2020.06.20  新型コロナで消えゆく老舗
          何らかの形で再出発できないものか

杜 海樹 (フリーライター)

 帝国データバンクが新型コロナウイルス関連倒産件数の公表をおこなっている。それによると2020年5月末までの段階で212件倒産があり、業種別ではホテル・旅館業が最も多くなっているという。新型コロナの発生によりインバウンドが途絶え、国内においても外出自粛の徹底が図られたことから観光産業への打撃は想像以上に深刻なものとなっている。
 本来であれば観光産業の主軸であったはずの老舗温泉旅館なども経営難に直面しており、江戸時代から332年間続いて来た宮城県鎌先温泉の「木村屋」、90年続いて来た兵庫県湯村温泉の「とみや」、77年続いて来た東京都鴎外温泉の「水月ホテル鴎外荘」等々も惜しまれつつ長い歴史の幕を閉じている。
 
 そんな状況下ではあったが、東京の水月ホテル鴎外荘を5月31日に訪れ、77年の最後の1日を共にさせていただいた。
 鴎外荘は1943年(昭和18年)創業の台東区上野にある旅館・ホテル。すぐ近くには上野東照宮があり、都心とは思えない静寂さの中に佇んでいる。鴎外荘という名は、文豪・森鴎外氏がドイツ留学を終えて帰国した後「舞姫」「於母影」などを執筆した居所に因んで名付けられたもので、同旅館が森鴎外氏の旧邸を所有し今日まで会食の場などとして活かしながら保存して来たものだ。森鴎外氏の旧邸は第二次世界大戦の戦火も逃れているとのことで、家屋や庭も鴎外氏生存当時の面影を残した貴重なものであり、庭には縁起物の樹齢250年というクロガネモチの木等が今でも自生しており、室内から縁側越しに見る緑の光景は美術品かと見紛うほどの考えられた構図を呈していた。
 
 鴎外荘にはもう一つ特筆的なものがあった。それは東京都温泉第一号に登録されていた鴎外温泉だ。温泉と言っても泉温は19度ほどの冷泉であり加温しなければ温まれないのだが、泉質はメタケイ酸、重炭酸ソーダ(炭酸水素)を含んだ良質のもので一般に美人の湯とも称されている湯だ。また、東京湾周辺の地層中には古代の植物が変化してできた有機物(フミン酸)を含んだモール泉と言われるものが所々に存在しており、鴎外温泉も薄い茶褐色のモール泉であった。鴎外荘ではその温泉を樹齢2000年の古代檜でつくられた浴槽で味わうことができ、しかも、温泉宿では非常に珍しい湯揉み付きとあり、都心で味わえる身近な温泉場として長い間人気を博して来ていた。美肌効果も期待できることから女性ファンの間では常に評判が高かった。
 
 しかし、冒頭に述べたとおり、今回の新型コロナ感染症問題を機に宿が閉じられることとなり残念でならない。5月31日はそれぞれの思いを記憶に残そうと次々と人々が訪れ、旧邸の光景を瞳に焼き付け、持ち帰れない思い出を温泉の湯水に流して別れを惜しんでいた。
 現在では樹齢2000年の檜風呂などは滅多にお目にかかれない代物だが、浴槽に使用されている檜が樹齢2000年であるならば、キリストの誕生から古代ローマのテルマエ(浴場)の成立、ローマ帝国の栄枯盛衰をも風の便りで体感したであろうから、歴史の重みを夢想するには十二分というものだ。
 
 2020年の今、全世界は新型コロナ感染症一色だが、これまでも何度も何度も感染症や他の病で命を失う歴史は繰り返されてきており、テルマエの盛んであったローマ帝国を天然痘が衰退に追いやったとの説もある。歴史的建造物は私たちの想像を時空を越えて押し拡げ、過去の記憶をも甦らせてくれる。古い書物を紐解けば、かつての感染症対策がどのような経緯を辿ったかも分かるであろうし、解決策とまではいかなくても何らかのヒント位は発見することができるのかも知れない。
 
 文化財等は有形無形にかかわらず先人の血と汗の積み重ねの上に成り立っているものであり、文化や文化財等の喪失は歴史の断絶にも繋がり兼ねず、先人の知恵の損失にもなりかねない。どういう形があるかは分からないが、何らかの形で再出発できるようにはならないものであろうか。暗闇は復活の契機にもなり得るのであるから。
2020.06.19  メディアだって恥ずべきことをやっている――黒川スキャンダルを巡って
          ――八ヶ岳山麓から(314)――

阿部治平 (もと高校教師)

1月31日、安倍内閣は黒川弘務東京高検検事長(当時)の定年延長を決定した。検察庁法改正案が国会に提出され、5月に審議に入った。これに対して黒川人事を「後づけ」する意図が見え見えだとして、会員制交流サイト(SNS)には、「ツイッターデモ」といわれるほど多くの反対意見が登場した。検察OBからも反対意見が法務省に提出された。5月18日安倍政権はこれに耐えきれず、法案の成立を断念した。
ところが、日をおかず「週刊文春」(2020・05・28)によって、当の黒川氏が産経現役記者、朝日元記者と賭け麻雀をしていたことが暴露された。安倍政権のメンツが吹っ飛び、黒川氏は袋叩きされ辞職に追い込まれた。

産経や朝日は、コロナ禍の緊急事態宣言のさなかに記者らが麻雀賭博をやったことを恥ずべきことと謝罪した。だが自社の記者が東京高検検事長という権力者にべったりひっついていたという事実に対しては、反省の一言もなかった。
日本のメディアは、古くから権力者・有力者に密着取材して情報を得るのが当り前になっている。この担当記者を「番記者」というそうだ。今回賭け麻雀をやっていたのは「番記者」と「元番記者」であろう。毎日だの読売だの日経だの、その系列下のテレビも、「番記者」については何も言わなかったから同じことをやっているに違いない。地方新聞でこの問題を取り上げたところがあったら教えていただきたい。

ジャーナリストの青木理氏は、歴代政権が自制した放埓人事を安倍内閣が繰りかえした責任を問うたのち、末尾で次のように書いた(信濃毎日新聞2020・05・22)。
「……今回、大手メディアの姿勢にも重大な疑念が突きつけられた。一部の週刊誌が政権の問題を浮き彫りにする特ダネを連発する中、焦点の人物とマージャン卓を囲み、肝心の情報を発信しない新聞記者。緊急事態宣言下、誘いを受けたとしても、なぜ固辞しなかったのか。情報を持つ高官の懐に飛び込むといえば聞こえはいいが、いったい誰のための取材であり、メディアなのか」

私は、黒川スキャンダルは、長年習慣的な「番記者」という取材方法にその根源があるとおもう。青木理氏は、黒川氏から誘いを受けた記者らが、なぜ誘いを断らず出かけたのかと問い、彼らが「肝心の情報を発信しない」と批判している。
だが現役も元記者も誘いを断れず、のこのこ出かけたわけはだれでもわかる。権力者から情報を得るつもりが、哀れな召使になっているからだ。いいかえればこの制度を使って記者に取材させているメディアは、自社の記者を権力の「はしため」として差し出し、記者たちはあたりまえのようにそれに従っている。そんなやり方で、いくら麻雀をやっても「肝心の情報を発信できる」わけがない。
青木氏が権力に取り込まれたジャーナリストを批判するなら、「番記者」方式をはっきりと非難すべきであった。

「記者クラブ」というものがある。中央・地方の役所、警察、裁判所、さらには業界団体に設置されていて、クラブの部屋もそこからタダで借りているという。それかあらぬか、日本のニュースには官庁の公式発表の記事が多い。刑事事件などほとんどが警察発表そのものだ。官庁や警察に情報が集まるのだから仕方がないといえばそれまでだが、労働現場や労働組合、農協や生協、平和団体、学者の地道な研究、ボランティア団体など民間の社会活動など、記者が足で取材した記事はごく少ない。催物の記事でも主催者発表が主だ。こうなると記者クラブは、半分は役所や警察の思惑通りに動く報道機関だといわれて仕方がない。

中国のメディアは中国共産党の「喉と舌」つまり宣伝機関である。特に習近平政権になってから独立したメディアは姿を消した。ジャーナリストらしいジャーナリストは脅迫されて沈黙するか牢獄の中だ。
メディアの報道があてにならないことは、中国の「老百姓=無権の人民」はだれもが漠然と感じている。だから「人民日報」などの記事が話題になることなど皆無。むかしはだれだって「街道消息=うわさ」のほうを信じた。今は携帯電話にどこからともなく瞬間的に流されてくるメールを信じる。
中国のメディアを「中国のマスゴミ」といった日本のジャーナリストがいたが、10年余の中国生活から帰国したとき、日本の大新聞とその系列のテレビも、やはり「マスゴミ」だとおもった。テレビのコメンテーターと称する人々はたいてい現状肯定的で、安倍政権のちょうちん持ちが多い。今はこれにすっかり慣れてしまい、週刊誌やネットが権力を批判する自律的な発言をする人を揶揄し叩くのを見ても、「そら来た」という感じで受け止めている。ただ地方紙にはまだ独立心が残っているのを知って少し救われたおもいがしているが。

中国とおなじく、日本でも記者が権力者の非行を暴いたら配転かクビになることがある。最近では、もとNHK記者で、いまは大阪日日新聞記者相沢冬樹氏の例がある。氏は、通産省職員赤木俊夫氏が「最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ」と書いた遺書と手記を明らかにした人だ(「週刊文春」2020・04・02)。
彼はNHK時代森友事件をスクープしたために、2018年5月辞めざるを得なかった。大メディアはジャーナリストとしての精神をもった記者が嫌いなのだ(『安倍官邸vs.NHK―森友事件をスクープした私が辞めた理由』文藝春秋、2018年12月)。

元来は報道には真実性と客観性、また論評には批判性という規範が伴っている。教科書風にいうと、客観・中立・公正がたてまえである。そのためには権力側を支持するか反権力であるかにかかわらず、メディアは権力から独立していなければならない。客観・中立・公正とはその意味であろう。
テレビや新聞、雑誌の報道には、権力への忖度とへつらいがあふれている。だからものを考える読者は、ジャーナリズムに批判精神と倫理を期待するのはあきらめて、裏付けが希薄だと思っても、ネット上の記事に目が行く。欧米のメディアの報道に多く見られるような自主性・主観性をもった記事や論評を歓迎するのである。新聞紙の読者が減るのも無理はない。
とはいえ、私はメディアとジャーナリストを信用してはいないが、絶望しているわけではない。絶望しないからこうして注文を付けるのである。
 

2020.06.18  沖縄県民の思いを発信し続けて
          新聞社初の女性編集局長・由井晶子さんを偲ぶ

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 6月23日は沖縄県の「慰霊の日」だ。沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が1945年6月23日に終結したのにちなんで制定された沖縄県独自の公休日で、この日は県主催の追悼式が開かれ、沖縄戦で犠牲になった人たちに祈りを捧げる。毎年、この日が近づくと、私は長年にわたる沖縄取材で出会った人たちに思いをはせるが、今年は、4月15日に86歳で亡くなったジャーナリスト、由井晶子さんのことがひときわ脳裏を去来する。

 由井さんは那覇市の生まれ。戦後の1951年に早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学、そこを55年に卒業すると沖縄タイムス社(本社・那覇市)の東京支社に入った。81年から83年までの本社勤務を除いて90年まで東京在勤。91年に取締役に就任、同年8月から92年12月まで本社編集局長を務めた。戦後の全国の新聞社で初めての女性編集局長だった。94年に取締役を退任し論説顧問に就任したが、97年に退任した。その後はフリーのジャーナリスト。
 そのかたわら、那覇市などが共催するジェンダーシンポジウム「うないフェスティバル」実行委員長、ハンセン病問題ネットワーク沖縄代表、琉球大学非常勤講師などを務めた。

 4月16日付沖縄タイムスに由井さんへの追悼文を寄せた仲程昌德・元琉球大教授は、その中で「女性や人権、基地を巡る問題……。幅広い活動歴が示すように、そこに彼女がいない場所はないというほど、徹底して現場に足を運び、自分の目で物事を捉えて発信する人だった」と書いている。
 要するに、由井さんはさまざまな分野の報道に携わったが、とくに力を注いだのは女性の権利、人権、米軍基地に関する問題だったということだろう。

 私が由井さんに初めて会ったのは、今から66年前の1954年のことだ。この年、私は早稲田大学政治経済学部に入学、同学部学生が集まる社会科学系のサークルに入会したが、そこにいた上級生の1人が由井さんだった(その時は富原姓を名乗っていた。その後、結婚して由井姓となる)。当時4年生で、沖縄からきていた「日本留学生」だった。当時、沖縄は米国の施政権下にあり、いわば“外国”だったから、沖縄からの学生は留学生扱いだったのだ。
 由井さんは沖縄タイムス東京支社に就職、私も少し遅れて全国紙の記者になったから、以来、報道関係の先輩である由井さんの仕事を遠くから見続けてきたわけである。
 由井さんの仕事で最も印象に残っているのは、やはり米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題に関する報道である。

 この問題の発端は、95年の米兵による少女暴行事件だ。これを機に普天間飛行場の返還を求める運動が盛りあがる。このため、日米両国政府によって「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)が設置される。96年には橋本首相とモンデール駐日米大使が普天間飛行場の全面返還を発表。その直後、SACOは「5年から7年以内の返還を目指す」「移設には十分な代替施設が必要」「代替施設として海上ヘリポートへの移設を検討」との中間報告を発表した。
 同年暮れ、SACOは最終報告を発表したが、そこには「海上ヘリポートの建設地は沖縄本島東海岸沖」とあり、建設地はあいまいな表現となっていた。が、97年、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ地域が移設候補地とされた。
 これに対し、名護市で住民投票が行われ、辺野古移設反対が過半数を占めた。しかし、名護市の比嘉鉄也市長は海上ヘリ基地の受け入れと辞職を表明。99年には、稲嶺恵一知事(革新系の大田昌秀知事を破って当選した自民党推薦の知事)が新基地建設は辺野古沿岸地域と発表、岸本建男名護市長も新基地建設の受け入れを表明した。
 2004年、普天間飛行場近くの沖縄国際大学に米軍の大型ヘリが墜落して炎上、同飛行場の返還を求める県民の声は一段と高まった。このため、日米両国政府は2006年、移設先を辺野古沖とすることで合意する。
 ところが、2009年、民主、社民、国民新党3党連立の鳩山内閣が成立、鳩山首相が「移設先は最低でも県外」と宣言したことから、問題は新展開をみせる。が、鳩山内閣は辺野古に代わる移設先を見つけることができず、2010年、米国政府との間で「辺野古への移設」を再確認せざるを得なかった。混乱の責任をとって鳩山内閣は総辞職、後継の菅内閣も「辺野古移設」の日米合意の順守を表明。その後の安倍内閣は辺野古移設を推進し、ついに建設工事に着手する。
    
 こうした一連の動きを、由井さんは「連載 沖縄」と題して1997年から十数年間にわたって労働運動専門誌『労働情報』(発行所は東京)に書き続けた。この間、2011年には、その一部が単行本にまとめられ、『沖縄――アリは象に挑む』とのタイトルで七ツ森書館から刊行された。
 本書を手に取ると、米国政府、日本政府、政党、沖縄県知事、県議会、県民、名護市、名護市議会、名護市民が普天間飛行場移設問題にどう向き合い、行動してきたかがよく分かる。現地に足を運んで書いたものだけに、その記述は具体的で、説得力をもつ。
 
 本書には『労働情報』に載った59本の文章が収められているが、その中に次のようなタイトルのついた文章がある。
  「基地負担軽減の要求が全国に届かず」
  「公平、平等求める沖縄に『ヤマト不信』が募る」
  「ヤマトンチュの鈍さに『本土』不信が広がる」
  「ヤマト」とは本土、「ヤマトンチュ」とは本土の人を指す。

 私には、由井さんが連載を通じて訴えたかったのは、結局、これら3本のタイトルに集約されているのではないか、と思えてならない。
 沖縄県の面積は日本の国土のわずか0・6%に過ぎない。そこに在日米軍基地の約70%が集中している。これに伴う被害が後を絶たない。だから、由井さんによれば、沖縄県民は本土並みの基地負担とするよう、つまり基地負担の軽減を求めている、というのだ。なぜなら、日本国憲法第14条には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあるからである。
 なのに、政府も本土の人も見て見ぬふり。そこで、沖縄県民は政府と本土の人に不信を募らせているというのだ。由井さんは書く。
 「沖縄では、福島第一原発事故のすさまじい被害を沖縄の基地と重ねて考えないわけにはいかない。最も貧しいところに、危険でまた地球に害を及ぼすもの、最も嫌われるものを、経済振興というアメをつけて押し付ける。地元はアメによって潤い、それに依存せざるをえず、将来に負荷がかかり自立が困難になる。その構造は、基地も原発も同じだ」

 こうした沖縄差別に対して、沖縄県民は闘いを続けざるをえない。本書のタイトルの「アリ」は沖縄県民、「象」は日米両国と本土の人を指す、と私はみる。

 由井さんの基地問題へのこだわりは、一つには、少女時代の体験が強く影響しているのではないか、というのが私の推測だ。由井さんをよく知る人の話では、由井さんは沖縄戦の時は小学生であったが、旧制一中(現首里高校)の教員をしていた父親が、由井さんら家族を九州に疎開させたため、沖縄戦の直接の戦火は免れた。九州では転々とする生活だったという。父親は沖縄戦で重傷を負い、米軍の捕虜となった。由井さんは、戦争の悲惨さを身をもって体験した世代だったのだ。
 こうした経験から、由井さんは平和こそ最も大切なものとずっと考えていたのではないか。そうした思いから、基地は戦争につながるものとして許容できなかったのではないか。
2020.06.17  COVID-19のせいで…
          韓国通信NO640

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 家にひきこもりの生活。食事したと思ったら、また食事? 一日中、食事ばかりしている感じ。読書と韓国語の勉強、NHKの「らじるらじる」でクラシック音楽を聴く毎日。日本語教室がオンライン授業になった。運動不足で体重計に乗るのがコワイ。
 NHKの報道のひどさには涙も涸れはてた。テレビ朝日の「報道ステーション」も元気がない。政権に忖度した経営トップによる締めつけのウワサが聞こえてくる。「ニユース23」は、まともに見ることができる。日曜の朝の「サンデーモーニング」は欠かさず見る。一週間がなんとなく過ぎ去る。こんな毎日、早く出口を見つけなければいけない。
 人の名前が覚えられない。『水滸伝』(北方謙三)を読みだしたが、登場人物の多いことに驚く。全11巻読み切れるか心配だ。梁山泊に集い、腐敗した社会を変革する群像は魅力的だ。
 運転免許の更新のために認知機能検査を受けた。辛うじて合格。胃と大腸の内視鏡検査、こちらも辛うじてバス。辛うじて生きている感じがする。
 書きたいことがあるのに書けない。コロナに負けているのかも知れない。パソコンに向かう。

<韓国を知る>
 韓国を知りたいと思い続けて40年になる。長い航海だが、自分を知る旅でもある。「近くて遠い国」は、近づいたと思うと非情にも遠ざかる存在だ。歴史書を読み、言葉を学び、旅もたくさんした。韓国人の友だちがたくさんできた。
 「韓国通」という言葉が嫌いだ。韓国通といわれる人たちには、もの知り顔で語り、韓国を不当に貶めてきた人たちが多い。歴史改ざん勢力と韓国通には重なるところがある。知ることと、語ることに謙虚でありたいと思う。
 私とほぼ同年配で韓国語を勉強して、韓国の日本大使をつとめた人がいる。彼は毎週水曜日の大使館前の抗議集会を見続けてきた。得意とする韓国語で、彼は誰とどのような話をしてきたのか。韓国で何を見、何を学んだのか。外務省を退職後、現在は反韓、嫌韓の先頭に立ってテレビや新聞、雑誌で活躍している。彼は徴用工訴訟で韓国大法院が損害賠償を命じた三菱重工の顧問だったことで知られる。あきれてコメントもしたくない。
 最近、ソウル以外の地方を旅することが多くなった。地方の人たちと話ができるのは楽しい。子どもやお年寄りと話をするのを目標にしているが、子どもはともかく、地方のお年寄りの言葉は分かりにくいので敬遠気味だが、地方には新しい発見があり刺激に満ちている。
 ソウルには国旗(太極旗)を掲げて「文在寅はアカだ!」と叫ぶ集団がいる。政権の批判勢力の主張をせっせと日本に送り続ける特派員と私は違う世界に住む。
 韓国の空気を吸ってみたいと思うのだが、コロナで出入国が制限されて当分行けそうもない。

<注目の韓国ドラマ『ハンムラビ法廷』>
 韓国映画の国際的評価は高まる一方だ。『パラサイト- 半地下の家族』は日本でも多くの人が鑑賞し、現在も上映続行中だ。深刻な貧困問題をコミカルに描き国際的にも高い評価を得た。
 外出が思うようにできないこの時期、異色の韓国ドラマの鑑賞を提案したい。
 ドラマ『ハンムラビ法廷』である。BS211で毎週土曜・日曜午前10時から放映される。青春ドラマと紹介されるが、内容の濃さは、見進めていくうちに、ただものではないことに気づくはず。ご覧になるなら韓国の「風」が感じられるので、吹き替えなしの字幕付きをおすすめしたい。
 COVID-19のせいで…  COVID-19のせいで… 舞台はソ ウルの中央地方裁判所。主人公はチャ・オルム判事(写真左)とイム・バルン判事(写真右)。ともに民事44部に所属。実はふたりは高校時代の先輩、後輩の関係だ。女性判事のチャ・オルムは音大から裁判官の道に進んだという変わりダネ。何故裁判官の道を選んだかはドラマのなかで追々語られるが、感受性が強く理想に燃える裁判官の卵だ。一方のイム・バルンはソウル大卒のエリート裁判官。現実的でやや体制内的だが将来を嘱望されるエリートだ。
 一回ごとにほぼ内容が完結するので途中から見ても、理解ができる。全20話。テレビ局は恋愛ドラマとしてコメディ性を強調するが、韓国の司法組織、さまざまな事件をとおして韓国の現実が見えてくる社会性のあるドラマといってよい。貧困の問題、社会正義、裁判所に蔓延する体制擁護の風潮、上司の裁判官によるパワハラ、韓国が抱えている社会問題がドラマに投影され、興味深い。判事役の二人の俳優は見ての通り。ミスキャストではないかと思われるほどの美男美女だが、回を追うごとにふたりの熱演には目が離せなくなる。
 映画にしてもドラマにしても時代の大きな流れの変化の中で名作が生まれてきたという印象が強い。韓国の民主化闘争を描いたドラマ『砂時計』(1995)、朴景利の長編小説『大地』のドラマ化 『名家の娘 ソヒ」』(2004)と比べると、軽い内容に見えるが、韓国社会をありのままに描いている点で、「ローソクデモ」の余韻、社会の変化を感じさせる。裁判所の体質、社会問題を率直に描いた後世に残る名作ドラマになるかも知れない。
 日本では刑事もの、検事ものドラマが実に多いが、司法の問題を社会問題、政治問題にまで結び付ける姿勢はとぼしく、「正義もの」「ミステリー」「人情もの」作品が定番だ。その点、『ハンムラビ法廷』は裁判所に対する忖度、タブーはなく、司法制度に挑戦的でもあり、現実を活写したような リアリティ感がある。
 現在、韓国で進められている検察改革。このドラマの舞台は裁判所だが、難しい司法の問題が一般の視聴者に受け入れられたというのも興味深い。二人の裁判官の葛藤とそこから生まれる友情。二人を指揮する破天荒で正義感に溢れ、部下思いの部長判事と、謎めいた女性事務官の存在も魅力的だ。

<辺野古に基地は作らせない>
沖縄県民の意志を無視して辺野古基地建設を続ける政府。我孫子市議会に政府に対して意見書の提出を求める請願の審議が10日行われ、全会一致で承認された。請願者は620人にのぼった。沖縄を孤立させない思いが実現するまであともう一歩。18日の本会議で正式に採択が決定する。千葉県では初となる沖縄へのエールを全国に広めたい。これまでの運動のねらいと経過と成果については後日報告したい。
2020.06.16  安倍経産内閣の堕ち行くところ、新型コロナ対策補正予算にみる究極の腐敗構造

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

 安倍内閣が、新型コロナウイルス感染症緊急経済対策として打ち出した1次補正予算および2次補正予算案をめぐって国会が紛糾している。「Go To キャンペーン委託費最大3095億円」「持続化給付金委委託費769億円」「予備費10兆円」が3大テーマだ。いずれもコロナ危機に乗じて巨額の予算を組み、その執行を経産官僚が仕切り、経産省関連企業や関係外郭団体に膨大な事務委託費や事業費を流すという〝税金私物化事業〟が国会の俎上に上がっていうのである。

 安倍内閣は、かねてより官邸官僚(経産官僚)が支配する独断専決内閣として知られてきたが、それが「モリカケ問題」や「桜を見る会」などの国政私物化につながり、今度はコロナ危機に乗じた〝税金私物化〟にまで発展してきたのだから、その腐敗ぶりは止めを知らない。しかも、その規模が半端なものではなく、「Go To キャンペーン事業(1次補正)」は1兆7千億円、「持続化給付金(1次補正+2次補正)」は4兆2千億円、「予備費(1次補正+2次補正)」はなんと11兆5千億円に上るのである。

 6月9日の衆院予算委員会の国会中継を見たが、知れば知るほど疑惑が増し、腹立たしさを抑えることができない。中小企業などへ国が最大200万円を支給する持続化給付金事業769億円を受諾したのは、経産省が便宜を図って電通やパソナなどが2016年に設立した名もない「トンネル組織」の社団法人だ。社団法人のオフィスはビルの一角の誰もいない小部屋で、明かりも点いていなければ電話も通じない。聞けば、社員は「リモートワーク」で仕事をしているのでオフィスには居ないのだという。社団法人の代表役員は「私は飾りですよ」と言って即座に辞任したが、そんなユーレイ組織が769億円もの持続化給付金事業を受託し、差額20億円を「中抜き」して電通にそのまま「丸投げ」(749億円で再委託)したのだから、まるで三文小説張りの絵に描いたような話ではないか。

 新型コロナウイルス感染症緊急経済対策の中に、「次の段階としての官民を挙げた経済活動の回復」という項目で計上された観光や飲食の喚起策、「〝Go To″キャンペーン事業」に至っては、まさに経産省肝いりの生々しい(毒々しい)〝税金私物化事業〟そのものだろう。6月4日の毎日新聞は、この点に鋭く切り込んでいる。本来、今回の事業が観光行政を担う国交省ではなく、経産省が所管しているのはなぜかということについて、野党からは「どうして経産省なのか?」との質問が相次いだが、経産省担当者は「いろいろな業種がかかわるので経産省で一括して計上した」と訳のわからない説明を繰り返すばかり。赤羽国交相も「経産省の言う通り」と追随し、観光業の支援策が中心となる巨額事業を経産省が取り仕切ることになった経緯ははっきりしなかった――と結んでいる。

 しかしその回答は、経産省が「Go Toキャンペーン事業」の運営事務局となる事業者への委託費を最大3095億円と見積もっていることにある。赤羽国交相は巨額の委託費の算出根拠について「経産省が18%ぐらいの想定をした」(毎日、6月4日)と答弁していることから、経産省が事業費の2割にも上る巨額の予算を最初から計上し、それらを経産省の関係企業や関係団体に流すことを意図していることは明らかだろう。

 すでに委託先は公募が始まっており(5月26日~6月8日)、専門家ら6人の有識者でつくる第三者委員会で事業者の提案内容を審査して選定するのだという。ところが、野党から第三者委員会のメンバーや議事録を公開すべきだと求められたところ、経産省の担当者は「個別事業の採択を選定する審査会のため、公表は考えていない」と拒否した。これでは、第三者委員会が「身内専門家」で構成されることも可能になるし、3095億円もの巨額委託事業の選定過程が「個別事業」ということで、談合や取引の実態はすっかり隠されてしまうことになる。要するに「Go Toキャンペーン事業」は、「Go To=イケイケドンドン」という名の通り経産省の「やりたい放題事業」であり、安倍経産内閣における経産官僚の驕りと専制支配を示す生々しい(毒々しい)〝税金私物化事業〟なのである。

 だがさすがに、こんな露骨極まりない事業は(そのまま)通らない。轟々たる批判の声が沸き起こるなかで政府は6月5日、「Go Toキャンペーン事業」の事務局を委託する事業者の公募を中止し、やり直すと発表した。見直しの肝は経産省が一手に仕切っていた事業者の選定を(当たり前のことだが)観光支援は国交省、飲食支援は農水省、商店街とイベント支援は経産省に各々事業分野ごとに分けることにある。「安倍経産内閣」の一角が崩れた瞬間だ。「Go Toキャンペーン事業」の旨味を経産省が独占できなくなり、国交省や農水省にも応分の「分け前」を与えることになったのである。

 だが、それでも経産省は引き下がらない。菅官房長官は6月8日の記者会見で、野党が「税金の無駄」と批判している最大3095億円の事務委託費について、「過去の類似事業を参考に計上したもので、減額は考えていない。予算の範囲内で極力、効率的に執行することが重要だ」と述べた(時事ドットコム、6月8日)。赤羽国交相が「説明責任が尽くせるよう可能な限り縮小する」と6月3日の衆院国交委員会で言明したにもかかわらず(毎日、6月4日)それを真っ向から否定する見解だ。背後にはあくまでも3095億円の委託費を死守しようとする経産官僚の暗躍があるのだろうが、もはやこんな態度は維持できないだろう。早晩、何らかの形で委託費減額の措置に踏み切らざるを得ないに違いない。

 最大の問題は、31兆9千億円の2次補正予算案の中に約3分の1に当たる10兆円もの巨額予備費が計上されていることだ。日経新聞(6月3日)は、「予備費10兆円 異例の巨額」の中でこう書いていている。「政府は新型コロナウイルスの感染拡大を受けた2020年度第2次補正予算案で10兆円の予備費を計上した。過去20年の平均予備費と比べると20倍近い異例の規模で、新型コロナの感染が再拡大するリスクに備える。巨額の使い道は政府の裁量が大きく、国会の監視が届かない危険性がある」。だが、日経記事には決定的に見落としている点がある。それは「新型コロナ再拡大のリスクに備える」という政府口上をそのまま信じるのなら話は別だが、通常ならば10兆円という巨額予備費に中に、何か政府が実現を担う「隠し予算」が含まれていると考えるのが自然ではないか。

 前回の拙稿でも紹介したように、日本の「成長戦略の司令塔」である未来投資会議においては、〝ショックドクトリン=惨事便乗資本主義〟のセオリーに忠実な政策形成が行われている。国民がコロナ恐怖におののき、外出自粛はもとより生活様式に至るまで国家の管理下に置かれようとしているいま、マイナンバーカードのひも付けなど長年の国家的懸案を一気に実現しようとする絶好の機会と把握されているからだ。

 実際、コロナ危機に乗じてデジタル政策を推進しようとする財界の勢いには凄まじいものがある。4月当初に生まれたばかりの「新たな日常」というキーワードが、5月には早くも国際共通語の〝ニューノーマル〟と改名され、「ポストコロナ時代に目指すべき社会像」として定立された(知的財産戦略本部会合、5月27日、首相官邸HP)。5月に策定されたばかりの「知的財産推進計画2020~新型コロナ後の『ニューノーマル』に向けた知財戦略~」では、知的財産戦略本部がこれまで検討を進めてきたデジタル社会への知財戦略が、新型コロナによって一気に実現できる「千載一遇の機会」が訪れたとの認識が示されている。少し長い引用になるが、政府の基本認識を紹介しよう(「知的財産推進計画2020」、同概要、2020年5月、首相官邸HP)。
 
 「今般の新型コロナの世界的蔓延は、経済社会システムの在り方自体に不可逆的な大きな変革をもたらすものであり、その流行が沈静化して緊急時モードが解除された後においても、世界は『元に戻る』のではなく、経済社会の多くの側面で『新型コロナ以前』の常識が『ニューノーマル(新たな日常)』に取って代わられるであろう。その認識を広く共有することが肝要であると同時に、世界がニューノーマルへと動く中で、我が国はむしろその変革を先頭に立ってリードすべく、官民を挙げて必要な取組を加速すべきである」

 「新型コロナ以前の段階においては、知財戦略を検討する上での指針となる我が国が目指すべき社会像として、『価値デザイン社会』と『Society 5.0』が示されていた。知的財産戦略本部・構想委員会では、2019年10月以降、これらの社会像の実現に向けた知財戦略の検討を行ってきたが、その過程でコロナ・パンデミックが発生した。平時においては『価値デザイン社会』や『Society 5.0』に向けた変化は連続的であったが、新型コロナは劇的に社会全体のリモート化・オンライン化や人々の行動変容、さらには変化に対する高い受容性をもたらし、『価値デザイン社会』と『Society 5.0』を一気に実現させる非連続的な社会変革が可能な千載一遇の機会が訪れている。我が国は、こうした社会変革を達成した姿としてのニューノーマルを目指すべきであり、その実現のための知財戦略が求められている」

 就任3年目を迎えた経団連の中西会長も共同通信などインタビューに応えて、感染収束後の「新たな成長」を実現するため、デジタル化を梃子に社会構造改革に取り組む意気込みを示している。デジタル革新への投資を加速させ、大幅に悪化した経済の回復を目指す考えだ。また、新型コロナ問題への対応では、「政府や行政の電子化の遅れを皆が感じた。企業だったら潰れている」と危機感を示し、医療や教育、産業などさまざまな分野での徹底した規制改革とデジタル化・データ共有化の推進が重要だと訴えた(京都新聞、6月2日)。

 総額11兆5千億円に上る巨額予備費のなかに、「新たな成長=デジタル革新=ニューノーマル社会(新たな日常)」を実現するための「隠し予算」が含まれていると考えない方がおかしい。安倍経産内閣が計上する巨額予備費は、二波三波の新型コロナウイルスに備えると称して、その実は「ニューノーマル社会」を実現するための予備費であることが明らかなのである。
2020.06.15  私の「コロナ自粛」報告(1)
          ―座して見て読んで考えたこと―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 本稿は私の「コロナ自粛」報告である。気取っていえば「知的生活」の報告である。
 私の「コロナ自粛」は、2020年4月から6月中旬まで2ヶ月半。あっという間に終わった。時間感覚がおかしくなった。身体を動かさなかったので、「エコノミー・クラス症候群」を発症した。右下肢に血栓がたまり、心肺へ飛ぶ危険があった。1ヶ月後に再度エコーを撮ることになっている。気分はよくない。
 長編書物を読む計画は挫折した。結局、テレビやパソコンによって動画系の情報を見ることになった。何しろコロナ感染と米国危機が刻々と変化、展開したからである。そして少しだけ読書した。そのなかで考えたこと書き留めておく。

《テレビとYouTube・SNS・CNN》
 見聞したのは、「テレビ番組・TVやYouTubeの映画・SNS」。こうしてみると今時の情報源のカテゴリー分類は難しい。様々なソースの「ごった煮」が、様々な媒体の中に不完全な目次に沿って格納されている。

 テレビ地上波で観るべきものは殆どない。TBS「報道特集」、同「サンデーモーニング」が辛うじて水準である。「NHKスペシャル」を高評価する人が多いし優れた番組があることは私も同感である。ただすべて「スペシャル」を自称するのはどうか。殆どは「標準」である。BSやCS(これらを束ねたCATV)には良いものがある。

 私のCATV有料バックには「CNNj」が入っている。
 今まで熱心な視聴者でなかったが、年初から意識してずいぶん見た。大統領予備選代議員選びや立会演説会をよく見た。米国大統領選は確かに凄い。プロンプター安倍なら一回戦で敗退するのは間違いない。最近は米国のコロナ被害騒動、白人警官による黒人男性(George Floyd 氏)絞殺。この報道にかぶり付きであった。「黒人の命大事」デモとトランプの強硬姿勢を見ていると「内戦」や「革命」の現実化を予感する。
 CNNは報道現場と事実の重視、忖度のない取材手法にすぐれており日本のTV報道と雲泥の差があると感じた。米国の若者が人種を問わず期間を問わず蝟集するのを見て感動する。空中写真も印象が強い。2015年の日本で「安保法制反対」デモがあのように報道されたら戦況は変わったと思う。しかし日本の現状は、「一億総反知性化」の全開である。オモテは壮大な井戸端会議であり、ウラは壮大な夜店屋台である。それでもみんな見てしまうから劣化の悪循環が加速するのである。

《映画はテレビとYouTubeで》
 YouTubeの無料映画やテレビ録画を見るからDVDを借りることはなかった。印象に残った映画は次の通り。

 チャプリン監督の「街の灯」(1931)、「チャップリンの独裁者」(1940)、「ライムライト」(1952)(1950)の三本、山下耕作の「緋牡丹博徒」(1968)、五所平之助の「大阪の宿」(1954).マービン・ルロイの「若草物語」(1949)、杉江敏男の「愛情の都」(1958)。
 「街の灯」の最後数場面。花売り娘が浮浪者に小銭を握らせる。その感触で事情を察した娘が、You?(あなたでしたの)と聞く。You can see now?(見えるんですね?)、Yes, I can see now(はい 見えます)と短い会話が続く。手術代の出し手はその浮浪者であり、大金は悪いカネであった。この残酷なハッピーエンドは無声映画史最高の映像である。私は今度も泣いた。

 「ライムライト」で、若いバレリーナのテリー(クレア・ブルーム)のソロを見ながらチャプリンが死んでゆくと記憶していた。だが舞台の袖まで運ばれた彼はすぐに死んだ。テリーが踊り続ける遠景でエンドマークが出る。音楽は監督作曲の「テリーのテーマ」だ。
緋牡丹お竜に22歳の藤純子(現・富司純子)が扮し高倉健を相手に実に美しい。カラー保存が邦画では例外的に見事である。このシリーズは72年までに8作が作られた。
 「大阪の宿」の原作者の水上滝太郎は米欧に学んで帰国後、大手生保の経営者と文学者を両立させた。この作品は大阪勤務時の経験を背景にしている。映画では時代を大正前期から太平洋戦争直後に変えている。水上が常宿にした小旅館に集う庶民の群像劇である。エリート意識が出がちな主人公と貧困と戦う庶民の対立と和解を描く佳品だ。佐野周二、乙羽信子、川崎弘子、左幸子に藤原鎌足らのベテランを配する。
 「若草物語」は初めて見た。この49年版は、長姉が新人エリザベス・テーラーだが次女ジューン・アリスンが明るい演技で圧勝。真面目なカトリック映画である。
 「愛情の都」を見たのは偶然。YouTube映像の解像力が良かったからである。宝田明、司葉子コンビを中心に草笛光子、団令子、淡路恵子、小泉博、河津清三郎ら共演。経営者の不良息子宝田が女遊びの果てに司と結ばれる話。ある誤解から司が一時「転落」して汚れ役をやるのが見所である。高度成長助走期のエンタメ作品である。

《蟄居した文学者はなにをどう書いたか》
 横光利一の短編「夜の靴」と保田与重郎の「明治維新とアジアの革命」を読んだ。
 「夜の靴」は敗戦直前、横光一家四人が山形県の田舎に引っこんだ記録である。寺の一隅を借り四ヶ月ほど滞在した。仕事を作家と知らせぬ主人公が、農民たちと打ち解けるさま、自らの緊張も次第に解かれるさま、住民の知恵ある生活のさま、が淡々と書かれる。私は横光のリアリズムと清廉な気持ちに感服した。河上徹太郎は解説で「作者の人間性が練れて重厚さを加えている点で、例えば『夜の靴』を氏の最大傑作に挙げても敢えて不服はない位に評価している」とまで書いている。横光利一が表現しようとした日本人とは何だったのか。「生涯土の落ちぬ璞(あらたま)」(川端康成による弔辞の一語)の作品を読んでいきたい。
 保田与重郎は、1949年頃から執筆を再開し定期出版物を配布した。忘れられた思想家として1981年まで生存した。「明治維新とアジアの革命」は1955年の著作である。アジア唯一の独立国による明治維新がアジア諸国に自立への希望を与えたこと、徳川慶喜の先駆的言動が維新成功に大きく寄与したこと、大東亜戦争は不平等条約改正闘争に淵源していること、その敗戦はアジア諸国の独立をもたらしたこと、を挙げる。そして最後は次のように結ばれる。
 「大東亜戦争によって独立したアジアの諸国が、みな真の自主独立の国となることは日本の願いであるし又その目的である。我々の無数の同胞は、まだ十年以前に、そういう目的のため、生命を捨てて悔いなかったのである。そしてわが明治維新以来の一貫する祈念だったのである」。
 保田論文は「大東亜戦争肯定論」(林房雄)など戦後右翼の大東亜戦争の正当化論の原型を示している。一方で保田は新憲法の戦力不保持と戦争放棄を認める「絶対平和論」を主張している。それが保田の対米屈服または転向の表明なのか。偽装なのか。

《「旅愁」と「日本の橋」の作者》
 戦時に多くの知識人を捉えた「旅愁」と「日本の橋」の、二人の文学者はおのれの軌跡をどう見ていたのか。考えがまとまれば、この報告の最終回に記すつもりである。
(2020/06/08)
2020.06.14  「本日休載」
 
今日6月14日(日)は休載します。

リベラル21編集委員会

2020.06.13  今年は献花のみに
          声なき声の会の「6・15集会」

 6月15日が近づきました。毎年、この日には反戦市民グループ「声なき声の会」の主催で、東京都内で、60年安保闘争を記念する「6・15集会」が開かれ、その後、集会参加者が国会南門で同安保闘争の最中に亡くなった東大生樺美智子さんを追悼する献花をおこなってきましたが、今年は新型コロナウイリス問題が突発したため、「6・15集会」は中止となり、献花のみが行われることになりました。

 1960年1月に自民党の岸信介内閣が新安保条約案(日米安保条約を改定したもの)の承認を国会に上程したところ、社会党(社民党の前身)、共産党、総評(労働組合の全国組織)、平和団体などが「新安保条約で日本が戦争に巻き込まれる危険性が増す」などとして、安保改定阻止運動を起こしました。これが60年安保闘争です。5月に自民党が衆院本会議で新安保条約案を強行採決したことから、これに抗議する労組員や学生のデモ隊が連日、国会周辺につめかけました。
 そんな中で生まれたのが一般市民中心の「声なき声の会」でした。千葉県柏市の画家、小林トミさんらが市民に抗議デモへの参加を呼びかけたのがきっかけでした。
 6月15日には、全学連主流派の学生が国会構内に突入して警官隊と衝突、その混乱の中で、樺美智子さんが死亡しました。新安保条約は6月19日に自然承認となり、同月23日に発効、現在に至っています。

 新安保条約発効とともに安保闘争は急速に退潮していきました。しかし、小林さんは「安保条約に反対する運動をこれからも続けてゆこう。樺美智子さんのことも決して忘れまい」と決意し、61年から「6・15集会」と献花が始まりました。
 今年は60年安保闘争から60年になるので、集会もそれを記念したものになる予定でしたが、中止になったことで、声なき声の会は「コロナ騒動が収まった時点で集会が実視できるかどうか追求する」と言っています。
献花について、同会は「参加者の間隔を取りながら行う。6月15日(火)18時50分に地下鉄国会議事堂前駅改札に集合、19時に国会南門で献花」としています。
                (岩)

2020.06.12  新型コロナウイルスに世界で最も安全な国はスイス、日本は5位
        米国の経済専門誌フォーブス報道の調査報告

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

世界経済の調査報告では、世界でもっとも信頼されている一つ、米国の経済専門誌フォーブスが今月上旬に発表した、COVID19に関する250ページもの最近時点の大規模な世界調査報告。同誌によると、調査は130項目の数量的、質的項目について、全体で11,400点のデータ点数を採点、国別安全ランキングをつけた。
その結果、100ヵ国の順位で上位10か国はー
1位スイス、2位ドイツ、3位イスラエル、4位シンガポール、5位日本、6位オーストリア、7位中国、8位オーストラリア、9位ニュ-ジーランド、10位韓国。
米国は58位、ロシアは61位。
さらに下位の国々はー
96位ペルー、97位インドネシア、98位カンボジア、99位ラオス。100位バハマ。
さらに点数の低い国は、アフリカのサハラ以南の国々、南米、一部の中東と南アジアの島嶼諸国。
私なりにこの順位の理由を考えてみるとースイスの1位は、徹底したきれい好きで几帳面な国民性。ドイツの2位は、3月24日の「リベラル21」で「第2次大戦以来の、市民の団結が重要な事態」と題して紹介したメルケル首相の演説で示された、首相の決意と指導力、それに対する国民の信頼の成果だと思う。日本の5位はうれしい。PCR検査態勢が先進国の中では際立って不備だったが、多くの国民がマスクの着用、外出制限を忠実に実行、医師、医学専門家の水準の高さのおかげだった、と思う。ただし、まだ事態は進行中で、逆戻りも警戒しなければなるまい。(終わり)

2020.06.11  「地球の上で」
出町 千鶴子 (画家)

          DANSE DANCE DANSE

          会議は踊りつづけて

「地球の上で」