの化学兵器を投下し、子供27人、女性19人を含む少なくとも84人以上が死亡、546人が負傷した。そして本稿(2)を書いている7日午前、米海軍は地中海東部の艦艇から巡航ミサイル・トマホーク59発を発射、シリア空軍基地を攻撃した。
トランプ大統領はオバマ前政権の中東政策を変更するとして、和平解決のために必ずしもアサド政権の辞任を求めない、という方針を示した。オバマ政権は、民主化を求めて2011年からアサド政権と戦ってきた反政府勢力を一貫して支持し、国連が仲介する和平交渉でも、アラブ諸国、西欧諸国とともに、アサド大統領の辞任を要求し続けた。
アサド政権を支援し続けてきたロシア軍の空爆支援の下、昨年12月、反政府勢力が支配してきたシリア第2の都市アレッポがを政府軍が制圧。反政府勢力の主な支配地域は、トルコ国境地域のイドリブ県だけとなっていた。このため、政府軍の新たな攻勢が予想されたが、2014年に国連機関の監視の下で国外搬出、全廃したはずの化学兵器をひそかに保有しており、また使用するとは、米、ロでさえ想定できなかったはずだ。
しかし、アサドはトランプが政権の維持を認めるシグナルを発したと受け止めて、化学兵器使用で、反政府勢力に対しとどめを刺そうとしたに違いない。


アハマド・ラシッド「中東のトランプー新たな野蛮」から(2)

 ニューヨーク・タイムズは、イエメンの3州に、米軍が一般市民の死傷と経済インフラの破壊にかまわず、自由に戦闘できる地域に設定された、と報じた。ソマリアの一部もそのリストに間もなく加わる。ブリュッセルの複数の西側外交官は、アフガニスタンでタリバンの活動が強い地域も、それに加わるだろうと述べた。このような、無差別攻撃を活発化させる方針は、疑いなく何千人ものイスラム過激派を生みだし、人道救済活動を妨げ、経済再建の希望を打ち壊す。
そうではなく、外交、経済支援、紛争解決、支援国づくりを含む総合的な対応こそ必要なのだ。しかしトランプは、米国が慣れ親しんできた世界各国との交渉、協議ではなく、危険な軍事力依存に戻った。イエメンに対して、軍事力以外になにかトランプ政権の戦略はあるのか?国連によるイエメン政府とフーチ反政府勢力との間の和解交渉を、支持するのか?いま米国防総省はイエメンに対する武器禁輸を解除しようとしているが、それが紛争になにを意味しているのか?この地域の対立、紛争の拡大に対して、トランプ政権はどのような外交的努力をしようとしているのか?イエメン紛争に対しての政策は政権内のどこが責任を持つのか、国務省なのか、国家安全保障会議(NSC)なのか?これらの疑問に対して。なんの回答も、説明もない。
しかしイエメンの重要度は、シリアに次ぐ問題だ。シリアでは米軍の爆撃で一般市民が犠牲になり続けている。3月22日にも33人の一般市民が米空軍主導の学校爆撃で死亡した。トランプは、ジュネーブでのロシア主導での国連和平交渉を支持するのか?米国は、イスラム国(IS)に対する、より強力なアラブと西側の同盟結成に関心があるのか?米国はアサド大統領が居座る場合に対応する用意があるのか?なお増え続けるシリア難民への食糧支援と再建の費用をどこが負担するのか?これらの問題に対して、トランプのホワイトハウスは問いかけようとさえしてないように見える。
トランプ政権は、国防予算を540億ドル増やす一方で、国務省予算と国際開発局の予算500億ドルの3分の1を削減しようとしている。3月4日、ホワイトハウスの行政管理予算局長は「劇的な対外援助の削減」を明言した。これらの予算支出増減案に対して、米議会の反対勢力、援助団体、メディアなどから、幅広く反対の声が上がっている。
(続く)
2017.04.10 シリアの影で無難に終わった米中首脳会談、じつは・・・
新・管見中国(23)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 いやお恥ずかしい。今月4日の本欄で「こいつぁ見ものだ!」と触れ太鼓を叩いた6、7日の両日、米南部マイアミで開かれた米中首脳会談。初日の会談最中、現地時間(米東部時間)6日午後8時40分、トランプ米大統領は地中海上の米駆逐艦2隻から巡航ミサイル「トマホーク」計59発をシリア西部のシャイラット空軍基地に向けて発射したと発表した。このため世界の関心は米中間の問題からシリア情勢およびそれを取り巻く力のバランスの行方へと移ってしまい、米中首脳会談はせっかく豪華な舞台が設えられたにも拘わらず見せ場のないままに終わってしまった。太鼓を叩いたものとしては引っ込みがつかない形である。
 米軍がこの挙に出たのは、4日にシリア北部で多数の住民が化学兵器と見られる爆弾で死傷した事件をシリア政府軍の仕業と断定し、その出撃基地を無力化するためとされている。これに対して、シリア、ロシア両国政府は化学兵器の使用を真っ向から否定しており、その真否はわれわれには判断のしようがない。ただこれによって米中関係を考える上で重要なヒントがもたらされたことも確かである。
 それにしても今回の米中首脳会談は期待外れであった。さまざまな対立・矛盾が積み重なっている両国関係について、両首脳がどう考えているかを世界に発信する機会であるはずなのに、2人ともそういう発想は全くなかったようである。
習近平にとっては2013年春に国家主席に就任して以来昨年まで、オバマ大統領とは毎年会談を重ねてきたから、米大統領との首脳会談は今回で5回目である。とすれば、こういう舞台に慣れてもいいはずなのに、相変わらず会談後に共同文書も出なければ、共同記者会見もなし。新華社がせっせと両首脳(と夫人)の仲睦まじい写真を配信するだけで、なにを話したかについては確たる材料はないままに終わってしまった。
会談後、メディアが伝えた会談の内容は、①両国間の貿易不均衡については、「100日計画」を策定して改善を目指す ②4分野(外交・安保、経済、法執行とサイバーセキュリティ、社会・人文)での対話メカニズムをつくる ③トランプ大統領は習近平の招きに応じて年内に訪中 ④北朝鮮の核開発は「深刻な段階にあるとの認識で一致」 ⑤米軍のシリア爆撃について、習近平は「理解」を示した(中国側は否定)といったところだろうか。
それでは中国側はどう伝えたか。
 会談後、7日の新華社電は「初めての首脳会談は積極的なものであり、成果は大きかった。双方はともに努力して、互いに利のある協力を拡大し、対立は相互尊重の基礎の上で処理することに同意した」とまず型どおりに成果を強調した。
 注目されるのは双方の軍の相互信頼と意思疎通を図る措置を詳述していることで、並べてみると、階級別の軍人交流、両国国防部の防衛協議の継続、アジア太平洋安全対話メカニズム、設立される連合参謀部の対話ための新しいフォーラムのよりよい運用、重大軍事行動の相互通報と海空における遭遇の際の安全行動準則の2大相互安全メカニズム…等々である。この軍交流について米側からは発言はない。両国の軍どうしの密接な関係をアピールしたい中国の思惑が現れたものであろうか。
 この新華社電は軍以外の4分野での対話メカニズムにも触れているが、軍関係ほど力を入れていない。
 さすがにこれだけでは華々しさのわりに中身が乏しいと思ったのか、北京に残っていた王毅外相が8日付で、訪米前のフィンランド訪問と合わせて今回の習近平の外遊の成果を説明したという一文を新華社が真夜中、日付が9日に変わってから配信した。
 それもまた米大統領が親子孫の3世代で歓迎したことは会談重視の表れ、大統領は習主席の招待を「愉快に」受け入れた、といった調子であるが、肝心の対立点については両首脳のこんな発言を紹介しているだけである。
 習「中米両国間に対立が存在するのは正常なことである。大事なのは敏感な問題を妥当に処理して、建設的に管理することである」
トランプ「米国は中国と協力して、両国関係に悪影響を及ぼす要素と問題を消すように努力し、米中関係をさらに発展させることを願っている。米中関係は必ずやよりよく発展するだろう」
 結婚式の祝辞みたいなやりとりである。会談の前に北朝鮮がミサイルを発射したことでにわかに注目度が高まった北朝鮮については、王毅外相は「会談において両首脳は朝鮮半島の核問題など、ともに関心を持つ国際問題、地域問題について深く意見を交換し、地域また地球規模で協力を広げ、地域および世界の平和、安定、繁栄により貢献することで一致した」と、世界平和についてのお経文の一節にちらりと言及しただけであった。
会談前に注目を集めた「中国が協力しないのならば、米単独でも行動する」という北朝鮮に対する米側の強硬姿勢が話題になったのかどうかさえ王毅は明かさず、トランプ大統領がかねて声を荒げていた対中貿易赤字についても、王毅外相は双方が合意したはずの「100日計画」という言葉さえ口にしなかった。シリアのシの字も出てこなかったことは言うまでもない。
首脳会談について共同文書が出ても、記者会見が行われても真実が明らかにされるとは限らないし、見る方もそれを期待するほどお人よしではなないが、しかし、それらが何かしら真実を反映することも間違いないところだ。
そう思って、今度の米中会談の顛末を見るに、やはり会談自体が中身の薄いものだったと判断せざるを得ない。確かに会談の途中でシリアに対する武力攻撃実施の発表といったアクシデントが挟まれば、双方ともに腰がうわつくのはやむをえまい。やり取りも通り一遍にならざるをえないだろう。
歓待ぶりだけが目立って、ややこしい対立点が無難に通り過ぎたのだから、これは中国側にとって棚ボタの結果であるとは言える。
 とすれば、習近平は帰りの機中では側近たちと心ゆくまで祝杯を上げることができただろうか。とんでもない。おそらく米軍のシリア攻撃が習の胸に重くのしかかっていたに違いない。米国では武力攻撃を命じた直後は大統領の支持率が跳ね上がることが多い。とくに今回は洋上からのトマホーク発射だから、米軍に人的犠牲はまず生じない。米国民が喝采を送っても不思議はない。
 強がっていても、不人気に頭を抱えていたに違いないトランプ大統領が今後この誘惑にとらわれないとは思えない、というより、武力行使というカードがことあるごとに彼の頭の中にちらつくことは避けられまい。そして、さしあたっては北朝鮮が次の標的となる可能性は相当に高い。
 これは習近平にとってもっとも見たくない場面だ。万一そうなれば、今の北朝鮮が米に対抗できるはずがない。中国としても1950年のように「抗米援朝」戦争に乗り出すことは論議のほかである。北朝鮮が生き残るのはまず無理だ。つまり朝鮮半島全体が米の勢力圏に飲み込まれることになる。
中国の権力者にとって、勢力圏を狭められることは政権の弱体化、政権の危機を意味する。それを避けるために、米に「新しい大国間関係」を提案して、互いの勢力圏(これを中国では「核心的利益」と称する)の相互不可侵を認めさせようとしてきたのだが、前任のオバマ大統領には無視され、今回は話題にも上らなかったようである。
 となると習近平にとっては、米の怖さを現地で味わうためだけにわざわざ出かけて行ったような今回の訪米であった、ということになるのではないか。

2017.04.09 「本日休載」

今日 4月 9日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会